第6話「軍の空気は冷たい」
「ソウイチロウ見習い補佐官!」 執務室のドアが勢いよく開き、ドーソン少佐が現れた。俺は慌てて立ち上がる。 「はっ!」 とりあえず敬礼のマネをしてみたが、どうやら形が違ったらしい。ドーソン少佐は眉をひそめた。 「敬礼の仕方も知らないのか。まったく……」 北方軍総司令部での勤務が始まって3日目。相変わらず、少佐は俺に対して冷たい態度を崩さなかった。 「すみません。これから覚えます」 「今日は書庫の整理を手伝え。それから将軍への朝の報告書を配達しろ」 「はい、少佐」 少佐は書類の束を机に置くと、ため息をついて部屋を出て行った。 (雑用係か……まあ、しょうがないか) 俺は諦めの心境で書類を整理し始めた。期待していた「戦術家としての第一歩」なんて夢のまた夢。ここ数日は雑用ばかりで、とても補佐官見習いという仕事には思えない。 午前中いっぱいを書庫の整理に費やした後、昼食のために食堂に向かう。廊下で、若い士官たちがこちらを見て小声で話しているのが聞こえた。 「あれが噂の"坊ちゃん補佐官"か?」 「将軍のお気に入りらしいな」 「何も知らない子供に何ができるっていうんだ」 「親の七光りだろ」 (七光りじゃないんだけどな……) 心の中でつぶやきながらも、表面上は気にしていない素振りで歩き続ける。これも3日目にして慣れてきた光景だ。 食堂では、相変わらず一人で食事を取ることになった。クラウスおじさんは今日は別の任務で外出中らしい。テーブルの端に座り、スープとパンを黙々と食べる。 「隣、いいかな?」 突然声がかかり、顔を上げるとセリシアが立っていた。軍服姿の彼女は、相変わらず凛々しい。 「どうぞ」 彼女は俺の向かいに座り、トレイを置いた。周囲から視線が集まるのを感じる。セリシア少尉が「坊ちゃん補佐官」と一緒に食事をするなんて、珍しい光景なのだろう。 「調子はどう?」 「まあ、順応してるところかな」 セリシアはスープをすすりながら、小声で言った。 「みんな最初は敵意を向けるものよ。気にしないこと」 「ああ……気づいてた?」 「見ればわかるわ」彼女は冷静に答えた。「でも、将軍があなたを選んだのには理由がある。あなた自身が証明すればいいだけよ」 「そう簡単にいくかな……」 「……明日、戦術会議があるわ。あなたも参加することになってる」 「え? 本当に?」 「ええ。第一歩のチャンスよ。準備しておきなさい」 セリシアは食事を終えると、さっと立ち上がった。 「頑張りなさい、ソウイチロウ」 そう言って彼女は去っていった。残された俺は、少し心が軽くなった気がした。 *** 午後、司令部の廊下を行き来しながら、俺は伝令業務をこなしていた。書類を届けたり、口頭での伝言を運んだり。シンプルな仕事だが、面白いことに気づいた。 (あれ? この伝令のルート、何か法則性があるな) 何度も同じ場所を行き来していると、情報の流れが見えてきた。誰から誰へ、どんな内容が、どのタイミングで伝わるのか。 「これって……麻雀の"河"を読むのと似てるな」 前世で麻雀をやっていた時、他のプレイヤーの捨て牌(河)から手の内を読むのが得意だった。この伝令ルートも、情報の流れという点では似ている。 「なるほど……だからこの時間には補給部からの報告が来て、次に情報部へ行くのか」 頭の中で情報の流れを整理していくと、軍の組織がどう動いているのか、少しずつ見えてきた。誰が重要な情報を持っていて、誰がそれを必要としているのか。命令はどこから発せられ、どのように伝達されるのか。 「面白いな……」 夕方になり、将軍への最後の報告書を届けた後、執務室に戻る。そこでセリシアと鉢合わせた。 「何をしていたの?」 「伝令業務」 「伝令? それだけ?」 「うん……でも、面白いことに気づいたんだ」 セリシアは首を傾げた。 「何に?」 「情報の流れにパターンがあるんだ。例えば、北部国境の報告は常に午前中に来て、そこから30分以内に参謀本部と補給部に伝わる。でも先に参謀本部に行くと、その後の動きが変わるんだ」 彼女は驚いたような表情になった。 「ほかにも、ハーゲン大佐からの伝令は必ずバッカス中佐を経由して参謀部に伝わるけど、バッカス中佐がいないときは直接ドーソン少佐に行く」 「あなた……たった3日でそんなことまで観察していたの?」 「まあ、何度も行き来してるうちに気になったから」 セリシアは少し考え込むように俺を見た。 「それを紙に書き出してみて」 「いいよ」 執務室の机に向かい、俺は頭の中にある情報の流れを図式化していった。線と矢印で繋がれた複雑な図が完成する。 「こんな感じかな」 セリシアは黙って図を見つめた。 「これは……情報伝達図?」 「うん。伝令ルートだけじゃなくて、時間帯や優先順位、内容によって変わる流れも入れてみた」 「こんな風に整理できるなんて……」 ...