第1話「受験に失敗した日、俺は雀荘にいた」

「不合格です。残念ながら」 真っ白な用紙に書かれたその二文字を見ても、なぜか実感が湧かなかった。あぁ、俺、落ちたんだ。でも、意外にも心は平静のままだった。 「そっか」 スマホの画面を消して、俺——三崎宗一郎はポケットにそれを滑り込ませた。大学の受験発表サイト。名前が載っていないことを確認するために五回くらい更新したけど、結果は変わらなかった。 高校三年間、麻雀に明け暮れた結果がこれだ。 「まぁ、そうなるよな」 自分でも笑っちゃうくらい、あっさり受け入れてる自分がいる。予備校の模試でもギリギリの判定だったし、何より一番勉強すべき時期に雀荘に入り浸ってた。毎日放課後は決まって同じ場所。家に帰らず、駅前の「麻雀荘 天和」に直行する日々。受験勉強? それは家でやるはずだった時間に片付けるつもりだったけど、結局は麻雀の点数計算や役の組み合わせを考えることに頭を使ってた。 親に連絡するべきだろうか。でも、なんて言えばいいんだ? 「やっぱり落ちました、すみません」? そんな言葉、口から出せる気がしない。 「……雀荘に行くか」 足が勝手に、いつもの道を歩き始めていた。 *** 「おー、宗一郎じゃねぇか。今日も早いな」 店内に入ると、マスターの塚本さんがにやりと笑った。五十代くらいの、少し腹の出た好々爺といった風貌の男性だ。この店の常連になって一年半。もう顔なじみどころか、俺のことを「若手有望株」なんて呼んでくれてる。 「あぁ、マスター。今日は用事が早く終わってさ」 受験に落ちたこと、言わなかった。ちょっと恥ずかしかったからだ。だって、高校卒業後の進路について聞かれたとき、「いい大学行って、ちゃんとした会社に就職するんだ」なんて言っちゃったし。 「おう、来たか! 今日こそは俺が貴様を打ち負かしてくれる!」 一番奥の卓から、デカい声が響いた。週末の常連、「暴れん坊」の愛称で呼ばれる中村さんだ。会社員らしいけど、やたらと熱くなるタイプ。対局中の掛け声も半端なく、店内の空気を一変させる特技の持ち主。 「中村さん、まだ仕事終わってないんじゃないの?」 「今日は半休だ! 麻雀のためならば仕事も投げ捨てる! それが漢ってもんだろ!」 はいはい、そうですか。どう考えても不健全な生き方だけど、俺が言える立場じゃないんだよな。だって俺、受験勉強より麻雀を選んだ結果、大学に落ちたんだから。 「じゃあ、一卓お願いします」 マスターに卓代を払って、席に着く。すでに二人の常連が座っていて、俺で三人目。あともう一人来れば卓が埋まる。 「よろしく」 簡単に挨拶を交わし、俺たちは牌を並べ始めた。カチャカチャという音。この音が好きだった。勉強してる時も、この音が頭の中で鳴り響いてた。微妙な重みと、指に伝わる感触。ああ、ここが俺の居場所だったんだよな。 学校じゃなくて。家でもなくて。この卓の上が。 *** 「リーチ、一発、ドラドラで跳満!」 中村さんの高笑いが店内に響き渡る。大きな手で牌をバァンと倒す音がダイナミックだ。 「うわー、またやられた」 対面の梅野さんが肩を落とす。四十代くらいの、いかにも公務員といった風情の男性だ。 いつの間にか四人目の客も来て、もう二局目が終わろうとしていた。 俺はというと、トップを取ったり、親を続けたりしていたのに、なぜかいまいち熱が入らない。昔なら、絶対こんなことはなかった。牌を握る指には力が入らず、勝っても「ああ、勝ったか」程度の感想しか浮かばない。 「宗一郎、最近冴えないな。受験の結果でも気にしてんのか?」 マスターが通りがけに声をかけてきた。鋭いなぁ、さすが人の表情を見るプロだ。 「まあ、そんなとこです」 曖昧に答えると、中村さんが大きな声で割り込んできた。 「なんだ、不合格だったのか?」 思わず顔が熱くなる。言いたくなかったわけじゃないけど、こうやって大声で言われると少し恥ずかしい。 「あー、まあ……そうなりました」 「そりゃあな! 毎日雀荘に来てちゃ受かるわけねぇだろ!」 中村さんの言葉に、なぜか笑みがこぼれた。その通りだ。自分でもわかってた。 「他にも受けてるとこあるの?」と梅野さんが優しく尋ねてくる。 「いや、滑り止めも受かんなかったんで……もうダメっすね」 雀卓の空気が少し重くなる。でも、俺自身はそれほど落ち込んでいなかった。むしろ、スッキリした感じさえあった。 「まぁ、来年また挑戦するか、専門学校でも考えるか……」 少し考え込むふりをしたけど、実はもう諦めていた。心のどこかで、俺の青春は麻雀に捧げたものだってわかってた。そして、それは取り返せない。 「よし! 次局、俺の親だ! 宗一郎、お前にトドメを刺してやる!」 中村さんの声で雀卓に活気が戻る。さすがだな、この人は。 *** 三局目、俺は一度も和了れないまま、オーラス親番を迎えていた。 「ツモ!」 中村さんが声を張り上げる。またしても彼の和了だ。この人、今日は調子がいいな。 「はいはい、降参ですよ」と苦笑いを浮かべながら、俺は点棒を払った。 「宗一郎、以前だったらこんな負け方せんかったぞ?」 マスターが横から声をかけてくる。 「そうですかね?」 「あぁ、昔のお前なら悔しがったな。何が足りなかったか、どう打てば良かったか、一人で考え込んでたもんだ」 そうだったな、確かに。一年前の俺は負けるたびに悔しがって、次は勝つぞって燃えてた。麻雀の本を読み漁って、プロの戦術を研究して、卓に戻ってきた。 (……俺、もう勝ちたいとも思わなくなってたのか) なんだか虚しい気持ちになる。受験に失敗したことより、この感覚の方がずっと寂しかった。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第2話「転生、そして戦乱の世界へ」

真っ白な空間。 そんな言葉でしか表現できない場所で、俺は目を覚ました。床も天井も壁もない。ただ、白い何かに包まれている感覚。 「ここは……どこだ?」 声を出したつもりだけど、自分の声が聞こえない。耳がおかしいのか、それとも声が出ていないのか。わからない。 最後に覚えているのは、交差点でトラックに跳ねられたこと。痛みはなかった気がする。一瞬の出来事だった。ってことは、これが死後の世界ってやつなのか? 「天国? 地獄?」 どちらにしても、神様とか閻魔様とかが出てきて審判するんじゃないのか? そんな漫画や小説でよくあるパターンを期待してみたけど、結局誰も出てこなかった。 (まぁ、麻雀に青春捧げて大学落ちた程度じゃ、神様も相手にしてくれないか) なんて自嘲していると、ぼんやりとした映像が浮かんできた。まるで古いテレビの砂嵐がだんだんクリアになってくるような感じで。 映像の中の俺は赤ん坊になっていた。どうやら、これが異世界転生ってやつらしい。転生先は「フェルトリア王国」という国の辺境地域。亡くなった親戚の子を引き取ったという設定で、地方貴族のエストガード家の養子になるらしい。 (おい、これ完全に漫画の設定じゃねえか……) でもまあ、大学落ちて行き場のなかった俺には、これはこれでありがたい話なのかもしれない。 「折角だし、今度は真面目にやってみっか」 白い空間の中で、そう決意した。 *** 「ソウイチロウ! 起きなさい、もう朝よ!」 厚手のカーテンが勢いよく開けられ、まぶしい光が部屋に差し込んできた。木のベッドの上で、俺は顔をしかめながら目を開ける。 「んー……わかったよ、起きる……」 ベッドから這い出るようにして体を起こす。窓際には女性が立っている。エストガード家の使用人、ミーナだ。四十代くらいの、いかにも母親然とした雰囲気の女性。俺が物心ついた頃からずっと世話をしてくれている。 「今日は何の日か覚えてる?」 ミーナが期待を込めた笑顔を向けてくる。 「え? ああ、そうか……俺の15歳の誕生日か」 「そうよ! おめでとう、ソウイチロウ。貴族の子どもとしては、今日から一人前として扱われる大切な日なのよ」 ミーナは嬉しそうに話しながら、用意しておいた服を取り出し始めた。 俺の名前はソウイチロウ・エストガード。まぁ、前世の三崎宗一郎をそのまま持ってきた感じだけど。 そう、実は今日まで、前世の記憶は断片的にしか思い出せなかった。でも、伝説によれば15歳の誕生日に全ての記憶が戻ってくるとか何とか……って言われていた気がする。 そして、起きたばかりの今、すべての記憶が鮮明に甦っていることに気づいた。受験に失敗したこと、麻雀に明け暮れた日々、そして交通事故で死んだこと。すべてが、まるで昨日のことのように思い出せる。 「ありがとう、ミーナ」 着替えながら考える。15年間、この世界で生きてきて、俺は前世と同じく、あまり目立たない子だった。養子だからという理由もあるけど、それ以上に、何をやってもあまり上手くいかない。武芸も学問も中の下くらい。取り柄と言えば、まじめに努力することくらい。 (情けねぇな、二度目の人生でも平凡かよ) でも、そんな自分を受け入れてくれるのがエストガード家の良いところだ。特に義兄のハーバートは、俺にはいつも優しかった。 「ソウイチロウ! 早く食堂に来なさい。みんな待ってるわよ」 ミーナの声で我に返る。急いで支度して、食堂へと向かった。 *** エストガード家の食堂は、それほど豪華ではないけれど、居心地のいい場所だった。テーブルの上には焼きたてのパンや蜂蜜、チーズなどが並んでいる。家長である義父のグレン、義母のリアーナ、そして義兄のハーバートがすでに席についていた。 「おはよう、ソウイチロウ。誕生日おめでとう」 義父のグレンが穏やかな笑顔で言った。50代半ばくらいの、髭の似合う男性だ。 「ありがとうございます、父上」 少し緊張した面持ちで席に着く。 「15歳か……もう立派な青年だな」 義兄のハーバートが言った。22歳の彼は、将来この家を継ぐ人物だ。容姿端麗で、剣術も学問も優れた、まさに理想的な貴族の息子。 「ハーバートほどじゃないですけどね」 自嘲気味に言うと、ハーバートは笑いながら首を横に振った。 「比べることはないさ。それに、今日はお前の日だ。さあ、これを開けてみろ」 テーブルの下から、長方形の箱を取り出して渡してくれた。丁寧に包装された贈り物だ。 「これは……」 開けてみると、中には上質な革で作られた手帳と、美しい装飾が施された羽ペンのセットが入っていた。 「お前、日記をつけるのが好きだったろう? 使ってくれたら嬉しい」 幼い頃から、俺は日記をつける習慣があった。それは前世の趣味ではなく、この世界で生まれてから自然と身についたものだった。何をやっても人より劣る自分を客観的に見つめる方法だったのかもしれない。 「ありがとう、兄さん」 本当に嬉しかった。こんな家族に恵まれて、俺は幸せ者だ。 *** 昼過ぎ、俺は領地の訓練場にいた。貴族の子供たちは、15歳になると基本的な武芸の訓練を受ける。剣術、弓術、馬術などだ。今日は俺の初めての訓練日だった。 「ハァッ!」 木剣を振り上げて、前に踏み出す。しかし、足がもつれて派手に転倒。地面に顔から突っ込んだ。 「プッ、ハハハ! 見ろよ、養子のソウイチロウがまた転んだぞ!」 周りから笑い声が起こる。訓練場には近隣の貴族の子息たちも集まっていて、中にはエストガード家の養子である俺を快く思っていない連中もいる。 「大丈夫か、ソウイチロウ?」 訓練指導役の老騎士、バルトが手を差し伸べてくれた。 「はい……大丈夫です」 埃を払いながら立ち上がる。今日に限った話じゃない。これまで何度か剣の稽古をつけてもらったことはあったけど、毎回こんな調子だった。剣は重いし、動きは鈍いし、センスがないってことだけはよくわかる。 「まあ、初日だ。気にするな」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第3話「タロカという遊戯」

「誕生日パーティーなんて、いいですよ……」 俺の言葉を、義母のリアーナは笑顔で制した。 「そういうわけにはいかないわ。貴族の子どもの15歳の誕生日は社交界デビューの日よ。近隣の貴族たちもみんな来るわ」 エストガード家の居間で、俺は義母に説得されていた。誕生日から3日後、正式な祝賀パーティーを開くという。前世では、誕生日なんて家族で食事する程度だったのに、こっちの世界の貴族社会は面倒くさい。 「でも僕なんかのために……」 「ソウイチロウ、あなたはこの家の一員よ。養子だからといって、遠慮する必要はないわ」 リアーナの優しい言葉に、どうにも反論できない。この家の人たちは俺に本当に優しい。 「……わかりました」 「よろしい。それなら、明日は仕立て屋にも来てもらうから、新しい正装も作りましょう」 義母はそう言って、部屋を出て行った。残された俺は、窓の外を眺めながら溜息をついた。 「やれやれ……」 麻雀やるよりはマシか。そう自分を励ましながら、これから始まる社交界デビューという名の戦場に、内心ビクビクしていた。 *** エストガード家の大広間には、近隣の領主や貴族たちが集まっていた。シャンデリアの明かりが華やかに照らし出す中、正装姿の人々が歓談している。俺もこの日のために作った、緑と金の刺繍が入った正装を身につけていた。少しきつくて息苦しいけど、まあ様になっているはずだ。 「ソウイチロウ、こっちよ」 ハーバートが俺を呼んだ。彼の隣には同年代の青年たちが数人立っていた。 「皆に紹介するよ。こちらがソウイチロウ・エストガード、俺の弟だ」 弟、と紹介されて少し照れる。そして、集まっていた青年たちと順に挨拶を交わした。ヴェルナー子爵家の長男レオン、バーンハルト伯爵家の次男フェリックス、そしてアーデン辺境伯の娘セリア。全員が俺と同じくらいの年齢だった。 「エストガード家の養子と聞いていたよ」 レオンが少し傲慢な調子で言った。その目には、軽い侮蔑の色が見える。ああ、こういうタイプね。前世の高校でもいたよ、生まれだけで人を判断するタイプ。 「そうですね。でも、兄上や父上、母上には恵まれてます」 柔らかく返しつつも、負けない目で見返す。レオンは軽く鼻を鳴らし、視線を逸らした。 「あら、早速喧嘩かしら?」 セリアが割って入ってきた。青いドレスに身を包んだ彼女は、俺と同じくらいの背丈で、銀色がかった金髪が特徴的だ。 「喧嘩じゃないさ、ちょっとした挨拶だ」 フェリックスが和やかに言った。彼は背が高く、赤みがかった茶色の髪をしている。三人の中では一番友好的な印象だ。 「そうだな、それより何か楽しいことをしようぜ」 ハーバートが場の空気を和らげようとした。さすが兄貴、気が利くな。 「賭け事はどう?」レオンが提案した。 「わっ、早速悪い話を始めるな」ハーバートは呆れたように言った。 「いいじゃないか。少額の賭けなら大した問題じゃない」レオンは意に介さないようだ。 「何をするの?」セリアが尋ねた。 「タロカはどうだ?」フェリックスが提案した。 「タロカ?」 俺は初めて聞く言葉に首を傾げた。 「ああ、ソウイチロウはタロカを知らないのか」ハーバートが気づいた様子で言う。 「エストガード領ではあまり流行ってないからな」フェリックスが説明してくれた。「王都発祥の賭け遊戯さ。カードというか、板札を使って遊ぶんだ」 「教えてあげる?」セリアが俺に微笑みかけた。 「え、はい……お願いします」 少し恥ずかしいけど、興味はある。賭け事といえば、前世では麻雀がメインだったからな。 *** 大広間の隅に設けられた小さな卓を囲んで、俺たちは座った。フェリックスがポケットから四角い木箱を取り出し、中から彩色された細長い板札を取り出していく。 「これがタロカ牌だ」 一枚一枚を丁寧に並べていく。札には様々な絵柄が描かれている。数字札、花札、特殊札の3種類があるらしい。 「基本的なルールを説明するね」 セリアが始めた説明は、驚くほど麻雀に似ていた。手持ちの牌を組み合わせて役を作り、先に完成させた人が勝ち。途中で牌を交換したり、場に捨てたり、他のプレイヤーの捨て牌を奪ったりできる。 「なるほど……」 俺は説明を聞きながら、頭の中でルールを整理していった。麻雀と違う部分もあるけど、根本的な発想は近い。手牌の組み合わせ、捨て牌からの読み、場の流れを掴む感覚。 「では、実際に一局やってみようか」 フェリックスが牌を混ぜ始めた。 「掛け金は一人5銀貨でいいか?」レオンが提案した。5銀貨というと、この世界ではそこそこの額だ。労働者の一日分の賃金くらい。 「高すぎないか?」ハーバートが心配そうに言った。「ソウイチロウは初めてだし」 「いいですよ、兄さん」俺は自信を持って言った。「やってみます」 前世での麻雀経験が役に立つかもしれない。それに、何より久しぶりにゲームをする高揚感があった。 「じゃあ、配るぞ」 フェリックスが手早く牌を配り始めた。各プレーヤーに10枚ずつ配られ、残りは山札として中央に置かれる。 *** 「お、いい手が来たな」 レオンが自分の牌を見て、小さく笑った。フェリックスとセリアも表情を変えず、牌を整理している。ハーバートはといえば、少し困ったような顔をしていた。 俺は配られた10枚の牌を見た。 (数字の3、4、5……花の「月」と「星」……特殊札の「騎士」か) 牌の種類と組み合わせを頭の中で整理する。麻雀のように、数字札を同種で並べたり、連番で並べたりする役があるらしい。花札は同種を集めると高得点になる。 「さあ、始めよう」 フェリックスの合図で、ゲームが始まった。最初のプレイヤーであるレオンが山札から1枚引き、手持ちの中から1枚を場に捨てた。 「「槍」を捨てる」 時計回りに順番が進み、セリア、フェリックス、ハーバート、そして俺の番。俺は山札から1枚引いた。 「数字の6か……」 手持ちを見ると、数字の3、4、5があった。これで3、4、5、6と連番が作れる。 (これは……連番役の「小進行」になるな) 捨てるのは「騎士」にしよう。まだ役割がわからないし、他の組み合わせを優先したい。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第4話「将軍との一局」

「アルヴェン将軍が、また来られるそうよ」 朝食の席で、義母のリアーナが言った。誕生日パーティーから一週間が経っていた。 「将軍がですか?」 俺は驚いて顔を上げた。あの日以来、あのタロカの勝負のことを考えない日はなかった。でも、まさか本当に将軍が再訪してくるとは。 「そうだ」義父のグレンが頷いた。「どうやら、お前に会いたいとのことだ」 テーブルの向かいに座っていたハーバートが、口元に笑みを浮かべた。 「ほら見ろ、言った通りだろう。将軍がソウイチロウに興味を持ったんだよ」 「でも、なぜ僕なんかに……」 「謙遜することはないわ」リアーナが優しく言った。「あなたのタロカの腕前は、パーティーの話題になったのよ。特に、相手の手を読む力が素晴らしいって」 俺は照れくさくなって、パンをちぎりながら黙り込んだ。前世の麻雀の経験があるとはいえ、たった一度のゲームでそこまで評価されるとは思わなかった。 「将軍は午後に来られるそうだから、ちゃんと正装しておくのよ」 「はい、わかりました」 朝食を終えた後、俺は自室に戻り、新しく作った緑色の正装を出した。前のよりも少し慣れて、着心地も良くなっている。 (アルヴェン将軍か……一体何の話をするんだろう) 窓の外を眺めながら、俺は考え込んだ。 *** 「ようこそ、将軍」 エストガード家の応接間で、グレンはアルヴェン将軍を迎えた。灰色の髪に整えられた髭、堂々とした体格の男性だ。五十代半ばくらいだろうか。軍服の胸には数々の勲章が輝いている。 「グレン、久しぶりだな」 二人は昔からの知り合いらしく、親しげに挨拶を交わした。 「こちらが私の次男、ソウイチロウだ」 グレンに促され、俺は一歩前に出て丁寧にお辞儀をした。 「ソウイチロウ・エストガード、お目にかかれて光栄です」 「これは立派な青年だ」将軍は満足げに頷いた。「前回はパーティーの喧騒でゆっくり話せなかったが、今日はじっくりと話をしたい」 「どうぞ、こちらにお掛けください」 リアーナが応接間の椅子を勧めた。紅茶とお菓子が用意され、家族と将軍が席に着く。俺も促されるまま、将軍の向かいの席に座った。 「それで、ソウイチロウ」将軍が俺に向き直った。「君のタロカの腕前について、もう少し知りたいと思っている」 「はい……」 俺は緊張しながらも、素直に答えることにした。 「実は、あれが初めてだったんです」 「初めて?」将軍の眉が上がった。「あの読みが初めてのゲームでできるものだとは思えないが」 「まあ、似たような……」 言いかけて、ハッとした。前世の麻雀の話はできない。 「似たような?」 「いえ、なんとなく感覚が掴めたというか……」 将軍はしばらく俺を見つめていたが、やがて納得したように頷いた。 「才能というものは、時に理屈では説明できないものだ。私も若い頃、初めて馬に乗った時に『乗り方を本能的に理解した』と言われたことがある」 「そう、そうなんです」 俺は安堵の息を吐いた。 「それで、将軍は何故僕に興味を?」 「率直に言おう」将軍はカップを置き、真剣な表情になった。「我々の国は今、非常に危険な状況にある。エストレナ帝国の脅威は日に日に増しており、優秀な戦術家を必要としている」 「戦術家……」 「そうだ。君のような読みの才能を持つ者は、戦場で大いに活躍できるだろう」 俺は黙って聞いていた。前世では麻雀の才能すら活かせなかった。それが、この世界では国の命運を握る重要な能力になるかもしれないというのだ。 「とはいえ、一度のゲームだけでは判断できない。もう一度、タロカの対局をしてみないか? 今度は私と」 「えっ、将軍とですか?」 思わず声が上ずった。北方軍の総司令官とゲームをするなんて。 「ご心配なく」将軍は笑った。「私もタロカは大好きなんでね。王都の大会で優勝したこともあるんだ」 それはますます緊張する。素人の俺が相手をするなんて、分不相応だろう。 「あの、私なんかでよろしいのでしょうか……」 「遠慮することはない。君の才能を確かめたいんだ」 グレンとリアーナも励ますように頷き、ハーバートは親指を立てて応援してくれた。 「……わかりました。やらせていただきます」 将軍は満足げに頷くと、懐からタロカの牌が入った箱を取り出した。 「では、始めよう」 *** テーブルの上に、美しい彫刻が施されたタロカ牌が並べられた。前回のものよりも高級感があり、牌の動きもスムーズだ。 「これは王室特製のタロカ牌だ。私の宝物の一つさ」 将軍は牌を丁寧に混ぜながら説明した。 「では、配るぞ」 10枚の牌が俺の前に整然と並べられた。将軍も同じく10枚を手にする。前回と違い、今回は二人での対局だ。 俺は配られた牌を見た。 (数字の2、3、9……花の「月」「雨」「星」……特殊札の「魔術師」「戦士」……う~ん、バラバラだな) 前回ほど良い手ではない。でも、数字の2と3が来ているので、これを伸ばせば「小進行」が狙える。花札も3枚あるので「天体の調和」が狙えるかもしれない。 「若い者が先だ」 将軍の言葉に、俺は頷いて山札から1枚引いた。「数字の4」だ。これは良い。2、3、4と連番になった。 「数字の9を捨てます」 連番と関係ない9を捨てる。将軍は少し考えてから、山札から1枚引き、「花の太陽」を捨てた。 (花札は集めていないのかな?) ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第5話「軍に拾われた少年」

「え……!? ソウイチロウが軍に?」 朝食のテーブルで、ハーバートは驚きの声を上げた。アルヴェン将軍の訪問から3日後、王都からの使者が届けた書状が読み上げられていた。 「そうだ」義父のグレンは厳かな面持ちで頷いた。「王命により、ソウイチロウは北方軍の補佐官見習いに任命された」 テーブルに沈黙が落ちる。俺は自分の耳を疑った。王命? つまり国王陛下の命令で俺が軍に入るというのか? 一度のタロカ対局で、そこまでの話になるとは思ってもみなかった。 「具体的には、どういう……?」 言葉を選びながら尋ねる俺に、義母のリアーナが答えた。 「来週から北方軍総司令部に勤務することになるそうよ。アルヴェン将軍の直属の補佐官見習いとして」 「こんなに急に決まるものなのか?」ハーバートが首を傾げた。 「それだけ、切迫した状況なのだろう」グレンは重々しく言った。「エストレナ帝国との緊張は高まる一方だ。おそらく将軍は、ソウイチロウの才能を一刻も早く活用したいのだろう」 リアーナの目には明らかな心配の色が浮かんでいる。「でも、まだ15歳なのに……」 「戦場には行かせない、と約束してくれたそうだ」グレンがリアーナの手を優しく握った。「少なくとも当面は、司令部での参謀業務が中心になるとのことだ」 ハーバートが俺に向き直った。「どうだ、ソウイチロウ。正直な気持ちは?」 みんなの視線が俺に集まる。胸の内は複雑だった。前世では大学に落ちてしまった駄目な高校生。この世界でも、剣も振れない、魔法も使えない、取り柄のない貴族の養子。それが突然、国の命運を左右するかもしれない重要なポジションに抜擢されるとは。 「正直、不安はあります」 率直に答えた。 「でも……自分にできることがあるなら、やってみたいです」 「そうか」グレンは深く頷いた。「エストガード家の一員として、王国に貢献することは誇りだ。だが、無理はするな。何かあれば、いつでも家に戻っておいで」 「ありがとう、父上」 「わたしは……」リアーナは言葉に詰まったが、すぐに微笑んだ。「あなたを信じているわ。でも、しっかり食事をして、体を大事にするのよ」 「はい、母上」 「ふう、まさか弟が先に軍に入るとはな」ハーバートは苦笑した。「負けてられないな。俺も近々、騎士団の選抜試験を受けるつもりだ」 「兄さんも?」 「ああ。この状況では、エストガード家からも誰かが国に仕えるべきだろう」 家族の誇らしげな表情を見て、俺は深く決意を固めた。前世での失敗を繰り返さない。自分の才能を、今度こそ活かす道を見つけた。 *** 「えっと……ここが北方軍総司令部?」 俺は馬車から降り、目の前の巨大な建物を見上げた。灰色の石造りの要塞のような建物で、フェルトリア王国北方軍の軍旗がはためいている。 「ソウイチロウ様、こちらへどうぞ」 出迎えの兵士に導かれ、俺は緊張しながら建物の中へと足を踏み入れた。正装に身を包み、エストガード家から持ってきた荷物は最小限だ。当面はここで寝泊まりすることになるという。 「将軍がお待ちです」 長い廊下を歩いていくと、途中ですれ違う兵士や士官たちの視線を感じた。好奇の目もあれば、明らかに冷ややかな目もある。 (俺のことを噂してるんだな……) 15歳の少年が補佐官見習いになるというのは、よほど異例なことらしい。耳に入ってくる囁きが、そのことを物語っていた。 「あれが噂の坊ちゃんか?」 「将軍のお気に入りらしいぜ」 「何の経験もない子供が、何をできるっていうんだ」 小さな声で交わされる会話に、俺は肩身の狭い思いをした。まあ、仕方ない。実績もないのに、いきなりこんな立場になったんだから。 (まただな、居場所のない感じ) 前世の高校でも、麻雀にのめり込んでいた俺は少し浮いた存在だった。この世界でも、どうやら最初から孤立しそうだ。 「ここです」 兵士が大きな扉の前で立ち止まり、ノックをした。 「どうぞ」 中から将軍の声がして、扉が開けられた。 *** 「やあ、来たか! ソウイチロウ」 アルヴェン将軍は大きな書斎のような部屋で、俺を迎えた。壁には地図がいくつも貼られ、机の上には書類や模型が散らばっている。 「将軍、ご指名いただき光栄です」 緊張しながらも、礼儀正しく挨拶をする。 「堅苦しくするな」将軍は笑った。「これからは毎日顔を合わせるのだからな」 「はい……」 「さて、早速だが仕事の説明をしよう」 将軍は机の上の地図を指差した。 「これがフェルトリア王国とエストレナ帝国の国境地帯だ。現在、ここで小競り合いが続いている」 複雑な地形が描かれた地図を眺める。山岳地帯や河川、森林など、様々な地形が入り組んでいる。 「お前の仕事は、まず情報の整理と分析だ。敵の動きを読み、次の手を予測する。タロカで見せた才能を、ここで発揮してほしい」 「はい、がんばります」 「最初は見習いとして、先輩の補佐官たちと一緒に仕事をするといい。ここが私の副官、ドーソン少佐だ」 部屋の隅で黙って立っていた中年の男性が一歩前に出た。厳格な表情の、筋肉質な男性だ。 「ドーソンです。よろしく頼む」 微妙に冷たい口調に、この人も俺の抜擢に納得していないんだろうなと感じた。 「よろしくお願いします」 丁寧に頭を下げると、ドーソンは形式的に頷いただけだった。 「それから、こちらは作戦参謀のセリシア・ヴェル=ライン少尉だ」 ドアから入ってきたのは、誕生日パーティーで会った金髪の少女だった。 「セリア……じゃなくて、セリシアさん?」 思わず素の反応をしてしまった。彼女は少し驚いた表情になった。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人