第33話「それぞれの想い」

王都での滞在も三日目を迎え、俺は王室から与えられた豪華な客室で、地図と報告書に囲まれていた。壁際の机には、タロカの牌が並べられ、窓からは朝日が差し込んでいる。 ノックの音がして、セリシアが入ってきた。彼女は軍服姿に戻り、腕には書類の束を抱えていた。 「おはよう、エストガード」 「ああ、おはよう」 セリシアは机に書類を置き、俺の作業を覗き込んだ。 「サンクライフ平原の分析?」 「ああ。次の任務に向けて準備している」 アルヴェン将軍から言及されたサンクライフ平原への任務。ギアラ砦の北に位置するその地域は、重要な交易路であり、次のラドルフの標的かもしれなかった。 「詳細な地形図があればいいのだが」 俺は手元の地図の不足を嘆いた。正確な情報なしでは、効果的な防衛策を立てることは難しい。 「実はそれについて、朗報があるわ」 セリシアは書類の中から一枚の大きな羊皮紙を取り出した。それは詳細なサンクライフ平原の地形図だった。 「これは?」 「王室の特別許可で、王立図書館から取り寄せたもの。通常は一般の軍人でも閲覧が難しいけれど、あなたの『戦術の神子』という評判が役立ったわ」 セリシアの口調には少し皮肉が混じっていたが、その目は真剣だった。 「ありがとう、大いに役立つ」 俺は地形図を広げ、詳細に検討し始めた。サンクライフ平原は思ったより複雑な地形をしていた。北側の小高い丘陵地帯、中央を流れる川、南側の密林地帯——防衛するにも、攻撃するにも多様な選択肢がある場所だ。 「さて、将軍から伝言があるわ」 セリシアは椅子に腰掛けながら言った。 「明後日、新たな作戦会議が開かれる。サンクライフ平原の防衛についてよ」 「了解した」 俺は地図から目を離さずに答えた。 「あとひとつ、個人的な質問なんだけど」 セリシアの声のトーンが変わった。俺は顔を上げ、彼女を見た。 「何だ?」 「あなたはこれからどうするつもり? 前線残留か、それとも軍中枢か」 その質問は唐突だったが、セリシアの表情は真剣だった。 「どういう意味だ?」 「そのままの意味よ」 彼女は窓際に歩み寄り、外の景色を見つめながら続けた。 「ギアラ砦での勝利によって、あなたの立場は大きく変わった。王都の軍中枢で参謀として働き、全戦線の戦略を立案する道も開けた。一方で、これまで通り前線で実戦指揮を執る道もある」 俺は考え込んだ。確かに彼女の言う通り、選択肢は増えていた。王都の軍中枢にいれば、より広い視野で戦略を立てられる。しかし、それは実戦から離れることでもある。 「まだ決めていない。だが、恐らく前線だろう」 「なぜ?」 「タロカと同じだ。卓を離れては、真の『流れ』は読めない」 セリシアは少し意外そうな表情を見せた。 「多くの参謀は権力に近い場所を選ぶものよ」 「俺は参謀というより、対局者かもしれないな」 俺はタロカの牌を一枚手に取りながら言った。 「ラドルフと直接対峙したい。彼の『流れ』を読み、そして打ち破りたい」 セリシアは静かに頷いた。 「わかったわ。その選択を尊重するわ」 彼女は再び書類を整理し始めたが、その動作には少し安堵の色が見えた気がした。 「あなたが前線を選ぶなら、私も同行を志願するわ」 その言葉には、単なる軍人としての忠誠を超えた何かがあった。 *** 午後、王立病院でフェリナを見舞った。彼女の容体は少しずつ良くなっており、短時間なら起き上がることもできるようになっていた。 「エストガード殿」 フェリナは俺の姿を見ると、微笑んだ。 「調子はどうだ?」 「回復しています。もう少しで退院できるでしょう」 彼女の顔色は前回よりも良くなっていた。窓から差し込む光が、彼女の赤褐色の髪を輝かせている。 「ラドルフについて、報告があります」 フェリナは周囲を確認し、声を落とした。 「私の情報網によれば、彼は確かにサンクライフ平原に目を向けています。しかし、それは表向きの動きに過ぎないかもしれません」 「どういうことだ?」 「彼はまだ終わっていない」 フェリナの目に緊張の色が宿った。 「ギアラ砦での敗北後、彼は兵を再編成しつつあります。しかし、通常の再編成ではなく、何か特別な部隊を編成しているようなのです」 「特別な部隊?」 「詳細はわかりませんが、帝国内から特殊な技能を持つ者たちを集めているとの情報があります。中には禁忌の術を使う者も」 その言葉に、俺は眉をひそめた。この世界には魔術と呼ばれる力があるが、その中でも危険なものは禁忌とされ、使用が制限されている。ラドルフ自身の「赤い目」も、そうした禁忌の力の結果だと言われていた。 「彼は次の一手として、何を考えているのだろう」 「わかりません。ただ、彼が諦めていないことだけは確かです」 フェリナの声には警告と共に、個人的な感情も混じっていた。ラドルフに対する復讐心。父を陥れた男への憎しみ。 彼女の目に宿る憎しみと悲しみは、単なる国家間の争いを超えた個人的な感情だった。彼女の父を陥れ、家族を奪ったラドルフへの復讐心が、彼女を動かす原動力なのだ。 「ありがとう、フェリナ。情報は大いに役立つ」 俺は立ち上がり、窓の外を見た。王都の喧騒の向こうに、戦場が待っている。そしてそこには、赤い目を持つ男の姿が。 「エストガード殿」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第34話「闇に潜む声」

翌朝、俺はアルヴェン将軍に答えを告げるため、執務室を訪れた。昨日の選択——前線か軍中枢か——の返答をするためだ。一晩かけて考え、俺なりの結論を出していた。 「入れ」 ノックに対する返事と共に、俺は部屋に入った。広々とした執務室には書類が積み上げられ、壁には詳細な地図が掛けられている。将軍は窓際に立ち、外の景色を眺めていた。 「おはよう、ソウイチロウ」将軍は振り返った。「決心はついたか?」 「はい」俺は頷いた。「南部前線を志願します」 将軍は意外そうな表情を見せた。 「軍中枢ではなく?」 「はい」俺は静かに答えた。「実戦の中でこそ、俺の力は活きると思います。現場での判断、『流れ』の読み——それが俺の強みです」 将軍はしばらく俺を見つめ、やがて微笑んだ。 「正直な答えだ」彼は言った。「実は、私もそう思っていた」 その言葉に、少し安心した。将軍も同じ考えだったのだ。 「南部前線への配属を認める」将軍は続けた。「セリシアも既に志願しており、彼女と共に現地指揮部に配属する」 「ありがとうございます」俺は深く頭を下げた。 将軍はさらに詳細を説明しようとしたが、そのとき、緊急を知らせるノックが響いた。 「入れ」将軍が声を上げた。 ドアが開き、若い伝令兵が息を切らして入ってきた。 「将軍閣下! 緊急報告です」伝令兵は敬礼した。「北方国境から緊急電文が届きました」 将軍は表情を引き締め、伝令兵から封筒を受け取った。素早く開封し、中の文書に目を通す。その表情が次第に厳しくなっていくのを、俺は見逃さなかった。 「これは……」将軍は呟いた。「確かな情報か?」 「はい」伝令兵は頷いた。「複数の情報源から確認されています」 将軍は文書を置き、暫く考え込んだ。 「ソウイチロウ」彼は俺を見た。「状況が変わった。この情報を聞いてから、もう一度選択を考え直してほしい」 俺は緊張しながら頷いた。 「北方国境の偵察隊が、敵の文書を入手した」将軍は言った。「それによれば、ラドルフの南部侵攻作戦は偽装で、真の目的は内通者との連携による王都直接攻略だという」 その情報に、俺は息を呑んだ。 「内通者? 王国内に?」 「ああ」将軍は厳しい表情で頷いた。「王国内の高位貴族や軍の一部が、敵と通じているらしい」 それは衝撃的な内容だった。敵は外にだけでなく、内部にもいるということだ。 「バイアス派ですか?」俺は直感的に尋ねた。 将軍は少し驚いたように俺を見た。 「なぜそう思う?」 「以前から警戒するよう言われていましたし」俺は答えた。「彼らは保守派で、若手の台頭に批判的。現状を変えたい動機があります」 将軍は静かに頷いた。 「鋭い洞察だ」彼は言った。「確証はないが、バイアス伯爵周辺に疑惑の目が向けられている」 内通者——それは敵以上に危険な存在だ。表向きは味方でありながら、内部から王国を蝕む。 「この状況で、もう一度聞く」将軍は真剣な表情で言った。「前線か、軍中枢か——どちらを選ぶ?」 俺は深く考えた。状況は一変している。内通者の存在は、戦略全体を見直す必要がある。 「軍中枢を志願します」俺は決断した。「内通者の調査と、王都防衛の戦略立案に関わりたい」 将軍は満足そうに頷いた。 「良い判断だ」彼は言った。「今は前線よりも、内部の危機に対処する方が重要だ」 伝令兵が退室した後、将軍は地図の前に俺を呼んだ。 「ラドルフの戦略を分析してほしい」彼は言った。「彼が本当に狙っているのは何か、彼の"流れ"を読んでくれ」 俺は地図を見つめ、タロカ石を取り出した。手のひらで石を転がしながら、“流れ"を感じようとする。 マラント山脈の南部前線、北方国境、そして王都——それらを結ぶ線をたどりながら、敵の意図を探る。 「南部侵攻は偽装……」俺は考えながら呟いた。「しかし、全くの囮というわけでもないでしょう。一定の兵力を投入して、我々の注意を引きつけている」 将軍は黙って頷いた。 「一方で」俺は続けた。「内通者と連携した王都攻略が本命。しかし、それは……」 言葉が途切れた。違和感を感じたのだ。 「もう一つあります」俺は慎重に言った。「これらは全て、さらに大きな策の一部かもしれません」 「どういう意味だ?」将軍が身を乗り出した。 「ラドルフは"流れを殺す"男」俺は説明した。「彼なら、我々の予測さえも計算に入れているはずです。南部侵攻が偽装だと気づくことも、内通者の存在を知ることも——全て彼の計算の範囲内かもしれない」 将軍の表情が厳しさを増した。 「そうか」彼は静かに言った。「三重、四重の罠か」 「可能性はあります」俺は頷いた。「だからこそ、軍中枢で全体を見る必要があると思いました」 将軍は暫く考え込み、やがて決断を下した。 「では正式に、お前を軍中枢の戦略立案部に配属する」彼は言った。「特に内通者の調査と、王都防衛計画の策定を任せたい」 「了解しました」俺は敬礼した。「全力を尽くします」 将軍は別の書類を取り出した。 「そして、セリシアについてだが」彼は言った。「彼女には調査任務を与えることにした」 「調査任務?」 「ああ」将軍は頷いた。「バイアス派の動向調査と、軍内部の不審な動きの監視だ。彼女は観察眼が鋭く、また貴族の血筋を持つため、上流社会に溶け込める」 セリシアが調査任務に志願したとは意外だった。彼女は前線での参謀任務を望んでいたはずだ。 「彼女は志願したのですか?」俺は尋ねた。 「ああ」将軍は少し複雑な表情で答えた。「昨夜、緊急事態を知らせた後、彼女から申し出があった」 昨夜——俺とセリシアが話した後のことだ。彼女は状況を知って、すぐに決断したのだろう。 「彼女は優秀な将校だ」将軍は言った。「この危機に、彼女の力が必要だ」 俺も同感だった。セリシアの鋭い観察眼と冷静な判断は、内通者調査に適している。 会議が終わり、俺は将軍の執務室を後にした。廊下を歩きながら、状況の重大さを噛みしめる。王国内の内通者、ラドルフの二重三重の策——この戦いは、単なる軍事衝突を超えている。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第34話「闇に潜む声」

王城の一角にある小さな書庫で、俺はサンクライフ平原についての古文書を調べていた。明日の作戦会議に向けて、できるだけ多くの情報を集めておきたかったのだ。 書庫内には俺一人しかおらず、静寂の中で羊皮紙の擦れる音だけが響いていた。窓から差し込む夕日が徐々に傾き、室内は薄暗くなりつつある。 ノックの音もなく、突然ドアが開いた。振り返ると、アルヴェン将軍の副官であるローレン大尉が立っていた。彼は普段は穏やかな性格の人物だが、今は異様に緊張した表情をしていた。 「エストガード殿、お話があります」 彼は周囲を警戒するように見回し、ドアを閉めた。 「どうしたんだ?」 「小声でお願いします」 大尉は俺の傍に近づき、耳打ちするように話し始めた。 「バイアス伯爵邸で昨夜、密会があったことをご存知ですか?」 「いいえ」 「伯爵邸に複数の貴族が集まり、深夜まで何かを話し合っていました。通常の社交とは思えない雰囲気だったそうです」 大尉の情報源は明かされなかったが、彼は将軍の信頼する部下だ。無根拠な話を持ってくるとは思えない。 「それで?」 「もっと気になるのは、その会合の後、帝国領に向かう密使が出発したという点です」 その言葉に、俺は息を飲んだ。 「確証はありませんが、バイアス伯爵と帝国側の誰かとの間に、何らかの繋がりがあるのかもしれません」 ラドルフとの繋がり——セリシアからも同様の疑念を聞いていた。もしそれが真実なら、王国内に敵のスパイや内通者がいることになる。 「将軍はご存知なのか?」 「はい、報告済みです。将軍は徹底的な調査を命じました」 大尉は深刻な表情で続けた。 「しかし、バイアス伯爵は力のある人物。簡単には動けないのが現状です」 「わかった。情報提供に感謝する」 大尉は小さく頭を下げ、来た時と同じように静かに部屋を出て行った。 一人残された俺は、複雑な思いで窓の外を見つめた。王都の美しい夕景の裏に潜む政治的陰謀。この世界の戦いは、戦場だけでなく、王都の宮殿内でも繰り広げられているのだ。 *** 翌朝、セリシアが俺の部屋を訪ねてきた。彼女の表情には、いつもの冷静さが欠けていた。 「エストガード、聞いたわ。バイアス伯爵の密会について」 俺は部屋に彼女を招き入れ、ドアをしっかりと閉めた。 「ローレン大尉から聞いた。詳細はわからないが、帝国との繋がりを疑う理由はあるようだ」 「それだけではないの」 セリシアは声を落とし、魔導記録石を取り出した。記録石に触れると、淡い光が浮かび上がり、何らかの文書の写しが映し出された。 「これは伯爵の側近が所持していた文書の一部。偶然、写し取ることができたわ」 文書には暗号のような文字列が並んでいたが、その一部は解読されているようだった。 「『赤眼』というキーワードが何度か出てくるわ」 赤眼——それはラドルフの異名だ。彼を指す言葉が伯爵の文書に含まれているとすれば、二人の間に何らかの関係があるという推測は強まる。 「それだけか?」 「ここに『サンクライフ』という言葉も。日付は明後日になっている」 俺は眉をひそめた。サンクライフ平原が次の作戦地であることは、まだ公には発表されていない。それが伯爵の文書に記されているということは、軍の機密情報が漏れている可能性がある。 「他にも、『王国転覆』とも読める文言が」 セリシアの表情は厳しさを増した。 「これは単なる和平派の動きを超えている。伯爵は王国そのものを危険に晒す行動を取っているのかもしれないわ」 俺は黙って考え込んだ。たしかに証拠は断片的だが、バイアス伯爵を中心とした派閥が、帝国と通じて何らかの陰謀を企てている可能性は高い。 「将軍には報告したのか?」 「まだよ。この情報は極秘裏に入手したもの。慎重に扱う必要があるわ」 セリシアは記録石をしまいながら言った。 「それに、伯爵派には多くの支持者がいる。証拠なしで動けば、政治的混乱を招くだけ」 「では、どうする?」 「私が調査する」 彼女の目には強い決意が宿っていた。 「私は参謀としての立場を利用して、より多くの情報を集められる。伯爵の動きを監視し、確実な証拠を掴むわ」 「危険だぞ」 「わかっているけど、これも戦いの一種」 セリシアはそう言い残し、部屋を出ようとした。ドアに手をかけたところで、彼女は振り返った。 「今日の午後、フェリナが一時退院して、王宮に来るわ。作戦会議に参加するらしいから」 「彼女の容体は?」 「完全ではないけれど、会議に出席できる程度にはなったとのこと」 俺は頷いた。フェリナのラドルフに関する知識は貴重だ。作戦会議での彼女の意見は重要になるだろう。 「ありがとう、気をつけて」 セリシアは小さく微笑み、部屋を後にした。 *** 午後、王宮の一室で開かれる作戦会議の準備が整っていた。大きな円卓が置かれ、その上にはサンクライフ平原の詳細な立体模型が展示されている。 俺が部屋に入ると、既にアルヴェン将軍や数人の高級将校が集まっていた。彼らは俺の姿を見ると、敬意を込めた挨拶をした。 「エストガード、来たか」 将軍は俺を呼び寄せ、模型の前に立つよう促した。 「これがサンクライフ平原の最新模型だ。地形の起伏まで正確に再現されている」 確かに精巧な模型だった。平原の微妙な高低差、流れる川の曲がり具合、そして周囲の森林まで細かく作られている。 「ご苦労様です」 俺が職人の技に感心していると、ドアが開き、フェリナが入ってきた。彼女はまだ少し顔色が悪かったが、しっかりと立っていた。 「フェリナ、来られたのか」 「はい、エストガード殿」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第35話「それでも、俺は卓に座る」

 内通者調査が始まって二週間が経った。俺は軍事施設の一室に籠もり、様々な情報を分析する日々を送っていた。地図、報告書、偵察データ、通信記録——それらを組み合わせ、敵の意図と内通者の痕跡を探る。タロカ石を手のひらで転がしながら、“流れ"を読み解こうとしていた。 この日も朝から作業に取り掛かっていたが、午前中にアルヴェン将軍から呼び出しがあった。 「緊急会議だ」将軍の伝令が告げた。「第一作戦室へすぐに来てほしい」 俺は手元の書類をまとめ、急いで向かった。 第一作戦室に入ると、将軍の他に高級将校たちが数名集まっていた。シバタ大尉の姿もある。全員が緊張した面持ちで、何か重大な情報が入ったことが察せられた。 「来たか」将軍が俺に気づき、頷いた。「急ぎの会議だ、すまない」 「何があったのですか?」俺は尋ねた。 将軍は机の上に地図を広げ、全員に聞こえるよう声を上げた。 「セリシアからの緊急報告が入った」彼は厳しい表情で言った。「バイアス伯爵が確かに帝国と通じている証拠を掴んだとのことだ」 その情報に、室内が騒然となった。 「証拠とは?」ある将校が尋ねた。 「暗号化された通信文と、密使の目撃情報だ」将軍は答えた。「セリシアは伯爵の屋敷に近づき、数日間の監視の末、帝国の使者と会談している場面を目撃した」 決定的な証拠だ。バイアス伯爵の裏切りはもはや疑いようがない。 「さらに」将軍は続けた。「軍内部の共謀者のリストも入手したとのことだ。特に調達部門の一部の士官が深く関わっている」 俺はフェリナから聞いていた情報を思い出した。彼女の調査が正しかったのだ。 「我々はどう対応すべきか?」シバタ大尉が尋ねた。 「直ちに国王陛下に報告し、伯爵の逮捕許可を得る」将軍は決然と言った。「同時に、軍内部の共謀者も一斉検挙する必要がある」 全員が同意し、具体的な対応策が議論された。逮捕のタイミング、証拠の保全、その後の政治的影響——様々な角度から検討が必要だった。 「ソウイチロウ」将軍が俺に向き直った。「君の分析は?」 全員の視線が俺に集まった。軍中枢の戦略立案官として、俺の意見が求められている。 「一つ気になることがあります」俺は慎重に言った。「タイミングです」 「タイミング?」将軍が眉を寄せた。 「はい」俺は続けた。「セリシアが証拠を掴んだのがあまりにも早い。二週間で決定的な証拠を入手するのは難しいはずです」 それは本当に気になっていた点だった。セリシアは有能だが、伯爵のような高位貴族の証拠を、そう簡単に掴めるものだろうか。 「何を言いたい?」将軍が真剣な表情で尋ねた。 「罠の可能性です」俺は率直に言った。「ラドルフは"流れを殺す"男。彼なら我々の動きを読み、誘導している可能性があります」 室内が静まり返った。俺の分析は厳しいものだったが、無視できない可能性だった。 「つまり」将軍がゆっくりと言った。「セリシアが見たものは仕組まれた状況かもしれないと?」 「その可能性も否定できません」俺は言った。「ラドルフなら、我々が内通者を探していることを予測し、偽の証拠を仕掛けるかもしれない」 シバタ大尉が思案顔で口を開いた。 「では、どうすべきだと?」 俺は深く考え、答えた。 「バイアス伯爵の逮捕は少し延期すべきです。まず確実な証拠を集め、同時に別の角度からも調査を続ける。そして、セリシアを一度呼び戻し、情報を直接聞くべきだと思います」 将軍は沈黙し、俺の提案を検討した。やがて彼は頷いた。 「慎重さは必要だ」彼は言った。「セリシアを呼び戻し、直接報告を聞こう。それまでは伯爵の逮捕は保留する」 多くの将校が同意の意を示し、会議は新たな方向性を見出した。伯爵への監視は続けつつも、直接的な行動は避ける。そして、セリシアを安全に呼び戻す手段を考える。 会議が終わり、俺は自分の執務室に戻った。窓の外は雨が降り始め、灰色の空が広がっていた。雨粒が窓を打つ音を聞きながら、俺は複雑な思いに浸った。 セリシアは大丈夫だろうか。彼女は危険な任務に就いている。もし彼女の報告が本物なら、彼女は既に敵に目をつけられているかもしれない。 そんな不安が頭をよぎる中、シバタ大尉が部屋に入ってきた。 「よく気づいたな」大尉は俺の肩を叩いた。「確かにタイミングが早すぎる。普通なら疑問に思わないところだ」 「ラドルフのことを考えると」俺は言った。「何事も簡単に信じるわけにはいきません」 大尉は頷き、窓の外の雨を見つめた。 「セリシアのことが心配か?」彼は尋ねた。 「ええ」俺は正直に答えた。「あの任務は危険だし、もし本当に証拠を掴んでいたら、彼女は標的になっているかもしれない」 「そうだな」大尉も同意した。「だが、彼女は優秀だ。自分の身を守る術を知っている」 その言葉に少し安心しつつも、不安は消えなかった。 「将軍は親書を送ることにした」大尉は続けた。「彼女を安全に呼び戻す手はずだ。明日には戻ってくるだろう」 俺は黙って頷いた。明日——セリシアが無事に戻ってくることを願うしかない。 *** 翌日、俺は朝から落ち着かなかった。セリシアが戻ってくる日だ。執務室で資料を整理しながら、時折窓の外を見る。昨日の雨は上がり、晴れた空が広がっていた。 正午過ぎ、フェリナが執務室を訪ねてきた。彼女は完全に回復し、情報将校としての任務に復帰していた。 「セリシアの報告書、読んだわ」彼女は少し疲れた表情で言った。「確かに不自然なところがある」 「やっぱりか」俺は身を乗り出した。「どういう点だ?」 「情報の精度が高すぎるのよ」フェリナは説明した。「まるで誰かに教えられたかのような詳細さ。それに、彼女の調査方法にも疑問がある」 フェリナの観察は鋭かった。彼女自身も情報将校として、何が自然で何が不自然かを見抜く目を持っている。 「でも」彼女は続けた。「だからといって、バイアス伯爵が無実というわけではないわ。彼の不審な動きは以前から確認されていたもの」 複雑な状況だ。伯爵は確かに怪しいが、今回の証拠は仕組まれたものかもしれない。 「セリシアは何時に到着する予定?」俺は尋ねた。 「夕方までには戻るはずよ」フェリナが答えた。「将軍の親書は確かに届いている」 その言葉に少し安心したが、不安は消えなかった。セリシアが無事に戻ってくるまで、落ち着かない気持ちだった。 午後、俺は再び地図と情報の分析に戻った。ラドルフの軍の動き、バイアス伯爵の活動記録、そして王国内の不審な事象——全てを繋げ、大きな絵を描こうとしていた。 タロカ石を並べながら、俺は"流れ"を読み解こうとする。麻雀(タロカ)での読みと同じように、断片的な情報から相手の意図を探る。 時間が過ぎていく中、夕方になっても、セリシアからの連絡はなかった。 「まだか……」 俺は窓の外を見ながら呟いた。太陽が傾き、王都に夕暮れが訪れようとしていた。 そのとき、急いだ足音が廊下に響き、ドアが勢いよく開いた。シバタ大尉だ。 「緊急事態だ」大尉の表情は緊張に満ちていた。「セリシアとの連絡が途絶えた」 俺の心臓が早鐘を打った。 「どういうことですか?」 「彼女を迎えに行った使者が、彼女の宿泊先を訪ねたが、彼女の姿はなかった」大尉は息を切らせながら言った。「部屋の様子から、争った形跡があるという」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第35話「それでも、俺は卓に座る」

出発の前日、王宮の庭園で俺はアルヴェン将軍と最後の会談を行っていた。朝露に濡れた草花の間を歩きながら、将軍は最終的な指示を伝えている。 「サンクライフ平原への進軍は、当初の予定より一日早める」 将軍の声は静かだが、確固たる決意に満ちていた。 「情報漏洩の可能性を考慮し、予定を変更した。敵の予想を裏切るためだ」 「了解しました」 俺は頷いた。タロカの対局でも、相手の読みを外すために打つタイミングをずらすことがある。王国軍全体の動きも、同じ発想で調整されているのだ。 「エストガード、お前には特別な役割を任せる」 将軍は立ち止まり、俺と向き合った。 「サンクライフでの前線基地の設営と防衛は、お前が総指揮を執れ」 その言葉に、俺は驚いた。これまでも重要な任務を任されてきたが、前線基地全体の指揮権を与えられるのは初めてだった。 「私にですか?」 「ああ。お前の戦術眼は、他の誰よりも信頼できる」 将軍の目には迷いがなかった。 「セリシアとフェリナも同行する。フェリナの容体は思ったより早く回復し、医師も移動を許可した」 俺は頷きながら、責任の重さを噛みしめた。サンクライフは単なる防衛拠点ではなく、王国の反攻作戦の重要な足がかりとなる場所だ。その成否は、今後の戦局を大きく左右するだろう。 「任務を全うします」 「信じているよ」 将軍は俺の肩に手を置いた。その手には温かさと重みがあった。 「もう一つ、警告しておきたいことがある」 将軍の表情が引き締まった。 「バイアス伯爵の動きを監視していた者から報告があった。昨夜、伯爵邸から密使が出発したという」 「行き先は?」 「不明だ。だが、帝国領に向かったのは間違いない」 俺は眉をひそめた。内通者の存在がますます濃厚になってきた。 「もしラドルフが事前に情報を得ているなら、サンクライフでの任務はさらに困難になるかもしれない」 「心得ています」 将軍は深いため息をつき、再び歩き始めた。 「政治と戦争は常に絡み合っている。純粋な戦いなど、この世にはないのだよ」 その言葉には、長年の経験に裏打ちされた諦観があった。 「それでも、前に進むしかない」 俺は静かに答えた。将軍は満足げに頷いた。 「その通りだ。さあ、準備を整えるといい。明日の夜明けに出発だ」 将軍との会談を終え、俺は自室に戻った。窓の外では、王都の人々が日常を送っている。彼らは明日、俺たちが命を懸けて守ろうとしている平和を当たり前のように享受していた。 *** 部屋で出発の準備をしていると、ノックの音がした。ドアを開けると、そこにはセリシアとフェリナが立っていた。 「準備は進んでいる?」 セリシアが尋ねた。彼女はすでに旅装を整え、腰には剣を下げていた。 「ああ、ほぼ終わっている」 二人を部屋に招き入れると、フェリナが小さな木箱を差し出した。 「これをお持ちください、エストガード殿」 箱を開けると、中には精巧に作られたタロカの牌が入っていた。通常の牌より小さく、携帯に便利なサイズだ。 「旅先でも『流れ』を読むために」 フェリナは少し照れたように言った。 「ありがとう、大切にする」 俺は感謝を伝え、新しい牌を手に取った。木の質感と彫刻の細かさは見事で、職人の技が感じられる。 「それと、バイアス伯爵について新たな情報がある」 セリシアが声を落として言った。 「伯爵の側近の一人が、昨夜密かに城を出たという。行き先は帝国領方面だ」 フェリナも頷いた。 「私の情報網からも同様の報告がありました。特に気になるのは、その側近が『赤い印』を持っていたという点です」 「赤い印?」 「ラドルフの親衛隊が使う印です。それを持っていたということは……」 「伯爵とラドルフの繋がりは、ほぼ確実というわけか」 俺は深く考え込んだ。敵は外だけでなく、内にもいる。しかも王国の高位貴族という立場にある者だ。 「将軍にも報告したのか?」 「ええ、だからこそ出発が早まったのよ」 セリシアの表情には強い緊張が浮かんでいた。 「明日からの任務は、単なる軍事行動ではないわ。内通者による妨害も警戒しなければならない」 「わかっている」 俺は静かに答えた。状況はますます複雑になっていくが、それでも前に進むしかない。 「今夜、もう一度作戦の詳細を確認しましょう」 セリシアは提案した。 「サンクライフでの配置と進軍ルートを最終確認しておきたいわ」 三人は机を囲み、地図と作戦書を広げた。フェリナはラドルフの戦術パターンについて詳細な説明を加え、セリシアは王国軍の動きを整理していく。俺はそれらの情報を総合し、最適な戦術を考えていった。 夜が更けていく中、三人の連携は深まっていった。共に戦い、共に考え、共に勝利を目指す仲間たち。この世界で俺が得た、大切な絆だった。 *** 深夜、二人が去った後、俺は新しいタロカの牌を机に並べた。サンクライフ平原の地形と予想される敵の布陣を表現するように牌を配置する。 「戦場と卓に、違いはない」 小さく呟きながら、牌の配置を何度も調整した。一つ一つの牌が戦場の一部を表し、その組み合わせが「流れ」を作る。タロカの対局と同じように、戦場でも「流れ」を読み、時に変え、時に創り出す。 窓の外は静寂に包まれ、月明かりだけが部屋を照らしていた。明日からの戦いに向けて、俺は最後の準備を整えていた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人