コルム丘陵の二日目の朝は静かに始まった。昨日の激戦で両軍とも疲弊し、早朝から動き出す気配はない。丘の上の我が陣営では、夜間に防衛線を補強し、負傷者の治療を終えた兵士たちが、次の戦いに備えて休息を取っていた。

 俺は早くに目を覚まし、指揮所の高台から敵陣を見渡していた。平原の北側に広がる敵の大軍。昨日の戦いで減ったとはいえ、まだ我々の三倍以上の兵力を有している。そして、陣営の中央には相変わらず赤い旗が掲げられ、ラドルフの存在を示していた。

「よく眠れたか?」

 シバタ大尉が近づいてきた。彼もまた早起きしたようだ。

「ええ、案外と」俺は答えた。「あなたは?」

「老兵の習性でな」大尉は微笑んだ。「戦いの前は自然と目が覚める」

 二人で敵の動きを観察していると、フェリナが駆け寄ってきた。彼女は夜間の斥候から情報を集めていたようだ。

「報告があるわ」彼女は少し息を切らせながら言った。「敵は夜間に増援を受けたみたい。約千名が北から到着したのを確認したわ」

 その知らせに、思わず眉をひそめる。

「増援か……」大尉も厳しい表情になった。「これで敵はさらに優位になったな」

 フェリナはさらに続けた。「それだけじゃないわ。彼らは何か大きな物を組み立てているようなの。斥候たちには遠くからしか見えなかったけど、攻城兵器のようなものよ」

「攻城兵器?」俺は驚いた。「丘陵を登るための?」

「おそらくね」フェリナは頷いた。「何か斬新な方法で丘を攻略しようとしているんでしょう」

 戦況はさらに不利になっていた。敵は兵力を増強し、新たな攻城兵器まで用意している。対して我々は、昨日の戦いで約150名の死者を出し、300名が負傷している。実質的な戦力は550名ほど——敵の六分の一にも満たない。

「セリシアの様子は?」俺は尋ねた。

「朝から動き回ってるわよ」フェリナは少し呆れたように言った。「腕の傷も構わずに、各部隊の配置を確認してる」

 その話を聞いて少し安心した。セリシアが元気なら、戦術面での心配は少ない。彼女の冷静な判断力は、この窮地で必ず役立つはずだ。

「作戦会議を開こう」俺は決断した。「各隊長を集めてくれ」

 伝令が走り、間もなく指揮所にはセリシア、カレン隊長、バルト隊長、そして『光の矢』部隊を率いるマーロン少尉が集まった。

 セリシアは確かに腕に包帯を巻いていたが、表情は冷静そのもので、地図を広げて状況を分析し始めた。

「敵の増援と攻城兵器の配置から見て」彼女は言った。「今日は正面からの総攻撃を仕掛けてくると思われます。昨日の側面攻撃は、あくまで牽制だったのかもしれません」

 皆が頷く。その分析は理にかなっていた。

「我々の対応案は?」シバタ大尉が尋ねた。

 セリシアが答えようとしたとき、俺は一歩前に出た。

「一つ、提案がある」

 全員の視線が俺に集まる。

「敵は今日、全力で来る」俺は言った。「彼らには兵力の優位があり、新たな攻城兵器もある。正面からの防衛戦では、我々に勝ち目はない」

 重い空気が流れる。皆、現実を理解していた。

「だから、俺たちは別の戦い方をする」俺は続けた。「見えない一手を打つ」

「見えない一手?」バルト隊長が首を傾げた。

 俺はタロカ石を取り出し、地図の上に並べ始めた。「我々の丘陵の裏側、南にはサラク川が流れている。その川に沿って西へ約5キロ行くと、ダレスの森がある」

 地図上の場所を指し示す。

「そして、森の中には古い洞窟が……」

「待って」カレン隊長が驚いて声を上げた。「あなた、ダレスの洞窟を知ってるの?」

「ああ」俺は頷いた。「昨夜、古地図を調べていてね」

 実際には、昨日のうちにフェリナと共に地元の案内人から情報を集めていたのだ。この地域の秘密の抜け道について。

「その洞窟は、かつて密輸業者が使っていた通路だ」俺は説明を続けた。「そして、最も重要なことに——その洞窟の出口は、ちょうど敵陣の北西、彼らの後方に位置している」

 全員が息を呑んだ。俺の言わんとすることが理解できたようだ。

「あなたは……」セリシアが目を見開いた。「敵の後方を襲撃する気?」

「そうだ」俺はきっぱりと言った。「敵が総攻撃に出ている間に、我々の精鋭部隊が後方から奇襲をかける」

 部屋が静まり返った。それは大胆すぎる作戦だった。危険でもあり、成功すれば戦況を一変させる可能性もある。

「誰が行くんだ?」シバタ大尉が尋ねた。

「俺が率いる」俺は答えた。「『光の矢』部隊の精鋭100名と、さらに志願者を募って200名ほどの部隊を編成する」

「ソウイチロウ」大尉の表情が厳しくなった。「それは指揮官としてあまりに危険だ。失敗すれば全軍の士気に関わる」

「だが、成功すれば勝機がある」俺は強く言った。「敵は我々の正面防衛に全力を集中させるだろう。そのとき、後方から不意打ちを食らえば、どんな軍でも混乱する」

 セリシアは黙って考え込んでいたが、やがて静かに口を開いた。

「異端の策だけど、勝ち筋だわ」彼女は言った。「この状況で正面から戦えば、じわじわと押し潰される。奇策に出るしかない」

 その言葉に、他の隊長たちも同意し始めた。

「しかし」セリシアは続けた。「あなたが行くべきではないわ。あなたは全軍の指揮官。ここにいるべきよ」

「そうだ」シバタ大尉も同意した。「洞窟部隊の指揮は私が執る。あなたは丘を守れ」

 俺は二人の言葉に感謝しつつも、首を横に振った。

「いや、俺が行く」俺は決意を示した。「この作戦は『読み』の力が必要だ。敵の陣の中で、最も効果的な打撃を与える場所と時間を見極めなければならない」

 大尉とセリシアは反対の色を見せたが、俺の決意は固かった。

「セリシア、あなたに全軍の指揮を任せる」俺は言った。「あなたなら丘を守れる。シバタ大尉には、正面防衛の指揮をお願いしたい」

 二人は渋々ながらも、最終的には同意した。

「ソウイチロウ」セリシアは真剣な眼差しで俺を見た。「必ず戻ってきて」

 その言葉に、少しだけ胸が熱くなった。

「ああ、約束する」

 作戦の詳細が決まり、各自が準備に取り掛かった。時間との勝負だ。敵が攻撃を開始する前に、洞窟部隊を送り出さなければならない。

 志願者を募ると、予想以上の兵士が名乗り出てくれた。彼らの中には、昨日の『光の矢』作戦で活躍した兵士も多く、士気は高かった。最終的に、マーロン少尉率いる『光の矢』部隊100名と、新たに志願した150名の計250名で洞窟部隊が編成された。

「出発は一時間後」俺は部隊に告げた。「軽装で、三日分の食料と水を持て。静かに、目立たぬよう丘の裏手から降りる」

 準備が進む中、フェリナが近づいてきた。

「私も行くわ」彼女はきっぱりと言った。

「フェリナ」俺は驚いた。「君は情報将校だ。戦闘部隊じゃない」

「でも、私の情報収集能力は現地で役立つはず」彼女は言い張った。「それに……」

 彼女の目に決意の色が浮かぶ。

「ラドルフがいる場所に、私も行きたいの」

 彼女の気持ちを理解した。彼女にとってラドルフは、単なる敵将ではない。父を殺された仇であり、復讐の対象だ。

「わかった」俺は頷いた。「だが、無理はするな。君の命は大切だ」

 フェリナは小さく微笑んだ。

「あなたこそ」

 最後の準備を終え、俺たちは丘陵の裏側から静かに降り始めた。誰にも気づかれないよう、少人数のグループに分かれて移動する。

 サラク川に到達すると、川沿いに西へと進んだ。太陽が高く昇るにつれ、前方からはダレスの森が見えてきた。

 丘の上からは、敵の動きが見えない。だが、彼らは確実に攻撃の準備を進めているはずだ。時間との勝負——俺たちが後方に回り込む前に、敵が攻撃を始めれば、セリシアたちは苦戦を強いられる。

 ダレスの森に入り、さらに進むと、案内人が教えてくれた場所に洞窟の入口を発見した。苔むした岩の間に、わずかに開いた隙間がある。

「ここだ」俺は部隊に告げた。「松明を準備して、一列に並べ。中では絶対に離れるな」

 洞窟に入ると、空気が冷たく湿っていた。天井は低く、時に身をかがめなければならない箇所もある。幸い、案内人の話通り、道は一本道で迷う心配はなさそうだった。

 部隊は静かに前進を続けた。洞窟内は暗く、松明の光だけが頼りだ。足元の岩や水たまりに注意しながら、慎重に進む。

 どれくらい歩いただろうか。やがて、前方に薄明かりが見えてきた。洞窟の出口だ。

「ここで一旦停止」俺は小声で命じた。「マーロン少尉、偵察を」

 少尉が二名の兵を連れて前方を偵察し、間もなく戻ってきた。

「出口はまさに敵陣の北西、後方に位置しています」少尉は報告した。「敵の監視は薄いようです。彼らの注意は全て南、丘陵方向に向いています」

 それは好都合だった。敵は後方からの襲撃など予想していないようだ。

「全員、武器を準備しろ」俺は命じた。「出たらすぐに展開する。目標は敵の補給隊と伝令部隊だ」

 全員が頷き、最後の準備を整えた。

「では、行くぞ」

 洞窟を出ると、目の前には敵の後方陣地が広がっていた。テントが並び、物資が積まれ、兵士たちが行き来している。彼らは全て南を向いており、我々の存在に気づいていない。

 合図と共に、部隊が一斉に展開した。『光の矢』部隊が左翼、志願兵部隊が右翼に分かれ、敵陣に突入する。

「突撃!」

 マーロン少尉の号令と共に、部隊が雄叫びを上げて突撃した。

 敵は完全に不意を突かれた。後方の兵士たちは戦闘準備もままならず、あっという間に混乱に陥る。我々の部隊は補給隊を襲い、物資を破壊し、伝令兵を捕らえ、混乱を広げていった。

 俺はフェリナと共に中央から指揮を執った。

「あそこが伝令テントだ!」フェリナが指差した。「あれを潰せば、前線との連絡が断たれる!」

 俺たちは小隊を率いて伝令テントに突入し、中の兵士たちを制圧した。テント内には様々な書類や地図があり、フェリナはそれらを素早く確認していった。

「これは……!」彼女が一枚の地図を手に取った。「ラドルフの全体作戦図よ!」

 地図には敵の全体計画が記されていた。正面からの総攻撃、新たな攻城兵器の配置、さらには補給路まで。これは貴重な情報だ。

 敵陣の混乱は急速に広がっていった。後方の兵士たちは散り散りになり、中には武器を捨てて逃げ出す者もいる。

「火を放て!」俺は命じた。「補給物資を燃やせ!」

 部隊は命令に従い、敵の補給物資に次々と火を放った。黒煙が上がり、敵陣全体に混乱が広がる。

 しかし、敵の反応も早かった。前線から精鋭部隊が急いで後方に戻り始めた。彼らは「魂の鎖」の効果下にあるようで、恐怖も混乱もなく、整然と我々に向かってくる。

「撤退の準備を」俺は判断した。「目的は達成した。長居は無用だ」

 部隊に撤退の合図が出された。各小隊が指定の集合地点に向かって退却を始める。

 俺とフェリナも撤退しようとしたとき、彼女が突然立ち止まった。

「あれは……!」

 彼女の視線の先には、赤い鎧を着けた騎士の姿があった。ラドルフだ。彼は馬上から状況を把握し、部下に指示を出している。

「ラドルフ……」フェリナの声が震えた。

「フェリナ、今は引くんだ」俺は彼女の腕を掴んだ。「復讐は後だ」

 彼女は一瞬躊躇ったが、やがて理性を取り戻したように頷いた。

「そうね……今は任務が優先」

 二人は急いで撤退を始めた。敵の追撃部隊が迫る中、洞窟の入口を目指す。

 しかし、撤退の途中、不意に敵の騎兵隊と遭遇した。彼らは我々の退路を遮るように配置されている。

「罠か?」俺は状況を把握しようとした。「彼らは我々の退路を読んでいたのか」

「いいえ」フェリナは首を振った。「あれは通常の警備隊よ。偶然ね」

 偶然とはいえ、このままでは退路が断たれる。

「全隊に伝えろ」俺は決断した。「北東に迂回する。川沿いを通って丘陵に戻れ」

 新たな指示が伝えられ、部隊は北東に進路を変えた。それは少し遠回りになるが、敵の追撃を振り切る可能性がある。

 急いで移動を続ける中、北から激しい戦闘音が聞こえてきた。丘陵での戦いが始まったようだ。

「セリシアたち……」俺は心配そうに呟いた。

「彼女なら大丈夫よ」フェリナが安心させるように言った。「私たちも急ぎましょう。合流して助けなきゃ」

 部隊は全力で北東に進み、やがてサラク川に到達した。川沿いに丘陵へと向かう道のりは険しいが、敵の追撃を振り切るには最適だった。

 しばらく進むと、丘陵の南端が見えてきた。そして、丘の上からは激しい戦闘の音が響いている。

「急ごう」俺は部隊を促した。「仲間たちが戦っている」

 丘を登り始めたとき、フェリナが立ち止まった。彼女の顔色が悪い。

「どうした?」俺は心配して尋ねた。

「少し……めまいが」彼女は弱々しく答えた。「大丈夫、すぐに……」

 そう言いかけた彼女の体が、突然前のめりに倒れた。急いで支えると、彼女の脇腹に血が滲んでいることに気づいた。

「フェリナ! いつの間に傷を……?」

「敵陣で……気づかなかったの」彼女は青ざめた顔で答えた。「でも、大したことないわ」

 しかし、その傷は決して軽いものではなかった。急いで応急処置を施し、兵士二人に彼女を担がせる。

「すまない」フェリナは恥ずかしそうに言った。「迷惑をかけて」

「命があるだけでいい」俺は真剣に答えた。「今は休め」

 部隊は丘を登り続けた。頂上に近づくにつれ、戦いの音はさらに激しくなる。

 丘の上に到達すると、激しい戦闘の光景が広がっていた。敵の大軍が丘の斜面を押し上げ、我が軍は必死に防戦している。

 シバタ大尉が正面防衛線を指揮し、セリシアは中央高台から全体の指揮を執っていた。彼らの表情は厳しく、苦戦を強いられているのが見て取れる。

「セリシア!」俺は呼びかけた。

 彼女は振り返り、俺たちの姿を見て驚きの表情を浮かべた。

「ソウイチロウ! 戻ったのね!」

 彼女の顔には安堵の色が浮かんだ。

「ああ、敵の後方を攻撃してきた」俺は簡潔に報告した。「彼らの補給線を断ち、伝令部隊も壊滅させた」

 セリシアは感嘆の息を漏らした。「だから敵の動きが鈍ったのね。約一時間前から、彼らの攻勢に乱れが生じていたわ」

「フェリナが負傷した」俺は急いで言った。「医療テントに」

 セリシアは素早く兵士に指示を出し、フェリナを医療テントに運ばせた。

「彼女は大丈夫?」セリシアが心配そうに尋ねた。

「ああ、命に別状はない」俺は答えたが、内心では心配だった。あの傷の深さを考えると、決して楽観はできない。

「戦況は?」

「苦戦しているわ」セリシアは地図を指し示した。「敵は新たな攻城装置を使って、丘の斜面を登ってきている。特に正面が危険よ」

 地図を見ると、敵は予想通り正面から総攻撃を仕掛けていた。新たな攻城装置とは、大きな盾で覆われた木製の足場のようなもので、兵士たちはその中で矢や石から守られながら、丘を登ることができる。

「シバタ大尉は持ちこたえているが、長くは保たないでしょう」セリシアは続けた。「あなたの部隊が戻ってきたのは大きいわ」

 俺は周囲を見回した。疲弊した兵士たち、崩れかけている防衛線、そして北にはまだ大軍を擁する敵。状況は依然として厳しい。

「敵の後方攻撃で、彼らの勢いは一時的に弱まっている」俺は言った。「今こそ反撃のチャンスだ」

「どうやって?」セリシアが尋ねた。「我々の兵力は限られているわ」

 俺はタロカ石を取り出し、“流れ"を感じようとした。敵の動き、我が軍の士気、そして何より——ラドルフの意図。

 そして、一つの閃きが浮かんだ。

「敵の中央部、赤い旗の下にラドルフがいる」俺は言った。「彼は『魂の鎖』で部隊を支配している。その効果は彼から離れるほど弱まる」

 セリシアは俺の言わんとすることを察したようだ。

「あなたは……ラドルフを直接狙うつもりね」

「そうだ」俺は頷いた。「彼が倒れれば、『魂の鎖』の効果も消える。敵軍は混乱に陥るだろう」

 セリシアは一瞬躊躇ったが、やがて決断したように頷いた。

「わかったわ。どうすればいい?」

「『光の矢』部隊と共に、正面から突破する」俺は説明した。「敵が予想しない突撃を仕掛け、ラドルフに迫る」

 作戦は危険だった。成功すれば戦況を一変させる可能性があるが、失敗すれば全滅する危険性もある。

「わかったわ」セリシアは同意した。「私は丘の上から援護射撃を指揮する。あなたが突破口を開いたら、全軍で反撃に出るわ」

 俺は疲れた『光の矢』部隊に新たな作戦を伝えた。彼らは既に長時間戦っており、疲労が見えたが、誰一人として不満を漏らさなかった。

「皆、最後の力を振り絞ってくれ」俺は部隊に言った。「この一撃で、戦いを終わらせるんだ」

 部隊は静かに頷き、新たな陣形を整えた。精鋭50名による楔形の突撃隊が編成され、俺はその先頭に立った。

「セリシア」俺は最後に彼女を見た。「もし俺が戻れなかったら——」

「そんなこと言わないで」彼女は強く言った。「必ず戻ってきて。約束よ」

 俺は微笑み、頷いた。

「約束する」

 そして、最後の突撃の時が来た。俺は『光の矢』部隊の先頭に立ち、敵が正面から攻め上げてくる場所へと向かった。

 シバタ大尉に作戦を伝え、彼は驚きながらも同意した。

「危険な作戦だが、勝機はある」大尉は言った。「神が共にあらんことを」

 敵の攻撃が一瞬緩んだ隙を狙い、俺たちは丘を下り始めた。敵は我々の動きに気づくと、一瞬混乱したようだった。防衛軍が逆に攻めてくるとは予想していなかったのだろう。

「突撃!」

 俺の号令と共に、部隊が一斉に敵の中へと突入した。楔形の隊形が敵の陣形を切り裂き、我々は赤い旗を目指して突き進んだ。

 戦いは激しく、周囲は血と汗と叫び声で満ちていた。しかし、『光の矢』部隊の兵士たちは勇敢に戦い、少しずつ前進していく。

 丘の上からは、セリシアの指揮による援護射撃が続く。矢が雨のように降り注ぎ、敵の動きを妨げた。

 俺たちは徐々に敵陣の中心に近づいていった。赤い旗が見え、その下にはラドルフの姿があった。彼は状況を把握し、部下に指示を出している。

 だが、俺たちの突撃は彼の予想を超えていたようだ。ラドルフは明らかに動揺し、急いで護衛を固めようとしていた。

「このまま押し切れ!」俺は部隊を鼓舞した。「あと少しだ!」

 我々の突撃は敵陣の中心へと迫りつつあった。ラドルフの護衛兵たちが前に出て、我々の行く手を遮ろうとする。

 激しい接近戦が始まった。護衛兵たちは「魂の鎖」の効果下にあり、恐怖も痛みも感じていない。彼らは文字通り命を惜しまず戦ってきた。

 俺も剣を振るい、敵を倒しながら前進した。目標はただ一つ——ラドルフだ。

 しかし、護衛兵の壁は厚く、なかなか突破できない。時間が経つにつれ、我々の勢いも弱まっていった。

 そのとき、丘の上から一つの光が放たれた。それは信号弾のようなもので、空高く上がり、一瞬周囲を明るく照らした。

「あれは!」

 マーロン少尉が声を上げた。「集合の合図です!」

 確かに、あれはセリシアからの合図だった。状況が変わったのか、撤退の指示なのか——。

 その瞬間、敵陣の後方で大きな混乱が起きた。別の部隊が敵の後方を襲ったのだ。

「フェリナ?」

 俺は驚いて後方を見た。いや、違う。フェリナは負傷して医療テントにいるはずだ。

 双眼鏡で見ると、後方を襲った部隊は我が軍の別動隊のようだった。おそらく、シバタ大尉が秘密裏に配置していた予備兵力だろう。

 敵陣は前後から挟まれ、混乱に陥った。ラドルフも状況を見て取り、何か判断を下したようだ。彼は護衛兵に指示を出し、後退を始めた。

「撤退だ!」俺は部隊に命じた。「目的は達成した。丘に戻れ!」

 部隊は命令に従い、整然と後退を始めた。敵も我々を追撃する余裕はなく、自分たちの陣形の立て直しに忙しい。

 俺たちは丘を登り、防衛線に戻った。セリシアが待っていた。

「戻ったのね!」彼女は安堵の表情を浮かべた。

「ああ」俺は頷いた。「あの後方攻撃は?」

「シバタ大尉の策よ」セリシアは説明した。「あなたが出発した後、彼は密かに別動隊を編成していたの」

 さすが老練な軍人だ。俺が洞窟部隊で敵の後方を襲う計画を知ると、彼もまた別の奇策を用意していたのだ。

 敵陣は完全に混乱し、撤退を始めていた。ラドルフは赤い旗を掲げたまま、平原の北へと退いていく。

「勝ったのか?」俺は半信半疑で尋ねた。

「ええ」セリシアは笑顔で答えた。「あなたの見えない一手が、勝利をもたらしたわ」

 丘の上に歓声が上がった。兵士たちは疲れながらも、勝利の喜びに沸いている。

 俺は北を見つめ、去りゆく赤い旗を目で追った。ラドルフは撤退はしたが、決して敗北を認めているわけではない。彼は何か言いたげな表情で、最後に丘を振り返っていた。

「これが俺の、タロカ流の"リーチ"だ」

 俺は小さく呟いた。麻雀での言葉が、無意識に口をついて出た。

 勝負はついた——少なくとも今回は。だが、ラドルフとの戦いはまだ終わっていない。彼は必ず戻ってくるだろう。

 しかし今は、勝利を噛みしめる時だ。兵士たちの顔には疲労と共に、達成感が浮かんでいた。彼らは命を賭けて戦い、そして勝ったのだ。

 フェリナの様子が気になり、俺は急いで医療テントに向かった。彼女はベッドで休んでおり、顔色は悪かったが、意識ははっきりしていた。

「勝ったの?」彼女が弱々しく尋ねた。

「ああ、勝った」俺は彼女の手を握った。「君の情報のおかげだよ」

 フェリナは微笑んだ。

「命を預けてよかった」

 その言葉に、胸が熱くなった。

 戦いは終わり、コルム丘陵に平穏が戻ってきた。しかし、この勝利は大きな戦いの中の一つに過ぎない。ラドルフとの決戦は、まだ先にある。

 俺はタロカ石を握り締め、次の戦いに思いを馳せた。

「これからどうするの?」セリシアが近づいてきて尋ねた。

「アルヴェン将軍に報告を」俺は答えた。「そして、次の戦いに備える」

 彼女は頷いた。「あなたの名前は、今日の戦いで王国中に広まるでしょうね」

 その言葉が示す意味を考えると、少し落ち着かない気持ちになった。俺はただ生き残りたかっただけなのに、いつの間にか戦術家として名を馳せることになるとは——。

 夕暮れが迫り、コルム丘陵に静けさが戻ってきた。戦いの傷跡は残るが、兵士たちの顔には安堵の色が浮かんでいる。

 俺は丘の頂上に立ち、北の平原を見渡した。敵はすでに視界から消え、ただ平原の果てに沈む夕日だけが赤く輝いていた。

 この戦いで何かが変わった気がする。俺自身も、仲間たちも、そして敵も——。次の戦いは、今までとは違ったものになるだろう。

 それでも、俺たちは前に進むしかない。タロカの石を握り締め、俺は静かに夕日を見つめていた。