第16話「勝ち続けた代償」

「エストガード補佐官の作戦により、東部国境第三地点での帝国軍の侵攻を阻止、敵に大打撃を与えることに成功した」 北方軍司令部会議室で、参謀長が続報を読み上げていた。会議テーブルの周りには高級将校たちが座り、中央の地図を見つめている。そして地図の向かい側、アルヴェン将軍の右手側に座っていたのは俺だった。 「これで三連勝だな」 将軍は満足げに頷いた。正式な補佐官に任命されてから一ヶ月、俺の戦術提案は立て続けに成功を収めていた。西部丘陵地帯での伏兵作戦、北部砦での偽装撤退、そして今回の東部国境での誘導戦術。いずれも「流れを読む」戦術が功を奏した結果だった。 「エストガード殿、素晴らしい成果だ」 一人の中佐が声をかけてきた。彼は以前、俺に批判的だった保守派の一人だ。だが今は、表面上とはいえ、一定の敬意を示すようになっていた。 「ありがとうございます。しかし、現場で指揮を執った将校と兵士たちの功績です」 謙遜しつつも、俺は内心で満足していた。かつては「お飾り」と蔑まれた自分が、今や実質的な戦術参謀として認められつつある。それは「タロカの流れ」を戦場に応用した結果だった。 会議が終わると、セリシアが近づいてきた。彼女との関係も良好で、情報分析と戦術立案で協力関係を築いていた。 「エストガード」 「どうしたんですか、セリシア少佐」 「少し話があるわ」 彼女は人の少ない廊下へと俺を誘導した。 「あなた、勝ち方を知ったわね」 「はい、ようやく」 「でも、勝ちに慣れすぎていないかしら?」 彼女の問いかけに、俺は不思議そうな顔をした。 「どういう意味ですか?」 「最近のあなたの態度よ。会議での発言、他の将校への対応——少し高慢になっていると感じるの」 「高慢?」 その言葉に、俺は少し不快感を覚えた。 「私は単に自信を持っているだけです。それに、結果は出していますよね?」 セリシアが問いかけに触れたとき、俺の心には少しの動揺が走った。確かに最近の俺は少し調子に乗っていたかもしれない。麻雀でも勝ち続けると読みが甘くなる。前世でもそういう経験があった。でも今は違う。俺は成長している。 「そうね、確かに結果は出している」セリシアは冷静に言った。「だからこそ、言いたいの。勝ちに慣れすぎると、緊張感が薄れる。それが最も危険なのよ」 「大丈夫ですよ。私は常に慎重に計画を立てています」 「そうかしら? 仮想演習では、あなたはますます大胆になっているわ。そんな戦術は、本当の戦場では通用しないかもしれない」 俺は少し苛立ちを感じた。確かに最近の戦術提案は大胆になっていた。だが、それは自信からくるものであり、実戦でも確かな効果を上げていた。 「勝ちに慣れたらまずいのですか? 勝てばいいんでしょう?」 思わず強い口調になってしまった。セリシアは少し驚いたような表情をしたが、すぐに冷静さを取り戻した。 「私はただ忠告しているだけよ。受け入れるかどうかはあなた次第」 彼女はそう言って立ち去った。俺は廊下に一人残され、わずかな罪悪感と反発心が入り混じる感情を味わっていた。 セリシアの言葉は心に引っかかった。彼女は何かを見抜いているのかもしれない。だが、連勝の快感に浸っている俺には、その警告が十分に届かなかった。 (セリシアは余計な心配をしている。俺は勝ち方を知ったんだ) そう自分に言い聞かせながら、俺は自分の執務室に戻った。 *** 「ところで、エストガード補佐官」 夕食時、軍の食堂でスパートン少佐が話しかけてきた。彼は最近俺に好意的な態度を示す将校の一人だった。 「次の大規模作戦ではどんな戦術を考えているんだ?」 「まだ詳細は固まっていませんが、おそらく『流れの誘導』が基本になるでしょう」 俺は少し傲慢な調子で答えていた。自分でも気づいていたが、最近は少し優越感を持って人と接することが増えていた。特に以前自分を蔑んでいた将校たちに対しては尚更だ。 「流れの誘導? タロカの用語かな?」 「はい。敵に特定の行動を取らせることで、有利な状況を作り出す戦術です」 「なるほど、それは帝国軍相手でも通用するかな?」 「もちろんです。どんな相手でも『流れ』というものはありますから」 俺の言葉を聞いて、スパートン少佐は頷いたが、その表情には何か別の色が混じっていた。おそらく、俺の自信過剰な態度に対する警戒心だろう。 その夜、自室に戻った俺は、久しぶりにタロカの牌を取り出した。以前のように牌を並べ、「流れ」を確認する日課が、いつの間にか減っていたことに気づいた。 (セリシアの言う通りかもしれない) ふと、そんな思いが頭をよぎった。だが、すぐにそれを打ち消した。 (いや、俺は勝っている。勝っているなら、問題ないはずだ) そう自分に言い聞かせながら、俺は就寝の準備を始めた。窓の外には満月が輝いていた。明るすぎる月光が、どこか不吉に感じられた。 *** 翌朝、司令部には緊張感が漂っていた。アルヴェン将軍から緊急会議の召集がかかったのだ。 会議室に集まった将校たちの表情は硬く、会話も少ない。俺も席につき、静かに将軍の登場を待った。 「諸君」 アルヴェン将軍が入室し、厳しい表情で切り出した。 「東部国境第七地点で、帝国軍の大規模な部隊移動が確認された。彼らは軽微な戦力ではなく、精鋭部隊を投入してきたようだ」 地図上には、帝国軍の推定進路が赤い線で示されていた。その規模と方向性から、今回は単なる小競り合いではなく、本格的な侵攻の前触れと見られた。 「さらに、この部隊を率いているのはラドルフ・ゼヴァルドと思われる」 将軍の言葉に、会議室がざわめいた。 「赤眼の魔将」 「そうか、ついに彼が出てきたか」 将校たちの間で囁きが広がる。ラドルフ——その名はフェリナから聞いていた。帝国軍の戦術総監、「赤眼の魔将」の異名を持つ軍略家。彼の戦績は圧倒的で、これまでフェルトリア王国との戦いで一度も敗北を喫したことがないという。 「我々はこの動きに対応する必要がある。エストガード」 将軍が俺を指名した。 「君の戦術眼を買いたい。このラドルフの動きを予測し、対応策を練ってくれ」 「承知しました、将軍」 俺は自信を持って答えた。どれほど強い敵であれ、「流れ」を読み解く自分の能力があれば対抗できるはずだ。これまでの勝利が、そう確信させていた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第17話「戦場に降る声」

東部国境第七地点から十キロ内陸、ブラックウッド高原。広大な平原と点在する丘陵地帯が特徴的な地形だ。雲一つない晴天の下、俺は前線指揮所の高台から戦場を見渡していた。 「すべての部隊が配置完了しました」 参謀を務める若い士官が報告してきた。彼の声には緊張が滲んでいた。当然だろう。我々の前に立ちはだかるのは、エストレナ帝国の精鋭部隊。そして、その指揮を執るのは「赤眼の魔将」ラドルフだ。 「エストガード補佐官、第三部隊からの通信です」 伝令兵が駆け込んできた。 「敵の前哨部隊が視認されました。約8キロ先、予想進路通りです」 「承知した」 俺は地図上の駒を動かした。これまでの情報分析に基づき、敵の進路と戦術を予測。それに対応する布陣を整えていた。 「我々の罠は成功しつつあります」 指揮官のバーンズ中佐に告げる。彼は五十代の熟練した指揮官で、実戦経験は豊富だが、自分の経験を過信する傾向があった。今回は俺の戦術提案に渋々同意したものの、常に疑いの目を向けていた。 「まだ早い。敵の主力が接近するまで判断はできん」 中佐は厳しい表情で答えた。 俺の戦術は「誘導と分断」。過去三回の勝利で培った戦術だ。敵を特定の経路に誘導し、分断して個別に叩く。タロカで相手の打牌を誘導するのと同じ原理だ。 「こちらセリシア。偵察部隊からの報告です」 伝令石が光り、セリシアの声が響いた。彼女は指揮所から少し離れた前線観測点にいた。 「敵の前衛部隊は予想以上に慎重に動いています。地形確認を入念に行っている様子」 「警戒しているのか」 中佐が眉をひそめた。 「いいえ、これも予想の範囲内です」 俺は自信を持って答えた。 「我々の偽情報が効いています。彼らは南側の迂回路に警戒を向けているはずです」 戦いが始まる前の緊張感。それは麻雀やタロカの対局でも感じたものだ。しかし、そこには命のやり取りはなかった。実戦は違う。全てが血と命を賭けた勝負だ。 「敵の動きに変化あり。主力部隊が前進を開始しました」 セリシアの報告に、指揮所内の空気が張り詰めた。 「そろそろか」 俺は小さく呟いた。計画ではこの時点で敵を中央の「袋」に誘い込み、丘陵地帯から挟撃する。初手は成功しつつあるようだった。 「各部隊に通達。初期計画通りに展開せよ」 中佐の命令で、伝令兵たちが動き出した。 数十分後、戦場は動き始めた。敵の主力が丘陵地帯の間の平原に進入。黒い装甲の兵士たちが整然と行進している。 「待機……待機……」 俺は息を殺し、次の展開を見守っていた。敵が谷間の中央部に到達したとき、こちらの伏兵が動き出す計画だ。 「指揮官、敵の後続部隊が確認できません」 突然、見張りの兵が報告した。 「何だと?」 中佐が身を乗り出して双眼鏡を覗きこむ。 「彼らの主力はどこだ? あれは前衛のはずだぞ」 「わかりません。視界に入りません」 異変を感じた俺は、地図を再確認した。何かがおかしい。敵の動きが予想と違う。 「セリシア少佐! 敵の主力部隊の位置を確認してください」 伝令石を通じての問いかけに、彼女の返答があった。 「こちらからも主力は見えません。前衛だけが進軍しています」 「まさか……」 俺の頭に閃きが走った。ラドルフは初めから我々の罠を見抜いていたのではないか? だとすれば、この前衛部隊は囮で、真の主力はどこかで……。 「北西の丘陵地帯から煙が上がっています!」 伝令兵の叫びとほぼ同時に、遠方から轟音が響いた。 「攻撃を受けています! 第二部隊が襲われています!」 次々と緊急報告が入る。北西の丘陵地帯——そこは我々の伏兵部隊がいる場所だった。ラドルフは罠を仕掛ける側を罠にかけたのだ。 「全軍に通達! 計画変更、防御態勢を取れ!」 中佐の命令も空しく、混乱が始まっていた。伏兵として配置していた第二部隊が敵の奇襲を受け、崩壊しつつある。 「どうして……」 俺は信じられない思いで状況を見つめていた。自分の読みが外れたのは初めてだった。いや、もっと正確に言えば、こちらの読みをさらに上回る読みをされたのだ。 「エストガード、どうしたんだ!」 中佐の声が耳に入った。 「あなたの戦術では、こうはならないはずだったのではないか?」 その非難めいた声に、言葉が出なかった。 「流れが見えない……」 俺は呆然と呟いた。 「空気が死んでる」 これまでの戦いでは常に「流れ」を感じ取ることができた。敵の動き、地形、天候、全てが一つの大きな流れの中にあった。しかし今回は違う。まるで戦場そのものが無機質になったかのよう。「流れ」が感じられない。 「セリシア! そちらの状況は?」 伝令石を通じて彼女を呼ぶが、返事がない。 「セリシア少佐との通信が途絶えました」 伝令兵が報告した。 事態は急速に悪化していた。敵は我々の布陣を完全に把握しているかのように、次々と急所を突いてくる。前衛部隊と思われた兵力は実は精鋭で、北西からの奇襲と連動して中央突破を図っていた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第18話「赤眼の男」

北東の森への撤退も思うようには進まなかった。森の入り口付近で帝国軍の別働隊と遭遇し、新たな戦闘が始まったのだ。 「我々は完全に読まれていた」 バーンズ中佐が苦々しい表情で呟いた。彼の顔には疲労と絶望が刻まれていた。 俺たちの部隊は大きく損耗し、統制も失われつつあった。現在、森の中の小さな空き地に一時的な指揮所を設け、残存兵力の再編と次の撤退路の検討を行っている。 「エストガード補佐官」 中佐が俺を呼んだ。その声には非難の色が混じっていた。 「あなたの戦術は完全に裏目に出た。何か言うことはないのか?」 答えに窮する俺の傍らで、ようやく合流できたセリシアが言葉を挟んだ。 「敵の指揮官はラドルフ・ゼヴァルド。彼の戦術は通常の予測を超えています」 彼女の表情も疲れていたが、冷静さは失っていなかった。 「言い訳には聞こえんな」中佐は厳しく言った。「結果として、我々は大損害を被っている」 外では兵士たちが次々と運ばれてくる。負傷者の呻き声、医療班の慌ただしい動き、そして時折聞こえる「もう手遅れだ」という絶望的な声。 「私の責任です」 俺は静かに頭を下げた。自分の戦術が失敗し、多くの兵士が犠牲になったという現実。それは重い。 「中佐、敵の南側部隊が森に接近中です」 見張りの報告に、指揮所内の空気が緊張に包まれた。 「どれくらいの規模だ?」 「小隊規模です。しかし……」 見張りは言葉を詰まらせた。 「なんだ、言え」 「黒装の騎士が一人、先頭にいます」 セリシアの表情が強張った。 「ラドルフ……」 その名を聞いただけで、指揮所内の空気が凍りついた。 「どこからそう判断した?」 中佐が尋ねると、見張りは少し気まずそうに言った。 「赤い目が……遠くからでも見えました」 俺は中佐に向き直った。 「私が会いに行きます」 「何を言っている?」 「ラドルフに。彼は交渉に来たのでしょう。さもなければ、この小規模な部隊で接近してくるはずがありません」 「馬鹿げた話だ。あの男が交渉など——」 「いいえ、それは彼のやり方です」 セリシアが割り込んだ。 「ラドルフは時に直接敵将と会見し、降伏を勧告することがあります。それは彼の『支配』の儀式のようなものです」 中佐は苦悩の表情を浮かべた後、短く頷いた。 「わかった。だが私も同行する」 「いいえ、私一人で」 俺は強く主張した。 「私の戦術が招いた失敗です。責任は私が取るべきです」 中佐とセリシアは互いに顔を見合わせた後、渋々同意した。 「十五分。それ以上は待たん。それまでに戻らなければ、我々は残存兵力で最後の突破を図る」 中佐の厳しい言葉に頷き、俺は森の境界へと向かった。 *** 森の端に立つと、そこには黒い装甲に身を包んだ騎士と、数人の兵士が待っていた。騎士は馬上におり、こちらを静かに見つめていた。 近づくにつれ、その姿がはっきりと見えてきた。彼は三十歳前後の男性で、整った顔立ちと冷静な眼差しをしていた。そして、その目は確かに赤かった。深い赤い色をした瞳は、相手を焼き尽くすような鋭い光を放っていた。 「フェルトリア王国、北方軍補佐官、ソウイチロウ・エストガードだな」 彼の声は低く、静かなものだった。しかしその声には確かな威厳と力があった。 「そうです」 俺は体の震えを抑えながら答えた。 「ラドルフ・ゼヴァルド閣下」 彼はわずかに頷いた。 「君が『流れを読む』という戦術家か。興味深い」 彼が自分のことを知っていたことに驚いたが、表情に出さないよう努めた。 「閣下は交渉のためにいらしたのですか?」 「交渉? いや、降伏を受け入れに来た」 彼の言葉には迷いも傲慢さもなかった。ただ事実を述べるように、淡々と言った。 「我々はまだ戦う力がありますが」 「ある。しかし勝てない」 彼の赤い目がまっすぐに俺を見つめた。 「君の部隊は四方を囲まれている。南東には我が軍の主力が控えている。森の北側には迂回した弓兵隊が待機している。西は既に我が軍が制圧した」 彼の言葉は冷静で、それでいて残酷なほど正確だった。 「どうしてそこまで……」 「流れは私が作るのだ」 ラドルフは平然と言った。 「君は『流れを読む』と聞いた。しかし、それは所詮、存在する流れの中での話。真の戦術家は流れそのものを創造し、支配する」 彼の言葉は俺の核心を突いた。 「君は読むだけ。私は創る。それが我々の違いだ」 俺は返す言葉を失った。彼の言葉には反論の余地がなかった。今日の戦いがそれを証明していた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第19話「死者たちの夜」

「……ガード殿、エストガード殿!」 意識が戻りかけたとき、誰かが俺の名を呼んでいた。目を開けると、ぼんやりとした光の中に若い兵士の顔が見えた。 「よかった、意識が戻りましたか」 兵士は安堵の表情を浮かべた。 「ここは……?」 「野営地です。何とか撤退に成功しました」 周囲を見回すと、そこは森の奥深くに作られた緊急野営地だった。燃え盛る松明の光が闇を照らし、その光の届く範囲には多くの兵士たちが横たわっていた。 「何人……脱出できた?」 俺は痛む肩を押さえながら尋ねた。矢は抜かれ、応急処置が施されていたが、動かすたびに鋭い痛みが走る。 「元の部隊の約三分の一です」 兵士の声は沈んでいた。 「三分の一……」 それは予想より良い数字だった。あの包囲網の中、完全全滅もあり得たからだ。しかし同時に、三分の二の兵士が失われたという事実が胸に重くのしかかった。 「バーンズ中佐は?」 「負傷されましたが、ご無事です。あちらの大きなテントにおられます」 俺はよろめきながら立ち上がり、中佐のテントへと向かった。 テント内では数人の将校が集まり、小さな明かりのもとで会議を行っていた。中佐は腕に包帯を巻き、顔にも傷があったが、しっかりと指揮を執っていた。 「エストガード、目が覚めたか」 彼の声には怒りはなく、ただ疲労だけが感じられた。 「はい。状況は?」 「最悪さ。だが、まだ生きている」 中佐は机の上の地図を指さした。 「我々は森の最深部まで撤退した。帝国軍は追撃を中断したようだ。おそらく、これ以上の追撃は効率が悪いと判断したのだろう」 「セリシア少佐は?」 「彼女なら、すぐそこだ」 中佐は振り返り、テントの隅を指した。セリシアはそこで黙々と魔導記録石に何かを記録していた。彼女の顔にも疲労の色が濃く、左腕には包帯が巻かれていた。 「エストガード、こちらへ」 中佐が机の上の羊皮紙を手に取った。それは負傷者と戦死者のリストだった。 「負傷者の手当てはほぼ終わった。だが、多くの者を失った」 彼は声を落として続けた。 「君に読み上げてもらいたい」 「私が?」 「ああ。君の戦術で戦った兵士たちだ。彼らの名前くらいは、君が読むべきだろう」 その言葉には非難の色はなかった。それでも重い責任を感じさせるものだった。 俺は黙って羊皮紙を受け取り、一枚目をめくった。そこには整然と名前が並んでいた。階級、名前、年齢、出身地——。 「カーン・レイノルズ一等兵、三十二歳、ノースヘイブン出身……」 あの時、偽装作戦を手伝ってくれた兵士だ。彼は「面白そうだ」と言って、俺の無謀な作戦に協力してくれた。 「ロッジ・ウィンター二等兵、二十三歳、イーストフィールド出身……」 彼も同じくあの作戦に参加してくれた一人だ。最年少で、常に笑顔を絶やさなかった青年。 名前を読み上げるたび、顔が浮かぶ。短い時間だったが、確かにそこには絆があった。彼らは俺の戦術を信じ、命を懸けて戦ってくれた。 「トーマス・ヒルトン二等兵、二十六歳、サウスバレー出身……」 読み上げる手が震え始めた。 「リード・フォレスト二等兵、二十五歳、ウエストマウンテン出身……」 声が詰まる。これ以上続けられなかった。 「もういい」 中佐が静かに言った。 「残りは私が読もう」 彼は羊皮紙を受け取り、残りの名前を厳かに読み上げた。それぞれの名に短い黙祷を捧げながら。 俺は茫然と立ち尽くしていた。リストに名を連ねる兵士たち——彼らは俺の戦術に従い、そして死んだ。もし別の選択をしていれば、彼らはまだ生きていたかもしれない。 テントを出ると、夜空には無数の星が瞬いていた。どこか冷たく、遠い光。 「自分を責めてるの?」 背後からセリシアの声がした。彼女は俺の後を追ってきたようだ。 「責めるべきでしょう。私の戦術が原因で、多くの兵士が命を落とした」 「これも戦争だわ」 彼女の声は冷静だった。 「戦場では常に死が伴う。それを恐れていては何もできない」 「でも、私は間違えた。ラドルフの戦術を読めなかった」 「誰も彼を完全に読むことはできない。それが『赤眼の魔将』と呼ばれる所以よ」 彼女の言葉には救いがなかった。確かにラドルフは強敵だ。しかし、それでも俺には責任がある。俺は十分な警戒を怠り、慢心していた。勝ち続けたことで、敗北の可能性を忘れていたのだ。 「俺は……みんなを死なせてしまった」 声を震わせながら、俺は呟いた。そして気づけば、頬を伝う熱いものがあった。涙だった。前世でも、この世界でも、こんな感情を抱いたことはなかった。 「泣いてもいいのよ」 セリシアの声が少し柔らかくなった。 「感情を押し殺すことが強さじゃない。彼らの死を心に刻むことが、次につながる」 野営地を見渡すと、負傷した兵士たちが互いを支え合い、残された食料を分け合っていた。彼らの表情には疲労と悲しみがあったが、それでも生きることを諦めてはいなかった。 「私には向いていなかったのかもしれない」 「何が?」 「戦争という『勝負』。タロカや麻雀とは違う」 セリシアは黙って俺を見つめていた。 「タロカでは負けても、また次の対局がある。だが戦場では、負けは死を意味する。自分の判断ミスで、多くの命が失われる」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第20話「読みが砕けた日」

撤退から三日後、我々は何とか安全地帯の前線拠点に到着した。負傷者を運び、最低限の装備だけを持って森の中を進む長い行軍だった。その間にも何人かの重傷者が命を落とし、戦死者のリストはさらに長くなっていた。 拠点に着くとすぐに、アルヴェン将軍からの伝令が待っていた。彼は帝国軍の動きを受けて、本部から前線に出ていたのだ。 「エストガード、将軍がお呼びだ」 バーンズ中佐の言葉に、俺は重い足取りで将軍のテントへと向かった。報告書は既に提出していたが、直接対面するのは敗戦後初めてだった。おそらく厳しい叱責が待っているだろう。それも当然のことだ。 「入れ」 ノックに応える声が聞こえ、俺はテント内に入った。アルヴェン将軍は小さな机に向かって書類を読んでいた。彼の顔には疲労の色が濃く、以前より年老いて見えた。 「エストガード、座れ」 「はい、将軍」 俺は指示された椅子に腰掛けた。肩の傷はまだ痛んだが、それよりも心の痛みの方が強かった。 将軍はしばらく俺を黙って見つめていた。その眼差しには非難ではなく、何か深い思いが込められているようだった。 「君の報告書は読んだ」 彼はついに口を開いた。 「詳細な分析と、自らの失敗への率直な認識。よくまとめられていた」 予想外の言葉に、俺は少し戸惑った。 「ありがとうございます。しかし、私の判断ミスで多くの兵士が犠牲になりました」 「そうだ。それは事実だ」 将軍は厳しく言った。だが次の瞬間、彼の声はやや和らいだ。 「だが、ラドルフ・ゼヴァルドは並の敵ではない。彼との初戦で全滅を避けられたことは、ある意味で奇跡だとも言える」 「奇跡、ですか?」 「ああ。彼との戦いで生還した者は多くない。君とバーンズ中佐はよくやった」 将軍の言葉には、表面上の慰めではなく、真の評価が含まれていた。 「私は彼の『流れ』を読めませんでした」 俺は正直に告白した。 「読みは万能ではない」 将軍は小さく溜息をついた。 「これは公の場では言わないことだが、私も若い頃、彼に敗れたことがある」 その言葉に、俺は驚いて顔を上げた。アルヴェン将軍はフェルトリア王国最高の指揮官とされている。その彼がラドルフに敗れたことがあるとは。 「八年前のことだ。私はまだ中将だった。東部国境での会戦で、彼の戦術に完全に翻弄された」 将軍の目は遠くを見るようだった。過去の記憶を辿っているのだろう。 「あの時、私は君と同じように『読み』を信じていた。戦場の流れを読み、先手を打つ。それで常に勝ってきた」 彼は静かに続けた。 「しかしラドルフは違った。彼は流れを読むのではなく、作り出す。私が先を読めば読むほど、彼の思惑通りに動いていた」 それは俺が感じたのと全く同じ感覚だった。 「どうやって立ち直ったのですか?」 その問いに、将軍はじっと俺を見つめた。 「立ち直ったのではない。変わったのだ」 「変わった?」 「ああ。読むだけでなく、創ることを学んだ。流れを読むことに頼るだけでは、流れを創る者には勝てない」 将軍は立ち上がり、テントの隅に置かれた剣を手に取った。老練な戦士の風格が漂う姿だった。 「戦術は剣と同じだ。型を学び、敵の動きを読み、そして最後は型を破る。自分自身の剣を創り出すのだ」 彼の言葉は深く、俺の心に染み込んできた。 「でも、どうやって……」 「それは君自身が見つけることだ」 将軍は剣を鞘に戻し、再び椅子に腰掛けた。 「ラドルフとの戦いで、君は貴重な経験を得た。それを無駄にするな」 「はい、将軍」 「さて、実務的な話をしよう」 彼は話題を変え、地図を広げた。 「帝国軍は現在、東部国境の二点を確保した。彼らの次の動きは西への展開だろう。我々は態勢を立て直し、次の防衛線を構築する必要がある」 俺は地図に目を凝らした。帝国軍の動きは確かに西へと向かっていた。ラドルフの狙いは明らかだった。 「君はしばらく本部で静養しながら、次の戦術を練ってほしい。バーンズ中佐の部隊は一旦後方に下がり、再編成する」 「わかりました」 「もう一つ」 将軍の声が真剣さを増した。 「帝国内に王国の情報を流出させている者がいる可能性が高い。我々の戦術や部隊配置の情報が、あまりにも正確に敵に伝わっている」 「内通者が?」 「まだ確証はない。だが警戒すべきだ。君の戦術も、事前にラドルフに伝わっていた可能性がある」 その可能性は考えていなかった。自分の読みが外れたのは純粋に力量差だと思っていたが、情報漏洩があったとすれば話は変わってくる。 「調査を進めます」 「頼む。セリシア少佐とフェリナにも協力してもらうといい」 将軍との会話を終え、テントを出ると、夕暮れの空が広がっていた。赤く染まる雲が、どこかラドルフの赤い瞳を思わせた。 拠点内を歩きながら、俺は将軍の言葉を反芻していた。「読むだけでなく、創ることを学ぶ」——それはタロカでも同じではないだろうか。ただ相手の手を読むだけでなく、自分から流れを作り出す。 ふと、前世での麻雀の記憶が蘇った。強い雀士は相手の待ちを読むだけでなく、自分の手を見せないように巧みに隠す。時には故意に混乱させるような打ち方をする。 「読みが通じないなら、自分が『流れ』を創る」 その言葉が心に浮かんだとき、何か新しい視点が開けるような感覚があった。これまでの自分は「読む」ことだけに囚われすぎていたのかもしれない。 自室に戻ると、フェリナが待っていた。彼女は窓辺に立ち、夕陽を見つめていた。 「エストガード殿」 「フェリナ、どうしたんだ?」 「話があって」 彼女は真剣な表情で俺を見つめた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人