第23話「勝機は手の内に」
「第三中隊、被害状況は?」 俺はバレン大尉に問いかけた。彼は伝令兵からの報告を聞き、眉をひそめた。 「およそ半数が『戦闘不能』と判定されています。残りも包囲網の中で身動きが取れない状況です」 「第一、第二中隊は?」 「第一中隊は正面で赤軍と膠着状態。第二中隊は右翼での攻撃を中止し、守勢に転じています」 俺は地図を広げ、現在の戦況を確認した。確かに不利な状況だが、まだ勝機はある。ローゼン少佐の罠にはまったことで、我々の主な戦力は分散し、それぞれが孤立しつつある。だが、逆に言えば赤軍も兵力を分散させている。 「このままでは時間切れになりますね」 バレン大尉が心配そうに言った。演習には四時間の制限があり、既に半分以上が経過している。制限時間内に決着がつかなければ、守勢側(この場合は赤軍)の勝利となる。 「タロカでいえば、『聴牌』の状態だ」 「聴牌?」 「あと一枚で役が完成する状態。今の我々はそうだ」 バレン大尉は困惑した表情を浮かべた。俺の比喩がよく理解できないようだった。 「麻雀の卓でも同じだ。打点が高い手を狙いすぎると、却って聴牌すらできなくなる。だが裏を返せば、相手も同じように読み合いに集中すると見落としが生じる」 まるで麻雀で相手の手牌を読むように、俺は敵の動きを読み解いていた。ローゼン少佐は一見勝勢に見えるが、三方向に兵を分けたことで中央が薄くなっているはずだ。「リャンメン待ち」のように二方向から攻められる位置に、彼の本拠地があるのではないか。 「我々にはまだ一つの手が残されている」 俺は地図の一点を指さした。赤軍の布陣と、彼らの旗の位置。そして、本物のローゼン少佐がいるであろう場所。 「副官、新たな命令を。第一中隊はそのまま正面で敵を引きつける。第二中隊は右翼からの撤退を続けつつ、敵に圧力をかけ続けろ」 「それでは第三中隊は?」 「見捨てる」 冷淡に聞こえるかもしれないが、戦術上の判断だった。第三中隊の生き残りは少なく、既に戦力としての機能を果たしていない。それより—— 「我々自身が動く」 「補佐官が?」 バレン大尉は驚いた様子だった。通常、指揮官は安全な後方で指揮を執るものだ。だが今回は違う。 「ローゼン少佐は我々の行動を読んでいた。だが、彼は『型』の中でしか考えられない。『型破り』の一手は想定していないはずだ」 俺は少数の警護兵を呼び、自ら前線へ向かう準備を始めた。 「副官、あなたはここで全体の指揮を続けてほしい」 「しかし、それでは補佐官が危険に」 「心配はいらない。これが最後の一手だ」 俺は小さな部隊を率いて丘を下り始めた。目標は赤軍の本拠地、旗が立つ位置だ。ローゼン少佐は我々の主力を分散させることに成功したが、その結果、彼の本拠地の防衛も薄くなっている可能性がある。 「前方に敵影!」 警護兵の一人が小声で告げた。確かに、小さな森の向こうに赤軍の兵士が見える。彼らは我々の第一中隊の様子を窺っているようで、背後に注意を払っていなかった。 「迂回する」 森の中を静かに移動し、敵の視界から外れる。戦術的な動きというより、タロカの卓での駆け引きに近い感覚だった。相手の注意を引きつつ、真の狙いを隠す。これは麻雀でよくやる「見せ牌」の手法だ。こちらの狙いを隠しつつ、相手の判断をミスリードする。 しばらく移動を続け、小川を渡った後、俺たちは赤軍の本拠地の後方に到達した。ここから見える光景に、俺は小さく微笑んだ。 「予想通りだ」 赤軍の旗の周りには少数の守備兵しかいない。彼らは我々の三つの中隊に気を取られ、後方からの小規模な侵入は想定していなかったようだ。 「ローゼン少佐はどこだ?」 双眼鏡で周囲を探ると、小さなテントの前に立つ人影が見えた。それは間違いなくローゼン少佐だった。彼は伝令兵と話しながら、何か指示を出しているようだ。 「少佐を目標とする。だが、まずは守備兵の注意を別方向に向けなければならない」 俺は小さな策を思いついた。 「あなたたち二人、あの茂みに向かって発砲せよ。それから急いでこちらに戻れ」 二人の兵士が指示に従い、茂みに向かって染料弾を発射した。効果は絶大だった。突然の発砲に、守備兵たちは茂みの方向に注意を向け、一部が偵察に向かった。 「今だ」 残りの兵士たちと共に、俺たちは素早く旗へと近づいた。守備兵の一部が気づいて振り返ったが、既に遅い。我々の染料弾が彼らを「戦闘不能」にした。 旗まであと数十メートル。だが、その時—— 「エストガード!」 ローゼン少佐の声だった。彼は俺たちの侵入に気づき、染料銃を構えていた。 「君の作戦は見抜いていたぞ。だが、ここまでくるとは思わなかった」 「型を破る——それが私の流儀です」 俺は彼に向き直った。二人の間には数十メートルの距離がある。染料銃の有効射程圏内だ。 ローゼン少佐は笑った。 「面白い。だが、ここまでだ」 彼が引き金を引こうとした瞬間—— 「補佐官!」 横から声がした。驚いたことに、そこにはフェリナが立っていた。彼女は演習に参加しているはずではなかった。 「フェリナ? なぜここに?」 「ラドルフの戦術について重要な情報が!」 彼女の突然の登場にローゼン少佐が一瞬だけ注意を逸らした。その隙に、俺は素早く染料銃を構え、引き金を引いた。 赤い染料弾がローゼン少佐の胸に命中する。彼は驚いた表情を浮かべ、そして苦笑した。 「見事だ」 彼は両手を上げた。「戦闘不能」の合図だ。 同時に俺の部下たちが赤軍の旗を確保した。演習の勝利条件を満たしたのだ。 監視塔から白旗が振られ、勝利を告げる砲声が響いた。 「やりましたね、補佐官!」 バレン大尉が駆けつけてきた。彼の顔には安堵と喜びが溢れていた。 「ありがとう。君の支援があってこその勝利だ」 俺はローゼン少佐に向き直った。 「少佐、素晴らしい戦いでした」 「君も、エストガード。型にはまらない戦術、見事だったよ」 ...