第16話「勝ち続けた代償」

「これで四連勝か……」 作戦室を出る際、俺は思わず小声で呟いた。今日も小規模な国境警備作戦が成功し、帝国軍の偵察部隊を撃退した。先日の正式補佐官への任命から一ヶ月が経ち、俺の手がけた作戦はすべて成功している。 「お前の『読み』はマジですげぇな」 隣を歩くカイルが肩を叩いてきた。今ではすっかり気安い仲だ。 「そんなことないよ」 謙遜しながらも、内心では満足感を覚えていた。前世では雀荘で連勝することもあったが、この世界での連勝は人々の命を救う結果に直結する。その重みは比べものにならない。 「いや、本当にすごいよ」カイルは真摯に言った。「あんな風に敵の動きを予測できるなんて。今日の伏兵の配置だって完璧だった」 「運が良かっただけさ」 「運じゃねぇよ」カイルは少し呆れ顔で言った。「兵たちの間じゃ『戦術の神童』なんて呼ばれてるんだぜ?」 「やめてよ、照れるじゃん」 廊下の曲がり角で、シバタ大尉とバロン大佐が話しているのが見えた。バロン大佐は依然として俺に対して批判的だ。彼らに気づかれないよう、足を止める。 「あの補佐官は確かに才能がある」バロン大佐の低い声が聞こえてきた。「だが、あまりに順風満帆すぎる。本当の試練を経ていない」 「彼は実戦で結果を出している」シバタ大尉が冷静に反論した。 「連戦連勝は必ずしも良いことではない」バロン大佐は厳しい口調で言った。「特に若い指揮官にとっては。過信を生む」 二人は歩き去り、声が聞こえなくなった。 「気にするなよ」カイルが言った。「バロン大佐はいつもそうだ。どんな若手にも厳しい」 「うん……」 だが、その言葉は心に引っかかった。本当の試練? 過信? 俺はそんなふうになっているのだろうか。 「あ、俺はここで戻るわ」カイルが言った。「また明日」 「ああ、またな」 一人になった俺は、司令部の中庭に足を向けた。夕暮れ時の静かな空間で、少し考えをまとめたかった。 中庭のベンチに座ると、最近の作戦を振り返る。確かに、すべて成功している。帝国軍の動きを読み、先手を打ち、最小限の犠牲で勝利を重ねてきた。誰もが俺の才能を認め始めている。 (麻雀でこんなに連勝したら、絶対にのぼせ上がってたよな……) 前世の記憶が蘇る。高校生の頃、県大会で準優勝したときの浮かれた気分。だが、その後すぐに調子を崩し、大会での惨敗。そして焦りから勉強をおろそかにし、受験に失敗した。 「あら、こんなところで何をしているの?」 突然の声に顔を上げると、セリシアが立っていた。 「ああ、セリシア」 彼女は隣に座り、夕焼けを見上げた。 「今日の作戦も成功だったわね。おめでとう」 「ありがとう。君の分析があったからこそだよ」 セリシアは少し笑った。最近は二人の間にも自然な空気が流れるようになっていた。 「作戦会議ではバロン大佐の表情が険しかったわね」 「ああ……さっき廊下で聞いちゃったんだ」俺は素直に告白した。「俺が『過信』していると言ってた」 「バロン大佐は経験豊富な指揮官よ」セリシアは静かに言った。「彼の言葉には一理あるかもしれないわ」 「君もそう思う?」 セリシアはしばらく黙っていたが、やがて真摯な表情で俺を見た。 「率直に言うと……あなた、少し勝ちに慣れすぎているんじゃないかしら」 その言葉に、少し心が痛んだ。 「勝ち慣れたらまずいのか? 勝てばいいんだろ?」 思わず反発するような言い方になった。セリシアは少し眉をひそめた。 「勝つことは大事よ。でも、勝ち方も重要」彼女は冷静に言った。「最近のあなたは、少し荒っぽくなっている気がする」 「荒っぽい?」 「ええ」彼女は真摯に続けた。「先週の北峠の作戦では、偵察隊を危険な位置に配置したわ。結果的には敵を発見できたけど、もし読みが外れていたら……」 言葉が胸に刺さった。確かに、最近は「勝てる」という自信から、少し大胆な作戦を取るようになっていた。 「みんなは私の判断を信頼してくれてるから……」 「そうよ。だからこそ、より慎重になるべきじゃないかしら」 風が吹き、セリシアの髪が揺れた。その横顔は厳しくも優しい。 「ごめん」素直に謝った。「少し調子に乗ってたのかもな」 「謝らなくていいわ」彼女は表情を和らげた。「あなたの才能は本物。だからこそ、それを最大限に活かせるように……」 「わかってる」俺は頷いた。「もっと慎重になるよ。約束する」 セリシアは安心したように微笑んだ。 「そういえば」彼女は話題を変えた。「明日、大きな作戦会議があるわ。東部国境での新たな任務について」 「東部? あそこは最近帝国軍の動きが活発だって聞いたけど」 「ええ」彼女は少し表情を引き締めた。「情報によれば、向こうにはかなり強力な指揮官がいるらしいわ」 「名前は?」 「ラドルフという男よ」セリシアは静かに言った。「『赤眼の魔将』と呼ばれているわ」 「赤眼……?」 「噂では、彼の指揮する部隊は異様なほど統制がとれているらしい」セリシアは続けた。「まるで操り人形のようだと」 何か不吉な予感がした。今までとは違う種類の敵のようだ。 「フェリナなら、もっと詳しいことを知ってるかもしれないわ」セリシアが言った。「彼女はエストレナ帝国の出身だし」 「そうだね、聞いてみよう」 二人は立ち上がり、司令部へと戻った。夕焼けが徐々に深まり、空が赤く染まっていく。なぜか、その赤さが「赤眼の魔将」という言葉と重なって見えた。 *** 翌朝、大会議室に幹部たちが集まった。アルヴェン将軍を中心に、各部隊の指揮官や参謀たちが着席している。俺とセリシアも席に着いた。 「諸君」将軍が会議を始めた。「東部国境の状況が緊迫している。帝国軍の大規模な移動が確認された」 壁に掛けられた大きな地図を指し示しながら、将軍は説明を続けた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第16話「勝ち続けた代償」

「エストガード補佐官の作戦により、東部国境第三地点での帝国軍の侵攻を阻止、敵に大打撃を与えることに成功した」 北方軍司令部会議室で、参謀長が続報を読み上げていた。会議テーブルの周りには高級将校たちが座り、中央の地図を見つめている。そして地図の向かい側、アルヴェン将軍の右手側に座っていたのは俺だった。 「これで三連勝だな」 将軍は満足げに頷いた。正式な補佐官に任命されてから一ヶ月、俺の戦術提案は立て続けに成功を収めていた。西部丘陵地帯での伏兵作戦、北部砦での偽装撤退、そして今回の東部国境での誘導戦術。いずれも「流れを読む」戦術が功を奏した結果だった。 「エストガード殿、素晴らしい成果だ」 一人の中佐が声をかけてきた。彼は以前、俺に批判的だった保守派の一人だ。だが今は、表面上とはいえ、一定の敬意を示すようになっていた。 「ありがとうございます。しかし、現場で指揮を執った将校と兵士たちの功績です」 謙遜しつつも、俺は内心で満足していた。かつては「お飾り」と蔑まれた自分が、今や実質的な戦術参謀として認められつつある。それは「タロカの流れ」を戦場に応用した結果だった。 会議が終わると、セリシアが近づいてきた。彼女との関係も良好で、情報分析と戦術立案で協力関係を築いていた。 「エストガード」 「どうしたんですか、セリシア少佐」 「少し話があるわ」 彼女は人の少ない廊下へと俺を誘導した。 「あなた、勝ち方を知ったわね」 「はい、ようやく」 「でも、勝ちに慣れすぎていないかしら?」 彼女の問いかけに、俺は不思議そうな顔をした。 「どういう意味ですか?」 「最近のあなたの態度よ。会議での発言、他の将校への対応——少し高慢になっていると感じるの」 「高慢?」 その言葉に、俺は少し不快感を覚えた。 「私は単に自信を持っているだけです。それに、結果は出していますよね?」 セリシアが問いかけに触れたとき、俺の心には少しの動揺が走った。確かに最近の俺は少し調子に乗っていたかもしれない。麻雀でも勝ち続けると読みが甘くなる。前世でもそういう経験があった。でも今は違う。俺は成長している。 「そうね、確かに結果は出している」セリシアは冷静に言った。「だからこそ、言いたいの。勝ちに慣れすぎると、緊張感が薄れる。それが最も危険なのよ」 「大丈夫ですよ。私は常に慎重に計画を立てています」 「そうかしら? 仮想演習では、あなたはますます大胆になっているわ。そんな戦術は、本当の戦場では通用しないかもしれない」 俺は少し苛立ちを感じた。確かに最近の戦術提案は大胆になっていた。だが、それは自信からくるものであり、実戦でも確かな効果を上げていた。 「勝ちに慣れたらまずいのですか? 勝てばいいんでしょう?」 思わず強い口調になってしまった。セリシアは少し驚いたような表情をしたが、すぐに冷静さを取り戻した。 「私はただ忠告しているだけよ。受け入れるかどうかはあなた次第」 彼女はそう言って立ち去った。俺は廊下に一人残され、わずかな罪悪感と反発心が入り混じる感情を味わっていた。 セリシアの言葉は心に引っかかった。彼女は何かを見抜いているのかもしれない。だが、連勝の快感に浸っている俺には、その警告が十分に届かなかった。 (セリシアは余計な心配をしている。俺は勝ち方を知ったんだ) そう自分に言い聞かせながら、俺は自分の執務室に戻った。 *** 「ところで、エストガード補佐官」 夕食時、軍の食堂でスパートン少佐が話しかけてきた。彼は最近俺に好意的な態度を示す将校の一人だった。 「次の大規模作戦ではどんな戦術を考えているんだ?」 「まだ詳細は固まっていませんが、おそらく『流れの誘導』が基本になるでしょう」 俺は少し傲慢な調子で答えていた。自分でも気づいていたが、最近は少し優越感を持って人と接することが増えていた。特に以前自分を蔑んでいた将校たちに対しては尚更だ。 「流れの誘導? タロカの用語かな?」 「はい。敵に特定の行動を取らせることで、有利な状況を作り出す戦術です」 「なるほど、それは帝国軍相手でも通用するかな?」 「もちろんです。どんな相手でも『流れ』というものはありますから」 俺の言葉を聞いて、スパートン少佐は頷いたが、その表情には何か別の色が混じっていた。おそらく、俺の自信過剰な態度に対する警戒心だろう。 その夜、自室に戻った俺は、久しぶりにタロカの牌を取り出した。以前のように牌を並べ、「流れ」を確認する日課が、いつの間にか減っていたことに気づいた。 (セリシアの言う通りかもしれない) ふと、そんな思いが頭をよぎった。だが、すぐにそれを打ち消した。 (いや、俺は勝っている。勝っているなら、問題ないはずだ) そう自分に言い聞かせながら、俺は就寝の準備を始めた。窓の外には満月が輝いていた。明るすぎる月光が、どこか不吉に感じられた。 *** 翌朝、司令部には緊張感が漂っていた。アルヴェン将軍から緊急会議の召集がかかったのだ。 会議室に集まった将校たちの表情は硬く、会話も少ない。俺も席につき、静かに将軍の登場を待った。 「諸君」 アルヴェン将軍が入室し、厳しい表情で切り出した。 「東部国境第七地点で、帝国軍の大規模な部隊移動が確認された。彼らは軽微な戦力ではなく、精鋭部隊を投入してきたようだ」 地図上には、帝国軍の推定進路が赤い線で示されていた。その規模と方向性から、今回は単なる小競り合いではなく、本格的な侵攻の前触れと見られた。 「さらに、この部隊を率いているのはラドルフ・ゼヴァルドと思われる」 将軍の言葉に、会議室がざわめいた。 「赤眼の魔将」 「そうか、ついに彼が出てきたか」 将校たちの間で囁きが広がる。ラドルフ——その名はフェリナから聞いていた。帝国軍の戦術総監、「赤眼の魔将」の異名を持つ軍略家。彼の戦績は圧倒的で、これまでフェルトリア王国との戦いで一度も敗北を喫したことがないという。 「我々はこの動きに対応する必要がある。エストガード」 将軍が俺を指名した。 「君の戦術眼を買いたい。このラドルフの動きを予測し、対応策を練ってくれ」 「承知しました、将軍」 俺は自信を持って答えた。どれほど強い敵であれ、「流れ」を読み解く自分の能力があれば対抗できるはずだ。これまでの勝利が、そう確信させていた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第17話「戦場に降る声」

朝靄が立ち込める中、サンガード要塞の東側高台に立ち、俺は双眼鏡で前方を観察していた。今日から大規模な防衛作戦が始まる。帝国軍の動きはまだないが、情報によれば彼らは既にレイクバレーを出発し、こちらに向かっているという。 「準備はいいか?」 背後からシバタ大尉の声がした。 「はい」俺は振り返って答えた。「各拠点への伝令も済ませました」 「よし」大尉は頷いた。「初めての大規模戦だが、臆することはない。これまでと同じように」 「わかっています」 言葉では強がっても、正直、緊張していた。これまでの任務は小規模なものばかり。今回は要塞全体の防衛という大きな責任がある。しかも相手は評判高い「赤眼の魔将」ラドルフだ。 「セリシアはどこだ?」 「西側の観測ポイントにいます」俺は答えた。「フェリナもそこで情報収集中です」 シバタ大尉は頷き、要塞の方を見た。サンガード要塞は東部国境の要所で、石造りの巨大な城壁と複数の塔、そして広大な中庭を持つ。約500名の兵士が配備され、我々のほか、グレイスン大佐率いる部隊も駐留している。 「あの子に頼りすぎるなよ」シバタ大尉が突然言った。 「え?」 「フェリナだ」彼は真剣な表情で言った。「彼女のラドルフに関する情報は貴重だが、彼女自身もラドルフに対して客観性を失っている可能性がある」 「何か因縁があるんですか?」 「詳細は知らん」大尉は首を振った。「だが、彼女の眼に憎しみを見た。個人的な恨みがあるようだ」 フェリナとラドルフ……二人の間に何があったのだろう。昨日、彼女から詳しい話を聞こうとしたが、彼女は大事な部分を語りたがらなかった。 「そろそろラーティス准尉が偵察から戻るはずだ」シバタ大尉が言った。「彼の報告を聞いてから次の手を考えよう」 「はい」 ラーティス准尉は優秀な斥候で、今朝早くに敵の動きを確認するため派遣された。彼の報告は作戦の第一歩となる。 シバタ大尉が去った後、俺は再び双眼鏡で前方を観察した。朝靄の向こうには広大な草原が広がっている。そこを敵が進軍してくるはずだ。 (どんな手を打ってくるんだろう……) 不安と期待が入り混じる感情。初めての大規模戦での役割は重大だ。ここで結果を出せば、俺の地位はさらに確固たるものになる。しかし、失敗すれば……。 「ソウイチロウ!」 声の方を振り返ると、セリシアが急いでやってきた。 「どうした?」 「ラーティス准尉が戻ってきたわ」彼女は息を切らせて言った。「作戦室に集合よ」 二人で急いで要塞内の作戦室に向かった。そこにはシバタ大尉、グレイスン大佐、そして汗と土にまみれたラーティス准尉がいた。 「報告します」ラーティス准尉は緊張した面持ちで言った。「敵軍はレイクバレーを出発し、現在シルバーウッド森を抜けて進軍中です。予想では正午頃に前線に到達するでしょう」 「兵力は?」グレイスン大佐が尋ねた。 「少なくとも2000。騎兵、歩兵、弓兵がバランスよく配置されています」 「2000……」グレイスン大佐は眉をひそめた。「こちらは約800だ。厳しい戦いになるな」 「編成の特徴は?」シバタ大尉が尋ねた。 「異様なほど整然としています」ラーティス准尉は言った。「進軍中なのに一切の乱れがない。まるで一つの生き物のようです」 まさにフェリナが言っていた通りだ。ラドルフ率いる軍は通常の軍隊とは違う。 「ラドルフの姿は?」俺が尋ねた。 「確認できませんでした」准尉は首を振った。「ただ、中央に赤い軍旗があり、そこに指揮部があると思われます」 シバタ大尉とグレイスン大佐は地図を広げ、防衛計画を確認し始めた。 「要塞の正面に主力を配置」グレイスン大佐が言った。「北と南の小拠点にも各100名ずつ配備済みだ」 「敵の接近経路は?」シバタ大尉が尋ねた。 「主に中央ルートです」ラーティス准尉が答えた。「ただ、小部隊が北側にも展開している様子が見られました」 「北側の小拠点が狙われるかもしれないな」 俺は地図を見ながら考えた。通常なら、敵は圧倒的な兵力を活かして正面突破を狙うはずだ。しかし、ラドルフならば……。 「大尉」俺は慎重に言った。「敵の中央部隊は囮かもしれません。本当の攻撃は北か南から」 「可能性はあるな」シバタ大尉は考え込んだ。「グレイスン大佐、北側小拠点への増援は可能か?」 「今すぐに50名ほど送れる」大佐は答えた。「だが、これ以上は要塞の防衛が薄くなる」 「では、とりあえず50名の増援を」シバタ大尉は決断した。「そして……」 作戦の詳細が決められていく。俺とセリシアも意見を出し、敵の動きを予測しながら最善の防衛策を練った。準備が整い、各自が持ち場に向かう時が来た。 「ソウイチロウ」シバタ大尉が呼んだ。「お前は北の小拠点の指揮を任せる。セリシアも同行だ」 「はっ!」 重要な役割を任されたことに、緊張と責任感が高まる。 「敵の動きを見て、適切に対応せよ」大尉は真剣な表情で言った。「だが、無謀な判断はするな。必要なら本隊に援軍を要請しろ」 「わかりました」 俺とセリシアは北の小拠点に向かう準備を始めた。約150名の兵を率いることになる。 *** 北の小拠点は要塞から約1キロ離れた丘の上にある石造りの砦だ。本来は見張り台として建てられたものだが、今は防衛拠点として機能している。 俺たちが到着すると、すでに100名の兵士が配備されており、要塞からの増援50名も合流した。俺は速やかに指揮を執り、防衛体制を整えた。 「北側の森を警戒して」俺は指示を出した。「敵が来るとしたら、あの森を抜けてくるはずだ」 セリシアは砦の上から双眼鏡で周囲を観察している。 「まだ敵影なし」彼女が報告した。「でも、鳥の様子が変だわ」 「鳥?」 「ええ」彼女は森を指差した。「通常、あの辺りには小鳥がたくさんいるのに、今日は静かすぎる」 鋭い観察眼だ。確かに、普段なら鳥のさえずりが聞こえるはずの森が、今日は異様に静かだった。 「敵が潜んでいる可能性があるな」 俺は警戒を強化するよう命じた。弓兵を砦の上に配置し、騎兵部隊は緊急出動の態勢を整えた。 正午が近づくにつれ、緊張が高まる。要塞の方角から遠くの喧騒が聞こえ始めた。どうやら本隊への攻撃が始まったようだ。 「始まったか……」セリシアが呟いた。 俺は砦の壁を登り、要塞の方を見た。遠くで戦闘の様子が見える。帝国軍の旗が風になびき、戦いの音が断片的に届く。 そのとき、北側の森から微かな動きが見えた。 「敵だ!」俺は叫んだ。「全員、戦闘態勢!」 森から帝国軍の一部隊が姿を現した。黒と赤の軍服に身を包んだ兵士たち。その数、およそ300。こちらの倍だ。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第17話「戦場に降る声」

東部国境第七地点から十キロ内陸、ブラックウッド高原。広大な平原と点在する丘陵地帯が特徴的な地形だ。雲一つない晴天の下、俺は前線指揮所の高台から戦場を見渡していた。 「すべての部隊が配置完了しました」 参謀を務める若い士官が報告してきた。彼の声には緊張が滲んでいた。当然だろう。我々の前に立ちはだかるのは、エストレナ帝国の精鋭部隊。そして、その指揮を執るのは「赤眼の魔将」ラドルフだ。 「エストガード補佐官、第三部隊からの通信です」 伝令兵が駆け込んできた。 「敵の前哨部隊が視認されました。約8キロ先、予想進路通りです」 「承知した」 俺は地図上の駒を動かした。これまでの情報分析に基づき、敵の進路と戦術を予測。それに対応する布陣を整えていた。 「我々の罠は成功しつつあります」 指揮官のバーンズ中佐に告げる。彼は五十代の熟練した指揮官で、実戦経験は豊富だが、自分の経験を過信する傾向があった。今回は俺の戦術提案に渋々同意したものの、常に疑いの目を向けていた。 「まだ早い。敵の主力が接近するまで判断はできん」 中佐は厳しい表情で答えた。 俺の戦術は「誘導と分断」。過去三回の勝利で培った戦術だ。敵を特定の経路に誘導し、分断して個別に叩く。タロカで相手の打牌を誘導するのと同じ原理だ。 「こちらセリシア。偵察部隊からの報告です」 伝令石が光り、セリシアの声が響いた。彼女は指揮所から少し離れた前線観測点にいた。 「敵の前衛部隊は予想以上に慎重に動いています。地形確認を入念に行っている様子」 「警戒しているのか」 中佐が眉をひそめた。 「いいえ、これも予想の範囲内です」 俺は自信を持って答えた。 「我々の偽情報が効いています。彼らは南側の迂回路に警戒を向けているはずです」 戦いが始まる前の緊張感。それは麻雀やタロカの対局でも感じたものだ。しかし、そこには命のやり取りはなかった。実戦は違う。全てが血と命を賭けた勝負だ。 「敵の動きに変化あり。主力部隊が前進を開始しました」 セリシアの報告に、指揮所内の空気が張り詰めた。 「そろそろか」 俺は小さく呟いた。計画ではこの時点で敵を中央の「袋」に誘い込み、丘陵地帯から挟撃する。初手は成功しつつあるようだった。 「各部隊に通達。初期計画通りに展開せよ」 中佐の命令で、伝令兵たちが動き出した。 数十分後、戦場は動き始めた。敵の主力が丘陵地帯の間の平原に進入。黒い装甲の兵士たちが整然と行進している。 「待機……待機……」 俺は息を殺し、次の展開を見守っていた。敵が谷間の中央部に到達したとき、こちらの伏兵が動き出す計画だ。 「指揮官、敵の後続部隊が確認できません」 突然、見張りの兵が報告した。 「何だと?」 中佐が身を乗り出して双眼鏡を覗きこむ。 「彼らの主力はどこだ? あれは前衛のはずだぞ」 「わかりません。視界に入りません」 異変を感じた俺は、地図を再確認した。何かがおかしい。敵の動きが予想と違う。 「セリシア少佐! 敵の主力部隊の位置を確認してください」 伝令石を通じての問いかけに、彼女の返答があった。 「こちらからも主力は見えません。前衛だけが進軍しています」 「まさか……」 俺の頭に閃きが走った。ラドルフは初めから我々の罠を見抜いていたのではないか? だとすれば、この前衛部隊は囮で、真の主力はどこかで……。 「北西の丘陵地帯から煙が上がっています!」 伝令兵の叫びとほぼ同時に、遠方から轟音が響いた。 「攻撃を受けています! 第二部隊が襲われています!」 次々と緊急報告が入る。北西の丘陵地帯——そこは我々の伏兵部隊がいる場所だった。ラドルフは罠を仕掛ける側を罠にかけたのだ。 「全軍に通達! 計画変更、防御態勢を取れ!」 中佐の命令も空しく、混乱が始まっていた。伏兵として配置していた第二部隊が敵の奇襲を受け、崩壊しつつある。 「どうして……」 俺は信じられない思いで状況を見つめていた。自分の読みが外れたのは初めてだった。いや、もっと正確に言えば、こちらの読みをさらに上回る読みをされたのだ。 「エストガード、どうしたんだ!」 中佐の声が耳に入った。 「あなたの戦術では、こうはならないはずだったのではないか?」 その非難めいた声に、言葉が出なかった。 「流れが見えない……」 俺は呆然と呟いた。 「空気が死んでる」 これまでの戦いでは常に「流れ」を感じ取ることができた。敵の動き、地形、天候、全てが一つの大きな流れの中にあった。しかし今回は違う。まるで戦場そのものが無機質になったかのよう。「流れ」が感じられない。 「セリシア! そちらの状況は?」 伝令石を通じて彼女を呼ぶが、返事がない。 「セリシア少佐との通信が途絶えました」 伝令兵が報告した。 事態は急速に悪化していた。敵は我々の布陣を完全に把握しているかのように、次々と急所を突いてくる。前衛部隊と思われた兵力は実は精鋭で、北西からの奇襲と連動して中央突破を図っていた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第18話「赤眼の男」

夜明け前、要塞内は緊張した空気に包まれていた。昨日の敗北から立て直すべく、早朝から指揮官たちが集まり、作戦会議が行われていた。 「現状を整理しよう」 シバタ大尉が大きな地図を広げながら言った。作戦室には俺とセリシア、グレイスン大佐、そして数名の士官たちが集まっていた。 「昨日、北と南の前進拠点を失った。現在、敵は要塞を三方から包囲している状態だ」 地図上に敵の位置が示される。帝国軍は要塞の周りに効率的に配置され、我々の動きを封じていた。 「敵の総数は約2000、こちらは残り約600」シバタ大尉は厳しい表情で続けた。「数の上では不利だが、要塞の壁があるかぎり持ちこたえられる」 「問題は補給だな」グレイスン大佐が言った。「このままでは一週間が限度だ」 確かに補給は深刻な問題だ。敵に包囲された状態では、食料や医薬品、武器の補充ができない。 「ソウイチロウ補佐官」シバタ大尉が俺を見た。「君の意見を聞かせてくれ」 全員の視線が俺に集まる。昨日の敗北で自信を失ったが、今は立ち直るしかない。 「昨日の戦いで、ラドルフの戦術の特徴が見えてきました」俺は冷静に語り始めた。「彼の軍は完全に統制されています。それは強みでもあり、弱点でもあります」 「弱点?」グレイスン大佐が眉を上げた。 「はい」俺は頷いた。「あれほど完璧な統制には限界があるはずです。フェリナ情報将校によれば、ラドルフの『支配』には範囲の制限があると」 「なるほど」シバタ大尉が理解を示した。「つまり、彼の注意を分散させれば……」 「そうです」俺は地図を指さした。「小規模な奇襲部隊を複数編成し、敵の陣地を撹乱する。彼らが混乱している間に、我々の主力が突破口を開く」 作戦室が静まり返った。皆、俺の提案を検討している。 「危険な賭けだな」グレイスン大佐が言った。「奇襲部隊は高い確率で戻ってこれない」 「はい」俺は正直に認めた。「しかし、このまま包囲されても同じ結果です。打開策が必要です」 シバタ大尉はしばらく考え込んでいたが、やがて決断を下した。 「採用しよう。だが、奇襲部隊は志願者のみで編成する。強制はしない」 俺は安堵の息を吐いた。作戦が採用されたことに安心したが、同時に重い責任も感じる。この作戦で多くの命が失われる可能性もあるのだから。 「では、具体的な計画を立てよう」 作戦の詳細が議論される中、俺はセリシアと共に奇襲部隊の編成と行動計画を練った。三つの小部隊を編成し、それぞれ別方向から敵陣に侵入。敵の注意を引く間に、主力部隊が南側から突破を試みる。 会議が終わり、作戦の準備が始まった。俺は奇襲部隊の志願者募集に立ち会った。危険な任務だと説明したにもかかわらず、多くの兵士が名乗り出てくれた。彼らの勇気に、胸が熱くなる。 「では、作戦開始は正午だ」シバタ大尉が最終確認をした。「それまでに準備を整えよ」 「はっ!」 全員が敬礼し、各自の持ち場に散っていった。 *** 準備の終わった俺は、要塞の城壁の上から敵陣を観察していた。朝日が昇り、徐々に戦場全体が明るくなっていく。敵は整然と配置され、要塞を包囲している。中央には赤い旗が見える。ラドルフの指揮所だ。 「準備はできたわ」 背後からセリシアの声がした。彼女は昨日より冷静な表情をしていた。 「ありがとう」俺は振り返って言った。「奇襲部隊は?」 「全て整っています」彼女は報告した。「各20名、計60名が準備完了です」 60名の勇敢な兵士たち。彼らは自分たちの命を賭けて、突破口を開こうとしている。 「主力突破部隊は?」 「シバタ大尉が直接指揮します」彼女は言った。「約200名で編成されています」 残りの兵力は要塞の防衛に残る。綱渡りのような作戦だが、これしか打開策はない。 「セリシア」俺は少し言いづらそうに切り出した。「昨日は、俺の判断が甘かった。北の拠点を失ったのは俺の責任だ」 セリシアは少し驚いた表情をしたが、すぐに柔らかな目で俺を見た。 「誰にでもミスはあるわ」彼女は優しく言った。「それに、ラドルフは尋常な相手じゃない。誰が指揮していても、似たような結果になったと思うわ」 彼女の言葉に少し救われた気がした。 「ありがとう」俺は微笑んで言った。「でも、今日は絶対に勝つ。昨日の敗北を取り返すために」 「ええ」セリシアも決意を込めて頷いた。「私も全力で支援するわ」 二人で戦場を見つめていると、フェリナが近づいてきた。 「そろそろ時間です」彼女は緊張した面持ちで言った。「奇襲部隊が出発準備を整えています」 「わかった」俺は頷いた。「行こう」 三人で城壁を降り、中庭に集まった奇襲部隊の兵士たちのもとへ向かった。彼らは軽装備で、素早く移動できるよう準備している。その表情には緊張と決意が混じっていた。 シバタ大尉が彼らに最後の訓示を行っていた。 「諸君の勇気に敬意を表する」大尉は厳かに言った。「任務は単純だ。敵陣に侵入し、できるだけ混乱を起こせ。我々の主力が突破口を開くために必要な時間を稼ぐのだ」 兵士たちは固く頷いた。 「できれば全員の生還を望む」大尉は続けた。「だが、それが困難なことも承知している。諸君の名は、王国の歴史に刻まれるだろう」 厳粛な空気が流れる中、俺も彼らに向かって一言述べた。 「皆さんの勇気に感謝します」俺は心を込めて言った。「今日の作戦は俺が立案しました。皆さんの命を預かる責任を、重く受け止めています」 兵士たちの目に力が宿るのを感じた。 「敵は強いですが、必ず弱点があります」俺は続けた。「ラドルフの『支配』には限界がある。その隙を突けば、必ず勝機はあります」 最後の挨拶が終わり、奇襲部隊は三手に分かれて要塞の秘密の出口から出発していった。彼らは敵に気づかれないよう、慎重に動く。作戦の成否は彼らの手にかかっている。 「これで第一段階は完了だ」シバタ大尉が言った。「あとは時間との勝負だな」 俺たちは城壁に戻り、事態の推移を見守った。奇襲部隊は要塞の周囲の茂みや起伏を利用して、敵陣へと近づいていく。 約一時間後、北側で最初の動きがあった。突如として敵陣に混乱が生じ、黒煙が上がった。 「始まったか!」シバタ大尉が双眼鏡で確認した。「北の奇襲部隊が動いたぞ!」 続いて東、そして西からも同様の混乱が発生した。奇襲部隊が敵陣の補給車両や武器庫に火を放ったようだ。 「よし、敵が動いた!」大尉が喜びの声を上げた。「南側の敵が手薄になった!」 計画通り、敵は三方向からの奇襲に対応するため、兵力を分散させた。南側の包囲網が薄くなったのが見える。 「主力突破部隊、出撃!」 シバタ大尉の命令で、200名の主力部隊が要塞の南門から一斉に出撃した。彼らは敵の薄くなった包囲網を突破し、脱出路を確保しようとしている。 「行けっ!」 思わず声が漏れた。作戦は今のところ順調だ。敵は混乱し、我々の主力が突破しようとしている。 しかし、その時だった。 中央の赤い旗の下で、一つの動きがあった。赤い甲冑に身を包んだ騎士が前に出て、何かの合図を出した。 「あれはラドルフ!」セリシアが声を上げた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人