第11話「任務の始まりは不信から」

「我々の任務は敵の補給線を断つ奇襲作戦だ。一切の無駄話は禁止する。命令には絶対服従を求める」 部隊を率いるシバタ大尉は、木に釘を打ち込むような硬質な声で言い放った。彼は四十代半ばの屈強な男で、額の傷が物語るように、数々の実戦を潜り抜けてきた経験豊富な指揮官だった。 「補佐官見習いのエストガードが同行するが、彼の発言に惑わされないように。彼は将軍のお眼鏡にかなったかもしれんが、実戦経験はゼロだ」 隊員たちが一斉に俺を見た。その眼差しには、遠慮のない警戒と軽蔑が混じっていた。 「しかし、セリシア少佐も同行されるとのこと。彼女の助言には耳を傾けよ」 シバタ大尉はそう付け加えた。彼の口調からは、セリシアには一定の敬意を持っていることが伺えた。 俺たちの任務は、キブルト村近郊で発見された帝国軍の補給線を叩くこと。敵の物資輸送ルートを遮断し、彼らの作戦展開を鈍らせることが目的だった。 総勢五十名の小部隊での奇襲作戦。俺とセリシアは「参謀的同行」という立場で加わっていた。とはいえ、シバタ大尉は俺を完全に「お飾り」として扱うつもりのようだった。 「では、出発する」 大尉の号令とともに、部隊は静かに行進を始めた。森林地帯を通り、敵の監視の目を避けながら目標地点に近づく。昼間は休息し、夜間に移動するという厳しいスケジュールだ。 「あなたはどう思う?」 二日目の夜、行軍の合間にセリシアが小声で尋ねた。彼女は常に魔導記録石で周囲の状況や判断材料を記録していた。 「何についてですか?」 「この任務よ。敵の補給線について」 俺は慎重に言葉を選んだ。 「情報が少なすぎます。なぜ帝国軍がこんな辺境に補給線を引いているのか、その目的は何なのか——そういった背景が見えない」 「同感ね」 セリシアは低い声で続けた。 「私も不自然に感じている。帝国軍の通常の兵站パターンからすると、この位置に補給線を引くのは効率が悪すぎる」 俺たちの会話は、シバタ大尉の咳払いで中断された。 「作戦について議論するなら、全員の前でやれ」 彼の声には苛立ちが滲んでいた。どうやら、若い参謀二人が自分を差し置いて作戦を論じることに不満を感じているようだった。 「失礼しました、大尉」 セリシアが冷静に応じた。 その夜、俺は休憩時間に現地の地図を広げ、帝国軍の推定補給ルートを検討していた。何かがおかしい。あまりにも露出しすぎていて、見つかりやすい。帝国軍はそんな初歩的なミスをするだろうか? 三日目の夕方、目標地点の約10キロ手前で部隊は待機態勢に入った。シバタ大尉は斥候を送り、最終的な状況確認を行っていた。 「報告します。予定通り、敵の補給隊が確認されました。輸送車両五台、護衛兵約二十名です」 斥候の報告を受け、シバタ大尉は満足げに頷いた。 「よし、計画通り進める。三時間後、日没直後に奇襲を仕掛ける」 彼は作戦概要を説明した。三方向からの同時攻撃で敵を混乱させ、輸送車両を破壊するというシンプルな計画だった。 俺は地図と斥候の報告を照らし合わせながら、不安を感じていた。 (この布陣、流れが不自然だ) 大尉の作戦計画では、部隊を三つに分け、敵の予想進路上の三か所から攻撃する。しかし、その配置は地形を十分に活かしておらず、万が一敵の数が予想より多かった場合、撤退路が限られる。 「大尉、少し提案があります」 会議の後、俺は勇気を出して声をかけた。 「何だ、エストガード?」 「この地形から考えると、敵は補給隊以外に別働隊を隠している可能性があります。西側の丘陵地帯は視界が悪く、伏兵に最適です」 シバタ大尉は眉をひそめた。 「情報分析の結果では、敵は補給隊のみだ。余計な憶測は士気に関わる」 「しかし、帝国軍の通常の——」 「黙れ!」 大尉の声が鋭く響いた。 「貴様は実戦経験ゼロの小僧だ。机上の空論で現場の判断に口を出すな」 シバタ大尉の眼には疲労の色が濃かった。彼もまた重責を負い、部下の命を背負う立場にある。そんな彼が若造の意見に耳を貸したくないのも、ある意味理解できた。 周囲の兵士たちが俺を見て、小さく笑う。完全に「ガキ」扱いだ。 「失礼しました」 俺は一歩下がった。セリシアは黙って様子を見ていたが、彼女の表情からは何も読み取れなかった。 作戦会議の後、俺は一人で地図を眺めていた。西側の丘陵地帯がどうしても気になる。あそこに伏兵がいれば、大尉の計画では部隊が危険にさらされる。 「何を考えている?」 気づくとセリシアが隣に立っていた。 「西側の丘陵です。あそこに伏兵がいる可能性が高いと思います」 「根拠は?」 「帝国軍の過去の戦術パターンと地形の相性。それに、あまりにも簡単に発見された補給ルート——まるで『見つけてください』と言っているようなものです」 セリシアは少し考え込んだ後、静かに言った。 「私も同じ懸念を持っている。しかし、大尉は経験豊富な指揮官だ。彼の判断を尊重すべきかもしれない」 「でも、もし間違っていたら?」 「それが戦場よ」 彼女の目には諦めのような色が浮かんでいた。彼女自身も若く、経験豊富な大尉の判断を覆すほどの発言権はないのだろう。 「私たちは参謀的同行。最終決定権は指揮官にある」 その言葉に、俺は黙って頷くしかなかった。 休息をとる兵士たちの間を歩きながら、俺は静かに観察を続けた。彼らの多くは俺より十歳以上年上で、実戦経験もある。彼らの目には俺は単なる「ガキ」、将軍のお気に入りの坊ちゃんにすぎない。 しかし、そんな目で見られることには慣れていた。軍に来てからずっとそうだったし、前世でも麻雀を始めた頃は「ガキ」扱いだった。 ただ、麻雀の卓では最終的に実力で認められた。そして今回も——。 「この補給線、罠の匂いがする」 俺は小さく呟いた。その言葉が的中するのは、もう少し先のことだった。

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第12話「読みと実行のはざまで」

日没までの残り二時間。俺は決断を迫られていた。 シバタ大尉は作戦変更を拒否し、予定通り三方向からの奇襲を実行すると決めた。彼の頑なさは、ある意味では理解できる。長年の実戦経験から培った自信と、若造の戯言に聞こえる忠告への嫌悪感。 だが俺には「見えていた」。 あの西側の丘陵は、夕陽が陰る頃、絶好の伏兵ポイントになる。そこから攻撃すれば、我々の撤退路が完全に断たれる。そして、補給隊があまりにも簡単に発見されたこと自体が不自然なのだ。 「セリシア少佐、どうすればいいと思いますか?」 休息地で俺は彼女に静かに尋ねた。彼女は魔導記録石を指先で回しながら、しばらく考えていた。 「私も西側に不安を感じている。しかし……」 彼女は言葉を選ぶように間を置いた。 「大尉は戦場経験が豊富だ。私は東部国境での任務を終えたばかりで、この地域での指揮権を主張するには根拠が不足している」 「でも、あなたなら大尉を説得できるかも」 「できないわ」 彼女の声は冷静だった。 「軍の階級社会では、経験と実績が何よりも重んじられる。私が彼の判断に異を唱えれば、ただ対立を生むだけ。そうなれば部隊全体の団結力に影響する」 「では、このまま罠に飛び込むしかないんですか?」 セリシアは静かに俺を見つめた。 「私は静観する。それが今の私の立場だ」 その言葉に失望を隠せず、俺は少し離れた場所に移動した。手元には地図と、敵の補給隊の情報が書かれたメモ。 (いや、このままじゃいけない) タロカでも麻雀でも、明らかに罠だと分かっている状況で素直に飛び込むのは愚の骨頂だ。でも、指揮権もなく、誰も聞く耳を持たない状況で何ができるのか? そのとき、俺の目に入ったのは、近くで休憩していた四人の若い兵士たち。彼らは作戦会議にも参加していたが、他の兵士のように俺を明確に蔑視してはいなかった。 「すみません」 俺は彼らに近づいた。 「ロッジ二等兵、カーン一等兵、トーマス二等兵、リード二等兵——でしたよね?」 四人は少し驚いた表情を見せた。俺が名前を覚えていることに意外な印象を受けたようだ。 「何か用かい、坊ちゃん参謀?」 カーン一等兵が冗談めかして尋ねた。彼は三十前後で、腕の筋肉が発達した逞しい男だった。 「できれば、手伝ってもらいたいことがあるんです」 俺は声を潜めて説明を始めた。シバタ大尉の計画には触れず、単に「念のための予備行動」として提案した内容は、シンプルなものだった。 ——西側の丘陵に、焚き火の準備をしておく。 ——我々の部隊が実際に展開するよりも大きい範囲に足跡と痕跡を残す。 ——可能なら、人形や旗などで兵士の数が多いように見せかける。 「なんだ、それだけか?」 ロッジ二等兵が肩をすくめた。彼は最年少の二十三歳ほどで、機敏な動きが特徴的だった。 「単なる欺瞞戦術ですが、もし西側から敵が現れた場合、彼らを混乱させる時間稼ぎになります」 「大尉には報告するのか?」 トーマス二等兵の質問に、俺は正直に答えた。 「いいえ。彼は許可しないでしょう。だからこそ、非公式にお願いしています」 四人は顔を見合わせた。 「軍規違反になるぞ」 「でも、害はないよな。ただの偽装だ」 「面白そうだし、暇つぶしにはなる」 しばらく議論した後、カーン一等兵が代表して答えた。 「いいだろう。でも、失敗したら責任は取らんぞ」 「ありがとうございます」 彼らは任務に出かける前に準備を整えると約束し、装備を確認し始めた。俺は少し離れた場所から、大尉の様子を観察していた。彼は斥候の最終報告を聞き、満足げな表情だった。全てが計画通りに進んでいるという確信があるようだ。 セリシアの視線を感じ、振り向くと、彼女は俺を見つめていた。彼女はすべてを理解しているように見えたが、何も言わず、記録石に何かを記録するだけだった。 *** 日没の一時間前、カーン一等兵たちが戻ってきた。彼らの表情には緊張感があった。 「やったぞ、エストガード」 ロッジ二等兵が小声で報告した。 「西側の丘に三か所の焚き火の準備をした。それから、キャンプを設営したように見せかけた」 「それだけじゃない」 カーン一等兵が割り込んだ。 「西側の森の端で、新しい足跡を見つけた。昨夜のものだ。帝国軍特有の靴底の形をしている」 俺の胸が締め付けられた。予感は当たっていた。帝国軍はすでに西側に潜伏していたのだ。 「大尉に報告しましたか?」 「いや、お前が言ったように、彼は信じないだろう。それに、この発見が我々の無許可行動で見つかったものだと知れば、怒り狂うぞ」 俺は苦しい決断を迫られていた。大尉に直接進言するか、このまま自分たちだけの予備行動に留めるか。 結局、俺は黙ることを選んだ。大尉を説得する時間と可能性は限られている。それよりも、万が一の事態に備える方が現実的だった。 「カーン一等兵、夜間にもし西側から動きがあった場合、あなたたちは焚き火と囮を使える体制でいてください」 「了解した」 彼は短く頷いた。古参兵として、彼も危険を感じていたのだろう。 *** 日没。作戦が開始された。 シバタ大尉の指示通り、部隊は三手に分かれ、帝国軍の補給隊の予想進路上に展開した。大尉自身は中央部隊を指揮し、俺とセリシアも同行していた。 「まもなく敵が接近する。静粛に」 大尉の命令が伝えられ、部隊は息を殺して待機した。 しかし、予定の時刻を十分過ぎても、帝国軍の補給隊は現れなかった。 「おかしい」 大尉が眉をひそめた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第13話「無視された指揮官、評価される補佐官」

「作戦は中止せざるを得なかった。敵は我々の動きを先読みし、伏兵を配置していた。しかし我が部隊の臨機応変な対応により、最小限の被害で撤退に成功した」 軍本部での報告会で、シバタ大尉はそう語った。彼の報告は事実に即していたが、肝心な部分——誰がその「臨機応変な対応」を発案したのか——については触れていなかった。 アルヴェン将軍は黙って聞いていたが、その眼差しには何かを見抜いているような鋭さがあった。報告が終わると、彼は静かに質問を投げかけた。 「その『臨機応変な対応』とは、具体的にどのようなものだったのかね?」 シバタ大尉は一瞬躊躇った。 「西側丘陵に偽装陣地を展開し、敵を欺いたのです。彼らは我々の数を実際より多く見積もり、積極的な攻撃を控えたようです」 「それは誰の発案だった?」 将軍の鋭い質問に、大尉は言葉に詰まった。 「現場の判断で……」 「大尉の指示だったのか?」 「……部隊全体の臨機応変な対応です」 シバタ大尉は直接的な回答を避けた。彼の立場からすれば、若い見習い参謀の提案で行動したと認めるのは、自身の指揮権と判断力を疑われることにつながる。特に、当初はその提案を退けていたという事実を考えれば、なおさらだ。 アルヴェン将軍はしばらくシバタ大尉を見つめた後、セリシアに目を向けた。 「セリシア少佐、君の見解は?」 セリシアは一歩前に出た。彼女は常に記録を取っている魔導記録石を手に持っていた。 「将軍、記録石による客観的な記録を提示してもよろしいでしょうか」 将軍が頷くと、セリシアは記録石を操作し、空中に映像を映し出した。そこには作戦前の議論から、偽装作戦の実行、そして撤退までの流れが淡い光で再現されていた。 「エストガード補佐官見習いは作戦開始前から西側の危険性を指摘していました。彼は帝国軍の戦術パターンと地形分析から、伏兵の存在を予測していたのです」 セリシアは冷静かつ客観的に事実を述べた。彼女の記録によれば、俺の提案はシバタ大尉に退けられたが、その後独自に少数の兵士を動かして偽装作戦を実行したこと、そしてそれが部隊全体の安全な撤退を可能にしたことが明らかだった。 「しかし、彼の行動は指揮系統を無視したものでした」 彼女は公平を期すように付け加えた。 「だが、結果として正しかったわけだな」 将軍の言葉に、会議室が静まり返った。 シバタ大尉の表情は複雑だった。自分の判断ミスを間接的に指摘されたことになるが、かといって直接非難されたわけでもない。彼の目には悔しさと共に、責任感から来る自責の念も浮かんでいた。失敗を認められない立場だからこそ、苦しいのかもしれない。 「セリシア少佐、彼の判断は単なる偶然の産物だったのか?」 将軍の質問に、セリシアは記録石を再び操作した。 「いいえ、将軍。私は作戦後にエストガード殿の分析過程を詳細に記録しました。彼の判断は論理的分析に基づいていました」 記録石には俺の分析過程が再現されていた。敵の偵察パターン、地形の特性、補給隊の動きの不自然さ——これらをパズルのように組み合わせ、最終的な結論に至るまでの思考過程が示されていた。 「この行動は論理的だ」 セリシアはそう結論づけた。彼女の言葉には、以前には見られなかった敬意のようなものが含まれていた。 「では、エストガード」 将軍が直接俺に向き合った。 「君自身は、この判断についてどう説明する?」 俺は一歩前に出た。 「将軍、私は帝国軍の動きを『牌譜』として読みました」 「牌譜?」 「はい。タロカでは、相手の捨て牌やプレイパターンから手の内を推測します。今回も同様に、敵の行動パターンから彼らの意図を読み取ったのです」 「具体的に」 「帝国軍は通常、補給ルートを複数確保し、偽装経路も用意します。今回、あまりにも容易に発見された補給ルートは、明らかに囮でした。また、西側丘陵は視界が制限される地形で、伏兵に最適です」 俺は淡々と説明を続けた。 「さらに、補給隊の動きのタイミングが、我々の捜索パターンと完全に一致していたことから、彼らは我々の行動を予測し、罠を張っていたと判断しました」 将軍は静かに頷いた。 「感覚ではない、技術としての"読み"だな」 「はい、将軍」 アルヴェン将軍は思案顔で椅子に深く腰掛けた。しばらくの沈黙の後、彼は決断を下した。 「シバタ大尉、君の指揮下で部隊が安全に撤退できたことは評価する。しかし、若い参謀の忠告に耳を傾けることも、指揮官の資質として重要だ」 大尉は硬い表情で頷いた。 「エストガード、君は指揮系統を無視した。それは軍規違反だ」 俺は頭を下げた。 「しかし、その判断が多くの命を救ったこともまた事実だ。今後はより適切な形で君の才能を活かせるよう、体制を整える必要があるだろう」 報告会が終わった後、参謀たちの間で小さな議論が始まった。 「あの若造、実は相当な戦術眼を持っているのかもしれんな」 「運が良かっただけだろう」 「いや、セリシアの記録を見れば明らかだ。あれは単なる偶然ではない」 軍内での俺の評価が、少しずつ変化し始めているのを感じた。 書類室に戻ると、ある若い伝令兵が声をかけてきた。 「エストガード殿、兵士たちの間であなたの噂が広まっています」 「噂?」 「はい。『タロカの戦術家』と呼ばれています。カーン一等兵たちが広めたようです」 俺は小さく笑った。 「俺はまだまだ未熟ですよ」 伝令兵は少し身を乗り出して言った。 「でも、あなたの判断が正しかったことは、現場にいた全員が知っています。シバタ大尉も、表向きは認めていませんが、内心では分かっているはずです」 その言葉は、少なからず俺の胸に温かさをもたらした。 *** 夕刻、セリシアが俺の作業スペースを訪れた。 「記録石を見直してみたわ」 彼女は静かに言った。 「あなたの行動には、当初私が思っていた以上の論理性がある」 「ありがとうございます」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第14話「もう一つの賭け」

激戦の余韻が残る中、俺たちの部隊は予定より一日早く撤退完了し、北方国境から三十キロほど内陸にある野営地に到着していた。安全圏に入ったという安堵感からか、兵士たちの間には緊張の解けた笑い声が聞こえ始めていた。 「おい、エストガード! こっちに来い」 カーン一等兵が声をかけてきた。彼の周りには、偽装作戦を手伝ってくれた仲間たちが集まっていた。 「何かあったんですか?」 「あったも何も、祝杯を上げようじゃないか。無事に帰還できたんだからな」 彼は小さな皮袋を取り出した。地元で作られた強い蒸留酒だ。 「でも、私はまだ……」 「大丈夫だ。君は十五歳かもしれんが、戦場をくぐり抜けたんだ。ちょっとくらいの酒は許されるさ」 断る理由も見つからず、俺は彼らの輪に加わった。火を囲み、兵士たちは次々と戦の思い出話を始める。恐怖や緊張を笑い話に変えることで、心の均衡を保とうとしているのだろう。 「エストガード殿、あなたはどうしてあの伏兵を予測できたんですか?」 若い二等兵が尋ねた。彼は作戦中に軽傷を負ったが、すでに包帯も外され、元気そうだった。 「タロカの技術です」 「タロカ? あの貴族の遊戯ですか?」 「はい。タロカでは相手の手の内を読むために、捨て牌や表情の変化を観察します。戦場でも同じです。敵の行動パターンに法則性を見つけ、次の一手を予測する」 「へえ、面白いな」 兵士たちは興味津々といった表情で俺の話に耳を傾けた。彼らの目には、以前のような軽蔑の色はなく、むしろ好奇心と尊敬のようなものが見えた。 「少しだけ教えてくれないか? タロカのやり方を」 そう言われて、俺は即席の説明を始めた。地面に線を引き、小石や木の実を使って牌に見立て、基本的な駆け引きを説明する。兵士たちは予想以上に熱心で、特にカーン一等兵は鋭い質問を投げかけてきた。 「なるほど、これは戦術にも使えるな」 彼は感心した様子だった。 「酒を飲むのか、エストガード?」 振り返ると、セリシアが立っていた。彼女は記録石を手に持っておらず、珍しく公務から解放されているように見えた。 「いえ、ほんの少しだけです」 「気をつけなさい。明日は早くから移動だから」 彼女はそう言い残すと、自分のテントに向かった。 野営地は暗くなり始め、兵士たちはそれぞれの休息場所に散っていった。俺も自分のテントへ向かおうとしたとき、小さな物音が聞こえた。 「誰か?」 視線を向けると、簡易テント群の間から影が動くのが見えた。伏兵の記憶がまだ新しく、俺は反射的に警戒した。しかし、それは敵ではなく、一人の女性だった。 一日の緊張から解放され、兵士たちは思い思いに休息を取っていた。俺も疲れた体を休めるため、少し離れた簡易浴場へと向かうことにした。 近づいて確認しようと一歩踏み出したとき、足元の石ころに躓いた。バランスを崩した俺は、勢い余って簡易テントの中に転げ込んでしまった。 「きゃっ!」 女性の悲鳴が上がった。目の前に広がったのは、上半身の装備を脱ぎ、シャツ一枚で着替えの最中だった女性の姿。赤褐色の髪、鋭い目つき——それはフェリナという名の女性兵士だった。彼女は北方軍に協力している元帝国貴族の娘で、情報分析を担当していると聞いていた。 「ご、ごめんなさい!」 俺は慌てて謝ったが、彼女は既に怒りに顔を赤くしていた。 「出てけ、変態!」 フェリナの怒声と共に、彼女の手にあった水筒が俺めがけて飛んできた。続いて靴、ブラシ、そして手当たり次第の物が雨のように降ってきた。 「わ、わかった! 出る!」 俺は必死に身を守りながら、テントから這い出た。しかし、外には既に数人の兵士が集まっていた。 「どうした? 悲鳴が聞こえたが」 「エストガード殿? 何があった?」 兵士たちの困惑した表情を前に、俺は言葉に詰まった。 「あ、あの、誤解です。転んで、テントに……」 説明しようとした矢先、テントの中からフェリナの声が響いた。 「このロクデナシ! 覗きは軍法会議ものよ!」 「覗いたわけじゃないんです! 本当に事故で!」 更に多くの兵士が集まり始め、状況は悪化の一途をたどっていた。 この出来事は単なる偶然だったが、フェリナとの最初の出会いとしては最悪だった。こんな形で顔を合わせてしまったことで、今後の協力関係にも影響するかもしれない。そう考えると、単なる恥ずかしさを超えた焦りを感じた。 「もうちょい余裕見せてくれても……いや、無理か」 俺は諦めて肩をすくめ、急いでその場を離れた。自分のテントに戻り、毛布にくるまりながら、赤面し続ける自分の顔を冷まそうとした。 タロカの勝負なら自信があったが、この種の「偶然」への対処は苦手だった。前世でも女性との接し方には自信がなく、麻雀仲間の女性とも距離を置かれがちだった。 (ここでも同じか……) そんな思いが頭をよぎるなか、テントの入り口が開いた。 「エストガード」 声の主はセリシアだった。彼女は冷静な表情で俺を見下ろしていた。 「さっきの騒ぎ、聞こえたわ」 「あ、あれは本当に事故で……」 「分かってる」彼女は手を上げて俺の言葉を遮った。「フェリナの性格は知ってるから。彼女は過剰に反応しやすいの」 「そうなんですか?」 「彼女はエストレナ帝国の元貴族の娘。家族の事情で王国側に協力することになったの。プライドが高く、警戒心も強いわ」 セリシアの説明に俺は頷いた。 「彼女は優秀な情報分析官よ。記憶力が特に優れていて、敵の戦術パターンを細部まで覚えている。あなたとは違う形で『読み』の才能を持っているのかもしれないわね」 「そうなんですか……」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第15話「認められた場所」

北方軍本部への帰還から三日後、アルヴェン将軍からの呼び出しがあった。 「エストガード、今日15時に司令室へ来るように」 伝令が去った後、俺は少し緊張した。前線での行動に対する正式な評価が下されるのだろうか。それとも別の任務か? 定刻より少し早く司令室に到着すると、扉の前でセリシアと出会った。彼女も呼ばれていたようだ。 「緊張してる?」 彼女の問いに、俺は正直に答えた。 「少し」 「心配ないわ。将軍はあなたの才能を高く評価している」 彼女の言葉は励ましのようでもあり、事実の陳述のようでもあった。 司令室に入ると、アルヴェン将軍だけでなく、参謀長や幹部クラスの将校たち、そして驚くべきことに北方軍総監督官も同席していた。彼は王都から派遣された高官で、北方軍全体の監督権限を持つ人物だ。 「エストガード、前へ」 将軍の声に促され、俺は一歩前に出た。 「北部国境での任務遂行における貢献、ならびに卓越した戦術的判断力が認められ、本日をもって『北方軍司令部補佐官』に正式任命する」 将軍は堂々とした声で宣言した。「見習い」の文字が消え、正式な地位を得たことになる。それだけでなく、少尉相当の階級も与えられるという。 「ありがとうございます、将軍」 俺は深く頭を下げた。十五歳での少尉相当の階級は前例のないことだと言われていた。 「これは王の御名のもとに授けられる辞令だ」 総監督官が前に出て、正式な辞令書を手渡した。王国の紋章が刻印された重厚な紙には、俺の名と新たな職位が記されていた。 「若きエストガード殿の戦術的才覚は、我が北方軍にとって貴重な宝である」 総監督官はそう付け加えたが、その眼差しには何か別の色が混じっているように感じた。政治的な思惑、あるいは打算のようなもの。 「セリシア少佐」 次に将軍はセリシアを呼び、彼女にも新たな任命を告げた。彼女は情報分析部門の副官に昇進し、特に「新戦術研究」の分野を任されることになったという。 「エストガード殿との共同研究も期待している」と将軍は言った。 辞令交付式が終わると、将校たちが次々と二人を祝福した。表情は様々だ。心からの祝福を述べる者もいれば、形だけの挨拶をする者も。そして、明らかに不満そうな顔をする保守派の士官たちもいた。 「あんな子供が少尉相当とは片腹痛い」 「将軍のお気に入りだからな」 「タロカの遊びで軍の地位が得られるなら、誰でも将軍になれるわ」 小さな悪意のこもった囁きが聞こえてきた。それは予想していたことだ。実績を積み重ねた将校たちからすれば、たった一度の功績で地位を得た若造など、認めたくないのも当然だろう。 式の後、セリシアが俺に近づいてきた。 「おめでとう」 「あなたも昇進おめでとうございます」 彼女は少し表情を和らげた。 「あなたの戦術は異端よ」 その言葉に俺は驚いた。 「異端?」 「ええ。従来の軍学とは全く異なるアプローチ。タロカや『読み』を基礎にした戦術など、軍学校では教えていない」 セリシアは続けた。 「でも、否定できない。結果が全てを物語っている」 彼女の言葉には批判ではなく、むしろ専門家としての客観的評価が込められていた。 「これからは正式な補佐官として、より大きな責任を担うことになるわ。私も協力するわ」 彼女は伸ばした手を差し出した。俺はその手を握り返した。 「よろしくお願いします」 *** 式の後、本部内では俺の補佐官就任に関する様々な反応があった。大半の兵士たちは興味津々といった様子で、中には尊敬の眼差しを向ける者もいた。一方で、「お飾り」扱いする将校や、明らかに敵意を持つ者もいた。 特に保守派と呼ばれる古参将校たちの反応は冷ややかだった。彼らはアルヴェン将軍の革新的な方針に批判的で、俺の抜擢もその一環と見なしているようだった。 「あいつらは黙らせてみせる」 俺は自室に戻り、タロカの牌を並べながら静かに決意した。認められるためには、実績を重ねるしかない。 部屋のドアをノックする音がした。開けると、そこにはフェリナが立っていた。 「エ、エストガード殿」 彼女は言葉に詰まり、顔を少し赤らめた。野営地での一件以来、初めての対面だ。 「フェリナさん」 「あの、まず謝りたいことがあります。あの日は……過剰に反応してしまって……」 彼女は視線を落とし、言いづらそうにしていた。 「いえ、私こそ謝るべきです。不注意で転んだとはいえ、あなたのプライバシーを侵害してしまいました」 フェリナは少し安堵したように息をついた。 「実は報告に来たんです。私は情報分析官として、帝国軍の戦術家ラドルフについて調査していました」 彼女は公式の書類を取り出した。 「彼は『赤眼の魔将』と呼ばれる男で、帝国軍の中でも特異な戦術を使う人物です。私から見ると……あなたと似たところがあるかもしれません」 「私と?」 「はい。彼も牌の流れのような戦術を使うと聞いています。まるで盤面全体を支配するかのような戦い方をするようです」 フェリナの表情が一瞬暗くなった。彼女とラドルフの間には何かがあるようだった。 「もし機会があれば、また詳しく話したいです」 彼女はそう言うと、敬礼して部屋を出ていった。 その夜、俺は窓際に座り、老兵から貰ったタロカの牌を眺めていた。 「ようやく"卓"に座れたって感じだな」 静かに呟きながら、俺は小さく笑った。この世界に来てから約半年。前世で麻雀に没頭した日々が、ここでの自分の居場所を作る礎になるとは思ってもみなかった。 辞令書に書かれた「補佐官」の文字。それは単なる肩書きではなく、この世界での俺の「座」を示すものだった。 かつての自分なら、こうした場所で認められるとは思いもしなかっただろう。麻雀に没頭するだけの存在から、多くの命を預かる立場へ。その重責に身が引き締まる思いと同時に、ようやく自分の才能の意味を見出せた喜びも感じていた。 「次はどんな手が来るのかな」 そう言いながら、俺はタロカの牌を一枚一枚並べていった。牌と牌の間に生まれる「流れ」——それは戦場の動きと重なり、新たな戦いへの準備となっていく。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第16話「勝ち続けた代償」

「エストガード補佐官の作戦により、東部国境第三地点での帝国軍の侵攻を阻止、敵に大打撃を与えることに成功した」 北方軍司令部会議室で、参謀長が続報を読み上げていた。会議テーブルの周りには高級将校たちが座り、中央の地図を見つめている。そして地図の向かい側、アルヴェン将軍の右手側に座っていたのは俺だった。 「これで三連勝だな」 将軍は満足げに頷いた。正式な補佐官に任命されてから一ヶ月、俺の戦術提案は立て続けに成功を収めていた。西部丘陵地帯での伏兵作戦、北部砦での偽装撤退、そして今回の東部国境での誘導戦術。いずれも「流れを読む」戦術が功を奏した結果だった。 「エストガード殿、素晴らしい成果だ」 一人の中佐が声をかけてきた。彼は以前、俺に批判的だった保守派の一人だ。だが今は、表面上とはいえ、一定の敬意を示すようになっていた。 「ありがとうございます。しかし、現場で指揮を執った将校と兵士たちの功績です」 謙遜しつつも、俺は内心で満足していた。かつては「お飾り」と蔑まれた自分が、今や実質的な戦術参謀として認められつつある。それは「タロカの流れ」を戦場に応用した結果だった。 会議が終わると、セリシアが近づいてきた。彼女との関係も良好で、情報分析と戦術立案で協力関係を築いていた。 「エストガード」 「どうしたんですか、セリシア少佐」 「少し話があるわ」 彼女は人の少ない廊下へと俺を誘導した。 「あなた、勝ち方を知ったわね」 「はい、ようやく」 「でも、勝ちに慣れすぎていないかしら?」 彼女の問いかけに、俺は不思議そうな顔をした。 「どういう意味ですか?」 「最近のあなたの態度よ。会議での発言、他の将校への対応——少し高慢になっていると感じるの」 「高慢?」 その言葉に、俺は少し不快感を覚えた。 「私は単に自信を持っているだけです。それに、結果は出していますよね?」 セリシアが問いかけに触れたとき、俺の心には少しの動揺が走った。確かに最近の俺は少し調子に乗っていたかもしれない。麻雀でも勝ち続けると読みが甘くなる。前世でもそういう経験があった。でも今は違う。俺は成長している。 「そうね、確かに結果は出している」セリシアは冷静に言った。「だからこそ、言いたいの。勝ちに慣れすぎると、緊張感が薄れる。それが最も危険なのよ」 「大丈夫ですよ。私は常に慎重に計画を立てています」 「そうかしら? 仮想演習では、あなたはますます大胆になっているわ。そんな戦術は、本当の戦場では通用しないかもしれない」 俺は少し苛立ちを感じた。確かに最近の戦術提案は大胆になっていた。だが、それは自信からくるものであり、実戦でも確かな効果を上げていた。 「勝ちに慣れたらまずいのですか? 勝てばいいんでしょう?」 思わず強い口調になってしまった。セリシアは少し驚いたような表情をしたが、すぐに冷静さを取り戻した。 「私はただ忠告しているだけよ。受け入れるかどうかはあなた次第」 彼女はそう言って立ち去った。俺は廊下に一人残され、わずかな罪悪感と反発心が入り混じる感情を味わっていた。 セリシアの言葉は心に引っかかった。彼女は何かを見抜いているのかもしれない。だが、連勝の快感に浸っている俺には、その警告が十分に届かなかった。 (セリシアは余計な心配をしている。俺は勝ち方を知ったんだ) そう自分に言い聞かせながら、俺は自分の執務室に戻った。 *** 「ところで、エストガード補佐官」 夕食時、軍の食堂でスパートン少佐が話しかけてきた。彼は最近俺に好意的な態度を示す将校の一人だった。 「次の大規模作戦ではどんな戦術を考えているんだ?」 「まだ詳細は固まっていませんが、おそらく『流れの誘導』が基本になるでしょう」 俺は少し傲慢な調子で答えていた。自分でも気づいていたが、最近は少し優越感を持って人と接することが増えていた。特に以前自分を蔑んでいた将校たちに対しては尚更だ。 「流れの誘導? タロカの用語かな?」 「はい。敵に特定の行動を取らせることで、有利な状況を作り出す戦術です」 「なるほど、それは帝国軍相手でも通用するかな?」 「もちろんです。どんな相手でも『流れ』というものはありますから」 俺の言葉を聞いて、スパートン少佐は頷いたが、その表情には何か別の色が混じっていた。おそらく、俺の自信過剰な態度に対する警戒心だろう。 その夜、自室に戻った俺は、久しぶりにタロカの牌を取り出した。以前のように牌を並べ、「流れ」を確認する日課が、いつの間にか減っていたことに気づいた。 (セリシアの言う通りかもしれない) ふと、そんな思いが頭をよぎった。だが、すぐにそれを打ち消した。 (いや、俺は勝っている。勝っているなら、問題ないはずだ) そう自分に言い聞かせながら、俺は就寝の準備を始めた。窓の外には満月が輝いていた。明るすぎる月光が、どこか不吉に感じられた。 *** 翌朝、司令部には緊張感が漂っていた。アルヴェン将軍から緊急会議の召集がかかったのだ。 会議室に集まった将校たちの表情は硬く、会話も少ない。俺も席につき、静かに将軍の登場を待った。 「諸君」 アルヴェン将軍が入室し、厳しい表情で切り出した。 「東部国境第七地点で、帝国軍の大規模な部隊移動が確認された。彼らは軽微な戦力ではなく、精鋭部隊を投入してきたようだ」 地図上には、帝国軍の推定進路が赤い線で示されていた。その規模と方向性から、今回は単なる小競り合いではなく、本格的な侵攻の前触れと見られた。 「さらに、この部隊を率いているのはラドルフ・ゼヴァルドと思われる」 将軍の言葉に、会議室がざわめいた。 「赤眼の魔将」 「そうか、ついに彼が出てきたか」 将校たちの間で囁きが広がる。ラドルフ——その名はフェリナから聞いていた。帝国軍の戦術総監、「赤眼の魔将」の異名を持つ軍略家。彼の戦績は圧倒的で、これまでフェルトリア王国との戦いで一度も敗北を喫したことがないという。 「我々はこの動きに対応する必要がある。エストガード」 将軍が俺を指名した。 「君の戦術眼を買いたい。このラドルフの動きを予測し、対応策を練ってくれ」 「承知しました、将軍」 俺は自信を持って答えた。どれほど強い敵であれ、「流れ」を読み解く自分の能力があれば対抗できるはずだ。これまでの勝利が、そう確信させていた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第17話「戦場に降る声」

東部国境第七地点から十キロ内陸、ブラックウッド高原。広大な平原と点在する丘陵地帯が特徴的な地形だ。雲一つない晴天の下、俺は前線指揮所の高台から戦場を見渡していた。 「すべての部隊が配置完了しました」 参謀を務める若い士官が報告してきた。彼の声には緊張が滲んでいた。当然だろう。我々の前に立ちはだかるのは、エストレナ帝国の精鋭部隊。そして、その指揮を執るのは「赤眼の魔将」ラドルフだ。 「エストガード補佐官、第三部隊からの通信です」 伝令兵が駆け込んできた。 「敵の前哨部隊が視認されました。約8キロ先、予想進路通りです」 「承知した」 俺は地図上の駒を動かした。これまでの情報分析に基づき、敵の進路と戦術を予測。それに対応する布陣を整えていた。 「我々の罠は成功しつつあります」 指揮官のバーンズ中佐に告げる。彼は五十代の熟練した指揮官で、実戦経験は豊富だが、自分の経験を過信する傾向があった。今回は俺の戦術提案に渋々同意したものの、常に疑いの目を向けていた。 「まだ早い。敵の主力が接近するまで判断はできん」 中佐は厳しい表情で答えた。 俺の戦術は「誘導と分断」。過去三回の勝利で培った戦術だ。敵を特定の経路に誘導し、分断して個別に叩く。タロカで相手の打牌を誘導するのと同じ原理だ。 「こちらセリシア。偵察部隊からの報告です」 伝令石が光り、セリシアの声が響いた。彼女は指揮所から少し離れた前線観測点にいた。 「敵の前衛部隊は予想以上に慎重に動いています。地形確認を入念に行っている様子」 「警戒しているのか」 中佐が眉をひそめた。 「いいえ、これも予想の範囲内です」 俺は自信を持って答えた。 「我々の偽情報が効いています。彼らは南側の迂回路に警戒を向けているはずです」 戦いが始まる前の緊張感。それは麻雀やタロカの対局でも感じたものだ。しかし、そこには命のやり取りはなかった。実戦は違う。全てが血と命を賭けた勝負だ。 「敵の動きに変化あり。主力部隊が前進を開始しました」 セリシアの報告に、指揮所内の空気が張り詰めた。 「そろそろか」 俺は小さく呟いた。計画ではこの時点で敵を中央の「袋」に誘い込み、丘陵地帯から挟撃する。初手は成功しつつあるようだった。 「各部隊に通達。初期計画通りに展開せよ」 中佐の命令で、伝令兵たちが動き出した。 数十分後、戦場は動き始めた。敵の主力が丘陵地帯の間の平原に進入。黒い装甲の兵士たちが整然と行進している。 「待機……待機……」 俺は息を殺し、次の展開を見守っていた。敵が谷間の中央部に到達したとき、こちらの伏兵が動き出す計画だ。 「指揮官、敵の後続部隊が確認できません」 突然、見張りの兵が報告した。 「何だと?」 中佐が身を乗り出して双眼鏡を覗きこむ。 「彼らの主力はどこだ? あれは前衛のはずだぞ」 「わかりません。視界に入りません」 異変を感じた俺は、地図を再確認した。何かがおかしい。敵の動きが予想と違う。 「セリシア少佐! 敵の主力部隊の位置を確認してください」 伝令石を通じての問いかけに、彼女の返答があった。 「こちらからも主力は見えません。前衛だけが進軍しています」 「まさか……」 俺の頭に閃きが走った。ラドルフは初めから我々の罠を見抜いていたのではないか? だとすれば、この前衛部隊は囮で、真の主力はどこかで……。 「北西の丘陵地帯から煙が上がっています!」 伝令兵の叫びとほぼ同時に、遠方から轟音が響いた。 「攻撃を受けています! 第二部隊が襲われています!」 次々と緊急報告が入る。北西の丘陵地帯——そこは我々の伏兵部隊がいる場所だった。ラドルフは罠を仕掛ける側を罠にかけたのだ。 「全軍に通達! 計画変更、防御態勢を取れ!」 中佐の命令も空しく、混乱が始まっていた。伏兵として配置していた第二部隊が敵の奇襲を受け、崩壊しつつある。 「どうして……」 俺は信じられない思いで状況を見つめていた。自分の読みが外れたのは初めてだった。いや、もっと正確に言えば、こちらの読みをさらに上回る読みをされたのだ。 「エストガード、どうしたんだ!」 中佐の声が耳に入った。 「あなたの戦術では、こうはならないはずだったのではないか?」 その非難めいた声に、言葉が出なかった。 「流れが見えない……」 俺は呆然と呟いた。 「空気が死んでる」 これまでの戦いでは常に「流れ」を感じ取ることができた。敵の動き、地形、天候、全てが一つの大きな流れの中にあった。しかし今回は違う。まるで戦場そのものが無機質になったかのよう。「流れ」が感じられない。 「セリシア! そちらの状況は?」 伝令石を通じて彼女を呼ぶが、返事がない。 「セリシア少佐との通信が途絶えました」 伝令兵が報告した。 事態は急速に悪化していた。敵は我々の布陣を完全に把握しているかのように、次々と急所を突いてくる。前衛部隊と思われた兵力は実は精鋭で、北西からの奇襲と連動して中央突破を図っていた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第18話「赤眼の男」

北東の森への撤退も思うようには進まなかった。森の入り口付近で帝国軍の別働隊と遭遇し、新たな戦闘が始まったのだ。 「我々は完全に読まれていた」 バーンズ中佐が苦々しい表情で呟いた。彼の顔には疲労と絶望が刻まれていた。 俺たちの部隊は大きく損耗し、統制も失われつつあった。現在、森の中の小さな空き地に一時的な指揮所を設け、残存兵力の再編と次の撤退路の検討を行っている。 「エストガード補佐官」 中佐が俺を呼んだ。その声には非難の色が混じっていた。 「あなたの戦術は完全に裏目に出た。何か言うことはないのか?」 答えに窮する俺の傍らで、ようやく合流できたセリシアが言葉を挟んだ。 「敵の指揮官はラドルフ・ゼヴァルド。彼の戦術は通常の予測を超えています」 彼女の表情も疲れていたが、冷静さは失っていなかった。 「言い訳には聞こえんな」中佐は厳しく言った。「結果として、我々は大損害を被っている」 外では兵士たちが次々と運ばれてくる。負傷者の呻き声、医療班の慌ただしい動き、そして時折聞こえる「もう手遅れだ」という絶望的な声。 「私の責任です」 俺は静かに頭を下げた。自分の戦術が失敗し、多くの兵士が犠牲になったという現実。それは重い。 「中佐、敵の南側部隊が森に接近中です」 見張りの報告に、指揮所内の空気が緊張に包まれた。 「どれくらいの規模だ?」 「小隊規模です。しかし……」 見張りは言葉を詰まらせた。 「なんだ、言え」 「黒装の騎士が一人、先頭にいます」 セリシアの表情が強張った。 「ラドルフ……」 その名を聞いただけで、指揮所内の空気が凍りついた。 「どこからそう判断した?」 中佐が尋ねると、見張りは少し気まずそうに言った。 「赤い目が……遠くからでも見えました」 俺は中佐に向き直った。 「私が会いに行きます」 「何を言っている?」 「ラドルフに。彼は交渉に来たのでしょう。さもなければ、この小規模な部隊で接近してくるはずがありません」 「馬鹿げた話だ。あの男が交渉など——」 「いいえ、それは彼のやり方です」 セリシアが割り込んだ。 「ラドルフは時に直接敵将と会見し、降伏を勧告することがあります。それは彼の『支配』の儀式のようなものです」 中佐は苦悩の表情を浮かべた後、短く頷いた。 「わかった。だが私も同行する」 「いいえ、私一人で」 俺は強く主張した。 「私の戦術が招いた失敗です。責任は私が取るべきです」 中佐とセリシアは互いに顔を見合わせた後、渋々同意した。 「十五分。それ以上は待たん。それまでに戻らなければ、我々は残存兵力で最後の突破を図る」 中佐の厳しい言葉に頷き、俺は森の境界へと向かった。 *** 森の端に立つと、そこには黒い装甲に身を包んだ騎士と、数人の兵士が待っていた。騎士は馬上におり、こちらを静かに見つめていた。 近づくにつれ、その姿がはっきりと見えてきた。彼は三十歳前後の男性で、整った顔立ちと冷静な眼差しをしていた。そして、その目は確かに赤かった。深い赤い色をした瞳は、相手を焼き尽くすような鋭い光を放っていた。 「フェルトリア王国、北方軍補佐官、ソウイチロウ・エストガードだな」 彼の声は低く、静かなものだった。しかしその声には確かな威厳と力があった。 「そうです」 俺は体の震えを抑えながら答えた。 「ラドルフ・ゼヴァルド閣下」 彼はわずかに頷いた。 「君が『流れを読む』という戦術家か。興味深い」 彼が自分のことを知っていたことに驚いたが、表情に出さないよう努めた。 「閣下は交渉のためにいらしたのですか?」 「交渉? いや、降伏を受け入れに来た」 彼の言葉には迷いも傲慢さもなかった。ただ事実を述べるように、淡々と言った。 「我々はまだ戦う力がありますが」 「ある。しかし勝てない」 彼の赤い目がまっすぐに俺を見つめた。 「君の部隊は四方を囲まれている。南東には我が軍の主力が控えている。森の北側には迂回した弓兵隊が待機している。西は既に我が軍が制圧した」 彼の言葉は冷静で、それでいて残酷なほど正確だった。 「どうしてそこまで……」 「流れは私が作るのだ」 ラドルフは平然と言った。 「君は『流れを読む』と聞いた。しかし、それは所詮、存在する流れの中での話。真の戦術家は流れそのものを創造し、支配する」 彼の言葉は俺の核心を突いた。 「君は読むだけ。私は創る。それが我々の違いだ」 俺は返す言葉を失った。彼の言葉には反論の余地がなかった。今日の戦いがそれを証明していた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第19話「死者たちの夜」

「……ガード殿、エストガード殿!」 意識が戻りかけたとき、誰かが俺の名を呼んでいた。目を開けると、ぼんやりとした光の中に若い兵士の顔が見えた。 「よかった、意識が戻りましたか」 兵士は安堵の表情を浮かべた。 「ここは……?」 「野営地です。何とか撤退に成功しました」 周囲を見回すと、そこは森の奥深くに作られた緊急野営地だった。燃え盛る松明の光が闇を照らし、その光の届く範囲には多くの兵士たちが横たわっていた。 「何人……脱出できた?」 俺は痛む肩を押さえながら尋ねた。矢は抜かれ、応急処置が施されていたが、動かすたびに鋭い痛みが走る。 「元の部隊の約三分の一です」 兵士の声は沈んでいた。 「三分の一……」 それは予想より良い数字だった。あの包囲網の中、完全全滅もあり得たからだ。しかし同時に、三分の二の兵士が失われたという事実が胸に重くのしかかった。 「バーンズ中佐は?」 「負傷されましたが、ご無事です。あちらの大きなテントにおられます」 俺はよろめきながら立ち上がり、中佐のテントへと向かった。 テント内では数人の将校が集まり、小さな明かりのもとで会議を行っていた。中佐は腕に包帯を巻き、顔にも傷があったが、しっかりと指揮を執っていた。 「エストガード、目が覚めたか」 彼の声には怒りはなく、ただ疲労だけが感じられた。 「はい。状況は?」 「最悪さ。だが、まだ生きている」 中佐は机の上の地図を指さした。 「我々は森の最深部まで撤退した。帝国軍は追撃を中断したようだ。おそらく、これ以上の追撃は効率が悪いと判断したのだろう」 「セリシア少佐は?」 「彼女なら、すぐそこだ」 中佐は振り返り、テントの隅を指した。セリシアはそこで黙々と魔導記録石に何かを記録していた。彼女の顔にも疲労の色が濃く、左腕には包帯が巻かれていた。 「エストガード、こちらへ」 中佐が机の上の羊皮紙を手に取った。それは負傷者と戦死者のリストだった。 「負傷者の手当てはほぼ終わった。だが、多くの者を失った」 彼は声を落として続けた。 「君に読み上げてもらいたい」 「私が?」 「ああ。君の戦術で戦った兵士たちだ。彼らの名前くらいは、君が読むべきだろう」 その言葉には非難の色はなかった。それでも重い責任を感じさせるものだった。 俺は黙って羊皮紙を受け取り、一枚目をめくった。そこには整然と名前が並んでいた。階級、名前、年齢、出身地——。 「カーン・レイノルズ一等兵、三十二歳、ノースヘイブン出身……」 あの時、偽装作戦を手伝ってくれた兵士だ。彼は「面白そうだ」と言って、俺の無謀な作戦に協力してくれた。 「ロッジ・ウィンター二等兵、二十三歳、イーストフィールド出身……」 彼も同じくあの作戦に参加してくれた一人だ。最年少で、常に笑顔を絶やさなかった青年。 名前を読み上げるたび、顔が浮かぶ。短い時間だったが、確かにそこには絆があった。彼らは俺の戦術を信じ、命を懸けて戦ってくれた。 「トーマス・ヒルトン二等兵、二十六歳、サウスバレー出身……」 読み上げる手が震え始めた。 「リード・フォレスト二等兵、二十五歳、ウエストマウンテン出身……」 声が詰まる。これ以上続けられなかった。 「もういい」 中佐が静かに言った。 「残りは私が読もう」 彼は羊皮紙を受け取り、残りの名前を厳かに読み上げた。それぞれの名に短い黙祷を捧げながら。 俺は茫然と立ち尽くしていた。リストに名を連ねる兵士たち——彼らは俺の戦術に従い、そして死んだ。もし別の選択をしていれば、彼らはまだ生きていたかもしれない。 テントを出ると、夜空には無数の星が瞬いていた。どこか冷たく、遠い光。 「自分を責めてるの?」 背後からセリシアの声がした。彼女は俺の後を追ってきたようだ。 「責めるべきでしょう。私の戦術が原因で、多くの兵士が命を落とした」 「これも戦争だわ」 彼女の声は冷静だった。 「戦場では常に死が伴う。それを恐れていては何もできない」 「でも、私は間違えた。ラドルフの戦術を読めなかった」 「誰も彼を完全に読むことはできない。それが『赤眼の魔将』と呼ばれる所以よ」 彼女の言葉には救いがなかった。確かにラドルフは強敵だ。しかし、それでも俺には責任がある。俺は十分な警戒を怠り、慢心していた。勝ち続けたことで、敗北の可能性を忘れていたのだ。 「俺は……みんなを死なせてしまった」 声を震わせながら、俺は呟いた。そして気づけば、頬を伝う熱いものがあった。涙だった。前世でも、この世界でも、こんな感情を抱いたことはなかった。 「泣いてもいいのよ」 セリシアの声が少し柔らかくなった。 「感情を押し殺すことが強さじゃない。彼らの死を心に刻むことが、次につながる」 野営地を見渡すと、負傷した兵士たちが互いを支え合い、残された食料を分け合っていた。彼らの表情には疲労と悲しみがあったが、それでも生きることを諦めてはいなかった。 「私には向いていなかったのかもしれない」 「何が?」 「戦争という『勝負』。タロカや麻雀とは違う」 セリシアは黙って俺を見つめていた。 「タロカでは負けても、また次の対局がある。だが戦場では、負けは死を意味する。自分の判断ミスで、多くの命が失われる」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第20話「読みが砕けた日」

撤退から三日後、我々は何とか安全地帯の前線拠点に到着した。負傷者を運び、最低限の装備だけを持って森の中を進む長い行軍だった。その間にも何人かの重傷者が命を落とし、戦死者のリストはさらに長くなっていた。 拠点に着くとすぐに、アルヴェン将軍からの伝令が待っていた。彼は帝国軍の動きを受けて、本部から前線に出ていたのだ。 「エストガード、将軍がお呼びだ」 バーンズ中佐の言葉に、俺は重い足取りで将軍のテントへと向かった。報告書は既に提出していたが、直接対面するのは敗戦後初めてだった。おそらく厳しい叱責が待っているだろう。それも当然のことだ。 「入れ」 ノックに応える声が聞こえ、俺はテント内に入った。アルヴェン将軍は小さな机に向かって書類を読んでいた。彼の顔には疲労の色が濃く、以前より年老いて見えた。 「エストガード、座れ」 「はい、将軍」 俺は指示された椅子に腰掛けた。肩の傷はまだ痛んだが、それよりも心の痛みの方が強かった。 将軍はしばらく俺を黙って見つめていた。その眼差しには非難ではなく、何か深い思いが込められているようだった。 「君の報告書は読んだ」 彼はついに口を開いた。 「詳細な分析と、自らの失敗への率直な認識。よくまとめられていた」 予想外の言葉に、俺は少し戸惑った。 「ありがとうございます。しかし、私の判断ミスで多くの兵士が犠牲になりました」 「そうだ。それは事実だ」 将軍は厳しく言った。だが次の瞬間、彼の声はやや和らいだ。 「だが、ラドルフ・ゼヴァルドは並の敵ではない。彼との初戦で全滅を避けられたことは、ある意味で奇跡だとも言える」 「奇跡、ですか?」 「ああ。彼との戦いで生還した者は多くない。君とバーンズ中佐はよくやった」 将軍の言葉には、表面上の慰めではなく、真の評価が含まれていた。 「私は彼の『流れ』を読めませんでした」 俺は正直に告白した。 「読みは万能ではない」 将軍は小さく溜息をついた。 「これは公の場では言わないことだが、私も若い頃、彼に敗れたことがある」 その言葉に、俺は驚いて顔を上げた。アルヴェン将軍はフェルトリア王国最高の指揮官とされている。その彼がラドルフに敗れたことがあるとは。 「八年前のことだ。私はまだ中将だった。東部国境での会戦で、彼の戦術に完全に翻弄された」 将軍の目は遠くを見るようだった。過去の記憶を辿っているのだろう。 「あの時、私は君と同じように『読み』を信じていた。戦場の流れを読み、先手を打つ。それで常に勝ってきた」 彼は静かに続けた。 「しかしラドルフは違った。彼は流れを読むのではなく、作り出す。私が先を読めば読むほど、彼の思惑通りに動いていた」 それは俺が感じたのと全く同じ感覚だった。 「どうやって立ち直ったのですか?」 その問いに、将軍はじっと俺を見つめた。 「立ち直ったのではない。変わったのだ」 「変わった?」 「ああ。読むだけでなく、創ることを学んだ。流れを読むことに頼るだけでは、流れを創る者には勝てない」 将軍は立ち上がり、テントの隅に置かれた剣を手に取った。老練な戦士の風格が漂う姿だった。 「戦術は剣と同じだ。型を学び、敵の動きを読み、そして最後は型を破る。自分自身の剣を創り出すのだ」 彼の言葉は深く、俺の心に染み込んできた。 「でも、どうやって……」 「それは君自身が見つけることだ」 将軍は剣を鞘に戻し、再び椅子に腰掛けた。 「ラドルフとの戦いで、君は貴重な経験を得た。それを無駄にするな」 「はい、将軍」 「さて、実務的な話をしよう」 彼は話題を変え、地図を広げた。 「帝国軍は現在、東部国境の二点を確保した。彼らの次の動きは西への展開だろう。我々は態勢を立て直し、次の防衛線を構築する必要がある」 俺は地図に目を凝らした。帝国軍の動きは確かに西へと向かっていた。ラドルフの狙いは明らかだった。 「君はしばらく本部で静養しながら、次の戦術を練ってほしい。バーンズ中佐の部隊は一旦後方に下がり、再編成する」 「わかりました」 「もう一つ」 将軍の声が真剣さを増した。 「帝国内に王国の情報を流出させている者がいる可能性が高い。我々の戦術や部隊配置の情報が、あまりにも正確に敵に伝わっている」 「内通者が?」 「まだ確証はない。だが警戒すべきだ。君の戦術も、事前にラドルフに伝わっていた可能性がある」 その可能性は考えていなかった。自分の読みが外れたのは純粋に力量差だと思っていたが、情報漏洩があったとすれば話は変わってくる。 「調査を進めます」 「頼む。セリシア少佐とフェリナにも協力してもらうといい」 将軍との会話を終え、テントを出ると、夕暮れの空が広がっていた。赤く染まる雲が、どこかラドルフの赤い瞳を思わせた。 拠点内を歩きながら、俺は将軍の言葉を反芻していた。「読むだけでなく、創ることを学ぶ」——それはタロカでも同じではないだろうか。ただ相手の手を読むだけでなく、自分から流れを作り出す。 ふと、前世での麻雀の記憶が蘇った。強い雀士は相手の待ちを読むだけでなく、自分の手を見せないように巧みに隠す。時には故意に混乱させるような打ち方をする。 「読みが通じないなら、自分が『流れ』を創る」 その言葉が心に浮かんだとき、何か新しい視点が開けるような感覚があった。これまでの自分は「読む」ことだけに囚われすぎていたのかもしれない。 自室に戻ると、フェリナが待っていた。彼女は窓辺に立ち、夕陽を見つめていた。 「エストガード殿」 「フェリナ、どうしたんだ?」 「話があって」 彼女は真剣な表情で俺を見つめた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人