「あんな若造を連れて行くなんて、冗談じゃない!」
北方軍総司令部の作戦室から、怒鳴り声が漏れてきた。俺は報告書を持って部屋の前まで来たところだったが、ドアの前で足を止めた。
「ブレイク大佐、将軍の命令です」
シバタ大尉の冷静な声が返す。
「命令だろうと何だろうと、15歳の坊ちゃんを最前線に連れて行くなど、狂気の沙汰だ!」
「補佐官殿の観察眼は確かです。前回の偵察任務でも、彼の分析は正確でした」
「偵察と実戦は違う!」
肩身の狭い思いをしながら、俺はドアの前で立ち尽くしていた。どうやら、次の任務について議論しているようだ。前回の偵察任務から一週間が経ち、シバタ大尉から「次は君にも参謀として同行してほしい」と言われていたのだが……。
「何をしている?」
背後から声がして振り返ると、セリシアが立っていた。
「あ……ちょっと」
「会議が始まる前に入らないと」
彼女は俺のためらいを察したようだ。
「中で何か揉めてるみたいで……」
セリシアは小さく溜息をついた。
「またブレイク大佐でしょう。あの人はあなたの抜擢に最初から反対していたの」
「そうなんだ……」
「でも、将軍の決定には従うわ。さあ、一緒に入りましょう」
彼女の言葉に勇気づけられ、俺はドアをノックした。
「どうぞ」
中から声がして、セリシアと共に部屋に入る。作戦室には数名の士官が集まっていた。シバタ大尉、ドーソン少佐、そして赤ら顔の怒り顔の男性——恐らくブレイク大佐だろう。
「失礼します。報告書を持ってきました」
緊張しながら敬礼すると、ブレイク大佐は鼻を鳴らした。
「将軍のお気に入りか。どれほどの腕か見せてもらおうじゃないか」
その敵意のこもった視線に、思わず身構えてしまう。
「ブレイク大佐、会議を始めましょう」
ドーソン少佐が場を取り持ち、全員が机を囲んだ。大きな地図が広げられている。東部国境を示す地図だ。
「では、今回の作戦について説明する」
シバタ大尉が立ち上がり、地図を指した。
「我々の偵察で確認された通り、東部国境での帝国軍の動きが活発化している。彼らは特に、この補給路を狙っていると思われる」
地図上で示された道は、東部前線に物資を運ぶ重要なルートだった。
「この補給路を守るため、小規模な部隊を派遣する。私が指揮を執り、ドーソン少佐、セリシア少尉、そしてソウイチロウ補佐官が参謀として同行する」
ブレイク大佐が再び口を開いた。
「坊ちゃん補佐官を連れて行く意味など全く見出せんな」
「将軍の判断です」シバタ大尉は冷静に返した。「彼の『読み』の力は、敵の動きを予測するのに役立つと」
「『読み』だと? くだらん。戦場は子供のゲームではない」
「それは……」
「もういい」ブレイク大佐は手を振った。「将軍の命令なら従うまでだ。だが、彼が足手まといになれば、すぐに送り返せ」
「はい、大佐」
シバタ大尉は表面上は従順だが、その眼差しには反発が見える。
「任務の詳細に移ろう」
シバタ大尉は地図上の別の点を指した。
「我々はこの丘に陣を構え、下の谷を通る補給隊を警護する。敵の規模は小さい部隊と予想されるが、油断は禁物だ」
「こちらの兵力は?」ドーソン少佐が尋ねた。
「3個小隊、計60名だ」
「十分でしょう」セリシアが頷いた。「帝国軍が大規模部隊を投入するとは考えにくいです」
「そうだな」シバタ大尉は同意した。「では、詳細な配置について議論しよう」
会議は続き、具体的な作戦計画が練られていった。兵の配置、警戒体制、緊急時の対応など、様々な事柄が決められる。
俺は黙って聞いていたが、次第に疑問が湧いてきた。
「すみません」勇気を出して口を開いた。「一つ質問があります」
全員の視線が俺に集中する。特にブレイク大佐の冷ややかな目が痛い。
「なんだ?」シバタ大尉が促した。
「この補給路、なぜ帝国軍はわざわざここを狙うのでしょうか? もっと防備の薄い場所があるはずです」
「それは……」シバタ大尉が少し考え込んだ。
「明らかだろう」ブレイク大佐が口を挟んだ。「ここは最短ルートだ。他のルートは迂回が必要で時間がかかる」
「でも、そうであれば帝国軍も同じことを考えるはずです。つまり、我々が重点的に守ると予測できるはず」
「何が言いたい?」
「この情報は、少し露骨すぎると思います。まるで、わざと我々に気づかせているようなパターンに見えるんです」
部屋が静まり返った。
「子供の妄想だ」ブレイク大佐が鼻で笑った。「情報部の報告は確かだ」
「もっと具体的に説明してくれ」シバタ大尉は真剣に尋ねた。
「はい」俺は地図を指した。「帝国軍の動きがあまりにも目立ちすぎます。偵察でも確認できるほど露骨に部隊を移動させている。これは……」
麻雀での経験を思い出す。相手にわざと牌を見せて、別の手を隠す戦術。
「これは囮ではないかと思います。本当の目標は別にあるのではないか」
「どこだというのだ?」ブレイク大佐が挑むように言った。
「それは……まだわかりません」正直に答えた。「しかし、この流れには違和感があります」
「流れだと?」ブレイク大佐は呆れたように言った。「シバタ、この子供はもういらんだろう」
「いいえ」シバタ大尉は冷静に言った。「ソウイチロウ補佐官の直感は、前回も的中した。無視するわけにはいかない」
「直感で軍を動かすつもりか!」
「予防策として、警戒範囲を広げるのは理にかなっています」セリシアが冷静に言った。「万が一、別の場所が狙われた場合に備えて」
ブレイク大佐は不満そうな顔をしたが、それ以上は反論しなかった。
「わかった。警戒範囲を広げよう」シバタ大尉が決断した。「だが、主力はあくまで補給路の防衛だ」
「了解しました」全員が頷いた。
「これで会議は終了だ。明日の出発に備えよ」
「はっ!」
全員が敬礼して部屋を出た。廊下に出ると、ブレイク大佐が俺の前に立ちはだかった。
「坊ちゃん補佐官、覚えておけ。戦場は命がけだ。お遊びで『読み』などと言っていれば、仲間を危険にさらすことになる」
「はい……肝に銘じます」
「ふん」
彼は不満げに去っていった。残されたのは、俺とセリシアだけだ。
「気にしないで」セリシアが言った。「ブレイク大佐は古い考えの持ち主なの」
「でも、彼の言うことも間違ってはいないと思う……」
「そうね」セリシアは率直に言った。「でも、あなたの『読み』も無視できないわ。前回の偵察任務での鋭い観察は、私も感心したもの」
「ありがとう」
「とにかく、明日の出発に備えて。今夜はしっかり休んで」
「うん……」
彼女は軽く頷いて去っていった。俺は窓から外を見た。明日からの任務は、偵察とは違い、実際の戦闘の可能性もある。緊張と不安が入り混じった感情が湧き上がる。
「この布陣、流れが不自然だ」
小さく呟きながら、俺は準備に取りかかった。
***
翌朝早く、北方軍の城門前に集合した60名の兵は、整然と隊列を組んでいた。指揮官のシバタ大尉、参謀のドーソン少佐とセリシア、そして俺の四人が先頭に立っている。
「全員揃ったな」シバタ大尉が確認した。「出発するぞ!」
「おう!」
兵士たちの気合いの声が朝の空気を震わせた。隊列が動き出し、東部国境へと向かう。
馬上での長旅。前回の偵察任務で少し慣れたとはいえ、まだまだ馬の扱いに不安がある。でも、なんとか隊列についていく。
「補佐官殿、大丈夫ですか?」
隣からカイルの声がした。彼も今回の任務に選ばれたようだ。
「ああ、なんとか……」
「前回よりは上手くなりましたね」彼は微笑んだ。
「そうかな? まだまだだけど」
彼との会話で少し緊張が和らいだ。カイルは親しみやすい性格で、若い兵士の中では人望があるらしい。
「今回は本格的な任務ですね」彼は少し声を落とした。「敵と戦うかもしれない」
「そうだね……」
「大丈夫ですよ。シバタ大尉は優秀な指揮官です。それに……」彼は少し照れたように言った。「補佐官殿の『読み』があれば、万全でしょう」
「そう言ってもらえると嬉しいけど……」俺は複雑な心境だった。「責任重大だよ」
「みんなで協力しましょう」
カイルの前向きな言葉に、少し元気づけられた。
昼過ぎ、部隊は休憩のために小さな森で止まった。兵士たちは交代で食事を取り、馬の手入れをしている。
「ソウイチロウ補佐官」
シバタ大尉が俺を呼んだ。彼は地図を広げ、セリシアとドーソン少佐も周りに集まっていた。
「はい」
「昨日言っていた『違和感』について、もう少し詳しく聞かせてくれないか」
真摯な表情で尋ねられ、俺は自分の考えを整理した。
「はい……帝国軍の動きが、あまりにも規則的で、予測しやすいんです。戦場では通常、相手を欺くための動きをするものじゃないでしょうか」
「それは確かだな」シバタ大尉は頷いた。
「それに、情報が入手しやすすぎる。まるで、わざと我々に知らせているようなパターンに見えます」
ドーソン少佐が眉をひそめた。
「情報部の報告を疑うのか?」
「疑うというより……情報そのものより、その出し方に不自然さを感じるんです」
「具体的にどう不自然なんだ?」
「例えば……」俺は地図を指した。「この補給路を狙うと思われる帝国軍の部隊移動が、あまりにも目立ちすぎます。隠密に行動するなら、もっと小規模な単位で移動したり、夜間に行動したりするはずです」
シバタ大尉とセリシアが顔を見合わせた。
「確かに、その点は気になっていた」セリシアが言った。「不自然なほど露骨な動きです」
「では、本当の目標は何だと思う?」シバタ大尉が尋ねた。
「まだ……確証はありません」正直に答えた。「ただ、この状況を麻雀……いや、タロカのゲームに例えるなら、相手は見せ牌を出して、本当の手を隠している気がします」
「タロカですか……」シバタ大尉が微笑んだ。「戦術と遊戯を結びつけるとは、面白い視点だ」
「すみません、変な例えで」
「いや、理解しやすい」彼は真剣な顔になった。「いずれにせよ、用心に越したことはない。通常の警戒態勢を強化し、周囲の状況にも注意を払おう」
「了解しました」
「休憩後は、斥候を増やして周辺の偵察も行う」
シバタ大尉の指示に全員が頷いた。彼は俺の懸念を真剣に受け止めてくれているようだ。少し安心する。
***
夕方、部隊は目的地近くの丘に到着した。ここから谷間の補給路が見渡せる絶好の位置だ。
「ここに陣を構える」
シバタ大尉の指示で、兵士たちは素早く陣営を設営し始めた。テント、見張り台、防御柵……戦場の準備は手際よく進む。
「補佐官殿、こちらにどうぞ」
セリシアが俺を呼んだ。彼女は小さなテントの中で、地図を広げていた。
「これが私たちの宿営地です。あなたはこのテントで休んでください」
「ありがとう」
「……あなたの懸念は、シバタ大尉も真剣に受け止めています」彼女は少し声を落とした。「追加の斥候を出して、周辺の警戒を強化しました」
「そう言ってくれると安心する」
「ただ……」彼女はためらいがちに続けた。「ドーソン少佐はまだ納得していないわ。『若い補佐官の妄想で軍を動かすな』と」
「まあ、当然かもしれないね」
「でも私は……あなたの『読み』を信じたいと思っています」
セリシアのそんな言葉は初めてだった。少し驚きながらも、嬉しさを感じる。
「ありがとう、セリシア」
彼女は少し照れたように視線を逸らした。
「公務中はセリシア少尉と呼びなさい」
お決まりのセリフだが、口調は優しい。
「はい、セリシア少尉」
夜になり、陣営に静けさが訪れた。時折見張りの兵士の声が聞こえるだけだ。テントの中で横になっていても、なかなか眠れない。
初めての最前線。実際に敵と戦うかもしれない状況。そして、自分の「読み」への不安。もし間違っていたら? もし仲間を危険にさらしたら?
「やめよう、そんな考え……」
自分に言い聞かせるように呟いた。疑念は戦場では命取りになる。自分の感覚を信じるしかない。
テントから出て、夜空を見上げた。満天の星が輝いている。前世では見たことのないような、澄み切った夜空だ。
「眠れないのか?」
振り返ると、シバタ大尉が立っていた。
「はい……少し」
「初めての前線だからな。緊張するのは当然だ」
「大尉は、緊張しないんですか?」
「もちろんする」彼は意外な答えを返した。「緊張しない兵士は、長生きしない」
「そうなんですね……」
「だが、過度な恐怖や不安は禁物だ。冷静な判断が必要だからな」
「わかります」
「お前の『読み』……」彼は真剣な表情になった。「明日、本当に試されることになるかもしれない」
「はい」
「信じるべきは、自分の感覚だ。周りがどう言おうと、自分の見たもの、感じたものを大切にしろ」
「ありがとうございます」
シバタ大尉は軽く肩を叩いた。
「さあ、休め。明日は長い一日になるぞ」
「はい、おやすみなさい」
彼が去った後も、俺は少し夜空を見上げていた。星々の配置が、まるでタロカの牌を並べたように見える。
(明日、この読みが正しいのか、それとも間違っているのか……わかるな)
そう思いながら、テントに戻った。明日の戦いに備えて、少しでも休まなければ。
俺は眠りにつきながら、この布陣、流れが不自然だという直感が、明日どんな形で現実となるのかを考えていた。