「無事に戻ってきたな」
北方軍総司令部の大広間で、アルヴェン将軍はシバタ大尉の報告を聞き終えると、満足げに頷いた。任務から戻った我々は、将軍に直接報告を行っていたのだ。
「はい。補給基地は守り、敵を撃退しました」
シバタ大尉が敬礼すると、将軍は俺たちの方に視線を向けた。
「ソウイチロウ補佐官、セリシア少尉、ドーソン少佐。諸君の働きぶりも報告書に詳しく記されている。よくやった」
「ありがとうございます」
三人同時に敬礼した。将軍の視線が特に俺に向けられていることを感じる。
「ソウイチロウ」将軍が俺を呼んだ。「君の『読み』が今回の作戦を成功に導いたと聞いた」
「いえ、皆の協力があってこそです」
謙遜するものの、内心では誇らしさを感じていた。
「シバタ大尉の報告によれば、君は敵の動きを正確に予測し、囮作戦も実行したそうだな」
「はい……」
「初めての実戦でよくやった」将軍は温かい目で言った。「だが、規律を無視した行動は慎むように」
「申し訳ありません」
「結果が全てではない」将軍は厳しくも優しい口調で続けた。「次からは正規のルートで進言するように」
「はい、肝に銘じます」
「よし」将軍は全員に向き直った。「諸君は休息を取るがよい。数日間の休暇を与える」
「ありがとうございます!」
全員が敬礼し、解散した。大広間を出ると、シバタ大尉が俺の肩を叩いた。
「よかったな。将軍も君の才能を高く評価している」
「ありがとうございます」
「数日の休暇、ゆっくり体を休めるといい」シバタ大尉は穏やかに言った。「次の任務はもっと重要になるかもしれんからな」
「はい」
シバタ大尉は会釈して去っていった。ドーソン少佐も無言で頷くと、別の方向へ歩いていく。残ったのは俺とセリシアだけだ。
「よかったわね」セリシアが言った。「将軍の評価は高いわよ」
「そうみたいだね」
「私も久しぶりに休暇ね」彼女は少し考え込むように言った。「何をしようかしら」
「僕は……たぶん寝るかな」
緊張の連続だった日々を思い返し、ふと疲れを感じた。セリシアは少し笑った。
「あなたらしいわ。でも、確かに休息は大事ね」
「セリシアは何をするの?」
「私?」彼女は少し考えて答えた。「図書館で軍事書を読むかもしれないわ」
「休暇なのに?」
「知識は力よ」彼女はきっぱりと言った。「特に、あなたのような天性の才能に負けないためには」
「競争してるわけじゃないよ」
「わかってる。でも、私も役に立ちたいの」
彼女の真摯な表情に、少し心が動いた。セリシアは本当に真面目だ。
「じゃあ、また数日後に」
「ええ、お互い体を休めましょう」
二人は別れ、それぞれの方向へ歩いていった。
***
「はぁ〜、やっと一息つける」
自分の部屋に戻ると、俺は文字通りベッドに倒れ込んだ。北方軍総司令部に来てから最も激しい数日間だった。実戦、敵との戦闘、そして自分の判断が人の命を左右するという重圧。
「前世じゃ、こんな経験絶対なかったよな……」
天井を見つめながら、前世の記憶が蘇る。高校生活、麻雀部の仲間たち、そして受験失敗。あの頃の自分からは想像もできなかった展開だ。
「あの時は麻雀しか取り柄がないって思ってたけど……」
皮肉なことに、その麻雀が今の自分を支えている。卓上の勝負で培った読みの感覚が、戦場で役立つとは。
ノックの音がして、考えが中断された。
「はい?」
ドアを開けると、カイルが立っていた。
「失礼します、補佐官殿」
「カイル、どうしたの?」
「兵たちが、お礼を言いたいそうです」彼は少し照れたように言った。「今晩、兵舎で小さな宴を開くんですが、よかったら……」
「宴会?」
「はい。本当は軍規に反するんですが……」カイルは小声で言った。「特別な夜なんです。補佐官殿がいなければ、あの戦いは勝てなかったかもしれない」
彼の誘いを断る理由はない。それに、兵士たちと交流を深めるのも悪くないだろう。
「わかった、行くよ」
「本当ですか?」カイルの顔が明るくなった。「ありがとうございます! 夜9時、第三兵舎でお待ちしています」
彼は嬉しそうに去っていった。俺は少し微笑んで、再びベッドに横になった。
(宴会か……楽しみではあるけど、ちょっと緊張するな)
麻雀部の打ち上げとは違う雰囲気だろう。それでも、命を分かち合った仲間との時間は特別なはずだ。
***
夕食を終え、俺は第三兵舎へと向かった。夜の司令部は静かで、歩哨以外の人影はまばらだ。
第三兵舎に近づくと、中から抑えられた笑い声や話し声が聞こえてきた。扉を叩くと、すぐにカイルが出てきた。
「補佐官殿! お待ちしていました」
彼に導かれて中に入ると、約20人の兵士たちが輪になって座っていた。俺の姿を見るなり、全員が立ち上がって敬礼した。
「お、お休みください」
慌てて言うと、彼らは笑顔で座り直した。
「こちらへどうぞ」
カイルが輪の中の席に案内した。簡素な木のテーブルには、酒と食べ物が並んでいる。
「乾杯だ!」誰かが声を上げた。「補佐官殿の慧眼に!」
「乾杯!」
全員がジョッキを掲げた。俺も恐る恐るジョッキを持ち上げる。中身はリンゴの発酵酒らしい。
「休暇中だからいいけど、ほどほどにな」年配の兵士が忠告した。
「はい、気をつけます」
一口飲むと、甘くてすっぱい味が広がった。前世のお酒より飲みやすい。
「補佐官殿」一人の兵士が声をかけた。「あの夜、どうして敵が来ると分かったんですか?」
「それが俺も知りたい」別の兵士も口を挟んだ。「まるで未来が見えてるみたいでした」
全員の好奇心に満ちた視線を感じて、少し照れる。どう説明すればいいだろう? 麻雀の経験なんて言えないし。
「それは……パターンを読んだんだ」俺は慎重に言葉を選んだ。「敵の動きがあまりにも分かりやすすぎて、不自然だった。だから、別の意図があると思ったんだ」
「すげぇな」若い兵士が感嘆の声を上げた。「俺たちには見えないものが見えるんですね」
「そんなことはないよ」俺は首を振った。「君たちだって、経験を積めば同じように読めるようになるさ」
「いや、違いますよ」カイルが真剣な顔で言った。「補佐官殿の才能は特別です。シバタ大尉もそう言ってました」
その言葉に、少し照れくさくなる。でも、素直に嬉しい。
宴会は和やかに進み、兵士たちと様々な話をした。彼らの故郷の話、入隊した理由、家族のこと……。実際に戦場を共にした仲間だからこそ、心を開いて話せるのだろう。
夜が更けるにつれ、疲れと酒の影響で眠気が襲ってきた。
「そろそろ失礼しようかな」俺は言った。
「もう少しいてくださいよ」何人かが引き止めた。
「明日も休めるしな」カイルも言った。「それに、これから聞きたいことがあるんです」
「何?」
「補佐官殿は、タロカが得意なんですよね?」
「ああ、まあ……」
「ぜひ一局やりませんか?」カイルがポケットからタロカ牌の入った小箱を取り出した。「みんなで賭けタロカをやるんです、休暇の時は」
「賭けタロカ?」
「はい、小額ですが……」カイルは少し恥ずかしそうに言った。「もちろん、軍規には反しますが」
前世では雀荘で賭け麻雀をしていたことを思い出す。懐かしい感覚だ。
「いいよ、参加する」
兵士たちから歓声が上がった。
「では、始めましょう!」
テーブルが片付けられ、タロカの準備が整った。参加者は俺を含めて5人。他のメンバーは興味津々で観戦している。
「ルールは標準ですが、勝者が賭け金を総取りします」
カイルが説明しながら牌を配り始めた。
「了解」
麻雀とは少し違うルールだが、基本的な考え方は同じだ。手札を組み合わせて役を作り、先に完成させた者が勝ち。
牌が配られ、俺は自分の手札を確認した。数字の2、5、7、8、花の「太陽」「雨」、特殊札の「戦士」「魔術師」など、10枚の牌が手元にある。
(なかなか良い手だな……)
数字札で「小進行」、花札で「天体の対」を狙えそうだ。
「では、始めましょう」
カイルの合図で、ゲームが始まった。順番に牌を引き、不要な牌を場に捨てていく。
俺は相手たちの捨て牌を注意深く観察した。麻雀での経験が蘇る。誰がどんな役を狙っているのか、手の内を読み取ることができる。
「「数字の3」を捨てます」
「「数字の3」、いただきます」
カイルが俺の捨てた牌を取った。
(ふむ、数字の連続を狙ってるな)
そして別の兵士は花札ばかり集めている。彼らの動きを読みながら、自分の手も整えていく。数巡が過ぎ、俺の手は整ってきた。
(あと一枚で上がりだ)
次の自分の番で山札から引いた牌は「数字の6」。これで「大進行」の完成だ!
「上がります」
俺は宣言して手札を公開した。
「「大進行」と「天体の対」、合計95点です」
兵士たちからどよめきが起こった。
「すごい!」
「さすが補佐官殿!」
「あっという間だ!」
カイルは驚いた顔をしていたが、すぐに笑顔になった。
「見事です。やはり補佐官殿は天才だ」
「運が良かっただけさ」
俺は謙遜したが、実際には相手の動きを読み、最適な捨て牌を選ぶことで勝機を掴んだのだ。
「もう一局やりましょう!」
兵士たちの熱意に押され、さらに数局を重ねた。結果は5局中4局の勝利。唯一の敗北も、わざと手を弱めて様子を見ていたときだった。
「まさに『読みの達人』だ」年配の兵士が感嘆の声を上げた。「これで戦場の敵が読めるなら、納得だ」
「タロカと戦場は同じようなものかもしれないね」俺は思ったことを口にした。「相手の行動から意図を読み取り、次の一手を予測する」
「深いな……」カイルが感心したように言った。
宴会はさらに続き、夜も更けていった。兵士たちとの会話を楽しみながらも、次第に激しい眠気に襲われる。
「本当にそろそろ失礼するよ」
「ああ、もう遅いしな」カイルも同意した。「明日も休暇だが、無理は禁物だ」
「ありがとう、楽しかった」
俺は立ち上がり、兵士たちに別れを告げた。皆、敬礼して見送ってくれる。
「補佐官殿」カイルが兵舎の外まで送ってくれた。「今夜は本当にありがとうございました。皆、元気づけられました」
「こちらこそ。仲間に入れてくれてありがとう」
「いえ」カイルは真摯な表情で言った。「補佐官殿は俺たちの命の恩人です。あの夜、あなたの判断がなければ……」
「さあ、そろそろ帰ろう」
感傷的な雰囲気を和らげるために、俺は話を切り上げた。
「おやすみなさい、カイル」
「おやすみなさい、補佐官殿」
***
夜風が肌寒く、星明かりだけが薄暗い司令部の敷地を照らしている。
(いい夜だったな……)
兵士たちとの交流は、思った以上に心地よかった。彼らは俺を「補佐官殿」と呼び敬意を払うが、それでいて打ち解けた雰囲気でもあった。前世では想像もできなかった関係だ。
自分の部屋に向かう途中、俺は小道を抜けて野営地の方に足を向けた。そちらの方が近道になるからだ。
野営地は普段は訓練や一時的な駐屯に使われる場所だが、今は閑散としている。ただ、いくつかのテントが張られており、どうやら一部の兵士が外で休んでいるようだ。
(もうちょっとで着くな……)
そう思いながら歩いていると、目の前のテントから光が漏れているのに気づいた。簡易的な仮設テントで、おそらく休暇中の兵士が使っているのだろう。
歩を進めようとした瞬間、そのテントのフラップが勢いよく開き、中から人影が現れた。
「ちょっと待って……」
驚いた声と共に、俺は思わずそのテントの中に足を踏み入れていた。
そこで目にしたのは……。
「きゃっ!」
女性の悲鳴。しかもよく知っている声だ。
テントの中、ランプの淡い光の中に立っていたのは、なんとフェリナという若い女性だった。彼女は変わった名前だが、最近司令部に配属された情報将校だと聞いている。今まで言葉を交わしたことはなかったが、廊下ですれ違ったことがある気がする。
そして問題は……彼女が着替えの最中だったということだ。上半身は薄い下着姿で、下半身にはちょうどズボンを履こうとしていたところだった。
「な、なに?! 変態!」
彼女の叫び声と同時に、何かが俺の頭に向かって飛んできた。小さな石だ!
「ご、ごめん! 間違えた!」
慌てて謝りながら、俺は急いでテントから飛び出した。
「出てけ、変態!」
彼女の怒りの声と共に、さらに石や何かの堅い物体が飛んできた。
「本当にごめん! わざとじゃないんだ!」
必死に謝りながら、俺は野営地から離れて走った。
(なんてこった……)
相当の距離を置いてから、俺はようやく立ち止まり、息を整えた。顔が熱い。恥ずかしさと動揺で心臓がバクバク鳴っている。
「まさか、あんな形でフェリナと……」
彼女は確か、情報部に最近来た新しい将校だと聞いている。エストレナ帝国の元貴族の娘とかで、何か複雑な事情があるらしい。詳しくは知らないが、今後の関係は最悪のスタートを切ってしまった。
「もうちょい余裕見せてくれても……いや、無理か」
頭を抱えながら、自分の部屋に戻る。明日、彼女と鉢合わせたらどうすればいいのだろう? 謝るべきか、知らんぷりするべきか……。
「とりあえず、今夜はもう寝よう」
疲れと恥ずかしさで頭がぼんやりする中、俺はベッドに倒れ込んだ。
***
翌朝、俺は緊張しながら食堂に向かった。フェリナと顔を合わせる可能性があるからだ。
「おはよう、ソウイチロウ」
食堂の入り口でセリシアとすれ違った。
「お、おはよう、セリシア少尉」
「どうしたの? 顔色が悪いわよ」
「いや、なんでもない……」
「そう?」彼女は少し不思議そうに見たが、それ以上は追及しなかった。「では、また後で」
「うん……」
セリシアが去った後、俺は恐る恐る食堂に入った。そして、すぐに彼女を見つけた。
フェリナは食堂の隅のテーブルに一人で座っていた。長い黒髪を束ね、軍服姿でありながらも凛とした美しさを持つ女性だ。しかし今朝は、彼女の顔が真っ赤に染まっていた。
俺と目が合うと、彼女はさらに顔を赤くして、そそくさと立ち上がった。食事を半分も食べていないのに、彼女は急いで食堂を出て行った。
(やっぱり……怒ってるよな)
落ち込みながらも、食事を取るために列に並んだ。背後から何やら視線を感じて振り返ると、カイルが立っていた。
「おはようございます、補佐官殿」
「おはよう、カイル」
「あの……」彼は少し言いにくそうにしていた。「昨夜、何かありました?」
「え?」
「噂では……」彼は声を低くした。「野営地のテントで、フェリナ情報将校と……」
(もう噂になってるのか!)
「違うんだ!」思わず声が大きくなった。「単なる事故だよ! 道に迷って……」
「わかりました、わかりました」カイルは手を振った。「俺は信じてますよ。でも、フェリナ将校は……かなり怒ってるみたいです」
「そりゃそうだよ……」
「彼女、普段は冷静沈着な人なんですが、今朝は珍しく動揺してました」
「……謝らないとな」
「そうですね」カイルは同情的に言った。「でも、少し時間を置いた方がいいかも」
「そうするよ、ありがとう」
朝食を終え、俺は自室に戻った。休暇の間は特にやることもないので、読書でもして過ごそうと思う。しかし、どうしてもフェリナのことが気になって集中できない。
「謝るべきか……」
思い悩んでいると、ノックの音がした。扉を開けると、兵舎管理の兵士が立っていた。
「ソウイチロウ補佐官、明日から任務再開です。明朝9時、作戦室に集合するようにとの伝言です」
「わかった、ありがとう」
休暇もあっという間に終わりか。まあ、退屈していたところだし、仕事に戻れるのは悪くない。
「それと……」兵士は少し遠慮がちに言った。「フェリナ情報将校からのメッセージもあります」
「え?」
思わず声が上ずった。
「『二度と近づくな、変態』だそうです」
「……了解した」
落ち込みながらドアを閉めた。この関係は最悪だ。しかも、明日からの任務でフェリナとも一緒になるかもしれない。
(どうすればいいんだ……)
窓の外を眺めながら、俺は溜息をついた。前世では麻雀しか知らなかった高校生が、異世界で軍の補佐官となり、戦場で命のやり取りをする日々。そして、思いがけない女性との出会いと衝突。
人生とは、本当に予測できないものだ。