「この報告書、なぜ急に流れが変わるんだろう……」
執務室で、俺は大量の報告書を前に呟いた。偵察任務に向けての準備として、過去の報告を読み込んでいたのだ。シバタ大尉率いる部隊に同行するのは明日。少しでも状況を把握しておきたかった。
パラパラとページをめくりながら、不思議なパターンに気づいた。報告書の前半と後半で、文体やトーンが微妙に違うのだ。
「これって……書いた人が途中で変わってるのかな?」
更に詳しく見てみると、司令部内の報告書の回覧ルートにも特徴があった。ある種の報告書は必ず特定の人物を経由し、別の種類は全く別のルートを通る。
「どうやら、軍の書類にも"流れ"があるみたいだな」
麻雀における河の読みのように、報告書の流れからも情報が読み取れる。誰がどの情報に目を通し、誰が最終決定に影響力を持つのか。権力構造が見えてくる。
「面白いな、これ」
うつむいて書類に向かう俺を、セリシアが見つけた。
「まだ作業してるの? もう夜遅いわよ」
彼女が執務室のドアから顔を覗かせた。演習以来、彼女との関係は良好になりつつある。
「ああ、明日の偵察任務の準備でね」
「何を読んでるの?」
セリシアが近づき、机の上の書類を覗き込んだ。
「過去の報告書。でも、面白いことに気づいたんだ」
「何?」
「この軍の情報の流れには、明確なパターンがあるんだ」
俺は気づいたことを説明した。情報の種類によって回覧ルートが違うこと、誰がどんな情報に目を通すのか、そこから見えてくる権力構造について。
セリシアは驚いたように俺を見た。
「あなた、戦場じゃなくても読み合ってるのね」
「ああ、そうかも。麻雀……じゃなくて、タロカっぽいよね」
「でも、なぜそんなことを?」
「知っておくに越したことはないと思って」俺は率直に答えた。「誰がどんな情報を持っているか知れば、必要な時に素早く適切な情報を得られるから」
セリシアは腕を組んで考え込んだ。
「面白い視点ね。私は報告書の内容だけを見ていたけど、その流通経路まで分析するなんて」
「流れを読むのは、タロカの基本だからね」
「あなたのタロカの才能は、本当に多方面に応用できるのね」
彼女の声には感心したような調子が混じっていた。
「勝てるなら場所は問わないさ」
俺はそう冗談めかして言った。
「勝ち負けにこだわるのね」
「まあ、そうかな。勝つために流れを読むっていうのが、俺のアプローチだから」
セリシアは少し考えてから、真面目な表情で言った。
「それなら、あなたの才能は確かに軍に向いているわ。戦場は究極の勝負の場だから」
「そうだね……」
少し気恥ずかしくなって、話題を変えた。
「明日の偵察任務、緊張するよ」
「初めての実戦に近い任務だものね」セリシアは理解を示すように頷いた。「でも心配ないわ。シバタ大尉は優秀だし、何より危険な場所には行かないから」
「そうだといいんだけど……」
「私も最初は緊張したわ」彼女は珍しく自分のことを話し始めた。「はじめて前線に出たとき、足が震えて仕方なかった」
「セリシアでも?」
「もちろん。誰だって初めは怖いものよ」
彼女の意外な告白に、少し親近感が湧いた。いつも完璧に見えるセリシアも、初めは不安だったのだ。
「ありがとう。少し安心したよ」
「あまり遅くまで起きてないで、早く休みなさい」彼女は元の口調に戻った。「明日は早いんでしょう?」
「そうだね、もう少ししたら休むよ」
セリシアは軽く会釈して、部屋を出て行った。
(彼女も、少しずつ心を開いてきてるのかな)
そう思いながら、俺は再び報告書に目を戻した。
***
翌朝早く、俺は北方軍の馬小屋にいた。今日から始まる偵察任務のため、馬に乗る必要があったのだ。問題は、俺がほとんど乗馬経験がないということ。
「こりゃまたぎこちないな」
馬の世話係の老兵が笑いながら言った。俺は何とか鞍に座っているものの、明らかにバランスが悪い。
「す、すみません……」
「いいさ、みんな最初は下手だ。この子は温厚だから、乗りやすいはずだよ」
彼が手綱を俺に渡してくれた。茶色の馬はおとなしく、大人しく立っている。それでも初心者の俺には、十分に緊張する乗り物だった。
「よしよし、いい子だ」
恐る恐る馬の首を撫でてみる。馬は小さく鼻を鳴らした。かわいいな、と思う瞬間もあるが、それ以上に「落ちたらどうしよう」という不安が勝っていた。
「補佐官殿、準備はいいか?」
振り返ると、シバタ大尉が立っていた。30代前半で厳格な表情の男性だ。噂によれば、実戦経験豊富な優秀な将校らしい。
「は、はい! ……たぶん」
不安そうな俺の様子に、シバタ大尉は軽く笑った。
「初めての乗馬か?」
「はい……この二日で少し練習したんですが」
「心配するな。ゆっくり移動するから、しっかりと鞍につかまっていればいい」
彼の言葉に少し安心する。
「集合場所に向かおう。部隊は待機している」
「はい!」
何とか馬を操り、シバタ大尉の後に続いた。
***
北方軍の城門前には、すでに20名ほどの兵士たちが馬に乗って待機していた。全員が軽装備で、偵察任務らしい身軽な格好だ。
「おはようございます!」俺は精一杯の敬礼をした。
兵士たちは好奇の目で俺を見ている。「坊ちゃん補佐官」の評判は広まっているようだが、実戦での評価はこれからだ。
「諸君、紹介する」シバタ大尉が声を上げた。「ソウイチロウ・エストガード見習い補佐官だ。将軍の命により、今回の偵察任務に同行する」
「どうぞよろしく」俺は頭を下げた。
「補佐官は戦術分析の専門家だ。敵の動きを読む目を持っている」
シバタ大尉の紹介に、兵士たちの間で小さなざわめきが起きた。
「本当に読めるのか?」
「あの演習の噂は本当だったのか」
「まだガキじゃないか」
様々な声が聞こえてくる。厳しい視線もあれば、好奇心に満ちた目もある。
「出発するぞ!」
シバタ大尉の号令で、部隊は動き始めた。俺も何とか馬を操り、隊列の中程に位置した。
「こんにちは、補佐官殿」
隣から声がかけられた。見ると、若い兵士が微笑んでいる。
「カイル二等兵です。よろしくお願いします」
「あ、こちらこそ」
「噂は聞いてましたよ。演習でグレイ中尉を打ち負かしたって」
「それは……まあ、運も良かったんだ」
「謙遜する必要はないですよ。みんな興味津々ですから」
カイルの友好的な態度に、少し緊張が和らいだ。
「ありがとう。でも、まだ実戦経験ゼロだから、迷惑はかけたくないんだ」
「大丈夫ですって。それに、今回は偵察だけですから」
そう、今回の任務は敵地に近いものの、あくまで偵察が目的だ。敵と直接戦うことはないはずだった。
***
森と丘陵が入り混じる北部国境地帯を、部隊は半日かけて進んだ。シバタ大尉の指示は的確で、効率的なルートを選んでいる。
「ここからは警戒を強めよ」
国境に近づくにつれ、シバタ大尉の声が引き締まった。兵士たちも緊張した面持ちで周囲を警戒している。
「補佐官」シバタ大尉が俺を呼んだ。「前方の丘に登り、敵地を観察する。何か気づいたことがあれば報告してくれ」
「はい」
緊張しながらも、俺は与えられた役目を果たさなければならない。シバタ大尉と数名の兵士と共に丘を登り、敵地を見渡した。
国境を挟んだ向こう側は、エストレナ帝国の領土だ。遠くに小さな集落が見え、その周辺に帝国軍の哨所らしき建物がある。
双眼鏡を借りて、敵地の様子を観察した。動く人影、物資の運搬、煙の上がり方……細かな情報を頭に刻み込む。
「どうだ? 何か気づくことはあるか?」
シバタ大尉が尋ねた。
「はい……」俺は思考を整理しながら答えた。「哨所の周辺に人の動きが少ないです。通常の警備よりも人員が減っているように見えます」
「ほう、なぜそう思う?」
「煙突から出る煙の量が少ないんです。この寒さで、通常なら暖炉をもっと使うはずです。また、哨所周辺の踏み跡も少ない」
シバタ大尉は感心したように頷いた。
「鋭い観察眼だ。確かに、いつもより静かだな」
「それに……」俺は更に観察を続けた。「村への物資の運搬が多すぎます。あの車列を見てください。通常の補給より多い気がします」
「なるほど……」
シバタ大尉は別の兵士に指示を出した。
「東の谷も見てこい」
しばらくして戻ってきた斥候は、重要な情報をもたらした。
「東の谷に帝国軍の移動痕跡があります。大きな部隊が通った形跡です」
シバタ大尉の表情が引き締まった。
「つまり、この哨所から部隊が移動し、東に向かったということか」
「はい、そう思われます」
俺はこの情報を元に考え始めた。麻雀の時のように、限られた情報から相手の手を読む。
「シバタ大尉」俺は慎重に言葉を選んだ。「これは大きな部隊の移動ではないでしょうか。哨所の人員減少、村への物資増加、東への移動痕跡……全て繋がります」
「どう繋がる?」
「帝国軍は東部での作戦を準備しているのでは? 哨所の兵を抜いて、東部に集結させている。村に物資が増えているのは、通過する部隊の補給のためかもしれません」
シバタ大尉はしばらく考え込み、頷いた。
「妥当な分析だ。我々の情報網でも、東部での帝国軍の動きが活発化していると報告があった」
「では、確認できたということですね」
「そうだ。これは重要な情報だ。今日のうちに司令部に報告しなければならない」
***
午後、部隊は別の観測地点に移動した。国境に近い森の中から、帝国領の街道を見下ろせる場所だ。
「ここで待機し、通過する部隊を確認する」
シバタ大尉の指示で、部隊は森の中に身を潜めた。俺も大きな木の陰から、街道を注視していた。
「補佐官殿、水を飲みますか?」
カイルが水筒を差し出してくれた。
「ありがとう」
喉が渇いていたので、感謝して一口飲んだ。
「すごいですね、あなたの観察眼」カイルは感心したように言った。「私たちが気づかなかったことに、すぐ気づく」
「そんなことないよ。みんな経験豊富じゃないか」
「いえ、経験だけでは見えないものもあります。センスというか……」
彼の言葉に少し照れる。前世では麻雀のセンスなんて、無駄な才能だと思っていたのに。
「あっ、来ました!」
誰かの小声に、全員が緊張して街道を見た。帝国軍の部隊が通過していく。騎兵を中心とした機動部隊で、50名ほどの規模だ。
「東に向かっている……」
シバタ大尉が呟いた。俺は部隊の様子を細かく観察した。装備、行進の速度、隊形……。
「シバタ大尉」俺は小声で言った。「あの部隊、何か違和感があります」
「どういうことだ?」
「装備が重すぎます。偵察や哨戒なら、もっと身軽なはずです。あれは……実戦部隊です」
シバタ大尉も改めて部隊を観察し、頷いた。
「確かに。あれは打撃部隊だ」
「しかも急いでいる。目的地が近いのかもしれません」
「これは危険な兆候だ」シバタ大尉の表情が暗くなった。「東部での大規模作戦の可能性が高まった」
俺たちは日没まで観測を続け、帝国軍のさらに二つの部隊が東に向かうのを確認した。どれも実戦装備の部隊で、明らかに何らかの作戦を目的としていた。
「十分な情報が得られた。司令部に戻ろう」
シバタ大尉の命令で、部隊は帰還準備を始めた。俺も馬に乗り、隊列に加わった。
「補佐官殿」シバタ大尉が近づいてきた。「今日は良い仕事をした」
「ありがとうございます」
「君の観察眼は確かだ。将軍の評価は間違っていなかった」
素直な褒め言葉に、嬉しさを感じる。
「私も学ぶことが多かったです」
「今回の情報は重要だ。東部での帝国軍の動きは、大規模な作戦を示唆している。早急に将軍に報告せねばならない」
「はい」
馬上で軽く会釈すると、シバタ大尉は隊列の先頭に戻っていった。俺は今日の発見について、頭の中で整理していた。
「印象的な初任務になりましたね」
カイルが隣に並んだ。
「そうだね。緊張したけど、充実してた」
「補佐官殿のおかげで、重要な情報が得られました」
「いや、みんなのおかげだよ」
「謙遜しすぎですよ」カイルは笑った。「あなたの『読み』が、この任務を成功させたんです」
彼の言葉に少し照れながらも、内心では喜びを感じていた。麻雀で培った読みの力が、実戦で役立った。これは偶然ではなく、確かな才能なのかもしれない。
「今度は、本物の"勝負"か」
帰路につきながら、俺は空を見上げた。前世では受験に失敗し、人生の岐路で敗北した。でもこの世界では、自分の才能が認められ、活かされている。
新たな挑戦が始まろうとしていた。