「補給基地への奇襲……なるほど」
朝の報告会で、シバタ大尉は地図を見ながら呟いた。夜明けと共に送り出した偵察隊が戻り、重要な情報をもたらしたのだ。
「山の向こう側の村には、我が軍の小規模な補給基地がありました」偵察隊長が報告を続ける。「村民も動員して、明日の大規模補給に備えていたようです」
「そこを奴らは狙っていたのか」
シバタ大尉の表情が引き締まる。昨夜の戦いで敵を撃退したとはいえ、彼らの本来の目的が判明したことで、新たな緊張が走った。
「大尉」ドーソン少佐が口を開いた。「この基地を奪われれば、東部前線全体への補給が滞ります」
「そうだな」シバタ大尉は頷いた。「奴らの本当の狙いはそれだったか……」
テントの中の空気が重くなった。目の前の補給路だけでなく、山の向こうの基地まで守らなければならないという事実に、誰もが表情を引き締めている。
「すぐに山の向こうにも防衛部隊を派遣すべきです」セリシアが提案した。
「だが、ここの防衛も手薄にはできんぞ」ドーソン少佐が反論する。
「では、兵力を分割するか……」
議論が続く中、俺は黙って地図を見ていた。昨夜の戦いで、俺の読みは的中した。帝国軍は確かに迂回路を使って別の場所を狙っていたのだ。でも、彼らはまだ諦めていないはずだ。
「あの……」俺が口を開いた。
全員の視線が俺に集まる。昨夜の戦功もあり、少なくとも露骨な敵意はなくなっていた。
「何かあるか、ソウイチロウ補佐官?」シバタ大尉が促した。
「はい。敵は撤退しましたが、完全に諦めたとは思えません。おそらく態勢を立て直して、再度攻撃してくるでしょう」
「同感だ」シバタ大尉は頷いた。「問題は、どこを狙ってくるかだ」
「二つの可能性があると思います。一つは昨夜と同じ、山を迂回して基地を狙う。もう一つは……」
俺は地図上の別の場所を指した。
「この峠から攻めてくる可能性です。より長い迂回路ですが、我々の警戒が薄いはずです」
「なるほど……」シバタ大尉は考え込んだ。「それなら、両方に備える必要があるな」
「しかし、兵力は足りるのか?」ドーソン少佐が心配そうに言った。
「分散させて薄くなるリスクはある」シバタ大尉は認めた。「だが、どちらかに全力投球して、もう一方を無視するわけにもいかない」
「ではこうしましょう」セリシアが提案した。「主力はここに残し、小隊一つを基地防衛に。そして斥候を峠に配置します」
「妥当な判断だな」シバタ大尉は同意した。「ドーソン少佐、君は主力と共にここに残れ。セリシア少尉、君は小隊を率いて基地の防衛を頼む」
「はっ!」
二人は敬礼した。
「ソウイチロウ補佐官」
「はい!」
「君は私と共に行動してくれ。君の『読み』が必要だ」
「わかりました」
作戦会議が終わり、各自が準備に取りかかる。テントを出ると、セリシアが近づいてきた。
「ソウイチロウ」
「セリシア少尉」
「……昨夜のことだけど」彼女は少し躊躇した。「あなたの判断は正しかった。私が協力しなくて申し訳なかったわ」
珍しく、彼女が謝ってきた。
「いや、気にしないで」俺は首を振った。「君の立場では難しかったよね」
「それでも……」彼女は真剣な表情になった。「次からは、もっとあなたの意見に耳を傾けるわ」
「ありがとう」
素直な彼女の姿に、少し心が温かくなる。
「でも、規律はとても大事。できるだけ正規のルートで進言してね」
「わかってるよ」俺は笑った。「昨日は緊急事態だったから」
「そうね」彼女も少し表情を緩めた。「とにかく、今日も気をつけて」
「君もね」
彼女は軽く頷き、自分の部隊の準備に向かっていった。
***
昼過ぎ、作戦は開始された。セリシアが率いる小隊は山を越えて基地に向かい、斥候部隊は峠に配置された。残りの主力部隊はドーソン少佐の指揮の下、元の陣地を守る。
俺はシバタ大尉と共に小高い丘に陣取り、双眼鏡で周囲を観察していた。
「昨夜は見事な判断だった」
突然、シバタ大尉が話しかけてきた。
「いえ……カイルたちの協力があったから」
「命令に反する行動だったがな」彼は厳しいが穏やかな口調で言った。
「すみません……」
「いや、責めているわけではない」彼は首を振った。「時に、正規の命令系統を無視してでも、正しいと思うことをする勇気は必要だ」
「大尉……」
「だが、それは結果が伴って初めて評価される」彼は真剣な表情になった。「失敗していれば、厳しい処罰もあり得た」
「はい、理解しています」
「君の『読み』は確かだ。だが、独断専行は極力避けるべきだ。可能な限り、指揮官を説得することだ」
「わかりました」
シバタ大尉の言葉には重みがあった。彼は俺を責めるのではなく、軍人としての在り方を教えてくれているのだ。
「さて」彼は話題を変えた。「敵の次の動きをどう読む?」
「はい……」
俺は周囲を見渡しながら考えた。麻雀では、相手の捨て牌から手の内を読む。それと同じように、敵の行動から次の一手を予測する。
「昨夜の失敗で、敵は我々の警戒レベルを知りました。今後は更に慎重になるでしょう」
「同感だ」
「そうなると……」俺は地図を見た。「峠からの迂回路を使う可能性が高い。時間はかかりますが、最も安全です」
「なるほど」シバタ大尉は頷いた。「だが、そこにも斥候を置いている。気づかれるリスクがあるぞ」
「はい。だから敵は……」
その時、遠くから馬のひづめの音が聞こえた。
「来たか!」
シバタ大尉が立ち上がり、音のする方向を見た。北西の方角から、一人の兵士が馬を走らせてこちらに向かってくる。我が軍の斥候だ。
「報告!」馬から飛び降りた斥候が息を切らせて言った。「帝国軍が峠を通過しました! 約30名、基地方向に向かっています!」
「予想通りだな」シバタ大尉が俺に目配せした。
「セリシア少尉に警告を!」
「既に伝令を出しました!」
「よし」シバタ大尉は素早く判断した。「我々も基地に向かう。ドーソン少佐に状況を伝え、ここは任せろ」
「はっ!」
斥候は再び馬に飛び乗り、主力部隊の元へと走り去った。
「ソウイチロウ、行くぞ」
「はい!」
俺たちも馬に乗り、山を越えて基地のある村へと急いだ。
***
村に着いたときには、既に戦闘が始まっていた。
セリシアの指揮する小隊が村の入り口で防衛線を張り、帝国軍と激しく交戦している。村民たちも避難し、基地の兵士たちも加わって抵抗していた。
「セリシア!」シバタ大尉が叫んだ。
「大尉!」彼女は振り返った。「敵は予想より多い! 少なくとも40名はいます!」
「増援を呼んだか」シバタ大尉は眉をひそめた。「態勢は?」
「何とか持ちこたえています! でも、このままでは……」
「わかった」
シバタ大尉は素早く状況を判断し、命令を下した。
「我々も加わる。セリシア、左翼を固めろ。ソウイチロウ、村の裏手に回って状況を確認しろ」
「はっ!」
俺は命じられた通り、村の裏手に回った。戦闘の音が激しく響く中、慎重に進む。
村の裏側には小さな広場があり、そこに補給物資が積まれていた。帝国軍の一部が、そこを目指して迂回している姿が見えた。
「やはり物資が目的か……」
俺は急いで戻り、シバタ大尉に報告した。
「大尉! 敵の一部が裏から物資を狙っています!」
「数は?」
「10名ほどです!」
「くっ、巧妙な作戦だ」シバタ大尉は歯噛みした。「正面からの攻撃は囮か」
「裏に回りましょうか?」
「いや、俺が行く」シバタ大尉は決断した。「お前はセリシアを助けろ。彼女に『敵の本当の目的は物資だ。時間を稼げ』と伝えろ」
「了解しました!」
俺はセリシアの元へと急いだ。彼女は前線で兵士たちを指揮している。
「セリシア少尉!」
「ソウイチロウ! 状況は?」
「敵の本当の目的は物資です! 裏から回っています!」俺は息を切らせて言った。「シバタ大尉が対応しています。我々は時間を稼ぐのです!」
「了解!」
彼女は即座に戦術を変更した。
「全軍、防衛を固めよ! 撤退は許さない! 時間を稼ぐんだ!」
兵士たちは勇気づけられたように戦線を整え、帝国軍の攻撃に耐えた。
俺はセリシアの側で戦況を見守りながら、麻雀で培った「読み」の感覚を総動員していた。敵の動き、攻撃のパターン、指揮系統……。
「セリシア少尉! 敵の指揮官はあそこです!」
俺は帝国軍の中で、他の兵士と少し違う装備の男性を指差した。
「どうして分かるの?」
「動きが違います。他の兵は彼の動きを見てから行動しています」
「鋭い観察眼ね……」セリシアは感心した様子で言った。「では、彼を狙いましょう!」
セリシアは数名の弓兵に指示を出した。彼らは一斉に敵指揮官に向けて矢を放った。
指揮官は避けたものの、混乱が生じた。敵の攻撃の勢いが一時的に衰えた。
「効果あり!」セリシアが叫んだ。「押し返せ!」
我が軍は反撃に転じ、敵を少しずつ押し返し始めた。
その時、村の裏側から騒がしい音が聞こえた。シバタ大尉の戦いだ。
「大尉は大丈夫でしょうか……」俺は心配そうに言った。
「信じましょう」セリシアは冷静に答えた。「我々は我々の役目を果たすの」
戦いは続き、次第に敵の士気が下がっていくのを感じた。そして、裏側からシバタ大尉の勝利の叫び声が聞こえた。
「帝国軍、撤退だ!」敵の兵士の声が響いた。
敵は混乱の中、撤退を始めた。我が軍は追撃せず、防衛線を維持した。
「勝った……」セリシアは安堵の表情を浮かべた。
間もなく、シバタ大尉が兵を率いて合流した。
「物資は無事だ」彼は報告した。「敵は撤退した」
「大尉!」セリシアは敬礼した。「こちらも撃退に成功しました」
「よくやった、セリシア」シバタ大尉は満足げに頷いた。「そしてソウイチロウ、君の読みのおかげで先手を打てた」
「いえ……」
「謙遜することはない」シバタ大尉は断固として言った。「君の観察と分析があったからこそ、この勝利がある」
その言葉に、少し照れくさくなる。
「さあ、負傷者の手当てと防衛の強化だ」
戦闘後の処理が始まった。怪我人の手当て、防衛体制の再構築、戦果の確認。全てが手際よく進められていく。
***
夕方、シバタ大尉は報告書を書いていた。司令部に送るための戦闘の記録だ。
「ソウイチロウ」彼が俺を呼んだ。
「はい」
「この報告書に君の功績を記した」彼は穏やかに言った。「昨夜の敵発見から今日の戦いまで、君の『読み』が我々を救った」
「ありがとうございます……」
「ドーソン少佐も認めざるを得ないだろう」シバタ大尉は少し微笑んだ。「彼も報告を受けて、『あの坊ちゃん補佐官、なかなかやるな』と言っていたそうだ」
「少佐が……?」
思わず驚きの声を上げた。あれほど敵対的だったドーソン少佐が、俺を認めたというのか。
「人は結果を見れば、評価を変えるものだ」シバタ大尉は静かに言った。「君は二度の戦いで、確かな結果を出した」
「ありがとうございます」
「明日、我々は司令部に戻る」シバタ大尉は言った。「将軍に直接報告することになるだろう」
「はい」
「緊張することはない。ただ事実を伝えればいい」
テントを出ると、夕日が山の向こうに沈みかけていた。オレンジ色に染まる空を見上げながら、俺は今日の戦いを振り返った。
前世では想像もできなかった光景だ。実際の戦場で、自分の判断が人々の命を左右する。麻雀の卓とは比べものにならない重圧。しかし同時に、勝利したときの達成感も大きい。
「ソウイチロウ」
振り返ると、セリシアが立っていた。
「あ、セリシア少尉」
「今日のことだけど……」彼女は少し照れくさそうに言った。「あなたの指摘で敵指揮官を狙えたのは大きかった」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「それに……」彼女はもじもじしながら続けた。「私の判断より、あなたの『読み』の方が正確だったわ」
「そんなことないよ」俺は首を振った。「僕たちはチームだから。一人では何もできなかった」
彼女は少し驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「そうね。チームワークが大切よね」
「うん」
「シバタ大尉も言ってたわ」彼女は少し真面目な表情になった。「『あの子の読みは論理的だ』って」
「論理的?」
「ええ。あなたの判断は直感のように見えて、実は論理的な分析に基づいているって」
「そう思ってくれたんだ……」
確かに麻雀での読みは、単なる勘ではない。相手の捨て牌、手の内の推測、確率計算……様々な要素が絡み合った論理的判断だ。
「私も同感よ」セリシアは真剣に言った。「だから、私もあなたから学びたいと思ってる」
「セリシアが、僕から?」
「意外?」彼女は少し笑った。「私は理論派だけど、あなたの視点は新鮮なの」
「ありがとう。僕も君から学ぶことが多いよ」
二人で夕日を見ながら立っていると、カイルが近づいてきた。
「失礼します、補佐官殿、少尉殿」
「どうしたの?」セリシアが尋ねた。
「明日の朝、司令部に戻る準備ができました」カイルが報告した。「それと……」
彼は少し顔を赤らめて言った。
「補佐官殿、兵士たちの間で評判ですよ。『読みの達人』って呼ばれてます」
「え?」
思わず声が上ずった。
「本当よ」セリシアも頷いた。「『あの坊ちゃん補佐官、只者じゃない』って皆言ってるわ」
「そんな……」
照れくさくて言葉が出ない。
「誇りに思うべきよ」セリシアは静かに言った。「あなたは才能がある。それを正しく使えば、多くの命を救える」
彼女の言葉に、胸が熱くなった。
前世では麻雀の才能は、受験に失敗した原因でしかなかった。だがこの世界では、人々を守る力になる。あの日、トラックに跳ねられて命を落としたのは、もしかしたら運命だったのかもしれない。
「勝てたのは偶然じゃない。それだけは……断言できる」
小さく呟きながら、俺は夕焼けに染まる空を見上げた。