第21話"神童"への疑念」

「これが例の神童か? たった一度の敗北で沈み込むとは、噂ほどの器ではなかったな」 軍本部の廊下で聞こえてきた囁き声。振り返りたい衝動を抑えながら、俺は足早に自室へと向かった。 敗戦から二週間。北方軍本部に戻ってからも、俺を取り巻く空気は微妙に変化していた。かつての「タロカの戦術家」「天才参謀」という称賛は影を潜め、代わりに「幸運だけだった」「単なる将軍のお気に入り」という声が広がっていた。 自室のドアを閉め、俺は溜息をついた。机の上には積み上げられた報告書と分析資料。ラドルフとの敗戦を徹底的に検証するため、様々な角度から情報を集めていた。 「神童……そんなものじゃなかったんだ」 小さく呟き、椅子に腰掛ける。窓の外は雨。滴る雨音がどこか心を落ち着かせた。 ノックの音がして、ドアが開いた。 「エストガード」 フェリナが顔を覗かせた。彼女は最近、情報分析のために頻繁に俺の部屋を訪れていた。 「どうした?」 「これを見てください」 彼女は一枚の報告書を差し出した。東部国境での敗戦後、帝国軍の動向に関する最新情報だ。 「ラドルフの部隊は南に移動……」俺は報告書に目を通しながら呟いた。「彼の狙いは?」 「不明です。しかし、彼が直接指揮を執っている部隊規模を考えると、おそらく次も重要な作戦になるでしょう」 フェリナの分析は的確だった。彼女はラドルフについて誰よりも詳しく、その戦術パターンを熟知していた。 「ありがとう」 報告書を受け取ったとき、廊下から声が聞こえてきた。 「緊急会議だ。参謀全員集合せよ」 フェリナと顔を見合わせ、俺たちは急いで会議室へ向かった。 *** 「諸君、重大な問題が発生した」 アルヴェン将軍は厳しい表情で切り出した。会議室には北方軍の主要参謀たちが集まっていた。 「南部要塞が帝国軍の奇襲を受け、陥落した」 その言葉に、室内がざわめいた。南部要塞は北方軍の重要拠点の一つ。そこが陥落したということは、王国の防衛線に大きな穴が開いたことを意味する。 「現在、敵はさらに進軍を続けている。このままでは王都への侵攻路が開かれる恐れがある」 将軍は地図を指さした。赤い印が帝国軍の進軍ルートを示している。 「南部要塞を指揮していたのは?」 ある参謀が尋ねた。 「ヘイゼン少将だ」 将軍の声には苦々しさが滲んでいた。ヘイゼン少将は経験豊富な将軍であり、南部要塞が落ちるというのは想定外の事態だった。 「詳細はまだ不明だが、内通者の存在が疑われる」 その言葉に、会議室の空気が凍りついた。先日の敗戦でも将軍は内通者の可能性に触れていた。これが二度目の言及だ。 「南部要塞の防衛計画は極秘だったはずだ。それが帝国軍に漏れていた」 参謀たちは互いに顔を見合わせた。軍内に裏切り者がいるという事実は、互いへの不信感を生み出す。 「次の対応策だが」将軍は続けた。「南部からの進軍を阻止するため、ブラックリッジ峠に防衛線を構築する。指揮はモートン中将が執る」 モートン中将は保守派の筆頭格。伝統的な軍学を重んじる古参将校だ。 「また」将軍は一瞬躊躇ったような表情を見せた。「保守派顧問会議から要請があった」 「要請?」 「ああ。敗戦後の軍の士気低下を懸念し、『参謀資質の再評価』を行うべきだという」 その言葉に、俺は背筋が凍るのを感じた。「参謀資質の再評価」——それは明らかに俺を標的にしたものだった。 「将軍、それは」セリシアが口を開いた。「エストガード補佐官の評価を下げるための政治的動きではありませんか?」 「そう見るのが自然だろう」将軍も認めた。「だが、顧問会議は形式上の権限を持つ。一度の敗戦で動揺するような軍であってはならないという建前で、彼らは再評価を求めている」 俺は黙って聞いていた。保守派が俺を快く思っていないのは知っていた。若年での抜擢、タロカという異端の戦術、そして将軍のお気に入りという立場——すべてが彼らの反感を買う要素だった。 「演習試験を行う」 将軍が最終的な判断を下した。 「エストガード補佐官の戦術眼を改めて評価するため、仮想戦演習を行う。相手はローゼン少佐だ」 ローゼン少佐——軍学校出身のエリート将校で、保守派に連なる実力者。彼は伝統的な軍学の達人として知られ、演習では常に高い評価を得ていた。 「二日後に演習計画を提出し、一週間後に実施する」 会議は緊張した空気の中で終了した。退室する際、何人かの参謀が俺を見る目には、あからさまな冷笑が浮かんでいた。 「一度負けただけで、こんな仕打ちか」 廊下で足を止めた俺に、セリシアが近づいてきた。 「彼らはあなたを始めから警戒していた。敗戦は、あなたを貶める口実に過ぎないわ」 「わかってるよ」 「この試験は公平とは限らない」彼女は真剣な表情で忠告した。「彼らはあなたを失脚させるために、あらゆる手段を講じるでしょう」 「情報漏洩の話もそうだな。俺を疑わせるための布石かもしれない」 「その可能性もある。だから用心して」 彼女の忠告を胸に、俺は自室に戻った。窓辺に立ち、雨に濡れる訓練場を見下ろす。 「運だけか?」 自問自答を繰り返す。確かにラドルフとの戦いでは完敗した。だが、それ以前の勝利は確かに存在する。あれは単なる運ではなかったはずだ。 「エストガード殿」 ドアをノックする声がした。開けると、フェリナが立っていた。 「フェリナ、また何か?」 「試験のことを聞きました」彼女の声は静かだが、その目は怒りを隠せていなかった。「卑怯な真似をする連中です」 「卑怯と言うほどでもない。この世界ではよくあることさ」 前世でも、麻雀の世界では新興勢力や異端の打ち手はしばしば排除の対象となった。人間社会に普遍的な摩擦だ。 「でも、これも負けるわけにはいかない」 「エストガード殿」 「負け犬の遠吠えに負ける気はない」俺はフェリナに向き直った。「この試験、必ず勝ってみせる」 彼女は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑んだ。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第21話「"神童"への疑念」

ギアラ砦への道中、俺たちの一行は快調に進んでいた。約500名の兵力と共に、俺とシバタ大尉、セリシア、そしてフェリナが馬に乗って隊列の先頭を行く。出発から二日、あと一日でギアラ砦に到着する予定だ。 「ソウイチロウ」 横から声をかけられて振り返ると、セリシアが馬を並べてきた。 「どうした?」 「作戦はもう決まったの?」彼女は真剣な表情で尋ねた。 「大枠はね」俺は頷いた。「ラドルフの『魂の鎖』の弱点を突く作戦だ」 「具体的には?」 「まず、砦内の兵と合流して約700名の戦力を確保する」俺は説明した。「その上で、敵の注意を分散させる複数の小規模な動きを仕掛ける。ラドルフが『支配』できる範囲は限られているから、彼の制御が及ばない状況を作り出せれば勝機はある」 セリシアは考え込むように俺の言葉を聞いていた。 「理にかなってるわね」彼女は頷いた。「でも、相手も前回の戦いから学んでいるはず。同じ弱点を見せるとは思えないわ」 「そうだね」俺も同意した。「だから柔軟に対応できるよう、いくつかのパターンを用意している」 二人で作戦の詳細を話し合っていると、前方に小さな村が見えてきた。休憩と補給のために立ち寄る予定の場所だ。 村に入ると、住民たちが不安そうな表情で俺たちを見つめていた。兵站担当の士官が村長と交渉し、水と食料の補給が始まった。 俺は馬から降り、少し足を伸ばすことにした。村の広場には井戸があり、そこで水を飲もうとしていると、近くで人々の話し声が聞こえてきた。 「あれが噂の"戦術の神童"かい?」 「若いね、本当に彼がラドルフと戦うのか?」 「サンガード要塞でも敗れたって聞いたが……」 「運だけだったんじゃないか、あいつの勝利は」 思わず足を止めた。村人たちが俺について話しているのは明らかだ。そして、その評価は芳しくない。 (そうか……噂は広まっているんだな) 少し胸が痛んだが、仕方のないことだ。サンガード要塞での敗北は事実。それを知った人々が疑念を抱くのも当然だろう。 「気にするな」 背後からシバタ大尉の声がした。彼も同じ会話を聞いていたようだ。 「はい……」俺は振り返って答えた。「でも、皆が疑っているというのは事実ですね」 「民間人だけではない」大尉は静かに言った。「軍内部でも、君への疑念の声がある」 少し驚いて大尉を見た。彼は真剣な表情で続けた。 「特に保守派の士官たちはな」大尉は少し声を落とした。「『若すぎる』『経験不足』『運だけ』……色々と言われている」 「そうですか……」 士官たちからの反感は、以前から感じていた。特に年長者たちは、俺のような若輩者が重要な地位を得たことに不満を持っている。サンガード要塞での敗北は、彼らにとって格好の攻撃材料となったのだろう。 「そういえば」大尉はさらに続けた。「ギアラ砦に向かう途中で、ある儀式があるんだ」 「儀式?」 「ああ」大尉は少し困ったような表情を見せた。「俺からは言いづらいのだが……指揮官任命前の査定というものがある」 胸がざわついた。査定とは何だろう。また試されるのか。 「詳しく教えてください」 「ルナン平原に到着したら、演習試験を行うことになっている」大尉は説明した。「これは新任指揮官の能力を確認するための伝統的な儀式だ」 「演習……試験?」 「模擬戦だ」大尉はきっぱりと言った。「君は一方の軍を率い、もう一方はローゼン少佐が率いる。勝敗を競うわけではないが、指揮能力を見るためのものだ」 ローゼン少佐——軍学校首席卒業の秀才で、戦術理論に精通した人物だと聞いている。強敵だ。 「これは正式な手続きなのか、それとも……」 「正直に言おう」大尉の表情が厳しくなった。「これは保守派が仕組んだものだ。君の能力に疑問を呈し、公の場で試そうとしている」 なるほど、そういうことか。サンガード要塞での敗北を受けて、「神童」の評価に疑問を持つ勢力が動いたのだ。 「この試験は公平とは限らない」大尉は忠告した。「用心したほうがいい」 「わかりました」俺は頷いた。「でも、受けて立ちます」 大尉は少し微笑んだ。 「その答えを期待していた」彼は言った。「負け犬の遠吠えに負ける気はないというわけだな」 「はい」俺は自信を持って答えた。「もう一度、皆に認めてもらいます」 休憩を終え、一行は再び馬に乗って出発した。途中、セリシアとフェリナにも演習試験のことを伝えた。 「なんてこと」セリシアは怒りを隠さなかった。「これは明らかに罠よ」 「そうですね」フェリナもしかめっ面で言った。「ローゼン少佐は戦術理論の権威。しかも、今回は彼が有利になるよう設定されているはずです」 「わかってる」俺は二人を見た。「でも、これも乗り越えなければ、本当の敵には勝てない」 二人は黙って頷いた。彼女たちもその通りだと理解しているようだ。 日が傾き始め、一行は野営地を設営した。夕食後、俺は一人、小さな丘に登って星空を見上げていた。明日はルナン平原に到着し、演習試験が行われる。その後、すぐにギアラ砦に向かう予定だ。 (“勝ち"じゃなく、“意味のある一手"を打てるかどうかだ) 内心でそう呟いた。もう単純な勝ち負けだけを考える段階ではない。より深く、より遠くを見据えた戦いが必要だ。 「やっぱりここにいた」 フェリナの声がして、振り返ると彼女が丘を登ってきた。 「星を見ていたんだ」俺は言った。 「きれいね」彼女も星空を見上げた。「明日の試験のこと、考えてるの?」 「ああ」俺は正直に認めた。「負けるわけにはいかないと思ってる」 「勝ちたい気持ちは理解できるけど」フェリナは静かに言った。「これはギアラ砦の戦いのための準備でもあるわ。全力を出し切ってしまうのは危険かもしれない」 鋭い指摘だ。確かに、この演習で全ての戦術を見せてしまうと、それがラドルフの耳に入る可能性もある。 「そうだね」俺は頷いた。「かといって、わざと負けるわけにもいかない。難しいバランスだ」 「あなたなら大丈夫」フェリナは微笑んだ。「『読み』の才能があるんだから」 彼女の信頼に、心が温かくなった。 「ありがとう」 二人は暫く星空を見上げていたが、やがてフェリナが話し出した。 「実は……もう一つ心配なことがあるの」 「何?」 「この演習試験は本来、将軍の許可が必要なはず」彼女は眉をひそめた。「でも、将軍はサンガード要塞にいて、許可を出していない可能性がある」 「つまり、非公式な試験?」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第22話「戦場演習、開戦」

ギアラ砦は山間の狭い峡谷を押さえる、厳めしい石造りの要塞だった。両側を切り立った崖に囲まれ、正面に唯一の大門を持つその姿は、まるで岩山から生えた巨大な牙のようだ。 「到着したな」 シバタ大尉が馬を止め、砦を見上げた。俺たち一行は昼過ぎに砦の前にたどり着いた。演習試験から一日、全軍が疲れた様子を見せながらも、無事に目的地に到着したことに安堵の表情を浮かべている。 「開門! 北方軍の援軍だ!」 大尉の声に応じ、砦の大門がゆっくりと開いた。重厚な木の扉が軋む音と共に、内部の様子が見えてくる。兵士たちが整列し、我々を迎え入れる準備をしていた。 門をくぐると、砦の中庭に入った。中庭は意外に広く、何百人もの兵が訓練できるスペースがある。周囲には兵舎や倉庫、作戦室などの建物が立ち並んでいた。 砦の指揮官であるグレイスン大佐が前に出て、シバタ大尉と挨拶を交わす。彼は風格のある中年の男性で、厳しい目をしているが、疲労の色も見える。 「よく来てくれた」大佐は安堵の表情で言った。「もう少し遅れていたら……」 「状況は?」大尉が尋ねた。 「帝国軍は砦の南約5キロに陣を張っている」大佐は言った。「まだ攻撃は始まっていないが、哨戒によれば明日にも動き出す様子だ」 俺たちも馬から降り、大佐に挨拶した。 「こちらがソウイチロウ補佐官だ」大尉が俺を紹介した。「今回の砦防衛の指揮を任されている」 グレイスン大佐は少し驚いたような、そして評価するような目で俺を見た。 「若いな」彼はぶっきらぼうに言った。「サンガード要塞で戦ったという噂は聞いている」 「はい」俺は敬礼した。「至らない点も多いですが、全力を尽くします」 大佐はしばらく俺を見ていたが、やがて軽く頷いた。 「兵の命を預かる重さを知っているようだな」彼は言った。「それだけでも安心だ」 彼の言葉に、少し緊張が解けた。グレイスン大佐は表面上は厳しそうだが、公平な人物のようだ。 「では、作戦室で状況を確認しよう」大佐は言った。「兵たちは休息を取らせろ」 シバタ大尉、セリシア、フェリナと共に、俺たちは作戦室へと向かった。兵士たちは各自の持ち場に散り、疲れた体を休める。 作戦室には大きな地図が広げられ、敵と味方の配置が示されていた。グレイスン大佐が状況を説明する。 「現在の砦の兵力は約200名」彼は言った。「これに君たちの500名を加えて、約700名となる」 「敵は?」俺が尋ねた。 「少なくとも1500」大佐は厳しい表情で答えた。「赤眼の魔将」ラドルフが直接指揮している」 数では圧倒的に不利だ。しかし、砦という地の利がある。どちらに分があるかは、一概には言えない。 「砦の構造と防衛体制は?」シバタ大尉が尋ねた。 グレイスン大佐は砦の詳細な構造を説明した。主要な防衛ポイントは大門、東西の塔、そして裏手の小さな裏門だ。食料と水の備蓄は2週間分、武器や弾薬も十分にある。 「ラドルフの動きは?」俺が尋ねた。 「奇妙なほど静かだ」大佐は眉をひそめた。「彼らは陣を敷いてから、ほとんど動いていない。まるで……何かを待っているようだ」 その言葉に、一瞬の違和感を覚えた。ラドルフのような戦術家が、単に時間を無駄にするとは思えない。何か策があるはずだ。 「偵察の報告は?」セリシアが尋ねた。 「定期的に斥候を出しているが、特に変わった動きはない」大佐は答えた。「ただ……」 「ただ?」 「斥候の一部が戻ってこなかった」大佐の表情が曇った。「捕まったか、最悪の場合は……」 敵に捕らえられたか、命を落としたか。どちらにせよ良い知らせではない。 「では、防衛計画を立てましょう」俺は地図に向き直った。 全員で砦の防衛策を議論した。主力は大門の防衛に置き、東西の塔には弓兵を配置。裏門には小部隊を置き、不測の事態に備える。 「あと一つ、気になることがあります」フェリナが口を開いた。「ラドルフの『魂の鎖』についてですが……」 「魂の鎖?」グレイスン大佐が訝しげに尋ねた。 俺たちはラドルフの特殊な能力について説明した。兵士たちの精神を支配する禁忌の魔術、その効果と限界について。 「そんな力があるのか……」大佐は驚きを隠せなかった。「だから彼の軍は異様なほど統制がとれているのか」 「はい」フェリナは頷いた。「しかし、その力には限界があります。彼から離れるほど効果は弱まり、範囲外の兵士には効きません」 「それを利用した作戦が必要ですね」俺は言った。「彼の『支配』が及ばない状況を作り出せば、勝機はある」 議論は続き、日が傾いていった。最終的な防衛計画が決まり、各自の役割が定められた。 「では、兵に指示を出そう」グレイスン大佐が言った。「明日以降、激しい戦いになるだろう」 指示を受けた兵士たちは、それぞれの持ち場に向かっていった。俺もセリシアとフェリナと共に、砦の各所を巡回して状況を確認した。 砦内の兵士たちの様子を見ていると、少し気になることがあった。彼らは俺たちを見るたびに、小声で何かを話し合っている。特に俺を見る目が、懐疑的だ。 「気にするな」セリシアが小声で言った。「噂は広まっているんだろう。サンガード要塞のことや、あなたの若さのことを」 「そうだね」俺は頷いた。「仕方ないよ。結果で証明するしかない」 夕食時、食堂では険悪な空気が漂っていた。援軍として来た俺たちの兵と、元々砦にいた兵との間に壁があるようだ。別々のテーブルに分かれて食事をし、交流は最小限だった。 「このままじゃまずいな」シバタ大尉も心配そうに見ていた。「戦う前から内部分裂では勝てない」 「何か方法はないでしょうか」俺は尋ねた。 大尉はしばらく考え込んでいたが、やがて立ち上がった。 「兵たちの前で話をしよう」彼は言った。「ソウイチロウ、君も来い」 大尉と共に食堂の中央に立つと、徐々に兵士たちの会話が静まっていった。 「諸君」大尉は力強い声で言った。「明日からの戦いに向けて、一つ言っておきたいことがある」 全員の視線が大尉に集まる。 「我々は皆、同じ王国の兵士だ」彼は続けた。「援軍も砦の兵も、命を賭けて戦う仲間だ。互いに信頼し合わなければ、勝利はない」 兵士たちの間でざわめきが起きた。 「ソウイチロウ補佐官について、様々な噂が広まっていることは知っている」大尉は俺を見た。「若すぎる、経験が足りない、運だけだ、などとな」 食堂が静まり返る。 「だが、私は彼と共に戦った」大尉はきっぱりと言った。「彼の『読み』の才は本物だ。サンガード要塞での敗北も、より強くなるための糧となった」 兵士たちの表情が少しずつ変わっていく。 「明日から始まる戦いは厳しい」大尉は言った。「だが、一丸となって戦えば、必ず勝てる。全員の命と、この砦を守るために」 大尉の言葉が終わると、一人の年配の兵士が立ち上がった。 「大尉殿のおっしゃる通りです」彼は深い声で言った。「我々も噂に惑わされるべきではない。明日からは一つの軍として戦いましょう」 少しずつ、兵士たちの間に融和の空気が広がっていった。別々に座っていた兵士たちが席を移動し始め、会話も活発になる。 「ありがとうございます」俺は大尉に感謝した。 「互いに信頼し合える環境を作るのも、指揮官の役目だ」大尉は言った。「明日から彼らは君の指示で動く。信頼関係は必須だ」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第22話「戦場演習、開戦」

「演習開始まであと一時間だ」 バレン大尉が時計を確認しながら告げた。彼は今回の演習で俺の副官を務めることになった若手将校だ。保守派とは距離を置く中立的な立場で、公平な人選だと言えた。 「準備は整っているな?」 「はい、エストガード補佐官。兵士たちへの指示も完了しています」 西の訓練場——北方軍本部から十キロほど離れた広大な演習場。ここで「参謀資質の再評価」が行われる。実弾は使わないが、それ以外は実戦さながらの条件下で行われる本格的な演習だ。 「彼らは何を見ているのだろうな」 俺は小さく呟いた。演習場の高台には監視塔が設けられ、アルヴェン将軍を含む高官たちが戦況を見守る。彼らの判断が、今後の俺の立場を左右することになる。 麻雀の対局でも、周りに観戦者がいると打ち方が変わることがある。相手だけでなく、見ている人も意識しなければならない。今回も同じだ——敵と戦いながら、審判にも見せなければならない。 「敵の構成は?」 「ローゼン少佐率いる赤軍。我々と同規模の三個中隊とその支援部隊です」 バレン大尉は地図を広げ、説明を続けた。 「地形は丘陵と小規模な森林が点在する平原。中央には小川が流れています」 俺は地図を見つめながら、自分の戦術を最終確認した。過去一週間、ローゼン少佐の戦術パターンを徹底的に分析し、対策を練ってきた。彼は伝統的軍学の専門家で、定石通りの堅実な戦術を好む。しかし、だからこそ予測可能でもある。 「我々は青軍として東側から進軍する。目標は赤軍の旗を奪取するか、彼らの『司令官』を『撃破』すること」 演習の勝利条件はシンプルだ。旗の奪取か、相手司令官(今回はローゼン少佐)の撃破。撃破とは、演習用の特殊染料弾で命中させることを意味する。 「最後の確認をしよう」 俺は兵士たちの前に立った。彼らは通常の部隊ではなく、演習のために特別に編成された混成部隊だ。ベテランもいれば新兵もいる。そして、彼らの多くは俺のことをよく知らなかった。 「ローゼン少佐は定石に忠実な指揮官だ。我々は彼の期待を裏切る戦術で挑む」 兵士たちの表情には懐疑的なものもあれば、好奇心に満ちたものもあった。十五歳の少年が彼らを指揮するという状況に、まだ馴染めていないようだった。 「我々の戦術は『流れの変転』。まず、通常の前進で敵の注意を引き、次に右翼からの奇襲を仕掛ける。そして、それすらも囮とする」 説明を続けながら、俺は兵士たちの反応を注意深く観察していた。彼らの目に宿る疑念、そして一部に見える期待。 「エストガード補佐官、質問があります」 一人の中年の軍曹が手を挙げた。 「兵力の分散は危険ではありませんか? 定石では主力を集中させるべきとされています」 「その通りだ。だからこそローゼン少佐はそれを期待している。我々は彼の期待を裏切るのだ」 軍曹は納得したとは言えない表情だったが、それ以上の質問はなかった。 「各隊の指揮官は、詳細な計画書を受け取っているはずだ。それに従って行動してほしい」 兵士たちは敬礼し、それぞれの持ち場に散っていった。 「彼らは懐疑的ですね」 バレン大尉が小声で言った。 「当然だろう。俺は敗北した参謀だからな」 「いいえ、それだけではありません。あなたの戦術が……異端だからです」 彼の言葉には非難の色はなく、ただ事実を述べているだけだった。 「異端か……それも悪くないな」 俺は微笑んだ。異端者——前世の麻雀でも、型破りな打ち方で周囲を驚かせることはあった。それが時に勝利をもたらした。 「しかし、彼らは命令に従うでしょう。それが兵士というものです」 バレン大尉の言葉に頷き、俺は準備を続けた。 *** 「演習開始!」 合図の砲声が響き渡り、両軍の動きが始まった。監視塔からは白い旗が振られ、それが演習の公式開始を告げる。 バレン大尉と共に小高い丘の上に立ち、俺は部隊の動きを見守った。計画通り、我々の青軍は一見すると堂々とした正面突破を試みているように見える。 「第一中隊、予定通り前進中。第二中隊、右翼への展開を開始」 バレン大尉が伝令兵からの報告を受け、俺に伝えた。 「敵の動きは?」 「赤軍は中央部に主力を配置し、迎撃態勢を整えています。ローゼン少佐らしい堅実な布陣です」 「予想通りだ」 俺は小さく頷いた。ローゼン少佐は教科書通りの対応をしている。正面からの攻撃に対し、堅固な防衛線を敷く。彼は我々の右翼からの攻撃を予測していないようだった。 だが—— 「第三中隊に伝令を。『朔』の準備を進めよ」 「了解しました」 バレン大尉は伝令兵に指示を出した。「朔」とは、今回の作戦における第三の動き——左翼からの迂回奇襲を意味する暗号だ。右翼攻撃が囮であることを、敵に悟られないための秘策。 戦場に視線を戻すと、我々の第一中隊が赤軍と最初の接触を始めていた。演習用の染料弾が飛び交い、両軍の兵士が次々と「戦闘不能」となる。 「第二中隊、いよいよ動き始めましたね」 バレン大尉の言葉通り、右翼から迂回した第二中隊が赤軍の側面に接近していた。当初の計画では、この攻撃で敵の陣形を崩し、勝機を得る予定だった。 しかし、俺は違う見立てをしていた。 「今だ」 その瞬間、赤軍の布陣に変化があった。彼らは右翼からの攻撃を予測していたかのように、迅速に対応部隊を移動させ始めた。 「彼らは我々の動きを読んでいる」 バレン大尉が驚いた声を上げた。 「いや、読まれることを予期していた」 俺は静かに答えた。このターンでローゼン少佐は「隠された一手」を見せた。彼の戦術は堅実なだけでなく、相手の奇襲も想定していたのだ。 「しかし……」バレン大尉は戸惑いを隠せない。「それでは第二中隊は危険です!」 「心配はいらない。第二中隊は戦術的後退を実行する。それにより敵の追撃部隊を引き出す」 計画通り、第二中隊は接触後すぐに撤退を始めた。赤軍は勝機と見てか、予想以上の兵力で追撃に出た。 「敵の布陣に隙が生まれています」 「今だ。第三中隊に『朔』の実行を命じろ」 バレン大尉が伝令を送る間、俺は戦場の全体像を頭に描いていた。まるでタロカの卓を見るように、牌の配置と流れを感じ取る。 左翼に隠されていた第三中隊が動き出した。第一、第二中隊の動きに気を取られた赤軍は、この第三の動きに気づくのが遅れた。 「奴を引き出せ」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第23話「勝機は手の内に」

二日目の朝、俺は早くに目を覚ました。夜明け前の砦は静寂に包まれ、兵士たちもまだ眠っている。しかし、この静けさは長くは続かないだろう。今日、ラドルフは本格的な攻撃を仕掛けてくるはずだ。 砦の高い見張り台に上り、敵陣を観察する。朝靄の中、敵の陣営ではすでに動きが見えた。彼らも早くから準備を始めているようだ。 「やはり眠れなかったか」 背後から声がして振り返ると、シバタ大尉が立っていた。 「ええ、少し」俺は微笑んだ。「緊張もしますし」 「当然だ」大尉は隣に立ち、共に敵陣を見た。「今日は本格的な攻撃が来るだろう。ラドルフは昨日、我々の防衛体制を探っていたに過ぎない」 「そう思います」俺も頷いた。「昨夜、防衛計画を見直しましたが、やはり柔軟な対応が必要です」 昨晩、俺は遅くまで防衛計画を練り直していた。固定的な防衛線ではなく、状況に応じて兵力を移動させる戦術だ。砦の内部に予備兵力を配置し、敵の攻撃に合わせて素早く対応する。 「すでに指示は出したのか?」大尉が尋ねた。 「はい、グレイスン大佐にも了承いただき、各隊長に説明しました」 大尉は満足そうに頷いた。 「素晴らしい判断だ」彼は言った。「ラドルフの正面攻撃に対応しつつ、別の狙いにも備える。まさに『読み』の戦術だな」 その言葉に、少し照れくさくなった。確かに、この戦術は麻雀での経験が活きている。相手の手を読みながら、自分の手も整えていく。 「あれは……」大尉が突然声を上げた。 敵陣で大きな動きがあった。赤い旗を中心に、兵士たちが整列し始めている。その中央に、赤い鎧を身につけた騎士の姿が見える。 「ラドルフだ」俺は双眼鏡で確認した。 遠くからでも、彼のオーラは強く感じられる。兵士たちが彼の周りで完璧な隊形を作り、まるで一つの生き物のように動いている。 「『魂の鎖』の効果か……」大尉が呟いた。「恐るべき力だ」 朝日が昇り、靄が晴れてくると、敵の全容がはっきりと見えてきた。昨日よりも整然とした布陣で、明らかに本格的な攻撃の準備をしている。 「全軍に警戒を」俺は決断した。「敵が攻撃態勢に入った」 伝令が走り、砦全体に警報が広がった。兵士たちが次々と持ち場に就き、緊張した面持ちで敵を見つめている。 セリシアとフェリナも合流した。 「敵の配置が変わったわ」セリシアが報告した。「昨日よりも明確に三方向からの攻撃態勢だわ」 「主力は南正面、そして東西に分散兵力」フェリナが言った。「裏門も狙っているはずよ」 俺は状況を分析した。ラドルフは昨日の経験から、砦の弱点を把握している。特に裏門が狙われるのは確実だ。 「セリシア、あなたは大門の指揮を」俺は指示した。「フェリナ、情報収集を続けて、敵の動きを逐一報告してくれ」 二人とも頷き、それぞれの持ち場に向かった。 「大尉」俺は続けた。「あなたには、予備兵力の指揮をお願いします」 「了解した」大尉も頷いた。「君の指示があれば、いつでも動ける態勢を取る」 全ての準備が整い、後は敵の動きを待つのみとなった。 そして、敵陣から角笛の音が響いた。攻撃開始の合図だ。 「来るぞ!」グレイスン大佐が大声で叫んだ。 敵軍は一斉に動き出し、三方向から砦に向かって進軍してきた。主力部隊は南正面の大門に向かい、残りは東西の壁に向かう。 「弓兵、準備!」大佐が命じた。 砦の壁の上では、弓兵たちが弓を構えて敵の接近を待つ。敵が射程距離に入るまで、あと少し。 「発射!」 大佐の命令で、弓兵たちが一斉に矢を放った。空を裂く音と共に、矢の雨が敵の前列に降り注ぐ。 幾人かの敵兵が倒れたが、全体の進軍に乱れはない。彼らは機械のような精度で前進を続ける。 「もう一度、発射!」 再び矢が放たれ、さらに敵兵が倒れた。しかし、まるで穴を埋めるように、後列の兵士たちが整然と前に進む。 敵は砦の壁の下に到達し、攻城梯子を立て始めた。同時に、大門には破城槌を持った部隊が接近している。 「大門の防衛を固めろ!」セリシアの声が響いた。「破城槌を止めろ!」 兵士たちは必死に応戦する。壁の上からは石や槍が投げられ、梯子を登ろうとする敵兵を撃退する。大門の前では、破城槌を止めようと特殊部隊が出撃した。 俺は砦の中央の塔から全体の戦況を見渡していた。表の戦いは激しいが、まだ持ちこたえている。しかし、気になるのは裏側の状況だ。 「フェリナ」俺は呼びかけた。「裏門の様子は?」 「まだ攻撃は始まっていません」彼女は報告した。「しかし、敵の小部隊が東の崖沿いを移動しているのが見えます」 予想通り、裏門も狙われるようだ。しかし、昨日と比べて敵の動きに微妙な違いがある。より計画的で、隠密性が高い。 「シバタ大尉」俺は連絡した。「予備兵力の一部を裏門に回してください。敵の動きが見えます」 「了解」大尉の声が返ってきた。 戦いは激しさを増していった。正面では、敵の一部が壁を乗り越え、砦内との接近戦が始まっている。セリシアの指揮の下、兵士たちは必死に押し返している。 そのとき、裏側から騒がしい声が聞こえた。 「敵襲! 裏門が破られた!」 予想通りの事態だが、予想より早かった。急いで裏門に向かうと、既に激しい戦闘が始まっていた。敵約100名が裏門を破り、砦内に侵入しようとしている。 「シバタ大尉!」俺は叫んだ。 「すでに対応中だ!」大尉の声が返ってきた。 予備兵力が急いで裏門に集結し、侵入してきた敵と交戦する。俺もその場で指揮を取り、防衛線を整えた。 「この扉を中心に防衛線を!」俺は命じた。「敵を中庭に入れるな!」 兵士たちは必死に戦い、何とか敵の進軍を食い止めている。しかし、このままでは時間の問題だ。敵の数が多すぎる。 そのとき、フェリナが走ってきた。 「ソウイチロウ! 新たな動きがあるわ!」彼女は息を切らせて言った。「西側の崖下から別働隊が現れました! 約50名、砦の死角から登っています!」 事態は悪化している。三方向からの攻撃に加え、新たな侵入経路まで。このままでは砦の防衛線が持たない。 だが、ここで諦めるわけにはいかない。 「大尉」俺は連絡した。「西側に予備兵力の一部を回してください。残りは裏門の応援を」 「了解だ」大尉の声には緊張が混じっていた。「だが、これ以上兵力を分散させれば……」 「わかっています」俺は言った。「しかし、今は全ての侵入口を塞ぐしかありません」 戦況は厳しさを増すばかりだった。正面では敵が大門を破ろうと猛攻を仕掛け、裏門では既に一部が砦内に侵入している。さらに西側からも新たな脅威が。 (まるで将棋の王を詰ませるように……) ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人