「将軍、セリシア少尉の計画を採用すべきです」

 執務室に集まった参謀たちの前で、ドーソン少佐が強く主張していた。昨日の会議から一夜明け、セリシアと俺はそれぞれの作戦計画を提出した。アルヴェン将軍はそれらを並べて眺めている。

「ソウイチロウ見習い補佐官の計画は根拠に乏しく、兵を危険にさらすものです」

 ドーソン少佐の視線が俺に向けられる。まるで鋭い刃物のような目だ。動揺しないように、俺は平静を装った。

「セリシア少尉の計画は情報部のデータに基づいており、最も合理的です」

 将軍はゆっくりと二つの計画書に目を通している。俺の計画は、敵の偵察隊の動きが囮であるという予測に基づき、小さな峠道に伏兵を配置するというものだ。一方、セリシアの計画は正面防衛を強化するものだった。

「どちらも一理ある」

 将軍がようやく口を開いた。

「問題は、どちらが正しいかだ」

「でも、それを知る方法はありません」セリシアが冷静に言った。「帝国軍が実際に動くまでは」

「そうだな……」

 将軍はしばらく考え込み、急に顔を上げた。

「モデル演習を行おう」

「モデル演習ですか?」ドーソン少佐が首をかしげた。

「そうだ。セリシアとソウイチロウの計画、どちらが有効か、小規模な実験で確かめよう」

 この提案に、部屋の空気が変わった。モデル演習とは、実際の兵を使って模擬戦を行い、作戦の有効性を検証するものだ。実戦規模ではないが、かなり本格的な訓練だという。

「具体的にはどうするんですか?」俺は緊張しながら聞いた。

「小隊規模でいい。ソウイチロウの計画とセリシアの計画、それぞれを実行する防衛側を用意する。そして、別の小隊に帝国軍役をさせる」

「明日にでも実施できます」ドーソン少佐が言った。

「いや、今日だ」

「今日、ですか!?」

 将軍は頷いた。

「敵はいつ動くかわからない。早急に方針を決める必要がある」

 誰も異議を唱えられなかった。

「では、準備を始めよ。ソウイチロウ、セリシア、それぞれ自分の計画を指揮してくれ」

「えっ、私が?」

 思わず声が上ずってしまった。計画を立てるのは一つだけど、実際に兵を指揮するなんて……。

「もちろんだ。自分の計画は自分で証明すべきだろう」

 将軍の言葉には反論の余地がなかった。セリシアは冷静に敬礼した。

「了解しました」

 俺も慌てて敬礼する。

「が、頑張ります!」

 これは思わぬ展開だ。計画が採用されるかどうかだけでなく、自分で指揮も取るなんて。緊張で胃がキリキリしてきた。

 ***

「これが今日の演習場となる地域だ」

 兵舎の隣にある作戦室で、ドーソン少佐が地図を広げて説明していた。実際の北部国境の地形を模した丘陵地帯が、司令部から数キロ離れたところにあるらしい。

「防衛側は青チームと赤チーム、攻撃側は黄チームとする」

 地図には各チームの初期配置が示されていた。青チームはセリシアの計画に基づいて正面防衛を固める。赤チームは俺の計画で、峠道に重点を置く。そして黄チームは仮想敵となる帝国軍だ。

「各チーム20名ずつ、合計60名で行う」

 これだけの規模の演習を急に組むなんて、北方軍の機動力は凄まじい。さすが最前線の部隊だ。

「それぞれの指揮官は?」

「青チームはセリシア少尉、赤チームはソウイチロウ見習い補佐官、黄チームはグレイ中尉だ」

 グレイ中尉という名前は聞いたことがある。若くして頭角を現した実戦派だとか。なかなかの強敵らしい。

「演習の勝敗基準は?」ドーソン少佐はメモを見ながら続けた。「黄チームが防衛ライン突破に成功すれば攻撃側の勝ち。12時間耐えれば防衛側の勝ちだ」

「12時間ですか!?」

 さすがに驚いた声が出た。日が暮れてからも続くのか。

「本物の戦場には時間制限などないぞ」ドーソン少佐は厳しい目で俺を見た。「それが嫌なら、今すぐ辞退しても構わない」

「い、いえ! やります!」

 引くわけにはいかない。これは自分の読みを証明するチャンスだ。

「では、各自装備を受け取り、30分後に集合せよ」

「はっ!」

 全員が敬礼し、解散した。

 ***

「赤チームのみんな、聞いてくれ」

 20人の兵士を前に、俺は緊張しながら作戦を説明していた。彼らの表情は様々だ。好奇心に満ちた若い兵士もいれば、明らかに不満そうな年配の兵もいる。「坊ちゃん補佐官」に指揮されることに納得していないのだろう。

「敵は最初、正面から攻めてくるように見せかけて、実は補給路を狙っていると思われる」

 地図を指しながら説明を続ける。

「だから、私たちはこの峠道に重点を置く。ここに10名、残りの10名は正面に配置する」

「補佐官、申し訳ありませんが」中年の下士官が手を挙げた。「グレイ中尉は狡猾な戦術家です。本当に峠を狙うと思いますか?」

「ああ、そう思う」

 俺は自信を持って答えた。

「敵の立場で考えてみてください。正面突破は難しい。でも小さな隙を突ければ、少ない戦力で大きな成果を上げられる。だから峠道を使うんです」

「しかし、情報部の報告では……」

「情報は時に欺くためにも使われます」

 俺は麻雀の経験を思い出していた。相手に手の内を悟られないように、あえて別の牌を切ることもある。戦場も同じではないだろうか。

「私はこう読みました。信じてもらえますか?」

 兵士たちは互いに顔を見合わせた。完全には納得していないようだが、命令には従うだろう。

「わかりました。指示に従います」下士官は渋々と頷いた。

「ありがとう。では配置につこう」

 兵士たちはそれぞれの持ち場へと向かった。俺も自分の装備を確認する。重苦しい鎧ではなく、演習用の軽装備だ。左腕には赤いバンドがあり、チームを示している。

(はぁ、なんでこんなことになったんだろう……)

 前世の高校生活では、こんな責任ある立場になったことはなかった。せいぜい麻雀部の副部長として後輩に打ち方を教える程度だ。それが今や、20人もの兵を率いて作戦を実行することになった。

「大丈夫か?」

 突然の声に振り返ると、クラウスがいた。彼も赤いバンドをつけている。

「クラウスさん! あなたも赤チームなの?」

「ああ、志願してな」彼は笑顔で言った。「若い補佐官を助けたいと思ってな」

「ありがとう……心強いよ」

「気にするな。それで、本当に峠道が危ないと思うのか?」

「うん、そう思う」

 俺は麻雀で培った「読み」の感覚について、うまく説明できなかった。でも確かな手応えがある。敵の動きが読めるという感覚だ。

「わかった。俺はお前を信じるよ」

 クラウスの支持に、少し安心する。

「さあ、行こう。指揮官殿」

 彼の冗談めいた敬礼に、思わず笑みがこぼれた。

 ***

 演習は正午に始まった。晴れた空の下、丘陵地帯に三つのチームが展開する。俺たち赤チームは計画通り、峠道に重点を置いた配置についた。双眼鏡で遠くを見ると、セリシアの青チームが正面に厚い防衛線を敷いているのが見える。

「敵の動きは?」

 俺はクラウスに尋ねた。彼は斥候役の兵士から報告を受けている。

「黄チームは森の中に姿を潜めています。まだどちらに動くか分かりません」

「そうか……」

 時間がゆっくりと過ぎていく。午後になり、気温が上がってきた。額の汗を拭いながら、遠くを見つめる。

「補佐官!」

 斥候の一人が駆け寄ってきた。

「黄チームが動き始めました! 青チームの正面に向かっています!」

「本当に? 全員か?」

「いいえ、約15名です。残りは確認できません」

(やはり分散してきたか)

 俺の予想通りなら、残りの5名は峠道を狙ってくるはずだ。

「全員、警戒を強めろ! 峠からの接近に備えよ!」

 兵士たちは緊張した面持ちで、武器を構える。演習とはいえ、真剣勝負だ。

 時間が経つにつれ、正面では青チームと黄チームの間で小競り合いが始まったようだ。遠くから掛け声や音が聞こえてくる。セリシアは優秀だ。きっと上手く防衛線を保っているだろう。

「補佐官!」

 再び斥候が駆け寄ってきた。顔色が悪い。

「何かあったのか?」

「谷間に黄チームの5名を確認! 峠に向かっています!」

(やはり!)

「全員、待機位置につけ! 伏兵を準備しろ!」

 俺は峠を見下ろせる位置に移動した。谷間の細い道を、黄チームの兵士たちが慎重に進んでくるのが見える。彼らは気配を殺して動いている。正規の兵士の動きだ。

「補佐官、どうしますか?」クラウスが小声で尋ねた。

「もう少し近づくのを待つ……」

 俺は雀荘で培った「間」の感覚を思い出していた。いつ仕掛けるか、タイミングが勝負だ。

「今だ! 全員、攻撃開始!」

 合図と同時に、伏せていた兵士たちが一斉に立ち上がった。峠を挟んで両側から、黄チームの兵士たちを包囲する形になる。

「くっ! 伏兵か!」

 黄チームのリーダーらしき兵士が叫んだ。彼らは抵抗しようとしたが、既に包囲は完了していた。演習なので実際に攻撃はしないが、位置関係から勝敗は明らかだった。

「黄チーム峠隊、全滅と見なします」

 審判役の将校が宣言した。伏兵作戦は成功だ!

「やった!」

 思わず声が上がった。予想が的中して、峠道からの侵入を防ぐことができた。兵士たちの表情も変わり始めた。最初は疑っていた目が、今は少し尊敬の色を含んでいる。

「見事な読みだったな、補佐官」クラウスが笑顔で言った。

「ありがとう。でも、まだ終わってないよ」

 正面での戦闘はまだ続いている。俺たちは捕らえた「敵兵」を監視しつつ、状況を見守った。

 ***

 夕暮れが近づいてきた頃、斥候が駆け寄ってきた。

「青チームの防衛線が破られました! 黄チームが突破しています!」

「何?」

 意外な報告に驚く。セリシアの計画は堅実なはずだったが、グレイ中尉の攻撃を完全には防げなかったようだ。

「どんな状況だ?」

「黄チームは15名中8名が突破に成功。現在、防衛ラインの奥へ進軍中です」

「このままでは演習に負けるぞ」クラウスが心配そうに言った。

 防衛ラインを突破されれば、演習の判定では攻撃側の勝ちになる。せっかく峠道の侵入を阻止したのに、正面から破られてしまうとは。

(どうすればいい?)

 俺は急いで地図を確認した。青チームの陣地から、防衛ラインの最終地点までの経路を探る。そこに……。

「ここだ!」俺は地図の一点を指した。「彼らはこの谷を通るはずだ!」

「なぜそう思う?」クラウスが尋ねた。

「最短ルートだから。グレイ中尉は時間との勝負だと分かっている。だから最短ルートを選ぶはずだ」

「そこに迎撃に行くのか?」

「そうだ。全員集合! 急いで移動するぞ!」

 赤チームの兵士たち、そして捕らえた黄チームの兵士たちの監視役を1名残して、残り全員で谷へと急行した。

 ***

「ここで待機だ」

 俺たちは狭い谷の出口に陣取った。あたりは薄暗くなり始めていた。このままでは視界が悪くなる。

「本当に来るのか?」若い兵士が不安そうに尋ねた。

「来るさ」俺は自信を持って答えた。「グレイ中尉は勝ちにこだわる人だろう? 最短ルートを選ぶはずだ」

 しばらく沈黙が続いた。皆が緊張した面持ちで谷の入口を見つめている。

 そして、足音が聞こえてきた。

「来た!」

 谷の向こうから、黄チームの兵士たちが現れた。先頭にはグレイ中尉らしき精悍な男性の姿がある。彼らは俺たちに気づくと、動きを止めた。

「赤チーム? なぜここに……」グレイ中尉は明らかに驚いていた。

「中尉、あなたの動きは読めていました」俺は少し得意げに言った。

「おのれ……」

 彼は状況を素早く判断し、命令を下した。

「突破する! 全速で突っ切れ!」

 黄チームの兵士たちが一斉に駆け出した。しかし、狭い谷の出口は格好の防衛地点だ。俺たちは盾と武器で壁を作り、彼らの突進を食い止めた。

「あと30分で日没だ! 耐えろ!」クラウスが叫んだ。

 激しい攻防が続く中、太陽はゆっくりと山の向こうに沈んでいった。そして、ついに……。

「時間切れ! 演習終了!」

 審判役の将校が旗を振った。黄チームは防衛ラインの突破に失敗したことになる。

「防衛側の勝利!」

 歓声が上がった。俺たち赤チームの兵士たちが互いの肩を叩き合い、喜び合う。

「やりましたね、補佐官」クラウスが笑顔で言った。

「ありがとう……みんなのおかげだよ」

 グレイ中尉が近づいてきた。彼の顔には複雑な表情がある。

「見事だった、ソウイチロウ見習い補佐官」彼は敬礼した。「私の作戦を読まれるとは思わなかった」

「ありがとうございます」俺も敬礼を返した。

「だが、次は負けないぞ」

 そう言い残して、彼は自分の部隊を率いて引き上げていった。

 ***

 夜、司令部に戻ると、アルヴェン将軍が待っていた。セリシアも疲れた表情で隣に立っている。

「結果は聞いた」将軍は深く頷いた。「ソウイチロウの読みは正確だった」

「はい……」セリシアは少し悔しそうな顔をしていた。

「セリシアの防衛計画も理にかなっていた。だが、敵は予想外の集中攻撃で突破してきたようだ」

「申し訳ありません……」セリシアは頭を下げた。

「いや、責める必要はない。これが戦場だ。時に論理的分析は裏切られる。そして時に、直感的な読みが救いとなる」

 将軍はセリシアと俺を交互に見た。

「二人の才能は、互いに補い合うべきものだ」

 俺はセリシアを見た。彼女は少し考え込んでいるようだった。

「明日から、北部国境の防衛計画を修正する。ソウイチロウの分析も取り入れ、より強固な防衛線を築くのだ」

「はっ!」

 二人は同時に敬礼した。

「解散」

 将軍が去った後、セリシアが俺に向き直った。彼女の表情はまだ硬かった。

「あなたの読みは……確かだった」

 彼女が認めるのは相当苦しいだろう。

「君の計画も素晴らしかったよ。俺が伏兵を置いていなかったら、峠道から敵が侵入して、背後から攻撃されていたかもしれない」

 セリシアは少し表情を和らげた。

「次は、協力できるかもしれないわね」

「うん、そうしたい」

 彼女はわずかに微笑んだ。

「でも、あなたの『読み』について、いつか詳しく教えてほしいわ」

「ああ、いいよ」

「では、おやすみなさい。疲れたでしょう」

「おやすみ、セリシア……少尉」

 彼女は軽く頷き、廊下の向こうへ歩いて行った。残された俺は、今日一日を振り返った。初めての実戦演習、兵士たちとの共闘、そして勝利。

(少しは認められたかな……)

 前世の麻雀で培った読みの力が、この世界でも通用するということが証明できた。少しずつだが、居場所を見つけつつある感覚だ。

 執務室に戻り、日誌を書き始めながら、俺は静かに微笑んだ。

「……やっぱり俺、こういうのが好きなんだな」