第31話「戦後の静寂」

王都の朝は静かに始まる。窓から差し込む柔らかな日差しに目を覚ました俺は、しばらくベッドの中で天井を見つめていた。柔らかすぎるマットレス、絹のようなシーツ、豪華な部屋の調度品——未だに現実感が湧かない。 昨日の謁見式と授章式。「王国戦術師」「戦術の神子」の称号。あれは本当に俺に起きたことなのだろうか。まるで誰か別の人間の人生を生きているような感覚だった。 「はぁ……」 深いため息をつきながら起き上がる。今日は将軍との会議がある。次の任務について、だ。休む間もなく、また戦場へ赴くのだろうか。 身支度を整えていると、ノックの音がした。 「どうぞ」 ドアが開き、シバタ大尉が入ってきた。 「おはよう、ソウイチロウ」大尉は元気な声で言った。「もう目が覚めたか」 「ええ」俺は頷いた。「朝食はこれから」 大尉は部屋を見回し、少し笑みを浮かべた。 「豪華な部屋だな。落ち着かないだろう?」 「まさにその通りです」俺は正直に答えた。「野営地のテントの方がまだ居心地がいいくらいです」 大尉は大きく笑った。その笑い声に、少し緊張が解けた気がする。 「分かるぞ」彼は言った。「私も最初は慣れなかった。戦場から宮廷への移行は、新たな戦いのようなものだ」 その言葉に共感する。確かに、政治の世界は戦場とは違った意味で緊張を強いられる。 「将軍との会議は?」俺は尋ねた。 「朝食後、第三作戦室だ」大尉は答えた。「セリシアも来る」 その後、大尉は昨夜の宴会での評判を教えてくれた。貴族たちの間では俺の話題で持ちきりだったという。若くして王国戦術師の称号を得た初の人物として、好奇の目で見られていたようだ。 「特にお嬢様方は興味津々だったぞ」大尉はからかうように言った。「若き天才戦術家に憧れる乙女は多い」 「冗談でしょう」俺は呆れた表情で答えた。 「冗談じゃない」大尉は真面目な顔になった。「既に何人かの貴族から婚姻の打診があったほどだ」 その言葉に、俺は思わず咳き込んだ。 「な、何を言ってるんですか! 俺はまだ……」 実年齢ではなく、この世界での俺は18歳。確かに結婚適齢期ではあるが、そんなことを考える余裕など全くなかった。 「心配するな」大尉は笑った。「将軍がすべて断っている。軍務を優先させるためにな」 それは安心したが、同時に複雑な気持ちになった。俺の人生は既に自分の手を離れ、軍と王国の所有物になりつつあるようだ。 大尉と別れ、俺は食堂へと向かった。そこにはセリシアの姿があった。彼女は窓際のテーブルに座り、何かの書類に目を通していた。 「おはよう」俺が声をかけると、彼女は顔を上げた。 「おはよう」彼女も笑顔で返した。「よく眠れた?」 「まあね」俺は彼女の向かいに座った。「豪華すぎて落ち着かなかったけど」 食事が運ばれてきた。野菜たっぷりのオムレツ、焼きたてのパン、新鮮なフルーツ——戦場での粗末な食事と比べれば、まるで夢のようだ。 「フェリナの様子は?」食事をしながら俺は尋ねた。 「今朝見舞いに行ったわ」セリシアは答えた。「順調に回復してるみたい。でも、まだしばらくは安静にしてないといけないって」 それは良いニュースだった。フェリナの傷は思ったより深く、一時は生命の危険もあったほどだ。彼女が回復に向かっていることが何よりも嬉しい。 「将軍との会議、緊張する?」セリシアが俺の表情を見て尋ねた。 「少しね」俺は正直に答えた。「次の任務がどんなものか……」 「私も気になる」彼女は少し声を落とした。「コルム丘陵での戦いは終わったけど、ラドルフとの戦いはまだ続くでしょうね」 彼女の言葉に、俺は静かに頷いた。赤眼の魔将ラドルフ。あの強大な敵は簡単に諦めるタイプではない。次の戦いはもっと熾烈なものになるだろう。 朝食を終え、俺たちは第三作戦室へと向かった。王宮の西翼にある軍事施設だ。兵士たちが行き交い、緊張感のある空気が漂っている。 作戦室に入ると、アルヴェン将軍が既に待っていた。彼は大きな地図の前に立ち、何かを考え込んでいる様子だった。 「やあ、来たか」将軍は俺たちに気づくと微笑んだ。「座ってくれ」 俺とセリシアは指定された席に座った。テーブルには様々な書類や地図が広げられている。 「まず、コルム丘陵の戦いについて総括しよう」将軍は言った。「君たちの戦術は見事だった。特に『見えない一手』の作戦は、戦争史に残るだろう」 その言葉に、少し恥ずかしくなった。 「運も味方してくれました」俺は控えめに言った。 「運?」将軍は眉を上げた。「運を味方につけるのも才能の一つだ。君の判断力と洞察力が、勝利をもたらした」 そこまで言われると、もう反論する余地はない。ただ黙って頭を下げるしかなかった。 「さて、本題だ」将軍は表情を引き締めた。「次の任務について話そう」 俺とセリシアは身を乗り出した。 「君をいったん王都に留めておきたい」 予想外の言葉に、俺は驚いた。 「王都に、ですか?」 「ああ」将軍は頷いた。「二つの理由がある。一つは君の休息のため。短期間に何度も激戦を経験した。心身を休める必要がある」 確かに、俺は疲れていた。コルム丘陵の戦いだけでなく、その前のギアラ砦、サンガード要塞と、連戦続きだった。しかし、休息の必要性は感じつつも、それが主な理由とは思えなかった。 「もう一つの理由は?」俺は尋ねた。 将軍は少し躊躇ったが、やがて口を開いた。 「政治的な理由だ」彼は静かに言った。「昨夜の宴会でも気づいただろう。君の急速な台頭に対して、反感を持つ者たちもいる」 バイアス伯爵の冷たい視線が脳裏に浮かんだ。 「保守派の貴族たちは、若い将官の昇進に批判的だ」将軍は続けた。「特に君のように、従来の序列を飛び越えて重要な地位を得た者には」 「つまり」セリシアが口を挟んだ。「ソウイチロウを王都に留め、政治的な基盤を固めるということ?」 「その通りだ」将軍は頷いた。「彼の才能を潰させるわけにはいかない。一時的に表舞台から退き、内部での立場を固める。それが最善だと判断した」 俺は複雑な思いで黙り込んだ。戦場から離れるのは本意ではないが、将軍の言うことには理があった。いくら戦場で功績を挙げても、内部の支持がなければ長くは続かない。 「では、俺は何をすれば?」俺は尋ねた。 「王宮での軍事教練と、作戦立案だ」将軍は答えた。「若い士官たちに君の戦術を教え、また、今後の戦略について意見を求めたい」 教官か——それも悪くない。自分の経験を若い士官たちに伝えることで、王国軍全体の戦力向上に貢献できる。 「わかりました」俺は頷いた。「将軍のご判断に従います」 「良い決断だ」将軍は満足そうに言った。「そして、セリシア」 「はい」彼女はきびきびと答えた。 「君は王宮への報告任務を任せたい」将軍は言った。「コルム丘陵の詳細な戦術分析を、軍議会に提出するんだ」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第31話「戦後の静寂」

ギアラ砦での戦いから三日後、まだ後片付けと復旧作業が続く中、俺は戦果の最終確認を行っていた。 「帝国軍の損害は?」 グレイスン大佐は手元の報告書に目を通しながら答えた。 「死者約五百、負傷者は千を超えると推測されます。特に『影狩人』と呼ばれる精鋭部隊は壊滅状態です」 「我々の損害は?」 「死者百二十、負傷者二百八十。大規模な攻城戦としては、驚異的に少ない犠牲です」 俺は無言で頷いた。一人一人の命を考えれば決して少なくはないが、戦争の論理では「成功」と呼べる数字だ。 「修復作業の進捗は?」 「西壁の破損部分は応急処置が完了し、南壁の爆破箇所も修復中です。二週間もあれば、元の防衛力を取り戻せるでしょう」 俺は砦の中央広場に立ち、周囲を見渡した。兵士たちは疲れた表情を見せながらも、誇りを持って働いている。彼らの目には、勝利の自信が宿っていた。 「大佐、王都からの使者は?」 「今夕に到着予定です。陛下からの直々の賞賛があるとのこと」 グレイスン大佐の顔には誇らしさが浮かんでいた。 「あなたの功績は王国中に広まっています。『タロカの戦術家』、いや『戦術の神子』と呼ぶ者もいるとか」 俺は少し困惑した表情を浮かべた。そんな大げさな渾名をつけられるなど、思ってもみなかった。 「やりすぎです。ただの戦術を考えただけで」 「謙虚ですね。しかし、ラドルフに勝った指揮官は、あなたが初めてなのです」 大佐の言葉には敬意が込められていた。 彼との会話を終え、俺は自室に向かった。砦の上層階にある小さな部屋だが、窓からは西の平原が一望できる。帝国軍がいた場所は今や空虚で、ただ踏みつけられた草原が広がるだけだった。 ノックの音がして、ドアが開く。 「セリシア少佐が王都に向かう準備をしています」 伝令兵が告げた。 「わかった、すぐに行く」 砦の中庭では、セリシアが小さな護衛隊と共に出発の準備をしていた。彼女は王都への報告役として選ばれたのだ。 「行くのか」 俺の声に、セリシアは振り返った。銀色の鎧は磨き上げられ、肩には王国の紋章が輝いている。 「ええ。将軍に直接報告する必要があるわ」 彼女の表情には疲労の色があったが、それでも誇りに満ちていた。ギアラ砦の右翼を指揮したセリシアの功績は大きい。 「気をつけて行くんだ」 「心配ないわ。帝国軍は当分、この地域には現れないでしょう」 セリシアは馬に跨りながら、一瞬だけ柔らかな表情を見せた。 「また、あなたの策を見たい」 その言葉には、単なる軍人としての評価を超えた何かが含まれているように感じた。 「ああ、必ず」 俺は微笑み返した。セリシアと護衛隊は砦の門を出て、王都への長い道のりを進み始めた。その姿が地平線の彼方に消えるまで、俺は見送った。 *** 夕方、王都からの使者が到着した。派手な装飾の施された馬車に乗って現れた使者は、王室直属の儀典官だった。 「エストガード補佐官殿」 儀典官は深々と頭を下げた。 「陛下より、ギアラ砦防衛における偉大なる功績に対し、最高の賞賛をお伝えいたします」 俺は丁寧に礼をしつつも、内心では少し居心地の悪さを感じていた。この世界に来て以来、こんな公式の賞賛を受けるのは初めてだった。 「おかげさまで、帝国軍は撃退され、西方防衛線は保たれました」 儀典官は満足げに頷いた。 「三日後、あなたの王都帰還を望まれています。勲章授与の儀式が執り行われる予定です」 勲章——前世では考えられないような栄誉だ。地方貴族の養子として新たな人生を始めた俺が、王国からの勲章を授かるとは。 「光栄です」 儀典官は続けて、グレイスン大佐や他の将校たちにも褒賞の言葉を伝えた。砦全体が祝福ムードに包まれる。 夜になると、簡素ながらも勝利を祝う宴が開かれた。酒と料理は質素だったが、兵士たちの笑顔は本物だった。彼らは死の恐怖から解放され、勝利の喜びを分かち合っている。 俺は宴の端に座り、静かに杯を傾けていた。隣では、グレイスン大佐が昔の戦の話を若い兵士たちに聞かせている。 「エストガード殿は違いますな」 突然、年配の兵士が声をかけてきた。 「どういう意味だ?」 「勝っても、浮かれない。冷静に次を見据えている」 その兵士は俺の杯に酒を注ぎながら言った。 「若いのにね。経験豊かな将校でも、勝利に酔いしれる者が多いというのに」 「勝っても、残るのは疲れだけだな」 俺は小さく呟いた。確かに勝利は嬉しかったが、同時に深い疲労も感じていた。身体的な疲れだけでなく、精神的な疲弊。多くの命が失われた現実は変わらない。 「勝っても、残るのは疲れだけだな」という思いは、前世での麻雀の対局後と似ていた。だが決定的な違いがある。この勝利には意味がある。多くの命を救い、王国に希望をもたらした。空虚な勝利ではない。それでも、英雄視される現実に違和感を覚える自分がいた。 「賢明な考えです」 兵士は敬意を込めて頭を下げた。 宴は夜遅くまで続いたが、俺は早めに退席した。静かな夜の砦を歩きながら、戦いの記憶を整理する。ラドルフの戦術、彼の「赤い目」、そして我々の反撃——全てがあまりにも鮮明だった。 フェリナの療養する医務室を訪れると、彼女はまだ深い眠りの中にあった。医師によれば、容体は安定しているものの、完全回復にはまだ時間がかかるという。 「無事に王都まで運べるようになるまで、あと二日はかかるでしょう」 医師はそう告げた。 「わかりました。最善の治療を」 俺はフェリナの額に軽く手を置き、静かに部屋を出た。 *** 翌日から、王都帰還の準備が始まった。報告書の最終調整、物資の整理、負傷者の移送準備——やるべきことは山積みだった。 「エストガード殿」 グレイスン大佐が執務室を訪ねてきた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第32話「軍神と呼ばれて」

王都での日々が始まって一週間が経った。俺は宮殿近くの軍事施設で、若い士官たちに戦術指導をする毎日を送っていた。今日も朝から講義を終え、昼食を取るために王宮の食堂に向かっていた。 「ソウイチロウ殿!」 廊下から声がかかり、振り返ると中年の貴族風の男性が近づいてきた。彼の名はグラント伯爵、王宮の儀典長だ。この一週間で何度か顔を合わせている。 「グラント伯爵」俺は軽く礼をした。「何か?」 「明日の勲章式の件で」伯爵は嬉しそうに言った。「陛下より特別の配慮があり、あなた様には前列での着席が許されました」 ああ、明日の勲章式——王国の祝祭日に行われる恒例の式典だ。様々な功績を挙げた人々に勲章が授与される。俺は既に勲章をもらっているが、儀礼的な参列を求められていた。 「ありがとうございます」俺は丁寧に答えた。「光栄です」 伯爵は更に話を続けようとしたが、俺は少し急いでいることを伝え、礼儀正しく別れを告げた。 食堂に入ると、セリシアが既に席についていた。彼女も王宮での任務に追われる日々を送っている。 「やっと来たわね」彼女は時計を見て言った。「遅いと思ったわ」 「すまない」俺は席に着いた。「グラント伯爵に捕まって」 「儀典長?」セリシアは驚いた顔をした。「また何か儀式かしら」 「ああ、明日の勲章式の件だ」俺は少し面倒そうに言った。「前列に座れるとかなんとか」 セリシアは少し笑みを浮かべた。「栄誉ね。でも大変そう」 「正直、そういうのは苦手だよ」俺は正直に答えた。「堅苦しいし、何を話していいかわからないし」 食事が運ばれてきた。王都の食事は毎回豪華だ。今日は魚のムニエルに季節の野菜添え、それにスープとパン。戦場での粗末な食事に慣れた身には、まだ贅沢に感じる。 「今日の教練はどうだった?」セリシアが尋ねた。 「悪くないよ」俺は答えた。「若い士官たちは熱心だし、吸収も早い。特に『流れ』の概念には興味津々だった」 俺は麻雀(タロカ)で培った"読み"と"流れ"の感覚を、戦術に応用する方法を教えている。それは体系化された教えというより、感覚的なものだが、若い士官たちは意外なほど熱心に聞いてくれる。 「それは良かったわ」セリシアは嬉しそうに言った。「あなたの才能が広まっていけば、王国全体の戦力向上につながるわ」 彼女の言葉に、少し誇らしい気持ちになった。自分の経験が誰かの役に立つのは嬉しいことだ。 「君は?」俺は尋ねた。「報告書は終わった?」 「ようやく最終段階よ」セリシアは少し疲れた表情を見せた。「軍議会からの質問が途切れなくて。特に保守派の将校たちは細かいところまで突っ込んでくるの」 コルム丘陵の戦いの詳細な記録と分析——それは簡単な仕事ではない。特に保守派からの批判的な目にさらされればなおさらだ。 「大変だね」俺は共感の表情を見せた。「何か手伝えることある?」 「大丈夫」セリシアは微笑んだ。「あと少しよ。それより、あなたは?」 「俺?」 「そう」彼女は俺の顔をじっと見た。「ここでの生活に慣れた?」 その問いに、俺は少し考え込んだ。確かに王都での暮らしは物理的には快適だ。豪華な部屋、美味しい食事、清潔な服——全てが揃っている。だが、どこか落ち着かない感覚も残ったままだった。 「まあ、少しずつかな」俺は曖昧に答えた。「でも、やっぱり戦場の方が自分に合ってる気がする」 セリシアは理解したように頷いた。彼女もまた、戦場で鍛えられた参謀官。この平和な宮廷生活には馴染みにくいだろう。 食事を終え、俺たちは中庭に出た。ちょうど昼休みで、多くの宮廷人や士官たちが日光浴をしたり、談笑したりしている。 「あそこを見て」セリシアが小声で言った。 彼女の視線の先には、派手な装いの若い貴族たちのグループがいた。彼らは俺たちの方をちらちらと見ながら、何か話している。 「俺のことかな?」俺は少し居心地悪そうに言った。 「間違いないわ」セリシアは冷静に分析した。「あれは名家の若い貴族たち。新たな『戦術の神子』に興味津々みたいね」 俺は少し顔をしかめた。王都に来てから、そういう視線を感じることが多い。好奇の目、羨望の目、時には敵意の目——様々な感情が俺に向けられている。 「やれやれ」俺は溜息をついた。「俺は神じゃない。ただの"勝負師"だ」 その言葉は心の底から出てきた。麻雀(タロカ)で培った「読み」を活かしてるだけなのに、なぜこんなに大げさに扱われるのか。 「でも、あなたは特別よ」セリシアは静かに言った。「一般の人には理解できない才能を持っている」 特別か——それは前世では考えられなかった言葉だ。大学受験に失敗し、麻雀に明け暮れる日々。「特別」どころか、「普通以下」と思われていた。 そんな俺が、今や「戦術の神子」と称される存在になっている。人生とは皮肉なものだ。 「行きましょう」セリシアが手を引いた。「次の予定があるでしょう?」 「ああ」俺は我に返った。「午後は上級士官との戦術会議だ」 二人で中庭を後にし、それぞれの持ち場に向かった。セリシアは軍議会への報告書を仕上げるため、俺は戦術会議のために軍事施設へと足を運ぶ。 *** その日の夕方、俺は予定されていた貴族の招待会に出席していた。王宮の大広間で開かれたその会には、多くの高官や貴族が集まっていた。俺はアルヴェン将軍の隣に立ち、次々と挨拶に来る人々に応対していた。 「ソウイチロウ殿、コルム丘陵の戦術はまさに神業でしたな」 「あなたほどの若き才能は百年に一人と言われています」 「我が家の息子も軍に入れましたが、ぜひご指導を」 様々な言葉が向けられる中、俺は礼儀正しく、しかし控えめに応じていた。時に将軍が助け舟を出してくれることもあり、何とか場をしのいでいた。 「疲れただろう」会の中盤、将軍が小声で俺に言った。「少し休んでもいいぞ」 「大丈夫です」俺は微笑みを保ちながら答えた。「将軍のおかげで助かっています」 しかし、内心では確かに疲労を感じていた。笑顔を作り、社交辞令を繰り返す——それは戦場での緊張とは別種の疲れを生む。 しばらくして、一人の中年男性が近づいてきた。華やかな服装と高慢な態度から、高位の貴族だとわかる。 「ソウイチロウ殿」彼は形式的に頭を下げた。「お初にお目にかかります。ヴァリウス侯爵と申します」 「侯爵閣下」俺は丁寧に応じた。「お会いできて光栄です」 アルヴェン将軍が少し緊張した表情になったのを、俺は見逃さなかった。この侯爵は何か重要な人物のようだ。 「コルム丘陵での勝利、誠に見事でした」侯爵は言った。「王国の英雄となられましたな」 「ありがとうございます」俺は謙虚に答えた。「しかし、あれは全兵士の尽力の賜物です」 侯爵は含み笑いを浮かべた。 「謙虚ですな」彼は言った。「さて、一つご提案があります」 侯爵は少し声を落とし、続けた。 「私には年頃の娘がおります。彼女は教養高く、淑女としての嗜みも完璧。ソウイチロウ殿のような若き英雄との縁組みは、双方にとって有益かと」 その言葉に、俺は一瞬言葉を失った。婚姻話? それも初対面でいきなり? 「侯爵閣下」アルヴェン将軍が間に入った。「ソウイチロウ殿は現在、軍務に専念しております。個人的な事柄は後日改めて」 将軍の機転に、俺は内心で感謝した。 「そうですか」侯爵は少し不満そうに言った。「ではまた改めて」 侯爵が去った後、将軍が小声で言った。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第32話「軍神と呼ばれて」

王都メイドナルムの中央広場は、人で溢れかえっていた。 「戦術の神子がいる!」 「エストガード様万歳!」 「帝国軍を撃退した英雄だ!」 こうした歓声が四方から湧き上がる中、俺は儀仗兵に護衛された馬車の中で硬い表情を浮かべていた。傍らにはセリシアがおり、彼女も複雑な心境を隠せないようだった。 「予想外の人出ね」 セリシアが窓の外を見ながら呟いた。 「ここまでとは思わなかった」 俺も同意した。ギアラ砦での勝利は確かに大きなものだったが、これほどまでに民衆を熱狂させるとは想像していなかった。 馬車は人々に道を空けてもらいながら、ゆっくりと王宮へと向かっていた。沿道では花束が投げ入れられ、子供たちは旗を振って喜んでいる。 「彼らは本当に英雄を求めていたのね」 セリシアの声には思慮深さがあった。 「ラドルフに対抗できる希望の象徴として、あなたを見ているわ」 俺はセリシアの洞察に納得しつつも、心の中では居心地の悪さを感じていた。麻雀の対局では相手の読みを競うだけだったが、この世界では国の命運がかかっている。その重圧は想像以上だった。 馬車が王宮に到着すると、アルヴェン将軍自ら出迎えてくれた。 「よく戻ってきた、エストガード、セリシア」 将軍は満足げな表情で二人を迎え入れた。 「陛下が今か今かと待っておられる。まずは謁見室へ」 壮麗な王宮の廊下を歩きながら、将軍は小声で警告を加えた。 「バイアス伯爵を筆頭とする一派も今日は出席している。彼らの言動に注意するように」 俺とセリシアは頷いた。将軍の私信で警告されていた政治的緊張は、今も続いているようだ。 謁見室の扉が開かれると、豪華な装飾の施された広間に、多くの貴族や将校が整列していた。正面の玉座には、フェルトリア王国第十七代国王ザンクト・フェルトリアが威厳ある姿で座していた。 「エストガード補佐官、前へ」 儀典官の声に応じ、俺は玉座の前まで進み、深々と膝をついた。 「陛下」 「エストガード、汝の功績は我が国に大いなる希望をもたらした」 王の声は力強く、広間に響き渡った。 「ギアラ砦での勝利は、単なる一戦の勝利を超え、帝国の侵攻を食い止める重要な一歩となった」 王は立ち上がり、側近から金の勲章を受け取った。 「ここに、王国最高の勲章、黄金獅子勲章を授ける」 俺の首に勲章がかけられると、広間に拍手が沸き起こった。続いてセリシアにも、銀獅子勲章が授与される。 「汝らの忠誠と勇気に感謝する。フェルトリア王国は汝らを誇りに思う」 セレモニーの後、宮廷での盛大な宴が催された。華やかな衣装に身を包んだ貴族たち、軍服に勲章を輝かせる将校たち——彼らは次々と俺に近づき、祝福の言葉を述べた。 「エストガード殿、素晴らしい戦いでした」 「若きタロカの天才、王国の宝ですな」 「わが家の娘を紹介させてください」 社交辞令とはいえ、その多くは本心からの賞賛に聞こえた。だが中には、打算的な視線を隠さない者もいる。特に若い娘を持つ貴族たちは、俺を婿候補として品定めするような目で見ていた。 「エストガード殿」 低く落ち着いた声が聞こえ、振り返るとバイアス伯爵が立っていた。洗練された中年の貴族で、灰色の髪に金の装飾を施した高級な衣装を身につけている。 「バイアス伯爵」 俺は丁寧に挨拶した。相手は将軍が警戒する人物だが、公の場では礼儀正しく振る舞うべきだ。 「素晴らしい功績、心から祝福いたします」 伯爵の言葉には表面上の温かさがあったが、その目は冷たく俺を観察していた。 「ギアラ砦の防衛には、多くの兵士の助けがありました」 俺は謙虚に答えた。 「謙遜なさる必要はありませんよ。あなたの戦術的天才は、今や王国中の知るところです」 伯爵は周囲を見渡した。 「『戦術の神子』、あるいは『軍神の再来』とさえ呼ばれているとか」 その言葉には皮肉が滲んでいた。 「大げさな話です」 「いいえ、あながち大げさでもないでしょう」 伯爵は一歩近づき、声を落とした。 「若いながらもそのような才覚を持つあなたは、単なる軍人としての役割を超えた存在になり得る。政治的な影響力も、あなたの手の内にあるのです」 その言葉は明らかな誘いだった。伯爵はアルヴェン将軍の対抗勢力であり、俺を自分の陣営に引き込もうとしているのだ。 「私はただの軍人です、伯爵。政治的野心などありません」 「今はそうかもしれませんね」 伯爵は薄く笑った。 「しかし、時が来れば考えも変わるでしょう。その時は、ぜひ私にご相談を」 彼は名残惜しそうにしながらも別の貴族に話しかけるため去っていった。 俺が深呼吸をしていると、セリシアが近づいてきた。彼女は宮廷向けの美しいドレスに身を包み、いつもの軍服姿とは違う雰囲気を醸し出していた。 「何を言われたの?」 「政治的影響力について」 「やはり……」 セリシアは周囲を警戒しながら、小声で言った。 「バイアス伯爵は国境地域の割譲を条件に、帝国との和平を主張している派閥の領袖よ。彼らはあなたのような人気者を味方につければ、自分たちの主張に正当性を持たせられると考えているわ」 「利用されるだけか」 「そういうこと」 宴は夜遅くまで続き、俺は無数の貴族や将校と言葉を交わした。多くは表面的な社交だったが、中にはアルヴェン将軍の支持者と思われる者から、具体的な軍事的助言を求められることもあった。 漸く人の波が引いた頃、俺は宮殿のバルコニーに出て、夜風に当たっていた。 「疲れたでしょう」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第33話「それぞれの想い」

勲章式は予想通りの華やかさで執り行われた。宮殿の大広間は装飾で彩られ、国内の高官や貴族たちが揃い踏み。俺は前列の席に座り、式典の進行を見守っていた。 様々な功績を挙げた人々が次々と呼ばれ、国王陛下より勲章を授かる。軍人、役人、学者、商人——それぞれの分野で国に貢献した人々だ。俺自身はすでに勲章を貰っていたため、今回は儀礼的な参列のみだった。 終わりに近づいた頃、軽い憂鬱感が俺を包んでいた。こうした儀式はやはり苦手だ。儀礼、形式、表面的な社交——それらは俺の本質とはどこか相容れない。 式典が終わり、参列者たちがそれぞれ歓談する中、アルヴェン将軍が俺に近づいてきた。 「ソウイチロウ」将軍は低い声で言った。「一時間後、第二作戦室に来てくれ。会議を開く」 「了解しました」俺は頷いた。「セリシアとシバタ大尉も?」 「ああ」将軍も頷いた。「すでに伝えてある」 将軍が去った後、俺は大広間を出て、少し早めに作戦室へと向かった。廊下を歩きながら、次の任務について考える。おそらく前線に戻れる——そう期待していた。 作戦室に着くと、既にセリシアが待っていた。彼女は窓際に立ち、外の景色を眺めていた。 「やあ」俺が声をかけると、彼女は振り返った。 「早かったのね」セリシアは微笑んだ。「式典は退屈だった?」 「まあね」俺は素直に答えた。「ああいうのは苦手だから」 二人で窓の外を眺めると、宮殿の庭園が広がっていた。整えられた植え込み、色とりどりの花々、噴水——すべてが計算され尽くした美しさだ。 「将軍は何を話すつもりかしら」セリシアが静かに言った。 「次の任務じゃないかな」俺は期待を込めて答えた。「前線に戻れるといいんだけど」 セリシアは少し考え込むような表情になった。 「前線残留か、軍中枢か」彼女が突然尋ねた。「あなたはどちらを望む?」 その問いに、俺は少し驚いた。セリシアらしくない質問だった。彼女は通常、感情より論理を優先する人だ。 「前線だよ」俺は迷わず答えた。「俺は実戦の中でこそ力を発揮できるから」 「そう」セリシアは小さく頷いた。「予想通りの答えね」 彼女の表情には、何か言いたいことがあるように見えた。だが、そのとき、ドアが開き、シバタ大尉が入ってきた。 「やあ、二人とも早いな」大尉は明るく言った。「将軍はもうすぐ来るはずだ」 間もなく、アルヴェン将軍も現れ、会議が始まった。 「皆、集まってくれてありがとう」将軍は重厚な声で言った。「今日は重要な話がある」 俺たちは身を乗り出して聞いた。 「ラドルフがコルム丘陵から撤退した後、帝国軍は一時沈黙していた」将軍は地図を指しながら説明した。「しかし、最近の偵察によれば、彼らは南部前線で再び動き始めている」 地図には南部国境に赤い印が付けられていた。 「特にマラント山脈周辺での兵力増強が顕著だ」将軍は続けた。「我々の予測では、彼らは山脈を越えて王国の南部平原を目指している」 マラント山脈——国境を形成する山々で、天然の防壁となっている。しかし、幾つかの峠や渓谷があり、兵力が通過することは可能だ。 「南部平原が落ちれば、王都への道が開かれる」将軍の表情が厳しくなった。「それだけは避けなければならない」 俺たちは状況の深刻さを理解し、黙って頷いた。 「そこで」将軍はいよいよ本題に入った。「ソウイチロウ、お前には選択してほしい」 「選択、ですか?」 「ああ」将軍は真剣な表情で言った。「お前には二つの道がある。一つは南部前線に赴き、ラドルフとの再戦に備えること。もう一つは王都の軍中枢に残り、戦略立案の中核となること」 まさにセリシアが先ほど尋ねたことだ。彼女は既に何かを察していたのだろうか。 「どちらも重要な役割だ」将軍は続けた。「選択はお前に任せる」 俺は少し考え込んだ。直感的には前線を選びたい。しかし、軍中枢での役割も重要だと理解していた。 「考える時間をください」俺は答えた。 「もちろんだ」将軍は頷いた。「明日までに決めてくれ」 会議はさらに続き、南部前線の詳細な状況や、帝国軍の動向などが報告された。ラドルフは敗北から学び、新たな戦術を練っているという。彼の「魂の鎖」の効果も、以前より強力になっている可能性があるとのことだった。 会議が終わり、それぞれが部屋を出る際、セリシアが俺に小声で言った。 「話があるわ。夕方、東の塔の展望台に来て」 彼女の表情は真剣で、何か重要な話があるようだった。 「わかった」俺は頷いた。「夕方に」 *** 午後、俺はフェリナの見舞いに行った。彼女は順調に回復しており、既にベッドから起き上がって椅子に座れるようになっていた。 「調子はどう?」俺が尋ねると、彼女は微笑んだ。 「だいぶ良くなったわ」フェリナは答えた。「もうすぐ退院できそうよ」 それは本当に良いニュースだった。彼女の傷は深く、一時は生命の危険もあったほどだ。 「良かった」俺は心から言った。「無理はするなよ」 フェリナは少し笑い、そして表情を変えた。 「さっき、斥候から報告があったわ」彼女は真剣な声で言った。「ラドルフの動向について」 彼女は情報将校として、病床にありながらも情報収集を続けていた。 「彼はまだ終わっていない」フェリナは静かに言った。「マラント山脈での兵力増強は、単なる前哨戦に過ぎないわ。彼は大きな計画を持っている」 「どういう意味だ?」俺は身を乗り出した。 「詳細はまだわからないけど」彼女は続けた。「彼は単なる軍事行動を超えた何かを準備しているみたい。禁忌の魔術に関連するかもしれない情報もあるわ」 禁忌の魔術——ラドルフの「魂の鎖」もその一種だが、彼がさらに強力な魔術を手に入れようとしているのなら、事態は深刻だ。 「この情報は将軍に報告した?」俺は尋ねた。 「ええ」フェリナは頷いた。「でも、確証がないから、あくまで可能性の一つとして」 俺は考え込んだ。ラドルフの新たな動き、禁忌の魔術、南部前線——全てが複雑に絡み合っている。 「将軍から選択を迫られてるんでしょう?」フェリナが突然言った。「前線か、軍中枢か」 彼女の洞察力に、俺は驚いた。 「どうしてわかったんだ?」 「予測できたわ」彼女は小さく笑った。「あなたの才能は前線でも本部でも必要とされるもの。いつか選択を迫られる時が来ると思ってたわ」 フェリナの目は真剣だった。 「あなたは"戦いの先"に何を見るの?」彼女が静かに尋ねた。 その問いに、俺は答えに窮した。戦いの先? そんなことを考えたことがなかった。ただ目の前の戦いに勝つこと、与えられた任務を遂行すること——それだけを考えてきた。 「わからない」俺は正直に答えた。「まだ自分でも見えていない」 フェリナは少し悲しそうな表情をした。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人