「作戦は中止せざるを得なかった。敵は我々の動きを先読みし、伏兵を配置していた。しかし我が部隊の臨機応変な対応により、最小限の被害で撤退に成功した」

 軍本部での報告会で、シバタ大尉はそう語った。彼の報告は事実に即していたが、肝心な部分——誰がその「臨機応変な対応」を発案したのか——については触れていなかった。

 アルヴェン将軍は黙って聞いていたが、その眼差しには何かを見抜いているような鋭さがあった。報告が終わると、彼は静かに質問を投げかけた。

「その『臨機応変な対応』とは、具体的にどのようなものだったのかね?」

 シバタ大尉は一瞬躊躇った。

「西側丘陵に偽装陣地を展開し、敵を欺いたのです。彼らは我々の数を実際より多く見積もり、積極的な攻撃を控えたようです」

「それは誰の発案だった?」

 将軍の鋭い質問に、大尉は言葉に詰まった。

「現場の判断で……」

「大尉の指示だったのか?」

「……部隊全体の臨機応変な対応です」

 シバタ大尉は直接的な回答を避けた。彼の立場からすれば、若い見習い参謀の提案で行動したと認めるのは、自身の指揮権と判断力を疑われることにつながる。特に、当初はその提案を退けていたという事実を考えれば、なおさらだ。

 アルヴェン将軍はしばらくシバタ大尉を見つめた後、セリシアに目を向けた。

「セリシア少佐、君の見解は?」

 セリシアは一歩前に出た。彼女は常に記録を取っている魔導記録石を手に持っていた。

「将軍、記録石による客観的な記録を提示してもよろしいでしょうか」

 将軍が頷くと、セリシアは記録石を操作し、空中に映像を映し出した。そこには作戦前の議論から、偽装作戦の実行、そして撤退までの流れが淡い光で再現されていた。

「エストガード補佐官見習いは作戦開始前から西側の危険性を指摘していました。彼は帝国軍の戦術パターンと地形分析から、伏兵の存在を予測していたのです」

 セリシアは冷静かつ客観的に事実を述べた。彼女の記録によれば、俺の提案はシバタ大尉に退けられたが、その後独自に少数の兵士を動かして偽装作戦を実行したこと、そしてそれが部隊全体の安全な撤退を可能にしたことが明らかだった。

「しかし、彼の行動は指揮系統を無視したものでした」

 彼女は公平を期すように付け加えた。

「だが、結果として正しかったわけだな」

 将軍の言葉に、会議室が静まり返った。

 シバタ大尉の表情は複雑だった。自分の判断ミスを間接的に指摘されたことになるが、かといって直接非難されたわけでもない。彼の目には悔しさと共に、責任感から来る自責の念も浮かんでいた。失敗を認められない立場だからこそ、苦しいのかもしれない。

「セリシア少佐、彼の判断は単なる偶然の産物だったのか?」

 将軍の質問に、セリシアは記録石を再び操作した。

「いいえ、将軍。私は作戦後にエストガード殿の分析過程を詳細に記録しました。彼の判断は論理的分析に基づいていました」

 記録石には俺の分析過程が再現されていた。敵の偵察パターン、地形の特性、補給隊の動きの不自然さ——これらをパズルのように組み合わせ、最終的な結論に至るまでの思考過程が示されていた。

「この行動は論理的だ」

 セリシアはそう結論づけた。彼女の言葉には、以前には見られなかった敬意のようなものが含まれていた。

「では、エストガード」

 将軍が直接俺に向き合った。

「君自身は、この判断についてどう説明する?」

 俺は一歩前に出た。

「将軍、私は帝国軍の動きを『牌譜』として読みました」

「牌譜?」

「はい。タロカでは、相手の捨て牌やプレイパターンから手の内を推測します。今回も同様に、敵の行動パターンから彼らの意図を読み取ったのです」

「具体的に」

「帝国軍は通常、補給ルートを複数確保し、偽装経路も用意します。今回、あまりにも容易に発見された補給ルートは、明らかに囮でした。また、西側丘陵は視界が制限される地形で、伏兵に最適です」

 俺は淡々と説明を続けた。

「さらに、補給隊の動きのタイミングが、我々の捜索パターンと完全に一致していたことから、彼らは我々の行動を予測し、罠を張っていたと判断しました」

 将軍は静かに頷いた。

「感覚ではない、技術としての"読み"だな」

「はい、将軍」

 アルヴェン将軍は思案顔で椅子に深く腰掛けた。しばらくの沈黙の後、彼は決断を下した。

「シバタ大尉、君の指揮下で部隊が安全に撤退できたことは評価する。しかし、若い参謀の忠告に耳を傾けることも、指揮官の資質として重要だ」

 大尉は硬い表情で頷いた。

「エストガード、君は指揮系統を無視した。それは軍規違反だ」

 俺は頭を下げた。

「しかし、その判断が多くの命を救ったこともまた事実だ。今後はより適切な形で君の才能を活かせるよう、体制を整える必要があるだろう」

 報告会が終わった後、参謀たちの間で小さな議論が始まった。

「あの若造、実は相当な戦術眼を持っているのかもしれんな」
「運が良かっただけだろう」
「いや、セリシアの記録を見れば明らかだ。あれは単なる偶然ではない」

 軍内での俺の評価が、少しずつ変化し始めているのを感じた。

 書類室に戻ると、ある若い伝令兵が声をかけてきた。

「エストガード殿、兵士たちの間であなたの噂が広まっています」

「噂?」

「はい。『タロカの戦術家』と呼ばれています。カーン一等兵たちが広めたようです」

 俺は小さく笑った。

「俺はまだまだ未熟ですよ」

 伝令兵は少し身を乗り出して言った。

「でも、あなたの判断が正しかったことは、現場にいた全員が知っています。シバタ大尉も、表向きは認めていませんが、内心では分かっているはずです」

 その言葉は、少なからず俺の胸に温かさをもたらした。

 ***

 夕刻、セリシアが俺の作業スペースを訪れた。

「記録石を見直してみたわ」

 彼女は静かに言った。

「あなたの行動には、当初私が思っていた以上の論理性がある」

「ありがとうございます」

「ただの直感ではなく、パターン認識と確率計算に基づく判断力——それは参謀にとって貴重な資質よ」

 彼女の声には、初めて会った時のような冷たさはなかった。代わりに、専門家としての評価が込められていた。

「あなたが『読み』と呼ぶものは、戦場でも通用する」

 その言葉に、俺は静かに頷いた。

「勝てたのは偶然じゃない。それだけは……断言できる」

 ふと窓の外を見ると、夕陽が沈み始めていた。この異世界での初めての実戦、そして初めての「勝負」。

 前世で麻雀に打ち込んでいた日々が、この世界での命を守る力になるとは。運命の皮肉というべきか、それとも必然だったのか。

 いずれにせよ、俺はようやく自分の才能に自信を持ち始めていた。