第18話「赤眼の男」
北東の森への撤退も思うようには進まなかった。森の入り口付近で帝国軍の別働隊と遭遇し、新たな戦闘が始まったのだ。 「我々は完全に読まれていた」 バーンズ中佐が苦々しい表情で呟いた。彼の顔には疲労と絶望が刻まれていた。 俺たちの部隊は大きく損耗し、統制も失われつつあった。現在、森の中の小さな空き地に一時的な指揮所を設け、残存兵力の再編と次の撤退路の検討を行っている。 「エストガード補佐官」 中佐が俺を呼んだ。その声には非難の色が混じっていた。 「あなたの戦術は完全に裏目に出た。何か言うことはないのか?」 答えに窮する俺の傍らで、ようやく合流できたセリシアが言葉を挟んだ。 「敵の指揮官はラドルフ・ゼヴァルド。彼の戦術は通常の予測を超えています」 彼女の表情も疲れていたが、冷静さは失っていなかった。 「言い訳には聞こえんな」中佐は厳しく言った。「結果として、我々は大損害を被っている」 外では兵士たちが次々と運ばれてくる。負傷者の呻き声、医療班の慌ただしい動き、そして時折聞こえる「もう手遅れだ」という絶望的な声。 「私の責任です」 俺は静かに頭を下げた。自分の戦術が失敗し、多くの兵士が犠牲になったという現実。それは重い。 「中佐、敵の南側部隊が森に接近中です」 見張りの報告に、指揮所内の空気が緊張に包まれた。 「どれくらいの規模だ?」 「小隊規模です。しかし……」 見張りは言葉を詰まらせた。 「なんだ、言え」 「黒装の騎士が一人、先頭にいます」 セリシアの表情が強張った。 「ラドルフ……」 その名を聞いただけで、指揮所内の空気が凍りついた。 「どこからそう判断した?」 中佐が尋ねると、見張りは少し気まずそうに言った。 「赤い目が……遠くからでも見えました」 俺は中佐に向き直った。 「私が会いに行きます」 「何を言っている?」 「ラドルフに。彼は交渉に来たのでしょう。さもなければ、この小規模な部隊で接近してくるはずがありません」 「馬鹿げた話だ。あの男が交渉など——」 「いいえ、それは彼のやり方です」 セリシアが割り込んだ。 「ラドルフは時に直接敵将と会見し、降伏を勧告することがあります。それは彼の『支配』の儀式のようなものです」 中佐は苦悩の表情を浮かべた後、短く頷いた。 「わかった。だが私も同行する」 「いいえ、私一人で」 俺は強く主張した。 「私の戦術が招いた失敗です。責任は私が取るべきです」 中佐とセリシアは互いに顔を見合わせた後、渋々同意した。 「十五分。それ以上は待たん。それまでに戻らなければ、我々は残存兵力で最後の突破を図る」 中佐の厳しい言葉に頷き、俺は森の境界へと向かった。 *** 森の端に立つと、そこには黒い装甲に身を包んだ騎士と、数人の兵士が待っていた。騎士は馬上におり、こちらを静かに見つめていた。 近づくにつれ、その姿がはっきりと見えてきた。彼は三十歳前後の男性で、整った顔立ちと冷静な眼差しをしていた。そして、その目は確かに赤かった。深い赤い色をした瞳は、相手を焼き尽くすような鋭い光を放っていた。 「フェルトリア王国、北方軍補佐官、ソウイチロウ・エストガードだな」 彼の声は低く、静かなものだった。しかしその声には確かな威厳と力があった。 「そうです」 俺は体の震えを抑えながら答えた。 「ラドルフ・ゼヴァルド閣下」 彼はわずかに頷いた。 「君が『流れを読む』という戦術家か。興味深い」 彼が自分のことを知っていたことに驚いたが、表情に出さないよう努めた。 「閣下は交渉のためにいらしたのですか?」 「交渉? いや、降伏を受け入れに来た」 彼の言葉には迷いも傲慢さもなかった。ただ事実を述べるように、淡々と言った。 「我々はまだ戦う力がありますが」 「ある。しかし勝てない」 彼の赤い目がまっすぐに俺を見つめた。 「君の部隊は四方を囲まれている。南東には我が軍の主力が控えている。森の北側には迂回した弓兵隊が待機している。西は既に我が軍が制圧した」 彼の言葉は冷静で、それでいて残酷なほど正確だった。 「どうしてそこまで……」 「流れは私が作るのだ」 ラドルフは平然と言った。 「君は『流れを読む』と聞いた。しかし、それは所詮、存在する流れの中での話。真の戦術家は流れそのものを創造し、支配する」 彼の言葉は俺の核心を突いた。 「君は読むだけ。私は創る。それが我々の違いだ」 俺は返す言葉を失った。彼の言葉には反論の余地がなかった。今日の戦いがそれを証明していた。 ...