第33話「それぞれの想い」
王都での滞在も三日目を迎え、俺は王室から与えられた豪華な客室で、地図と報告書に囲まれていた。壁際の机には、タロカの牌が並べられ、窓からは朝日が差し込んでいる。 ノックの音がして、セリシアが入ってきた。彼女は軍服姿に戻り、腕には書類の束を抱えていた。 「おはよう、エストガード」 「ああ、おはよう」 セリシアは机に書類を置き、俺の作業を覗き込んだ。 「サンクライフ平原の分析?」 「ああ。次の任務に向けて準備している」 アルヴェン将軍から言及されたサンクライフ平原への任務。ギアラ砦の北に位置するその地域は、重要な交易路であり、次のラドルフの標的かもしれなかった。 「詳細な地形図があればいいのだが」 俺は手元の地図の不足を嘆いた。正確な情報なしでは、効果的な防衛策を立てることは難しい。 「実はそれについて、朗報があるわ」 セリシアは書類の中から一枚の大きな羊皮紙を取り出した。それは詳細なサンクライフ平原の地形図だった。 「これは?」 「王室の特別許可で、王立図書館から取り寄せたもの。通常は一般の軍人でも閲覧が難しいけれど、あなたの『戦術の神子』という評判が役立ったわ」 セリシアの口調には少し皮肉が混じっていたが、その目は真剣だった。 「ありがとう、大いに役立つ」 俺は地形図を広げ、詳細に検討し始めた。サンクライフ平原は思ったより複雑な地形をしていた。北側の小高い丘陵地帯、中央を流れる川、南側の密林地帯——防衛するにも、攻撃するにも多様な選択肢がある場所だ。 「さて、将軍から伝言があるわ」 セリシアは椅子に腰掛けながら言った。 「明後日、新たな作戦会議が開かれる。サンクライフ平原の防衛についてよ」 「了解した」 俺は地図から目を離さずに答えた。 「あとひとつ、個人的な質問なんだけど」 セリシアの声のトーンが変わった。俺は顔を上げ、彼女を見た。 「何だ?」 「あなたはこれからどうするつもり? 前線残留か、それとも軍中枢か」 その質問は唐突だったが、セリシアの表情は真剣だった。 「どういう意味だ?」 「そのままの意味よ」 彼女は窓際に歩み寄り、外の景色を見つめながら続けた。 「ギアラ砦での勝利によって、あなたの立場は大きく変わった。王都の軍中枢で参謀として働き、全戦線の戦略を立案する道も開けた。一方で、これまで通り前線で実戦指揮を執る道もある」 俺は考え込んだ。確かに彼女の言う通り、選択肢は増えていた。王都の軍中枢にいれば、より広い視野で戦略を立てられる。しかし、それは実戦から離れることでもある。 「まだ決めていない。だが、恐らく前線だろう」 「なぜ?」 「タロカと同じだ。卓を離れては、真の『流れ』は読めない」 セリシアは少し意外そうな表情を見せた。 「多くの参謀は権力に近い場所を選ぶものよ」 「俺は参謀というより、対局者かもしれないな」 俺はタロカの牌を一枚手に取りながら言った。 「ラドルフと直接対峙したい。彼の『流れ』を読み、そして打ち破りたい」 セリシアは静かに頷いた。 「わかったわ。その選択を尊重するわ」 彼女は再び書類を整理し始めたが、その動作には少し安堵の色が見えた気がした。 「あなたが前線を選ぶなら、私も同行を志願するわ」 その言葉には、単なる軍人としての忠誠を超えた何かがあった。 *** 午後、王立病院でフェリナを見舞った。彼女の容体は少しずつ良くなっており、短時間なら起き上がることもできるようになっていた。 「エストガード殿」 フェリナは俺の姿を見ると、微笑んだ。 「調子はどうだ?」 「回復しています。もう少しで退院できるでしょう」 彼女の顔色は前回よりも良くなっていた。窓から差し込む光が、彼女の赤褐色の髪を輝かせている。 「ラドルフについて、報告があります」 フェリナは周囲を確認し、声を落とした。 「私の情報網によれば、彼は確かにサンクライフ平原に目を向けています。しかし、それは表向きの動きに過ぎないかもしれません」 「どういうことだ?」 「彼はまだ終わっていない」 フェリナの目に緊張の色が宿った。 「ギアラ砦での敗北後、彼は兵を再編成しつつあります。しかし、通常の再編成ではなく、何か特別な部隊を編成しているようなのです」 「特別な部隊?」 「詳細はわかりませんが、帝国内から特殊な技能を持つ者たちを集めているとの情報があります。中には禁忌の術を使う者も」 その言葉に、俺は眉をひそめた。この世界には魔術と呼ばれる力があるが、その中でも危険なものは禁忌とされ、使用が制限されている。ラドルフ自身の「赤い目」も、そうした禁忌の力の結果だと言われていた。 「彼は次の一手として、何を考えているのだろう」 「わかりません。ただ、彼が諦めていないことだけは確かです」 フェリナの声には警告と共に、個人的な感情も混じっていた。ラドルフに対する復讐心。父を陥れた男への憎しみ。 彼女の目に宿る憎しみと悲しみは、単なる国家間の争いを超えた個人的な感情だった。彼女の父を陥れ、家族を奪ったラドルフへの復讐心が、彼女を動かす原動力なのだ。 「ありがとう、フェリナ。情報は大いに役立つ」 俺は立ち上がり、窓の外を見た。王都の喧騒の向こうに、戦場が待っている。そしてそこには、赤い目を持つ男の姿が。 「エストガード殿」 ...