コルム丘陵に朝日が昇り始めた。大地を金色に染める光の中、敵の大軍が黒い潮のように押し寄せてくる。その整然とした行進は、ラドルフの「魂の鎖」の効果を如実に示していた。

「正面から三部隊、側面から二部隊」

 フェリナが双眼鏡で観察し、報告する。「間違いなく三正面同時攻撃よ」

 俺は丘の頂上に立ち、敵の布陣を見渡した。ラドルフは平原の利を活かし、広大な前線で攻撃を仕掛けてきている。正面からの主力に加え、東西からも挟撃する形だ。

「予想通りね」セリシアが地図を見ながら言った。「でも、側面部隊が予想より大きいわ」

 確かに、東西から迂回してくる敵部隊はそれぞれ千名はいるだろう。俺たちの側面防衛は各200名——数で見れば圧倒的に不利だ。

「『光の矢』作戦の準備はいいか?」俺はシバタ大尉に尋ねた。

「ああ」大尉は頷いた。「選抜部隊100名が待機している。合図があり次第、行動開始だ」

 敵はすでに丘陵の麓に到達し、登攀の準備を始めていた。先遣隊が斜面を上り始め、主力が続く。東西の部隊も同様に、側面から登り始めている。

「弓兵隊、準備!」

 セリシアの命令で、丘の上に配置された弓兵たちが弓を構えた。敵が射程に入るのを待っている。

「まだだ……」俺は敵の動きを見つめていた。「もう少し近づけさせろ」

 敵の先遣隊が斜面を三分の一ほど上ったところで、セリシアが剣を高く掲げた。

「発射!」

 彼女の命令と共に、弓兵たちが一斉に矢を放った。空を裂く音と共に、矢の雨が敵の隊列に降り注ぐ。

 多くの敵兵が倒れたが、後続の兵士たちは躊躇うことなく前進を続けた。倒れた仲間を踏み越え、まるで機械のように登ってくる。

「魂の鎖の効果ね」フェリナが唇を噛んだ。「恐怖も痛みも感じない」

 再び矢が放たれ、さらに敵兵が倒れた。しかし、その効果は限定的だ。余りにも数が多すぎる。

「東側が危険です!」

 伝令が駆け込んできた。「敵が想定より早く斜面を上がっています!」

 俺はすぐにカレン隊長率いる東側防衛部隊に指示を送った。「予備兵力を東に回せ。彼らを足止めしろ」

 戦いは各所で激化し始めた。丘陵の斜面のあちこちで剣戟の音が響き、叫び声が上がる。我々の兵士たちは善戦しているが、敵の数は圧倒的だ。

「こちらは持ちこたえています!」

 西側からバルト隊長の報告が届いた。彼の部隊は地形を巧みに利用し、敵の進攻を遅らせている。

 俺は指揮台から戦況全体を見渡した。東側がやや危険、西側は何とか持ちこたえている、正面は敵の主力がまだ登り始めたばかり——。

「ソウイチロウ」

 シバタ大尉が近づいてきた。「そろそろ『光の矢』を実行すべきでは?」

 俺はタロカ石を握り締め、“流れ"を読もうとした。敵の動き、戦場の空気、兵士たちの状態——全てを総合して判断する。

「まだだ」俺は答えた。「敵の主力がもう少し前に出るのを待つ」

 戦いは激しさを増していった。東側では、カレン隊長の部隊が必死に敵を食い止めようとしている。彼らはあらかじめ用意した障害物や落とし穴を利用し、敵の進撃を妨げていた。

 西側では、バルト隊長が機動戦術を展開。小部隊に分かれて敵の側面を突き、混乱させている。

 しかし、正面では敵の主力がじわじわと近づいてきていた。彼らの中心には赤い旗が高く掲げられ、その下にラドルフの姿があった。

「ラドルフが動いている」フェリナが報告した。「彼は中央の手前で指揮を執っている」

 双眼鏡で見ると、確かに赤い鎧を着けたラドルフが部下に指示を出している様子が見えた。彼の周りには精鋭部隊が固く守りを固めており、容易には近づけない。

「東側が持ちません!」

 突然、緊急の伝令が届いた。「敵が防衛線を突破しました!」

 セリシアが地図に新たな敵の位置を書き込んだ。「東側の最初の防衛線が破られたわ。このままでは側面から包囲される」

 事態は急速に悪化していた。もはや躊躇している時間はない。

「『光の矢』作戦、実行」俺は決断した。「シバタ大尉、頼む」

 大尉は頷き、待機していた伝令に指示を出した。伝令兵が丘の裏側へと走っていく。

「本当にやるのね」フェリナが不安そうに言った。「危険すぎるわ」

「勝つためには必要だ」俺は静かに答えた。「ラドルフの『流れ』を変えるには」

 『光の矢』作戦——それは俺が考案した奇策だった。丘の裏側に隠しておいた精鋭100名が、北東の崖沿いを迂回し、敵の後方から不意打ちを仕掛けるという作戦だ。成功すれば敵の陣形が乱れ、「魂の鎖」の効果も薄れるかもしれない。

 しかし、失敗すれば100名の兵士が孤立し、全滅する危険性もある。それは文字通り、命を賭けた賭けだった。

「東側の援軍はどうする?」セリシアが尋ねた。

「正面の予備兵力50名を回せ」俺は命じた。「カレン隊長に伝えろ——あと30分持ちこたえてくれ」

 予備兵力が東側に向かい、俺たちは再び戦局を見守る。『光の矢』部隊が作戦を実行するまでの間、何としても持ちこたえなければならない。

 戦況は厳しさを増すばかりだった。東側では援軍が到着し、何とか敵の進撃を遅らせているが、完全に止めるには至らない。西側も同様に苦戦し、正面では敵の主力が着実に近づいてきていた。

「この調子では、一時間と持たないわ」セリシアの声には緊張が滲んでいた。

「信じろ」俺は言った。「俺たちの兵を、そして『光の矢』を」

 時間が経過し、戦況はさらに悪化していった。東西両側で敵が押し寄せ、正面からも大軍が迫る。三方向からの挟撃——まさにラドルフの意図した通りの展開だ。

「敵の主力部隊、丘の中腹に到達!」

 伝令の報告に、皆の表情が引き締まる。いよいよ決戦の時だ。

 その時、東の空に一筋の光が走った。続いて、敵の後方から角笛の音が響いた。

「『光の矢』が動いた!」シバタ大尉が声を上げた。

 双眼鏡で見ると、敵の後方で混乱が起きている様子だった。我が精鋭部隊が崖沿いから現れ、敵の補給隊を襲撃したのだ。

「成功したわ!」フェリナの声に興奮が混じる。「敵の後方が混乱している!」

 作戦は成功していた。精鋭部隊は敵の予想外の場所から現れ、後方の守りが薄い部分を突いた。補給隊や伝令が混乱し、ラドルフへの連絡系統も寸断されたようだ。

 敵陣の一部で動きが止まり、混乱の兆候が見え始めた。特に東側を攻めていた部隊が、後方の騒ぎに気を取られ、進撃の勢いが弱まっている。

「今がチャンスだ」俺は決断した。「東側反撃開始! カレン隊長に伝えろ」

 準備していた命令が下され、東側の我が軍が反撃に転じた。彼らは急な斜面を利用して敵を押し返し始める。

 一方、西側のバルト隊長にも同様の指示が出された。彼の部隊も機動力を活かし、敵の隙を突いて反撃を開始する。

 戦況が一変し始めた。敵の進撃が止まり、一部では後退の動きも見られる。「魂の鎖」の効果が及ばない範囲が広がったのか、敵兵の中には混乱し、統制を失う者も出てきた。

「ラドルフの様子は?」俺はフェリナに尋ねた。

「動揺しているわ」彼女が双眼鏡を覗きながら答えた。「彼は急いで部下に指示を出している。恐らく態勢の立て直しを図っているのでしょう」

 『光の矢』作戦は、ラドルフの予想を超える一手となった。彼の完璧な布陣に揺さぶりをかけ、僅かだが隙を生み出したのだ。

「正面からの総反撃を」俺は命じた。「今こそ敵の混乱に乗じるときだ」

 丘の中腹に控えていた主力部隊が、セリシアの指揮の下、一斉に動き出した。彼らは敵の主力に突撃し、戦場に雄叫びが響く。

 俺はタロカ石を並べ直しながら、戦況の変化を追っていた。“流れ"が変わり始めている——敵の混乱、我が軍の士気の高まり、そして最も重要な要素、ラドルフの動揺。

「敵が後退し始めました!」伝令が報告した。「東側、西側共に敵が引き始めています!」

 歓声が上がる。作戦は功を奏していた。敵の三正面同時攻撃の勢いが止まり、彼らの布陣が崩れ始めていた。

 しかし、勝利を確信するには早すぎた。

「ラドルフが動いた!」フェリナが急に声を上げた。「彼が前線に出た!」

 双眼鏡で見ると、確かに赤い鎧を着けたラドルフが前線に姿を現していた。彼は直接指揮を執り、混乱した部隊を立て直そうとしている。

 そして、不気味な光景が広がった。ラドルフの周囲の兵士たちが、まるで操り人形のように一斉に動き出したのだ。彼らの目は赤く光り、完全に「魂の鎖」に支配されているように見えた。

「彼の『魂の鎖』が最大限に発動された」フェリナの声が震えた。「直接支配に切り替えたわ」

 ラドルフの周囲の部隊が、急速に統制を取り戻していく。混乱していた兵士たちが再び機械のような精度で動き始め、我が軍の攻勢を押し返し始めた。

「セリシア!」俺は叫んだ。「正面部隊を引け! 危険だ!」

 セリシアは状況を察し、すぐに撤退の号令を出した。我が軍は迅速に後退を開始する。

 しかし、ラドルフの直接指揮下にある部隊は、恐ろしいほどの迫力で追撃してくる。彼らは痛みも恐怖も感じていないようで、ただ前進するだけだ。

「東西の部隊は?」俺はシバタ大尉に尋ねた。

「持ちこたえています」大尉が答えた。「東側ではカレン隊長が優位に立ち、西側も互角です」

 戦況は混沌としていた。東西では我が軍が優勢となりつつあるが、正面ではラドルフの直接指揮により敵が反撃に出ている。

「『光の矢』部隊の状況は?」俺は伝令に尋ねた。

「彼らは敵の補給線を断ち、今は丘の東側に回りつつあります」伝令が答えた。「敵に追われていますが、まだ全員無事です」

 それは良いニュースだった。彼らが無事なら、まだ戦況を好転させる可能性がある。

「東側に合流するよう指示を」俺は命じた。「カレン隊長と共に、敵の側面を突け」

 指示が伝えられ、戦いは新たな局面に入っていった。

 ラドルフの直接指揮による敵の正面部隊は強力だったが、東西からの我が軍の攻勢により、彼らも全ての戦線を維持するのが難しくなっていた。

「敵の布陣が崩れ始めています」セリシアが戻ってきて報告した。「彼らは戦線の再編成を始めたようです」

 確かに、敵の動きが変わり始めていた。三正面同時攻撃から、正面に兵力を集中させる形に変化しつつある。

「ラドルフは戦術を変えたわ」フェリナが分析した。「正面突破に全てを賭けるつもりよ」

 俺はタロカ石を見つめながら考えた。ラドルフの新たな戦術——正面突破。彼は「魂の鎖」の効果が最も強い自分の周囲の部隊で、一点突破を狙っているのだ。

「全ての予備兵力を正面に集中させろ」俺は命じた。「東西の部隊にも、可能な限り応援を要請する」

 命令が出され、丘の上部に残っていた予備兵力が正面に集結し始めた。

 戦いは激しさを増していった。ラドルフ指揮下の精鋭部隊は、まるで死を恐れぬ狂戦士のように突進してくる。我が軍は必死に防戦し、徐々に後退を余儀なくされていた。

 しかし、その一方で東西の戦線では我が軍が優位に立っていた。特に東側では、『光の矢』部隊とカレン隊長の部隊が合流し、敵を押し返しつつあった。

「正面が持ちません!」伝令が走ってきた。「敵の精鋭部隊が防衛線を突破しました!」

 事態は緊迫していた。敵の一部が丘の上部、指揮所のある場所まで迫りつつある。

「全ての兵力を正面集中」俺は最後の命令を下した。「シバタ大尉、あなたが正面の指揮を。セリシア、東側へ行ってカレン隊長と合流してくれ」

 大尉とセリシアはすぐに動き出した。俺とフェリナは指揮所に残り、全体の戦況を見守る。

「このままでは押し切られるわ」フェリナが心配そうに言った。

「まだだ」俺は静かに答えた。「『流れ』はまだ決まっていない」

 俺はタロカ石を並べ直し、戦場の"流れ"を読もうとした。敵の動き、我が軍の士気、そして何より——ラドルフの意図。

 彼は正面突破に全てを賭けている。自らが前線に出て「魂の鎖」を最大限に発揮し、一点に兵力を集中させている。それは強力な戦術だが、同時に危険も伴う。

 そして、俺にはある考えが浮かんでいた。

「ラドルフの位置は?」俺はフェリナに尋ねた。

「正面突破部隊の中心よ」彼女は答えた。「赤い旗の下に見えるわ」

 俺は決断した。

「フェリナ、最後の指示を出す」俺は言った。「東西の部隊に伝えろ。可能な限り速やかに正面に集結せよ。そして、『光の矢』部隊には特別な任務がある」

 フェリナに細かな指示を伝え、彼女は急いで伝令たちに命令を出した。

 戦いはさらに激化する。ラドルフ率いる精鋭部隊は、丘の上部まであと少しのところまで迫っていた。シバタ大尉の指揮の下、我が軍は必死に抵抗するが、敵の勢いは止まらない。

 そのとき、東側から角笛の音が鳴り響いた。

「セリシアとカレン隊長の部隊が動いた!」フェリナが報告した。「彼らは敵の側面に回り込んだわ!」

 続いて、西側からも同様の角笛が聞こえてきた。バルト隊長の部隊も移動を始めたのだ。

 俺の指示通り、東西の部隊が正面に集結し始めた。彼らは敵の側面から攻め込み、ラドルフの精鋭部隊を挟撃する形となる。

 しかし、最も重要な役割は『光の矢』部隊に与えられていた。彼らは東側から迂回し、敵の後方に回り込む。そして、彼らの目標はただ一つ——赤い旗、ラドルフの位置だ。

「『光の矢』部隊が動いた!」フェリナが興奮した声で言った。「彼らは敵の陣形の隙間を突いている!」

 双眼鏡で見ると、確かに精鋭100名が敵の陣形の弱点を見つけ、素早く移動している。彼らの目指す先は、ラドルフのいる場所だ。

 ラドルフも異変に気づいたようだ。彼は周囲を見回し、部下に指示を出している。しかし、すでに遅い。東西から我が軍が押し寄せ、正面では大尉の部隊が踏みとどまり、そして『光の矢』部隊が後方から接近している。

「包囲の輪が完成した!」フェリナが声を上げた。

 俺の計画は功を奏した。ラドルフの正面突破の動きを利用し、逆に彼らを包囲する形となったのだ。ラドルフの周囲の精鋭部隊は強力だが、四方から攻められては対応しきれない。

 戦況が一気に傾いた。敵の進撃が止まり、我が軍の反撃が始まる。東西からセリシアとバルト隊長の部隊が押し寄せ、正面ではシバタ大尉が踏みとどまり、そして『光の矢』部隊が後方から迫る。

 ラドルフは窮地に陥った。彼の周囲の兵士たちは「魂の鎖」で支配されており、依然として強力だが、包囲された以上、活路を見出すのは難しい。

「ラドルフが動いた!」フェリナが報告した。「彼は撤退の合図を出したわ!」

 敵陣から角笛の音が響き、敵兵が後退を始めた。ラドルフは状況を察し、戦術的撤退を選んだのだ。

「我が軍も押し過ぎるな」俺は命じた。「彼らを追いつめれば、返り討ちにあう」

 我が軍は敵を追撃しつつも、無理な追撃は避けた。敵は秩序ある撤退を行い、丘を下り始めた。

「勝った……のよね?」フェリナが不安そうに尋ねた。

「ああ」俺は安堵の息を吐いた。「今日の戦いは、俺たちの勝ちだ」

 丘の上に歓声が上がった。我が軍は厳しい戦いを制したのだ。

 セリシア、シバタ大尉、カレン隊長、バルト隊長——皆が指揮所に集まってきた。彼らの顔には疲労が見えるが、同時に勝利の喜びも浮かんでいた。

「見事だった」シバタ大尉が俺の肩を叩いた。「あなたの『読み』が、ラドルフの『魂の鎖』を打ち破ったのだ」

 セリシアも満足そうに頷いた。「右翼を任されたけど、あなたの計画通りに動けたわ」

 カレン隊長とバルト隊長も敬意を示してくれた。『光の矢』部隊の指揮官も無事に戻り、作戦の成功を報告した。

 戦いは終わった。少なくとも今日は。敵は丘の麓に陣を敷き直し、次の一手を考えているようだった。

「損害は?」俺は尋ねた。

「死者約150名、負傷者300名ほど」シバタ大尉が答えた。「敵の損害は我々の倍以上だろう」

 俺は北を見つめ、敵陣を観察した。彼らは撤退したが、まだ戦意を失っていない。特にラドルフは、勝負をついていないはずだ。

「明日も戦いは続く」俺は静かに言った。「今夜のうちに防衛を固め直し、負傷者の手当てを優先しよう」

 皆が頷き、それぞれの持ち場に戻っていった。俺とフェリナは指揮所に残り、敵の動きを見守り続けた。

「ラドルフは簡単に諦めないわ」フェリナが言った。「彼は必ず新たな策を練ってくる」

「ああ」俺は同意した。「だが、俺たちも負けない」

 夕暮れが近づき、戦場に静けさが戻ってきた。ただ、北の空にはまだ赤い光が漂っている。ラドルフの「魂の鎖」は依然として力を持っているのだ。

 俺はタロカ石を握り締め、明日の戦いに思いを馳せた。今日は勝利したが、戦いはまだ終わっていない。ラドルフとの決着は、これからだ。

 そして、フェリナが突然息を呑む音がした。

「どうした?」俺は尋ねた。

「負傷者の中に……」彼女の声が震えていた。「セリシアの名前があるわ」

 その言葉に、俺の心臓が止まりそうになった。

「何だって?」

 二人は急いで野営地の医療テントに向かった。そこには多くの負傷兵が収容されており、治療に当たる医師や看護師たちが忙しく動き回っていた。

 テントの奥に、セリシアの姿を見つけた。彼女は腕に包帯を巻かれ、顔にも擦り傷があった。しかし、意識ははっきりしており、看護師に何か指示を出しているようだった。

「セリシア!」俺は駆け寄った。「大丈夫か?」

 彼女は少し驚いたように俺を見上げた。

「ええ、大したことないわ」彼女は答えた。「ちょっと油断したら、敵の槍が腕に当たっただけよ」

 彼女は平然と言ったが、包帯に滲んだ血は決して軽傷ではないことを物語っていた。

「無理しないでくれ」俺は心配そうに言った。

「誰が無理してるって?」セリシアは少し不機嫌そうに言った。「これで休めとでも言うの?」

 その強気な態度に、少し安心した。彼女はまだ元気そうだ。

「そうだな」俺は微笑んだ。「君なら大丈夫だと思うけど、でも少しは休んでくれ」

 セリシアはしばらく俺を見つめていたが、やがて小さく頷いた。

「わかったわ」彼女は言った。「少しだけ休むわ。でも、明日の作戦会議には必ず参加するからね」

 俺は同意し、彼女に休息を取るよう促した。

 医療テントを出ると、夜の闇が戦場を包み始めていた。北の空の赤い光だけが、不気味に明日の戦いを予感させる。

「今日は勝ったけど……」フェリナが不安そうに言った。

「ああ」俺は頷いた。「明日は、もっと厳しい戦いになるだろう」

 そう言いながらも、俺の心には確かな手応えがあった。今日の勝利は偶然ではない。俺たちの団結と、“読み"の力が、ラドルフの「魂の鎖」を打ち破ったのだ。

 明日もきっと、勝てる——。

 その思いを胸に、俺は夜空を見上げた。明日の戦いに向けて、今は休息を取らなければならない。赤眼の魔将との戦いは、まだ始まったばかりだから。