第23話「勝機は手の内に」

「第三中隊、被害状況は?」 俺はバレン大尉に問いかけた。彼は伝令兵からの報告を聞き、眉をひそめた。 「およそ半数が『戦闘不能』と判定されています。残りも包囲網の中で身動きが取れない状況です」 「第一、第二中隊は?」 「第一中隊は正面で赤軍と膠着状態。第二中隊は右翼での攻撃を中止し、守勢に転じています」 俺は地図を広げ、現在の戦況を確認した。確かに不利な状況だが、まだ勝機はある。ローゼン少佐の罠にはまったことで、我々の主な戦力は分散し、それぞれが孤立しつつある。だが、逆に言えば赤軍も兵力を分散させている。 「このままでは時間切れになりますね」 バレン大尉が心配そうに言った。演習には四時間の制限があり、既に半分以上が経過している。制限時間内に決着がつかなければ、守勢側(この場合は赤軍)の勝利となる。 「タロカでいえば、『聴牌』の状態だ」 「聴牌?」 「あと一枚で役が完成する状態。今の我々はそうだ」 バレン大尉は困惑した表情を浮かべた。俺の比喩がよく理解できないようだった。 「麻雀の卓でも同じだ。打点が高い手を狙いすぎると、却って聴牌すらできなくなる。だが裏を返せば、相手も同じように読み合いに集中すると見落としが生じる」 まるで麻雀で相手の手牌を読むように、俺は敵の動きを読み解いていた。ローゼン少佐は一見勝勢に見えるが、三方向に兵を分けたことで中央が薄くなっているはずだ。「リャンメン待ち」のように二方向から攻められる位置に、彼の本拠地があるのではないか。 「我々にはまだ一つの手が残されている」 俺は地図の一点を指さした。赤軍の布陣と、彼らの旗の位置。そして、本物のローゼン少佐がいるであろう場所。 「副官、新たな命令を。第一中隊はそのまま正面で敵を引きつける。第二中隊は右翼からの撤退を続けつつ、敵に圧力をかけ続けろ」 「それでは第三中隊は?」 「見捨てる」 冷淡に聞こえるかもしれないが、戦術上の判断だった。第三中隊の生き残りは少なく、既に戦力としての機能を果たしていない。それより—— 「我々自身が動く」 「補佐官が?」 バレン大尉は驚いた様子だった。通常、指揮官は安全な後方で指揮を執るものだ。だが今回は違う。 「ローゼン少佐は我々の行動を読んでいた。だが、彼は『型』の中でしか考えられない。『型破り』の一手は想定していないはずだ」 俺は少数の警護兵を呼び、自ら前線へ向かう準備を始めた。 「副官、あなたはここで全体の指揮を続けてほしい」 「しかし、それでは補佐官が危険に」 「心配はいらない。これが最後の一手だ」 俺は小さな部隊を率いて丘を下り始めた。目標は赤軍の本拠地、旗が立つ位置だ。ローゼン少佐は我々の主力を分散させることに成功したが、その結果、彼の本拠地の防衛も薄くなっている可能性がある。 「前方に敵影!」 警護兵の一人が小声で告げた。確かに、小さな森の向こうに赤軍の兵士が見える。彼らは我々の第一中隊の様子を窺っているようで、背後に注意を払っていなかった。 「迂回する」 森の中を静かに移動し、敵の視界から外れる。戦術的な動きというより、タロカの卓での駆け引きに近い感覚だった。相手の注意を引きつつ、真の狙いを隠す。これは麻雀でよくやる「見せ牌」の手法だ。こちらの狙いを隠しつつ、相手の判断をミスリードする。 しばらく移動を続け、小川を渡った後、俺たちは赤軍の本拠地の後方に到達した。ここから見える光景に、俺は小さく微笑んだ。 「予想通りだ」 赤軍の旗の周りには少数の守備兵しかいない。彼らは我々の三つの中隊に気を取られ、後方からの小規模な侵入は想定していなかったようだ。 「ローゼン少佐はどこだ?」 双眼鏡で周囲を探ると、小さなテントの前に立つ人影が見えた。それは間違いなくローゼン少佐だった。彼は伝令兵と話しながら、何か指示を出しているようだ。 「少佐を目標とする。だが、まずは守備兵の注意を別方向に向けなければならない」 俺は小さな策を思いついた。 「あなたたち二人、あの茂みに向かって発砲せよ。それから急いでこちらに戻れ」 二人の兵士が指示に従い、茂みに向かって染料弾を発射した。効果は絶大だった。突然の発砲に、守備兵たちは茂みの方向に注意を向け、一部が偵察に向かった。 「今だ」 残りの兵士たちと共に、俺たちは素早く旗へと近づいた。守備兵の一部が気づいて振り返ったが、既に遅い。我々の染料弾が彼らを「戦闘不能」にした。 旗まであと数十メートル。だが、その時—— 「エストガード!」 ローゼン少佐の声だった。彼は俺たちの侵入に気づき、染料銃を構えていた。 「君の作戦は見抜いていたぞ。だが、ここまでくるとは思わなかった」 「型を破る——それが私の流儀です」 俺は彼に向き直った。二人の間には数十メートルの距離がある。染料銃の有効射程圏内だ。 ローゼン少佐は笑った。 「面白い。だが、ここまでだ」 彼が引き金を引こうとした瞬間—— 「補佐官!」 横から声がした。驚いたことに、そこにはフェリナが立っていた。彼女は演習に参加しているはずではなかった。 「フェリナ? なぜここに?」 「ラドルフの戦術について重要な情報が!」 彼女の突然の登場にローゼン少佐が一瞬だけ注意を逸らした。その隙に、俺は素早く染料銃を構え、引き金を引いた。 赤い染料弾がローゼン少佐の胸に命中する。彼は驚いた表情を浮かべ、そして苦笑した。 「見事だ」 彼は両手を上げた。「戦闘不能」の合図だ。 同時に俺の部下たちが赤軍の旗を確保した。演習の勝利条件を満たしたのだ。 監視塔から白旗が振られ、勝利を告げる砲声が響いた。 「やりましたね、補佐官!」 バレン大尉が駆けつけてきた。彼の顔には安堵と喜びが溢れていた。 「ありがとう。君の支援があってこその勝利だ」 俺はローゼン少佐に向き直った。 「少佐、素晴らしい戦いでした」 「君も、エストガード。型にはまらない戦術、見事だったよ」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第24話「内政の影とフェリナの想い」

三日目の朝、砦内は穏やかな空気に包まれていた。昨日の勝利で兵士たちの士気は高く、食堂では朗らかな会話が飛び交っている。 俺は早めに目を覚まし、朝食をとりながら今日の作戦について考えていた。昨日の勝利は大きいが、油断はできない。ラドルフは必ず新たな策を練ってくるはずだ。 「おはよう、ソウイチロウ」 セリシアが俺の向かいに座った。彼女も早起きのようだ。 「おはよう」俺は答えた。「よく眠れた?」 「ええ」彼女は頷いた。「昨日の勝利で少し安心したわ。でも、今日も気を抜けないでしょうね」 「そうだね」俺は同意した。「敵の様子は?」 「まだ陣を維持しているわ」セリシアは言った。「特に大きな動きは見られないけど、何かを準備しているようね」 二人で朝食を終え、作戦室に向かった。そこにはすでにシバタ大尉とグレイスン大佐がいた。 「おはよう」大尉が声をかけた。「今日の作戦の確認だ」 地図を囲み、防衛体制の最終確認をする。昨日の経験から、伏兵の配置をさらに工夫し、敵の新たな動きにも対応できるようにした。 「敵は昨日の失敗から学んでいるはずだ」大佐が言った。「同じ罠には二度とかからないだろう」 「はい」俺は頷いた。「だから、今日は別の戦術を用意しています」 俺が考えた新たな戦術は、敵の攻撃を受け止めつつ、徐々に消耗させるというものだ。砦の強みを最大限に活かし、時間をかけて敵の士気と体力を削る。 説明を終えると、フェリナが部屋に入ってきた。彼女の表情には緊張が見えた。 「報告があります」彼女は言った。「敵陣に変化が見られます」 「どんな?」大尉が尋ねた。 「昨夜、増援が到着したようです」フェリナは答えた。「約200名。さらに、陣形も変更されています」 これは予想外の展開だった。敵の増援とは。 「詳細は?」俺が尋ねた。 「北側から来たようです」フェリナは言った。「装備から見て、騎兵隊と弓兵が主体のようです」 新たな敵の増援。これで彼らの戦力は再び1000を超える。対して我々は昨日の戦いで損失を出し、約650名ほどだ。 「さらに」フェリナは続けた。「敵陣に新たな旗が立ちました。バイアス家の紋章です」 その名前に、一瞬息を呑んだ。バイアス家——ルナン平原の演習試験で出会ったバイアス伯爵の家だ。 「バイアス伯爵の部隊か……」シバタ大尉の表情が厳しくなった。「これは単なる軍事行動ではなくなってきたな」 「どういうことですか?」俺は尋ねた。 「バイアス伯爵は軍内の保守派領袖だ」大尉は説明した。「彼が私兵を送り込んだということは、この戦いに政治的な意図があるということだ」 政治的な意図——それは俺にとっては未知の領域だった。前世でも現世でも、政治的な駆け引きには関わったことがない。 「詳しく教えてください」俺は真剣に頼んだ。 大尉はため息をついて説明し始めた。 「バイアス伯爵は若手の台頭を快く思っていない」彼は言った。「特に君のような、従来の序列を無視して重要なポストに就いた者をね」 なるほど。あの演習試験も、今回の増援も、全て俺を失脚させるための動きだったのか。 「では、この戦いに負ければ……」 「君の評価は地に落ちる」大尉はきっぱりと言った。「それだけでなく、アルヴェン将軍の立場も危うくなる」 事態は思った以上に複雑だった。単なる軍事的な勝敗だけでなく、王国の内政にまで影響する戦いなのだ。 「でも」俺は決意を固めた。「それでも、勝つしかありませんね」 「その通りだ」大尉は頷いた。「勝てば全てが解決する。今は目の前の敵に集中しよう」 会議を終え、各自が持ち場に向かった。俺は砦の高所から敵陣を観察した。確かに、昨日よりも大きくなっている。そして、赤い旗の隣に新たな旗——おそらくバイアス家の紋章だろう。 (これは内政問題にまで発展しているのか……) ため息をつきながら、俺は敵の動きを見つめた。彼らはまだ攻撃の兆候を見せていない。何かを待っているのだろうか。 そのとき、敵陣から一騎の使者が出てきた。昨日と同じく白旗を掲げ、砦に向かって進んでくる。 「また使者か」グレイスン大佐が俺の隣に立った。「何の用だろうな」 使者が砦の前に到着し、声を張り上げた。 「砦の守備隊に告ぐ! わが軍より新たな降伏勧告である!」 昨日と同じ文言だ。しかし、次の言葉は違った。 「本日正午までに降伏せねば、砦内の全員を処刑する! これはラドルフ総帥とバイアス伯爵の共同命令である!」 バイアス伯爵の名が公然と出てきた。もはや隠す気もないようだ。 「当然拒否だな」大佐が言った。 「もちろんです」俺も頷いた。 使者はしばらく待ったが、返答がないと見るや、敵陣へと引き返していった。 「正午か……」大佐が呟いた。「あと四時間だな」 俺は砦内の防衛体制を最終確認するため、各持ち場を巡回した。兵士たちは緊張した面持ちで持ち場に就いているが、昨日の勝利で自信をつけたようだ。 「ソウイチロウ」 巡回を終えた俺に、セリシアが声をかけた。 「どうした?」 「ちょっと話があるんだけど」彼女は少し遠慮がちに言った。「個人的なことで」 「いいよ」俺は頷いた。 二人で人気のない物見台に上った。そこからは敵陣が見渡せる。 「実は」セリシアは静かに言った。「バイアス伯爵は私の遠縁なの」 「え?」 予想もしなかった告白に、俺は驚いた。 「ヴェル=ライン家とバイアス家は、血縁関係があるの」彼女は続けた。「だから、この戦いは私にとっても複雑なのよ」 「そうだったのか……」 彼女の心情を考えると、確かに難しい立場だろう。血縁の者と戦う場面に立たされているのだから。 「でも、私はあなたの味方よ」セリシアはきっぱりと言った。「バイアス伯爵の政治的な策略には与しない」 彼女の強い意志に、心を打たれた。 「ありがとう」俺は素直に言った。「君の言葉が嬉しい」 セリシアは少し照れたように視線をそらした。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第24話「内政の影とフェリナの想い」

「エストガード殿、閣下がお呼びです」 演習から三日後の朝、伝令が俺の執務室に現れた。「閣下」とは通常アルヴェン将軍を指すが、伝令の声には微妙な緊張感があった。 「将軍ではありません。バイアス伯爵です」 その名前に、俺は眉をひそめた。バイアス伯爵——王国の有力貴族で、王の側近の一人。彼が北方軍に来ているとは聞いていなかった。 「どこで会うのだ?」 「本部主館の応接室です。すぐにお越しいただきたいとのこと」 俺は手元の資料をまとめ、急いで応接室に向かった。途中、セリシアとすれ違う。 「バイアス伯爵に呼ばれたんだが」 彼女の表情が変わった。 「気をつけて。彼は単なる貴族ではなく、保守派の後ろ盾でもある。何か意図があるはずよ」 「わかっている。用心するよ」 応接室に到着すると、そこには五十代と思われる厳めしい貴族が待っていた。灰色の髪を整え、高価な衣服に身を包み、指には何個もの宝石が輝いている。 「エストガード殿ですね。お噂はかねがね」 バイアス伯爵は上品な物腰で俺を迎えた。だが、その目には計算高い色が宿っていた。 「バイアス伯爵閣下。お目にかかれて光栄です」 軽く頭を下げながら、俺は警戒心を抱いたまま椅子に腰掛けた。 「先日の演習、素晴らしい勝利だったそうですね。『タロカの戦術家』の名は伊達ではないようだ」 「ありがとうございます」 「エストガード家の養子と聞いています。地方貴族の家柄にしては、随分と出世されましたね」 伯爵の言葉には、わずかに皮肉が混じっていた。 「アルヴェン将軍のご信頼によるものです」 「そう、将軍は……変わった人物ですからね」 彼は紅茶を一口啜り、本題に入った。 「実は、王都の者たちがあなたに大変興味を持っているのです」 「王都の……?」 「そう。若くして軍の補佐官となり、異才を発揮する貴族の若者。宮廷の貴婦人たちの間でも、噂になっているようですよ」 彼の言葉の意図が見え始めた。これは単なる挨拶訪問ではなく、政治的な接触だ。 「特に、私の姪のセレスティア。彼女は次期王妃候補の一人で、あなたのような才覚ある若者に関心があるようです」 俺は表情を変えまいと努めた。政略結婚の匂いがする話だ。 「光栄ですが、私はまだ軍務に専念するつもりです」 「もちろん、もちろん」伯爵は手を振った。「今すぐどうこうという話ではありません。ただ、将来的に王都での役職も検討されてはいかがでしょう? 北方軍の一補佐官では、あなたの才能が埋もれてしまう」 ここで俺は理解した。バイアス伯爵は保守派の後ろ盾であり、アルヴェン将軍の対抗勢力。彼らは俺を将軍から引き離し、自分たちの陣営に取り込もうとしているのだ。 「ご厚意に感謝します。ですが現在は、ラドルフ率いる帝国軍への対策が最優先です」 「ラドルフ……」伯爵の表情が曇った。「あの男、厄介な存在ですね。しかし、軍事だけでは戦争は勝てません。政治も重要なのです」 「おっしゃる通りです」 「エストガード殿、あなたには選択肢があることを忘れないでください。アルヴェン将軍の庇護だけが、あなたの道ではない」 伯爵はそう言い残し、立ち上がった。 「また近いうちに、お話しする機会があるでしょう」 彼が去った後、俺は応接室に一人残された。この訪問の意味を整理していた時、ドアが開いた。 「どうだった?」 セリシアだった。彼女は伯爵が去るのを見計らって現れたようだ。 「政略結婚の話と、将軍から引き離す誘いだ」 「予想通りね」彼女は冷静に言った。「あなたの評判が上がるにつれ、政治勢力が接近してくるのは必然よ」 「タロカの卓よりも複雑な勝負かもしれないな」 「その通り。特に注意深くならないと」 セリシアの顔には本物の心配が浮かんでいた。 「あなたの才能は、アルヴェン将軍のような軍人だけでなく、バイアス伯爵のような政治家にとっても魅力的なの。彼らはあなたを利用しようとするわ」 俺は窓の外を見た。晴れた空の下、兵士たちが訓練している。 「利用されるつもりはない。ただ、今は利用されるふりをするしかないかもしれないな」 「賢明ね」セリシアは頷いた。「それと、バイアス伯爵にはラドルフとの繋がりが噂されているわ。確証はないけれど」 「なるほど、だから彼の名前を出した時に表情が変わったのか」 「要注意人物よ。もし内通者がいるとすれば、彼の周辺も疑うべきかもしれない」 その日の午後、俺は将軍に伯爵との会話を報告した。将軍は複雑な表情で聞いていた。 「予想していたことだ」彼は深いため息をついた。「バイアス伯爵は以前から私に反感を持っている。彼らの派閥は、王国の軍事政策で私と対立している」 「彼らの政策とは?」 「彼らは帝国との和平交渉を主張している。だが実際は、一部領土の割譲を条件とした妥協案だ」 「割譲……?」 「そう。特に北方の一部領地を帝国に渡すことで、当面の和平を求める考えだ」 将軍の表情は厳しかった。 「しかし、それは一時的な平和に過ぎない。帝国の野望は、一部の領土で満足するものではない」 「伯爵とラドルフに繋がりがあるという噂も」 「その可能性も調査している」将軍は静かに言った。「エストガード、気をつけるんだ。この戦いは戦場だけでなく、宮廷でも繰り広げられている」 「わかりました、将軍」 会談を終え、俺は北方軍が設営する野営地に向かった。兵士たちの訓練を視察し、新たな戦術の検討を行うためだ。 *** 野営地は活気に満ちていた。先日の演習で青軍として参加した兵士たちの一部もここにいる。彼らは俺を見ると、以前より敬意を持って挨拶するようになっていた。 「エストガード補佐官、ご視察ですか?」 バレン大尉が近づいてきた。彼は演習での副官を務めた後、この訓練部隊の指揮を任されていた。 「ああ、兵士たちの様子を見たくてね」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第25話「戦う意味」

最終決戦の朝が訪れた。砦内は緊張感に包まれ、兵士たちも静かに準備を進めている。昨日の援軍到着で勢いはあるものの、全員が今日の戦いの重要性を理解しているのだろう。 俺は早朝から作戦室で最終確認を行っていた。地図を広げ、配置を確認し、予想される敵の動きに対応策を練る。これまでの戦いで学んだことを全て活かさなければならない。 「よく眠れたか?」 シバタ大尉が作戦室に入ってきた。 「はい、案外」俺は答えた。「明日の戦いに備えて、しっかり休みました」 実際、昨夜は浴場でのフェリナとの一件もあり、少し寝つきが悪かったが、それは言わないでおこう。 「良かった」大尉は頷いた。「今日の勝利は、君の判断にかかっている」 その言葉に、改めて責任の重さを感じた。無言で地図に目を戻す。 「敵の様子は?」俺は尋ねた。 「動きがある」大尉は言った。「夜明け前から陣形を組み直している。全力で来るつもりだろう」 バイアス伯爵の部隊は撤退したが、ラドルフの軍はまだ約800名ほど残っている。対する我々は約950名。数では優位だが、ラドルフの「魂の鎖」の力を考えると、決して楽観はできない。 「ソウイチロウ」大尉が真剣な表情で俺を見た。「一つ聞いておきたい」 「はい?」 「君は何のために戦っている?」 突然の問いに、言葉に詰まった。何のために? そんなことを考える余裕はなかった。とにかく勝つこと、砦を守ること、それだけを考えていた。 「砦を守るためです」俺は答えたが、自分でも薄っぺらい回答だと感じた。 大尉はじっと俺を見つめていた。 「それだけか?」 「あとは……」俺は言葉を探した。「皆の命を守るため、任務を果たすため……」 どれも間違いではないが、心の底から湧き上がる答えではない。大尉はそれを見抜いたようだった。 「ラドルフは明確な目的を持っている」大尉は静かに言った。「彼は帝国の拡大と自らの権力、そして理想のために戦っている。それが彼の強さの源だ」 確かにその通りだ。ラドルフには明確な意志がある。だからこそ、あれほどの軍を率いることができるのだろう。 「では、君はどうだ?」大尉は再び問うた。「君の強さの源は何だ?」 答えられない。自分でも分からない。前世では麻雀を打ち、負けを嫌い、勝ちを追い求めた。この世界でも、ただ勝つことだけを考えてきた。だが、それ以上の何かがあるのだろうか? 「わからない……」正直に認めた。「俺は、まだ自分を知らないのかもしれません」 大尉は意外そうな表情をした後、微笑んだ。 「正直だな」彼は言った。「多くの若者は、知ったかぶりをする。だが君は、自分の無知を認める。それは強さの一つだ」 大尉の言葉に少し救われた気がした。 「今日の戦いで、答えが見つかるかもしれんな」彼は続けた。「命を賭けた戦いは、時に人の本質を明らかにする」 その言葉を胸に刻み、俺は再び地図に目を向けた。 *** 朝食後、全将兵が中庭に集合した。最終決戦を前に、士気を高めるための儀式だ。 グレイスン大佐が前に立ち、兵士たちに向かって短い演説を行った。 「諸君! 今日の戦いは、我らが王国の未来を左右する」彼は力強く言った。「ギアラ砦が落ちれば、西部全域が危険にさらされる。だが、我々はそれを許さない!」 兵士たちから歓声が上がった。 「三日間の戦いを乗り越えてきた。我々は既に勝利の道を切り拓いている。今日、その道を最後まで進もう!」 再び歓声が響く。兵士たちの士気は高い。 「ソウイチロウ補佐官」大佐が俺を呼んだ。「君からも一言」 突然指名され、少し戸惑ったが、前に出て兵士たちを見渡した。若い顔、年老いた顔、様々な表情が俺を見つめている。 「私は」俺は静かに言葉を紡いだ。「若輩者です。多くの経験を持っているわけではありません」 静寂が広がる。 「だが、この三日間、皆さんと共に戦い、多くを学びました」俺は続けた。「敵の強さ、味方の勇気、そして戦いの意味を」 兵士たちの目が俺に注がれている。 「今日、私たちは勝ちます」俺は声を上げた。「それは単なる願望ではなく、確信です。なぜなら、私たちには敵にない力があるから」 「何の力だ?」誰かが声を上げた。 「連帯の力です」俺は答えた。「互いを信頼し、補い合う力。ラドルフの『魂の鎖』は兵を支配しますが、私たちは互いの意志で繋がっている。それが私たちの強さです」 それは、今この瞬間に俺の心から湧き上がった言葉だった。兵士たちの顔を見ていると、彼らと共に戦うことの意味が少しずつ見えてきたように感じる。 「共に戦いましょう」俺は締めくくった。「共に勝ちましょう」 兵士たちから大きな歓声が上がった。予想外に好評だったようだ。俺自身も、言いながら胸が熱くなるのを感じた。 儀式が終わり、全員が持ち場に散っていった。俺はセリシアと共に、再度防衛計画を確認する。 「いい演説だったわ」セリシアは素直に褒めた。「心に響いたわ」 「そうかな」俺は少し照れた。「正直、何を言ってるか自分でもよくわからなかったよ」 「だからこそ、本音が出たのよ」彼女は微笑んだ。「あなたの言葉に嘘はなかった」 ふと、セリシアの表情が柔らかくなったのに気づいた。普段の厳しい彼女からは想像できない、優しい微笑みだ。 「あなたはまだ自分を知らない」彼女は静かに言った。「でも、もう一人じゃない」 その言葉に、心が温かくなった。確かに、この世界に来てから多くの人と出会い、共に戦ってきた。もう一人ではない。 「ありがとう」俺は素直に言った。 二人で防衛計画の最終確認を終え、各自の持ち場に向かう。今日は俺が全体の指揮を執り、セリシアは東側防衛、シバタ大尉は西側防衛、グレイスン大佐は中央防衛を担当する。 砦の見張り台から敵陣を観察すると、彼らも最終的な準備を整えているようだった。ラドルフの赤い旗が風になびき、その存在感は遠くからでも感じられる。 「フェリナ」 彼女が近づいてきたのに気づいた。昨夜の一件もあり、少し気まずい空気が流れるかと思ったが、彼女は冷静な表情で報告を始めた。 「敵は三方向からの攻撃態勢です」彼女は言った。「特に南正面に主力を配置しています」 「ラドルフは?」 「中央、赤い旗の下にいます」彼女は答えた。「周囲には精鋭部隊が配置されています」 彼女の声には緊張が感じられた。今日の戦いは、彼女にとっても特別な意味を持つことだろう。 「フェリナ」俺は静かに言った。「今日の戦いで、君の父の仇を討つことができるかもしれないね」 彼女の目に決意の色が浮かんだ。 「ええ」彼女は頷いた。「でも、それだけじゃないわ」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第25話「戦う意味」

演習から一週間が過ぎ、フェリナからラドルフについての話を聞いてから数日。北方軍本部には新たな緊張感が漂っていた。南部要塞の陥落以降、帝国軍の動きが活発化し、各地で小競り合いが続いていたからだ。 俺は執務室で新たな戦術資料を読み込んでいた。フェリナから得たラドルフの情報を基に、彼の戦術パターンを分析する試みだ。禁断の魔術で得た「赤い目」。それが単なる代償なのか、何らかの能力を持つのかは不明だが、彼の戦術の背後には常人離れした何かがあるのは確かだった。 「エストガード殿」 ノックの音とともに、セリシアが部屋に入ってきた。彼女の表情には緊張感がある。 「将軍があなたを呼んでいます。執務室へすぐに」 「何かあったのか?」 「新たな任命があるようです」 俺は資料をまとめ、アルヴェン将軍の執務室へと向かった。扉を開けると、そこには将軍だけでなく、参謀長も待っていた。二人とも厳しい表情をしている。 「エストガード、入れ」 俺は部屋に入り、敬礼した。 「ご命令を」 将軍は窓の外を見つめたまま、静かに言った。 「西方国境のギアラ砦を知っているか?」 「はい。山岳地帯の要衝で、帝国領への重要な関所です」 「そこへ行ってもらう」 将軍はようやく俺に向き直った。 「情報によれば、ラドルフ率いる部隊が西方へ移動している。彼らの目標はギアラ砦と思われる」 「ラドルフが……」 俺の胸に緊張が走る。前回の敗北以来、再戦の機会を待っていたが、こんなに早く来るとは思わなかった。 「砦の防衛を任せる。セリシアも参謀として同行する」 「しかし将軍、私はまだ……」 「君は準備ができている」将軍は断固として言った。「演習での勝利、そして最近のラドルフ研究。君なら彼に対抗できる」 参謀長が地図を広げた。ギアラ砦の位置と周辺地形、そして予想される帝国軍の進軍ルートが示されている。 「現地の防衛部隊に加え、三個中隊を増援として派遣する。物資は十分に用意されているが、援軍は期待できない」 つまり、孤立無援の戦いになる可能性が高い。 「エストガード」将軍の声が柔らかくなった。「これは大きな責任だ。だが、君ならできると信じている」 「ありがとうございます、将軍」 「準備期間は三日。明後日の夜明けに出発だ」 会議を終え、廊下に出ると、セリシアが待っていた。 「聞いたわ。ギアラ砦への任命」 「ああ。ラドルフとの再戦だ」 「準備は?」 「これから始める。フェリナの協力も必要だ」 セリシアは少し考え込んだ後、静かに言った。 「エストガード、一つ聞いていいかしら」 「なんだ?」 「あなたは何のために戦うの?」 その質問は予想外だった。 「何のため?」 「そう。国のため? 将軍のため? それとも……」 俺は言葉に詰まった。これまで「戦う意味」を深く考えたことはなかった。前世では麻雀を打つのは単純に「強くなりたい」「勝ちたい」という欲求からだった。この世界でも、最初は単に「居場所を得るため」に戦っていた。 「わからない」 正直に答えた。セリシアは意外そうな表情をした。 「それでラドルフと戦うの?」 「必要だから……かな」 セリシアは小さく溜息をついた。 「そんな曖昧な動機では、彼には勝てないわ」 彼女は厳しくも静かな口調で言った。 「ラドルフは明確な野望を持っている。彼は『支配』のために戦う。それに対抗するには、同等の強さを持った動機が必要よ」 彼女の言葉は心に刺さった。確かに俺は「勝ちたい」という思いはあるが、それ以上の深い意味を見出せていない。 「考えておく」 その日の夕方、俺は将軍に呼ばれた。今度は公式の会議ではなく、個人的な会話のようだった。 「エストガード、少し話そう」 将軍は自室のバルコニーに俺を招き入れた。そこからは北方軍本部全体と、その先に広がる山々が見える。 「美しい景色だ」 将軍は静かに言った。 「この国を守るため、私は長年戦ってきた。時に勝ち、時に敗れながら」 「将軍……」 「君は若い。しかし、既に多くの戦いを経験した。そろそろ自問すべき時かもしれないな」 「自問?」 「ああ。戦いの意味だ」 セリシアと同じ問いかけ。俺は正直に答えた。 「わかりません。強くなりたい、勝ちたいという思いはありますが、それ以上の……」 「それでは足りない」 将軍は厳しく言った。 「ラドルフのような男は、単なる『勝ちたい』という思いでは倒せない。彼には明確な野望がある」 「では、どうすれば……」 「自分自身に問いかけるんだ」将軍は俺を見つめた。「君は何のために、誰のために剣を取るのか」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人