北方軍本部への帰還から三日後、アルヴェン将軍からの呼び出しがあった。
「エストガード、今日15時に司令室へ来るように」
伝令が去った後、俺は少し緊張した。前線での行動に対する正式な評価が下されるのだろうか。それとも別の任務か?
定刻より少し早く司令室に到着すると、扉の前でセリシアと出会った。彼女も呼ばれていたようだ。
「緊張してる?」
彼女の問いに、俺は正直に答えた。
「少し」
「心配ないわ。将軍はあなたの才能を高く評価している」
彼女の言葉は励ましのようでもあり、事実の陳述のようでもあった。
司令室に入ると、アルヴェン将軍だけでなく、参謀長や幹部クラスの将校たち、そして驚くべきことに北方軍総監督官も同席していた。彼は王都から派遣された高官で、北方軍全体の監督権限を持つ人物だ。
「エストガード、前へ」
将軍の声に促され、俺は一歩前に出た。
「北部国境での任務遂行における貢献、ならびに卓越した戦術的判断力が認められ、本日をもって『北方軍司令部補佐官』に正式任命する」
将軍は堂々とした声で宣言した。「見習い」の文字が消え、正式な地位を得たことになる。それだけでなく、少尉相当の階級も与えられるという。
「ありがとうございます、将軍」
俺は深く頭を下げた。十五歳での少尉相当の階級は前例のないことだと言われていた。
「これは王の御名のもとに授けられる辞令だ」
総監督官が前に出て、正式な辞令書を手渡した。王国の紋章が刻印された重厚な紙には、俺の名と新たな職位が記されていた。
「若きエストガード殿の戦術的才覚は、我が北方軍にとって貴重な宝である」
総監督官はそう付け加えたが、その眼差しには何か別の色が混じっているように感じた。政治的な思惑、あるいは打算のようなもの。
「セリシア少佐」
次に将軍はセリシアを呼び、彼女にも新たな任命を告げた。彼女は情報分析部門の副官に昇進し、特に「新戦術研究」の分野を任されることになったという。
「エストガード殿との共同研究も期待している」と将軍は言った。
辞令交付式が終わると、将校たちが次々と二人を祝福した。表情は様々だ。心からの祝福を述べる者もいれば、形だけの挨拶をする者も。そして、明らかに不満そうな顔をする保守派の士官たちもいた。
「あんな子供が少尉相当とは片腹痛い」
「将軍のお気に入りだからな」
「タロカの遊びで軍の地位が得られるなら、誰でも将軍になれるわ」
小さな悪意のこもった囁きが聞こえてきた。それは予想していたことだ。実績を積み重ねた将校たちからすれば、たった一度の功績で地位を得た若造など、認めたくないのも当然だろう。
式の後、セリシアが俺に近づいてきた。
「おめでとう」
「あなたも昇進おめでとうございます」
彼女は少し表情を和らげた。
「あなたの戦術は異端よ」
その言葉に俺は驚いた。
「異端?」
「ええ。従来の軍学とは全く異なるアプローチ。タロカや『読み』を基礎にした戦術など、軍学校では教えていない」
セリシアは続けた。
「でも、否定できない。結果が全てを物語っている」
彼女の言葉には批判ではなく、むしろ専門家としての客観的評価が込められていた。
「これからは正式な補佐官として、より大きな責任を担うことになるわ。私も協力するわ」
彼女は伸ばした手を差し出した。俺はその手を握り返した。
「よろしくお願いします」
***
式の後、本部内では俺の補佐官就任に関する様々な反応があった。大半の兵士たちは興味津々といった様子で、中には尊敬の眼差しを向ける者もいた。一方で、「お飾り」扱いする将校や、明らかに敵意を持つ者もいた。
特に保守派と呼ばれる古参将校たちの反応は冷ややかだった。彼らはアルヴェン将軍の革新的な方針に批判的で、俺の抜擢もその一環と見なしているようだった。
「あいつらは黙らせてみせる」
俺は自室に戻り、タロカの牌を並べながら静かに決意した。認められるためには、実績を重ねるしかない。
部屋のドアをノックする音がした。開けると、そこにはフェリナが立っていた。
「エ、エストガード殿」
彼女は言葉に詰まり、顔を少し赤らめた。野営地での一件以来、初めての対面だ。
「フェリナさん」
「あの、まず謝りたいことがあります。あの日は……過剰に反応してしまって……」
彼女は視線を落とし、言いづらそうにしていた。
「いえ、私こそ謝るべきです。不注意で転んだとはいえ、あなたのプライバシーを侵害してしまいました」
フェリナは少し安堵したように息をついた。
「実は報告に来たんです。私は情報分析官として、帝国軍の戦術家ラドルフについて調査していました」
彼女は公式の書類を取り出した。
「彼は『赤眼の魔将』と呼ばれる男で、帝国軍の中でも特異な戦術を使う人物です。私から見ると……あなたと似たところがあるかもしれません」
「私と?」
「はい。彼も牌の流れのような戦術を使うと聞いています。まるで盤面全体を支配するかのような戦い方をするようです」
フェリナの表情が一瞬暗くなった。彼女とラドルフの間には何かがあるようだった。
「もし機会があれば、また詳しく話したいです」
彼女はそう言うと、敬礼して部屋を出ていった。
その夜、俺は窓際に座り、老兵から貰ったタロカの牌を眺めていた。
「ようやく"卓"に座れたって感じだな」
静かに呟きながら、俺は小さく笑った。この世界に来てから約半年。前世で麻雀に没頭した日々が、ここでの自分の居場所を作る礎になるとは思ってもみなかった。
辞令書に書かれた「補佐官」の文字。それは単なる肩書きではなく、この世界での俺の「座」を示すものだった。
かつての自分なら、こうした場所で認められるとは思いもしなかっただろう。麻雀に没頭するだけの存在から、多くの命を預かる立場へ。その重責に身が引き締まる思いと同時に、ようやく自分の才能の意味を見出せた喜びも感じていた。
「次はどんな手が来るのかな」
そう言いながら、俺はタロカの牌を一枚一枚並べていった。牌と牌の間に生まれる「流れ」——それは戦場の動きと重なり、新たな戦いへの準備となっていく。