第1話「受験に失敗した日、俺は雀荘にいた」

「不合格です。残念ながら」 真っ白な用紙に書かれたその二文字を見ても、なぜか実感が湧かなかった。あぁ、俺、落ちたんだ。でも、意外にも心は平静のままだった。 「そっか」 スマホの画面を消して、俺——三崎宗一郎はポケットにそれを滑り込ませた。大学の受験発表サイト。名前が載っていないことを確認するために五回くらい更新したけど、結果は変わらなかった。 高校三年間、麻雀に明け暮れた結果がこれだ。 「まぁ、そうなるよな」 自分でも笑っちゃうくらい、あっさり受け入れてる自分がいる。予備校の模試でもギリギリの判定だったし、何より一番勉強すべき時期に雀荘に入り浸ってた。毎日放課後は決まって同じ場所。家に帰らず、駅前の「麻雀荘 天和」に直行する日々。受験勉強? それは家でやるはずだった時間に片付けるつもりだったけど、結局は麻雀の点数計算や役の組み合わせを考えることに頭を使ってた。 親に連絡するべきだろうか。でも、なんて言えばいいんだ? 「やっぱり落ちました、すみません」? そんな言葉、口から出せる気がしない。 「……雀荘に行くか」 足が勝手に、いつもの道を歩き始めていた。 *** 「おー、宗一郎じゃねぇか。今日も早いな」 店内に入ると、マスターの塚本さんがにやりと笑った。五十代くらいの、少し腹の出た好々爺といった風貌の男性だ。この店の常連になって一年半。もう顔なじみどころか、俺のことを「若手有望株」なんて呼んでくれてる。 「あぁ、マスター。今日は用事が早く終わってさ」 受験に落ちたこと、言わなかった。ちょっと恥ずかしかったからだ。だって、高校卒業後の進路について聞かれたとき、「いい大学行って、ちゃんとした会社に就職するんだ」なんて言っちゃったし。 「おう、来たか! 今日こそは俺が貴様を打ち負かしてくれる!」 一番奥の卓から、デカい声が響いた。週末の常連、「暴れん坊」の愛称で呼ばれる中村さんだ。会社員らしいけど、やたらと熱くなるタイプ。対局中の掛け声も半端なく、店内の空気を一変させる特技の持ち主。 「中村さん、まだ仕事終わってないんじゃないの?」 「今日は半休だ! 麻雀のためならば仕事も投げ捨てる! それが漢ってもんだろ!」 はいはい、そうですか。どう考えても不健全な生き方だけど、俺が言える立場じゃないんだよな。だって俺、受験勉強より麻雀を選んだ結果、大学に落ちたんだから。 「じゃあ、一卓お願いします」 マスターに卓代を払って、席に着く。すでに二人の常連が座っていて、俺で三人目。あともう一人来れば卓が埋まる。 「よろしく」 簡単に挨拶を交わし、俺たちは牌を並べ始めた。カチャカチャという音。この音が好きだった。勉強してる時も、この音が頭の中で鳴り響いてた。微妙な重みと、指に伝わる感触。ああ、ここが俺の居場所だったんだよな。 学校じゃなくて。家でもなくて。この卓の上が。 *** 「リーチ、一発、ドラドラで跳満!」 中村さんの高笑いが店内に響き渡る。大きな手で牌をバァンと倒す音がダイナミックだ。 「うわー、またやられた」 対面の梅野さんが肩を落とす。四十代くらいの、いかにも公務員といった風情の男性だ。 いつの間にか四人目の客も来て、もう二局目が終わろうとしていた。 俺はというと、トップを取ったり、親を続けたりしていたのに、なぜかいまいち熱が入らない。昔なら、絶対こんなことはなかった。牌を握る指には力が入らず、勝っても「ああ、勝ったか」程度の感想しか浮かばない。 「宗一郎、最近冴えないな。受験の結果でも気にしてんのか?」 マスターが通りがけに声をかけてきた。鋭いなぁ、さすが人の表情を見るプロだ。 「まあ、そんなとこです」 曖昧に答えると、中村さんが大きな声で割り込んできた。 「なんだ、不合格だったのか?」 思わず顔が熱くなる。言いたくなかったわけじゃないけど、こうやって大声で言われると少し恥ずかしい。 「あー、まあ……そうなりました」 「そりゃあな! 毎日雀荘に来てちゃ受かるわけねぇだろ!」 中村さんの言葉に、なぜか笑みがこぼれた。その通りだ。自分でもわかってた。 「他にも受けてるとこあるの?」と梅野さんが優しく尋ねてくる。 「いや、滑り止めも受かんなかったんで……もうダメっすね」 雀卓の空気が少し重くなる。でも、俺自身はそれほど落ち込んでいなかった。むしろ、スッキリした感じさえあった。 「まぁ、来年また挑戦するか、専門学校でも考えるか……」 少し考え込むふりをしたけど、実はもう諦めていた。心のどこかで、俺の青春は麻雀に捧げたものだってわかってた。そして、それは取り返せない。 「よし! 次局、俺の親だ! 宗一郎、お前にトドメを刺してやる!」 中村さんの声で雀卓に活気が戻る。さすがだな、この人は。 *** 三局目、俺は一度も和了れないまま、オーラス親番を迎えていた。 「ツモ!」 中村さんが声を張り上げる。またしても彼の和了だ。この人、今日は調子がいいな。 「はいはい、降参ですよ」と苦笑いを浮かべながら、俺は点棒を払った。 「宗一郎、以前だったらこんな負け方せんかったぞ?」 マスターが横から声をかけてくる。 「そうですかね?」 「あぁ、昔のお前なら悔しがったな。何が足りなかったか、どう打てば良かったか、一人で考え込んでたもんだ」 そうだったな、確かに。一年前の俺は負けるたびに悔しがって、次は勝つぞって燃えてた。麻雀の本を読み漁って、プロの戦術を研究して、卓に戻ってきた。 (……俺、もう勝ちたいとも思わなくなってたのか) なんだか虚しい気持ちになる。受験に失敗したことより、この感覚の方がずっと寂しかった。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第1話「受験に失敗した日、俺は雀荘にいた」

「三崎、お前の番だ」 カチンッという牌を切る音が、俺の意識を現実に引き戻した。目の前の卓には、整然と並んだ牌の壁。そして自分の手前には、無機質に並ぶ手牌。 「ああ、わりぃ」 ぼんやりしていた理由など言い訳にならない。俺は無言で牌を引き、不要な一枚を切った。 今日、俺は大学受験に失敗した。 第一志望どころか、滑り止めにしていた大学にすら引っかからなかった。悪い成績ではなかったはずだ。「もう少し勉強していれば」と言われた言葉が、まだ耳に残っている。 「三崎、志望校どうだった?」 「落ちた」 雀荘の常連である中年男性・上原さんが聞いてきた。特に親しい間柄でもないが、ここ一年ほど顔を合わせる仲だ。彼は社会人で、仕事帰りに寄ることが多いらしい。 「そりゃあ残念だったな。勉強より麻雀やってたもんな」 そう言いながら彼は笑った。別に嫌味を言っているわけじゃない。事実だからだ。俺が高校三年の間、どれだけこの雀荘「胡蝶」に入り浸っていたか。受験勉強よりも麻雀の戦術書を読み、予備校より雀荘に足を運んでいた。 リーチ、ツモ、ロン——。 あの頃は勝つことだけを求めて牌を並べていた。雀荘代を稼ぐために、少しでも高い役を狙って、無謀な待ちに入ることもあった。高校一年の時は勝率も低く、よく先輩たちに絞られたものだ。だが二年になるとコツを掴み、三年になる頃には胡蝶では名の知れた存在になっていた。 かつて熱中した麻雀にも虚しさを感じるようになったのは、いつからだろう。勝っても何も変わらない。負けても何も失わない。ただ時間だけが過ぎていく閉塞感。 「どうする? 浪人?」 対面の女子大生・美咲さんが聞いてきた。彼女もまた常連の一人で、麻雀が強い。 「どうするかな……」 心にもない返事をしながら、俺は手牌を眺めた。 ドラは九索。手牌は一向聴で、待ちとしては悪くない。この展開なら、普通なら迷わず追いかけるところだ。 「リーチ」 上家の声とともに、牌が音を立てて場に置かれる。 ついさっきまで勝率を考え、追いかけようと思ったのに、急に虚しさが襲ってきた。結局俺は、何も変わっていない。受験も失敗して、未来も見えないまま、麻雀に没頭して……。 あれだけ麻雀に情熱を注いだのに、最後には「勝ちたい」という気持ちすら薄れていた。目標を失い、情熱も失い、今の俺には何も残っていない。 「チー」 気がつけば、俺は手牌を崩していた。一向聴を維持するより、早めの上がりを取りに行こうと思ったわけでもない。ただ何となく、思考が停止していた。 上原さんが「あれ?」と首をかしげるのが見えた。確かに今の俺の打牌は不可解だ。待ちの形が良かったのに、わざわざチーして手を崩す必要はなかった。 結局その局は、他の誰かの和了で終わった。 「宗一郎、今日お前、集中してないな」 場を流すために牌をかき混ぜながら、美咲さんが言った。 「そうか?」 「そうよ。昔のお前なら、あんな中途半端な切り方しないでしょ。勝ちを狙いに行くタイプだったのに」 「……」 彼女の言葉に反論できなかった。そういえば最近、勝ちに執着しなくなっていた。麻雀は上手くなったはずなのに、勝つことへの執着は薄れていた。 俺は大学受験に失敗した。麻雀のために勉強をサボったせいだ。なのに今、麻雀にすら本気で向き合っていない自分がいる。 「今日はもういいや」 俺は席を立ち、卓を離れた。今日のトータルでの点数負けはまだ軽微だが、気分の問題だった。 「もう帰るのか? 最近すぐ帰るよな」 「また来るよ」 嘘ではなかった。でも自分でも、この雀荘にいる意味がわからなくなっていた。麻雀が好きで、勝ちたくて、そのために勉強も犠牲にしてきたはず。なのに今は……。 「……俺、もう勝ちたいとも思わなくなってたのか」 店を出て、夜の街に立つと、そんな言葉が心の中でこだました。 まだ帰りたくなかった。親に顔を合わせたら、受験の話をされるだろう。「だから言ったでしょ」と母に説教されるのも嫌だった。 信号が青に変わり、俺は横断歩道を渡り始めた。 ふと思い出したのは、さっきの手牌。あの時の待ちは悪くなかった。ドラも絡んでいたし、あのまま追いかければ、もしかすると……。 耳を突き破るようなクラクションの音。 目の前に迫る大型トラック。 「っ!」 避けようと体を動かした瞬間、視界が真っ暗になった。 意識が遠のいていく中、最後に思い浮かんだのは、あの手牌と、勝てたかもしれないという後悔。 (悪くない待ちだったかもな……) その皮肉な言葉を最後に、世界が闇に沈んだ。

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第2話「転生、そして戦乱の世界へ」

真っ白な空間。 そんな言葉でしか表現できない場所で、俺は目を覚ました。床も天井も壁もない。ただ、白い何かに包まれている感覚。 「ここは……どこだ?」 声を出したつもりだけど、自分の声が聞こえない。耳がおかしいのか、それとも声が出ていないのか。わからない。 最後に覚えているのは、交差点でトラックに跳ねられたこと。痛みはなかった気がする。一瞬の出来事だった。ってことは、これが死後の世界ってやつなのか? 「天国? 地獄?」 どちらにしても、神様とか閻魔様とかが出てきて審判するんじゃないのか? そんな漫画や小説でよくあるパターンを期待してみたけど、結局誰も出てこなかった。 (まぁ、麻雀に青春捧げて大学落ちた程度じゃ、神様も相手にしてくれないか) なんて自嘲していると、ぼんやりとした映像が浮かんできた。まるで古いテレビの砂嵐がだんだんクリアになってくるような感じで。 映像の中の俺は赤ん坊になっていた。どうやら、これが異世界転生ってやつらしい。転生先は「フェルトリア王国」という国の辺境地域。亡くなった親戚の子を引き取ったという設定で、地方貴族のエストガード家の養子になるらしい。 (おい、これ完全に漫画の設定じゃねえか……) でもまあ、大学落ちて行き場のなかった俺には、これはこれでありがたい話なのかもしれない。 「折角だし、今度は真面目にやってみっか」 白い空間の中で、そう決意した。 *** 「ソウイチロウ! 起きなさい、もう朝よ!」 厚手のカーテンが勢いよく開けられ、まぶしい光が部屋に差し込んできた。木のベッドの上で、俺は顔をしかめながら目を開ける。 「んー……わかったよ、起きる……」 ベッドから這い出るようにして体を起こす。窓際には女性が立っている。エストガード家の使用人、ミーナだ。四十代くらいの、いかにも母親然とした雰囲気の女性。俺が物心ついた頃からずっと世話をしてくれている。 「今日は何の日か覚えてる?」 ミーナが期待を込めた笑顔を向けてくる。 「え? ああ、そうか……俺の15歳の誕生日か」 「そうよ! おめでとう、ソウイチロウ。貴族の子どもとしては、今日から一人前として扱われる大切な日なのよ」 ミーナは嬉しそうに話しながら、用意しておいた服を取り出し始めた。 俺の名前はソウイチロウ・エストガード。まぁ、前世の三崎宗一郎をそのまま持ってきた感じだけど。 そう、実は今日まで、前世の記憶は断片的にしか思い出せなかった。でも、伝説によれば15歳の誕生日に全ての記憶が戻ってくるとか何とか……って言われていた気がする。 そして、起きたばかりの今、すべての記憶が鮮明に甦っていることに気づいた。受験に失敗したこと、麻雀に明け暮れた日々、そして交通事故で死んだこと。すべてが、まるで昨日のことのように思い出せる。 「ありがとう、ミーナ」 着替えながら考える。15年間、この世界で生きてきて、俺は前世と同じく、あまり目立たない子だった。養子だからという理由もあるけど、それ以上に、何をやってもあまり上手くいかない。武芸も学問も中の下くらい。取り柄と言えば、まじめに努力することくらい。 (情けねぇな、二度目の人生でも平凡かよ) でも、そんな自分を受け入れてくれるのがエストガード家の良いところだ。特に義兄のハーバートは、俺にはいつも優しかった。 「ソウイチロウ! 早く食堂に来なさい。みんな待ってるわよ」 ミーナの声で我に返る。急いで支度して、食堂へと向かった。 *** エストガード家の食堂は、それほど豪華ではないけれど、居心地のいい場所だった。テーブルの上には焼きたてのパンや蜂蜜、チーズなどが並んでいる。家長である義父のグレン、義母のリアーナ、そして義兄のハーバートがすでに席についていた。 「おはよう、ソウイチロウ。誕生日おめでとう」 義父のグレンが穏やかな笑顔で言った。50代半ばくらいの、髭の似合う男性だ。 「ありがとうございます、父上」 少し緊張した面持ちで席に着く。 「15歳か……もう立派な青年だな」 義兄のハーバートが言った。22歳の彼は、将来この家を継ぐ人物だ。容姿端麗で、剣術も学問も優れた、まさに理想的な貴族の息子。 「ハーバートほどじゃないですけどね」 自嘲気味に言うと、ハーバートは笑いながら首を横に振った。 「比べることはないさ。それに、今日はお前の日だ。さあ、これを開けてみろ」 テーブルの下から、長方形の箱を取り出して渡してくれた。丁寧に包装された贈り物だ。 「これは……」 開けてみると、中には上質な革で作られた手帳と、美しい装飾が施された羽ペンのセットが入っていた。 「お前、日記をつけるのが好きだったろう? 使ってくれたら嬉しい」 幼い頃から、俺は日記をつける習慣があった。それは前世の趣味ではなく、この世界で生まれてから自然と身についたものだった。何をやっても人より劣る自分を客観的に見つめる方法だったのかもしれない。 「ありがとう、兄さん」 本当に嬉しかった。こんな家族に恵まれて、俺は幸せ者だ。 *** 昼過ぎ、俺は領地の訓練場にいた。貴族の子供たちは、15歳になると基本的な武芸の訓練を受ける。剣術、弓術、馬術などだ。今日は俺の初めての訓練日だった。 「ハァッ!」 木剣を振り上げて、前に踏み出す。しかし、足がもつれて派手に転倒。地面に顔から突っ込んだ。 「プッ、ハハハ! 見ろよ、養子のソウイチロウがまた転んだぞ!」 周りから笑い声が起こる。訓練場には近隣の貴族の子息たちも集まっていて、中にはエストガード家の養子である俺を快く思っていない連中もいる。 「大丈夫か、ソウイチロウ?」 訓練指導役の老騎士、バルトが手を差し伸べてくれた。 「はい……大丈夫です」 埃を払いながら立ち上がる。今日に限った話じゃない。これまで何度か剣の稽古をつけてもらったことはあったけど、毎回こんな調子だった。剣は重いし、動きは鈍いし、センスがないってことだけはよくわかる。 「まあ、初日だ。気にするな」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第2話「転生、そして戦乱の世界へ」

白い。 そう思った瞬間、意識が鮮明になった。 俺は白い空間に立っていた。いや、立っているというより浮いているような感覚だ。体はあるようで、なく、自分自身の存在を確かに感じるのに、手足の感覚はない。 「ここは……」 声を出したつもりだが、音は空間に吸い込まれてしまうような気がした。死んだのか? そうに違いない。トラックに跳ねられた記憶が蘇る。避けきれなかったんだ。 神や仏といった存在は見当たらない。ただ漠然と、「お前は死んだ。だが別の世界で生きる機会を与えよう」という意思のようなものを感じた。 (転生……か) 俺のような凡人がなぜ転生などという特別な扱いを受けるのか疑問だったが、白い空間に浮かぶ身としては、特に文句を言う立場でもなかった。 次に意識が戻った時、俺は柔らかな寝具の上にいた。 「十五歳の誕生日、おめでとう、ソウイチロウ様」 見知らぬ少女の声。目を開けると、茶色の髪をした若い侍女が微笑んでいた。 俺はゆっくりと起き上がり、周囲を見渡した。石造りの部屋。窓から見える景色は、中世ヨーロッパを思わせる建物群。それに、自分の体は……少年のものになっていた。 不思議なのは、まるで生まれてからここまでの記憶が埋め込まれているように、この世界のことを知っていること。そして同時に、前世――日本での記憶も鮮明に残っていることだった。 「朝食が用意されています。そのあと、義兄様が剣術の稽古に誘われていましたよ」 侍女はそう言って部屋を出て行った。 脳内に流れ込む情報によると、ここはフェルトリア王国。俺はソウイチロウ・エストガードという少年で、地方貴族の養子として引き取られていた。 義父母は良くしてくれるけど、居場所がないと感じていた。それは前世と同じだ。どこか疎外感を抱えながら生きる定めなのかもしれない。 「養子か……前世も、こっちも、居場所がない点では一緒か」 そう呟きながら、俺は着替えを済ませ、城塞のような館の食堂へ向かった。 *** 「はっ!」 鋭い掛け声とともに、木刀が空を切る。 「ソウイチロウ! そのような腰の入らない振りでは、本当の戦場では一瞬で命を落とすぞ!」 厳しい声で叱責したのは、俺の義兄・レイナード。彼は二十歳で、すでに騎士団の一員として名を馳せていた。今日は休暇で帰宅しており、「弟の鍛錬を」と稽古をつけてくれている。 「すみません、レイナード兄様」 兄様なんて呼び方は本来の俺なら恥ずかしいと思うのだが、この世界では普通のことだ。俺は再び木刀を構えたが、足が滑って転んでしまった。 周囲から笑い声が上がる。同じ領地の貴族の子弟たちが見学に来ており、彼らの目には俺の姿は滑稽に映ったのだろう。 「まただよ」 内心でつぶやく。 「俺には、勝てる戦場がない」 この世界では魔法も使えず、剣の腕も振るわない。乗馬の才能もなく、特別な出自でもない。俺にあるのは前世の記憶だけ。そして麻雀で培った「読み」の感覚。でもそんなもの、この世界では何の役にも立たない。 稽古が終わると、レイナードは俺に近づいてきた。 「気にするな、ソウイチロウ。誰もがすべてを得意になれるわけではない」 彼は優しい兄だった。騎士としての誇りも高く、領民からの尊敬も厚い。そんな彼が、何もできない俺を庇うように言葉をかけてくれる。 「役に立たなくてもいい。お前は我が家の一員だ」 彼の言葉に少しだけ救われた気がした。俺は小さく微笑み、「ありがとう」と呟いた。 レイナード兄は俺を心配そうに見つめた。「何も出来なくても、お前は我が家の一員だ」彼の言葉に少しだけ救われた気がした。この世界にも、俺を気にかけてくれる人がいる。それだけでも、前世よりはましかもしれない。 *** 夕食時、館の食堂は普段より賑やかだった。近隣の貴族や騎士たちが集まり、最近の情勢について議論していた。 「北方の国境線での小競り合いは激化している。王都からの使者によれば、軍の増強も検討されているそうだ」 「エストレナ帝国の膨張主義は止まらん。我々の領地も危険だ」 「若者たちの徴用も増えるだろうな。レイナード、お前も出陣することになるだろう」 俺は黙って食事を続けながら、会話に耳を傾けていた。この世界は戦乱の時代。フェルトリア王国とエストレナ帝国の緊張関係は高まるばかりだった。 「勝てば、意味がある……それだけでいいかもな」 ふとそんな考えが頭をよぎった。前世では勝つことに執着しなくなっていた俺。だが、この世界は勝敗がはっきりしている。勝てば生き残り、敗ければ死ぬ。あるいは国が滅びる。その単純明快さに、どこか安心感すら覚えた。 明日は近隣の貴族の館で社交の集いがある。レイナードに連れられて俺も参加することになっている。 「まぁ、養子の俺に何ができるわけでもないけどな……」 そう呟きながら、俺は窓の外に広がる夜空を見上げた。別の世界で、別の人生。どこかで「勝てる場所」はあるのだろうか。

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第3話「タロカという遊戯」

「誕生日パーティーなんて、いいですよ……」 俺の言葉を、義母のリアーナは笑顔で制した。 「そういうわけにはいかないわ。貴族の子どもの15歳の誕生日は社交界デビューの日よ。近隣の貴族たちもみんな来るわ」 エストガード家の居間で、俺は義母に説得されていた。誕生日から3日後、正式な祝賀パーティーを開くという。前世では、誕生日なんて家族で食事する程度だったのに、こっちの世界の貴族社会は面倒くさい。 「でも僕なんかのために……」 「ソウイチロウ、あなたはこの家の一員よ。養子だからといって、遠慮する必要はないわ」 リアーナの優しい言葉に、どうにも反論できない。この家の人たちは俺に本当に優しい。 「……わかりました」 「よろしい。それなら、明日は仕立て屋にも来てもらうから、新しい正装も作りましょう」 義母はそう言って、部屋を出て行った。残された俺は、窓の外を眺めながら溜息をついた。 「やれやれ……」 麻雀やるよりはマシか。そう自分を励ましながら、これから始まる社交界デビューという名の戦場に、内心ビクビクしていた。 *** エストガード家の大広間には、近隣の領主や貴族たちが集まっていた。シャンデリアの明かりが華やかに照らし出す中、正装姿の人々が歓談している。俺もこの日のために作った、緑と金の刺繍が入った正装を身につけていた。少しきつくて息苦しいけど、まあ様になっているはずだ。 「ソウイチロウ、こっちよ」 ハーバートが俺を呼んだ。彼の隣には同年代の青年たちが数人立っていた。 「皆に紹介するよ。こちらがソウイチロウ・エストガード、俺の弟だ」 弟、と紹介されて少し照れる。そして、集まっていた青年たちと順に挨拶を交わした。ヴェルナー子爵家の長男レオン、バーンハルト伯爵家の次男フェリックス、そしてアーデン辺境伯の娘セリア。全員が俺と同じくらいの年齢だった。 「エストガード家の養子と聞いていたよ」 レオンが少し傲慢な調子で言った。その目には、軽い侮蔑の色が見える。ああ、こういうタイプね。前世の高校でもいたよ、生まれだけで人を判断するタイプ。 「そうですね。でも、兄上や父上、母上には恵まれてます」 柔らかく返しつつも、負けない目で見返す。レオンは軽く鼻を鳴らし、視線を逸らした。 「あら、早速喧嘩かしら?」 セリアが割って入ってきた。青いドレスに身を包んだ彼女は、俺と同じくらいの背丈で、銀色がかった金髪が特徴的だ。 「喧嘩じゃないさ、ちょっとした挨拶だ」 フェリックスが和やかに言った。彼は背が高く、赤みがかった茶色の髪をしている。三人の中では一番友好的な印象だ。 「そうだな、それより何か楽しいことをしようぜ」 ハーバートが場の空気を和らげようとした。さすが兄貴、気が利くな。 「賭け事はどう?」レオンが提案した。 「わっ、早速悪い話を始めるな」ハーバートは呆れたように言った。 「いいじゃないか。少額の賭けなら大した問題じゃない」レオンは意に介さないようだ。 「何をするの?」セリアが尋ねた。 「タロカはどうだ?」フェリックスが提案した。 「タロカ?」 俺は初めて聞く言葉に首を傾げた。 「ああ、ソウイチロウはタロカを知らないのか」ハーバートが気づいた様子で言う。 「エストガード領ではあまり流行ってないからな」フェリックスが説明してくれた。「王都発祥の賭け遊戯さ。カードというか、板札を使って遊ぶんだ」 「教えてあげる?」セリアが俺に微笑みかけた。 「え、はい……お願いします」 少し恥ずかしいけど、興味はある。賭け事といえば、前世では麻雀がメインだったからな。 *** 大広間の隅に設けられた小さな卓を囲んで、俺たちは座った。フェリックスがポケットから四角い木箱を取り出し、中から彩色された細長い板札を取り出していく。 「これがタロカ牌だ」 一枚一枚を丁寧に並べていく。札には様々な絵柄が描かれている。数字札、花札、特殊札の3種類があるらしい。 「基本的なルールを説明するね」 セリアが始めた説明は、驚くほど麻雀に似ていた。手持ちの牌を組み合わせて役を作り、先に完成させた人が勝ち。途中で牌を交換したり、場に捨てたり、他のプレイヤーの捨て牌を奪ったりできる。 「なるほど……」 俺は説明を聞きながら、頭の中でルールを整理していった。麻雀と違う部分もあるけど、根本的な発想は近い。手牌の組み合わせ、捨て牌からの読み、場の流れを掴む感覚。 「では、実際に一局やってみようか」 フェリックスが牌を混ぜ始めた。 「掛け金は一人5銀貨でいいか?」レオンが提案した。5銀貨というと、この世界ではそこそこの額だ。労働者の一日分の賃金くらい。 「高すぎないか?」ハーバートが心配そうに言った。「ソウイチロウは初めてだし」 「いいですよ、兄さん」俺は自信を持って言った。「やってみます」 前世での麻雀経験が役に立つかもしれない。それに、何より久しぶりにゲームをする高揚感があった。 「じゃあ、配るぞ」 フェリックスが手早く牌を配り始めた。各プレーヤーに10枚ずつ配られ、残りは山札として中央に置かれる。 *** 「お、いい手が来たな」 レオンが自分の牌を見て、小さく笑った。フェリックスとセリアも表情を変えず、牌を整理している。ハーバートはといえば、少し困ったような顔をしていた。 俺は配られた10枚の牌を見た。 (数字の3、4、5……花の「月」と「星」……特殊札の「騎士」か) 牌の種類と組み合わせを頭の中で整理する。麻雀のように、数字札を同種で並べたり、連番で並べたりする役があるらしい。花札は同種を集めると高得点になる。 「さあ、始めよう」 フェリックスの合図で、ゲームが始まった。最初のプレイヤーであるレオンが山札から1枚引き、手持ちの中から1枚を場に捨てた。 「「槍」を捨てる」 時計回りに順番が進み、セリア、フェリックス、ハーバート、そして俺の番。俺は山札から1枚引いた。 「数字の6か……」 手持ちを見ると、数字の3、4、5があった。これで3、4、5、6と連番が作れる。 (これは……連番役の「小進行」になるな) 捨てるのは「騎士」にしよう。まだ役割がわからないし、他の組み合わせを優先したい。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人