第6話「軍の空気は冷たい」

「ソウイチロウ見習い補佐官!」 執務室のドアが勢いよく開き、ドーソン少佐が現れた。俺は慌てて立ち上がる。 「はっ!」 とりあえず敬礼のマネをしてみたが、どうやら形が違ったらしい。ドーソン少佐は眉をひそめた。 「敬礼の仕方も知らないのか。まったく……」 北方軍総司令部での勤務が始まって3日目。相変わらず、少佐は俺に対して冷たい態度を崩さなかった。 「すみません。これから覚えます」 「今日は書庫の整理を手伝え。それから将軍への朝の報告書を配達しろ」 「はい、少佐」 少佐は書類の束を机に置くと、ため息をついて部屋を出て行った。 (雑用係か……まあ、しょうがないか) 俺は諦めの心境で書類を整理し始めた。期待していた「戦術家としての第一歩」なんて夢のまた夢。ここ数日は雑用ばかりで、とても補佐官見習いという仕事には思えない。 午前中いっぱいを書庫の整理に費やした後、昼食のために食堂に向かう。廊下で、若い士官たちがこちらを見て小声で話しているのが聞こえた。 「あれが噂の"坊ちゃん補佐官"か?」 「将軍のお気に入りらしいな」 「何も知らない子供に何ができるっていうんだ」 「親の七光りだろ」 (七光りじゃないんだけどな……) 心の中でつぶやきながらも、表面上は気にしていない素振りで歩き続ける。これも3日目にして慣れてきた光景だ。 食堂では、相変わらず一人で食事を取ることになった。クラウスおじさんは今日は別の任務で外出中らしい。テーブルの端に座り、スープとパンを黙々と食べる。 「隣、いいかな?」 突然声がかかり、顔を上げるとセリシアが立っていた。軍服姿の彼女は、相変わらず凛々しい。 「どうぞ」 彼女は俺の向かいに座り、トレイを置いた。周囲から視線が集まるのを感じる。セリシア少尉が「坊ちゃん補佐官」と一緒に食事をするなんて、珍しい光景なのだろう。 「調子はどう?」 「まあ、順応してるところかな」 セリシアはスープをすすりながら、小声で言った。 「みんな最初は敵意を向けるものよ。気にしないこと」 「ああ……気づいてた?」 「見ればわかるわ」彼女は冷静に答えた。「でも、将軍があなたを選んだのには理由がある。あなた自身が証明すればいいだけよ」 「そう簡単にいくかな……」 「……明日、戦術会議があるわ。あなたも参加することになってる」 「え? 本当に?」 「ええ。第一歩のチャンスよ。準備しておきなさい」 セリシアは食事を終えると、さっと立ち上がった。 「頑張りなさい、ソウイチロウ」 そう言って彼女は去っていった。残された俺は、少し心が軽くなった気がした。 *** 午後、司令部の廊下を行き来しながら、俺は伝令業務をこなしていた。書類を届けたり、口頭での伝言を運んだり。シンプルな仕事だが、面白いことに気づいた。 (あれ? この伝令のルート、何か法則性があるな) 何度も同じ場所を行き来していると、情報の流れが見えてきた。誰から誰へ、どんな内容が、どのタイミングで伝わるのか。 「これって……麻雀の"河"を読むのと似てるな」 前世で麻雀をやっていた時、他のプレイヤーの捨て牌(河)から手の内を読むのが得意だった。この伝令ルートも、情報の流れという点では似ている。 「なるほど……だからこの時間には補給部からの報告が来て、次に情報部へ行くのか」 頭の中で情報の流れを整理していくと、軍の組織がどう動いているのか、少しずつ見えてきた。誰が重要な情報を持っていて、誰がそれを必要としているのか。命令はどこから発せられ、どのように伝達されるのか。 「面白いな……」 夕方になり、将軍への最後の報告書を届けた後、執務室に戻る。そこでセリシアと鉢合わせた。 「何をしていたの?」 「伝令業務」 「伝令? それだけ?」 「うん……でも、面白いことに気づいたんだ」 セリシアは首を傾げた。 「何に?」 「情報の流れにパターンがあるんだ。例えば、北部国境の報告は常に午前中に来て、そこから30分以内に参謀本部と補給部に伝わる。でも先に参謀本部に行くと、その後の動きが変わるんだ」 彼女は驚いたような表情になった。 「ほかにも、ハーゲン大佐からの伝令は必ずバッカス中佐を経由して参謀部に伝わるけど、バッカス中佐がいないときは直接ドーソン少佐に行く」 「あなた……たった3日でそんなことまで観察していたの?」 「まあ、何度も行き来してるうちに気になったから」 セリシアは少し考え込むように俺を見た。 「それを紙に書き出してみて」 「いいよ」 執務室の机に向かい、俺は頭の中にある情報の流れを図式化していった。線と矢印で繋がれた複雑な図が完成する。 「こんな感じかな」 セリシアは黙って図を見つめた。 「これは……情報伝達図?」 「うん。伝令ルートだけじゃなくて、時間帯や優先順位、内容によって変わる流れも入れてみた」 「こんな風に整理できるなんて……」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第6話「軍の空気は冷たい」

「あれが噂の神童か?」 「冗談だろう? あんな子供が何をできるというんだ」 「将軍のお気に入りだからな……」 北方軍本部の廊下を歩くたび、こうした囁き声が聞こえてくる。俺の正式な肩書は「北方軍司令部補佐官見習い」。アルヴェン将軍直々の指名とはいえ、十五歳の少年が軍の中枢に配属されたことは前例がなく、当然のように物議を醸していた。 「エストガード殿、これらの書類を整理してください。終わったら、あちらの古文書庫の目録を作成してください」 任務を言い渡したのは、俺の直属の上官である中年の中佐。彼の表情からは「こんな雑用しかさせられない」という不満が透けて見えた。 「承知しました」 俺は静かに頷き、作業に取り掛かった。軍に来て一週間。与えられる仕事はこうした雑用ばかりだ。戦術を学ばせるでもなく、会議に参加させるでもなく、ひたすら書類の整理や使い走り。将軍のお気に入りとは言え、実務では完全に蔑ろにされていた。 「どうせ貴族の子息だろう。すぐに飽きて実家に帰るさ」 俺がそばを通るたび、士官たちは露骨に嘲笑う。彼らの多くは下級貴族か平民から実力で這い上がってきた者たち。軍学校で厳しい訓練を受け、実戦で功績を挙げて現在の地位を得た者ばかりだ。そんな彼らからすれば、タロカの腕前だけで配属された少年など、到底認められるはずもない。 (勝負の匂いがしないな、この場所は……) 書類を整理しながら、俺は内心でつぶやいた。将軍と対局した時の緊張感、真剣勝負の空気——そんなものはここにはなかった。ただ義務と日常、そして権力争いがあるだけ。 だが、無為に過ごすつもりはなかった。 俺は書類を整理しながら、軍の構造を観察していた。誰がいつ報告に来るのか、どの部署がどう連携しているのか、各士官がどんな癖を持っているのか——。 「これは伝令兵が毎朝八時に届ける緊急連絡用の書類。この赤い紐で縛られたものは、北部国境からの報告書で、緑の紐は東部。十時には参謀長が必ず確認する」 こうした軍の動きのパターンは、タロカの牌の流れに似ていた。誰がどの情報を持ち、どこで処理し、どう流れていくか——それを把握することで、全体の動きが見えてくる。 「あの少年、黙々と働いているな」 「珍しく不平も言わず……貴族の坊ちゃんにしては粘り強いかもしれん」 一週間が二週間になり、俺への視線も少しずつ変わり始めていた。雑用を投げつけても文句一つ言わず、むしろ丁寧にこなしていく姿に、一部の士官は驚きを隠せないようだった。 午後、俺は軍の伝令兵が行き交う中央通路に佇んでいた。そこは本部の各所へと情報が流れていく要所。様々な人間が行き交い、情報も交差する。 「お前、エストガードだな?」 声をかけてきたのは、年配の伝令兵長だった。 「はい、そうです」 「何をしている?」 「伝令のルートを観察しています」 素直に答えると、伝令兵長は笑った。 「へえ、物珍しいな。若い士官たちはみな地図や戦術に夢中で、こんな地味な仕事に関心を持つやつはいない」 「伝令は軍の血管みたいなものですよね。情報がどう流れるか、それが戦の命運も左右する」 伝令兵長は意外そうな表情をした後、少し顔を近づけた。 「よく見ているな。実はな、伝令のルートには法則がある。緊急度によって優先順位が変わり、それぞれの部署への伝達手順も決まっている」 彼は簡単に伝令システムの仕組みを説明してくれた。俺は熱心に聞き入った。 「ありがとうございます。とても参考になります」 「何に参考になるんだ?」 「牌の流れを読むのと似ているんです。誰がどの情報を持ち、どう動くか——それを知れば、全体の動きが見えてくる」 伝令兵長は不思議そうな表情をしたが、「面白い考え方だ」と頷いた。 そして三週間目。俺は軍の内部構造をかなり把握していた。誰が重要な決定権を持ち、誰が実務を動かしているのか。公式の序列と実質的な力関係の違い。命令系統のボトルネック——。 「この軍、読める」 俺は小さく呟いた。表面上は混沌としているようでも、そこには明確なパターンがあった。それを読み解くのは、タロカや麻雀の「流れ」を読むのと何ら変わらない。 「勝負の匂いがしないな、この場所は……だが、動きは読める」 かつて麻雀荘で感じた「勝負」の味わいはなくとも、この場所には新たな「読み」の楽しさがあった。それに気づいた時、俺の表情が少し変わったのかもしれない。 兵士や伝令たちとの関係を築きつつあるとはいえ、軍内での孤立感は依然として強かった。だが、前世では麻雀しか頼れるものがなかった俺が、この世界では少しずつ人間関係を構築していく手応えを感じていた。『読み』だけでなく、『繋がり』も大事なのかもしれない。

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第7話「才女参謀との出会い」

「情報分析の基本はね、点と点を繋げることよ」 セリシアは机の上に広げた地図を指しながら説明していた。北方軍総司令部での勤務が始まって1週間が経ち、俺はようやく本格的な任務に取り組み始めていた。 「例えば、ここで敵の偵察部隊が目撃されて、同じ日にここで補給車列が増えている。この二つの情報からは何が読み取れる?」 彼女の鋭い眼差しが俺に向けられる。セリシア・ヴェル=ライン少尉。15歳の俺と同年代なのに、すでに参謀として確固たる地位を築いている才女だ。初日の緊張感こそ解けたものの、彼女の厳しい指導は変わらない。 「えっと……この地点に兵力を集めようとしてるってことかな」 「そう。基本的には合っているわ」 彼女は満足げに頷いた。小さな褒め言葉にほっとする。 「でも、それだけじゃ不十分」 やっぱり褒めてくれないか。内心で苦笑しながら、彼女の続きを聞く。 「可能性は複数考えるべきよ。例えば、本当の目標はここじゃなくて、偵察はわざと目立つように行動して、我々の注意を引くための囮かもしれない」 「なるほど……」 「常に複数の可能性を検討し、確率の高いものから優先順位をつける。これが戦術分析の基本よ」 セリシアの論理的な思考には感心する。頭の回転が速くて、筋道立てて考える能力が半端じゃない。 「わかった。複数の可能性か……」 「ソウイチロウ、あなたは『読み』が得意なんでしょう? それを戦術に活かすのよ」 「読みか……」 麻雀で培った読みの感覚。相手の捨て牌から手の内を推測し、次の一手を予測する。確かに似ているかもしれない。 「試しにこの状況を分析してみて」 セリシアは別の地図を広げた。北部国境に近い山岳地帯の図だ。そこには敵軍の動きを示す赤い印がいくつか付けられている。 「ここ1週間のエストレナ帝国軍の動きよ。何か気づく?」 俺は地図を食い入るように見つめた。山と谷、小さな村々、そして赤い印。頭の中でそれらを繋げていく。麻雀の卓を前にした時のように、パターンを探す。 「ここに集中してるけど……わざとらしくない?」 セリシアの眉が少し上がった。 「どういう意味?」 「だって、ここまで露骨に同じ場所に集まったら、こっちに警戒されるのは明らかじゃない? わざと見せてるように思える」 「そう考えるのね……」 彼女は腕を組んで考え込んだ。 「他には?」 「え? それだけじゃダメ?」 「もっと論理的に説明して」 彼女の厳しい目に、少し焦る。 「うーん……」 地図をもう一度よく見ると、別のパターンに気づいた。 「あ、これ見て。偵察部隊の動きが、一定のリズムを持ってる。3日おきに同じルートを通ってる。これは習慣化された行動パターンだよ。本当の作戦なら、もっと不規則にするはず」 セリシアの表情が少し変わった。 「なるほど……確かにそうね」 彼女は少し感心したような顔をしている。小さな勝利感に、内心でガッツポーズ。 「じゃあ、本当の目的は何だと思う?」 「それは……」 俺は地図をもう一度見直した。偵察部隊の動きが目立つ一方で、他の場所では何が起きているのか? 「ここだ」 俺は地図の別の場所を指した。小さな峠道のある場所だ。 「ここは一見何もないように見えるけど、実はこの谷を通れば、我々の補給路に最短で出られる。敵は他の場所で目立つ動きをして、実はこっちに少数精鋭を送り込もうとしてるんじゃないかな」 セリシアは黙って俺の分析を聞いていた。そして、ゆっくりと頷いた。 「面白い視点ね……今日の戦術会議で、その意見を言ってみたら?」 「え? 今日、戦術会議があるの?」 「ええ、午後からよ。将軍も参加する重要な会議」 緊張感が湧き上がってくる。まだ軍に来て1週間の新人が、重要な会議で発言なんて……。 「大丈夫かな……」 「自信を持って。あなたの『読み』は独特だから」 セリシアの言葉に少し勇気づけられた。彼女は厳しいけど、ちゃんと俺の才能を認めてくれている。そう思うと、少し嬉しかった。 *** 戦術会議の大きな会議室に、軍の高官たちが集まっていた。細かな軍服の違いで階級がわかるようになってきたけど、まだ全員の顔と名前は一致しない。ドーソン少佐やセリシア以外は、まだ距離感がある。 「では会議を始める」 アルヴェン将軍の一声で、会議室が静まり返った。 「今日の議題は北部国境の防衛計画だ。エストレナ帝国軍の動きが活発化しており、我々の対応を決める必要がある」 将軍は地図を指しながら説明を続けた。まさにセリシアと見ていた地図と同じ地域だ。 「現在、帝国軍は主にこの地域で活動している」 将軍が指したのは、俺たちが先ほど分析した地域だった。どうやらこれは実際の作戦会議だったんだな。さっきはセリシアに試されていたんだ。 「この状況について、セリシア少尉、見解を述べよ」 「はっ!」 セリシアが立ち上がり、敬礼した。 「私の分析では、帝国軍は明らかにこの山岳地帯での正面攻撃を準備しています。偵察部隊の動き、補給線の強化、さらには密偵から得た情報を総合すると、2週間以内に大規模な攻撃が予想されます」 彼女の声は落ち着いていて、論理的だ。周囲の士官たちも頷いている。 「対策としては、この三つの峠にそれぞれ一個中隊を配置し、予備隊を後方に置くことを提案します。さらに、偵察隊を増強して……」 セリシアは詳細な防衛計画を説明していった。理論的で隙のない計画に思える。軍事学校首席の実力は伊達じゃない。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第7話「才女参謀との出会い」

「エストガード殿、今日の戦術会議に同席するように」 朝の書類整理中、参謀長の副官から突然の指示が下った。俺は一瞬、耳を疑った。 「私が、戦術会議に?」 「将軍の命令だ。十時から司令部中央会議室だ。遅れるな」 副官は素っ気なく言い残すと、踵を返して去っていった。 軍に来て一ヶ月。ようやく雑用以外の任務が与えられる。しかも戦術会議——軍の中枢機能そのものだ。 (何かあったのか?) 伝令書類から得た情報によると、北部国境で小規模な衝突が発生している。エストレナ帝国との小競り合いだ。それほど深刻な状況ではないが、軍は警戒態勢を強めていた。 定刻より少し早く、俺は会議室に向かった。部屋に入ると、すでに十数名の高級将校が集まっていた。各自が地図や書類を広げ、小声で議論している。俺が入室すると、一瞬、部屋の空気が凍りついた。 「あの子供が何のために?」 「将軍の気まぐれだろう」 あからさまな侮蔑の囁きが聞こえる。俺は何も言わず、端の席に静かに着いた。 そこへ、一人の女性将校が入ってきた。銀色の髪を厳しく後ろで束ね、鋭い眼差しを持つ、二十歳前後の美しい女性。軍服の肩章から少佐の階級だとわかる。 セリシア・ヴェル=ラインの名は、軍内でも知られていた。名門軍人貴族の出であり、若くして参謀として頭角を現した才女。彼女について「冷静すぎる」「感情より論理を優先する」といった評判も耳にしていた。 彼女が部屋に入ると、先ほどまで俺に向けられていた視線が一斉に彼女に集まった。尊敬と警戒が入り混じったような奇妙な雰囲気。 「セリシア少佐、久しぶりだな」 「東部国境での任務はどうだった?」 彼女——セリシアは短く頷いただけで、淡々と自分の席に着いた。常に片手に小さな水晶のような装置を持ち、時折それに何かを記録しているようだった。 彼女の存在感は、年齢や階級以上のものがあった。そしてその秘密を、俺はすぐに知ることになる。 「起立!」 副官の号令とともに全員が立ち上がると、アルヴェン将軍が入室してきた。一ヶ月ぶりの再会だ。将軍は俺に一瞬目をやり、小さく頷いただけで、すぐに会議を始めた。 「現在の北部国境情勢について、参謀長から報告を」 参謀長が地図を示しながら、エストレナ帝国軍の動きと北方軍の現状配備を説明した。帝国軍はまだ本格的な侵攻の準備はしていないが、小規模な偵察部隊が頻繁に国境を越えて挑発行為を繰り返しているという。 「このままでは士気に関わる。反撃すべきだ」 「いや、罠かもしれん。大軍を動かす口実を作らせるべきではない」 将校たちの間で議論が白熱する中、将軍は静かに耳を傾けていた。そして場が少し落ち着いたところで、意外な人物を指名した。 「セリシア、東部国境から戻ったばかりだが、北部の状況についての見解は?」 彼女は立ち上がり、手元の水晶を軽く輝かせた。すると空中に細かい数値と図表が浮かび上がる。魔導記録石の投影機能だ。 「過去三ヶ月の帝国軍の動きを分析すると、彼らは系統的な偵察パターンを持っています。第三中隊の報告によれば、彼らは常に同じ時間帯に現れ、同様の動きをしています」 彼女の分析は明確で論理的だった。装置から次々と示される情報をもとに、帝国軍の真の意図を推測していく。 「彼らの目的は単なる挑発ではなく、我が軍の対応パターンを記録することです。同じ挑発に対して常に同じ反応をすれば、実戦での我々の動きを予測されます」 セリシアの提案は斬新だった。敵の偵察に対し、毎回異なる対応をするという戦術。予測不能な動きで敵の情報収集を無効化するという発想だ。 「理論的には正しいが、現場の混乱を招くぞ」 ある大佐が反論した。 「下級将校や兵士たちは、明確で一貫した命令を必要としている。毎回異なる対応では混乱し、士気が下がる」 セリシアは冷静に反論する。 「それは短期的な問題です。長期的に見れば、敵に予測されない軍こそが強いのです」 議論は白熱した。俺は黙って観察していたが、ある違和感を覚えていた。 (彼女の理論は完璧だが、何か足りない……) セリシアの戦術は論理的に正しい。だが、そこには「人間」という要素が欠けているように思えた。 彼女の眼差しには冷たさがあったが、その奥に何か——使命感や孤独さのようなものも垣間見えた気がした。論理に生きる彼女の内面には、何があるのだろう。 「エストガード殿」 突然、将軍が俺の名を呼んだ。 「はい」 「君はタロカの対局者として、この状況をどう見る?」 一瞬、部屋中の視線が俺に集まった。多くは「何を言い出すんだ」という軽蔑の眼差し。セリシアも冷ややかな目で俺を見ていた。 「私はセリシア少佐の分析に異論はありません。しかし、補足したい点があります」 俺は席を立ち、ゆっくりと話し始めた。 「タロカでは、相手の読みを外すために牌を変則的に切ることがあります。それは理論的には正しい戦術です」 セリシアは僅かに眉を上げた。 「しかし、そのような変則的な動きは、時に自分自身の流れも崩してしまう。人間は機械ではなく、常に論理的に動けるわけではありません」 俺は別の提案をした。変則的な対応をするのは良いが、それを徐々に段階的に変えていくこと。兵士たちにも理解させながら、少しずつ対応パターンを変化させる方法だ。 「それでは敵に読まれるリスクが残る」 セリシアが即座に反論した。 「はい、短期的にはそうです。しかし、兵士たちの混乱が少なければ、より正確に命令を実行できます。理論と実践のバランスが重要なのではないでしょうか」 会議室が静まり返った。若造の提案に、将校たちは半信半疑の表情だ。 「面白い視点だ」 将軍がようやく口を開いた。 「セリシアの理論と、エストガードの実践感覚。両方に価値がある」 そして驚くべき指示を出した。 「両方の案を準備せよ。二つの対応策を競わせて、より効果的な方を実戦に採用する」 会議終了後、俺はセリシアに近づいた。 「初めまして、ソウイチロウ・エストガードです」 彼女は冷たい目で俺を見た。 「セリシア・ヴェル=ライン。私の案に異を唱えるとは、大胆ね」 「異を唱えたわけではありません。ただ、違う視点から見ただけです」 「そう」 彼女は俺を値踏みするように見つめた後、小さく呟いた。 「タロカの戦術家か。興味深いわ」 そう言うと、彼女は踵を返して歩き去った。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第8話「模擬戦、開戦」

「将軍、セリシア少尉の計画を採用すべきです」 執務室に集まった参謀たちの前で、ドーソン少佐が強く主張していた。昨日の会議から一夜明け、セリシアと俺はそれぞれの作戦計画を提出した。アルヴェン将軍はそれらを並べて眺めている。 「ソウイチロウ見習い補佐官の計画は根拠に乏しく、兵を危険にさらすものです」 ドーソン少佐の視線が俺に向けられる。まるで鋭い刃物のような目だ。動揺しないように、俺は平静を装った。 「セリシア少尉の計画は情報部のデータに基づいており、最も合理的です」 将軍はゆっくりと二つの計画書に目を通している。俺の計画は、敵の偵察隊の動きが囮であるという予測に基づき、小さな峠道に伏兵を配置するというものだ。一方、セリシアの計画は正面防衛を強化するものだった。 「どちらも一理ある」 将軍がようやく口を開いた。 「問題は、どちらが正しいかだ」 「でも、それを知る方法はありません」セリシアが冷静に言った。「帝国軍が実際に動くまでは」 「そうだな……」 将軍はしばらく考え込み、急に顔を上げた。 「モデル演習を行おう」 「モデル演習ですか?」ドーソン少佐が首をかしげた。 「そうだ。セリシアとソウイチロウの計画、どちらが有効か、小規模な実験で確かめよう」 この提案に、部屋の空気が変わった。モデル演習とは、実際の兵を使って模擬戦を行い、作戦の有効性を検証するものだ。実戦規模ではないが、かなり本格的な訓練だという。 「具体的にはどうするんですか?」俺は緊張しながら聞いた。 「小隊規模でいい。ソウイチロウの計画とセリシアの計画、それぞれを実行する防衛側を用意する。そして、別の小隊に帝国軍役をさせる」 「明日にでも実施できます」ドーソン少佐が言った。 「いや、今日だ」 「今日、ですか!?」 将軍は頷いた。 「敵はいつ動くかわからない。早急に方針を決める必要がある」 誰も異議を唱えられなかった。 「では、準備を始めよ。ソウイチロウ、セリシア、それぞれ自分の計画を指揮してくれ」 「えっ、私が?」 思わず声が上ずってしまった。計画を立てるのは一つだけど、実際に兵を指揮するなんて……。 「もちろんだ。自分の計画は自分で証明すべきだろう」 将軍の言葉には反論の余地がなかった。セリシアは冷静に敬礼した。 「了解しました」 俺も慌てて敬礼する。 「が、頑張ります!」 これは思わぬ展開だ。計画が採用されるかどうかだけでなく、自分で指揮も取るなんて。緊張で胃がキリキリしてきた。 *** 「これが今日の演習場となる地域だ」 兵舎の隣にある作戦室で、ドーソン少佐が地図を広げて説明していた。実際の北部国境の地形を模した丘陵地帯が、司令部から数キロ離れたところにあるらしい。 「防衛側は青チームと赤チーム、攻撃側は黄チームとする」 地図には各チームの初期配置が示されていた。青チームはセリシアの計画に基づいて正面防衛を固める。赤チームは俺の計画で、峠道に重点を置く。そして黄チームは仮想敵となる帝国軍だ。 「各チーム20名ずつ、合計60名で行う」 これだけの規模の演習を急に組むなんて、北方軍の機動力は凄まじい。さすが最前線の部隊だ。 「それぞれの指揮官は?」 「青チームはセリシア少尉、赤チームはソウイチロウ見習い補佐官、黄チームはグレイ中尉だ」 グレイ中尉という名前は聞いたことがある。若くして頭角を現した実戦派だとか。なかなかの強敵らしい。 「演習の勝敗基準は?」ドーソン少佐はメモを見ながら続けた。「黄チームが防衛ライン突破に成功すれば攻撃側の勝ち。12時間耐えれば防衛側の勝ちだ」 「12時間ですか!?」 さすがに驚いた声が出た。日が暮れてからも続くのか。 「本物の戦場には時間制限などないぞ」ドーソン少佐は厳しい目で俺を見た。「それが嫌なら、今すぐ辞退しても構わない」 「い、いえ! やります!」 引くわけにはいかない。これは自分の読みを証明するチャンスだ。 「では、各自装備を受け取り、30分後に集合せよ」 「はっ!」 全員が敬礼し、解散した。 *** 「赤チームのみんな、聞いてくれ」 20人の兵士を前に、俺は緊張しながら作戦を説明していた。彼らの表情は様々だ。好奇心に満ちた若い兵士もいれば、明らかに不満そうな年配の兵もいる。「坊ちゃん補佐官」に指揮されることに納得していないのだろう。 「敵は最初、正面から攻めてくるように見せかけて、実は補給路を狙っていると思われる」 地図を指しながら説明を続ける。 「だから、私たちはこの峠道に重点を置く。ここに10名、残りの10名は正面に配置する」 「補佐官、申し訳ありませんが」中年の下士官が手を挙げた。「グレイ中尉は狡猾な戦術家です。本当に峠を狙うと思いますか?」 「ああ、そう思う」 俺は自信を持って答えた。 「敵の立場で考えてみてください。正面突破は難しい。でも小さな隙を突ければ、少ない戦力で大きな成果を上げられる。だから峠道を使うんです」 「しかし、情報部の報告では……」 「情報は時に欺くためにも使われます」 俺は麻雀の経験を思い出していた。相手に手の内を悟られないように、あえて別の牌を切ることもある。戦場も同じではないだろうか。 「私はこう読みました。信じてもらえますか?」 兵士たちは互いに顔を見合わせた。完全には納得していないようだが、命令には従うだろう。 「わかりました。指示に従います」下士官は渋々と頷いた。 「ありがとう。では配置につこう」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人