第31話「戦後の静寂」
ギアラ砦での戦いから三日後、まだ後片付けと復旧作業が続く中、俺は戦果の最終確認を行っていた。 「帝国軍の損害は?」 グレイスン大佐は手元の報告書に目を通しながら答えた。 「死者約五百、負傷者は千を超えると推測されます。特に『影狩人』と呼ばれる精鋭部隊は壊滅状態です」 「我々の損害は?」 「死者百二十、負傷者二百八十。大規模な攻城戦としては、驚異的に少ない犠牲です」 俺は無言で頷いた。一人一人の命を考えれば決して少なくはないが、戦争の論理では「成功」と呼べる数字だ。 「修復作業の進捗は?」 「西壁の破損部分は応急処置が完了し、南壁の爆破箇所も修復中です。二週間もあれば、元の防衛力を取り戻せるでしょう」 俺は砦の中央広場に立ち、周囲を見渡した。兵士たちは疲れた表情を見せながらも、誇りを持って働いている。彼らの目には、勝利の自信が宿っていた。 「大佐、王都からの使者は?」 「今夕に到着予定です。陛下からの直々の賞賛があるとのこと」 グレイスン大佐の顔には誇らしさが浮かんでいた。 「あなたの功績は王国中に広まっています。『タロカの戦術家』、いや『戦術の神子』と呼ぶ者もいるとか」 俺は少し困惑した表情を浮かべた。そんな大げさな渾名をつけられるなど、思ってもみなかった。 「やりすぎです。ただの戦術を考えただけで」 「謙虚ですね。しかし、ラドルフに勝った指揮官は、あなたが初めてなのです」 大佐の言葉には敬意が込められていた。 彼との会話を終え、俺は自室に向かった。砦の上層階にある小さな部屋だが、窓からは西の平原が一望できる。帝国軍がいた場所は今や空虚で、ただ踏みつけられた草原が広がるだけだった。 ノックの音がして、ドアが開く。 「セリシア少佐が王都に向かう準備をしています」 伝令兵が告げた。 「わかった、すぐに行く」 砦の中庭では、セリシアが小さな護衛隊と共に出発の準備をしていた。彼女は王都への報告役として選ばれたのだ。 「行くのか」 俺の声に、セリシアは振り返った。銀色の鎧は磨き上げられ、肩には王国の紋章が輝いている。 「ええ。将軍に直接報告する必要があるわ」 彼女の表情には疲労の色があったが、それでも誇りに満ちていた。ギアラ砦の右翼を指揮したセリシアの功績は大きい。 「気をつけて行くんだ」 「心配ないわ。帝国軍は当分、この地域には現れないでしょう」 セリシアは馬に跨りながら、一瞬だけ柔らかな表情を見せた。 「また、あなたの策を見たい」 その言葉には、単なる軍人としての評価を超えた何かが含まれているように感じた。 「ああ、必ず」 俺は微笑み返した。セリシアと護衛隊は砦の門を出て、王都への長い道のりを進み始めた。その姿が地平線の彼方に消えるまで、俺は見送った。 *** 夕方、王都からの使者が到着した。派手な装飾の施された馬車に乗って現れた使者は、王室直属の儀典官だった。 「エストガード補佐官殿」 儀典官は深々と頭を下げた。 「陛下より、ギアラ砦防衛における偉大なる功績に対し、最高の賞賛をお伝えいたします」 俺は丁寧に礼をしつつも、内心では少し居心地の悪さを感じていた。この世界に来て以来、こんな公式の賞賛を受けるのは初めてだった。 「おかげさまで、帝国軍は撃退され、西方防衛線は保たれました」 儀典官は満足げに頷いた。 「三日後、あなたの王都帰還を望まれています。勲章授与の儀式が執り行われる予定です」 勲章——前世では考えられないような栄誉だ。地方貴族の養子として新たな人生を始めた俺が、王国からの勲章を授かるとは。 「光栄です」 儀典官は続けて、グレイスン大佐や他の将校たちにも褒賞の言葉を伝えた。砦全体が祝福ムードに包まれる。 夜になると、簡素ながらも勝利を祝う宴が開かれた。酒と料理は質素だったが、兵士たちの笑顔は本物だった。彼らは死の恐怖から解放され、勝利の喜びを分かち合っている。 俺は宴の端に座り、静かに杯を傾けていた。隣では、グレイスン大佐が昔の戦の話を若い兵士たちに聞かせている。 「エストガード殿は違いますな」 突然、年配の兵士が声をかけてきた。 「どういう意味だ?」 「勝っても、浮かれない。冷静に次を見据えている」 その兵士は俺の杯に酒を注ぎながら言った。 「若いのにね。経験豊かな将校でも、勝利に酔いしれる者が多いというのに」 「勝っても、残るのは疲れだけだな」 俺は小さく呟いた。確かに勝利は嬉しかったが、同時に深い疲労も感じていた。身体的な疲れだけでなく、精神的な疲弊。多くの命が失われた現実は変わらない。 「勝っても、残るのは疲れだけだな」という思いは、前世での麻雀の対局後と似ていた。だが決定的な違いがある。この勝利には意味がある。多くの命を救い、王国に希望をもたらした。空虚な勝利ではない。それでも、英雄視される現実に違和感を覚える自分がいた。 「賢明な考えです」 兵士は敬意を込めて頭を下げた。 宴は夜遅くまで続いたが、俺は早めに退席した。静かな夜の砦を歩きながら、戦いの記憶を整理する。ラドルフの戦術、彼の「赤い目」、そして我々の反撃——全てがあまりにも鮮明だった。 フェリナの療養する医務室を訪れると、彼女はまだ深い眠りの中にあった。医師によれば、容体は安定しているものの、完全回復にはまだ時間がかかるという。 「無事に王都まで運べるようになるまで、あと二日はかかるでしょう」 医師はそう告げた。 「わかりました。最善の治療を」 俺はフェリナの額に軽く手を置き、静かに部屋を出た。 *** 翌日から、王都帰還の準備が始まった。報告書の最終調整、物資の整理、負傷者の移送準備——やるべきことは山積みだった。 「エストガード殿」 グレイスン大佐が執務室を訪ねてきた。 ...