「見えてきました、ギアラ砦です」

 護衛兵の声に、俺は馬車の窓から顔を出した。三日間の長旅の末、ようやく目的地に到着する。

 霧がかった山々の間に、灰色の巨大な要塞が姿を現す。ギアラ砦——西方国境を守る重要な防衛拠点だ。高い城壁と複数の塔、険しい山道を通ってのみアクセスできる自然の要害。

「難攻不落と言われる砦ですね」

 馬車の中でセリシアが地図を広げながら言った。

「確かに地形的には守りやすい。だが、それはラドルフも承知の上で来るということだ」

 馬車は砦の大門に到着し、一行は厳重な警備の下、中へと案内された。

 砦の中は活気に満ちていた。防衛の準備が急ピッチで進められており、兵士たちが武器や物資を運び、壁の補強作業を行っている。民兵も動員されており、老若男女問わず砦の防衛に参加しているようだった。

「エストガード補佐官、お待ちしておりました」

 現地の指揮官、グレイスン大佐が出迎えた。壮年の男性で、風格のある身なりだが、顔には疲労の色が濃い。

「状況を説明していただけますか?」

 グレイスン大佐は本部へと案内しながら話を始めた。

「三日前に偵察隊が帝国軍の大規模な部隊移動を確認しました。彼らはギアラ砦に向かっているのは間違いありません」

 本部に着くと、大きな作戦テーブルの上に詳細な地図が広げられていた。

「帝国軍の推定規模は?」

「四千から五千。重装歩兵を中心に、騎兵隊と弓兵も含まれます」

「こちらの戦力は?」

「砦の常駐部隊が八百。あなた方と共に到着した増援が三百。そして民兵が約五百」

 数で言えば完全に不利だ。しかし、強固な砦を守る側には有利があるはずだった。

「物資の状況は?」

「食料と水は二週間分。矢と投石用の岩石は十分。しかし、医療品はやや不足しています」

 セリシアが地図を詳しく調べながら質問を続けた。

「砦の弱点はどこですか?」

 グレイスン大佐は少し躊躇したが、正直に答えた。

「西側の壁は他より低く、そこを強化している最中です。また、北側には小さな水路があり、非常時の水の確保に使いますが、敵に発見されれば侵入路になり得ます」

「わかりました」

 俺は地図に目を通しながら、頭の中でラドルフの動きを予測していた。彼なら、このような状況でどう攻めてくるか?  単純な正面突破では難しい。彼は必ず何か策を持っているはずだ。

「大佐、民間人の避難は?」

「既に完了しています。砦内に残っているのは志願の民兵のみです」

「良かった」

 俺は少し安堵した。少なくとも民間人の犠牲は避けられる。

「では、防衛計画を立てましょう」

 作戦テーブルを囲んで、詳細な打ち合わせが始まった。グレイスン大佐の経験、セリシアの分析力、そして俺の戦術——それらを組み合わせて最善の防衛策を練る。

 ***

「西側と北側の補強は順調です」

 翌朝、砦の壁の上から防衛準備の進捗を確認する。夜通し作業が続けられ、弱点だった部分が着実に強化されていた。

「エストガード殿」

 振り返ると、フェリナが立っていた。彼女は情報分析のために同行していたが、昨日は疲労のため休んでいた。

「フェリナ、体調はどうだ?」

「大丈夫です。それより、これを」

 彼女は小さな巻物を差し出した。

「偵察隊からの最新報告です。ラドルフの部隊はあと二日で到着する見込みとのこと」

「二日か……それまでに準備を終えなければ」

「それと、もう一つ重要な情報があります」

 フェリナの表情が真剣さを増した。

「ラドルフの部隊構成ですが、通常の構成とは異なっています。重装歩兵が多く、包囲用の装備も目立ちます」

「包囲作戦か……」

 俺は思案した。ギアラ砦のような要塞に対しては、短期決戦より長期包囲の方が効果的だ。物資を断ち、内部から崩壊させる戦法。

「もう一つ。彼は『特殊部隊』も率いているようです」

「特殊部隊?」

「はい。彼が直々に訓練した精鋭で、普通の兵士とは装備も戦法も異なると言われています」

 俺はフェリナの情報に感謝し、即座にセリシアと共有した。

「ラドルフの特殊部隊……聞いたことがあります」

 セリシアは記録石を取り出し、過去の報告書を参照した。

「彼らは『影狩人』と呼ばれ、主に潜入や奇襲を得意とします。普通の兵士では太刀打ちできないほど訓練されています」

「北側の水路……」

 俺は直感的に理解した。ラドルフは表向きは包囲を仕掛けつつ、特殊部隊による内部からの破壊を狙っているのだろう。

「水路の警備を強化しよう。信頼できる兵士を配置して、24時間体制で監視する」

 セリシアは頷き、すぐに命令を出した。

「あと一つ、我々の情報収集体制を見直したい」

「どういうことですか?」

「ラドルフの戦術をより正確に予測するため、タロカ牌を使った『流れ』の可視化を試みたい」

 セリシアは少し驚いた表情を見せたが、すぐに理解を示した。

「タロカによる戦術分析……面白い試みですね」

 俺は小部屋を用意してもらい、そこに木製のタロカ牌を模した石片を配置した。それぞれの石片はラドルフの部隊や動きを象徴している。

「これで『流れ』を読みやすくなる」

 フェリナも興味深そうに見ていた。

「これがあなたの『読み』の秘密なのですね」

「ああ。タロカや麻雀では、『牌』の配置で流れを可視化できる。戦場でも同じことができるはずだ」

 砦の防衛準備が進む中、俺は孤独に戦術を練っていった。ラドルフの動きを予測し、それに対応する策を考える。

 ***

「エストガード殿!  セリシア少佐が戻られました!」

 翌日の昼過ぎ、伝令兵が急いで報告にきた。セリシアは朝から偵察に出ていた。

 本部に急ぐと、そこにはセリシアの姿があった。彼女は疲れた様子だったが、目には興奮の色があった。

「帝国軍の前衛部隊が視認できる距離まで来ています」

「予定より早い」

 グレイスン大佐が眉をひそめた。

「ラドルフが急いでいる……何か理由があるはずだ」

 セリシアは魔導記録石を操作し、観察した光景を投影した。

「彼らの布陣を見てください。通常の包囲戦とは異なります」

 確かに帝国軍の陣形は特徴的だった。包囲のための広がりがなく、むしろ突破を意図した集中配置に見える。

「彼は包囲ではなく、急襲を計画しているのでは?」

 セリシアの分析は鋭かった。

「だとすれば、『影狩人』の役割も変わってくる……」

 俺は石片の配置を変えながら考えを巡らせた。ラドルフが急襲を選ぶ理由は何か?  何か我々が知らない情報を持っているのだろうか?

「南からの増援部隊は?」

 グレイスン大佐に尋ねると、彼は首を振った。

「まだ連絡はありません。予定では四日後の到着です」

「ラドルフはそれを知っている」

 フェリナが静かに言った。

「彼は増援が来る前に砦を落としたいのでしょう」

 全員が沈黙した。状況は想定より厳しい。ラドルフは我々の弱点を正確に把握し、最適なタイミングで攻撃を仕掛けようとしている。

「すべての準備を急げ」

 俺は命令を出した。

「明日には敵が到着する。それまでに砦を完全防衛態勢に置かなければならない」

 グレイスン大佐が敬礼し、すぐに指示を伝えに去った。セリシアは俺の側に残り、地図を再確認している。

「セリシア」

「何?」

「あなたとなら勝てる」

 彼女は少し驚いたように俺を見た。

「急に何を……」

「いや、確信したんだ。あなたのような参謀がいれば、たとえラドルフ相手でも勝機はある」

 彼女は一瞬言葉に詰まったが、すぐに真剣な表情に戻った。

「あなたの"読み"と私の分析。それに、フェリナの情報。私たちの力を合わせれば、可能性はあります」

 フェリナも頷き、三人は再び作戦テーブルに向かった。

 夕暮れ時、俺は砦の最高地点に立ち、遠くに見える敵の松明を眺めていた。無数の光が闇の中で揺れている。それはあまりにも多く、星空のようにも見えた。

「ラドルフ……」

 名前を呟きながら、俺は決意を固めた。前回の敗北から学び、今度は準備万全で彼に挑む。タロカの石片がつくる「流れ」を頼りに。

 遠くの闇の中、一つの赤い光が他より輝いているように見えた。それはまるで、ラドルフの赤い瞳のようだった。

 ラドルフ——麻雀でいえば、常に"親"として場を支配する絶対的な存在。彼の『赤い目』には、相手の弱点を見抜く異常な能力があるという。フェリナの情報によれば、彼は一度も負けたことがない。そんな無敗の魔将と、今度こそ真正面から対峙することになる。

 麻雀の対局でいえば、これは「東場親」の対局。最も重要な局面だ。ここでの勝負が、今後の戦いの流れを決定づける。