第3話「タロカという遊戯」

ニコラス男爵の館は、エストガード家より少し規模が大きく、装飾も華やかだった。俺たち一行が到着すると、すでに多くの貴族たちが集まっていた。 「ソウイチロウ、社交の場では極力目立たないようにな」 レイナード兄は小声で忠告した。俺が剣術の才能に欠けることは周知の事実。地方貴族の中でも、エストガード家の「出来の悪い養子」として知られていた。 「わかってる」 俺は静かに頷いた。目立たないのは得意だ。前世でも、麻雀以外では目立つことはなかった。 広間の一角では、年配の貴族たちが熱心に何かをしていた。テーブルに向かい、何やら四角い板状のものを並べている。好奇心に負け、俺は近づいてみた。 「ほう、これは見事なタロカだ」 「今夜は勝負に出たかったのだが、運が向いていないようだな」 貴族たちの会話が聞こえてくる。テーブルには「タロカ」と呼ばれる木製の牌が並べられていた。それぞれに様々な紋章や数字が刻まれている。 「タロカか……」 一瞥しただけで、俺の脳が活性化した。配牌、組み合わせ、読み合い——どこか麻雀を思わせる。牌の種類は異なるが、いくつかの牌を並べて役を作る点は共通しているようだ。 「おや、若い衆も興味があるのかね?」 年配の貴族が気づいて声をかけてきた。 「はい、少し」 「タロカは我々貴族の遊戯じゃ。運と頭脳を競う、高貴な遊びだ」 貴族は誇らしげに説明した。周囲の者たちも、少し賭けをしながらタロカを楽しんでいるようだった。 「一局いかがかね? エストガード家の養子殿」 別の貴族が言った。その眼差しには、やや侮蔑の色が混じっていた。おそらく簡単に勝てる相手と思っているのだろう。 「……お願いします」 俺は座を勧められるままに着席した。ルールを簡単に説明された。タロカは五種の紋章と十三の数で構成され、特定の組み合わせに価値がある。手番では牌を一枚引き、不要な牌を一枚捨てる。特定の役が揃えば「タロ」と宣言し、勝負が決まる。 タロカは五種の紋章と十三の数で構成される。『星』『炎』『龍』『風』『月』の紋章と、1から13までの数字を組み合わせた牌を使う。特定の役——『星天の刻』や『龍炎の業』などの組み合わせに高い価値がある。麻雀でいう役満のような存在だ。手番では牌を一枚引き、不要な牌を一枚捨てる。特定の役が揃えば『タロ』と宣言し、勝負が決まる。 (これ、麻雀とドンジャラを混ぜたような……) 牌を配られ、俺は自分の手牌を見た。たった十三枚の牌だが、その中から最適な組み合わせを見出す感覚。これこそ、前世で何度も味わった感覚だった。 「若造が相手では面白くないな」 「教えながら打とうではないか」 貴族たちは余裕綽々としていた。しかし、俺の頭の中ではすでに計算が始まっていた。場の雰囲気、相手の表情の変化、牌を切る速度——すべての情報が意味を持つ。 数巡後、俺は静かに声を上げた。 「タロ」 牌を開示すると、場が静まり返った。 「こ、これは……『星天の刻』!」 「初心者がこの役を? 偶然か?」 相手の貴族は信じられないという顔をしていた。俺が出した役は、かなり希少な組み合わせだったらしい。 しかし俺には、それが偶然でないことがわかっていた。相手の捨て牌の傾向から、持っている牌をある程度予測。そして自分が狙うべき組み合わせを見極めた結果だった。 「もう一局、頼む」 先ほどまで俺を見下していた貴族が、今度は真剣な表情で言った。周囲にも人が集まり始めていた。 二局目も、三局目も。俺は勝った。技術というより、「場」を読む感覚が研ぎ澄まされていた。他のプレイヤーの心理パターン、牌の流れ——すべてが麻雀で鍛えた「読み」に通じていた。 「……これ、なんか懐かしいな」 対局の合間、そんな思いが胸をよぎった。 「まだ"打ちたい"と思ってる自分がいる」 麻雀に飽きていたはずの俺が、このタロカに対して湧き上がる情熱を感じていた。前世で最後に見た手牌を思い出す。あの時は「勝ちたい」と思えなかった。でも今は違う。勝ちたい。もっと打ちたい。 「あの少年、ただ者ではないな」 「エストガード家の養子が、こんな才能を?」 周囲がざわめき始めていた。貴族たちの視線が俺に集まる。その中には、単なる好奇心だけでなく、計算高い打算も混じっていた。 レイナード兄が近づいてきて、小声で言った。 「ソウイチロウ、お前、一体何をしているんだ?」 「タロカをやってるだけだよ」 「目立たないようにと言ったはずだが……」 彼は困惑した表情を見せたが、その眼差しには驚きと誇らしさも垣間見えた。 「まあいい。ただ、貴族の世界は複雑だ。才能を見せれば見せるほど、利用しようとする者も現れる」 彼の警告は的確だったが、その時の俺には届かなかった。俺はただ、この感覚に酔いしれていた。「読み」が活きる場所。「流れ」を感じられる場所。「勝負」ができる場所——。 ここに、俺の"戦場"があったのだ。

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第4話「将軍との一局」

「アルヴェン将軍が、また来られるそうよ」 朝食の席で、義母のリアーナが言った。誕生日パーティーから一週間が経っていた。 「将軍がですか?」 俺は驚いて顔を上げた。あの日以来、あのタロカの勝負のことを考えない日はなかった。でも、まさか本当に将軍が再訪してくるとは。 「そうだ」義父のグレンが頷いた。「どうやら、お前に会いたいとのことだ」 テーブルの向かいに座っていたハーバートが、口元に笑みを浮かべた。 「ほら見ろ、言った通りだろう。将軍がソウイチロウに興味を持ったんだよ」 「でも、なぜ僕なんかに……」 「謙遜することはないわ」リアーナが優しく言った。「あなたのタロカの腕前は、パーティーの話題になったのよ。特に、相手の手を読む力が素晴らしいって」 俺は照れくさくなって、パンをちぎりながら黙り込んだ。前世の麻雀の経験があるとはいえ、たった一度のゲームでそこまで評価されるとは思わなかった。 「将軍は午後に来られるそうだから、ちゃんと正装しておくのよ」 「はい、わかりました」 朝食を終えた後、俺は自室に戻り、新しく作った緑色の正装を出した。前のよりも少し慣れて、着心地も良くなっている。 (アルヴェン将軍か……一体何の話をするんだろう) 窓の外を眺めながら、俺は考え込んだ。 *** 「ようこそ、将軍」 エストガード家の応接間で、グレンはアルヴェン将軍を迎えた。灰色の髪に整えられた髭、堂々とした体格の男性だ。五十代半ばくらいだろうか。軍服の胸には数々の勲章が輝いている。 「グレン、久しぶりだな」 二人は昔からの知り合いらしく、親しげに挨拶を交わした。 「こちらが私の次男、ソウイチロウだ」 グレンに促され、俺は一歩前に出て丁寧にお辞儀をした。 「ソウイチロウ・エストガード、お目にかかれて光栄です」 「これは立派な青年だ」将軍は満足げに頷いた。「前回はパーティーの喧騒でゆっくり話せなかったが、今日はじっくりと話をしたい」 「どうぞ、こちらにお掛けください」 リアーナが応接間の椅子を勧めた。紅茶とお菓子が用意され、家族と将軍が席に着く。俺も促されるまま、将軍の向かいの席に座った。 「それで、ソウイチロウ」将軍が俺に向き直った。「君のタロカの腕前について、もう少し知りたいと思っている」 「はい……」 俺は緊張しながらも、素直に答えることにした。 「実は、あれが初めてだったんです」 「初めて?」将軍の眉が上がった。「あの読みが初めてのゲームでできるものだとは思えないが」 「まあ、似たような……」 言いかけて、ハッとした。前世の麻雀の話はできない。 「似たような?」 「いえ、なんとなく感覚が掴めたというか……」 将軍はしばらく俺を見つめていたが、やがて納得したように頷いた。 「才能というものは、時に理屈では説明できないものだ。私も若い頃、初めて馬に乗った時に『乗り方を本能的に理解した』と言われたことがある」 「そう、そうなんです」 俺は安堵の息を吐いた。 「それで、将軍は何故僕に興味を?」 「率直に言おう」将軍はカップを置き、真剣な表情になった。「我々の国は今、非常に危険な状況にある。エストレナ帝国の脅威は日に日に増しており、優秀な戦術家を必要としている」 「戦術家……」 「そうだ。君のような読みの才能を持つ者は、戦場で大いに活躍できるだろう」 俺は黙って聞いていた。前世では麻雀の才能すら活かせなかった。それが、この世界では国の命運を握る重要な能力になるかもしれないというのだ。 「とはいえ、一度のゲームだけでは判断できない。もう一度、タロカの対局をしてみないか? 今度は私と」 「えっ、将軍とですか?」 思わず声が上ずった。北方軍の総司令官とゲームをするなんて。 「ご心配なく」将軍は笑った。「私もタロカは大好きなんでね。王都の大会で優勝したこともあるんだ」 それはますます緊張する。素人の俺が相手をするなんて、分不相応だろう。 「あの、私なんかでよろしいのでしょうか……」 「遠慮することはない。君の才能を確かめたいんだ」 グレンとリアーナも励ますように頷き、ハーバートは親指を立てて応援してくれた。 「……わかりました。やらせていただきます」 将軍は満足げに頷くと、懐からタロカの牌が入った箱を取り出した。 「では、始めよう」 *** テーブルの上に、美しい彫刻が施されたタロカ牌が並べられた。前回のものよりも高級感があり、牌の動きもスムーズだ。 「これは王室特製のタロカ牌だ。私の宝物の一つさ」 将軍は牌を丁寧に混ぜながら説明した。 「では、配るぞ」 10枚の牌が俺の前に整然と並べられた。将軍も同じく10枚を手にする。前回と違い、今回は二人での対局だ。 俺は配られた牌を見た。 (数字の2、3、9……花の「月」「雨」「星」……特殊札の「魔術師」「戦士」……う~ん、バラバラだな) 前回ほど良い手ではない。でも、数字の2と3が来ているので、これを伸ばせば「小進行」が狙える。花札も3枚あるので「天体の調和」が狙えるかもしれない。 「若い者が先だ」 将軍の言葉に、俺は頷いて山札から1枚引いた。「数字の4」だ。これは良い。2、3、4と連番になった。 「数字の9を捨てます」 連番と関係ない9を捨てる。将軍は少し考えてから、山札から1枚引き、「花の太陽」を捨てた。 (花札は集めていないのかな?) ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第4話「将軍との一局」

「将軍アルヴェン閣下が到着されました!」 館の執事の声が響き渡ると、広間の空気が一変した。貴族たちは慌ただしく整列し、敬意を表する態勢を整える。 俺は静かに後方へ下がった。ニコラス男爵の遊戯会が始まって三日目。タロカの腕前が評判になり、今日はさらに多くの貴族たちが集まっていた。だが将軍の訪問は想定外だったようで、主催者も慌てている。 噂では、アルヴェン将軍は以前から若い才能の発掘に熱心だという。王国の将来を見据え、可能性ある若者を軍に取り込もうとしているのだ。 「我が館へようこそ、アルヴェン閣下」 ニコラス男爵が深々と頭を下げる中、堂々とした体格の中年男性が入ってきた。フェルトリア王国北方軍の総司令官、アルヴェン・グランツ将軍。軍の英雄として名高く、戦場での戦術眼は王国一と言われている。 「やむを得ない用件で近隣に来ていた。噂に聞くタロカの集いがあると聞き、少しの間お邪魔させてもらおうと思ってな」 将軍の声は低く、しかし広間全体に届くほど響いた。 「光栄です! ぜひお楽しみください」 ニコラス男爵は喜びを隠せない様子で、最上の席を用意させた。アルヴェン将軍は館内を見渡し、タロカが行われているテーブルに目を留めた。 しかし、男爵の側近の一人が「将軍はタロカの集いについて予め耳にしていたようだ」と小声で話しているのが聞こえた。 「誰か相手をしてくれる者はいるか?」 一瞬、広間が静まり返った。将軍との対局は名誉なことだが、彼の戦術眼はタロカにも表れるという。負ければ恥をかくことになる。 「この少年はどうだ? この数日、無敗と聞いたが」 将軍の視線が俺に向けられた。周囲からどよめきが起こる。 「あ、あの者は……エストガード家の養子でして」 ニコラス男爵が慌てて説明し始めたが、将軍は手を上げて遮った。 「身分は関係ない。タロカに才のある者と打ちたいのだ」 俺は緊張しながらも、静かに前に出た。 「ソウイチロウ・エストガードと申します。光栄です、将軍閣下」 アルヴェンは頷き、席に着くよう促した。広間の人々が見守る中、俺たちの一局が始まった。 最初の配牌で、将軍はにやりと笑った。良い手が入ったのだろう。 「若いな。何歳だ?」 「十五になったばかりです」 「タロカを始めて長いのか?」 「いいえ、この集いで初めて知りました」 その答えに、将軍は眉を上げた。 「たった三日でこの腕前とは」 彼は余裕の表情で牌を操作する。確かに手慣れた動きだ。だが俺は相手の捨て牌の順番、微妙な表情の変化から、彼の手牌を読み始めていた。 (龍の紋章に四と八……炎の紋章に六と九……彼は「龍炎の業」を狙っている) 俺は静かに自分の手を組み立てながら、相手の動きを観察し続けた。 数巡後、将軍の動きが変わった。彼の表情に自信が見える。紋章の揃う「竜炎の業」が完成に近づいているのだろう。 しかし、俺はある牌を切った。 将軍の表情が微かに歪んだ。 (この反応……俺の読みは当たっていた) 俺が切った牌は、将軍が欲しがっていた牌だった。彼は「龍炎の業」を完成させるため、最後の一枚を待っていた。だが俺はそれを見抜き、あえて捨てたのだ。 「ほう……」 将軍が低く呟いた。それまでの子ども扱いする態度が消え、真剣な眼差しになっていた。 その後の展開は、緊張感に満ちたものとなった。俺は将軍の「待ち」を読みながら、自分の手も組み立てていく。相手の牌を拾わせず、かつ自分の完成を急ぐ——。それは麻雀の対局そのものだった。 「タロ」 俺は静かに宣言し、手牌を開示した。「星天の刻」と「風月の詩」の複合役。かなり難しい組み合わせだった。 広間が静まり返った。将軍の手には「龍炎の業」が一歩手前まで完成していた。 アルヴェンは額に汗を浮かべ、しばらく俺の手牌を見つめていた。 「見事だ」 彼はついに口を開いた。 「私が待っていた牌を見抜き、封じた。単なる運ではない」 将軍は立ち上がり、俺を見下ろした。 「この才は、戦場でこそ活きる」 その言葉に、広間がざわめいた。フェルトリア王国北方軍の総司令官が、一地方貴族の養子を認めたのだ。 席を立つ将軍を見送りながら、俺は小さく微笑んだ。 「“戦"か……賭け甲斐がありそうだな」 あの日、雀荘で感じた空虚さ。最後の手牌で感じた未練。それらが今、この異世界で新たな形を見出そうとしていた。 将軍が去った後も、貴族たちの視線が俺に集まっていた。彼らの目には、昨日までとは違う色が宿っていた。

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第5話「軍に拾われた少年」

「え……!? ソウイチロウが軍に?」 朝食のテーブルで、ハーバートは驚きの声を上げた。アルヴェン将軍の訪問から3日後、王都からの使者が届けた書状が読み上げられていた。 「そうだ」義父のグレンは厳かな面持ちで頷いた。「王命により、ソウイチロウは北方軍の補佐官見習いに任命された」 テーブルに沈黙が落ちる。俺は自分の耳を疑った。王命? つまり国王陛下の命令で俺が軍に入るというのか? 一度のタロカ対局で、そこまでの話になるとは思ってもみなかった。 「具体的には、どういう……?」 言葉を選びながら尋ねる俺に、義母のリアーナが答えた。 「来週から北方軍総司令部に勤務することになるそうよ。アルヴェン将軍の直属の補佐官見習いとして」 「こんなに急に決まるものなのか?」ハーバートが首を傾げた。 「それだけ、切迫した状況なのだろう」グレンは重々しく言った。「エストレナ帝国との緊張は高まる一方だ。おそらく将軍は、ソウイチロウの才能を一刻も早く活用したいのだろう」 リアーナの目には明らかな心配の色が浮かんでいる。「でも、まだ15歳なのに……」 「戦場には行かせない、と約束してくれたそうだ」グレンがリアーナの手を優しく握った。「少なくとも当面は、司令部での参謀業務が中心になるとのことだ」 ハーバートが俺に向き直った。「どうだ、ソウイチロウ。正直な気持ちは?」 みんなの視線が俺に集まる。胸の内は複雑だった。前世では大学に落ちてしまった駄目な高校生。この世界でも、剣も振れない、魔法も使えない、取り柄のない貴族の養子。それが突然、国の命運を左右するかもしれない重要なポジションに抜擢されるとは。 「正直、不安はあります」 率直に答えた。 「でも……自分にできることがあるなら、やってみたいです」 「そうか」グレンは深く頷いた。「エストガード家の一員として、王国に貢献することは誇りだ。だが、無理はするな。何かあれば、いつでも家に戻っておいで」 「ありがとう、父上」 「わたしは……」リアーナは言葉に詰まったが、すぐに微笑んだ。「あなたを信じているわ。でも、しっかり食事をして、体を大事にするのよ」 「はい、母上」 「ふう、まさか弟が先に軍に入るとはな」ハーバートは苦笑した。「負けてられないな。俺も近々、騎士団の選抜試験を受けるつもりだ」 「兄さんも?」 「ああ。この状況では、エストガード家からも誰かが国に仕えるべきだろう」 家族の誇らしげな表情を見て、俺は深く決意を固めた。前世での失敗を繰り返さない。自分の才能を、今度こそ活かす道を見つけた。 *** 「えっと……ここが北方軍総司令部?」 俺は馬車から降り、目の前の巨大な建物を見上げた。灰色の石造りの要塞のような建物で、フェルトリア王国北方軍の軍旗がはためいている。 「ソウイチロウ様、こちらへどうぞ」 出迎えの兵士に導かれ、俺は緊張しながら建物の中へと足を踏み入れた。正装に身を包み、エストガード家から持ってきた荷物は最小限だ。当面はここで寝泊まりすることになるという。 「将軍がお待ちです」 長い廊下を歩いていくと、途中ですれ違う兵士や士官たちの視線を感じた。好奇の目もあれば、明らかに冷ややかな目もある。 (俺のことを噂してるんだな……) 15歳の少年が補佐官見習いになるというのは、よほど異例なことらしい。耳に入ってくる囁きが、そのことを物語っていた。 「あれが噂の坊ちゃんか?」 「将軍のお気に入りらしいぜ」 「何の経験もない子供が、何をできるっていうんだ」 小さな声で交わされる会話に、俺は肩身の狭い思いをした。まあ、仕方ない。実績もないのに、いきなりこんな立場になったんだから。 (まただな、居場所のない感じ) 前世の高校でも、麻雀にのめり込んでいた俺は少し浮いた存在だった。この世界でも、どうやら最初から孤立しそうだ。 「ここです」 兵士が大きな扉の前で立ち止まり、ノックをした。 「どうぞ」 中から将軍の声がして、扉が開けられた。 *** 「やあ、来たか! ソウイチロウ」 アルヴェン将軍は大きな書斎のような部屋で、俺を迎えた。壁には地図がいくつも貼られ、机の上には書類や模型が散らばっている。 「将軍、ご指名いただき光栄です」 緊張しながらも、礼儀正しく挨拶をする。 「堅苦しくするな」将軍は笑った。「これからは毎日顔を合わせるのだからな」 「はい……」 「さて、早速だが仕事の説明をしよう」 将軍は机の上の地図を指差した。 「これがフェルトリア王国とエストレナ帝国の国境地帯だ。現在、ここで小競り合いが続いている」 複雑な地形が描かれた地図を眺める。山岳地帯や河川、森林など、様々な地形が入り組んでいる。 「お前の仕事は、まず情報の整理と分析だ。敵の動きを読み、次の手を予測する。タロカで見せた才能を、ここで発揮してほしい」 「はい、がんばります」 「最初は見習いとして、先輩の補佐官たちと一緒に仕事をするといい。ここが私の副官、ドーソン少佐だ」 部屋の隅で黙って立っていた中年の男性が一歩前に出た。厳格な表情の、筋肉質な男性だ。 「ドーソンです。よろしく頼む」 微妙に冷たい口調に、この人も俺の抜擢に納得していないんだろうなと感じた。 「よろしくお願いします」 丁寧に頭を下げると、ドーソンは形式的に頷いただけだった。 「それから、こちらは作戦参謀のセリシア・ヴェル=ライン少尉だ」 ドアから入ってきたのは、誕生日パーティーで会った金髪の少女だった。 「セリア……じゃなくて、セリシアさん?」 思わず素の反応をしてしまった。彼女は少し驚いた表情になった。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第5話「軍に拾われた少年」

「王命により、ソウイチロウ・エストガード殿を北方軍補佐官見習いとして召喚する」 エストガード家の門前で、金色の刺繍が施された軍の正装を身につけた使者が厳かに宣言した。三日前のタロカの集いから数日後のことだった。 父——養父であるハロルド卿の顔色が変わった。隣で母が小さく息を飲む音が聞こえる。 「これは何かの間違いではありませんか? 息子はまだ十五歳です。軍務に就く年齢ではありません」 ハロルド卿が怪訝な表情で問いかけた。使者は淡々と続ける。 「アルヴェン将軍の直々の指名です。戦術的才覚が認められたとのこと。明後日までに、北方軍本部への出立準備をお願いいたします」 公文書が手渡され、使者は礼をして去っていった。 門を閉めると、家族全員の視線が俺に集まった。 「一体何があったんだ、ソウイチロウ?」 父の声には困惑と心配が混じっていた。 「ニコラス男爵の館でのタロカの集いで、たまたまアルヴェン将軍と対局したんだ。それだけだよ」 「タロカの腕前で軍に? それはあり得ない」 レイナード兄が疑わしげに言った。 「将軍は『この才は戦場でこそ活きる』と言っていた。多分、タロカでの読みが戦術に応用できると思ったんだろう」 部屋に重い沈黙が流れた。北方軍は対エストレナ帝国の最前線。戦争が起これば、最も危険な場所になる。 「断るわけにはいかない。王命だからな」 父が溜息をついた。彼は領地を統治する身。王に逆らうことはできない。 「心配するな、父上、母上。補佐官見習いは実戦に出ることはほとんどない。書類仕事が主だろう」 レイナード兄が慰めるように言った。彼自身も騎士として王国に仕えているため、軍の内情をよく知っている。 「それに、アルヴェン将軍は慕われている人物だ。命令は厳しいが、部下を大切にする」 母は涙を浮かべながらも、小さく頷いた。 *** 翌日から出立準備が始まった。貴族の子息として最低限の装備と服、そして身分を示す紋章入りの小物など。 出立の準備をしながら、俺は従者たちに一人ずつ挨拶をして回った。正式な養子となってからずっと支えてくれた彼らへの感謝を伝えたかったのだ。一人一人に声をかけ、時に冗談を交わし、時に真剣に感謝を告げる。「坊ちゃんは心が優しいね」と老従者が涙ぐんだのを見て、俺もまた感傷的な気分になった。 俺は窓辺に座り、タロカの牌を眺めていた。ニコラス男爵からの贈り物だ。「才能を伸ばすように」との言葉とともに送られてきた。 (軍の補佐官見習いか……) 不安と期待が入り混じる。前世で大学すら行けなかった俺が、この世界では十五歳にして軍の要職に就くことになるなんて。 「未知の世界だな」 独り言を呟いていると、ノックの音がした。 「入って」 扉が開き、レイナード兄が入ってきた。彼は明後日に俺を北方軍本部まで護衛することになっていた。 「準備は順調か?」 「ああ、問題ない」 彼は腰を下ろし、しばらく黙っていた。 「実は忠告がある」 真剣な表情で、兄が口を開いた。 「軍の世界は、貴族社会以上に厳しい。特に、君のような……若く、特殊な経歴を持つ者には冷たい」 彼の言葉に頷く。想像はついていた。 「多くの将校たちは軍学校で苦労して階級を上げてきた。そこへ十五歳の『将軍のお気に入り』が入ってくるんだ。反感を買うのは避けられない」 「わかってる。覚悟はしてる」 「それでも行くのか?」 レイナード兄の問いに、俺は静かに答えた。 「行くさ。ここにいても、俺に何ができる? 剣は振るえず、馬も乗りこなせない。でもタロカなら——」 「タロカと戦場は違う」 「かもしれないし、違わないかもしれない。でも、『読み』があれば、何か役に立てるかもしれない」 兄は深く溜息をついた後、立ち上がった。 「わかった。明後日、万全の準備で行こう」 *** 出立の日。エストガード家の前には小さな馬車が用意されていた。家族との別れを済ませ、荷物を積み込む。 「気をつけるんだぞ、ソウイチロウ」 父が肩を叩いた。母は涙を堪えながら、「手紙を待ってるわ」と言った。 馬車に乗り込もうとした時、一人の老兵が近づいてきた。エストガード家に長く仕えている古参の兵士だ。 「坊ちゃん、これを」 老兵は小さな木箱を差し出した。開けると、中には古いが手入れの行き届いたタロカの牌が入っていた。 「昔、戦場で使っていたものです。『勝負運』があるんで、お守りに」 「ありがとう」 「あんたの『牌』は、もう捨てられねぇよ」 老兵はそう呟き、下がっていった。その言葉の意味を考えながら、俺は馬車に乗り込んだ。 北方軍本部へ向かう道中、窓から見える景色は美しかった。だが俺の頭の中は、これから始まる新たな「勝負」でいっぱいだった。 将軍から任命書を手渡される瞬間を想像する。それは恐怖でもあり、期待でもあった。 「ようやく、俺に合う"卓"が来たかもしれないな」 そう独白しながら、俺は北へと向かう馬車の揺れに身を任せた。

2025-03-27 00:00 · 折口詠人