北部国境作戦から一週間が経ち、俺の軍内での立場は目に見えて変化していた。以前の「将軍のお気に入りの子供」から、「戦術的センスを持つ補佐官見習い」へと評価が変わりつつあった。

 書類仕事は相変わらず多かったが、今は単なる雑用ではなく、情報整理という重要な役割として任されるようになっていた。特にアルヴェン将軍直属の「特別情報分析班」に配属され、帝国軍の動向報告を中心に分析する任務が与えられた。

「これは先週のクリフサイド地域の偵察報告、こちらは一ヶ月前の同地域の状況。比較すると、帝国軍の兵站線がわずかに南にシフトしている」

 俺は手元の地図に印をつけながら、情報を整理していた。

「エストガード殿、ここの物資輸送量の変化にも注目すべきだと思います」

 隣で作業していたのは若い参謀補。以前は俺を無視していた彼も、今では対等に意見を交わすようになっていた。

「ありがとう。確かにこの変化は意味深ですね」

 俺はタロカの牌を机の上に並べるように、情報を空間的に配置していった。誰がどの情報を持ち、どの部署で何が判断され、どう命令が流れるか——。その「流れ」を掴むことで、帝国軍の動きの背後にある意図が見えてくる。

「伝令部からの報告では、この三日間で国境付近の帝国軍の動きが15%増加しています」

 伝令兵長が資料を持ってきた。彼とは北部国境作戦以来、良好な関係を築いていた。

「ありがとう。これを見ると、彼らは何かの準備をしているようですね」

「同感だ。特に東側の山岳地帯への物資の流れが不自然だ」

 俺は情報の断片を組み合わせ、「流れ」を読み取っていく。それは麻雀で培った「読み」そのものだった。

 正午近く、セリシアが情報分析室に姿を現した。

「エストガード、進捗は?」

「はい、いくつか気になるパターンを発見しました」

 俺は地図を広げ、帝国軍の動きのパターンを説明した。彼女は魔導記録石で俺の分析を記録しながら、時折質問を投げかける。

「この結論に至った根拠は?」

「まず、物資輸送の変化。次に、伝令の頻度。そして兵の配置変更——これらを総合すると、彼らは数週間以内に何らかの作戦を計画していると考えられます」

 セリシアは頷き、自分の分析結果と照合を始めた。

「私も同様の結論に達していたわ。だが、あなたは情報の『関連性』を見つけるのが速い」

「ありがとうございます」

「あなた、軍の内部でも情報の流れを観察しているわね?」

 彼女の鋭い指摘に、俺は少し驚いた。

「気づいていたんですか」

「あなたはいつも、誰がどのように情報を扱うか観察している。伝令兵の動き、参謀たちの反応、命令の伝達方法——」

 セリシアは少し身を乗り出して言った。

「あなた、戦場じゃなくても読み合ってるのね」

「そうですね。情報の流れ方、人の動き方——すべてが『牌譜』のようなものです」

「牌譜?」

「タロカの一局の記録です。誰がどの牌を切り、どう動いたか——それを読むことで、次の一手が見えてくる」

 セリシアは少し考え込んだ様子だった。

「軍という組織自体を一つの『卓』として見ているのね」

「正確には、『情報の流れる場』として見ています。誰がどの情報を持ち、どう処理し、どこに伝えるか——その流れを読むことで、全体の動きが見えてきます」

「それは参謀として貴重な視点ね」

 セリシアが敬意を込めて言った。以前のような警戒心はなく、純粋な専門家としての評価だった。

「タロカの卓でも戦場でも、情報を読む本質は変わらないんだ。勝てるなら場所は問わないさ」

 俺は軽く肩をすくめてそう返した。セリシアは小さく笑い、頷いた。

 ***

 その日の夕方、アルヴェン将軍から全参謀への緊急会議の招集があった。会議室に入ると、将軍は厳しい表情でいた。

「諸君、帝国の動きが活発化している。我々の分析によれば、彼らは近々、国境地帯のキブルト村付近で何らかの軍事行動を起こす可能性が高い」

 地図上で示された地点は、俺とセリシアが分析で警戒すべきと指摘していた場所だった。

「現地に偵察部隊を派遣し、状況を確認する。セリシア少佐、君にこの任務を任せたい」

「承知しました、将軍」

 セリシアは頷いた。

「エストガード」

 将軍が俺を指名した。

「君もセリシア少佐に同行せよ。君の『読み』が役立つかもしれん」

「はい、将軍」

 視線を感じて横を見ると、セリシアが俺を見ていた。彼女の表情には、かつての冷たさはなく、むしろ期待のようなものが浮かんでいた。

 会議後、俺は自室に戻り、出発の準備を始めた。老兵から貰ったタロカの牌を小さな布袋に収め、情報分析のノートをまとめる。

「次任務として、小規模な実戦部隊への同行命令が下る」

 そこに書かれた言葉に、俺は微笑んだ。これが初めての実戦任務。偵察といえども、本物の戦場だ。

「今度は、本物の"勝負"か」

 俺は窓の外に広がる夕暮れの空を見上げた。軍に来て二ヶ月。最初は居場所がないと感じた場所で、今は自分の才能が認められつつある。

 前世では麻雀の対局で「読み」を働かせ、この世界では戦場で「読み」を活かす。同じ才能でも、使い方次第でこうも違うものになる。前世では誰の役にも立たなかった特技が、ここでは人の命を救う力になる。その事実に、静かな充実感を覚えた。

 そして次の任務で、本当の意味での「戦」が始まる。