「朝からこんなに緊張するなんて、雀荘の店舗対抗戦以来だよ……」

 作戦室に向かう廊下で、俺は小さく呟いた。昨日の休暇を終え、今日から任務再開。シバタ大尉からの伝言通り、朝9時に作戦室に集合することになっている。

 昨夜は眠れなかった。フェリナとの一件もあるが、それ以上に、初めての実戦任務の結果がどう評価されるのか気になって仕方なかったのだ。

 作戦室の前まで来ると、ドアの前で足が止まった。深呼吸をして、ノックをする。

「入れ」

 アルヴェン将軍の重厚な声が響いた。

 ドアを開けると、予想以上に多くの人が集まっていた。アルヴェン将軍を中心に、シバタ大尉、セリシア、ドーソン少佐、そして何人かの上級士官たち。全員が俺を見ている。

「あ、おはようございます」

 思わず声が上ずった。

「おはよう、ソウイチロウ」アルヴェン将軍が穏やかに言った。「時間通りだな」

「は、はい……」

 緊張のあまり、視線がさまよう。セリシアは冷静な表情で軽く頷いた。ドーソン少佐はいつもより柔らかい表情をしている。そして、部屋の隅に……フェリナがいた!

 彼女と目が合った瞬間、二人とも顔を赤らめて視線をそらした。昨夜の一件が鮮明によみがえる。

「どうした? 具合が悪いのか?」将軍が訝しげに尋ねた。

「い、いえ! 大丈夫です!」

 慌てて答える。フェリナの存在に動揺していることを悟られたくない。

「よし」将軍は満足げに頷いた。「では本題に入ろう」

 将軍は机の上の報告書を手に取った。

「シバタ大尉から詳細な報告を受けた。補給路防衛任務は見事に成功したようだな」

「はい」シバタ大尉が答えた。「敵の奇襲を事前に察知し、被害を最小限に抑えることができました」

「そして、その功績の大半がこの若き補佐官にあると」

 将軍の視線が俺に向けられた。部屋の空気が凛と引き締まる。

「い、いえ、皆の協力があってこそです」

 思わず謙遜してしまう。だが、シバタ大尉はきっぱりと言った。

「そうですが、ソウイチロウ補佐官の『読み』がなければ、我々は敵の奇襲に気づけなかったでしょう」

「報告によれば」将軍は報告書に目を落とした。「彼は敵の動きの不自然さを察知し、独自の判断で警戒範囲を広げた。その結果、敵の奇襲を未然に防いだ」

 部屋の中で数人の士官がざわめいた。中には不満そうな顔をしている者もいる。

「さらに翌日の戦いでも、敵指揮官を見抜き、効果的な対策を講じた」

 将軍は報告書を置き、俺をまっすぐ見た。

「ソウイチロウ・エストガード」

「は、はい!」

 思わず直立不動の姿勢になる。

「私は君を、北方軍の正式な補佐官に任命する」

 衝撃が走った。見習いではなく、正式な補佐官。それは地位も責任も大きく変わることを意味する。

「あ、ありがとうございます!」

 緊張のあまり、声が裏返りそうになった。

「これは恩赦ではない」将軍は厳格に言った。「君の実力を認めての任命だ。今後も北方軍の勝利のために、その才覚を発揮してもらいたい」

「はい! 全力を尽くします!」

 俺が敬礼すると、シバタ大尉も満足げに頷いた。一方、部屋の隅では数人の士官が小声で何かを話し合っている。明らかに不満そうな様子だ。

「何か意見があるなら、堂々と述べよ」

 将軍の声が鋭く響いた。士官たちはハッとしたように黙り込んだ。

「バロン大佐、君は何か言いたいことがあるようだな?」

 白髪混じりの厳つい大佐が一歩前に出た。

「失礼します、将軍」彼は低い声で言った。「あまりにも唐突な昇進ではないでしょうか。彼はまだ軍に来て日が浅く、経験も浅い。もう少し様子を見るべきでは」

 部屋の空気が凍りついた。

「バロン大佐」将軍は穏やかな口調ながらも、威厳を持って答えた。「軍において最も重要なのは何だ?」

「規律と経験です」

「半分は正しい」将軍は頷いた。「だが、もう一つ重要なものがある。それは『結果』だ」

 将軍は立ち上がり、部屋の中を歩き回り始めた。

「ソウイチロウ補佐官は確かに若く、経験も浅い。だが、彼は実戦で結果を出した。敵の動きを読み、被害を最小限に抑え、勝利に導いた。これ以上の証明が必要だろうか?」

 バロン大佐は言葉に詰まった。

「私は才能を見逃さない」将軍は断固として言った。「彼の才能は特別だ。それを活かさない手はない」

 バロン大佐は渋々頭を下げた。

「……承知しました」

 将軍は再び俺に向き直った。

「正式な辞令は後ほど渡す。これからはより大きな責任を負うことになるが、恐れることはない。我々が支える」

「ありがとうございます」

 胸がいっぱいになる感覚。前世では麻雀しか取り柄がなかった俺が、この世界では重要な地位を得た。不思議な感覚だ。

「会議は以上だ」将軍が言った。「諸君、解散」

 全員が敬礼し、部屋を出ていった。俺も退室しようとしたとき、将軍が声をかけた。

「ソウイチロウ、セリシア、少し残ってくれ」

 二人は足を止め、他の士官たちが部屋を出るのを待った。フェリナも去っていく。彼女とはまだちゃんと話せていない。

 部屋が静かになると、将軍は少し表情を和らげた。

「正直に言うと、反対意見は他にもあった」彼は苦笑した。「君の年齢や経歴を問題視する声は少なくない」

「それは……理解できます」俺は素直に答えた。

「だが、私はそれを押し切った」将軍は真剣な眼差しで言った。「君の才能は、この戦局を変える可能性を秘めている」

「そんな大げさな……」

「大げさではない」セリシアが口を開いた。「あなたの戦術は異端よ。でも、否定できない」

 珍しく、セリシアが俺を評価する言葉。少し照れくさくなる。

「セリシア」将軍が言った。「君には引き続き、ソウイチロウの参謀として働いてほしい」

「はっ、承知しました」

「二人の組み合わせは相性がいい」将軍は満足げに頷いた。「理論と直感、分析と読み……互いを補完し合える」

 セリシアと俺は顔を見合わせた。最初は反目していた関係が、今では互いを認め合うパートナーになりつつある。

「さて、次の任務だが」将軍は再び真剣な表情になった。「まだ詳細は伝えられないが、重要なものになるだろう」

「はい」

「準備はいいか?」

「はい、いつでも」俺は自信を持って答えた。

「よし」将軍は微笑んだ。「では、正式な辞令式は明日午前。それまでに休息を取るといい」

「ありがとうございます」

 将軍に敬礼して、俺とセリシアは部屋を出た。廊下に出ると、セリシアがくすりと笑った。

「何?」俺は訝しげに尋ねた。

「いえ、あなたの表情が面白かったから」彼女は小さく微笑んだ。「こんなに緊張するなんて珍しいわね」

「だって、将軍の前だし……」

「でも、よかったわね」彼女は真摯に言った。「あなたの才能が正式に認められたのよ」

「うん……」

 廊下を歩きながら、俺は不思議な感覚に包まれていた。前世では価値のなかった麻雀の才能が、この世界では人々を守る力になる。

「ねえ」セリシアが少し躊躇いながら言った。「あなたとフェリナの間に、何かあったの?」

「え?!」思わず声が上ずった。「な、何で?」

「さっき、妙に気まずそうだったから」彼女は鋭く見抜いていた。

「あ、あれは……その……」

 言葉に詰まる俺を見て、セリシアはさらに疑いの目を向けた。

「何かあったのね」

「いや、ただの誤解だよ……」

 夜の野営地での一件を説明するのは恥ずかしすぎる。

「フェリナは情報部の優秀な将校よ」セリシアは厳しい口調で言った。「今後の任務でも協力することになるかもしれないわ。気まずい関係は避けた方がいいわよ」

「わかってる……なんとかするよ」

 セリシアは少し不満げな顔をしたが、それ以上は追及しなかった。

「じゃあ、また後で」

 彼女は軽く会釈して去っていった。取り残された俺は、溜息をついた。

(フェリナとの関係、どうしたもんかな……)

 まだ気まずさを抱えたまま、俺は自室に向かった。

 ***

 部屋に戻ると、デスクの上に一通の手紙が置かれていた。誰からだろう? 恐る恐る封を開くと、簡潔な文面が目に入った。

『午後3時、北庭園にて。フェリナ』

 フェリナからの手紙だ! 心臓が高鳴る。彼女が何を言いたいのか、想像するだけで緊張する。もしかして、あの一件について厳しく問い詰めるつもりなのだろうか。

(とにかく、ちゃんと謝らないと……)

 時計を見ると、まだ午前11時。時間はたっぷりある。緊張で落ち着かず、部屋の中をうろうろと歩き回った。

 午後2時半、俺は北庭園に向かった。早めに着いて心の準備をしようと思ったのだ。

 北庭園は司令部の中でも静かな場所で、木々や花々が美しく配置されている。ベンチに座り、やってくるフェリナを待った。

「来るのが早いわね」

 背後から突然声がして、俺は飛び上がりそうになった。振り返ると、フェリナが立っていた。

「あ、フェリナ……」

 彼女は昨日とは違い、冷静な表情をしていた。黒髪を整然とまとめ、軍服姿でありながらも品のある美しさを漂わせている。

「座っていいかしら」

「ど、どうぞ」

 フェリナはベンチの反対側に座った。少し距離を置いているのが痛々しい。

「まず謝らせて」俺は勇気を振り絞って言った。「昨日は本当に申し訳なかった。わざとじゃなかったんだ。道に迷って……」

「わかってる」彼女はあっさりと言った。「カイルが説明してくれたわ」

「え? カイルが?」

「ええ」彼女は少し表情を和らげた。「あなたが兵士たちとの宴会から帰る途中で、間違えて私のテントに入ったと」

「そうなんだ……」

 カイルが状況を説明してくれていたとは。ありがたい話だ。

「でも、それでも変わらない事実もあるわね」彼女は少し厳しい目で言った。「あなたが私の……その……」

 彼女も言葉に詰まった。顔が赤くなっている。

「本当にごめん」心から謝った。「忘れてほしい。いや、忘れるなんて生意気か。とにかく許してほしい」

 フェリナは少し考え込むように黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。

「実は、それを言いに来たんじゃないの」

「え?」

「私、朝の会議で初めて知ったわ」彼女は真剣な表情になった。「あなたが敵の奇襲を事前に察知して、被害を最小限に抑えたこと」

「ああ、そのことか……」

「私の故郷の村も、帝国軍の奇襲で壊滅したの」彼女は静かに言った。「誰も予測できなかった。だから……あなたのような才能が軍にいるのは、とても心強いわ」

 突然の告白に、言葉を失った。彼女には複雑な過去があるのか。

「それで、昨日のことは……水に流すわ」彼女はきっぱりと言った。「軍の一員として、協力していきましょう」

「ありがとう」心から安堵した。「これからよろしく」

 フェリナは少し微笑んだ。その微笑みは、昨日までは想像もできなかったものだ。

「それと、おめでとう」彼女は付け加えた。「正式補佐官への昇進」

「ありがとう」

「あなたの『読み』の力、興味深いわ」彼女は少し身を乗り出した。「情報将校として、その力の分析に協力したいと思ってるの」

「俺の力?」

「ええ」彼女は真剣な表情で言った。「あなたが読み取る『パターン』や『流れ』を、情報として体系化できれば、軍全体の戦力になる」

 なるほど。それは確かに理にかなっている。俺個人の感覚だけでなく、広く共有できる知識にできれば、より多くの命が救える。

「協力するよ」俺は頷いた。「よろしく頼む」

 二人は軽く握手を交わした。昨日の気まずさが嘘のように、穏やかな空気が流れる。

 ***

 夕方、俺は司令部の屋上にあるテラスで夕日を眺めていた。今日は波乱の一日だった。正式補佐官への昇進、バロン大佐との対立、フェリナとの和解……。

「ここにいたのか」

 振り返ると、シバタ大尉が立っていた。

「大尉」

「休暇中か?」彼は穏やかに微笑んだ。

「はい、少し頭を整理していました」

 シバタ大尉は隣に立ち、共に夕日を眺めた。

「昇進おめでとう」彼は静かに言った。「心からの祝福だ」

「ありがとうございます。大尉のおかげです」

「いや、君の実力だ」彼はきっぱりと言った。「私は単に報告しただけだ」

 二人は暫し黙って夕日を見つめた。

「大尉」やがて俺は尋ねた。「軍では、年齢や経歴より結果が重視されるものなんですか?」

「理想的にはな」シバタ大尉は苦笑した。「だが、どの組織でも人間関係や政治的な力関係は存在する。今日のバロン大佐のような反対意見は、これからも出てくるだろう」

「覚悟はしています」

「だが恐れることはない」彼は力強く言った。「君には、将軍という強力な後ろ盾がある。そして……」

「そして?」

「君の『結果』という最強の武器がある」彼は真摯に言った。「結果を出し続ければ、誰も文句は言えなくなる」

 その言葉に、少し勇気づけられた。

「ありがとうございます」

「さて、私は次の任務の準備がある」シバタ大尉は言った。「君も休息を取るといい。明日からは忙しくなるぞ」

「はい」

 大尉が去った後も、俺は夕日を眺め続けた。夕焼けに染まる空が、不思議と麻雀牌の色を思い起こさせる。

(ようやく"卓"に座れたって感じだな)

 静かに呟いた。

 前世では麻雀の卓に座り、勝負に明け暮れた日々。そして大学受験に失敗し、将来に絶望していた。

 だが今、俺は違う「卓」に座っている。軍の作戦会議という名の卓で、人々の命を左右する勝負に挑む。その責任は重いが、同時に充実感もある。

 セリシアという理論派の参謀、フェリナという情報の専門家、シバタ大尉という経験豊富な指揮官。そして俺の「読み」の才能。それらが組み合わさることで、多くの命を救える可能性がある。

 夕日が山の向こうに沈むのを見ながら、俺は静かに笑った。やっと自分の居場所が見つかったような気がした。