白い。
そう思った瞬間、意識が鮮明になった。
俺は白い空間に立っていた。いや、立っているというより浮いているような感覚だ。体はあるようで、なく、自分自身の存在を確かに感じるのに、手足の感覚はない。
「ここは……」
声を出したつもりだが、音は空間に吸い込まれてしまうような気がした。死んだのか? そうに違いない。トラックに跳ねられた記憶が蘇る。避けきれなかったんだ。
神や仏といった存在は見当たらない。ただ漠然と、「お前は死んだ。だが別の世界で生きる機会を与えよう」という意思のようなものを感じた。
(転生……か)
俺のような凡人がなぜ転生などという特別な扱いを受けるのか疑問だったが、白い空間に浮かぶ身としては、特に文句を言う立場でもなかった。
次に意識が戻った時、俺は柔らかな寝具の上にいた。
「十五歳の誕生日、おめでとう、ソウイチロウ様」
見知らぬ少女の声。目を開けると、茶色の髪をした若い侍女が微笑んでいた。
俺はゆっくりと起き上がり、周囲を見渡した。石造りの部屋。窓から見える景色は、中世ヨーロッパを思わせる建物群。それに、自分の体は……少年のものになっていた。
不思議なのは、まるで生まれてからここまでの記憶が埋め込まれているように、この世界のことを知っていること。そして同時に、前世――日本での記憶も鮮明に残っていることだった。
「朝食が用意されています。そのあと、義兄様が剣術の稽古に誘われていましたよ」
侍女はそう言って部屋を出て行った。
脳内に流れ込む情報によると、ここはフェルトリア王国。俺はソウイチロウ・エストガードという少年で、地方貴族の養子として引き取られていた。
義父母は良くしてくれるけど、居場所がないと感じていた。それは前世と同じだ。どこか疎外感を抱えながら生きる定めなのかもしれない。
「養子か……前世も、こっちも、居場所がない点では一緒か」
そう呟きながら、俺は着替えを済ませ、城塞のような館の食堂へ向かった。
***
「はっ!」
鋭い掛け声とともに、木刀が空を切る。
「ソウイチロウ! そのような腰の入らない振りでは、本当の戦場では一瞬で命を落とすぞ!」
厳しい声で叱責したのは、俺の義兄・レイナード。彼は二十歳で、すでに騎士団の一員として名を馳せていた。今日は休暇で帰宅しており、「弟の鍛錬を」と稽古をつけてくれている。
「すみません、レイナード兄様」
兄様なんて呼び方は本来の俺なら恥ずかしいと思うのだが、この世界では普通のことだ。俺は再び木刀を構えたが、足が滑って転んでしまった。
周囲から笑い声が上がる。同じ領地の貴族の子弟たちが見学に来ており、彼らの目には俺の姿は滑稽に映ったのだろう。
「まただよ」
内心でつぶやく。
「俺には、勝てる戦場がない」
この世界では魔法も使えず、剣の腕も振るわない。乗馬の才能もなく、特別な出自でもない。俺にあるのは前世の記憶だけ。そして麻雀で培った「読み」の感覚。でもそんなもの、この世界では何の役にも立たない。
稽古が終わると、レイナードは俺に近づいてきた。
「気にするな、ソウイチロウ。誰もがすべてを得意になれるわけではない」
彼は優しい兄だった。騎士としての誇りも高く、領民からの尊敬も厚い。そんな彼が、何もできない俺を庇うように言葉をかけてくれる。
「役に立たなくてもいい。お前は我が家の一員だ」
彼の言葉に少しだけ救われた気がした。俺は小さく微笑み、「ありがとう」と呟いた。
レイナード兄は俺を心配そうに見つめた。「何も出来なくても、お前は我が家の一員だ」彼の言葉に少しだけ救われた気がした。この世界にも、俺を気にかけてくれる人がいる。それだけでも、前世よりはましかもしれない。
***
夕食時、館の食堂は普段より賑やかだった。近隣の貴族や騎士たちが集まり、最近の情勢について議論していた。
「北方の国境線での小競り合いは激化している。王都からの使者によれば、軍の増強も検討されているそうだ」
「エストレナ帝国の膨張主義は止まらん。我々の領地も危険だ」
「若者たちの徴用も増えるだろうな。レイナード、お前も出陣することになるだろう」
俺は黙って食事を続けながら、会話に耳を傾けていた。この世界は戦乱の時代。フェルトリア王国とエストレナ帝国の緊張関係は高まるばかりだった。
「勝てば、意味がある……それだけでいいかもな」
ふとそんな考えが頭をよぎった。前世では勝つことに執着しなくなっていた俺。だが、この世界は勝敗がはっきりしている。勝てば生き残り、敗ければ死ぬ。あるいは国が滅びる。その単純明快さに、どこか安心感すら覚えた。
明日は近隣の貴族の館で社交の集いがある。レイナードに連れられて俺も参加することになっている。
「まぁ、養子の俺に何ができるわけでもないけどな……」
そう呟きながら、俺は窓の外に広がる夜空を見上げた。別の世界で、別の人生。どこかで「勝てる場所」はあるのだろうか。