第26話「迫る赤眼の魔将」
ギアラ砦での勝利から三日目の朝、俺はアルヴェン将軍に呼び出された。砦内はまだ戦いの爪痕が残り、修復作業に忙しい兵士たちの姿が見える。勝利の高揚感は薄れ、新たな現実が目の前に広がっていた。 「ソウイチロウ」 作戦室に入ると、将軍は大きな地図を広げていた。その手が指す先——サンクライフ平原。砦から南へ約三日行程の広大な平原だ。 「昨夜、斥候から新たな報告が入った」将軍は厳しい表情で言った。「ラドルフ率いる帝国軍がサンクライフ平原に集結している。規模は約五千」 五千——ギアラ砦での戦いとは桁違いの数字だ。思わず息を呑む。 「そして、君にはこの平原の南端、コルム丘陵の防衛を任せたい」 将軍が指し示したのは、平原の南に位置する小さな丘陵地帯だった。平原の広大な戦場に比べれば小さな地域だが、そこは平原を見下ろす重要な高地だった。 「平原の南端、ですか?」 「そう。敵の補給路を押さえる要衝だ。ここを制する者が平原の戦いを制する」 将軍の言葉に、責任の重さを感じる。 「兵力は?」 「千名を与える。君の指揮下に置く」 これまでで最大の兵力だ。ギアラ砦では数百名だったのに、今度は千名。 「セリシアも参謀として同行する。彼女は既に準備を始めている」将軍は続けた。「また、フェリナも情報将校として同行を願い出た」 心強い仲間たちの名前に、少し安心感が広がる。 「……本当に、俺でいいんですか?」 思わず口から漏れた言葉。これほどの大任、本当に自分にできるのかという不安が胸をよぎる。 将軍は一歩近づき、俺の肩に手を置いた。 「君は『流れ』を読める。それが今、最も必要な才能だ」 その言葉に、少し自信が湧いてきた。 「わかりました。全力を尽くします」 将軍は頷き、作戦の詳細を説明し始めた。敵の予想される動き、我々の部隊配置、補給計画……。頭に入れるべき情報が次々と示される。 作戦会議が終わり、部屋を出ようとした時だった。 「ソウイチロウ」将軍が呼び止めた。「ラドルフは今回、全力で来る。ギアラでの敗北を許さない男だ」 「はい」 「彼の『魂の鎖』の力も、恐らく最大限に発揮されるだろう」 俺は黙って頷いた。ラドルフの赤い眼が脳裏に浮かぶ。あの日、一瞬だけ見た敵将の姿——圧倒的な存在感と、“流れ"を支配する異質な力。 「では、準備を始めてくれ。出発は明朝だ」 作戦室を出た俺は、急いで自分の部屋に向かった。荷物をまとめ、必要な書類を整理し、そして——ある小さな革袋を取り出す。 中から出てきたのは、小さな石の破片。タロカ牌を模して俺が自分で作った戦術ツールだ。これまでも使ってきたが、今回の戦いではさらに改良を加えたいと思っていた。 暫く石片を並べていると、ノックの音がした。 「どうぞ」 ドアが開き、セリシアが入ってきた。彼女は既に軽装の旅支度を整えており、手には地図と書類を持っていた。 「準備は進んでる?」彼女が尋ねた。 「ああ、少しずつね」俺は石片を示した。「これも改良中なんだ」 セリシアは興味深そうに近づき、石片を手に取った。 「タロカの応用ね」彼女は微笑んだ。「あなたらしいわ」 彼女の言葉に少し照れくさくなる。 「今回の敵は強大だよ」俺は真剣な表情で言った。「ギアラの比じゃない」 「そうね」セリシアも真剣な表情になった。「でも、あなたとなら勝てる」 彼女の言葉は単なる励ましではなく、確信に満ちていた。初めて会った頃の懐疑的な態度とは大違いだ。 「ラドルフの情報をもっと集めないとね」俺は言った。「彼の戦術パターンや弱点を……」 「それなら、私が役に立つわ」 ドアから別の声が聞こえた。フェリナが立っていた。 「フェリナ」俺は驚いて立ち上がった。「いつから?」 「今来たところよ」彼女は部屋に入り、大きな書類の束を広げた。「これ、ラドルフの過去の戦術記録。私なりに分析したものよ」 広げられた書類には、ラドルフの過去の戦いが克明に記録されていた。彼が採った布陣、攻撃パターン、兵の動かし方……全てが詳細に分析されている。 「すごいな」俺は感心して書類を見た。「こんなに詳しく……」 「彼に父を殺された身として、徹底的に研究してきたの」フェリナの声には強い決意が混じっていた。「今度こそ、彼を倒す」 俺とセリシアは顔を見合わせた。フェリナの復讐心は理解できるが、それが彼女を危険に導くことも懸念される。 「フェリナ」俺は優しく言った。「情報は本当にありがたい。でも、無茶はしないでくれよ」 「わかってるわ」彼女は小さく微笑んだ。「もう独りよがりの復讐じゃない。私たちの勝利のために戦う」 その言葉に安心する。ギアラでの戦いを経て、フェリナも成長したようだ。 三人で資料を広げ、作戦会議を始めた。セリシアが地図上に兵の動きを示し、フェリナがラドルフの予想される戦術を説明。俺はタロカ石を並べながら、“流れ"を可視化していく。 「コルム丘陵の地形を活かした布陣が重要ね」セリシアが言った。「敵は平原から登ってくるしかないから、高所の利を最大限に活かせる」 「でも、ラドルフは単純な正面攻撃はしないわ」フェリナが指摘した。「彼は必ず迂回路を探す。特に夜間の奇襲が得意」 「なるほど」俺は頷き、タロカ石を動かした。「なら、彼の『魂の鎖』の届かない場所に伏兵を配置すれば……」 会議は夕方まで続いた。夕食の時間が近づき、三人は一旦休憩することにした。 「では、夕食後にまた集まりましょう」セリシアが言った。「出発の細かい段取りを決めないと」 三人が部屋を出ようとしたとき、廊下から騒がしい声が聞こえてきた。 「報告! 敵軍の動きに変化が!」 息を切らした伝令兵が走ってきた。俺たちは急いで作戦室に向かった。 作戦室には既にアルヴェン将軍と数名の高官が集まっていた。彼らは新たに届いた地図を囲み、険しい表情で何かを議論している。 「何があったんですか?」俺が尋ねた。 将軍は俺たちに気づき、手招きした。 「ラドルフが予想より早く動き出した」将軍は言った。「彼らは既に平原の北端に到達している」 地図を見ると、確かに敵軍の位置が大幅に前進していた。予定より少なくとも二日は早い。 「これでは、コルム丘陵に部隊を展開する時間が……」セリシアが懸念を示した。 「そうだ」将軍は厳しい表情で頷いた。「出発を早める必要がある。今夜中に出発できるか?」 ...