「将軍アルヴェン閣下が到着されました!」
館の執事の声が響き渡ると、広間の空気が一変した。貴族たちは慌ただしく整列し、敬意を表する態勢を整える。
俺は静かに後方へ下がった。ニコラス男爵の遊戯会が始まって三日目。タロカの腕前が評判になり、今日はさらに多くの貴族たちが集まっていた。だが将軍の訪問は想定外だったようで、主催者も慌てている。
噂では、アルヴェン将軍は以前から若い才能の発掘に熱心だという。王国の将来を見据え、可能性ある若者を軍に取り込もうとしているのだ。
「我が館へようこそ、アルヴェン閣下」
ニコラス男爵が深々と頭を下げる中、堂々とした体格の中年男性が入ってきた。フェルトリア王国北方軍の総司令官、アルヴェン・グランツ将軍。軍の英雄として名高く、戦場での戦術眼は王国一と言われている。
「やむを得ない用件で近隣に来ていた。噂に聞くタロカの集いがあると聞き、少しの間お邪魔させてもらおうと思ってな」
将軍の声は低く、しかし広間全体に届くほど響いた。
「光栄です! ぜひお楽しみください」
ニコラス男爵は喜びを隠せない様子で、最上の席を用意させた。アルヴェン将軍は館内を見渡し、タロカが行われているテーブルに目を留めた。
しかし、男爵の側近の一人が「将軍はタロカの集いについて予め耳にしていたようだ」と小声で話しているのが聞こえた。
「誰か相手をしてくれる者はいるか?」
一瞬、広間が静まり返った。将軍との対局は名誉なことだが、彼の戦術眼はタロカにも表れるという。負ければ恥をかくことになる。
「この少年はどうだ? この数日、無敗と聞いたが」
将軍の視線が俺に向けられた。周囲からどよめきが起こる。
「あ、あの者は……エストガード家の養子でして」
ニコラス男爵が慌てて説明し始めたが、将軍は手を上げて遮った。
「身分は関係ない。タロカに才のある者と打ちたいのだ」
俺は緊張しながらも、静かに前に出た。
「ソウイチロウ・エストガードと申します。光栄です、将軍閣下」
アルヴェンは頷き、席に着くよう促した。広間の人々が見守る中、俺たちの一局が始まった。
最初の配牌で、将軍はにやりと笑った。良い手が入ったのだろう。
「若いな。何歳だ?」
「十五になったばかりです」
「タロカを始めて長いのか?」
「いいえ、この集いで初めて知りました」
その答えに、将軍は眉を上げた。
「たった三日でこの腕前とは」
彼は余裕の表情で牌を操作する。確かに手慣れた動きだ。だが俺は相手の捨て牌の順番、微妙な表情の変化から、彼の手牌を読み始めていた。
(龍の紋章に四と八……炎の紋章に六と九……彼は「龍炎の業」を狙っている)
俺は静かに自分の手を組み立てながら、相手の動きを観察し続けた。
数巡後、将軍の動きが変わった。彼の表情に自信が見える。紋章の揃う「竜炎の業」が完成に近づいているのだろう。
しかし、俺はある牌を切った。
将軍の表情が微かに歪んだ。
(この反応……俺の読みは当たっていた)
俺が切った牌は、将軍が欲しがっていた牌だった。彼は「龍炎の業」を完成させるため、最後の一枚を待っていた。だが俺はそれを見抜き、あえて捨てたのだ。
「ほう……」
将軍が低く呟いた。それまでの子ども扱いする態度が消え、真剣な眼差しになっていた。
その後の展開は、緊張感に満ちたものとなった。俺は将軍の「待ち」を読みながら、自分の手も組み立てていく。相手の牌を拾わせず、かつ自分の完成を急ぐ——。それは麻雀の対局そのものだった。
「タロ」
俺は静かに宣言し、手牌を開示した。「星天の刻」と「風月の詩」の複合役。かなり難しい組み合わせだった。
広間が静まり返った。将軍の手には「龍炎の業」が一歩手前まで完成していた。
アルヴェンは額に汗を浮かべ、しばらく俺の手牌を見つめていた。
「見事だ」
彼はついに口を開いた。
「私が待っていた牌を見抜き、封じた。単なる運ではない」
将軍は立ち上がり、俺を見下ろした。
「この才は、戦場でこそ活きる」
その言葉に、広間がざわめいた。フェルトリア王国北方軍の総司令官が、一地方貴族の養子を認めたのだ。
席を立つ将軍を見送りながら、俺は小さく微笑んだ。
「“戦"か……賭け甲斐がありそうだな」
あの日、雀荘で感じた空虚さ。最後の手牌で感じた未練。それらが今、この異世界で新たな形を見出そうとしていた。
将軍が去った後も、貴族たちの視線が俺に集まっていた。彼らの目には、昨日までとは違う色が宿っていた。