「王命により、ソウイチロウ・エストガード殿を北方軍補佐官見習いとして召喚する」

 エストガード家の門前で、金色の刺繍が施された軍の正装を身につけた使者が厳かに宣言した。三日前のタロカの集いから数日後のことだった。

 父——養父であるハロルド卿の顔色が変わった。隣で母が小さく息を飲む音が聞こえる。

「これは何かの間違いではありませんか?  息子はまだ十五歳です。軍務に就く年齢ではありません」

 ハロルド卿が怪訝な表情で問いかけた。使者は淡々と続ける。

「アルヴェン将軍の直々の指名です。戦術的才覚が認められたとのこと。明後日までに、北方軍本部への出立準備をお願いいたします」

 公文書が手渡され、使者は礼をして去っていった。

 門を閉めると、家族全員の視線が俺に集まった。

「一体何があったんだ、ソウイチロウ?」

 父の声には困惑と心配が混じっていた。

「ニコラス男爵の館でのタロカの集いで、たまたまアルヴェン将軍と対局したんだ。それだけだよ」

「タロカの腕前で軍に?  それはあり得ない」

 レイナード兄が疑わしげに言った。

「将軍は『この才は戦場でこそ活きる』と言っていた。多分、タロカでの読みが戦術に応用できると思ったんだろう」

 部屋に重い沈黙が流れた。北方軍は対エストレナ帝国の最前線。戦争が起これば、最も危険な場所になる。

「断るわけにはいかない。王命だからな」

 父が溜息をついた。彼は領地を統治する身。王に逆らうことはできない。

「心配するな、父上、母上。補佐官見習いは実戦に出ることはほとんどない。書類仕事が主だろう」

 レイナード兄が慰めるように言った。彼自身も騎士として王国に仕えているため、軍の内情をよく知っている。

「それに、アルヴェン将軍は慕われている人物だ。命令は厳しいが、部下を大切にする」

 母は涙を浮かべながらも、小さく頷いた。

 ***

 翌日から出立準備が始まった。貴族の子息として最低限の装備と服、そして身分を示す紋章入りの小物など。

 出立の準備をしながら、俺は従者たちに一人ずつ挨拶をして回った。正式な養子となってからずっと支えてくれた彼らへの感謝を伝えたかったのだ。一人一人に声をかけ、時に冗談を交わし、時に真剣に感謝を告げる。「坊ちゃんは心が優しいね」と老従者が涙ぐんだのを見て、俺もまた感傷的な気分になった。

 俺は窓辺に座り、タロカの牌を眺めていた。ニコラス男爵からの贈り物だ。「才能を伸ばすように」との言葉とともに送られてきた。

(軍の補佐官見習いか……)

 不安と期待が入り混じる。前世で大学すら行けなかった俺が、この世界では十五歳にして軍の要職に就くことになるなんて。

「未知の世界だな」

 独り言を呟いていると、ノックの音がした。

「入って」

 扉が開き、レイナード兄が入ってきた。彼は明後日に俺を北方軍本部まで護衛することになっていた。

「準備は順調か?」

「ああ、問題ない」

 彼は腰を下ろし、しばらく黙っていた。

「実は忠告がある」

 真剣な表情で、兄が口を開いた。

「軍の世界は、貴族社会以上に厳しい。特に、君のような……若く、特殊な経歴を持つ者には冷たい」

 彼の言葉に頷く。想像はついていた。

「多くの将校たちは軍学校で苦労して階級を上げてきた。そこへ十五歳の『将軍のお気に入り』が入ってくるんだ。反感を買うのは避けられない」

「わかってる。覚悟はしてる」

「それでも行くのか?」

 レイナード兄の問いに、俺は静かに答えた。

「行くさ。ここにいても、俺に何ができる?  剣は振るえず、馬も乗りこなせない。でもタロカなら——」

「タロカと戦場は違う」

「かもしれないし、違わないかもしれない。でも、『読み』があれば、何か役に立てるかもしれない」

 兄は深く溜息をついた後、立ち上がった。

「わかった。明後日、万全の準備で行こう」

 ***

 出立の日。エストガード家の前には小さな馬車が用意されていた。家族との別れを済ませ、荷物を積み込む。

「気をつけるんだぞ、ソウイチロウ」

 父が肩を叩いた。母は涙を堪えながら、「手紙を待ってるわ」と言った。

 馬車に乗り込もうとした時、一人の老兵が近づいてきた。エストガード家に長く仕えている古参の兵士だ。

「坊ちゃん、これを」

 老兵は小さな木箱を差し出した。開けると、中には古いが手入れの行き届いたタロカの牌が入っていた。

「昔、戦場で使っていたものです。『勝負運』があるんで、お守りに」

「ありがとう」

「あんたの『牌』は、もう捨てられねぇよ」

 老兵はそう呟き、下がっていった。その言葉の意味を考えながら、俺は馬車に乗り込んだ。

 北方軍本部へ向かう道中、窓から見える景色は美しかった。だが俺の頭の中は、これから始まる新たな「勝負」でいっぱいだった。

 将軍から任命書を手渡される瞬間を想像する。それは恐怖でもあり、期待でもあった。

「ようやく、俺に合う"卓"が来たかもしれないな」

 そう独白しながら、俺は北へと向かう馬車の揺れに身を任せた。