第8話「模擬戦、開戦」

「セリシア少佐の案を採用する」 戦術会議から三日後、北部国境対応について最終決定が下された。敵の偵察に対し、完全に予測不能なパターンで対応するという彼女の案だ。 俺は特に落胆はしなかった。自分の意見が通らないことは最初から織り込み済みだった。セリシアの案は論理的に完璧で、理論上は確かに最適解。しかし、「理論と現場の乖離」という問題を懸念していた俺は、内心では違和感を覚えたままだった。 「あなたの時間はまだ来ていない」 会議室を出るとき、セリシアが小声でそう告げた。皮肉なのか、励ましなのか判断しかねる言葉だった。 北部国境への命令伝達が始まり、俺は再び書類整理という日常に戻った。しかし、今回の戦術会議参加により、軍内での立場はわずかながら変化していた。 「エストガード殿、これらの書類を向こうの会議室へ」 と言いながらも、士官たちの目には以前ほどの軽蔑の色がない。むしろ、「どんな人間なのか」という好奇心すら感じられるようになった。 その夜、俺は宿舎の小さな机で北部国境の地図を広げていた。部屋の隅には、老兵から貰ったタロカの牌が並べられている。 「敵の偵察隊は、常にこの三つのルートから侵入している……」 一つの地点から別の地点への移動時間、警備兵の配置、伝令の速度——俺はこれまで集めた情報をもとに、敵の動きを推測していた。そして、妙な違和感が拭えなかった。 「この偵察、何かおかしい……」 偵察パターンが規則的すぎるのだ。まるで、あえて自分たちの動きを予測させようとしているかのように。 まるで麻雀で相手の手牌を読むように、敵の動きを先読みしていた。「リャンメン待ち」のように二方向から攻められる位置が伏兵の定石だろうか。なら、この丘陵だが。 「もし彼らが、我々の『予測不能な対応』そのものを予測しているとしたら?」 この仮説が頭をよぎった瞬間、俺は北部国境のある地点に注目した。地図上では小さな森に囲まれた谷間——警備が手薄になりがちな場所だ。 「ここに伏兵を置くのが自然な流れだ……」 その夜、俺は報告書を作成した。自分の仮説と、それに基づく警戒案を記したものだ。翌朝、迷った末にそれを参謀長の副官に提出した。 「エストガードからの提案?」 副官は訝しげな表情を見せたが、一応書類を受け取った。もっとも、実際に読まれることはないだろうと俺も思っていた。 数日後、北部国境からの報告が届き始めた。セリシアの戦術は予定通り実行され、帝国軍の偵察隊は毎回異なる対応に遭遇し、混乱しているという。表面上は成功しているように見えた。 ところが、一週間後の夕刻、異変が起きた。 「緊急報告! 北部国境、シルバーリッジ付近で帝国軍部隊を発見!」 伝令が駆け込んできたのは、ちょうど俺が書類部屋で作業していた時だった。シルバーリッジ——俺が警戒すべきと報告した、あの谷間の近くだ。 「規模は?」 「約二個小隊、重装備です!」 通常の偵察隊よりはるかに大きな部隊。これは明らかに、単なる情報収集ではない。 軍本部は一気に緊張感に包まれた。各部署から将校たちが司令室に集まり、対応を協議し始める。俺もその場に呼ばれた。 「帝国軍は我々の変則的対応パターンを逆手に取った」 セリシアが率直に状況を分析していた。彼女の表情には焦りはなく、ただ冷静に事実を受け止めている。 「予測不能な動きをするという『予測可能な方針』を利用されたのだ」 参謀長が厳しい口調で指摘した。セリシアへの批判というよりは、自分たちの判断への反省だった。 俺は静かに地図を見つめていた。現在の北部国境警備隊の配置と、帝国軍の推定位置。 「あの森の中に、もう一隊潜んでいる可能性があります」 俺が口を開くと、全員の視線が集まった。 「根拠は?」 参謀長が問うた。 「これまでの偵察パターンと、今回の侵入経路を照らし合わせると、あの谷間を迂回する形の伏兵が考えられます。実は一週間前に同様の懸念を報告書で——」 「あの報告書か」 副官が割り込んだ。 「確かに受け取った。しかし、十五歳の見習いの仮説に過ぎないと判断した」 場の空気が険悪になる。セリシアは俺を見つめ、そして参謀長に向き直った。 「今から対応するとしたら?」 「警備隊への増援は間に合わない。すでに日没間近だ」 俺は深く息を吸い、思い切って提案した。 「少数の部隊に、あの森の近くで篝火を焚かせてください。通常の巡回パターンを装いながら」 「どういう意図だ?」 「もし伏兵がいれば、彼らは我々の警戒態勢が変わっていないと判断するでしょう。そして、予定通り夜襲を仕掛けてくる」 「しかし、それでは味方が危険ではないか」 「篝火の近くには人を置かず、少し離れた場所に配置します。帝国軍が篝火を襲った瞬間、包囲する」 場が静まり返った。若造の奇策に、誰も即座に賛同できないようだった。 「私が責任を持ちましょう」 意外な声がセリシアから上がった。 「この案を実行し、結果を検証します。小規模な部隊で対応可能ですし、リスクも限定的です」 参謀長は少し考え、最終的に頷いた。 「良かろう。セリシア少佐、指揮を執れ。エストガードも同行せよ」 「私が、ですか?」 「君の仮説だ。責任を取るのは当然だろう」 予想外の展開に戸惑いつつも、俺は頷いた。 *** 翌日の夜明け前、俺とセリシアは北部国境に近い前線基地に到着していた。緊急伝令により、前夜の篝火作戦は実行されていた。 「報告です!」 駆け込んできた伝令兵の表情に明るさがあった。 「作戦成功! 帝国軍の伏兵部隊を捕捉し、完全に撃退しました!」 セリシアは驚いたように俺を見た。 「あなたの読みは当たっていた」 俺は安堵の溜息をついた。タロカの卓で相手の手を読むように、戦場の「流れ」を読む——それが実際に通用したのだ。 「……やっぱり俺、こういうのが好きなんだな」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第9話「評価の芽」

「何だと? あの坊ちゃん補佐官が演習で勝ったって?」 北方軍総司令部の食堂で、若い士官たちが驚いた声を上げていた。演習から二日後の朝、俺の勝利の噂はすっかり広まっていた。食事を取りながら、その会話が耳に入ってくる。 「グレイ中尉相手に勝ったらしいぞ」 「あり得ないだろ……」 「いや、本当だよ。俺の友人が審判役だったから」 小さな優越感を感じながらも、俺は黙々とパンを食べ続けた。昨日も一日中、北部国境の防衛計画の修正作業に追われていた。セリシアと一緒に、お互いの視点を組み合わせた新たな計画を立てているところだ。 「おはよう、ソウイチロウ」 テーブルの向かいに、クラウスが朝食のトレイを持って座った。 「おはよう、クラウスさん」 「世間の評判が変わりつつあるな」彼は周囲の視線を示しながら言った。 「そうみたいだね」 「当然だ。15歳で軍の演習に勝つなんて、並の才能じゃない」 彼の言葉に、少し照れくさくなる。 「でも、たまたま読みが当たっただけだよ……」 「謙虚なのはいいが、自分の才能を過小評価するのもよくない」クラウスは優しく諭した。「お前には確かな『読み』の才がある」 「ありがとう」 「それにしても」クラウスは声を落とした。「今回のことで、よからぬ目を向ける者も出てきたようだぞ」 「え?」 「ヴァイス大佐の派閥だ。彼らは将軍の方針に批判的で、お前の抜擢にも不満を持っていたんだが、今回の成功でさらに警戒を強めているらしい」 俺は首を傾げた。軍内の派閥争いについては、まだ詳しく知らない。 「なぜ? 俺はただ自分の仕事をしているだけなのに」 「若すぎる才能は、時に既存の秩序を脅かすものだからな」クラウスは意味深に言った。「特に、将軍のお気に入りとなれば」 「そんな……」 「心配するな。ただ、少し気をつけておけというだけだ」 「わかった。ありがとう」 朝食を終え、執務室に向かう途中、セリシアとすれ違った。 「おはよう、セリシア少尉」 「おはよう、ソウイチロウ」 彼女の口調は演習前よりも柔らかくなっていた。まだ完全に心を開いてはいないようだが、少なくとも敵対的ではない。 「今日も防衛計画の続きですか?」 「ええ。13時から作戦室で」 「了解です」 互いに会釈して別れる。演習での勝利は、少なくともセリシアとの関係改善にはつながったようだ。 *** 「ここにヤークト小隊を配置すれば、正面と峠の両方をカバーできるわ」 セリシアは地図の上に小さな駒を置いた。作戦室で二人、防衛計画の最終調整を行っていた。 「うん、いいね。そうすれば機動力も確保できる」 夕方までかかるだろうと思っていた作業も、二人で協力したおかげでスムーズに進んでいた。セリシアの論理的思考と俺の直感的読みが、意外と相性が良いことがわかってきた。 「あの……一つ聞いていい?」セリシアが突然話題を変えた。 「なに?」 「あなたの『読み』はどこから来るの?」 予想していた質問だったが、答えに窮する。前世で麻雀をやっていたとは言えないし、かといって適当な嘘をつくのも気が引ける。 「難しいな……これは天性のものかな」 「そう簡単に信じられないわ」彼女は真剣な目で俺を見た。「あなたの分析には、論理的根拠がないように見えて、実は筋が通っている」 「そう?」 「ええ。演習の時も、敵の行動パターンを読み取っていた。単なる直感ではないわ」 彼女の鋭い観察眼に少し驚く。 「まあ……似たようなゲームで鍛えたのかもしれない」 「タロカのこと?」 「ああ、そうだね」 セリシアはしばらく考え込んだ後、頷いた。 「タロカで培った読みが、戦術に応用できるとは……面白いわね」 「将軍も言ってたじゃないか。『タロカの才は戦場でこそ活きる』って」 「確かに」彼女は少し笑みを浮かべた。「あなたの『読み』は、私の論理的分析では見えない部分を捉えている気がする」 「君の分析も素晴らしいよ。僕一人じゃ、あんな詳細な防衛計画は立てられなかった」 互いを認め合うような会話に、少し気恥ずかしくなる。 「では、この計画で将軍に報告しましょうか」 「うん、そうしよう」 二人で資料をまとめ、廊下に出ると、ドーソン少佐が立っていた。どうやら、しばらく外で聞いていたようだ。 「ドーソン少佐、何かご用でしょうか?」セリシアが敬礼しながら尋ねた。 「いや……将軍が計画の進捗を確認したいそうだ」 少佐の態度はまだ冷たいが、演習前よりはマシになった気がする。 「ちょうど完成したところです」俺は答えた。「今から報告に行くところでした」 「そうか……」少佐は少し考え込むように俺を見た。「演習の件は……よくやった」 渋々ながらも褒め言葉? 驚きのあまり言葉に詰まる。 「あ、ありがとうございます」 「調子に乗るなよ。一度の成功に過ぎない」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第9話「評価の芽」

「この度の成功は、私の戦術指導の賜物です」 北部国境での勝利から二日後、前線基地での報告会でグレイ中佐はそう宣言していた。彼は軍規上の指揮官であり、当然ながら功績を自分のものにしようとしていた。 「篝火作戦も私の発案。若きエストガード殿はその実行を補佐してくれました」 俺は黙って立っていた。実際には篝火作戦は自分の案で、グレイ中佐は深夜の伝令を受け取り、ただ「やってみろ」と言っただけだった。だが、軍の上下関係では当然の流れ。俺は特に不満も感じなかった。 「伏兵の存在を示唆したのは、エストガード殿ではありませんでしたか?」 意外な人物からの質問。第三中隊の若い少尉だった。彼は作戦に参加した部隊の一員で、すべての経緯を知っていた。 グレイ中佐は表情を強張らせた。 「もちろん、エストガード殿の観察力も評価に値します。しかし、最終判断を下したのは私です」 「しかし、伏兵の位置まで正確に予測したのは彼ではありませんか? あれがなければ、我々は包囲される危険もあったのです」 少尉の言葉に、他の兵士たちも頷き始めた。前線の兵士たちにとって、命を守ってくれた戦術は単なる名声争いではなく、切実な問題だった。 「確かに彼は見立てをしました。しかし、それは私の戦術判断あってこそ——」 「私はエストガード殿と直接伝令を交わしました」 今度は中隊長が発言した。 「彼から送られてきた伝令には、伏兵の推定位置と、篝火による囮作戦の詳細な指示がありました。グレイ中佐の命令書にそれらの内容はなかったはずです」 場の空気が変わった。軍では階級が重んじられるが、同時に実戦での真実も無視できない。兵士たちの命を守った策が誰のものかは、彼らにとって重要だったのだ。 グレイ中佐は言葉に詰まり、報告会は微妙な空気のまま終了した。 基地を出て、軍本部に戻る馬車の中。俺とセリシアは窓の外の景色を黙って眺めていた。 「あなたは不満を言わなかったわね」 長い沈黙を破って、彼女が口を開いた。 「軍では当たり前のことでしょう。それに、結果として帝国軍の伏兵を撃退できたなら、それでいい」 「功名心がないのね」 「ないわけじゃない。でも、『勝った』という事実は変わらないから」 セリシアは魔導記録石を取り出し、何かを記録し始めた。 「あの石で何を記録しているんですか?」 「戦術判断の過程、結果、検証——すべてを記録している」 彼女は石を見せてくれた。その中には、これまでの作戦の詳細な分析と結果が細かく記録されていた。 「客観的な記録を残すことで、次の戦術に活かす。それが私のやり方よ」 「論理的ですね」 「理論に基づかない戦術など、単なる偶然に頼るギャンブルよ」 俺は小さく笑った。 「でも、戦場には論理だけでは説明できない『流れ』があるんじゃないですか?」 「流れ?」 「はい。人間の心理、場の空気、タイミング——タロカでも、ただ役を揃えるだけじゃなく、相手の心を読む必要があります」 彼女は少し考え込んだ様子だった。 「私はあなたの行動を記録石で再検証したわ」 「え?」 「あなたが伏兵の位置を予測した根拠。最初は単なる直感かと思ったけど、違った」 セリシアは記録石を操作し、俺の行動分析を示した。 「あなたは敵の偵察パターンを分析し、彼らの心理を読み、最も合理的な伏兵位置を導き出していた。それは偶然ではなく、一種の論理だった」 俺は驚いた。それは麻雀でいう「筋」を読む感覚に近く、自分でもそこまで明確には分析していなかったのに、セリシアは俺の思考プロセスを解析していたのだ。 「私はあなたを……再評価する必要があるかもしれないわ」 その言葉に、俺は小さく頷いた。 *** 軍本部に戻ると、アルヴェン将軍から直接呼び出しがあった。セリシアと共に司令室に向かう。 「よくやった、エストガード」 将軍は満足げな表情で言った。 「セリシアから詳細な報告を受けた。君の戦術眼は、私が期待した通りだ」 「ありがとうございます」 「将軍」セリシアが前に出た。「彼の判断は単なる偶然や直感ではありません。私の記録石による分析では、明確な論理的思考パターンが確認できました」 将軍は頷いた。 「そう、戦術としての『読み』だな。タロカでの才能と同じものだ」 将軍は机の上の地図を指さした。 「エストガード、君の才能はこれからますます必要になるだろう。帝国の動きが活発化している。次は小さな偵察ではなく、もっと大きな動きがあるかもしれん」 俺は身が引き締まる思いだった。 「セリシア、君は彼の成長を見守ってくれ。論理と直感、理論と実践——両方を持つ参謀こそ、真の戦略家になる」 「はい、将軍」 セリシアは敬礼した。彼女の表情からは、以前のような冷たさが消えていた。 司令室を出た後、セリシアが俺に向き直った。 「あなたの思考を完全に理解したわけではないわ」 「わかってます」 「でも……あなたの『読み』には、確かに戦術としての価値がある」 それは彼女なりの和解の言葉だったのかもしれない。 「“流れ"ってやつも、言葉にすれば通じるのかもな」 俺はそう呟いた。当初は軍でも居場所がないと感じていたが、今日、初めて自分の才能が認められた気がした。 それは勝ちきれなかった前世の麻雀卓とも、うまく使えなかった才能とも、何か違う形で繋がっているような感覚だった。

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第10話「この軍、読める」

「この報告書、なぜ急に流れが変わるんだろう……」 執務室で、俺は大量の報告書を前に呟いた。偵察任務に向けての準備として、過去の報告を読み込んでいたのだ。シバタ大尉率いる部隊に同行するのは明日。少しでも状況を把握しておきたかった。 パラパラとページをめくりながら、不思議なパターンに気づいた。報告書の前半と後半で、文体やトーンが微妙に違うのだ。 「これって……書いた人が途中で変わってるのかな?」 更に詳しく見てみると、司令部内の報告書の回覧ルートにも特徴があった。ある種の報告書は必ず特定の人物を経由し、別の種類は全く別のルートを通る。 「どうやら、軍の書類にも"流れ"があるみたいだな」 麻雀における河の読みのように、報告書の流れからも情報が読み取れる。誰がどの情報に目を通し、誰が最終決定に影響力を持つのか。権力構造が見えてくる。 「面白いな、これ」 うつむいて書類に向かう俺を、セリシアが見つけた。 「まだ作業してるの? もう夜遅いわよ」 彼女が執務室のドアから顔を覗かせた。演習以来、彼女との関係は良好になりつつある。 「ああ、明日の偵察任務の準備でね」 「何を読んでるの?」 セリシアが近づき、机の上の書類を覗き込んだ。 「過去の報告書。でも、面白いことに気づいたんだ」 「何?」 「この軍の情報の流れには、明確なパターンがあるんだ」 俺は気づいたことを説明した。情報の種類によって回覧ルートが違うこと、誰がどんな情報に目を通すのか、そこから見えてくる権力構造について。 セリシアは驚いたように俺を見た。 「あなた、戦場じゃなくても読み合ってるのね」 「ああ、そうかも。麻雀……じゃなくて、タロカっぽいよね」 「でも、なぜそんなことを?」 「知っておくに越したことはないと思って」俺は率直に答えた。「誰がどんな情報を持っているか知れば、必要な時に素早く適切な情報を得られるから」 セリシアは腕を組んで考え込んだ。 「面白い視点ね。私は報告書の内容だけを見ていたけど、その流通経路まで分析するなんて」 「流れを読むのは、タロカの基本だからね」 「あなたのタロカの才能は、本当に多方面に応用できるのね」 彼女の声には感心したような調子が混じっていた。 「勝てるなら場所は問わないさ」 俺はそう冗談めかして言った。 「勝ち負けにこだわるのね」 「まあ、そうかな。勝つために流れを読むっていうのが、俺のアプローチだから」 セリシアは少し考えてから、真面目な表情で言った。 「それなら、あなたの才能は確かに軍に向いているわ。戦場は究極の勝負の場だから」 「そうだね……」 少し気恥ずかしくなって、話題を変えた。 「明日の偵察任務、緊張するよ」 「初めての実戦に近い任務だものね」セリシアは理解を示すように頷いた。「でも心配ないわ。シバタ大尉は優秀だし、何より危険な場所には行かないから」 「そうだといいんだけど……」 「私も最初は緊張したわ」彼女は珍しく自分のことを話し始めた。「はじめて前線に出たとき、足が震えて仕方なかった」 「セリシアでも?」 「もちろん。誰だって初めは怖いものよ」 彼女の意外な告白に、少し親近感が湧いた。いつも完璧に見えるセリシアも、初めは不安だったのだ。 「ありがとう。少し安心したよ」 「あまり遅くまで起きてないで、早く休みなさい」彼女は元の口調に戻った。「明日は早いんでしょう?」 「そうだね、もう少ししたら休むよ」 セリシアは軽く会釈して、部屋を出て行った。 (彼女も、少しずつ心を開いてきてるのかな) そう思いながら、俺は再び報告書に目を戻した。 *** 翌朝早く、俺は北方軍の馬小屋にいた。今日から始まる偵察任務のため、馬に乗る必要があったのだ。問題は、俺がほとんど乗馬経験がないということ。 「こりゃまたぎこちないな」 馬の世話係の老兵が笑いながら言った。俺は何とか鞍に座っているものの、明らかにバランスが悪い。 「す、すみません……」 「いいさ、みんな最初は下手だ。この子は温厚だから、乗りやすいはずだよ」 彼が手綱を俺に渡してくれた。茶色の馬はおとなしく、大人しく立っている。それでも初心者の俺には、十分に緊張する乗り物だった。 「よしよし、いい子だ」 恐る恐る馬の首を撫でてみる。馬は小さく鼻を鳴らした。かわいいな、と思う瞬間もあるが、それ以上に「落ちたらどうしよう」という不安が勝っていた。 「補佐官殿、準備はいいか?」 振り返ると、シバタ大尉が立っていた。30代前半で厳格な表情の男性だ。噂によれば、実戦経験豊富な優秀な将校らしい。 「は、はい! ……たぶん」 不安そうな俺の様子に、シバタ大尉は軽く笑った。 「初めての乗馬か?」 「はい……この二日で少し練習したんですが」 「心配するな。ゆっくり移動するから、しっかりと鞍につかまっていればいい」 彼の言葉に少し安心する。 「集合場所に向かおう。部隊は待機している」 「はい!」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第10話「この軍、読める」

北部国境作戦から一週間が経ち、俺の軍内での立場は目に見えて変化していた。以前の「将軍のお気に入りの子供」から、「戦術的センスを持つ補佐官見習い」へと評価が変わりつつあった。 書類仕事は相変わらず多かったが、今は単なる雑用ではなく、情報整理という重要な役割として任されるようになっていた。特にアルヴェン将軍直属の「特別情報分析班」に配属され、帝国軍の動向報告を中心に分析する任務が与えられた。 「これは先週のクリフサイド地域の偵察報告、こちらは一ヶ月前の同地域の状況。比較すると、帝国軍の兵站線がわずかに南にシフトしている」 俺は手元の地図に印をつけながら、情報を整理していた。 「エストガード殿、ここの物資輸送量の変化にも注目すべきだと思います」 隣で作業していたのは若い参謀補。以前は俺を無視していた彼も、今では対等に意見を交わすようになっていた。 「ありがとう。確かにこの変化は意味深ですね」 俺はタロカの牌を机の上に並べるように、情報を空間的に配置していった。誰がどの情報を持ち、どの部署で何が判断され、どう命令が流れるか——。その「流れ」を掴むことで、帝国軍の動きの背後にある意図が見えてくる。 「伝令部からの報告では、この三日間で国境付近の帝国軍の動きが15%増加しています」 伝令兵長が資料を持ってきた。彼とは北部国境作戦以来、良好な関係を築いていた。 「ありがとう。これを見ると、彼らは何かの準備をしているようですね」 「同感だ。特に東側の山岳地帯への物資の流れが不自然だ」 俺は情報の断片を組み合わせ、「流れ」を読み取っていく。それは麻雀で培った「読み」そのものだった。 正午近く、セリシアが情報分析室に姿を現した。 「エストガード、進捗は?」 「はい、いくつか気になるパターンを発見しました」 俺は地図を広げ、帝国軍の動きのパターンを説明した。彼女は魔導記録石で俺の分析を記録しながら、時折質問を投げかける。 「この結論に至った根拠は?」 「まず、物資輸送の変化。次に、伝令の頻度。そして兵の配置変更——これらを総合すると、彼らは数週間以内に何らかの作戦を計画していると考えられます」 セリシアは頷き、自分の分析結果と照合を始めた。 「私も同様の結論に達していたわ。だが、あなたは情報の『関連性』を見つけるのが速い」 「ありがとうございます」 「あなた、軍の内部でも情報の流れを観察しているわね?」 彼女の鋭い指摘に、俺は少し驚いた。 「気づいていたんですか」 「あなたはいつも、誰がどのように情報を扱うか観察している。伝令兵の動き、参謀たちの反応、命令の伝達方法——」 セリシアは少し身を乗り出して言った。 「あなた、戦場じゃなくても読み合ってるのね」 「そうですね。情報の流れ方、人の動き方——すべてが『牌譜』のようなものです」 「牌譜?」 「タロカの一局の記録です。誰がどの牌を切り、どう動いたか——それを読むことで、次の一手が見えてくる」 セリシアは少し考え込んだ様子だった。 「軍という組織自体を一つの『卓』として見ているのね」 「正確には、『情報の流れる場』として見ています。誰がどの情報を持ち、どう処理し、どこに伝えるか——その流れを読むことで、全体の動きが見えてきます」 「それは参謀として貴重な視点ね」 セリシアが敬意を込めて言った。以前のような警戒心はなく、純粋な専門家としての評価だった。 「タロカの卓でも戦場でも、情報を読む本質は変わらないんだ。勝てるなら場所は問わないさ」 俺は軽く肩をすくめてそう返した。セリシアは小さく笑い、頷いた。 *** その日の夕方、アルヴェン将軍から全参謀への緊急会議の招集があった。会議室に入ると、将軍は厳しい表情でいた。 「諸君、帝国の動きが活発化している。我々の分析によれば、彼らは近々、国境地帯のキブルト村付近で何らかの軍事行動を起こす可能性が高い」 地図上で示された地点は、俺とセリシアが分析で警戒すべきと指摘していた場所だった。 「現地に偵察部隊を派遣し、状況を確認する。セリシア少佐、君にこの任務を任せたい」 「承知しました、将軍」 セリシアは頷いた。 「エストガード」 将軍が俺を指名した。 「君もセリシア少佐に同行せよ。君の『読み』が役立つかもしれん」 「はい、将軍」 視線を感じて横を見ると、セリシアが俺を見ていた。彼女の表情には、かつての冷たさはなく、むしろ期待のようなものが浮かんでいた。 会議後、俺は自室に戻り、出発の準備を始めた。老兵から貰ったタロカの牌を小さな布袋に収め、情報分析のノートをまとめる。 「次任務として、小規模な実戦部隊への同行命令が下る」 そこに書かれた言葉に、俺は微笑んだ。これが初めての実戦任務。偵察といえども、本物の戦場だ。 「今度は、本物の"勝負"か」 俺は窓の外に広がる夕暮れの空を見上げた。軍に来て二ヶ月。最初は居場所がないと感じた場所で、今は自分の才能が認められつつある。 前世では麻雀の対局で「読み」を働かせ、この世界では戦場で「読み」を活かす。同じ才能でも、使い方次第でこうも違うものになる。前世では誰の役にも立たなかった特技が、ここでは人の命を救う力になる。その事実に、静かな充実感を覚えた。 そして次の任務で、本当の意味での「戦」が始まる。

2025-03-27 00:00 · 折口詠人