第11話「任務の始まりは不信から」

「あんな若造を連れて行くなんて、冗談じゃない!」 北方軍総司令部の作戦室から、怒鳴り声が漏れてきた。俺は報告書を持って部屋の前まで来たところだったが、ドアの前で足を止めた。 「ブレイク大佐、将軍の命令です」 シバタ大尉の冷静な声が返す。 「命令だろうと何だろうと、15歳の坊ちゃんを最前線に連れて行くなど、狂気の沙汰だ!」 「補佐官殿の観察眼は確かです。前回の偵察任務でも、彼の分析は正確でした」 「偵察と実戦は違う!」 肩身の狭い思いをしながら、俺はドアの前で立ち尽くしていた。どうやら、次の任務について議論しているようだ。前回の偵察任務から一週間が経ち、シバタ大尉から「次は君にも参謀として同行してほしい」と言われていたのだが……。 「何をしている?」 背後から声がして振り返ると、セリシアが立っていた。 「あ……ちょっと」 「会議が始まる前に入らないと」 彼女は俺のためらいを察したようだ。 「中で何か揉めてるみたいで……」 セリシアは小さく溜息をついた。 「またブレイク大佐でしょう。あの人はあなたの抜擢に最初から反対していたの」 「そうなんだ……」 「でも、将軍の決定には従うわ。さあ、一緒に入りましょう」 彼女の言葉に勇気づけられ、俺はドアをノックした。 「どうぞ」 中から声がして、セリシアと共に部屋に入る。作戦室には数名の士官が集まっていた。シバタ大尉、ドーソン少佐、そして赤ら顔の怒り顔の男性——恐らくブレイク大佐だろう。 「失礼します。報告書を持ってきました」 緊張しながら敬礼すると、ブレイク大佐は鼻を鳴らした。 「将軍のお気に入りか。どれほどの腕か見せてもらおうじゃないか」 その敵意のこもった視線に、思わず身構えてしまう。 「ブレイク大佐、会議を始めましょう」 ドーソン少佐が場を取り持ち、全員が机を囲んだ。大きな地図が広げられている。東部国境を示す地図だ。 「では、今回の作戦について説明する」 シバタ大尉が立ち上がり、地図を指した。 「我々の偵察で確認された通り、東部国境での帝国軍の動きが活発化している。彼らは特に、この補給路を狙っていると思われる」 地図上で示された道は、東部前線に物資を運ぶ重要なルートだった。 「この補給路を守るため、小規模な部隊を派遣する。私が指揮を執り、ドーソン少佐、セリシア少尉、そしてソウイチロウ補佐官が参謀として同行する」 ブレイク大佐が再び口を開いた。 「坊ちゃん補佐官を連れて行く意味など全く見出せんな」 「将軍の判断です」シバタ大尉は冷静に返した。「彼の『読み』の力は、敵の動きを予測するのに役立つと」 「『読み』だと? くだらん。戦場は子供のゲームではない」 「それは……」 「もういい」ブレイク大佐は手を振った。「将軍の命令なら従うまでだ。だが、彼が足手まといになれば、すぐに送り返せ」 「はい、大佐」 シバタ大尉は表面上は従順だが、その眼差しには反発が見える。 「任務の詳細に移ろう」 シバタ大尉は地図上の別の点を指した。 「我々はこの丘に陣を構え、下の谷を通る補給隊を警護する。敵の規模は小さい部隊と予想されるが、油断は禁物だ」 「こちらの兵力は?」ドーソン少佐が尋ねた。 「3個小隊、計60名だ」 「十分でしょう」セリシアが頷いた。「帝国軍が大規模部隊を投入するとは考えにくいです」 「そうだな」シバタ大尉は同意した。「では、詳細な配置について議論しよう」 会議は続き、具体的な作戦計画が練られていった。兵の配置、警戒体制、緊急時の対応など、様々な事柄が決められる。 俺は黙って聞いていたが、次第に疑問が湧いてきた。 「すみません」勇気を出して口を開いた。「一つ質問があります」 全員の視線が俺に集中する。特にブレイク大佐の冷ややかな目が痛い。 「なんだ?」シバタ大尉が促した。 「この補給路、なぜ帝国軍はわざわざここを狙うのでしょうか? もっと防備の薄い場所があるはずです」 「それは……」シバタ大尉が少し考え込んだ。 「明らかだろう」ブレイク大佐が口を挟んだ。「ここは最短ルートだ。他のルートは迂回が必要で時間がかかる」 「でも、そうであれば帝国軍も同じことを考えるはずです。つまり、我々が重点的に守ると予測できるはず」 「何が言いたい?」 「この情報は、少し露骨すぎると思います。まるで、わざと我々に気づかせているようなパターンに見えるんです」 部屋が静まり返った。 「子供の妄想だ」ブレイク大佐が鼻で笑った。「情報部の報告は確かだ」 「もっと具体的に説明してくれ」シバタ大尉は真剣に尋ねた。 「はい」俺は地図を指した。「帝国軍の動きがあまりにも目立ちすぎます。偵察でも確認できるほど露骨に部隊を移動させている。これは……」 麻雀での経験を思い出す。相手にわざと牌を見せて、別の手を隠す戦術。 「これは囮ではないかと思います。本当の目標は別にあるのではないか」 「どこだというのだ?」ブレイク大佐が挑むように言った。 「それは……まだわかりません」正直に答えた。「しかし、この流れには違和感があります」 「流れだと?」ブレイク大佐は呆れたように言った。「シバタ、この子供はもういらんだろう」 「いいえ」シバタ大尉は冷静に言った。「ソウイチロウ補佐官の直感は、前回も的中した。無視するわけにはいかない」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第12話「読みと実行のはざまで」

「敵影なし。予定通り補給部隊は通過しました」 朝の報告会で、斥候役の兵が報告を終えた。陽が昇ってから数時間、谷間の補給路に敵の姿はなく、守るべき我が軍の補給部隊は無事に通過した。これだけ聞けば、任務は順調に進んでいるように思える。 「よし、引き続き警戒を怠るな」 シバタ大尉はテントの中で地図を見ながら指示を出す。俺たち参謀はその周りに集まっていた。ドーソン少佐は満足げな表情で、セリシアは冷静に状況を分析している。 「どうやら、帝国軍は今日は動かないようですね」ドーソン少佐が言った。 「いえ、まだわかりません」セリシアは慎重に言った。「彼らが本当に補給路を狙っているなら、今後も警戒が必要です」 「同感だ」シバタ大尉は頷いた。 全員が冷静に状況を見ているようだが、俺の胸の内はモヤモヤしていた。昨日からの違和感がますます強くなっている。 「あの……」 勇気を出して口を開いた。 「何かあるのか、ソウイチロウ補佐官?」シバタ大尉が促した。 「はい。やはり、この状況には違和感があります」 「また始まったか」ドーソン少佐が小さく舌打ちした。 「具体的に何が?」シバタ大尉は真摯に尋ねた。 「敵は一切姿を見せていません。通常、補給路を狙うなら、偵察くらいは出してくるはずです」 「単に、我々の警戒が厳重だからかもしれんぞ」ドーソン少佐が言った。 「それもあるかもしれません。ですが……」俺は自分の感覚を言葉にしようと努めた。「もう一つの可能性として、彼らはそもそもここを狙っていないのかもしれません」 「では、どこを狙っているというのだ?」 「わかりません。ただ……」 俺は麻雀で培った感覚を思い出していた。相手の捨て牌から手の内を読み、次の一手を予測する。今、目の前で起きていることは、まるで相手が意図的に作り出しているパターンのように感じる。 「山の向こう側を調べてみる必要があると思います」 「山の向こう? あそこは我々の管轄外だ」ドーソン少佐が眉をひそめた。 「そうですが、もし敵が迂回して……」 「補佐官」シバタ大尉が遮った。「君の懸念はわかるが、今の我々の任務は補給路の防衛だ。根拠のない推測で兵力を分散させるわけにはいかない」 「でも……」 「十分な警戒は続けるが、任務の範囲内でだ」 シバタ大尉の言葉は優しいが、断固としている。これ以上は聞き入れてもらえないだろう。 「……わかりました」 諦めて下がる俺の背中に、ドーソン少佐の冷ややかな視線を感じた。あの人は最初から俺を信用していない。仕方ないことだが、それでも胸が痛む。 テントを出ると、セリシアが追いかけてきた。 「ソウイチロウ」 「ああ、セリシア少尉」 「あなたの懸念、私にも少しは理解できるわ」彼女は小声で言った。 「本当に?」 「ええ。帝国軍の動きが少し不自然なのは確かよ。でも……」 「でも?」 「軍には命令系統があるの。シバタ大尉の決断に従うしかないわ」 彼女の表情には、少しだけ申し訳なさが見えた。 「わかってる。責めてるわけじゃないよ」 「それならいいけど」セリシアは少し安心したように見えた。「これが軍というものよ。個人の直感だけでは動けない」 「そうだね……」 彼女は軽く頷いて去っていった。後に残された俺は、山の方を見上げた。 (あっちに何かある……そんな気がするんだけどな) *** 昼を過ぎ、陽が傾き始めた頃、俺は一人で丘の上から周囲を観察していた。双眼鏡で谷間や遠くの山を見ても、特に変わった様子はない。 「まだ気にしてるんですか?」 振り返ると、カイルが立っていた。 「ああ……なんとなくね」 「補佐官殿の『読み』ですか?」 「そう言われると照れるけど……そんな感じかな」 カイルは隣に座った。 「俺、信じてますよ」 「え?」 「前回の偵察任務でも、補佐官殿の読みは的中しました。だから今回も」 「ありがとう」素直にお礼を言う。「でも、シバタ大尉は……」 「大尉は大尉で、全体のことを考えなきゃいけないんです」カイルは優しく言った。「でも僕ら下っ端は、もう少し自由に動けますよ」 「どういう意味?」 カイルは小声で言った。 「俺が所属する第三小隊は、今夜の見張り担当なんです。もし補佐官殿が何か指示があれば……」 彼の言葉に、俺は驚いた。まさか、カイルが協力してくれるとは。 「本当に?」 「はい。もちろん、大きなことはできませんが、少し見張りの範囲を広げるくらいなら……」 俺はしばらく考えた。正規の命令に反するようなことはできない。だが、読みが確かなら、何らかの備えは必要だ。 「わかった。少し頼みたいことがある」 二人で小声で話し合い、夜の警戒について計画を立てた。 *** 夕方の報告会でも、敵の動きは報告されなかった。 「予定通り、明日も補給部隊が通過する」シバタ大尉が言った。「引き続き警戒を怠るな」 「補佐官殿の懸念は杞憂だったようだな」ドーソン少佐が皮肉っぽく言った。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第13話「無視された指揮官、評価される補佐官」

「補給基地への奇襲……なるほど」 朝の報告会で、シバタ大尉は地図を見ながら呟いた。夜明けと共に送り出した偵察隊が戻り、重要な情報をもたらしたのだ。 「山の向こう側の村には、我が軍の小規模な補給基地がありました」偵察隊長が報告を続ける。「村民も動員して、明日の大規模補給に備えていたようです」 「そこを奴らは狙っていたのか」 シバタ大尉の表情が引き締まる。昨夜の戦いで敵を撃退したとはいえ、彼らの本来の目的が判明したことで、新たな緊張が走った。 「大尉」ドーソン少佐が口を開いた。「この基地を奪われれば、東部前線全体への補給が滞ります」 「そうだな」シバタ大尉は頷いた。「奴らの本当の狙いはそれだったか……」 テントの中の空気が重くなった。目の前の補給路だけでなく、山の向こうの基地まで守らなければならないという事実に、誰もが表情を引き締めている。 「すぐに山の向こうにも防衛部隊を派遣すべきです」セリシアが提案した。 「だが、ここの防衛も手薄にはできんぞ」ドーソン少佐が反論する。 「では、兵力を分割するか……」 議論が続く中、俺は黙って地図を見ていた。昨夜の戦いで、俺の読みは的中した。帝国軍は確かに迂回路を使って別の場所を狙っていたのだ。でも、彼らはまだ諦めていないはずだ。 「あの……」俺が口を開いた。 全員の視線が俺に集まる。昨夜の戦功もあり、少なくとも露骨な敵意はなくなっていた。 「何かあるか、ソウイチロウ補佐官?」シバタ大尉が促した。 「はい。敵は撤退しましたが、完全に諦めたとは思えません。おそらく態勢を立て直して、再度攻撃してくるでしょう」 「同感だ」シバタ大尉は頷いた。「問題は、どこを狙ってくるかだ」 「二つの可能性があると思います。一つは昨夜と同じ、山を迂回して基地を狙う。もう一つは……」 俺は地図上の別の場所を指した。 「この峠から攻めてくる可能性です。より長い迂回路ですが、我々の警戒が薄いはずです」 「なるほど……」シバタ大尉は考え込んだ。「それなら、両方に備える必要があるな」 「しかし、兵力は足りるのか?」ドーソン少佐が心配そうに言った。 「分散させて薄くなるリスクはある」シバタ大尉は認めた。「だが、どちらかに全力投球して、もう一方を無視するわけにもいかない」 「ではこうしましょう」セリシアが提案した。「主力はここに残し、小隊一つを基地防衛に。そして斥候を峠に配置します」 「妥当な判断だな」シバタ大尉は同意した。「ドーソン少佐、君は主力と共にここに残れ。セリシア少尉、君は小隊を率いて基地の防衛を頼む」 「はっ!」 二人は敬礼した。 「ソウイチロウ補佐官」 「はい!」 「君は私と共に行動してくれ。君の『読み』が必要だ」 「わかりました」 作戦会議が終わり、各自が準備に取りかかる。テントを出ると、セリシアが近づいてきた。 「ソウイチロウ」 「セリシア少尉」 「……昨夜のことだけど」彼女は少し躊躇した。「あなたの判断は正しかった。私が協力しなくて申し訳なかったわ」 珍しく、彼女が謝ってきた。 「いや、気にしないで」俺は首を振った。「君の立場では難しかったよね」 「それでも……」彼女は真剣な表情になった。「次からは、もっとあなたの意見に耳を傾けるわ」 「ありがとう」 素直な彼女の姿に、少し心が温かくなる。 「でも、規律はとても大事。できるだけ正規のルートで進言してね」 「わかってるよ」俺は笑った。「昨日は緊急事態だったから」 「そうね」彼女も少し表情を緩めた。「とにかく、今日も気をつけて」 「君もね」 彼女は軽く頷き、自分の部隊の準備に向かっていった。 *** 昼過ぎ、作戦は開始された。セリシアが率いる小隊は山を越えて基地に向かい、斥候部隊は峠に配置された。残りの主力部隊はドーソン少佐の指揮の下、元の陣地を守る。 俺はシバタ大尉と共に小高い丘に陣取り、双眼鏡で周囲を観察していた。 「昨夜は見事な判断だった」 突然、シバタ大尉が話しかけてきた。 「いえ……カイルたちの協力があったから」 「命令に反する行動だったがな」彼は厳しいが穏やかな口調で言った。 「すみません……」 「いや、責めているわけではない」彼は首を振った。「時に、正規の命令系統を無視してでも、正しいと思うことをする勇気は必要だ」 「大尉……」 「だが、それは結果が伴って初めて評価される」彼は真剣な表情になった。「失敗していれば、厳しい処罰もあり得た」 「はい、理解しています」 「君の『読み』は確かだ。だが、独断専行は極力避けるべきだ。可能な限り、指揮官を説得することだ」 「わかりました」 シバタ大尉の言葉には重みがあった。彼は俺を責めるのではなく、軍人としての在り方を教えてくれているのだ。 「さて」彼は話題を変えた。「敵の次の動きをどう読む?」 「はい……」 俺は周囲を見渡しながら考えた。麻雀では、相手の捨て牌から手の内を読む。それと同じように、敵の行動から次の一手を予測する。 「昨夜の失敗で、敵は我々の警戒レベルを知りました。今後は更に慎重になるでしょう」 「同感だ」 「そうなると……」俺は地図を見た。「峠からの迂回路を使う可能性が高い。時間はかかりますが、最も安全です」 「なるほど」シバタ大尉は頷いた。「だが、そこにも斥候を置いている。気づかれるリスクがあるぞ」 「はい。だから敵は……」 その時、遠くから馬のひづめの音が聞こえた。 「来たか!」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第14話「もう一つの賭け」

「無事に戻ってきたな」 北方軍総司令部の大広間で、アルヴェン将軍はシバタ大尉の報告を聞き終えると、満足げに頷いた。任務から戻った我々は、将軍に直接報告を行っていたのだ。 「はい。補給基地は守り、敵を撃退しました」 シバタ大尉が敬礼すると、将軍は俺たちの方に視線を向けた。 「ソウイチロウ補佐官、セリシア少尉、ドーソン少佐。諸君の働きぶりも報告書に詳しく記されている。よくやった」 「ありがとうございます」 三人同時に敬礼した。将軍の視線が特に俺に向けられていることを感じる。 「ソウイチロウ」将軍が俺を呼んだ。「君の『読み』が今回の作戦を成功に導いたと聞いた」 「いえ、皆の協力があってこそです」 謙遜するものの、内心では誇らしさを感じていた。 「シバタ大尉の報告によれば、君は敵の動きを正確に予測し、囮作戦も実行したそうだな」 「はい……」 「初めての実戦でよくやった」将軍は温かい目で言った。「だが、規律を無視した行動は慎むように」 「申し訳ありません」 「結果が全てではない」将軍は厳しくも優しい口調で続けた。「次からは正規のルートで進言するように」 「はい、肝に銘じます」 「よし」将軍は全員に向き直った。「諸君は休息を取るがよい。数日間の休暇を与える」 「ありがとうございます!」 全員が敬礼し、解散した。大広間を出ると、シバタ大尉が俺の肩を叩いた。 「よかったな。将軍も君の才能を高く評価している」 「ありがとうございます」 「数日の休暇、ゆっくり体を休めるといい」シバタ大尉は穏やかに言った。「次の任務はもっと重要になるかもしれんからな」 「はい」 シバタ大尉は会釈して去っていった。ドーソン少佐も無言で頷くと、別の方向へ歩いていく。残ったのは俺とセリシアだけだ。 「よかったわね」セリシアが言った。「将軍の評価は高いわよ」 「そうみたいだね」 「私も久しぶりに休暇ね」彼女は少し考え込むように言った。「何をしようかしら」 「僕は……たぶん寝るかな」 緊張の連続だった日々を思い返し、ふと疲れを感じた。セリシアは少し笑った。 「あなたらしいわ。でも、確かに休息は大事ね」 「セリシアは何をするの?」 「私?」彼女は少し考えて答えた。「図書館で軍事書を読むかもしれないわ」 「休暇なのに?」 「知識は力よ」彼女はきっぱりと言った。「特に、あなたのような天性の才能に負けないためには」 「競争してるわけじゃないよ」 「わかってる。でも、私も役に立ちたいの」 彼女の真摯な表情に、少し心が動いた。セリシアは本当に真面目だ。 「じゃあ、また数日後に」 「ええ、お互い体を休めましょう」 二人は別れ、それぞれの方向へ歩いていった。 *** 「はぁ〜、やっと一息つける」 自分の部屋に戻ると、俺は文字通りベッドに倒れ込んだ。北方軍総司令部に来てから最も激しい数日間だった。実戦、敵との戦闘、そして自分の判断が人の命を左右するという重圧。 「前世じゃ、こんな経験絶対なかったよな……」 天井を見つめながら、前世の記憶が蘇る。高校生活、麻雀部の仲間たち、そして受験失敗。あの頃の自分からは想像もできなかった展開だ。 「あの時は麻雀しか取り柄がないって思ってたけど……」 皮肉なことに、その麻雀が今の自分を支えている。卓上の勝負で培った読みの感覚が、戦場で役立つとは。 ノックの音がして、考えが中断された。 「はい?」 ドアを開けると、カイルが立っていた。 「失礼します、補佐官殿」 「カイル、どうしたの?」 「兵たちが、お礼を言いたいそうです」彼は少し照れたように言った。「今晩、兵舎で小さな宴を開くんですが、よかったら……」 「宴会?」 「はい。本当は軍規に反するんですが……」カイルは小声で言った。「特別な夜なんです。補佐官殿がいなければ、あの戦いは勝てなかったかもしれない」 彼の誘いを断る理由はない。それに、兵士たちと交流を深めるのも悪くないだろう。 「わかった、行くよ」 「本当ですか?」カイルの顔が明るくなった。「ありがとうございます! 夜9時、第三兵舎でお待ちしています」 彼は嬉しそうに去っていった。俺は少し微笑んで、再びベッドに横になった。 (宴会か……楽しみではあるけど、ちょっと緊張するな) 麻雀部の打ち上げとは違う雰囲気だろう。それでも、命を分かち合った仲間との時間は特別なはずだ。 *** 夕食を終え、俺は第三兵舎へと向かった。夜の司令部は静かで、歩哨以外の人影はまばらだ。 第三兵舎に近づくと、中から抑えられた笑い声や話し声が聞こえてきた。扉を叩くと、すぐにカイルが出てきた。 「補佐官殿! お待ちしていました」 彼に導かれて中に入ると、約20人の兵士たちが輪になって座っていた。俺の姿を見るなり、全員が立ち上がって敬礼した。 「お、お休みください」 慌てて言うと、彼らは笑顔で座り直した。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第15話「認められた場所」

「朝からこんなに緊張するなんて、雀荘の店舗対抗戦以来だよ……」 作戦室に向かう廊下で、俺は小さく呟いた。昨日の休暇を終え、今日から任務再開。シバタ大尉からの伝言通り、朝9時に作戦室に集合することになっている。 昨夜は眠れなかった。フェリナとの一件もあるが、それ以上に、初めての実戦任務の結果がどう評価されるのか気になって仕方なかったのだ。 作戦室の前まで来ると、ドアの前で足が止まった。深呼吸をして、ノックをする。 「入れ」 アルヴェン将軍の重厚な声が響いた。 ドアを開けると、予想以上に多くの人が集まっていた。アルヴェン将軍を中心に、シバタ大尉、セリシア、ドーソン少佐、そして何人かの上級士官たち。全員が俺を見ている。 「あ、おはようございます」 思わず声が上ずった。 「おはよう、ソウイチロウ」アルヴェン将軍が穏やかに言った。「時間通りだな」 「は、はい……」 緊張のあまり、視線がさまよう。セリシアは冷静な表情で軽く頷いた。ドーソン少佐はいつもより柔らかい表情をしている。そして、部屋の隅に……フェリナがいた! 彼女と目が合った瞬間、二人とも顔を赤らめて視線をそらした。昨夜の一件が鮮明によみがえる。 「どうした? 具合が悪いのか?」将軍が訝しげに尋ねた。 「い、いえ! 大丈夫です!」 慌てて答える。フェリナの存在に動揺していることを悟られたくない。 「よし」将軍は満足げに頷いた。「では本題に入ろう」 将軍は机の上の報告書を手に取った。 「シバタ大尉から詳細な報告を受けた。補給路防衛任務は見事に成功したようだな」 「はい」シバタ大尉が答えた。「敵の奇襲を事前に察知し、被害を最小限に抑えることができました」 「そして、その功績の大半がこの若き補佐官にあると」 将軍の視線が俺に向けられた。部屋の空気が凛と引き締まる。 「い、いえ、皆の協力があってこそです」 思わず謙遜してしまう。だが、シバタ大尉はきっぱりと言った。 「そうですが、ソウイチロウ補佐官の『読み』がなければ、我々は敵の奇襲に気づけなかったでしょう」 「報告によれば」将軍は報告書に目を落とした。「彼は敵の動きの不自然さを察知し、独自の判断で警戒範囲を広げた。その結果、敵の奇襲を未然に防いだ」 部屋の中で数人の士官がざわめいた。中には不満そうな顔をしている者もいる。 「さらに翌日の戦いでも、敵指揮官を見抜き、効果的な対策を講じた」 将軍は報告書を置き、俺をまっすぐ見た。 「ソウイチロウ・エストガード」 「は、はい!」 思わず直立不動の姿勢になる。 「私は君を、北方軍の正式な補佐官に任命する」 衝撃が走った。見習いではなく、正式な補佐官。それは地位も責任も大きく変わることを意味する。 「あ、ありがとうございます!」 緊張のあまり、声が裏返りそうになった。 「これは恩赦ではない」将軍は厳格に言った。「君の実力を認めての任命だ。今後も北方軍の勝利のために、その才覚を発揮してもらいたい」 「はい! 全力を尽くします!」 俺が敬礼すると、シバタ大尉も満足げに頷いた。一方、部屋の隅では数人の士官が小声で何かを話し合っている。明らかに不満そうな様子だ。 「何か意見があるなら、堂々と述べよ」 将軍の声が鋭く響いた。士官たちはハッとしたように黙り込んだ。 「バロン大佐、君は何か言いたいことがあるようだな?」 白髪混じりの厳つい大佐が一歩前に出た。 「失礼します、将軍」彼は低い声で言った。「あまりにも唐突な昇進ではないでしょうか。彼はまだ軍に来て日が浅く、経験も浅い。もう少し様子を見るべきでは」 部屋の空気が凍りついた。 「バロン大佐」将軍は穏やかな口調ながらも、威厳を持って答えた。「軍において最も重要なのは何だ?」 「規律と経験です」 「半分は正しい」将軍は頷いた。「だが、もう一つ重要なものがある。それは『結果』だ」 将軍は立ち上がり、部屋の中を歩き回り始めた。 「ソウイチロウ補佐官は確かに若く、経験も浅い。だが、彼は実戦で結果を出した。敵の動きを読み、被害を最小限に抑え、勝利に導いた。これ以上の証明が必要だろうか?」 バロン大佐は言葉に詰まった。 「私は才能を見逃さない」将軍は断固として言った。「彼の才能は特別だ。それを活かさない手はない」 バロン大佐は渋々頭を下げた。 「……承知しました」 将軍は再び俺に向き直った。 「正式な辞令は後ほど渡す。これからはより大きな責任を負うことになるが、恐れることはない。我々が支える」 「ありがとうございます」 胸がいっぱいになる感覚。前世では麻雀しか取り柄がなかった俺が、この世界では重要な地位を得た。不思議な感覚だ。 「会議は以上だ」将軍が言った。「諸君、解散」 全員が敬礼し、部屋を出ていった。俺も退室しようとしたとき、将軍が声をかけた。 「ソウイチロウ、セリシア、少し残ってくれ」 二人は足を止め、他の士官たちが部屋を出るのを待った。フェリナも去っていく。彼女とはまだちゃんと話せていない。 部屋が静かになると、将軍は少し表情を和らげた。 「正直に言うと、反対意見は他にもあった」彼は苦笑した。「君の年齢や経歴を問題視する声は少なくない」 「それは……理解できます」俺は素直に答えた。 「だが、私はそれを押し切った」将軍は真剣な眼差しで言った。「君の才能は、この戦局を変える可能性を秘めている」 「そんな大げさな……」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人