王都メイドナルムの中央広場は、人で溢れかえっていた。
「戦術の神子がいる!」
「エストガード様万歳!」
「帝国軍を撃退した英雄だ!」
こうした歓声が四方から湧き上がる中、俺は儀仗兵に護衛された馬車の中で硬い表情を浮かべていた。傍らにはセリシアがおり、彼女も複雑な心境を隠せないようだった。
「予想外の人出ね」
セリシアが窓の外を見ながら呟いた。
「ここまでとは思わなかった」
俺も同意した。ギアラ砦での勝利は確かに大きなものだったが、これほどまでに民衆を熱狂させるとは想像していなかった。
馬車は人々に道を空けてもらいながら、ゆっくりと王宮へと向かっていた。沿道では花束が投げ入れられ、子供たちは旗を振って喜んでいる。
「彼らは本当に英雄を求めていたのね」
セリシアの声には思慮深さがあった。
「ラドルフに対抗できる希望の象徴として、あなたを見ているわ」
俺はセリシアの洞察に納得しつつも、心の中では居心地の悪さを感じていた。麻雀の対局では相手の読みを競うだけだったが、この世界では国の命運がかかっている。その重圧は想像以上だった。
馬車が王宮に到着すると、アルヴェン将軍自ら出迎えてくれた。
「よく戻ってきた、エストガード、セリシア」
将軍は満足げな表情で二人を迎え入れた。
「陛下が今か今かと待っておられる。まずは謁見室へ」
壮麗な王宮の廊下を歩きながら、将軍は小声で警告を加えた。
「バイアス伯爵を筆頭とする一派も今日は出席している。彼らの言動に注意するように」
俺とセリシアは頷いた。将軍の私信で警告されていた政治的緊張は、今も続いているようだ。
謁見室の扉が開かれると、豪華な装飾の施された広間に、多くの貴族や将校が整列していた。正面の玉座には、フェルトリア王国第十七代国王ザンクト・フェルトリアが威厳ある姿で座していた。
「エストガード補佐官、前へ」
儀典官の声に応じ、俺は玉座の前まで進み、深々と膝をついた。
「陛下」
「エストガード、汝の功績は我が国に大いなる希望をもたらした」
王の声は力強く、広間に響き渡った。
「ギアラ砦での勝利は、単なる一戦の勝利を超え、帝国の侵攻を食い止める重要な一歩となった」
王は立ち上がり、側近から金の勲章を受け取った。
「ここに、王国最高の勲章、黄金獅子勲章を授ける」
俺の首に勲章がかけられると、広間に拍手が沸き起こった。続いてセリシアにも、銀獅子勲章が授与される。
「汝らの忠誠と勇気に感謝する。フェルトリア王国は汝らを誇りに思う」
セレモニーの後、宮廷での盛大な宴が催された。華やかな衣装に身を包んだ貴族たち、軍服に勲章を輝かせる将校たち——彼らは次々と俺に近づき、祝福の言葉を述べた。
「エストガード殿、素晴らしい戦いでした」
「若きタロカの天才、王国の宝ですな」
「わが家の娘を紹介させてください」
社交辞令とはいえ、その多くは本心からの賞賛に聞こえた。だが中には、打算的な視線を隠さない者もいる。特に若い娘を持つ貴族たちは、俺を婿候補として品定めするような目で見ていた。
「エストガード殿」
低く落ち着いた声が聞こえ、振り返るとバイアス伯爵が立っていた。洗練された中年の貴族で、灰色の髪に金の装飾を施した高級な衣装を身につけている。
「バイアス伯爵」
俺は丁寧に挨拶した。相手は将軍が警戒する人物だが、公の場では礼儀正しく振る舞うべきだ。
「素晴らしい功績、心から祝福いたします」
伯爵の言葉には表面上の温かさがあったが、その目は冷たく俺を観察していた。
「ギアラ砦の防衛には、多くの兵士の助けがありました」
俺は謙虚に答えた。
「謙遜なさる必要はありませんよ。あなたの戦術的天才は、今や王国中の知るところです」
伯爵は周囲を見渡した。
「『戦術の神子』、あるいは『軍神の再来』とさえ呼ばれているとか」
その言葉には皮肉が滲んでいた。
「大げさな話です」
「いいえ、あながち大げさでもないでしょう」
伯爵は一歩近づき、声を落とした。
「若いながらもそのような才覚を持つあなたは、単なる軍人としての役割を超えた存在になり得る。政治的な影響力も、あなたの手の内にあるのです」
その言葉は明らかな誘いだった。伯爵はアルヴェン将軍の対抗勢力であり、俺を自分の陣営に引き込もうとしているのだ。
「私はただの軍人です、伯爵。政治的野心などありません」
「今はそうかもしれませんね」
伯爵は薄く笑った。
「しかし、時が来れば考えも変わるでしょう。その時は、ぜひ私にご相談を」
彼は名残惜しそうにしながらも別の貴族に話しかけるため去っていった。
俺が深呼吸をしていると、セリシアが近づいてきた。彼女は宮廷向けの美しいドレスに身を包み、いつもの軍服姿とは違う雰囲気を醸し出していた。
「何を言われたの?」
「政治的影響力について」
「やはり……」
セリシアは周囲を警戒しながら、小声で言った。
「バイアス伯爵は国境地域の割譲を条件に、帝国との和平を主張している派閥の領袖よ。彼らはあなたのような人気者を味方につければ、自分たちの主張に正当性を持たせられると考えているわ」
「利用されるだけか」
「そういうこと」
宴は夜遅くまで続き、俺は無数の貴族や将校と言葉を交わした。多くは表面的な社交だったが、中にはアルヴェン将軍の支持者と思われる者から、具体的な軍事的助言を求められることもあった。
漸く人の波が引いた頃、俺は宮殿のバルコニーに出て、夜風に当たっていた。
「疲れたでしょう」
セリシアが二つのグラスを持って現れた。
「ああ」
俺はグラスを受け取り、一口飲んだ。
「こんな宮廷の駆け引きは、タロカよりも難しいな」
「それに慣れなくてはならないわ。あなたは今や単なる軍人ではなく、国の象徴なのだから」
「俺は神じゃない。ただの"勝負師"だ」
内心でそう呟きながら、俺は星明かりの下の王都を見下ろした。近いうちに戦地に戻れるだろうか。それとも王都での政治的な駆け引きに巻き込まれ続けるのだろうか。
***
翌日、俺は王城内の一角に用意された執務室で、報告書の最終調整を行っていた。窓からは王都の壮麗な景色が見え、遠くには市民たちの生活が営まれている。
ノックの音がして、アルヴェン将軍が入ってきた。
「エストガード、調子はどうだ?」
「はい、将軍。宮廷生活に慣れようとしています」
将軍は笑みを浮かべた。
「無理もない。君は急に英雄となった。そういう立場には責任が伴う」
将軍は窓際に立ち、街を見下ろした。
「昨日の宴でバイアス伯爵と話したようだな」
「はい。彼は……政治的な誘いをしてきました」
「予想通りだ」
将軍は冷静に言った。
「彼らは君を利用して、自分たちの和平政策を推し進めようとしている。帝国に領土を割譲してでも戦争を終わらせるべきだと」
「それは賢明な選択ではないでしょう」
「もちろんだ。一時的な平和は得られるかもしれないが、帝国の野心は収まらない。次はより大きな領土を要求してくるだろう」
将軍の表情が厳しくなった。
「しかし、長引く戦争に疲れた貴族や市民も多い。和平を求める声は小さくないのだ」
俺は考え込んだ。前世では政治など考えたこともなかったが、この世界では否応なくその渦中に置かれている。
「将軍、私は戦術家として最善を尽くします。政治的な判断は、賢明な方々にお任せします」
将軍は満足げに頷いた。
「よい心構えだ。しかし、これからは君の一挙手一投足が注目される。言動には気をつけるように」
将軍が去った後、俺は窓の外を眺め続けた。王都の喧騒の中で、群衆の中の一人として歩く姿を想像する。誰にも注目されず、ただ自分の道を行く——前世では当たり前だったそんな日常が、今は遠い夢のように思えた。
***
午後、王立病院を訪れた俺は、フェリナの容体を確認した。彼女は意識を取り戻していたが、まだ病床から起き上がることはできない状態だった。
「エストガード殿……」
彼女の声は弱々しかったが、目には生気があった。
「よく戻ってきたな」
「はい……義務を果たしただけです」
彼女の答えは相変わらず簡潔だった。
「医師によると、完全回復には一カ月ほどかかるという」
「そんなに待てません」
フェリナは少し身を起こそうとして、痛みに顔をしかめた。
「無理をするな。今は回復に専念するんだ」
「でも、ラドルフは……」
「彼との戦いは、まだ続く。お前が回復してから、また共に戦おう」
俺の言葉にフェリナは少し落ち着いたようだった。
「王都ではあなたのことをどう呼んでいますか?」
「『戦術の神子』とか『軍神の再来』とか、大げさな名前でな」
「評判は?」
「まあ、悪くない」
俺は遠慮がちに言った。実際には、街中で俺の名を連呼する声が聞こえるほどの人気だった。
「あなたはそれに値する人です」
フェリナの言葉には誠実さがあった。
「あまり持ち上げないでくれ。俺はただ……」
「わかっています」
彼女は微笑んだ。
「でも、時には神話も必要です。人々は希望を求めているのですから」
フェリナとの会話を終え、俺は静かに病院を後にした。街に出ると、またしても人々の視線を集めることになった。
「あれが戦術の神子だ!」
「エストガード様、万歳!」
小さな子供が近づいてきて、花束を差し出す。俺はありがとうと言って受け取ったが、その後も人々は次々と近づいてきた。
「我々を守ってください!」
「帝国からフェルトリアを救ってください!」
期待と希望に満ちた声々。彼らは俺を見上げ、救世主のように崇めている。
俺は群衆の声援の中、一人だけ視線を落とし歩く。
(俺は神じゃない。ただの"勝負師"だ)
その思いを胸に抱えながら、王城への道を急いだ。明日からは、新たな任務の準備が始まる。ラドルフとの次なる対決に向けて、万全の体制を整えなければならない。
神童、軍神——そんな称号が俺に与えられているが、内側では依然として不安を抱える十五歳——前世でなら十八歳——の少年のままだ。その乖離に戸惑いながらも、期待に応えなければならないという使命感も芽生えていた。
軍神と呼ばれる少年の肩には、国の未来がかかっていた。