第6話「軍の空気は冷たい」

「ソウイチロウ見習い補佐官!」 執務室のドアが勢いよく開き、ドーソン少佐が現れた。俺は慌てて立ち上がる。 「はっ!」 とりあえず敬礼のマネをしてみたが、どうやら形が違ったらしい。ドーソン少佐は眉をひそめた。 「敬礼の仕方も知らないのか。まったく……」 北方軍総司令部での勤務が始まって3日目。相変わらず、少佐は俺に対して冷たい態度を崩さなかった。 「すみません。これから覚えます」 「今日は書庫の整理を手伝え。それから将軍への朝の報告書を配達しろ」 「はい、少佐」 少佐は書類の束を机に置くと、ため息をついて部屋を出て行った。 (雑用係か……まあ、しょうがないか) 俺は諦めの心境で書類を整理し始めた。期待していた「戦術家としての第一歩」なんて夢のまた夢。ここ数日は雑用ばかりで、とても補佐官見習いという仕事には思えない。 午前中いっぱいを書庫の整理に費やした後、昼食のために食堂に向かう。廊下で、若い士官たちがこちらを見て小声で話しているのが聞こえた。 「あれが噂の"坊ちゃん補佐官"か?」 「将軍のお気に入りらしいな」 「何も知らない子供に何ができるっていうんだ」 「親の七光りだろ」 (七光りじゃないんだけどな……) 心の中でつぶやきながらも、表面上は気にしていない素振りで歩き続ける。これも3日目にして慣れてきた光景だ。 食堂では、相変わらず一人で食事を取ることになった。クラウスおじさんは今日は別の任務で外出中らしい。テーブルの端に座り、スープとパンを黙々と食べる。 「隣、いいかな?」 突然声がかかり、顔を上げるとセリシアが立っていた。軍服姿の彼女は、相変わらず凛々しい。 「どうぞ」 彼女は俺の向かいに座り、トレイを置いた。周囲から視線が集まるのを感じる。セリシア少尉が「坊ちゃん補佐官」と一緒に食事をするなんて、珍しい光景なのだろう。 「調子はどう?」 「まあ、順応してるところかな」 セリシアはスープをすすりながら、小声で言った。 「みんな最初は敵意を向けるものよ。気にしないこと」 「ああ……気づいてた?」 「見ればわかるわ」彼女は冷静に答えた。「でも、将軍があなたを選んだのには理由がある。あなた自身が証明すればいいだけよ」 「そう簡単にいくかな……」 「……明日、戦術会議があるわ。あなたも参加することになってる」 「え? 本当に?」 「ええ。第一歩のチャンスよ。準備しておきなさい」 セリシアは食事を終えると、さっと立ち上がった。 「頑張りなさい、ソウイチロウ」 そう言って彼女は去っていった。残された俺は、少し心が軽くなった気がした。 *** 午後、司令部の廊下を行き来しながら、俺は伝令業務をこなしていた。書類を届けたり、口頭での伝言を運んだり。シンプルな仕事だが、面白いことに気づいた。 (あれ? この伝令のルート、何か法則性があるな) 何度も同じ場所を行き来していると、情報の流れが見えてきた。誰から誰へ、どんな内容が、どのタイミングで伝わるのか。 「これって……麻雀の"河"を読むのと似てるな」 前世で麻雀をやっていた時、他のプレイヤーの捨て牌(河)から手の内を読むのが得意だった。この伝令ルートも、情報の流れという点では似ている。 「なるほど……だからこの時間には補給部からの報告が来て、次に情報部へ行くのか」 頭の中で情報の流れを整理していくと、軍の組織がどう動いているのか、少しずつ見えてきた。誰が重要な情報を持っていて、誰がそれを必要としているのか。命令はどこから発せられ、どのように伝達されるのか。 「面白いな……」 夕方になり、将軍への最後の報告書を届けた後、執務室に戻る。そこでセリシアと鉢合わせた。 「何をしていたの?」 「伝令業務」 「伝令? それだけ?」 「うん……でも、面白いことに気づいたんだ」 セリシアは首を傾げた。 「何に?」 「情報の流れにパターンがあるんだ。例えば、北部国境の報告は常に午前中に来て、そこから30分以内に参謀本部と補給部に伝わる。でも先に参謀本部に行くと、その後の動きが変わるんだ」 彼女は驚いたような表情になった。 「ほかにも、ハーゲン大佐からの伝令は必ずバッカス中佐を経由して参謀部に伝わるけど、バッカス中佐がいないときは直接ドーソン少佐に行く」 「あなた……たった3日でそんなことまで観察していたの?」 「まあ、何度も行き来してるうちに気になったから」 セリシアは少し考え込むように俺を見た。 「それを紙に書き出してみて」 「いいよ」 執務室の机に向かい、俺は頭の中にある情報の流れを図式化していった。線と矢印で繋がれた複雑な図が完成する。 「こんな感じかな」 セリシアは黙って図を見つめた。 「これは……情報伝達図?」 「うん。伝令ルートだけじゃなくて、時間帯や優先順位、内容によって変わる流れも入れてみた」 「こんな風に整理できるなんて……」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第7話「才女参謀との出会い」

「情報分析の基本はね、点と点を繋げることよ」 セリシアは机の上に広げた地図を指しながら説明していた。北方軍総司令部での勤務が始まって1週間が経ち、俺はようやく本格的な任務に取り組み始めていた。 「例えば、ここで敵の偵察部隊が目撃されて、同じ日にここで補給車列が増えている。この二つの情報からは何が読み取れる?」 彼女の鋭い眼差しが俺に向けられる。セリシア・ヴェル=ライン少尉。15歳の俺と同年代なのに、すでに参謀として確固たる地位を築いている才女だ。初日の緊張感こそ解けたものの、彼女の厳しい指導は変わらない。 「えっと……この地点に兵力を集めようとしてるってことかな」 「そう。基本的には合っているわ」 彼女は満足げに頷いた。小さな褒め言葉にほっとする。 「でも、それだけじゃ不十分」 やっぱり褒めてくれないか。内心で苦笑しながら、彼女の続きを聞く。 「可能性は複数考えるべきよ。例えば、本当の目標はここじゃなくて、偵察はわざと目立つように行動して、我々の注意を引くための囮かもしれない」 「なるほど……」 「常に複数の可能性を検討し、確率の高いものから優先順位をつける。これが戦術分析の基本よ」 セリシアの論理的な思考には感心する。頭の回転が速くて、筋道立てて考える能力が半端じゃない。 「わかった。複数の可能性か……」 「ソウイチロウ、あなたは『読み』が得意なんでしょう? それを戦術に活かすのよ」 「読みか……」 麻雀で培った読みの感覚。相手の捨て牌から手の内を推測し、次の一手を予測する。確かに似ているかもしれない。 「試しにこの状況を分析してみて」 セリシアは別の地図を広げた。北部国境に近い山岳地帯の図だ。そこには敵軍の動きを示す赤い印がいくつか付けられている。 「ここ1週間のエストレナ帝国軍の動きよ。何か気づく?」 俺は地図を食い入るように見つめた。山と谷、小さな村々、そして赤い印。頭の中でそれらを繋げていく。麻雀の卓を前にした時のように、パターンを探す。 「ここに集中してるけど……わざとらしくない?」 セリシアの眉が少し上がった。 「どういう意味?」 「だって、ここまで露骨に同じ場所に集まったら、こっちに警戒されるのは明らかじゃない? わざと見せてるように思える」 「そう考えるのね……」 彼女は腕を組んで考え込んだ。 「他には?」 「え? それだけじゃダメ?」 「もっと論理的に説明して」 彼女の厳しい目に、少し焦る。 「うーん……」 地図をもう一度よく見ると、別のパターンに気づいた。 「あ、これ見て。偵察部隊の動きが、一定のリズムを持ってる。3日おきに同じルートを通ってる。これは習慣化された行動パターンだよ。本当の作戦なら、もっと不規則にするはず」 セリシアの表情が少し変わった。 「なるほど……確かにそうね」 彼女は少し感心したような顔をしている。小さな勝利感に、内心でガッツポーズ。 「じゃあ、本当の目的は何だと思う?」 「それは……」 俺は地図をもう一度見直した。偵察部隊の動きが目立つ一方で、他の場所では何が起きているのか? 「ここだ」 俺は地図の別の場所を指した。小さな峠道のある場所だ。 「ここは一見何もないように見えるけど、実はこの谷を通れば、我々の補給路に最短で出られる。敵は他の場所で目立つ動きをして、実はこっちに少数精鋭を送り込もうとしてるんじゃないかな」 セリシアは黙って俺の分析を聞いていた。そして、ゆっくりと頷いた。 「面白い視点ね……今日の戦術会議で、その意見を言ってみたら?」 「え? 今日、戦術会議があるの?」 「ええ、午後からよ。将軍も参加する重要な会議」 緊張感が湧き上がってくる。まだ軍に来て1週間の新人が、重要な会議で発言なんて……。 「大丈夫かな……」 「自信を持って。あなたの『読み』は独特だから」 セリシアの言葉に少し勇気づけられた。彼女は厳しいけど、ちゃんと俺の才能を認めてくれている。そう思うと、少し嬉しかった。 *** 戦術会議の大きな会議室に、軍の高官たちが集まっていた。細かな軍服の違いで階級がわかるようになってきたけど、まだ全員の顔と名前は一致しない。ドーソン少佐やセリシア以外は、まだ距離感がある。 「では会議を始める」 アルヴェン将軍の一声で、会議室が静まり返った。 「今日の議題は北部国境の防衛計画だ。エストレナ帝国軍の動きが活発化しており、我々の対応を決める必要がある」 将軍は地図を指しながら説明を続けた。まさにセリシアと見ていた地図と同じ地域だ。 「現在、帝国軍は主にこの地域で活動している」 将軍が指したのは、俺たちが先ほど分析した地域だった。どうやらこれは実際の作戦会議だったんだな。さっきはセリシアに試されていたんだ。 「この状況について、セリシア少尉、見解を述べよ」 「はっ!」 セリシアが立ち上がり、敬礼した。 「私の分析では、帝国軍は明らかにこの山岳地帯での正面攻撃を準備しています。偵察部隊の動き、補給線の強化、さらには密偵から得た情報を総合すると、2週間以内に大規模な攻撃が予想されます」 彼女の声は落ち着いていて、論理的だ。周囲の士官たちも頷いている。 「対策としては、この三つの峠にそれぞれ一個中隊を配置し、予備隊を後方に置くことを提案します。さらに、偵察隊を増強して……」 セリシアは詳細な防衛計画を説明していった。理論的で隙のない計画に思える。軍事学校首席の実力は伊達じゃない。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第8話「模擬戦、開戦」

「将軍、セリシア少尉の計画を採用すべきです」 執務室に集まった参謀たちの前で、ドーソン少佐が強く主張していた。昨日の会議から一夜明け、セリシアと俺はそれぞれの作戦計画を提出した。アルヴェン将軍はそれらを並べて眺めている。 「ソウイチロウ見習い補佐官の計画は根拠に乏しく、兵を危険にさらすものです」 ドーソン少佐の視線が俺に向けられる。まるで鋭い刃物のような目だ。動揺しないように、俺は平静を装った。 「セリシア少尉の計画は情報部のデータに基づいており、最も合理的です」 将軍はゆっくりと二つの計画書に目を通している。俺の計画は、敵の偵察隊の動きが囮であるという予測に基づき、小さな峠道に伏兵を配置するというものだ。一方、セリシアの計画は正面防衛を強化するものだった。 「どちらも一理ある」 将軍がようやく口を開いた。 「問題は、どちらが正しいかだ」 「でも、それを知る方法はありません」セリシアが冷静に言った。「帝国軍が実際に動くまでは」 「そうだな……」 将軍はしばらく考え込み、急に顔を上げた。 「モデル演習を行おう」 「モデル演習ですか?」ドーソン少佐が首をかしげた。 「そうだ。セリシアとソウイチロウの計画、どちらが有効か、小規模な実験で確かめよう」 この提案に、部屋の空気が変わった。モデル演習とは、実際の兵を使って模擬戦を行い、作戦の有効性を検証するものだ。実戦規模ではないが、かなり本格的な訓練だという。 「具体的にはどうするんですか?」俺は緊張しながら聞いた。 「小隊規模でいい。ソウイチロウの計画とセリシアの計画、それぞれを実行する防衛側を用意する。そして、別の小隊に帝国軍役をさせる」 「明日にでも実施できます」ドーソン少佐が言った。 「いや、今日だ」 「今日、ですか!?」 将軍は頷いた。 「敵はいつ動くかわからない。早急に方針を決める必要がある」 誰も異議を唱えられなかった。 「では、準備を始めよ。ソウイチロウ、セリシア、それぞれ自分の計画を指揮してくれ」 「えっ、私が?」 思わず声が上ずってしまった。計画を立てるのは一つだけど、実際に兵を指揮するなんて……。 「もちろんだ。自分の計画は自分で証明すべきだろう」 将軍の言葉には反論の余地がなかった。セリシアは冷静に敬礼した。 「了解しました」 俺も慌てて敬礼する。 「が、頑張ります!」 これは思わぬ展開だ。計画が採用されるかどうかだけでなく、自分で指揮も取るなんて。緊張で胃がキリキリしてきた。 *** 「これが今日の演習場となる地域だ」 兵舎の隣にある作戦室で、ドーソン少佐が地図を広げて説明していた。実際の北部国境の地形を模した丘陵地帯が、司令部から数キロ離れたところにあるらしい。 「防衛側は青チームと赤チーム、攻撃側は黄チームとする」 地図には各チームの初期配置が示されていた。青チームはセリシアの計画に基づいて正面防衛を固める。赤チームは俺の計画で、峠道に重点を置く。そして黄チームは仮想敵となる帝国軍だ。 「各チーム20名ずつ、合計60名で行う」 これだけの規模の演習を急に組むなんて、北方軍の機動力は凄まじい。さすが最前線の部隊だ。 「それぞれの指揮官は?」 「青チームはセリシア少尉、赤チームはソウイチロウ見習い補佐官、黄チームはグレイ中尉だ」 グレイ中尉という名前は聞いたことがある。若くして頭角を現した実戦派だとか。なかなかの強敵らしい。 「演習の勝敗基準は?」ドーソン少佐はメモを見ながら続けた。「黄チームが防衛ライン突破に成功すれば攻撃側の勝ち。12時間耐えれば防衛側の勝ちだ」 「12時間ですか!?」 さすがに驚いた声が出た。日が暮れてからも続くのか。 「本物の戦場には時間制限などないぞ」ドーソン少佐は厳しい目で俺を見た。「それが嫌なら、今すぐ辞退しても構わない」 「い、いえ! やります!」 引くわけにはいかない。これは自分の読みを証明するチャンスだ。 「では、各自装備を受け取り、30分後に集合せよ」 「はっ!」 全員が敬礼し、解散した。 *** 「赤チームのみんな、聞いてくれ」 20人の兵士を前に、俺は緊張しながら作戦を説明していた。彼らの表情は様々だ。好奇心に満ちた若い兵士もいれば、明らかに不満そうな年配の兵もいる。「坊ちゃん補佐官」に指揮されることに納得していないのだろう。 「敵は最初、正面から攻めてくるように見せかけて、実は補給路を狙っていると思われる」 地図を指しながら説明を続ける。 「だから、私たちはこの峠道に重点を置く。ここに10名、残りの10名は正面に配置する」 「補佐官、申し訳ありませんが」中年の下士官が手を挙げた。「グレイ中尉は狡猾な戦術家です。本当に峠を狙うと思いますか?」 「ああ、そう思う」 俺は自信を持って答えた。 「敵の立場で考えてみてください。正面突破は難しい。でも小さな隙を突ければ、少ない戦力で大きな成果を上げられる。だから峠道を使うんです」 「しかし、情報部の報告では……」 「情報は時に欺くためにも使われます」 俺は麻雀の経験を思い出していた。相手に手の内を悟られないように、あえて別の牌を切ることもある。戦場も同じではないだろうか。 「私はこう読みました。信じてもらえますか?」 兵士たちは互いに顔を見合わせた。完全には納得していないようだが、命令には従うだろう。 「わかりました。指示に従います」下士官は渋々と頷いた。 「ありがとう。では配置につこう」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第9話「評価の芽」

「何だと? あの坊ちゃん補佐官が演習で勝ったって?」 北方軍総司令部の食堂で、若い士官たちが驚いた声を上げていた。演習から二日後の朝、俺の勝利の噂はすっかり広まっていた。食事を取りながら、その会話が耳に入ってくる。 「グレイ中尉相手に勝ったらしいぞ」 「あり得ないだろ……」 「いや、本当だよ。俺の友人が審判役だったから」 小さな優越感を感じながらも、俺は黙々とパンを食べ続けた。昨日も一日中、北部国境の防衛計画の修正作業に追われていた。セリシアと一緒に、お互いの視点を組み合わせた新たな計画を立てているところだ。 「おはよう、ソウイチロウ」 テーブルの向かいに、クラウスが朝食のトレイを持って座った。 「おはよう、クラウスさん」 「世間の評判が変わりつつあるな」彼は周囲の視線を示しながら言った。 「そうみたいだね」 「当然だ。15歳で軍の演習に勝つなんて、並の才能じゃない」 彼の言葉に、少し照れくさくなる。 「でも、たまたま読みが当たっただけだよ……」 「謙虚なのはいいが、自分の才能を過小評価するのもよくない」クラウスは優しく諭した。「お前には確かな『読み』の才がある」 「ありがとう」 「それにしても」クラウスは声を落とした。「今回のことで、よからぬ目を向ける者も出てきたようだぞ」 「え?」 「ヴァイス大佐の派閥だ。彼らは将軍の方針に批判的で、お前の抜擢にも不満を持っていたんだが、今回の成功でさらに警戒を強めているらしい」 俺は首を傾げた。軍内の派閥争いについては、まだ詳しく知らない。 「なぜ? 俺はただ自分の仕事をしているだけなのに」 「若すぎる才能は、時に既存の秩序を脅かすものだからな」クラウスは意味深に言った。「特に、将軍のお気に入りとなれば」 「そんな……」 「心配するな。ただ、少し気をつけておけというだけだ」 「わかった。ありがとう」 朝食を終え、執務室に向かう途中、セリシアとすれ違った。 「おはよう、セリシア少尉」 「おはよう、ソウイチロウ」 彼女の口調は演習前よりも柔らかくなっていた。まだ完全に心を開いてはいないようだが、少なくとも敵対的ではない。 「今日も防衛計画の続きですか?」 「ええ。13時から作戦室で」 「了解です」 互いに会釈して別れる。演習での勝利は、少なくともセリシアとの関係改善にはつながったようだ。 *** 「ここにヤークト小隊を配置すれば、正面と峠の両方をカバーできるわ」 セリシアは地図の上に小さな駒を置いた。作戦室で二人、防衛計画の最終調整を行っていた。 「うん、いいね。そうすれば機動力も確保できる」 夕方までかかるだろうと思っていた作業も、二人で協力したおかげでスムーズに進んでいた。セリシアの論理的思考と俺の直感的読みが、意外と相性が良いことがわかってきた。 「あの……一つ聞いていい?」セリシアが突然話題を変えた。 「なに?」 「あなたの『読み』はどこから来るの?」 予想していた質問だったが、答えに窮する。前世で麻雀をやっていたとは言えないし、かといって適当な嘘をつくのも気が引ける。 「難しいな……これは天性のものかな」 「そう簡単に信じられないわ」彼女は真剣な目で俺を見た。「あなたの分析には、論理的根拠がないように見えて、実は筋が通っている」 「そう?」 「ええ。演習の時も、敵の行動パターンを読み取っていた。単なる直感ではないわ」 彼女の鋭い観察眼に少し驚く。 「まあ……似たようなゲームで鍛えたのかもしれない」 「タロカのこと?」 「ああ、そうだね」 セリシアはしばらく考え込んだ後、頷いた。 「タロカで培った読みが、戦術に応用できるとは……面白いわね」 「将軍も言ってたじゃないか。『タロカの才は戦場でこそ活きる』って」 「確かに」彼女は少し笑みを浮かべた。「あなたの『読み』は、私の論理的分析では見えない部分を捉えている気がする」 「君の分析も素晴らしいよ。僕一人じゃ、あんな詳細な防衛計画は立てられなかった」 互いを認め合うような会話に、少し気恥ずかしくなる。 「では、この計画で将軍に報告しましょうか」 「うん、そうしよう」 二人で資料をまとめ、廊下に出ると、ドーソン少佐が立っていた。どうやら、しばらく外で聞いていたようだ。 「ドーソン少佐、何かご用でしょうか?」セリシアが敬礼しながら尋ねた。 「いや……将軍が計画の進捗を確認したいそうだ」 少佐の態度はまだ冷たいが、演習前よりはマシになった気がする。 「ちょうど完成したところです」俺は答えた。「今から報告に行くところでした」 「そうか……」少佐は少し考え込むように俺を見た。「演習の件は……よくやった」 渋々ながらも褒め言葉? 驚きのあまり言葉に詰まる。 「あ、ありがとうございます」 「調子に乗るなよ。一度の成功に過ぎない」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第10話「この軍、読める」

「この報告書、なぜ急に流れが変わるんだろう……」 執務室で、俺は大量の報告書を前に呟いた。偵察任務に向けての準備として、過去の報告を読み込んでいたのだ。シバタ大尉率いる部隊に同行するのは明日。少しでも状況を把握しておきたかった。 パラパラとページをめくりながら、不思議なパターンに気づいた。報告書の前半と後半で、文体やトーンが微妙に違うのだ。 「これって……書いた人が途中で変わってるのかな?」 更に詳しく見てみると、司令部内の報告書の回覧ルートにも特徴があった。ある種の報告書は必ず特定の人物を経由し、別の種類は全く別のルートを通る。 「どうやら、軍の書類にも"流れ"があるみたいだな」 麻雀における河の読みのように、報告書の流れからも情報が読み取れる。誰がどの情報に目を通し、誰が最終決定に影響力を持つのか。権力構造が見えてくる。 「面白いな、これ」 うつむいて書類に向かう俺を、セリシアが見つけた。 「まだ作業してるの? もう夜遅いわよ」 彼女が執務室のドアから顔を覗かせた。演習以来、彼女との関係は良好になりつつある。 「ああ、明日の偵察任務の準備でね」 「何を読んでるの?」 セリシアが近づき、机の上の書類を覗き込んだ。 「過去の報告書。でも、面白いことに気づいたんだ」 「何?」 「この軍の情報の流れには、明確なパターンがあるんだ」 俺は気づいたことを説明した。情報の種類によって回覧ルートが違うこと、誰がどんな情報に目を通すのか、そこから見えてくる権力構造について。 セリシアは驚いたように俺を見た。 「あなた、戦場じゃなくても読み合ってるのね」 「ああ、そうかも。麻雀……じゃなくて、タロカっぽいよね」 「でも、なぜそんなことを?」 「知っておくに越したことはないと思って」俺は率直に答えた。「誰がどんな情報を持っているか知れば、必要な時に素早く適切な情報を得られるから」 セリシアは腕を組んで考え込んだ。 「面白い視点ね。私は報告書の内容だけを見ていたけど、その流通経路まで分析するなんて」 「流れを読むのは、タロカの基本だからね」 「あなたのタロカの才能は、本当に多方面に応用できるのね」 彼女の声には感心したような調子が混じっていた。 「勝てるなら場所は問わないさ」 俺はそう冗談めかして言った。 「勝ち負けにこだわるのね」 「まあ、そうかな。勝つために流れを読むっていうのが、俺のアプローチだから」 セリシアは少し考えてから、真面目な表情で言った。 「それなら、あなたの才能は確かに軍に向いているわ。戦場は究極の勝負の場だから」 「そうだね……」 少し気恥ずかしくなって、話題を変えた。 「明日の偵察任務、緊張するよ」 「初めての実戦に近い任務だものね」セリシアは理解を示すように頷いた。「でも心配ないわ。シバタ大尉は優秀だし、何より危険な場所には行かないから」 「そうだといいんだけど……」 「私も最初は緊張したわ」彼女は珍しく自分のことを話し始めた。「はじめて前線に出たとき、足が震えて仕方なかった」 「セリシアでも?」 「もちろん。誰だって初めは怖いものよ」 彼女の意外な告白に、少し親近感が湧いた。いつも完璧に見えるセリシアも、初めは不安だったのだ。 「ありがとう。少し安心したよ」 「あまり遅くまで起きてないで、早く休みなさい」彼女は元の口調に戻った。「明日は早いんでしょう?」 「そうだね、もう少ししたら休むよ」 セリシアは軽く会釈して、部屋を出て行った。 (彼女も、少しずつ心を開いてきてるのかな) そう思いながら、俺は再び報告書に目を戻した。 *** 翌朝早く、俺は北方軍の馬小屋にいた。今日から始まる偵察任務のため、馬に乗る必要があったのだ。問題は、俺がほとんど乗馬経験がないということ。 「こりゃまたぎこちないな」 馬の世話係の老兵が笑いながら言った。俺は何とか鞍に座っているものの、明らかにバランスが悪い。 「す、すみません……」 「いいさ、みんな最初は下手だ。この子は温厚だから、乗りやすいはずだよ」 彼が手綱を俺に渡してくれた。茶色の馬はおとなしく、大人しく立っている。それでも初心者の俺には、十分に緊張する乗り物だった。 「よしよし、いい子だ」 恐る恐る馬の首を撫でてみる。馬は小さく鼻を鳴らした。かわいいな、と思う瞬間もあるが、それ以上に「落ちたらどうしよう」という不安が勝っていた。 「補佐官殿、準備はいいか?」 振り返ると、シバタ大尉が立っていた。30代前半で厳格な表情の男性だ。噂によれば、実戦経験豊富な優秀な将校らしい。 「は、はい! ……たぶん」 不安そうな俺の様子に、シバタ大尉は軽く笑った。 「初めての乗馬か?」 「はい……この二日で少し練習したんですが」 「心配するな。ゆっくり移動するから、しっかりと鞍につかまっていればいい」 彼の言葉に少し安心する。 「集合場所に向かおう。部隊は待機している」 「はい!」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人