「この度の成功は、私の戦術指導の賜物です」
北部国境での勝利から二日後、前線基地での報告会でグレイ中佐はそう宣言していた。彼は軍規上の指揮官であり、当然ながら功績を自分のものにしようとしていた。
「篝火作戦も私の発案。若きエストガード殿はその実行を補佐してくれました」
俺は黙って立っていた。実際には篝火作戦は自分の案で、グレイ中佐は深夜の伝令を受け取り、ただ「やってみろ」と言っただけだった。だが、軍の上下関係では当然の流れ。俺は特に不満も感じなかった。
「伏兵の存在を示唆したのは、エストガード殿ではありませんでしたか?」
意外な人物からの質問。第三中隊の若い少尉だった。彼は作戦に参加した部隊の一員で、すべての経緯を知っていた。
グレイ中佐は表情を強張らせた。
「もちろん、エストガード殿の観察力も評価に値します。しかし、最終判断を下したのは私です」
「しかし、伏兵の位置まで正確に予測したのは彼ではありませんか? あれがなければ、我々は包囲される危険もあったのです」
少尉の言葉に、他の兵士たちも頷き始めた。前線の兵士たちにとって、命を守ってくれた戦術は単なる名声争いではなく、切実な問題だった。
「確かに彼は見立てをしました。しかし、それは私の戦術判断あってこそ——」
「私はエストガード殿と直接伝令を交わしました」
今度は中隊長が発言した。
「彼から送られてきた伝令には、伏兵の推定位置と、篝火による囮作戦の詳細な指示がありました。グレイ中佐の命令書にそれらの内容はなかったはずです」
場の空気が変わった。軍では階級が重んじられるが、同時に実戦での真実も無視できない。兵士たちの命を守った策が誰のものかは、彼らにとって重要だったのだ。
グレイ中佐は言葉に詰まり、報告会は微妙な空気のまま終了した。
基地を出て、軍本部に戻る馬車の中。俺とセリシアは窓の外の景色を黙って眺めていた。
「あなたは不満を言わなかったわね」
長い沈黙を破って、彼女が口を開いた。
「軍では当たり前のことでしょう。それに、結果として帝国軍の伏兵を撃退できたなら、それでいい」
「功名心がないのね」
「ないわけじゃない。でも、『勝った』という事実は変わらないから」
セリシアは魔導記録石を取り出し、何かを記録し始めた。
「あの石で何を記録しているんですか?」
「戦術判断の過程、結果、検証——すべてを記録している」
彼女は石を見せてくれた。その中には、これまでの作戦の詳細な分析と結果が細かく記録されていた。
「客観的な記録を残すことで、次の戦術に活かす。それが私のやり方よ」
「論理的ですね」
「理論に基づかない戦術など、単なる偶然に頼るギャンブルよ」
俺は小さく笑った。
「でも、戦場には論理だけでは説明できない『流れ』があるんじゃないですか?」
「流れ?」
「はい。人間の心理、場の空気、タイミング——タロカでも、ただ役を揃えるだけじゃなく、相手の心を読む必要があります」
彼女は少し考え込んだ様子だった。
「私はあなたの行動を記録石で再検証したわ」
「え?」
「あなたが伏兵の位置を予測した根拠。最初は単なる直感かと思ったけど、違った」
セリシアは記録石を操作し、俺の行動分析を示した。
「あなたは敵の偵察パターンを分析し、彼らの心理を読み、最も合理的な伏兵位置を導き出していた。それは偶然ではなく、一種の論理だった」
俺は驚いた。それは麻雀でいう「筋」を読む感覚に近く、自分でもそこまで明確には分析していなかったのに、セリシアは俺の思考プロセスを解析していたのだ。
「私はあなたを……再評価する必要があるかもしれないわ」
その言葉に、俺は小さく頷いた。
***
軍本部に戻ると、アルヴェン将軍から直接呼び出しがあった。セリシアと共に司令室に向かう。
「よくやった、エストガード」
将軍は満足げな表情で言った。
「セリシアから詳細な報告を受けた。君の戦術眼は、私が期待した通りだ」
「ありがとうございます」
「将軍」セリシアが前に出た。「彼の判断は単なる偶然や直感ではありません。私の記録石による分析では、明確な論理的思考パターンが確認できました」
将軍は頷いた。
「そう、戦術としての『読み』だな。タロカでの才能と同じものだ」
将軍は机の上の地図を指さした。
「エストガード、君の才能はこれからますます必要になるだろう。帝国の動きが活発化している。次は小さな偵察ではなく、もっと大きな動きがあるかもしれん」
俺は身が引き締まる思いだった。
「セリシア、君は彼の成長を見守ってくれ。論理と直感、理論と実践——両方を持つ参謀こそ、真の戦略家になる」
「はい、将軍」
セリシアは敬礼した。彼女の表情からは、以前のような冷たさが消えていた。
司令室を出た後、セリシアが俺に向き直った。
「あなたの思考を完全に理解したわけではないわ」
「わかってます」
「でも……あなたの『読み』には、確かに戦術としての価値がある」
それは彼女なりの和解の言葉だったのかもしれない。
「“流れ"ってやつも、言葉にすれば通じるのかもな」
俺はそう呟いた。当初は軍でも居場所がないと感じていたが、今日、初めて自分の才能が認められた気がした。
それは勝ちきれなかった前世の麻雀卓とも、うまく使えなかった才能とも、何か違う形で繋がっているような感覚だった。