第11話「任務の始まりは不信から」

「我々の任務は敵の補給線を断つ奇襲作戦だ。一切の無駄話は禁止する。命令には絶対服従を求める」 部隊を率いるシバタ大尉は、木に釘を打ち込むような硬質な声で言い放った。彼は四十代半ばの屈強な男で、額の傷が物語るように、数々の実戦を潜り抜けてきた経験豊富な指揮官だった。 「補佐官見習いのエストガードが同行するが、彼の発言に惑わされないように。彼は将軍のお眼鏡にかなったかもしれんが、実戦経験はゼロだ」 隊員たちが一斉に俺を見た。その眼差しには、遠慮のない警戒と軽蔑が混じっていた。 「しかし、セリシア少佐も同行されるとのこと。彼女の助言には耳を傾けよ」 シバタ大尉はそう付け加えた。彼の口調からは、セリシアには一定の敬意を持っていることが伺えた。 俺たちの任務は、キブルト村近郊で発見された帝国軍の補給線を叩くこと。敵の物資輸送ルートを遮断し、彼らの作戦展開を鈍らせることが目的だった。 総勢五十名の小部隊での奇襲作戦。俺とセリシアは「参謀的同行」という立場で加わっていた。とはいえ、シバタ大尉は俺を完全に「お飾り」として扱うつもりのようだった。 「では、出発する」 大尉の号令とともに、部隊は静かに行進を始めた。森林地帯を通り、敵の監視の目を避けながら目標地点に近づく。昼間は休息し、夜間に移動するという厳しいスケジュールだ。 「あなたはどう思う?」 二日目の夜、行軍の合間にセリシアが小声で尋ねた。彼女は常に魔導記録石で周囲の状況や判断材料を記録していた。 「何についてですか?」 「この任務よ。敵の補給線について」 俺は慎重に言葉を選んだ。 「情報が少なすぎます。なぜ帝国軍がこんな辺境に補給線を引いているのか、その目的は何なのか——そういった背景が見えない」 「同感ね」 セリシアは低い声で続けた。 「私も不自然に感じている。帝国軍の通常の兵站パターンからすると、この位置に補給線を引くのは効率が悪すぎる」 俺たちの会話は、シバタ大尉の咳払いで中断された。 「作戦について議論するなら、全員の前でやれ」 彼の声には苛立ちが滲んでいた。どうやら、若い参謀二人が自分を差し置いて作戦を論じることに不満を感じているようだった。 「失礼しました、大尉」 セリシアが冷静に応じた。 その夜、俺は休憩時間に現地の地図を広げ、帝国軍の推定補給ルートを検討していた。何かがおかしい。あまりにも露出しすぎていて、見つかりやすい。帝国軍はそんな初歩的なミスをするだろうか? 三日目の夕方、目標地点の約10キロ手前で部隊は待機態勢に入った。シバタ大尉は斥候を送り、最終的な状況確認を行っていた。 「報告します。予定通り、敵の補給隊が確認されました。輸送車両五台、護衛兵約二十名です」 斥候の報告を受け、シバタ大尉は満足げに頷いた。 「よし、計画通り進める。三時間後、日没直後に奇襲を仕掛ける」 彼は作戦概要を説明した。三方向からの同時攻撃で敵を混乱させ、輸送車両を破壊するというシンプルな計画だった。 俺は地図と斥候の報告を照らし合わせながら、不安を感じていた。 (この布陣、流れが不自然だ) 大尉の作戦計画では、部隊を三つに分け、敵の予想進路上の三か所から攻撃する。しかし、その配置は地形を十分に活かしておらず、万が一敵の数が予想より多かった場合、撤退路が限られる。 「大尉、少し提案があります」 会議の後、俺は勇気を出して声をかけた。 「何だ、エストガード?」 「この地形から考えると、敵は補給隊以外に別働隊を隠している可能性があります。西側の丘陵地帯は視界が悪く、伏兵に最適です」 シバタ大尉は眉をひそめた。 「情報分析の結果では、敵は補給隊のみだ。余計な憶測は士気に関わる」 「しかし、帝国軍の通常の——」 「黙れ!」 大尉の声が鋭く響いた。 「貴様は実戦経験ゼロの小僧だ。机上の空論で現場の判断に口を出すな」 シバタ大尉の眼には疲労の色が濃かった。彼もまた重責を負い、部下の命を背負う立場にある。そんな彼が若造の意見に耳を貸したくないのも、ある意味理解できた。 周囲の兵士たちが俺を見て、小さく笑う。完全に「ガキ」扱いだ。 「失礼しました」 俺は一歩下がった。セリシアは黙って様子を見ていたが、彼女の表情からは何も読み取れなかった。 作戦会議の後、俺は一人で地図を眺めていた。西側の丘陵地帯がどうしても気になる。あそこに伏兵がいれば、大尉の計画では部隊が危険にさらされる。 「何を考えている?」 気づくとセリシアが隣に立っていた。 「西側の丘陵です。あそこに伏兵がいる可能性が高いと思います」 「根拠は?」 「帝国軍の過去の戦術パターンと地形の相性。それに、あまりにも簡単に発見された補給ルート——まるで『見つけてください』と言っているようなものです」 セリシアは少し考え込んだ後、静かに言った。 「私も同じ懸念を持っている。しかし、大尉は経験豊富な指揮官だ。彼の判断を尊重すべきかもしれない」 「でも、もし間違っていたら?」 「それが戦場よ」 彼女の目には諦めのような色が浮かんでいた。彼女自身も若く、経験豊富な大尉の判断を覆すほどの発言権はないのだろう。 「私たちは参謀的同行。最終決定権は指揮官にある」 その言葉に、俺は黙って頷くしかなかった。 休息をとる兵士たちの間を歩きながら、俺は静かに観察を続けた。彼らの多くは俺より十歳以上年上で、実戦経験もある。彼らの目には俺は単なる「ガキ」、将軍のお気に入りの坊ちゃんにすぎない。 しかし、そんな目で見られることには慣れていた。軍に来てからずっとそうだったし、前世でも麻雀を始めた頃は「ガキ」扱いだった。 ただ、麻雀の卓では最終的に実力で認められた。そして今回も——。 「この補給線、罠の匂いがする」 俺は小さく呟いた。その言葉が的中するのは、もう少し先のことだった。

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第12話「読みと実行のはざまで」

日没までの残り二時間。俺は決断を迫られていた。 シバタ大尉は作戦変更を拒否し、予定通り三方向からの奇襲を実行すると決めた。彼の頑なさは、ある意味では理解できる。長年の実戦経験から培った自信と、若造の戯言に聞こえる忠告への嫌悪感。 だが俺には「見えていた」。 あの西側の丘陵は、夕陽が陰る頃、絶好の伏兵ポイントになる。そこから攻撃すれば、我々の撤退路が完全に断たれる。そして、補給隊があまりにも簡単に発見されたこと自体が不自然なのだ。 「セリシア少佐、どうすればいいと思いますか?」 休息地で俺は彼女に静かに尋ねた。彼女は魔導記録石を指先で回しながら、しばらく考えていた。 「私も西側に不安を感じている。しかし……」 彼女は言葉を選ぶように間を置いた。 「大尉は戦場経験が豊富だ。私は東部国境での任務を終えたばかりで、この地域での指揮権を主張するには根拠が不足している」 「でも、あなたなら大尉を説得できるかも」 「できないわ」 彼女の声は冷静だった。 「軍の階級社会では、経験と実績が何よりも重んじられる。私が彼の判断に異を唱えれば、ただ対立を生むだけ。そうなれば部隊全体の団結力に影響する」 「では、このまま罠に飛び込むしかないんですか?」 セリシアは静かに俺を見つめた。 「私は静観する。それが今の私の立場だ」 その言葉に失望を隠せず、俺は少し離れた場所に移動した。手元には地図と、敵の補給隊の情報が書かれたメモ。 (いや、このままじゃいけない) タロカでも麻雀でも、明らかに罠だと分かっている状況で素直に飛び込むのは愚の骨頂だ。でも、指揮権もなく、誰も聞く耳を持たない状況で何ができるのか? そのとき、俺の目に入ったのは、近くで休憩していた四人の若い兵士たち。彼らは作戦会議にも参加していたが、他の兵士のように俺を明確に蔑視してはいなかった。 「すみません」 俺は彼らに近づいた。 「ロッジ二等兵、カーン一等兵、トーマス二等兵、リード二等兵——でしたよね?」 四人は少し驚いた表情を見せた。俺が名前を覚えていることに意外な印象を受けたようだ。 「何か用かい、坊ちゃん参謀?」 カーン一等兵が冗談めかして尋ねた。彼は三十前後で、腕の筋肉が発達した逞しい男だった。 「できれば、手伝ってもらいたいことがあるんです」 俺は声を潜めて説明を始めた。シバタ大尉の計画には触れず、単に「念のための予備行動」として提案した内容は、シンプルなものだった。 ——西側の丘陵に、焚き火の準備をしておく。 ——我々の部隊が実際に展開するよりも大きい範囲に足跡と痕跡を残す。 ——可能なら、人形や旗などで兵士の数が多いように見せかける。 「なんだ、それだけか?」 ロッジ二等兵が肩をすくめた。彼は最年少の二十三歳ほどで、機敏な動きが特徴的だった。 「単なる欺瞞戦術ですが、もし西側から敵が現れた場合、彼らを混乱させる時間稼ぎになります」 「大尉には報告するのか?」 トーマス二等兵の質問に、俺は正直に答えた。 「いいえ。彼は許可しないでしょう。だからこそ、非公式にお願いしています」 四人は顔を見合わせた。 「軍規違反になるぞ」 「でも、害はないよな。ただの偽装だ」 「面白そうだし、暇つぶしにはなる」 しばらく議論した後、カーン一等兵が代表して答えた。 「いいだろう。でも、失敗したら責任は取らんぞ」 「ありがとうございます」 彼らは任務に出かける前に準備を整えると約束し、装備を確認し始めた。俺は少し離れた場所から、大尉の様子を観察していた。彼は斥候の最終報告を聞き、満足げな表情だった。全てが計画通りに進んでいるという確信があるようだ。 セリシアの視線を感じ、振り向くと、彼女は俺を見つめていた。彼女はすべてを理解しているように見えたが、何も言わず、記録石に何かを記録するだけだった。 *** 日没の一時間前、カーン一等兵たちが戻ってきた。彼らの表情には緊張感があった。 「やったぞ、エストガード」 ロッジ二等兵が小声で報告した。 「西側の丘に三か所の焚き火の準備をした。それから、キャンプを設営したように見せかけた」 「それだけじゃない」 カーン一等兵が割り込んだ。 「西側の森の端で、新しい足跡を見つけた。昨夜のものだ。帝国軍特有の靴底の形をしている」 俺の胸が締め付けられた。予感は当たっていた。帝国軍はすでに西側に潜伏していたのだ。 「大尉に報告しましたか?」 「いや、お前が言ったように、彼は信じないだろう。それに、この発見が我々の無許可行動で見つかったものだと知れば、怒り狂うぞ」 俺は苦しい決断を迫られていた。大尉に直接進言するか、このまま自分たちだけの予備行動に留めるか。 結局、俺は黙ることを選んだ。大尉を説得する時間と可能性は限られている。それよりも、万が一の事態に備える方が現実的だった。 「カーン一等兵、夜間にもし西側から動きがあった場合、あなたたちは焚き火と囮を使える体制でいてください」 「了解した」 彼は短く頷いた。古参兵として、彼も危険を感じていたのだろう。 *** 日没。作戦が開始された。 シバタ大尉の指示通り、部隊は三手に分かれ、帝国軍の補給隊の予想進路上に展開した。大尉自身は中央部隊を指揮し、俺とセリシアも同行していた。 「まもなく敵が接近する。静粛に」 大尉の命令が伝えられ、部隊は息を殺して待機した。 しかし、予定の時刻を十分過ぎても、帝国軍の補給隊は現れなかった。 「おかしい」 大尉が眉をひそめた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第13話「無視された指揮官、評価される補佐官」

「作戦は中止せざるを得なかった。敵は我々の動きを先読みし、伏兵を配置していた。しかし我が部隊の臨機応変な対応により、最小限の被害で撤退に成功した」 軍本部での報告会で、シバタ大尉はそう語った。彼の報告は事実に即していたが、肝心な部分——誰がその「臨機応変な対応」を発案したのか——については触れていなかった。 アルヴェン将軍は黙って聞いていたが、その眼差しには何かを見抜いているような鋭さがあった。報告が終わると、彼は静かに質問を投げかけた。 「その『臨機応変な対応』とは、具体的にどのようなものだったのかね?」 シバタ大尉は一瞬躊躇った。 「西側丘陵に偽装陣地を展開し、敵を欺いたのです。彼らは我々の数を実際より多く見積もり、積極的な攻撃を控えたようです」 「それは誰の発案だった?」 将軍の鋭い質問に、大尉は言葉に詰まった。 「現場の判断で……」 「大尉の指示だったのか?」 「……部隊全体の臨機応変な対応です」 シバタ大尉は直接的な回答を避けた。彼の立場からすれば、若い見習い参謀の提案で行動したと認めるのは、自身の指揮権と判断力を疑われることにつながる。特に、当初はその提案を退けていたという事実を考えれば、なおさらだ。 アルヴェン将軍はしばらくシバタ大尉を見つめた後、セリシアに目を向けた。 「セリシア少佐、君の見解は?」 セリシアは一歩前に出た。彼女は常に記録を取っている魔導記録石を手に持っていた。 「将軍、記録石による客観的な記録を提示してもよろしいでしょうか」 将軍が頷くと、セリシアは記録石を操作し、空中に映像を映し出した。そこには作戦前の議論から、偽装作戦の実行、そして撤退までの流れが淡い光で再現されていた。 「エストガード補佐官見習いは作戦開始前から西側の危険性を指摘していました。彼は帝国軍の戦術パターンと地形分析から、伏兵の存在を予測していたのです」 セリシアは冷静かつ客観的に事実を述べた。彼女の記録によれば、俺の提案はシバタ大尉に退けられたが、その後独自に少数の兵士を動かして偽装作戦を実行したこと、そしてそれが部隊全体の安全な撤退を可能にしたことが明らかだった。 「しかし、彼の行動は指揮系統を無視したものでした」 彼女は公平を期すように付け加えた。 「だが、結果として正しかったわけだな」 将軍の言葉に、会議室が静まり返った。 シバタ大尉の表情は複雑だった。自分の判断ミスを間接的に指摘されたことになるが、かといって直接非難されたわけでもない。彼の目には悔しさと共に、責任感から来る自責の念も浮かんでいた。失敗を認められない立場だからこそ、苦しいのかもしれない。 「セリシア少佐、彼の判断は単なる偶然の産物だったのか?」 将軍の質問に、セリシアは記録石を再び操作した。 「いいえ、将軍。私は作戦後にエストガード殿の分析過程を詳細に記録しました。彼の判断は論理的分析に基づいていました」 記録石には俺の分析過程が再現されていた。敵の偵察パターン、地形の特性、補給隊の動きの不自然さ——これらをパズルのように組み合わせ、最終的な結論に至るまでの思考過程が示されていた。 「この行動は論理的だ」 セリシアはそう結論づけた。彼女の言葉には、以前には見られなかった敬意のようなものが含まれていた。 「では、エストガード」 将軍が直接俺に向き合った。 「君自身は、この判断についてどう説明する?」 俺は一歩前に出た。 「将軍、私は帝国軍の動きを『牌譜』として読みました」 「牌譜?」 「はい。タロカでは、相手の捨て牌やプレイパターンから手の内を推測します。今回も同様に、敵の行動パターンから彼らの意図を読み取ったのです」 「具体的に」 「帝国軍は通常、補給ルートを複数確保し、偽装経路も用意します。今回、あまりにも容易に発見された補給ルートは、明らかに囮でした。また、西側丘陵は視界が制限される地形で、伏兵に最適です」 俺は淡々と説明を続けた。 「さらに、補給隊の動きのタイミングが、我々の捜索パターンと完全に一致していたことから、彼らは我々の行動を予測し、罠を張っていたと判断しました」 将軍は静かに頷いた。 「感覚ではない、技術としての"読み"だな」 「はい、将軍」 アルヴェン将軍は思案顔で椅子に深く腰掛けた。しばらくの沈黙の後、彼は決断を下した。 「シバタ大尉、君の指揮下で部隊が安全に撤退できたことは評価する。しかし、若い参謀の忠告に耳を傾けることも、指揮官の資質として重要だ」 大尉は硬い表情で頷いた。 「エストガード、君は指揮系統を無視した。それは軍規違反だ」 俺は頭を下げた。 「しかし、その判断が多くの命を救ったこともまた事実だ。今後はより適切な形で君の才能を活かせるよう、体制を整える必要があるだろう」 報告会が終わった後、参謀たちの間で小さな議論が始まった。 「あの若造、実は相当な戦術眼を持っているのかもしれんな」 「運が良かっただけだろう」 「いや、セリシアの記録を見れば明らかだ。あれは単なる偶然ではない」 軍内での俺の評価が、少しずつ変化し始めているのを感じた。 書類室に戻ると、ある若い伝令兵が声をかけてきた。 「エストガード殿、兵士たちの間であなたの噂が広まっています」 「噂?」 「はい。『タロカの戦術家』と呼ばれています。カーン一等兵たちが広めたようです」 俺は小さく笑った。 「俺はまだまだ未熟ですよ」 伝令兵は少し身を乗り出して言った。 「でも、あなたの判断が正しかったことは、現場にいた全員が知っています。シバタ大尉も、表向きは認めていませんが、内心では分かっているはずです」 その言葉は、少なからず俺の胸に温かさをもたらした。 *** 夕刻、セリシアが俺の作業スペースを訪れた。 「記録石を見直してみたわ」 彼女は静かに言った。 「あなたの行動には、当初私が思っていた以上の論理性がある」 「ありがとうございます」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第14話「もう一つの賭け」

激戦の余韻が残る中、俺たちの部隊は予定より一日早く撤退完了し、北方国境から三十キロほど内陸にある野営地に到着していた。安全圏に入ったという安堵感からか、兵士たちの間には緊張の解けた笑い声が聞こえ始めていた。 「おい、エストガード! こっちに来い」 カーン一等兵が声をかけてきた。彼の周りには、偽装作戦を手伝ってくれた仲間たちが集まっていた。 「何かあったんですか?」 「あったも何も、祝杯を上げようじゃないか。無事に帰還できたんだからな」 彼は小さな皮袋を取り出した。地元で作られた強い蒸留酒だ。 「でも、私はまだ……」 「大丈夫だ。君は十五歳かもしれんが、戦場をくぐり抜けたんだ。ちょっとくらいの酒は許されるさ」 断る理由も見つからず、俺は彼らの輪に加わった。火を囲み、兵士たちは次々と戦の思い出話を始める。恐怖や緊張を笑い話に変えることで、心の均衡を保とうとしているのだろう。 「エストガード殿、あなたはどうしてあの伏兵を予測できたんですか?」 若い二等兵が尋ねた。彼は作戦中に軽傷を負ったが、すでに包帯も外され、元気そうだった。 「タロカの技術です」 「タロカ? あの貴族の遊戯ですか?」 「はい。タロカでは相手の手の内を読むために、捨て牌や表情の変化を観察します。戦場でも同じです。敵の行動パターンに法則性を見つけ、次の一手を予測する」 「へえ、面白いな」 兵士たちは興味津々といった表情で俺の話に耳を傾けた。彼らの目には、以前のような軽蔑の色はなく、むしろ好奇心と尊敬のようなものが見えた。 「少しだけ教えてくれないか? タロカのやり方を」 そう言われて、俺は即席の説明を始めた。地面に線を引き、小石や木の実を使って牌に見立て、基本的な駆け引きを説明する。兵士たちは予想以上に熱心で、特にカーン一等兵は鋭い質問を投げかけてきた。 「なるほど、これは戦術にも使えるな」 彼は感心した様子だった。 「酒を飲むのか、エストガード?」 振り返ると、セリシアが立っていた。彼女は記録石を手に持っておらず、珍しく公務から解放されているように見えた。 「いえ、ほんの少しだけです」 「気をつけなさい。明日は早くから移動だから」 彼女はそう言い残すと、自分のテントに向かった。 野営地は暗くなり始め、兵士たちはそれぞれの休息場所に散っていった。俺も自分のテントへ向かおうとしたとき、小さな物音が聞こえた。 「誰か?」 視線を向けると、簡易テント群の間から影が動くのが見えた。伏兵の記憶がまだ新しく、俺は反射的に警戒した。しかし、それは敵ではなく、一人の女性だった。 一日の緊張から解放され、兵士たちは思い思いに休息を取っていた。俺も疲れた体を休めるため、少し離れた簡易浴場へと向かうことにした。 近づいて確認しようと一歩踏み出したとき、足元の石ころに躓いた。バランスを崩した俺は、勢い余って簡易テントの中に転げ込んでしまった。 「きゃっ!」 女性の悲鳴が上がった。目の前に広がったのは、上半身の装備を脱ぎ、シャツ一枚で着替えの最中だった女性の姿。赤褐色の髪、鋭い目つき——それはフェリナという名の女性兵士だった。彼女は北方軍に協力している元帝国貴族の娘で、情報分析を担当していると聞いていた。 「ご、ごめんなさい!」 俺は慌てて謝ったが、彼女は既に怒りに顔を赤くしていた。 「出てけ、変態!」 フェリナの怒声と共に、彼女の手にあった水筒が俺めがけて飛んできた。続いて靴、ブラシ、そして手当たり次第の物が雨のように降ってきた。 「わ、わかった! 出る!」 俺は必死に身を守りながら、テントから這い出た。しかし、外には既に数人の兵士が集まっていた。 「どうした? 悲鳴が聞こえたが」 「エストガード殿? 何があった?」 兵士たちの困惑した表情を前に、俺は言葉に詰まった。 「あ、あの、誤解です。転んで、テントに……」 説明しようとした矢先、テントの中からフェリナの声が響いた。 「このロクデナシ! 覗きは軍法会議ものよ!」 「覗いたわけじゃないんです! 本当に事故で!」 更に多くの兵士が集まり始め、状況は悪化の一途をたどっていた。 この出来事は単なる偶然だったが、フェリナとの最初の出会いとしては最悪だった。こんな形で顔を合わせてしまったことで、今後の協力関係にも影響するかもしれない。そう考えると、単なる恥ずかしさを超えた焦りを感じた。 「もうちょい余裕見せてくれても……いや、無理か」 俺は諦めて肩をすくめ、急いでその場を離れた。自分のテントに戻り、毛布にくるまりながら、赤面し続ける自分の顔を冷まそうとした。 タロカの勝負なら自信があったが、この種の「偶然」への対処は苦手だった。前世でも女性との接し方には自信がなく、麻雀仲間の女性とも距離を置かれがちだった。 (ここでも同じか……) そんな思いが頭をよぎるなか、テントの入り口が開いた。 「エストガード」 声の主はセリシアだった。彼女は冷静な表情で俺を見下ろしていた。 「さっきの騒ぎ、聞こえたわ」 「あ、あれは本当に事故で……」 「分かってる」彼女は手を上げて俺の言葉を遮った。「フェリナの性格は知ってるから。彼女は過剰に反応しやすいの」 「そうなんですか?」 「彼女はエストレナ帝国の元貴族の娘。家族の事情で王国側に協力することになったの。プライドが高く、警戒心も強いわ」 セリシアの説明に俺は頷いた。 「彼女は優秀な情報分析官よ。記憶力が特に優れていて、敵の戦術パターンを細部まで覚えている。あなたとは違う形で『読み』の才能を持っているのかもしれないわね」 「そうなんですか……」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第15話「認められた場所」

北方軍本部への帰還から三日後、アルヴェン将軍からの呼び出しがあった。 「エストガード、今日15時に司令室へ来るように」 伝令が去った後、俺は少し緊張した。前線での行動に対する正式な評価が下されるのだろうか。それとも別の任務か? 定刻より少し早く司令室に到着すると、扉の前でセリシアと出会った。彼女も呼ばれていたようだ。 「緊張してる?」 彼女の問いに、俺は正直に答えた。 「少し」 「心配ないわ。将軍はあなたの才能を高く評価している」 彼女の言葉は励ましのようでもあり、事実の陳述のようでもあった。 司令室に入ると、アルヴェン将軍だけでなく、参謀長や幹部クラスの将校たち、そして驚くべきことに北方軍総監督官も同席していた。彼は王都から派遣された高官で、北方軍全体の監督権限を持つ人物だ。 「エストガード、前へ」 将軍の声に促され、俺は一歩前に出た。 「北部国境での任務遂行における貢献、ならびに卓越した戦術的判断力が認められ、本日をもって『北方軍司令部補佐官』に正式任命する」 将軍は堂々とした声で宣言した。「見習い」の文字が消え、正式な地位を得たことになる。それだけでなく、少尉相当の階級も与えられるという。 「ありがとうございます、将軍」 俺は深く頭を下げた。十五歳での少尉相当の階級は前例のないことだと言われていた。 「これは王の御名のもとに授けられる辞令だ」 総監督官が前に出て、正式な辞令書を手渡した。王国の紋章が刻印された重厚な紙には、俺の名と新たな職位が記されていた。 「若きエストガード殿の戦術的才覚は、我が北方軍にとって貴重な宝である」 総監督官はそう付け加えたが、その眼差しには何か別の色が混じっているように感じた。政治的な思惑、あるいは打算のようなもの。 「セリシア少佐」 次に将軍はセリシアを呼び、彼女にも新たな任命を告げた。彼女は情報分析部門の副官に昇進し、特に「新戦術研究」の分野を任されることになったという。 「エストガード殿との共同研究も期待している」と将軍は言った。 辞令交付式が終わると、将校たちが次々と二人を祝福した。表情は様々だ。心からの祝福を述べる者もいれば、形だけの挨拶をする者も。そして、明らかに不満そうな顔をする保守派の士官たちもいた。 「あんな子供が少尉相当とは片腹痛い」 「将軍のお気に入りだからな」 「タロカの遊びで軍の地位が得られるなら、誰でも将軍になれるわ」 小さな悪意のこもった囁きが聞こえてきた。それは予想していたことだ。実績を積み重ねた将校たちからすれば、たった一度の功績で地位を得た若造など、認めたくないのも当然だろう。 式の後、セリシアが俺に近づいてきた。 「おめでとう」 「あなたも昇進おめでとうございます」 彼女は少し表情を和らげた。 「あなたの戦術は異端よ」 その言葉に俺は驚いた。 「異端?」 「ええ。従来の軍学とは全く異なるアプローチ。タロカや『読み』を基礎にした戦術など、軍学校では教えていない」 セリシアは続けた。 「でも、否定できない。結果が全てを物語っている」 彼女の言葉には批判ではなく、むしろ専門家としての客観的評価が込められていた。 「これからは正式な補佐官として、より大きな責任を担うことになるわ。私も協力するわ」 彼女は伸ばした手を差し出した。俺はその手を握り返した。 「よろしくお願いします」 *** 式の後、本部内では俺の補佐官就任に関する様々な反応があった。大半の兵士たちは興味津々といった様子で、中には尊敬の眼差しを向ける者もいた。一方で、「お飾り」扱いする将校や、明らかに敵意を持つ者もいた。 特に保守派と呼ばれる古参将校たちの反応は冷ややかだった。彼らはアルヴェン将軍の革新的な方針に批判的で、俺の抜擢もその一環と見なしているようだった。 「あいつらは黙らせてみせる」 俺は自室に戻り、タロカの牌を並べながら静かに決意した。認められるためには、実績を重ねるしかない。 部屋のドアをノックする音がした。開けると、そこにはフェリナが立っていた。 「エ、エストガード殿」 彼女は言葉に詰まり、顔を少し赤らめた。野営地での一件以来、初めての対面だ。 「フェリナさん」 「あの、まず謝りたいことがあります。あの日は……過剰に反応してしまって……」 彼女は視線を落とし、言いづらそうにしていた。 「いえ、私こそ謝るべきです。不注意で転んだとはいえ、あなたのプライバシーを侵害してしまいました」 フェリナは少し安堵したように息をついた。 「実は報告に来たんです。私は情報分析官として、帝国軍の戦術家ラドルフについて調査していました」 彼女は公式の書類を取り出した。 「彼は『赤眼の魔将』と呼ばれる男で、帝国軍の中でも特異な戦術を使う人物です。私から見ると……あなたと似たところがあるかもしれません」 「私と?」 「はい。彼も牌の流れのような戦術を使うと聞いています。まるで盤面全体を支配するかのような戦い方をするようです」 フェリナの表情が一瞬暗くなった。彼女とラドルフの間には何かがあるようだった。 「もし機会があれば、また詳しく話したいです」 彼女はそう言うと、敬礼して部屋を出ていった。 その夜、俺は窓際に座り、老兵から貰ったタロカの牌を眺めていた。 「ようやく"卓"に座れたって感じだな」 静かに呟きながら、俺は小さく笑った。この世界に来てから約半年。前世で麻雀に没頭した日々が、ここでの自分の居場所を作る礎になるとは思ってもみなかった。 辞令書に書かれた「補佐官」の文字。それは単なる肩書きではなく、この世界での俺の「座」を示すものだった。 かつての自分なら、こうした場所で認められるとは思いもしなかっただろう。麻雀に没頭するだけの存在から、多くの命を預かる立場へ。その重責に身が引き締まる思いと同時に、ようやく自分の才能の意味を見出せた喜びも感じていた。 「次はどんな手が来るのかな」 そう言いながら、俺はタロカの牌を一枚一枚並べていった。牌と牌の間に生まれる「流れ」——それは戦場の動きと重なり、新たな戦いへの準備となっていく。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人