二日目の朝、俺は早くに目を覚ました。夜明け前の砦は静寂に包まれ、兵士たちもまだ眠っている。しかし、この静けさは長くは続かないだろう。今日、ラドルフは本格的な攻撃を仕掛けてくるはずだ。

 砦の高い見張り台に上り、敵陣を観察する。朝靄の中、敵の陣営ではすでに動きが見えた。彼らも早くから準備を始めているようだ。

「やはり眠れなかったか」

 背後から声がして振り返ると、シバタ大尉が立っていた。

「ええ、少し」俺は微笑んだ。「緊張もしますし」

「当然だ」大尉は隣に立ち、共に敵陣を見た。「今日は本格的な攻撃が来るだろう。ラドルフは昨日、我々の防衛体制を探っていたに過ぎない」

「そう思います」俺も頷いた。「昨夜、防衛計画を見直しましたが、やはり柔軟な対応が必要です」

 昨晩、俺は遅くまで防衛計画を練り直していた。固定的な防衛線ではなく、状況に応じて兵力を移動させる戦術だ。砦の内部に予備兵力を配置し、敵の攻撃に合わせて素早く対応する。

「すでに指示は出したのか?」大尉が尋ねた。

「はい、グレイスン大佐にも了承いただき、各隊長に説明しました」

 大尉は満足そうに頷いた。

「素晴らしい判断だ」彼は言った。「ラドルフの正面攻撃に対応しつつ、別の狙いにも備える。まさに『読み』の戦術だな」

 その言葉に、少し照れくさくなった。確かに、この戦術は麻雀での経験が活きている。相手の手を読みながら、自分の手も整えていく。

「あれは……」大尉が突然声を上げた。

 敵陣で大きな動きがあった。赤い旗を中心に、兵士たちが整列し始めている。その中央に、赤い鎧を身につけた騎士の姿が見える。

「ラドルフだ」俺は双眼鏡で確認した。

 遠くからでも、彼のオーラは強く感じられる。兵士たちが彼の周りで完璧な隊形を作り、まるで一つの生き物のように動いている。

「『魂の鎖』の効果か……」大尉が呟いた。「恐るべき力だ」

 朝日が昇り、靄が晴れてくると、敵の全容がはっきりと見えてきた。昨日よりも整然とした布陣で、明らかに本格的な攻撃の準備をしている。

「全軍に警戒を」俺は決断した。「敵が攻撃態勢に入った」

 伝令が走り、砦全体に警報が広がった。兵士たちが次々と持ち場に就き、緊張した面持ちで敵を見つめている。

 セリシアとフェリナも合流した。

「敵の配置が変わったわ」セリシアが報告した。「昨日よりも明確に三方向からの攻撃態勢だわ」

「主力は南正面、そして東西に分散兵力」フェリナが言った。「裏門も狙っているはずよ」

 俺は状況を分析した。ラドルフは昨日の経験から、砦の弱点を把握している。特に裏門が狙われるのは確実だ。

「セリシア、あなたは大門の指揮を」俺は指示した。「フェリナ、情報収集を続けて、敵の動きを逐一報告してくれ」

 二人とも頷き、それぞれの持ち場に向かった。

「大尉」俺は続けた。「あなたには、予備兵力の指揮をお願いします」

「了解した」大尉も頷いた。「君の指示があれば、いつでも動ける態勢を取る」

 全ての準備が整い、後は敵の動きを待つのみとなった。

 そして、敵陣から角笛の音が響いた。攻撃開始の合図だ。

「来るぞ!」グレイスン大佐が大声で叫んだ。

 敵軍は一斉に動き出し、三方向から砦に向かって進軍してきた。主力部隊は南正面の大門に向かい、残りは東西の壁に向かう。

「弓兵、準備!」大佐が命じた。

 砦の壁の上では、弓兵たちが弓を構えて敵の接近を待つ。敵が射程距離に入るまで、あと少し。

「発射!」

 大佐の命令で、弓兵たちが一斉に矢を放った。空を裂く音と共に、矢の雨が敵の前列に降り注ぐ。

 幾人かの敵兵が倒れたが、全体の進軍に乱れはない。彼らは機械のような精度で前進を続ける。

「もう一度、発射!」

 再び矢が放たれ、さらに敵兵が倒れた。しかし、まるで穴を埋めるように、後列の兵士たちが整然と前に進む。

 敵は砦の壁の下に到達し、攻城梯子を立て始めた。同時に、大門には破城槌を持った部隊が接近している。

「大門の防衛を固めろ!」セリシアの声が響いた。「破城槌を止めろ!」

 兵士たちは必死に応戦する。壁の上からは石や槍が投げられ、梯子を登ろうとする敵兵を撃退する。大門の前では、破城槌を止めようと特殊部隊が出撃した。

 俺は砦の中央の塔から全体の戦況を見渡していた。表の戦いは激しいが、まだ持ちこたえている。しかし、気になるのは裏側の状況だ。

「フェリナ」俺は呼びかけた。「裏門の様子は?」

「まだ攻撃は始まっていません」彼女は報告した。「しかし、敵の小部隊が東の崖沿いを移動しているのが見えます」

 予想通り、裏門も狙われるようだ。しかし、昨日と比べて敵の動きに微妙な違いがある。より計画的で、隠密性が高い。

「シバタ大尉」俺は連絡した。「予備兵力の一部を裏門に回してください。敵の動きが見えます」

「了解」大尉の声が返ってきた。

 戦いは激しさを増していった。正面では、敵の一部が壁を乗り越え、砦内との接近戦が始まっている。セリシアの指揮の下、兵士たちは必死に押し返している。

 そのとき、裏側から騒がしい声が聞こえた。

「敵襲! 裏門が破られた!」

 予想通りの事態だが、予想より早かった。急いで裏門に向かうと、既に激しい戦闘が始まっていた。敵約100名が裏門を破り、砦内に侵入しようとしている。

「シバタ大尉!」俺は叫んだ。

「すでに対応中だ!」大尉の声が返ってきた。

 予備兵力が急いで裏門に集結し、侵入してきた敵と交戦する。俺もその場で指揮を取り、防衛線を整えた。

「この扉を中心に防衛線を!」俺は命じた。「敵を中庭に入れるな!」

 兵士たちは必死に戦い、何とか敵の進軍を食い止めている。しかし、このままでは時間の問題だ。敵の数が多すぎる。

 そのとき、フェリナが走ってきた。

「ソウイチロウ! 新たな動きがあるわ!」彼女は息を切らせて言った。「西側の崖下から別働隊が現れました! 約50名、砦の死角から登っています!」

 事態は悪化している。三方向からの攻撃に加え、新たな侵入経路まで。このままでは砦の防衛線が持たない。

 だが、ここで諦めるわけにはいかない。

「大尉」俺は連絡した。「西側に予備兵力の一部を回してください。残りは裏門の応援を」

「了解だ」大尉の声には緊張が混じっていた。「だが、これ以上兵力を分散させれば……」

「わかっています」俺は言った。「しかし、今は全ての侵入口を塞ぐしかありません」

 戦況は厳しさを増すばかりだった。正面では敵が大門を破ろうと猛攻を仕掛け、裏門では既に一部が砦内に侵入している。さらに西側からも新たな脅威が。

(まるで将棋の王を詰ませるように……)

 俺は内心で呟いた。ラドルフの戦術は、まさに我々を追い詰めるものだった。

 砦の中央に戻り、もう一度全体の戦況を確認する。地図の上に駒を置き、現在の状況を可視化した。

「このままでは全方向からじわじわと押し込まれる」グレイスン大佐が言った。「何か策はないのか?」

 俺は地図を見つめながら考えた。ここで必要なのは、単なる防衛ではない。敵の流れを変える手だ。

 ふと、ある考えが浮かんだ。

「陣地を一部囮にする」俺は言った。

「何?」大佐が驚いた顔をした。

「正面の一部を意図的に弱く見せ、敵主力を深部へ誘導します」俺は説明した。「そして、砦内で包囲する」

 大佐は眉をひそめた。

「危険すぎる」彼は言った。「敵を砦内に入れるなど……」

「しかし、このままでは全方向から押し込まれる」俺は強く言った。「敵の流れを変え、我々のペースに持ち込む必要があります」

 セリシアが作戦室に駆け込んできた。

「正面が持ちません!」彼女は報告した。「大門の一部が破られました!」

 時間がない。決断を迫られる。

「ならば、これは天が与えた機会だ」俺は言った。「大佐、作戦を実行させてください」

 グレイスン大佐は一瞬迷ったが、やがて頷いた。

「わかった」彼は決断した。「君を信じよう。指示を出せ」

 俺はすぐに兵士たちに新たな指示を出した。正面で破られた部分を完全に塞がず、敵の一部を意図的に砦内に誘導する。同時に、砦内の中央広場に伏兵を配置する。

「セリシア、正面部隊を頼む」俺は言った。「敵を誘導するんだ、崩壊したように見せかけて」

「了解」彼女は頷いた。

 フェリナにも指示を出す。

「敵の主力の動きを監視していてくれ」俺は言った。「特に赤い旗の部隊だ」

 作戦が実行に移された。正面の部隊は意図的に陣形を崩し、敵に突破口を与えるような動きを見せる。敵は当初警戒していたが、やがて突破口に気づき、進攻を開始した。

「敵が入ってきます!」セリシアが報告した。

 敵兵約200名が砦内に侵入してきた。彼らは勝利を確信したように、中央広場に向かって進む。そこには、何も無いように見える。

 しかし、それは罠だった。

「今だ!」俺は命じた。

 中央広場の周囲の建物から、伏兵たちが一斉に現れた。屋根の上、窓の裏、あらゆる場所から矢や槍が放たれ、侵入してきた敵を襲った。

 敵は完全に不意を突かれた。狭い広場に密集していた彼らは、たちまち混乱に陥る。

「退路を断て!」俺は命令した。

 広場への入口が兵士たちによって塞がれ、侵入してきた敵は完全に包囲された。彼らは必死に抵抗するが、四方からの攻撃に対応できない。

 ラドルフの「魂の鎖」の効果も、ここでは薄れているようだった。彼から離れた場所にいる兵士たちは、パニックを起こし始めている。

「効いています!」セリシアが喜びの声を上げた。「敵が混乱しています!」

 正面からの敵の侵入は止まり、既に侵入した敵は次々と倒れていった。この予想外の事態に、敵全体の動きが鈍くなる。

「裏門の様子は?」俺はフェリナに尋ねた。

「敵が撤退し始めました!」彼女は報告した。「どうやら、正面の事態を察知したようです」

 西側からの侵入も同様に止まり、敵は態勢を立て直そうとしているようだった。

 これはチャンスだ。

「反撃だ!」俺は命じた。「全軍、一斉に押し返せ!」

 兵士たちは新たな活力を得たように戦い始めた。正面では大門を奪回し、裏門では侵入した敵を撃退する。

 戦況は一気に我々に有利に傾いた。正面の伏兵作戦の成功が、砦全体の士気を高めたのだ。

 そして、敵陣からラッパの音が響いた。撤退の合図だ。

「敵が撤退します!」フェリナが報告した。

 敵軍は整然と、しかし急いで撤退を始めた。砦内で混乱していた部隊は大半が倒れ、生き残った者たちも捕虜となった。

「やった!」セリシアが喜びの声を上げた。「彼らを撃退した!」

 兵士たちからも歓声が上がった。第二日目の戦いは、我々の勝利で終わったのだ。

 俺は安堵の息を吐いた。作戦は成功した。敵を誘い込み、その流れを変えることで勝機を掴んだのだ。

 しかし、安心するのは早い。ラドルフはまだ諦めていない。彼は撤退しつつも、砦を見つめている。その赤い目が、遠くからでも感じられるようだった。

 ***

 夕方、作戦室で戦果の確認が行われた。

「敵の損害は約400名」グレイスン大佐が報告した。「捕虜50名。我々の損失は死者30名、負傷者約80名」

 厳しい戦いだったが、予想以上の成果を上げることができた。

「ソウイチロウ補佐官」大佐が俺を見た。「君の作戦は見事だった。あの伏兵の配置がなければ、今頃砦は落ちていただろう」

「ありがとうございます」俺は頭を下げた。「皆さんの協力があってこそです」

 シバタ大尉も満足そうに頷いた。

「君の『読み』の才はやはり本物だ」彼は言った。「敵の動きを予測し、流れを変える判断は見事だった」

 その言葉に、少し照れくさくなった。しかし、心の内では確信していた。この戦術は麻雀で培った「読み」の感覚が活きたものだと。

「ですが」俺は表情を引き締めた。「これで終わりではありません。ラドルフはまだ諦めていない」

「そうだな」大尉も同意した。「彼は今日の敗北から学び、新たな策を練ってくるだろう」

 捕虜から得た情報によれば、敵の総兵力はまだ1000以上。今日の損失を考慮しても、我々よりまだ優勢だ。

「明日に備えて、防衛体制を再確認しましょう」俺は提案した。

 再度、砦の防衛計画が見直された。伏兵の配置、予備兵力の運用、敵の新たな動きへの対応など、様々なシナリオが検討された。

 会議が終わり、兵士たちは休息に入った。今夜は勝利の高揚感もあり、食堂は賑やかだった。

 俺は少し離れた場所で夕食を取りながら、明日の戦いに思いを巡らせていた。

「一人で考え込んでるわね」

 フェリナが近づいてきた。彼女の表情には疲れが見えたが、どこか安堵の色も混じっていた。

「ああ」俺は微笑んだ。「今日は上手くいったけど、明日が心配で」

「わかるわ」彼女は隣に座った。「ラドルフは簡単に諦めない。今日の敗北から必ず学んでくる」

 フェリナの表情には、複雑な感情が浮かんでいた。彼女にとって、ラドルフとの戦いは単なる任務以上のものだから。

「ねえ」彼女が突然言った。「今日、あなたを見ていて思ったの」

「何を?」

「あなたの戦術」彼女は真剣な表情で言った。「ラドルフの類似戦術を見抜いていたわね」

「え?」俺は少し驚いた。

「ラドルフも以前、同じような囮作戦を使ったことがあるの」フェリナは説明した。「敵を誘導し、閉じ込めて潰す……それは彼の得意技の一つ」

 そうだったのか。俺は無意識のうちに、敵の戦術を読み取り、逆に利用していたのだ。

「だから、あなたは彼に勝てるかもしれない」フェリナは小さく微笑んだ。「彼の考えを先読みできる人は、滅多にいないから」

 その言葉に、少し自信が湧いてきた。

「ありがとう」俺は心から言った。「君の情報は本当に助かる」

 フェリナはうなずき、席を立った。

「明日も気をつけて」彼女は言い残して去っていった。

 一人残された俺は、もう一度今日の戦いを振り返った。敵の動きを読み、伏兵の配置を最適化したこと。それが勝因だった。

(勝機は手の内にある……)

 麻雀でも、勝負は自分の手をいかに整えるかにかかっている。同じことが、この戦場でも言える。

 今夜は早めに休み、明日に備えよう。ラドルフとの真の勝負は、これからだ。