勲章式は予想通りの華やかさで執り行われた。宮殿の大広間は装飾で彩られ、国内の高官や貴族たちが揃い踏み。俺は前列の席に座り、式典の進行を見守っていた。
様々な功績を挙げた人々が次々と呼ばれ、国王陛下より勲章を授かる。軍人、役人、学者、商人——それぞれの分野で国に貢献した人々だ。俺自身はすでに勲章を貰っていたため、今回は儀礼的な参列のみだった。
終わりに近づいた頃、軽い憂鬱感が俺を包んでいた。こうした儀式はやはり苦手だ。儀礼、形式、表面的な社交——それらは俺の本質とはどこか相容れない。
式典が終わり、参列者たちがそれぞれ歓談する中、アルヴェン将軍が俺に近づいてきた。
「ソウイチロウ」将軍は低い声で言った。「一時間後、第二作戦室に来てくれ。会議を開く」
「了解しました」俺は頷いた。「セリシアとシバタ大尉も?」
「ああ」将軍も頷いた。「すでに伝えてある」
将軍が去った後、俺は大広間を出て、少し早めに作戦室へと向かった。廊下を歩きながら、次の任務について考える。おそらく前線に戻れる——そう期待していた。
作戦室に着くと、既にセリシアが待っていた。彼女は窓際に立ち、外の景色を眺めていた。
「やあ」俺が声をかけると、彼女は振り返った。
「早かったのね」セリシアは微笑んだ。「式典は退屈だった?」
「まあね」俺は素直に答えた。「ああいうのは苦手だから」
二人で窓の外を眺めると、宮殿の庭園が広がっていた。整えられた植え込み、色とりどりの花々、噴水——すべてが計算され尽くした美しさだ。
「将軍は何を話すつもりかしら」セリシアが静かに言った。
「次の任務じゃないかな」俺は期待を込めて答えた。「前線に戻れるといいんだけど」
セリシアは少し考え込むような表情になった。
「前線残留か、軍中枢か」彼女が突然尋ねた。「あなたはどちらを望む?」
その問いに、俺は少し驚いた。セリシアらしくない質問だった。彼女は通常、感情より論理を優先する人だ。
「前線だよ」俺は迷わず答えた。「俺は実戦の中でこそ力を発揮できるから」
「そう」セリシアは小さく頷いた。「予想通りの答えね」
彼女の表情には、何か言いたいことがあるように見えた。だが、そのとき、ドアが開き、シバタ大尉が入ってきた。
「やあ、二人とも早いな」大尉は明るく言った。「将軍はもうすぐ来るはずだ」
間もなく、アルヴェン将軍も現れ、会議が始まった。
「皆、集まってくれてありがとう」将軍は重厚な声で言った。「今日は重要な話がある」
俺たちは身を乗り出して聞いた。
「ラドルフがコルム丘陵から撤退した後、帝国軍は一時沈黙していた」将軍は地図を指しながら説明した。「しかし、最近の偵察によれば、彼らは南部前線で再び動き始めている」
地図には南部国境に赤い印が付けられていた。
「特にマラント山脈周辺での兵力増強が顕著だ」将軍は続けた。「我々の予測では、彼らは山脈を越えて王国の南部平原を目指している」
マラント山脈——国境を形成する山々で、天然の防壁となっている。しかし、幾つかの峠や渓谷があり、兵力が通過することは可能だ。
「南部平原が落ちれば、王都への道が開かれる」将軍の表情が厳しくなった。「それだけは避けなければならない」
俺たちは状況の深刻さを理解し、黙って頷いた。
「そこで」将軍はいよいよ本題に入った。「ソウイチロウ、お前には選択してほしい」
「選択、ですか?」
「ああ」将軍は真剣な表情で言った。「お前には二つの道がある。一つは南部前線に赴き、ラドルフとの再戦に備えること。もう一つは王都の軍中枢に残り、戦略立案の中核となること」
まさにセリシアが先ほど尋ねたことだ。彼女は既に何かを察していたのだろうか。
「どちらも重要な役割だ」将軍は続けた。「選択はお前に任せる」
俺は少し考え込んだ。直感的には前線を選びたい。しかし、軍中枢での役割も重要だと理解していた。
「考える時間をください」俺は答えた。
「もちろんだ」将軍は頷いた。「明日までに決めてくれ」
会議はさらに続き、南部前線の詳細な状況や、帝国軍の動向などが報告された。ラドルフは敗北から学び、新たな戦術を練っているという。彼の「魂の鎖」の効果も、以前より強力になっている可能性があるとのことだった。
会議が終わり、それぞれが部屋を出る際、セリシアが俺に小声で言った。
「話があるわ。夕方、東の塔の展望台に来て」
彼女の表情は真剣で、何か重要な話があるようだった。
「わかった」俺は頷いた。「夕方に」
***
午後、俺はフェリナの見舞いに行った。彼女は順調に回復しており、既にベッドから起き上がって椅子に座れるようになっていた。
「調子はどう?」俺が尋ねると、彼女は微笑んだ。
「だいぶ良くなったわ」フェリナは答えた。「もうすぐ退院できそうよ」
それは本当に良いニュースだった。彼女の傷は深く、一時は生命の危険もあったほどだ。
「良かった」俺は心から言った。「無理はするなよ」
フェリナは少し笑い、そして表情を変えた。
「さっき、斥候から報告があったわ」彼女は真剣な声で言った。「ラドルフの動向について」
彼女は情報将校として、病床にありながらも情報収集を続けていた。
「彼はまだ終わっていない」フェリナは静かに言った。「マラント山脈での兵力増強は、単なる前哨戦に過ぎないわ。彼は大きな計画を持っている」
「どういう意味だ?」俺は身を乗り出した。
「詳細はまだわからないけど」彼女は続けた。「彼は単なる軍事行動を超えた何かを準備しているみたい。禁忌の魔術に関連するかもしれない情報もあるわ」
禁忌の魔術——ラドルフの「魂の鎖」もその一種だが、彼がさらに強力な魔術を手に入れようとしているのなら、事態は深刻だ。
「この情報は将軍に報告した?」俺は尋ねた。
「ええ」フェリナは頷いた。「でも、確証がないから、あくまで可能性の一つとして」
俺は考え込んだ。ラドルフの新たな動き、禁忌の魔術、南部前線——全てが複雑に絡み合っている。
「将軍から選択を迫られてるんでしょう?」フェリナが突然言った。「前線か、軍中枢か」
彼女の洞察力に、俺は驚いた。
「どうしてわかったんだ?」
「予測できたわ」彼女は小さく笑った。「あなたの才能は前線でも本部でも必要とされるもの。いつか選択を迫られる時が来ると思ってたわ」
フェリナの目は真剣だった。
「あなたは"戦いの先"に何を見るの?」彼女が静かに尋ねた。
その問いに、俺は答えに窮した。戦いの先? そんなことを考えたことがなかった。ただ目の前の戦いに勝つこと、与えられた任務を遂行すること——それだけを考えてきた。
「わからない」俺は正直に答えた。「まだ自分でも見えていない」
フェリナは少し悲しそうな表情をした。
「いつかはっきりすると良いわね」彼女は静かに言った。「それが、あなたの選択を導くはずだから」
彼女の言葉は胸に沁みた。確かに、俺は「戦いの先」を見ていない。ただ流れに身を任せ、与えられた役割をこなしてきただけだ。
「ありがとう」俺は心から言った。「考えてみるよ」
フェリナとの会話を終え、俺は宮殿内を歩いた。夕方までまだ時間があり、考えをまとめる必要があった。前線か、軍中枢か——それぞれに意味がある。だが、自分にとっての正解はどちらなのか。
ふと立ち止まると、窓の外に見慣れた姿が見えた。コルム丘陵の戦いで活躍した『光の矢』部隊の指揮官、マーロン少尉だ。彼は数人の兵士と共に、訓練場で稽古をしているようだった。
俺は窓から少尉たちを見守った。彼らの真剣な表情、懸命な努力——それらは俺に戦場の記憶を呼び覚ました。共に戦った兵士たち、分かち合った危険と勝利の喜び。
前線には仲間がいる。一方、軍中枢には知らない顔と政治的な駆け引きがある。
だが、「戦いの先」を見据えるなら——王国全体の戦略を考えるなら——軍中枢での役割も重要だ。
答えは出なかった。俺は歩き続け、自分の心と向き合った。
***
夕方、俺は約束通り東の塔の展望台へと向かった。王宮の東側にそびえるこの塔は、王都全体を見渡せる場所だ。
展望台に着くと、セリシアが既に待っていた。彼女は欄干に寄りかかり、夕日に染まる王都の景色を眺めていた。
「来たわね」彼女は振り返らずに言った。
「ああ」俺は彼女の隣に立った。「話って何?」
セリシアはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「あなたの選択について」彼女は言った。「前線と軍中枢、どちらを選ぶの?」
その問いは、今日二度目だった。フェリナに続いてセリシアも、俺の選択を気にしている。
「まだ決めていない」俺は正直に答えた。「どちらにも意味があるし、責任も大きい」
セリシアは小さく頷いた。
「私からの提案があるわ」彼女は真剣な表情で俺を見た。「私は南部前線に残留する予定よ。参謀として現地指揮部に配属される」
「そうなのか」俺は少し驚いた。「将軍から直接命令が?」
「ええ」彼女は頷いた。「だから、あなたは軍中枢に残ってほしいの」
その提案に、俺は戸惑った。
「軍中枢に? でも、俺は……」
「前線で力を発揮できるのは知ってる」セリシアは言った。「でも、王国全体の戦略を考えるなら、あなたの才能は軍中枢でこそ活きるわ」
彼女の提案には理がある。しかし、俺の心は前線に惹かれていた。
「難しいな」俺は正直に言った。「前線の方が自分に合ってる気がするんだ」
「それは分かるわ」セリシアは静かに言った。「でも、あなたの"読み"は一つの戦場だけでなく、王国全体の戦略にも応用できるはず」
彼女の言葉には説得力があった。“読み"は確かに戦略レベルでも活かせる。敵の大きな動きを予測し、王国全体の戦力配分を最適化する——それは一つの戦場での勝利以上の価値がある。
俺は深く考え込んだ。
「結局、あなたはどうしたいの?」セリシアが優しく尋ねた。
その問いに、俺は心の声に耳を傾けた。本当に自分が望むのは何か。
「正直に言えば」俺はゆっくりと言葉を選んだ。「前線に戻りたい。実戦の中にこそ、俺の居場所があると感じる」
セリシアは少し残念そうな表情をしたが、すぐに理解を示した。
「そう」彼女は頷いた。「それがあなたの本心なら、そうすべきよ」
「でも」俺は続けた。「将軍の判断も尊重したい。もし軍中枢での役割が本当に必要なら、それも受け入れる」
セリシアは少し驚いたように俺を見た。
「随分と大人になったのね」彼女は小さく笑った。
「そうかな」俺も少し笑みを浮かべた。「ただ、みんなのためにできることをしたいだけだよ」
夕日が地平線に沈みかけ、王都に薄暗さが広がり始めていた。二人は暫く黙って景色を眺めていた。
「ねえ」セリシアが突然言った。「もし私が前線に行って、あなたが軍中枢に残ったら、寂しく思う?」
その質問に、俺は少し驚いた。セリシアらしくない、感情的な問いだった。
「もちろんだよ」俺は素直に答えた。「君とは多くの戦いを共にしてきた。頼りになる参謀官であり、大切な仲間だ」
セリシアの頬が少し赤くなったように見えた。夕日の名残りのせいかもしれないが。
「私も」彼女は静かに言った。「あなたと離れるのは寂しいわ」
その言葉に、胸が温かくなった。
「……でも、お前らがそう聞いてくれるのは、嬉しい」
思わず本音が漏れた。彼女もフェリナも、俺の選択を気にかけてくれている。それだけで、心強い気持ちになる。
「私たちはチームよ」セリシアは優しく微笑んだ。「どこにいても」
その言葉に、俺は心から同意した。
「ああ、その通りだ」
二人は夜の帳が下りる王都を見つめながら、それぞれの想いを胸に抱いていた。選択はまだ決まっていないが、どちらを選んでも、俺たちは繋がっている。それだけは確かだった。
塔を降りながら、俺は「戦いの先」について考えた。勝利の後に来るもの、平和の意味、自分の役割——それらはまだぼんやりとしか見えない。だが、少しずつ形になりつつあるようにも感じた。
明日、将軍に答えを告げよう。前線か、軍中枢か——どちらを選んでも、俺は自分の道を進む。仲間たちの信頼を胸に、「戦術の神子」としての責任を果たすために。