第11話「任務の始まりは不信から」

「あんな若造を連れて行くなんて、冗談じゃない!」 北方軍総司令部の作戦室から、怒鳴り声が漏れてきた。俺は報告書を持って部屋の前まで来たところだったが、ドアの前で足を止めた。 「ブレイク大佐、将軍の命令です」 シバタ大尉の冷静な声が返す。 「命令だろうと何だろうと、15歳の坊ちゃんを最前線に連れて行くなど、狂気の沙汰だ!」 「補佐官殿の観察眼は確かです。前回の偵察任務でも、彼の分析は正確でした」 「偵察と実戦は違う!」 肩身の狭い思いをしながら、俺はドアの前で立ち尽くしていた。どうやら、次の任務について議論しているようだ。前回の偵察任務から一週間が経ち、シバタ大尉から「次は君にも参謀として同行してほしい」と言われていたのだが……。 「何をしている?」 背後から声がして振り返ると、セリシアが立っていた。 「あ……ちょっと」 「会議が始まる前に入らないと」 彼女は俺のためらいを察したようだ。 「中で何か揉めてるみたいで……」 セリシアは小さく溜息をついた。 「またブレイク大佐でしょう。あの人はあなたの抜擢に最初から反対していたの」 「そうなんだ……」 「でも、将軍の決定には従うわ。さあ、一緒に入りましょう」 彼女の言葉に勇気づけられ、俺はドアをノックした。 「どうぞ」 中から声がして、セリシアと共に部屋に入る。作戦室には数名の士官が集まっていた。シバタ大尉、ドーソン少佐、そして赤ら顔の怒り顔の男性——恐らくブレイク大佐だろう。 「失礼します。報告書を持ってきました」 緊張しながら敬礼すると、ブレイク大佐は鼻を鳴らした。 「将軍のお気に入りか。どれほどの腕か見せてもらおうじゃないか」 その敵意のこもった視線に、思わず身構えてしまう。 「ブレイク大佐、会議を始めましょう」 ドーソン少佐が場を取り持ち、全員が机を囲んだ。大きな地図が広げられている。東部国境を示す地図だ。 「では、今回の作戦について説明する」 シバタ大尉が立ち上がり、地図を指した。 「我々の偵察で確認された通り、東部国境での帝国軍の動きが活発化している。彼らは特に、この補給路を狙っていると思われる」 地図上で示された道は、東部前線に物資を運ぶ重要なルートだった。 「この補給路を守るため、小規模な部隊を派遣する。私が指揮を執り、ドーソン少佐、セリシア少尉、そしてソウイチロウ補佐官が参謀として同行する」 ブレイク大佐が再び口を開いた。 「坊ちゃん補佐官を連れて行く意味など全く見出せんな」 「将軍の判断です」シバタ大尉は冷静に返した。「彼の『読み』の力は、敵の動きを予測するのに役立つと」 「『読み』だと? くだらん。戦場は子供のゲームではない」 「それは……」 「もういい」ブレイク大佐は手を振った。「将軍の命令なら従うまでだ。だが、彼が足手まといになれば、すぐに送り返せ」 「はい、大佐」 シバタ大尉は表面上は従順だが、その眼差しには反発が見える。 「任務の詳細に移ろう」 シバタ大尉は地図上の別の点を指した。 「我々はこの丘に陣を構え、下の谷を通る補給隊を警護する。敵の規模は小さい部隊と予想されるが、油断は禁物だ」 「こちらの兵力は?」ドーソン少佐が尋ねた。 「3個小隊、計60名だ」 「十分でしょう」セリシアが頷いた。「帝国軍が大規模部隊を投入するとは考えにくいです」 「そうだな」シバタ大尉は同意した。「では、詳細な配置について議論しよう」 会議は続き、具体的な作戦計画が練られていった。兵の配置、警戒体制、緊急時の対応など、様々な事柄が決められる。 俺は黙って聞いていたが、次第に疑問が湧いてきた。 「すみません」勇気を出して口を開いた。「一つ質問があります」 全員の視線が俺に集中する。特にブレイク大佐の冷ややかな目が痛い。 「なんだ?」シバタ大尉が促した。 「この補給路、なぜ帝国軍はわざわざここを狙うのでしょうか? もっと防備の薄い場所があるはずです」 「それは……」シバタ大尉が少し考え込んだ。 「明らかだろう」ブレイク大佐が口を挟んだ。「ここは最短ルートだ。他のルートは迂回が必要で時間がかかる」 「でも、そうであれば帝国軍も同じことを考えるはずです。つまり、我々が重点的に守ると予測できるはず」 「何が言いたい?」 「この情報は、少し露骨すぎると思います。まるで、わざと我々に気づかせているようなパターンに見えるんです」 部屋が静まり返った。 「子供の妄想だ」ブレイク大佐が鼻で笑った。「情報部の報告は確かだ」 「もっと具体的に説明してくれ」シバタ大尉は真剣に尋ねた。 「はい」俺は地図を指した。「帝国軍の動きがあまりにも目立ちすぎます。偵察でも確認できるほど露骨に部隊を移動させている。これは……」 麻雀での経験を思い出す。相手にわざと牌を見せて、別の手を隠す戦術。 「これは囮ではないかと思います。本当の目標は別にあるのではないか」 「どこだというのだ?」ブレイク大佐が挑むように言った。 「それは……まだわかりません」正直に答えた。「しかし、この流れには違和感があります」 「流れだと?」ブレイク大佐は呆れたように言った。「シバタ、この子供はもういらんだろう」 「いいえ」シバタ大尉は冷静に言った。「ソウイチロウ補佐官の直感は、前回も的中した。無視するわけにはいかない」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第12話「読みと実行のはざまで」

「敵影なし。予定通り補給部隊は通過しました」 朝の報告会で、斥候役の兵が報告を終えた。陽が昇ってから数時間、谷間の補給路に敵の姿はなく、守るべき我が軍の補給部隊は無事に通過した。これだけ聞けば、任務は順調に進んでいるように思える。 「よし、引き続き警戒を怠るな」 シバタ大尉はテントの中で地図を見ながら指示を出す。俺たち参謀はその周りに集まっていた。ドーソン少佐は満足げな表情で、セリシアは冷静に状況を分析している。 「どうやら、帝国軍は今日は動かないようですね」ドーソン少佐が言った。 「いえ、まだわかりません」セリシアは慎重に言った。「彼らが本当に補給路を狙っているなら、今後も警戒が必要です」 「同感だ」シバタ大尉は頷いた。 全員が冷静に状況を見ているようだが、俺の胸の内はモヤモヤしていた。昨日からの違和感がますます強くなっている。 「あの……」 勇気を出して口を開いた。 「何かあるのか、ソウイチロウ補佐官?」シバタ大尉が促した。 「はい。やはり、この状況には違和感があります」 「また始まったか」ドーソン少佐が小さく舌打ちした。 「具体的に何が?」シバタ大尉は真摯に尋ねた。 「敵は一切姿を見せていません。通常、補給路を狙うなら、偵察くらいは出してくるはずです」 「単に、我々の警戒が厳重だからかもしれんぞ」ドーソン少佐が言った。 「それもあるかもしれません。ですが……」俺は自分の感覚を言葉にしようと努めた。「もう一つの可能性として、彼らはそもそもここを狙っていないのかもしれません」 「では、どこを狙っているというのだ?」 「わかりません。ただ……」 俺は麻雀で培った感覚を思い出していた。相手の捨て牌から手の内を読み、次の一手を予測する。今、目の前で起きていることは、まるで相手が意図的に作り出しているパターンのように感じる。 「山の向こう側を調べてみる必要があると思います」 「山の向こう? あそこは我々の管轄外だ」ドーソン少佐が眉をひそめた。 「そうですが、もし敵が迂回して……」 「補佐官」シバタ大尉が遮った。「君の懸念はわかるが、今の我々の任務は補給路の防衛だ。根拠のない推測で兵力を分散させるわけにはいかない」 「でも……」 「十分な警戒は続けるが、任務の範囲内でだ」 シバタ大尉の言葉は優しいが、断固としている。これ以上は聞き入れてもらえないだろう。 「……わかりました」 諦めて下がる俺の背中に、ドーソン少佐の冷ややかな視線を感じた。あの人は最初から俺を信用していない。仕方ないことだが、それでも胸が痛む。 テントを出ると、セリシアが追いかけてきた。 「ソウイチロウ」 「ああ、セリシア少尉」 「あなたの懸念、私にも少しは理解できるわ」彼女は小声で言った。 「本当に?」 「ええ。帝国軍の動きが少し不自然なのは確かよ。でも……」 「でも?」 「軍には命令系統があるの。シバタ大尉の決断に従うしかないわ」 彼女の表情には、少しだけ申し訳なさが見えた。 「わかってる。責めてるわけじゃないよ」 「それならいいけど」セリシアは少し安心したように見えた。「これが軍というものよ。個人の直感だけでは動けない」 「そうだね……」 彼女は軽く頷いて去っていった。後に残された俺は、山の方を見上げた。 (あっちに何かある……そんな気がするんだけどな) *** 昼を過ぎ、陽が傾き始めた頃、俺は一人で丘の上から周囲を観察していた。双眼鏡で谷間や遠くの山を見ても、特に変わった様子はない。 「まだ気にしてるんですか?」 振り返ると、カイルが立っていた。 「ああ……なんとなくね」 「補佐官殿の『読み』ですか?」 「そう言われると照れるけど……そんな感じかな」 カイルは隣に座った。 「俺、信じてますよ」 「え?」 「前回の偵察任務でも、補佐官殿の読みは的中しました。だから今回も」 「ありがとう」素直にお礼を言う。「でも、シバタ大尉は……」 「大尉は大尉で、全体のことを考えなきゃいけないんです」カイルは優しく言った。「でも僕ら下っ端は、もう少し自由に動けますよ」 「どういう意味?」 カイルは小声で言った。 「俺が所属する第三小隊は、今夜の見張り担当なんです。もし補佐官殿が何か指示があれば……」 彼の言葉に、俺は驚いた。まさか、カイルが協力してくれるとは。 「本当に?」 「はい。もちろん、大きなことはできませんが、少し見張りの範囲を広げるくらいなら……」 俺はしばらく考えた。正規の命令に反するようなことはできない。だが、読みが確かなら、何らかの備えは必要だ。 「わかった。少し頼みたいことがある」 二人で小声で話し合い、夜の警戒について計画を立てた。 *** 夕方の報告会でも、敵の動きは報告されなかった。 「予定通り、明日も補給部隊が通過する」シバタ大尉が言った。「引き続き警戒を怠るな」 「補佐官殿の懸念は杞憂だったようだな」ドーソン少佐が皮肉っぽく言った。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第13話「無視された指揮官、評価される補佐官」

「補給基地への奇襲……なるほど」 朝の報告会で、シバタ大尉は地図を見ながら呟いた。夜明けと共に送り出した偵察隊が戻り、重要な情報をもたらしたのだ。 「山の向こう側の村には、我が軍の小規模な補給基地がありました」偵察隊長が報告を続ける。「村民も動員して、明日の大規模補給に備えていたようです」 「そこを奴らは狙っていたのか」 シバタ大尉の表情が引き締まる。昨夜の戦いで敵を撃退したとはいえ、彼らの本来の目的が判明したことで、新たな緊張が走った。 「大尉」ドーソン少佐が口を開いた。「この基地を奪われれば、東部前線全体への補給が滞ります」 「そうだな」シバタ大尉は頷いた。「奴らの本当の狙いはそれだったか……」 テントの中の空気が重くなった。目の前の補給路だけでなく、山の向こうの基地まで守らなければならないという事実に、誰もが表情を引き締めている。 「すぐに山の向こうにも防衛部隊を派遣すべきです」セリシアが提案した。 「だが、ここの防衛も手薄にはできんぞ」ドーソン少佐が反論する。 「では、兵力を分割するか……」 議論が続く中、俺は黙って地図を見ていた。昨夜の戦いで、俺の読みは的中した。帝国軍は確かに迂回路を使って別の場所を狙っていたのだ。でも、彼らはまだ諦めていないはずだ。 「あの……」俺が口を開いた。 全員の視線が俺に集まる。昨夜の戦功もあり、少なくとも露骨な敵意はなくなっていた。 「何かあるか、ソウイチロウ補佐官?」シバタ大尉が促した。 「はい。敵は撤退しましたが、完全に諦めたとは思えません。おそらく態勢を立て直して、再度攻撃してくるでしょう」 「同感だ」シバタ大尉は頷いた。「問題は、どこを狙ってくるかだ」 「二つの可能性があると思います。一つは昨夜と同じ、山を迂回して基地を狙う。もう一つは……」 俺は地図上の別の場所を指した。 「この峠から攻めてくる可能性です。より長い迂回路ですが、我々の警戒が薄いはずです」 「なるほど……」シバタ大尉は考え込んだ。「それなら、両方に備える必要があるな」 「しかし、兵力は足りるのか?」ドーソン少佐が心配そうに言った。 「分散させて薄くなるリスクはある」シバタ大尉は認めた。「だが、どちらかに全力投球して、もう一方を無視するわけにもいかない」 「ではこうしましょう」セリシアが提案した。「主力はここに残し、小隊一つを基地防衛に。そして斥候を峠に配置します」 「妥当な判断だな」シバタ大尉は同意した。「ドーソン少佐、君は主力と共にここに残れ。セリシア少尉、君は小隊を率いて基地の防衛を頼む」 「はっ!」 二人は敬礼した。 「ソウイチロウ補佐官」 「はい!」 「君は私と共に行動してくれ。君の『読み』が必要だ」 「わかりました」 作戦会議が終わり、各自が準備に取りかかる。テントを出ると、セリシアが近づいてきた。 「ソウイチロウ」 「セリシア少尉」 「……昨夜のことだけど」彼女は少し躊躇した。「あなたの判断は正しかった。私が協力しなくて申し訳なかったわ」 珍しく、彼女が謝ってきた。 「いや、気にしないで」俺は首を振った。「君の立場では難しかったよね」 「それでも……」彼女は真剣な表情になった。「次からは、もっとあなたの意見に耳を傾けるわ」 「ありがとう」 素直な彼女の姿に、少し心が温かくなる。 「でも、規律はとても大事。できるだけ正規のルートで進言してね」 「わかってるよ」俺は笑った。「昨日は緊急事態だったから」 「そうね」彼女も少し表情を緩めた。「とにかく、今日も気をつけて」 「君もね」 彼女は軽く頷き、自分の部隊の準備に向かっていった。 *** 昼過ぎ、作戦は開始された。セリシアが率いる小隊は山を越えて基地に向かい、斥候部隊は峠に配置された。残りの主力部隊はドーソン少佐の指揮の下、元の陣地を守る。 俺はシバタ大尉と共に小高い丘に陣取り、双眼鏡で周囲を観察していた。 「昨夜は見事な判断だった」 突然、シバタ大尉が話しかけてきた。 「いえ……カイルたちの協力があったから」 「命令に反する行動だったがな」彼は厳しいが穏やかな口調で言った。 「すみません……」 「いや、責めているわけではない」彼は首を振った。「時に、正規の命令系統を無視してでも、正しいと思うことをする勇気は必要だ」 「大尉……」 「だが、それは結果が伴って初めて評価される」彼は真剣な表情になった。「失敗していれば、厳しい処罰もあり得た」 「はい、理解しています」 「君の『読み』は確かだ。だが、独断専行は極力避けるべきだ。可能な限り、指揮官を説得することだ」 「わかりました」 シバタ大尉の言葉には重みがあった。彼は俺を責めるのではなく、軍人としての在り方を教えてくれているのだ。 「さて」彼は話題を変えた。「敵の次の動きをどう読む?」 「はい……」 俺は周囲を見渡しながら考えた。麻雀では、相手の捨て牌から手の内を読む。それと同じように、敵の行動から次の一手を予測する。 「昨夜の失敗で、敵は我々の警戒レベルを知りました。今後は更に慎重になるでしょう」 「同感だ」 「そうなると……」俺は地図を見た。「峠からの迂回路を使う可能性が高い。時間はかかりますが、最も安全です」 「なるほど」シバタ大尉は頷いた。「だが、そこにも斥候を置いている。気づかれるリスクがあるぞ」 「はい。だから敵は……」 その時、遠くから馬のひづめの音が聞こえた。 「来たか!」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第14話「もう一つの賭け」

「無事に戻ってきたな」 北方軍総司令部の大広間で、アルヴェン将軍はシバタ大尉の報告を聞き終えると、満足げに頷いた。任務から戻った我々は、将軍に直接報告を行っていたのだ。 「はい。補給基地は守り、敵を撃退しました」 シバタ大尉が敬礼すると、将軍は俺たちの方に視線を向けた。 「ソウイチロウ補佐官、セリシア少尉、ドーソン少佐。諸君の働きぶりも報告書に詳しく記されている。よくやった」 「ありがとうございます」 三人同時に敬礼した。将軍の視線が特に俺に向けられていることを感じる。 「ソウイチロウ」将軍が俺を呼んだ。「君の『読み』が今回の作戦を成功に導いたと聞いた」 「いえ、皆の協力があってこそです」 謙遜するものの、内心では誇らしさを感じていた。 「シバタ大尉の報告によれば、君は敵の動きを正確に予測し、囮作戦も実行したそうだな」 「はい……」 「初めての実戦でよくやった」将軍は温かい目で言った。「だが、規律を無視した行動は慎むように」 「申し訳ありません」 「結果が全てではない」将軍は厳しくも優しい口調で続けた。「次からは正規のルートで進言するように」 「はい、肝に銘じます」 「よし」将軍は全員に向き直った。「諸君は休息を取るがよい。数日間の休暇を与える」 「ありがとうございます!」 全員が敬礼し、解散した。大広間を出ると、シバタ大尉が俺の肩を叩いた。 「よかったな。将軍も君の才能を高く評価している」 「ありがとうございます」 「数日の休暇、ゆっくり体を休めるといい」シバタ大尉は穏やかに言った。「次の任務はもっと重要になるかもしれんからな」 「はい」 シバタ大尉は会釈して去っていった。ドーソン少佐も無言で頷くと、別の方向へ歩いていく。残ったのは俺とセリシアだけだ。 「よかったわね」セリシアが言った。「将軍の評価は高いわよ」 「そうみたいだね」 「私も久しぶりに休暇ね」彼女は少し考え込むように言った。「何をしようかしら」 「僕は……たぶん寝るかな」 緊張の連続だった日々を思い返し、ふと疲れを感じた。セリシアは少し笑った。 「あなたらしいわ。でも、確かに休息は大事ね」 「セリシアは何をするの?」 「私?」彼女は少し考えて答えた。「図書館で軍事書を読むかもしれないわ」 「休暇なのに?」 「知識は力よ」彼女はきっぱりと言った。「特に、あなたのような天性の才能に負けないためには」 「競争してるわけじゃないよ」 「わかってる。でも、私も役に立ちたいの」 彼女の真摯な表情に、少し心が動いた。セリシアは本当に真面目だ。 「じゃあ、また数日後に」 「ええ、お互い体を休めましょう」 二人は別れ、それぞれの方向へ歩いていった。 *** 「はぁ〜、やっと一息つける」 自分の部屋に戻ると、俺は文字通りベッドに倒れ込んだ。北方軍総司令部に来てから最も激しい数日間だった。実戦、敵との戦闘、そして自分の判断が人の命を左右するという重圧。 「前世じゃ、こんな経験絶対なかったよな……」 天井を見つめながら、前世の記憶が蘇る。高校生活、麻雀部の仲間たち、そして受験失敗。あの頃の自分からは想像もできなかった展開だ。 「あの時は麻雀しか取り柄がないって思ってたけど……」 皮肉なことに、その麻雀が今の自分を支えている。卓上の勝負で培った読みの感覚が、戦場で役立つとは。 ノックの音がして、考えが中断された。 「はい?」 ドアを開けると、カイルが立っていた。 「失礼します、補佐官殿」 「カイル、どうしたの?」 「兵たちが、お礼を言いたいそうです」彼は少し照れたように言った。「今晩、兵舎で小さな宴を開くんですが、よかったら……」 「宴会?」 「はい。本当は軍規に反するんですが……」カイルは小声で言った。「特別な夜なんです。補佐官殿がいなければ、あの戦いは勝てなかったかもしれない」 彼の誘いを断る理由はない。それに、兵士たちと交流を深めるのも悪くないだろう。 「わかった、行くよ」 「本当ですか?」カイルの顔が明るくなった。「ありがとうございます! 夜9時、第三兵舎でお待ちしています」 彼は嬉しそうに去っていった。俺は少し微笑んで、再びベッドに横になった。 (宴会か……楽しみではあるけど、ちょっと緊張するな) 麻雀部の打ち上げとは違う雰囲気だろう。それでも、命を分かち合った仲間との時間は特別なはずだ。 *** 夕食を終え、俺は第三兵舎へと向かった。夜の司令部は静かで、歩哨以外の人影はまばらだ。 第三兵舎に近づくと、中から抑えられた笑い声や話し声が聞こえてきた。扉を叩くと、すぐにカイルが出てきた。 「補佐官殿! お待ちしていました」 彼に導かれて中に入ると、約20人の兵士たちが輪になって座っていた。俺の姿を見るなり、全員が立ち上がって敬礼した。 「お、お休みください」 慌てて言うと、彼らは笑顔で座り直した。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第15話「認められた場所」

「朝からこんなに緊張するなんて、雀荘の店舗対抗戦以来だよ……」 作戦室に向かう廊下で、俺は小さく呟いた。昨日の休暇を終え、今日から任務再開。シバタ大尉からの伝言通り、朝9時に作戦室に集合することになっている。 昨夜は眠れなかった。フェリナとの一件もあるが、それ以上に、初めての実戦任務の結果がどう評価されるのか気になって仕方なかったのだ。 作戦室の前まで来ると、ドアの前で足が止まった。深呼吸をして、ノックをする。 「入れ」 アルヴェン将軍の重厚な声が響いた。 ドアを開けると、予想以上に多くの人が集まっていた。アルヴェン将軍を中心に、シバタ大尉、セリシア、ドーソン少佐、そして何人かの上級士官たち。全員が俺を見ている。 「あ、おはようございます」 思わず声が上ずった。 「おはよう、ソウイチロウ」アルヴェン将軍が穏やかに言った。「時間通りだな」 「は、はい……」 緊張のあまり、視線がさまよう。セリシアは冷静な表情で軽く頷いた。ドーソン少佐はいつもより柔らかい表情をしている。そして、部屋の隅に……フェリナがいた! 彼女と目が合った瞬間、二人とも顔を赤らめて視線をそらした。昨夜の一件が鮮明によみがえる。 「どうした? 具合が悪いのか?」将軍が訝しげに尋ねた。 「い、いえ! 大丈夫です!」 慌てて答える。フェリナの存在に動揺していることを悟られたくない。 「よし」将軍は満足げに頷いた。「では本題に入ろう」 将軍は机の上の報告書を手に取った。 「シバタ大尉から詳細な報告を受けた。補給路防衛任務は見事に成功したようだな」 「はい」シバタ大尉が答えた。「敵の奇襲を事前に察知し、被害を最小限に抑えることができました」 「そして、その功績の大半がこの若き補佐官にあると」 将軍の視線が俺に向けられた。部屋の空気が凛と引き締まる。 「い、いえ、皆の協力があってこそです」 思わず謙遜してしまう。だが、シバタ大尉はきっぱりと言った。 「そうですが、ソウイチロウ補佐官の『読み』がなければ、我々は敵の奇襲に気づけなかったでしょう」 「報告によれば」将軍は報告書に目を落とした。「彼は敵の動きの不自然さを察知し、独自の判断で警戒範囲を広げた。その結果、敵の奇襲を未然に防いだ」 部屋の中で数人の士官がざわめいた。中には不満そうな顔をしている者もいる。 「さらに翌日の戦いでも、敵指揮官を見抜き、効果的な対策を講じた」 将軍は報告書を置き、俺をまっすぐ見た。 「ソウイチロウ・エストガード」 「は、はい!」 思わず直立不動の姿勢になる。 「私は君を、北方軍の正式な補佐官に任命する」 衝撃が走った。見習いではなく、正式な補佐官。それは地位も責任も大きく変わることを意味する。 「あ、ありがとうございます!」 緊張のあまり、声が裏返りそうになった。 「これは恩赦ではない」将軍は厳格に言った。「君の実力を認めての任命だ。今後も北方軍の勝利のために、その才覚を発揮してもらいたい」 「はい! 全力を尽くします!」 俺が敬礼すると、シバタ大尉も満足げに頷いた。一方、部屋の隅では数人の士官が小声で何かを話し合っている。明らかに不満そうな様子だ。 「何か意見があるなら、堂々と述べよ」 将軍の声が鋭く響いた。士官たちはハッとしたように黙り込んだ。 「バロン大佐、君は何か言いたいことがあるようだな?」 白髪混じりの厳つい大佐が一歩前に出た。 「失礼します、将軍」彼は低い声で言った。「あまりにも唐突な昇進ではないでしょうか。彼はまだ軍に来て日が浅く、経験も浅い。もう少し様子を見るべきでは」 部屋の空気が凍りついた。 「バロン大佐」将軍は穏やかな口調ながらも、威厳を持って答えた。「軍において最も重要なのは何だ?」 「規律と経験です」 「半分は正しい」将軍は頷いた。「だが、もう一つ重要なものがある。それは『結果』だ」 将軍は立ち上がり、部屋の中を歩き回り始めた。 「ソウイチロウ補佐官は確かに若く、経験も浅い。だが、彼は実戦で結果を出した。敵の動きを読み、被害を最小限に抑え、勝利に導いた。これ以上の証明が必要だろうか?」 バロン大佐は言葉に詰まった。 「私は才能を見逃さない」将軍は断固として言った。「彼の才能は特別だ。それを活かさない手はない」 バロン大佐は渋々頭を下げた。 「……承知しました」 将軍は再び俺に向き直った。 「正式な辞令は後ほど渡す。これからはより大きな責任を負うことになるが、恐れることはない。我々が支える」 「ありがとうございます」 胸がいっぱいになる感覚。前世では麻雀しか取り柄がなかった俺が、この世界では重要な地位を得た。不思議な感覚だ。 「会議は以上だ」将軍が言った。「諸君、解散」 全員が敬礼し、部屋を出ていった。俺も退室しようとしたとき、将軍が声をかけた。 「ソウイチロウ、セリシア、少し残ってくれ」 二人は足を止め、他の士官たちが部屋を出るのを待った。フェリナも去っていく。彼女とはまだちゃんと話せていない。 部屋が静かになると、将軍は少し表情を和らげた。 「正直に言うと、反対意見は他にもあった」彼は苦笑した。「君の年齢や経歴を問題視する声は少なくない」 「それは……理解できます」俺は素直に答えた。 「だが、私はそれを押し切った」将軍は真剣な眼差しで言った。「君の才能は、この戦局を変える可能性を秘めている」 「そんな大げさな……」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第16話「勝ち続けた代償」

「これで四連勝か……」 作戦室を出る際、俺は思わず小声で呟いた。今日も小規模な国境警備作戦が成功し、帝国軍の偵察部隊を撃退した。先日の正式補佐官への任命から一ヶ月が経ち、俺の手がけた作戦はすべて成功している。 「お前の『読み』はマジですげぇな」 隣を歩くカイルが肩を叩いてきた。今ではすっかり気安い仲だ。 「そんなことないよ」 謙遜しながらも、内心では満足感を覚えていた。前世では雀荘で連勝することもあったが、この世界での連勝は人々の命を救う結果に直結する。その重みは比べものにならない。 「いや、本当にすごいよ」カイルは真摯に言った。「あんな風に敵の動きを予測できるなんて。今日の伏兵の配置だって完璧だった」 「運が良かっただけさ」 「運じゃねぇよ」カイルは少し呆れ顔で言った。「兵たちの間じゃ『戦術の神童』なんて呼ばれてるんだぜ?」 「やめてよ、照れるじゃん」 廊下の曲がり角で、シバタ大尉とバロン大佐が話しているのが見えた。バロン大佐は依然として俺に対して批判的だ。彼らに気づかれないよう、足を止める。 「あの補佐官は確かに才能がある」バロン大佐の低い声が聞こえてきた。「だが、あまりに順風満帆すぎる。本当の試練を経ていない」 「彼は実戦で結果を出している」シバタ大尉が冷静に反論した。 「連戦連勝は必ずしも良いことではない」バロン大佐は厳しい口調で言った。「特に若い指揮官にとっては。過信を生む」 二人は歩き去り、声が聞こえなくなった。 「気にするなよ」カイルが言った。「バロン大佐はいつもそうだ。どんな若手にも厳しい」 「うん……」 だが、その言葉は心に引っかかった。本当の試練? 過信? 俺はそんなふうになっているのだろうか。 「あ、俺はここで戻るわ」カイルが言った。「また明日」 「ああ、またな」 一人になった俺は、司令部の中庭に足を向けた。夕暮れ時の静かな空間で、少し考えをまとめたかった。 中庭のベンチに座ると、最近の作戦を振り返る。確かに、すべて成功している。帝国軍の動きを読み、先手を打ち、最小限の犠牲で勝利を重ねてきた。誰もが俺の才能を認め始めている。 (麻雀でこんなに連勝したら、絶対にのぼせ上がってたよな……) 前世の記憶が蘇る。高校生の頃、県大会で準優勝したときの浮かれた気分。だが、その後すぐに調子を崩し、大会での惨敗。そして焦りから勉強をおろそかにし、受験に失敗した。 「あら、こんなところで何をしているの?」 突然の声に顔を上げると、セリシアが立っていた。 「ああ、セリシア」 彼女は隣に座り、夕焼けを見上げた。 「今日の作戦も成功だったわね。おめでとう」 「ありがとう。君の分析があったからこそだよ」 セリシアは少し笑った。最近は二人の間にも自然な空気が流れるようになっていた。 「作戦会議ではバロン大佐の表情が険しかったわね」 「ああ……さっき廊下で聞いちゃったんだ」俺は素直に告白した。「俺が『過信』していると言ってた」 「バロン大佐は経験豊富な指揮官よ」セリシアは静かに言った。「彼の言葉には一理あるかもしれないわ」 「君もそう思う?」 セリシアはしばらく黙っていたが、やがて真摯な表情で俺を見た。 「率直に言うと……あなた、少し勝ちに慣れすぎているんじゃないかしら」 その言葉に、少し心が痛んだ。 「勝ち慣れたらまずいのか? 勝てばいいんだろ?」 思わず反発するような言い方になった。セリシアは少し眉をひそめた。 「勝つことは大事よ。でも、勝ち方も重要」彼女は冷静に言った。「最近のあなたは、少し荒っぽくなっている気がする」 「荒っぽい?」 「ええ」彼女は真摯に続けた。「先週の北峠の作戦では、偵察隊を危険な位置に配置したわ。結果的には敵を発見できたけど、もし読みが外れていたら……」 言葉が胸に刺さった。確かに、最近は「勝てる」という自信から、少し大胆な作戦を取るようになっていた。 「みんなは私の判断を信頼してくれてるから……」 「そうよ。だからこそ、より慎重になるべきじゃないかしら」 風が吹き、セリシアの髪が揺れた。その横顔は厳しくも優しい。 「ごめん」素直に謝った。「少し調子に乗ってたのかもな」 「謝らなくていいわ」彼女は表情を和らげた。「あなたの才能は本物。だからこそ、それを最大限に活かせるように……」 「わかってる」俺は頷いた。「もっと慎重になるよ。約束する」 セリシアは安心したように微笑んだ。 「そういえば」彼女は話題を変えた。「明日、大きな作戦会議があるわ。東部国境での新たな任務について」 「東部? あそこは最近帝国軍の動きが活発だって聞いたけど」 「ええ」彼女は少し表情を引き締めた。「情報によれば、向こうにはかなり強力な指揮官がいるらしいわ」 「名前は?」 「ラドルフという男よ」セリシアは静かに言った。「『赤眼の魔将』と呼ばれているわ」 「赤眼……?」 「噂では、彼の指揮する部隊は異様なほど統制がとれているらしい」セリシアは続けた。「まるで操り人形のようだと」 何か不吉な予感がした。今までとは違う種類の敵のようだ。 「フェリナなら、もっと詳しいことを知ってるかもしれないわ」セリシアが言った。「彼女はエストレナ帝国の出身だし」 「そうだね、聞いてみよう」 二人は立ち上がり、司令部へと戻った。夕焼けが徐々に深まり、空が赤く染まっていく。なぜか、その赤さが「赤眼の魔将」という言葉と重なって見えた。 *** 翌朝、大会議室に幹部たちが集まった。アルヴェン将軍を中心に、各部隊の指揮官や参謀たちが着席している。俺とセリシアも席に着いた。 「諸君」将軍が会議を始めた。「東部国境の状況が緊迫している。帝国軍の大規模な移動が確認された」 壁に掛けられた大きな地図を指し示しながら、将軍は説明を続けた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第17話「戦場に降る声」

朝靄が立ち込める中、サンガード要塞の東側高台に立ち、俺は双眼鏡で前方を観察していた。今日から大規模な防衛作戦が始まる。帝国軍の動きはまだないが、情報によれば彼らは既にレイクバレーを出発し、こちらに向かっているという。 「準備はいいか?」 背後からシバタ大尉の声がした。 「はい」俺は振り返って答えた。「各拠点への伝令も済ませました」 「よし」大尉は頷いた。「初めての大規模戦だが、臆することはない。これまでと同じように」 「わかっています」 言葉では強がっても、正直、緊張していた。これまでの任務は小規模なものばかり。今回は要塞全体の防衛という大きな責任がある。しかも相手は評判高い「赤眼の魔将」ラドルフだ。 「セリシアはどこだ?」 「西側の観測ポイントにいます」俺は答えた。「フェリナもそこで情報収集中です」 シバタ大尉は頷き、要塞の方を見た。サンガード要塞は東部国境の要所で、石造りの巨大な城壁と複数の塔、そして広大な中庭を持つ。約500名の兵士が配備され、我々のほか、グレイスン大佐率いる部隊も駐留している。 「あの子に頼りすぎるなよ」シバタ大尉が突然言った。 「え?」 「フェリナだ」彼は真剣な表情で言った。「彼女のラドルフに関する情報は貴重だが、彼女自身もラドルフに対して客観性を失っている可能性がある」 「何か因縁があるんですか?」 「詳細は知らん」大尉は首を振った。「だが、彼女の眼に憎しみを見た。個人的な恨みがあるようだ」 フェリナとラドルフ……二人の間に何があったのだろう。昨日、彼女から詳しい話を聞こうとしたが、彼女は大事な部分を語りたがらなかった。 「そろそろラーティス准尉が偵察から戻るはずだ」シバタ大尉が言った。「彼の報告を聞いてから次の手を考えよう」 「はい」 ラーティス准尉は優秀な斥候で、今朝早くに敵の動きを確認するため派遣された。彼の報告は作戦の第一歩となる。 シバタ大尉が去った後、俺は再び双眼鏡で前方を観察した。朝靄の向こうには広大な草原が広がっている。そこを敵が進軍してくるはずだ。 (どんな手を打ってくるんだろう……) 不安と期待が入り混じる感情。初めての大規模戦での役割は重大だ。ここで結果を出せば、俺の地位はさらに確固たるものになる。しかし、失敗すれば……。 「ソウイチロウ!」 声の方を振り返ると、セリシアが急いでやってきた。 「どうした?」 「ラーティス准尉が戻ってきたわ」彼女は息を切らせて言った。「作戦室に集合よ」 二人で急いで要塞内の作戦室に向かった。そこにはシバタ大尉、グレイスン大佐、そして汗と土にまみれたラーティス准尉がいた。 「報告します」ラーティス准尉は緊張した面持ちで言った。「敵軍はレイクバレーを出発し、現在シルバーウッド森を抜けて進軍中です。予想では正午頃に前線に到達するでしょう」 「兵力は?」グレイスン大佐が尋ねた。 「少なくとも2000。騎兵、歩兵、弓兵がバランスよく配置されています」 「2000……」グレイスン大佐は眉をひそめた。「こちらは約800だ。厳しい戦いになるな」 「編成の特徴は?」シバタ大尉が尋ねた。 「異様なほど整然としています」ラーティス准尉は言った。「進軍中なのに一切の乱れがない。まるで一つの生き物のようです」 まさにフェリナが言っていた通りだ。ラドルフ率いる軍は通常の軍隊とは違う。 「ラドルフの姿は?」俺が尋ねた。 「確認できませんでした」准尉は首を振った。「ただ、中央に赤い軍旗があり、そこに指揮部があると思われます」 シバタ大尉とグレイスン大佐は地図を広げ、防衛計画を確認し始めた。 「要塞の正面に主力を配置」グレイスン大佐が言った。「北と南の小拠点にも各100名ずつ配備済みだ」 「敵の接近経路は?」シバタ大尉が尋ねた。 「主に中央ルートです」ラーティス准尉が答えた。「ただ、小部隊が北側にも展開している様子が見られました」 「北側の小拠点が狙われるかもしれないな」 俺は地図を見ながら考えた。通常なら、敵は圧倒的な兵力を活かして正面突破を狙うはずだ。しかし、ラドルフならば……。 「大尉」俺は慎重に言った。「敵の中央部隊は囮かもしれません。本当の攻撃は北か南から」 「可能性はあるな」シバタ大尉は考え込んだ。「グレイスン大佐、北側小拠点への増援は可能か?」 「今すぐに50名ほど送れる」大佐は答えた。「だが、これ以上は要塞の防衛が薄くなる」 「では、とりあえず50名の増援を」シバタ大尉は決断した。「そして……」 作戦の詳細が決められていく。俺とセリシアも意見を出し、敵の動きを予測しながら最善の防衛策を練った。準備が整い、各自が持ち場に向かう時が来た。 「ソウイチロウ」シバタ大尉が呼んだ。「お前は北の小拠点の指揮を任せる。セリシアも同行だ」 「はっ!」 重要な役割を任されたことに、緊張と責任感が高まる。 「敵の動きを見て、適切に対応せよ」大尉は真剣な表情で言った。「だが、無謀な判断はするな。必要なら本隊に援軍を要請しろ」 「わかりました」 俺とセリシアは北の小拠点に向かう準備を始めた。約150名の兵を率いることになる。 *** 北の小拠点は要塞から約1キロ離れた丘の上にある石造りの砦だ。本来は見張り台として建てられたものだが、今は防衛拠点として機能している。 俺たちが到着すると、すでに100名の兵士が配備されており、要塞からの増援50名も合流した。俺は速やかに指揮を執り、防衛体制を整えた。 「北側の森を警戒して」俺は指示を出した。「敵が来るとしたら、あの森を抜けてくるはずだ」 セリシアは砦の上から双眼鏡で周囲を観察している。 「まだ敵影なし」彼女が報告した。「でも、鳥の様子が変だわ」 「鳥?」 「ええ」彼女は森を指差した。「通常、あの辺りには小鳥がたくさんいるのに、今日は静かすぎる」 鋭い観察眼だ。確かに、普段なら鳥のさえずりが聞こえるはずの森が、今日は異様に静かだった。 「敵が潜んでいる可能性があるな」 俺は警戒を強化するよう命じた。弓兵を砦の上に配置し、騎兵部隊は緊急出動の態勢を整えた。 正午が近づくにつれ、緊張が高まる。要塞の方角から遠くの喧騒が聞こえ始めた。どうやら本隊への攻撃が始まったようだ。 「始まったか……」セリシアが呟いた。 俺は砦の壁を登り、要塞の方を見た。遠くで戦闘の様子が見える。帝国軍の旗が風になびき、戦いの音が断片的に届く。 そのとき、北側の森から微かな動きが見えた。 「敵だ!」俺は叫んだ。「全員、戦闘態勢!」 森から帝国軍の一部隊が姿を現した。黒と赤の軍服に身を包んだ兵士たち。その数、およそ300。こちらの倍だ。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第18話「赤眼の男」

夜明け前、要塞内は緊張した空気に包まれていた。昨日の敗北から立て直すべく、早朝から指揮官たちが集まり、作戦会議が行われていた。 「現状を整理しよう」 シバタ大尉が大きな地図を広げながら言った。作戦室には俺とセリシア、グレイスン大佐、そして数名の士官たちが集まっていた。 「昨日、北と南の前進拠点を失った。現在、敵は要塞を三方から包囲している状態だ」 地図上に敵の位置が示される。帝国軍は要塞の周りに効率的に配置され、我々の動きを封じていた。 「敵の総数は約2000、こちらは残り約600」シバタ大尉は厳しい表情で続けた。「数の上では不利だが、要塞の壁があるかぎり持ちこたえられる」 「問題は補給だな」グレイスン大佐が言った。「このままでは一週間が限度だ」 確かに補給は深刻な問題だ。敵に包囲された状態では、食料や医薬品、武器の補充ができない。 「ソウイチロウ補佐官」シバタ大尉が俺を見た。「君の意見を聞かせてくれ」 全員の視線が俺に集まる。昨日の敗北で自信を失ったが、今は立ち直るしかない。 「昨日の戦いで、ラドルフの戦術の特徴が見えてきました」俺は冷静に語り始めた。「彼の軍は完全に統制されています。それは強みでもあり、弱点でもあります」 「弱点?」グレイスン大佐が眉を上げた。 「はい」俺は頷いた。「あれほど完璧な統制には限界があるはずです。フェリナ情報将校によれば、ラドルフの『支配』には範囲の制限があると」 「なるほど」シバタ大尉が理解を示した。「つまり、彼の注意を分散させれば……」 「そうです」俺は地図を指さした。「小規模な奇襲部隊を複数編成し、敵の陣地を撹乱する。彼らが混乱している間に、我々の主力が突破口を開く」 作戦室が静まり返った。皆、俺の提案を検討している。 「危険な賭けだな」グレイスン大佐が言った。「奇襲部隊は高い確率で戻ってこれない」 「はい」俺は正直に認めた。「しかし、このまま包囲されても同じ結果です。打開策が必要です」 シバタ大尉はしばらく考え込んでいたが、やがて決断を下した。 「採用しよう。だが、奇襲部隊は志願者のみで編成する。強制はしない」 俺は安堵の息を吐いた。作戦が採用されたことに安心したが、同時に重い責任も感じる。この作戦で多くの命が失われる可能性もあるのだから。 「では、具体的な計画を立てよう」 作戦の詳細が議論される中、俺はセリシアと共に奇襲部隊の編成と行動計画を練った。三つの小部隊を編成し、それぞれ別方向から敵陣に侵入。敵の注意を引く間に、主力部隊が南側から突破を試みる。 会議が終わり、作戦の準備が始まった。俺は奇襲部隊の志願者募集に立ち会った。危険な任務だと説明したにもかかわらず、多くの兵士が名乗り出てくれた。彼らの勇気に、胸が熱くなる。 「では、作戦開始は正午だ」シバタ大尉が最終確認をした。「それまでに準備を整えよ」 「はっ!」 全員が敬礼し、各自の持ち場に散っていった。 *** 準備の終わった俺は、要塞の城壁の上から敵陣を観察していた。朝日が昇り、徐々に戦場全体が明るくなっていく。敵は整然と配置され、要塞を包囲している。中央には赤い旗が見える。ラドルフの指揮所だ。 「準備はできたわ」 背後からセリシアの声がした。彼女は昨日より冷静な表情をしていた。 「ありがとう」俺は振り返って言った。「奇襲部隊は?」 「全て整っています」彼女は報告した。「各20名、計60名が準備完了です」 60名の勇敢な兵士たち。彼らは自分たちの命を賭けて、突破口を開こうとしている。 「主力突破部隊は?」 「シバタ大尉が直接指揮します」彼女は言った。「約200名で編成されています」 残りの兵力は要塞の防衛に残る。綱渡りのような作戦だが、これしか打開策はない。 「セリシア」俺は少し言いづらそうに切り出した。「昨日は、俺の判断が甘かった。北の拠点を失ったのは俺の責任だ」 セリシアは少し驚いた表情をしたが、すぐに柔らかな目で俺を見た。 「誰にでもミスはあるわ」彼女は優しく言った。「それに、ラドルフは尋常な相手じゃない。誰が指揮していても、似たような結果になったと思うわ」 彼女の言葉に少し救われた気がした。 「ありがとう」俺は微笑んで言った。「でも、今日は絶対に勝つ。昨日の敗北を取り返すために」 「ええ」セリシアも決意を込めて頷いた。「私も全力で支援するわ」 二人で戦場を見つめていると、フェリナが近づいてきた。 「そろそろ時間です」彼女は緊張した面持ちで言った。「奇襲部隊が出発準備を整えています」 「わかった」俺は頷いた。「行こう」 三人で城壁を降り、中庭に集まった奇襲部隊の兵士たちのもとへ向かった。彼らは軽装備で、素早く移動できるよう準備している。その表情には緊張と決意が混じっていた。 シバタ大尉が彼らに最後の訓示を行っていた。 「諸君の勇気に敬意を表する」大尉は厳かに言った。「任務は単純だ。敵陣に侵入し、できるだけ混乱を起こせ。我々の主力が突破口を開くために必要な時間を稼ぐのだ」 兵士たちは固く頷いた。 「できれば全員の生還を望む」大尉は続けた。「だが、それが困難なことも承知している。諸君の名は、王国の歴史に刻まれるだろう」 厳粛な空気が流れる中、俺も彼らに向かって一言述べた。 「皆さんの勇気に感謝します」俺は心を込めて言った。「今日の作戦は俺が立案しました。皆さんの命を預かる責任を、重く受け止めています」 兵士たちの目に力が宿るのを感じた。 「敵は強いですが、必ず弱点があります」俺は続けた。「ラドルフの『支配』には限界がある。その隙を突けば、必ず勝機はあります」 最後の挨拶が終わり、奇襲部隊は三手に分かれて要塞の秘密の出口から出発していった。彼らは敵に気づかれないよう、慎重に動く。作戦の成否は彼らの手にかかっている。 「これで第一段階は完了だ」シバタ大尉が言った。「あとは時間との勝負だな」 俺たちは城壁に戻り、事態の推移を見守った。奇襲部隊は要塞の周囲の茂みや起伏を利用して、敵陣へと近づいていく。 約一時間後、北側で最初の動きがあった。突如として敵陣に混乱が生じ、黒煙が上がった。 「始まったか!」シバタ大尉が双眼鏡で確認した。「北の奇襲部隊が動いたぞ!」 続いて東、そして西からも同様の混乱が発生した。奇襲部隊が敵陣の補給車両や武器庫に火を放ったようだ。 「よし、敵が動いた!」大尉が喜びの声を上げた。「南側の敵が手薄になった!」 計画通り、敵は三方向からの奇襲に対応するため、兵力を分散させた。南側の包囲網が薄くなったのが見える。 「主力突破部隊、出撃!」 シバタ大尉の命令で、200名の主力部隊が要塞の南門から一斉に出撃した。彼らは敵の薄くなった包囲網を突破し、脱出路を確保しようとしている。 「行けっ!」 思わず声が漏れた。作戦は今のところ順調だ。敵は混乱し、我々の主力が突破しようとしている。 しかし、その時だった。 中央の赤い旗の下で、一つの動きがあった。赤い甲冑に身を包んだ騎士が前に出て、何かの合図を出した。 「あれはラドルフ!」セリシアが声を上げた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第19話「死者たちの夜」

夜の野営地は、沈黙に包まれていた。戦いは一時休止し、兵士たちは明日に備えて休息を取っている。だが、その空気は重く、喪失感に満ちていた。 俺は医務室のテントで、負傷者のリストを手に取っていた。今日の戦いで100名以上の兵が失われ、さらに多くの負傷者が出た。その名簿を読み上げる手が、微かに震えている。 「スタークス、重傷、右腕切断……」 「ウィリス、中傷、腹部裂傷……」 「ホーガン、重傷、肺に矢、危篤……」 一つ一つの名前が、心に重くのしかかる。彼らは俺の作戦で傷ついた。その責任は、俺にある。 「まだ起きていたのね」 テントの入り口が開き、セリシアが入ってきた。彼女の表情は疲れていたが、それでも冷静さを保っていた。 「ああ」俺は名簿から顔を上げずに答えた。「負傷者のリストを確認してるんだ」 セリシアは黙って俺の隣に座った。 「自分を責めてるのね」 鋭い指摘に、少し身を縮めた。 「当然だよ」俺は静かに言った。「俺の作戦で、皆が傷ついた。カイルたちは……戻ってこなかった」 セリシアはしばらく黙っていたが、やがて優しく言った。 「これも戦争よ」 その言葉に、思わず顔を上げた。 「戦争では、誰かが命令を下し、それに従って兵士たちが戦う」彼女は冷静に説明した。「そして必ず、犠牲は出る。それが避けられないことは、軍人なら誰もが知っている」 「でも……」 「カイルたちは、任務を理解した上で志願したのよ」セリシアは俺の目をまっすぐ見た。「彼らは英雄として死んだ。多くの仲間を救うために」 その言葉で胸が熱くなった。確かに彼らは勇敢だった。そして、彼らの犠牲があったからこそ、主力部隊の大半が帰還できた。 「それでも……」 俺の言葉が途切れた時、医務室の奥から呻き声が聞こえた。重傷を負った兵士の一人だろう。その痛みを和らげようと、衛生兵が動く音が聞こえる。 「本当の責任は、ラドルフにあるわ」セリシアは静かに言った。「彼が攻めてこなければ、こんな戦いにはならなかった」 確かにその通りだ。しかし、それで俺の心の重荷が軽くなるわけではない。 「ソウイチロウ」セリシアの声が少し柔らかくなった。「あなたはまだ若い。戦場の現実に直面するのは、いつだって辛いものよ」 彼女の言葉に、少し救われた気がした。セリシアは普段厳しいが、今夜は優しかった。彼女もまた、この戦いの重さを感じているのだろう。 「ありがとう」俺は素直に言った。「少し気が楽になったよ」 セリシアは小さく微笑んだ。 「明日も戦いは続くわ」彼女は立ち上がった。「少しでも休んだ方がいいわよ」 「そうだね」 セリシアはテントを出て行った。残された俺は、まだ手元の名簿を見つめていた。最後のページには、戦死者のリストがある。そこにはカイルの名前も記されていた。 「カイル・ブランデル、戦死……」 俺は声に出して読み、深く息を吐いた。これが現実だ。彼は戻ってこない。二度と冗談を言い合うことも、共に酒を飲むこともない。 テントを出ると、夜空には無数の星が輝いていた。美しい光景だが、今の俺には虚しさしか感じられない。夜風が肌を刺すように冷たい。 ふと見ると、要塞の片隅に小さな明かりが見えた。誰かいるのだろうか。気になって足を向けると、そこにはフェリナが一人、小さな蝋燭を前に座っていた。 「フェリナ?」 彼女は振り返り、俺を見上げた。目が赤くなっていた。泣いていたのだろうか。 「ソウイチロウ……」 「すまない、邪魔したかな」 「いいえ」彼女は小さく首を振った。「ちょうどいいわ。少し話をしたかったの」 俺は彼女の隣に座った。蝋燭の明かりが揺れる中、彼女の横顔が浮かび上がっていた。 「これは、私の国の弔いの仕方よ」フェリナは蝋燭を見つめながら言った。「命を落とした者のために、光を灯す……彼らの魂が闇に迷わないように」 「美しい習慣だね」 俺も蝋燭を見つめた。その小さな炎が、夜風にかすかに揺れている。 「今日の戦いで、私の同胞も何人か命を落としたわ」フェリナは静かに言った。「帝国軍として戦っていた彼らだけど、それでも同じ国の出身……」 彼女の声には悲しみが滲んでいた。敵として戦う同胞を想う気持ち、それはどれほど複雑なものだろう。 「戦争は残酷だね」俺は呟いた。 「ええ」フェリナは頷いた。「そして、ラドルフはその残酷さを極限まで突き詰めた男よ。彼は兵士を駒としか見ていない。消費可能な資源として」 フェリナの声に憎しみが混じる。彼女とラドルフの因縁は、想像以上に深いのかもしれない。 「あなたは違うわ」突然、彼女が俺を見つめた。「あなたは兵士たちの命を大切にしている。だからこそ、今こうして苦しんでいる」 「フェリナ……」 「忘れないでほしい」彼女は真剣な眼差しで言った。「あなたのような指揮官が必要なの。死者を悼み、生きる者の命を大切にする人が」 彼女の言葉が心に沁みた。そうだ、俺は忘れてはいけない。カイルたちの死も、傷ついた兵士たちの痛みも。それを心に刻み、次の戦いに活かさなければ。 「ありがとう」俺は心から言った。「君の言葉に、少し勇気をもらえたよ」 フェリナは小さく微笑んだ。その微笑みには悲しみが混じっていたが、それでも美しかった。 「それと……」彼女は言いにくそうに続けた。「ラドルフについて、もう少し話せることがあるわ」 「え?」 「彼の『赤い目』は、単なる異形ではないの」フェリナは蝋燭の炎を見つめながら言った。「それは禁忌の魔術の結果よ。『魂の鎖』と呼ばれる古代の術だと言われている」 「魂の鎖?」 「兵士たちの精神を部分的に支配する力」彼女は静かに説明した。「完全な洗脳ではなく、恐怖と服従を植え付ける術だと言われているわ」 そんな力があるのか。それなら、あの異様な統制も説明がつく。 「でも、その力には代償があるはず」フェリナは続けた。「限界があるわ。全ての兵を同時に支配することはできないし、効果も永続ではない」 「それが弱点か……」 「弱点を突くためには、もっと情報が必要ね」フェリナは決意を込めて言った。「私、明日の戦いでもっとラドルフを観察するわ」 「危険だよ」俺は心配した。「彼は君を知っているかもしれない」 「大丈夫、直接戦場には出ないから」彼女は少し微笑んだ。「でも、情報なしでは彼には勝てないわ」 確かにその通りだ。ラドルフという男を倒すには、彼の弱点を知る必要がある。 「わかった」俺は頷いた。「でも、無理はするなよ」 二人は再び蝋燭の炎を見つめた。小さな光だが、この暗い夜に希望を感じさせる。 「フェリナ」俺は静かに言った。「俺も、その弔いに参加してもいいかな」 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人

第20話「読みが砕けた日」

朝靄の中、俺は要塞の最上階にある見張り台に立っていた。援軍の到着で戦況は一変し、三日目の今日は敵の姿が見えない。どうやら、昨夜のうちに帝国軍は撤退したようだ。 これは勝利と言えるのだろうか。確かに、要塞は守り切った。しかし、多くの命が失われた。カイルをはじめとする仲間たちは帰らぬ人となった。 「ここにいたか」 背後から落ち着いた声がした。振り返ると、アルヴェン将軍が立っていた。昨日の援軍と共に、将軍自ら前線に来ていたのだ。 「将軍!」 慌てて敬礼した。 「休めて良い」将軍は穏やかに言った。「朝から何を考えている?」 「はい……」俺は少し躊躇いながら答えた。「戦いの振り返りを」 将軍は頷き、俺の隣に立って遠くを見た。朝日が徐々に靄を晴らし、戦場となった平原が見えてきた。 「報告は受けた」将軍はゆっくりと言った。「君の判断と働きは、要塞防衛に大きく貢献した」 「いえ……」俺は言葉に詰まった。「私は多くの失敗をしました。北の拠点は陥落し、カイルたちは……」 将軍は静かに俺の言葉を遮った。 「戦場の責任は最終的に私にある」彼は言った。「そして、戦いにはいつも犠牲が伴う。それは避けられないことだ」 将軍の言葉には重みがあった。彼は何十もの戦場を経験してきたのだろう。その背中には、数え切れないほどの決断と、失われた命の重さが乗っているように感じられた。 「とはいえ」将軍は続けた。「君は初めて本当の試練に直面したのだろう。ラドルフは並の指揮官ではない」 「はい……」 俺は素直に認めた。ラドルフの前では、俺の「読み」は完全に通用しなかった。それは、前世でも現世でも初めての経験だった。 「ソウイチロウ」将軍が真剣な眼差しで俺を見た。「読みは万能ではない」 その言葉に、胸に痛みを感じた。将軍は続けた。 「君の才能は確かだ。その『読み』の力は、多くの戦いで勝利をもたらした。だが、それだけでは足りない場合もある」 「では、どうすれば……」 「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」将軍は古い格言を引用した。「君はラドルフを知った。そして、己の限界も知った。次はその先だ」 将軍の言葉に、わずかな希望を感じた。確かに、俺は敗北したが、その敗北から学ぶことができる。ラドルフの戦術、「魂の鎖」の限界、そして自分の「読み」の弱さも。 「君の読みは、流れを捉える力だ」将軍は続けた。「だが、ラドルフは流れそのものを支配しようとする。では、君はどうすべきか」 俺は考え込んだ。将軍の問いかけには深い意味がある。 「読みが通じないなら……」俺はゆっくりと言葉を紡いだ。「自分が流れを創るしかありません」 将軍の顔に小さな微笑みが浮かんだ。 「その通りだ」彼は頷いた。「読むだけでなく、創ることも必要だ。受け身ではなく、能動的に流れを作り出すのだ」 その言葉に、新たな視点が開けたような気がした。前世での麻雀でも、単に相手の手を読むだけでなく、自分の手を最大限に活かす戦略が必要だった。同じことが、この戦場でも言えるのだ。 「これからどうするつもりだ?」将軍が尋ねた。 「ラドルフとの戦いは、まだ終わっていないですよね?」 「ああ」将軍は厳しい表情になった。「彼は撤退したが、諦めてはいない。恐らく次の戦場で待ち構えているだろう」 「ならば」俺は決意を固めた。「もっと彼について学び、次の戦いに備えます。そして、今度は勝ちます」 将軍は満足げに頷いた。 「良い心構えだ」彼は言った。「では、今日は少し休め。明日から新たな準備が始まる」 将軍が去った後も、俺は長い間、朝の光に照らされる平原を見つめていた。ラドルフとの戦いは始まったばかりだ。次は、もっと準備して臨まなければならない。 *** 午後、俺は要塞の中庭で一人、小石を並べていた。それぞれの石には印をつけ、兵士や騎兵、弓兵などを表している。これをタロカの牌に見立てて、戦術を組み立てる練習だ。 「また変わったことをしているのね」 セリシアの声がして、俺は顔を上げた。彼女は好奇心に満ちた表情で俺の作業を見ていた。 「ああ」俺は笑った。「タロカの感覚で戦術を考えてみようと思ってね」 「面白いわね」彼女は隣に座った。「説明してくれる?」 「これは我々の兵力」俺は白い石を指した。「そしてこれが敵」黒い石を示す。「これを牌のゲームだと考えると、どんな『役』を作れるかが勝負になる」 「なるほど」セリシアは興味深そうに頷いた。「それで、いい『役』は思いついた?」 「まだだよ」俺は正直に答えた。「ラドルフの『魂の鎖』をどう崩すかが課題だ」 セリシアは真剣な表情になった。 「フェリナから聞いたわ」彼女は言った。「彼の力には限界があるって」 「そう」俺は頷いた。「彼から離れるほど、効果は弱まる。そして、日没後に特別な儀式を行うらしい」 「それが弱点ね」 「でも、それだけでは不十分だ」俺は石を動かしながら言った。「彼の戦術は完璧に近い。我々が次に何をするか、常に先読みしているように見える」 「だから、予測できない動きをする必要があるわけね」セリシアは鋭く指摘した。 「その通り」俺は笑った。「君はやっぱり頭がいいな」 セリシアは少し照れたように視線をそらした。 「単なる論理的思考よ」彼女はそっけなく言ったが、頬が少し赤くなっていた。 二人でしばらく石を動かし、様々な戦術パターンを試してみる。 「ところで」セリシアが不意に口を開いた。「フェリナとラドルフの間に何かあるみたいね」 「ああ」俺は慎重に言葉を選んだ。「彼女の父親が、ラドルフによって陥れられたらしい」 「そう……」セリシアの表情が曇った。「彼女にとっては単なる戦争じゃないのね」 「彼女は強いよ」俺は言った。「あんな過去を抱えながらも、冷静に情報を集め、分析している」 「ええ」セリシアは同意した。「彼女は尊敬に値する」 会話が途切れ、二人はまた石を動かし始めた。しばらくして、セリシアが立ち上がった。 「夕食の時間ね」彼女は言った。「食べに行かない?」 「ああ、もう少ししたら行くよ」 セリシアは軽く会釈して去っていった。残された俺は、石の配置を見つめながら考えを巡らせた。 (ラドルフは「流れを殺す」者……) 彼の戦術は、まさに流れそのものを支配する。自然な流れを殺し、自分の思い通りに状況を作り出す。それに対抗するには、俺も同じように能動的にならなければならない。 俺はポケットからタロカの牌を取り出した。戦場に持ち出すのは不謹慎かもしれないが、この牌を見るとどこか落ち着く。前世での麻雀牌に似た安心感がある。 牌を並べ、様々な「役」を作りながら、俺は戦術を練った。ラドルフに対抗する方法、「魂の鎖」を断ち切る方法。 日が落ち、中庭が暗くなり始めると、フェリナが近づいてきた。 「まだ考えてるの?」彼女は優しく声をかけた。 ...

2025-03-27 00:00 · 折口詠人