「これで四連勝か……」

 作戦室を出る際、俺は思わず小声で呟いた。今日も小規模な国境警備作戦が成功し、帝国軍の偵察部隊を撃退した。先日の正式補佐官への任命から一ヶ月が経ち、俺の手がけた作戦はすべて成功している。

「お前の『読み』はマジですげぇな」

 隣を歩くカイルが肩を叩いてきた。今ではすっかり気安い仲だ。

「そんなことないよ」

 謙遜しながらも、内心では満足感を覚えていた。前世では雀荘で連勝することもあったが、この世界での連勝は人々の命を救う結果に直結する。その重みは比べものにならない。

「いや、本当にすごいよ」カイルは真摯に言った。「あんな風に敵の動きを予測できるなんて。今日の伏兵の配置だって完璧だった」

「運が良かっただけさ」

「運じゃねぇよ」カイルは少し呆れ顔で言った。「兵たちの間じゃ『戦術の神童』なんて呼ばれてるんだぜ?」

「やめてよ、照れるじゃん」

 廊下の曲がり角で、シバタ大尉とバロン大佐が話しているのが見えた。バロン大佐は依然として俺に対して批判的だ。彼らに気づかれないよう、足を止める。

「あの補佐官は確かに才能がある」バロン大佐の低い声が聞こえてきた。「だが、あまりに順風満帆すぎる。本当の試練を経ていない」

「彼は実戦で結果を出している」シバタ大尉が冷静に反論した。

「連戦連勝は必ずしも良いことではない」バロン大佐は厳しい口調で言った。「特に若い指揮官にとっては。過信を生む」

 二人は歩き去り、声が聞こえなくなった。

「気にするなよ」カイルが言った。「バロン大佐はいつもそうだ。どんな若手にも厳しい」

「うん……」

 だが、その言葉は心に引っかかった。本当の試練? 過信? 俺はそんなふうになっているのだろうか。

「あ、俺はここで戻るわ」カイルが言った。「また明日」

「ああ、またな」

 一人になった俺は、司令部の中庭に足を向けた。夕暮れ時の静かな空間で、少し考えをまとめたかった。

 中庭のベンチに座ると、最近の作戦を振り返る。確かに、すべて成功している。帝国軍の動きを読み、先手を打ち、最小限の犠牲で勝利を重ねてきた。誰もが俺の才能を認め始めている。

(麻雀でこんなに連勝したら、絶対にのぼせ上がってたよな……)

 前世の記憶が蘇る。高校生の頃、県大会で準優勝したときの浮かれた気分。だが、その後すぐに調子を崩し、大会での惨敗。そして焦りから勉強をおろそかにし、受験に失敗した。

「あら、こんなところで何をしているの?」

 突然の声に顔を上げると、セリシアが立っていた。

「ああ、セリシア」

 彼女は隣に座り、夕焼けを見上げた。

「今日の作戦も成功だったわね。おめでとう」

「ありがとう。君の分析があったからこそだよ」

 セリシアは少し笑った。最近は二人の間にも自然な空気が流れるようになっていた。

「作戦会議ではバロン大佐の表情が険しかったわね」

「ああ……さっき廊下で聞いちゃったんだ」俺は素直に告白した。「俺が『過信』していると言ってた」

「バロン大佐は経験豊富な指揮官よ」セリシアは静かに言った。「彼の言葉には一理あるかもしれないわ」

「君もそう思う?」

 セリシアはしばらく黙っていたが、やがて真摯な表情で俺を見た。

「率直に言うと……あなた、少し勝ちに慣れすぎているんじゃないかしら」

 その言葉に、少し心が痛んだ。

「勝ち慣れたらまずいのか? 勝てばいいんだろ?」

 思わず反発するような言い方になった。セリシアは少し眉をひそめた。

「勝つことは大事よ。でも、勝ち方も重要」彼女は冷静に言った。「最近のあなたは、少し荒っぽくなっている気がする」

「荒っぽい?」

「ええ」彼女は真摯に続けた。「先週の北峠の作戦では、偵察隊を危険な位置に配置したわ。結果的には敵を発見できたけど、もし読みが外れていたら……」

 言葉が胸に刺さった。確かに、最近は「勝てる」という自信から、少し大胆な作戦を取るようになっていた。

「みんなは私の判断を信頼してくれてるから……」

「そうよ。だからこそ、より慎重になるべきじゃないかしら」

 風が吹き、セリシアの髪が揺れた。その横顔は厳しくも優しい。

「ごめん」素直に謝った。「少し調子に乗ってたのかもな」

「謝らなくていいわ」彼女は表情を和らげた。「あなたの才能は本物。だからこそ、それを最大限に活かせるように……」

「わかってる」俺は頷いた。「もっと慎重になるよ。約束する」

 セリシアは安心したように微笑んだ。

「そういえば」彼女は話題を変えた。「明日、大きな作戦会議があるわ。東部国境での新たな任務について」

「東部? あそこは最近帝国軍の動きが活発だって聞いたけど」

「ええ」彼女は少し表情を引き締めた。「情報によれば、向こうにはかなり強力な指揮官がいるらしいわ」

「名前は?」

「ラドルフという男よ」セリシアは静かに言った。「『赤眼の魔将』と呼ばれているわ」

「赤眼……?」

「噂では、彼の指揮する部隊は異様なほど統制がとれているらしい」セリシアは続けた。「まるで操り人形のようだと」

 何か不吉な予感がした。今までとは違う種類の敵のようだ。

「フェリナなら、もっと詳しいことを知ってるかもしれないわ」セリシアが言った。「彼女はエストレナ帝国の出身だし」

「そうだね、聞いてみよう」

 二人は立ち上がり、司令部へと戻った。夕焼けが徐々に深まり、空が赤く染まっていく。なぜか、その赤さが「赤眼の魔将」という言葉と重なって見えた。

 ***

 翌朝、大会議室に幹部たちが集まった。アルヴェン将軍を中心に、各部隊の指揮官や参謀たちが着席している。俺とセリシアも席に着いた。

「諸君」将軍が会議を始めた。「東部国境の状況が緊迫している。帝国軍の大規模な移動が確認された」

 壁に掛けられた大きな地図を指し示しながら、将軍は説明を続けた。

「彼らはレイクバレー地域に集結している。この動きは明らかに我が国のサンガード要塞を狙ったものだ」

 会議室がざわめいた。サンガード要塞は東部国境の要所であり、ここが落ちれば国土の深部まで敵が侵攻できる。

「敵の指揮官は誰だ?」ある大佐が尋ねた。

「情報によれば、ラドルフ・ゼヴァルドだ」

 将軍の言葉に、再びざわめきが起こった。どうやら「赤眼の魔将」の名は多くの士官が知るところらしい。

「彼については、フェリナ情報将校から詳細を聞こう」将軍がフェリナに目を向けた。

 フェリナが立ち上がり、報告を始めた。彼女は引き締まった表情で、冷静に話す。

「ラドルフ・ゼヴァルドは、エストレナ帝国の戦術総監です。28歳の若さでありながら、既に数々の戦果を挙げています」

 彼女の声には微かな緊張が感じられた。

「彼の特徴は、圧倒的な支配力です。彼の指揮下にある兵士たちは、まるで意思を奪われたかのように統制されて動きます」

「意思を奪われた?」誰かが疑問を投げかけた。

「ええ」フェリナは頷いた。「普通の軍隊であれば、戦場での混乱や恐怖から秩序が乱れることもありますが、彼の軍隊はそれがない。まるで一人の意思で動く操り人形のようです」

 俺は思わず身を乗り出した。それは麻雀でいう「流れ」とは真逆の存在だ。流れは読み合い、駆け引きの中で生まれるもの。しかし、ラドルフは流れそのものを支配しようとしている。

「彼の戦術は?」シバタ大尉が尋ねた。

「徹底した合理主義です」フェリナは答えた。「感情に左右されず、常に最も効率的な方法で勝利を目指します。犠牲や損害を恐れない冷酷さも特徴です」

 フェリナが一瞬俺を見た気がした。

「さらに」彼女は続けた。「彼には『赤い目』があります。一説には、禁忌の魔術によって得たものだと言われ、敵の心を読む力があるとも……」

「迷信だ」バロン大佐が遮った。「大事なのは彼の実際の戦術だ」

「おっしゃる通りです」フェリナは冷静に対応した。「彼の実際の戦術は、敵の動きを先読みするのではなく、敵に動きを強制する点にあります。彼は『流れを読む』のではなく『流れを創る』のです」

 その言葉に、背筋に冷たいものが走った。「流れを創る」……それは俺の「読み」が通用しない可能性を意味する。

「我々の対応策は?」将軍が問いかけた。

 各士官が意見を述べ始めた。通常の防衛戦略や迎撃作戦など、様々な提案がなされる。俺も自分なりの考えをまとめていた。

「ソウイチロウ補佐官」将軍が突然俺を指名した。「君の意見を聞かせてくれ」

 全員の視線が俺に集まる。少し緊張したが、落ち着いて答えた。

「敵が『流れを創る』なら、我々もそれに対抗する必要があります」俺は自信を持って言った。「彼らの想定する流れを意図的に崩し、こちらの流れに引き込む作戦を提案します」

「具体的には?」

「サンガード要塞の正面防衛は当然として、周辺の小規模拠点にも相応の戦力を配置します。敵が本当に要塞を狙うなら、これらの拠点も無視できないはず」

 俺は地図を指し示しながら説明を続けた。

「さらに、敵の後方に小部隊を潜入させ、補給線を脅かします。これにより、敵は戦力の一部を後方警備に回さざるを得なくなる」

「危険な賭けだな」バロン大佐が眉をひそめた。「小部隊が全滅する可能性もある」

「リスクはあります」俺は認めた。「しかし、このラドルフという男は合理主義者。後方の危険を無視はしないでしょう」

 会議室に沈黙が流れた。将軍は考え込むように俺の提案を検討している。

「興味深い提案だ」将軍はやがて言った。「だが、シバタ大尉の意見も聞きたい」

 シバタ大尉が立ち上がった。

「ソウイチロウ補佐官の発想は斬新だ」彼は冷静に言った。「だが、私はより保守的なアプローチを提案する。要塞の防衛を最優先し、敵の動きに応じて対応する」

 二つの案が提示され、議論が始まった。最終的に将軍は決断を下した。

「両案を組み合わせよう」将軍は言った。「要塞の防衛を固めつつ、周辺拠点も強化する。後方への小部隊派遣については、状況を見て判断する」

 俺の案が全面的に採用されなかったことに、少し失望を感じた。しかし、完全に却下されたわけでもない。

「作戦は三日後に開始する」将軍は言った。「各自、準備に取りかかるように」

 会議が終わり、人々が部屋から出ていく中、セリシアが俺に近づいてきた。

「あなたの案は大胆だったわね」

「でも採用されなかった」俺は少し不満げに言った。

「全面的には採用されなかっただけよ」セリシアは冷静に言った。「将軍は慎重派。それは当然のこと」

 彼女の言葉に、少し反省した。確かに、俺の案はリスクが高い。それでも、ラドルフに対抗するにはそれくらいの大胆さが必要だと信じていた。

「でも、このラドルフって人、本当に手強そうだな」

「ええ」セリシアの表情が暗くなった。「フェリナの様子を見れば、ただ者ではないのは明らかよ」

 そう言えば、フェリナはラドルフの話をする時、普段より緊張した様子だった。何か因縁があるのだろうか。

「フェリナに詳しく聞いてみよう」俺は提案した。

「いいわね」セリシアは頷いた。「情報は多いに越したことはないわ」

 二人は情報部の方へと向かった。これから始まる大規模作戦に向けて、準備を進めなければならない。そして、謎に包まれた「赤眼の魔将」ラドルフとの初めての対峙に備える必要がある。

 俺はこれまでの連勝に慢心せず、最大限の注意を払って臨もうと決意した。だが、心の奥底では、この強敵に対する期待と高揚も感じていた。それは麻雀の卓で強豪と対峙する時に感じた、あの熱い感覚に似ていた。