「情報分析の基本はね、点と点を繋げることよ」

 セリシアは机の上に広げた地図を指しながら説明していた。北方軍総司令部での勤務が始まって1週間が経ち、俺はようやく本格的な任務に取り組み始めていた。

「例えば、ここで敵の偵察部隊が目撃されて、同じ日にここで補給車列が増えている。この二つの情報からは何が読み取れる?」

 彼女の鋭い眼差しが俺に向けられる。セリシア・ヴェル=ライン少尉。15歳の俺と同年代なのに、すでに参謀として確固たる地位を築いている才女だ。初日の緊張感こそ解けたものの、彼女の厳しい指導は変わらない。

「えっと……この地点に兵力を集めようとしてるってことかな」

「そう。基本的には合っているわ」

 彼女は満足げに頷いた。小さな褒め言葉にほっとする。

「でも、それだけじゃ不十分」

 やっぱり褒めてくれないか。内心で苦笑しながら、彼女の続きを聞く。

「可能性は複数考えるべきよ。例えば、本当の目標はここじゃなくて、偵察はわざと目立つように行動して、我々の注意を引くための囮かもしれない」

「なるほど……」

「常に複数の可能性を検討し、確率の高いものから優先順位をつける。これが戦術分析の基本よ」

 セリシアの論理的な思考には感心する。頭の回転が速くて、筋道立てて考える能力が半端じゃない。

「わかった。複数の可能性か……」

「ソウイチロウ、あなたは『読み』が得意なんでしょう? それを戦術に活かすのよ」

「読みか……」

 麻雀で培った読みの感覚。相手の捨て牌から手の内を推測し、次の一手を予測する。確かに似ているかもしれない。

「試しにこの状況を分析してみて」

 セリシアは別の地図を広げた。北部国境に近い山岳地帯の図だ。そこには敵軍の動きを示す赤い印がいくつか付けられている。

「ここ1週間のエストレナ帝国軍の動きよ。何か気づく?」

 俺は地図を食い入るように見つめた。山と谷、小さな村々、そして赤い印。頭の中でそれらを繋げていく。麻雀の卓を前にした時のように、パターンを探す。

「ここに集中してるけど……わざとらしくない?」

 セリシアの眉が少し上がった。

「どういう意味?」

「だって、ここまで露骨に同じ場所に集まったら、こっちに警戒されるのは明らかじゃない? わざと見せてるように思える」

「そう考えるのね……」

 彼女は腕を組んで考え込んだ。

「他には?」

「え? それだけじゃダメ?」

「もっと論理的に説明して」

 彼女の厳しい目に、少し焦る。

「うーん……」

 地図をもう一度よく見ると、別のパターンに気づいた。

「あ、これ見て。偵察部隊の動きが、一定のリズムを持ってる。3日おきに同じルートを通ってる。これは習慣化された行動パターンだよ。本当の作戦なら、もっと不規則にするはず」

 セリシアの表情が少し変わった。

「なるほど……確かにそうね」

 彼女は少し感心したような顔をしている。小さな勝利感に、内心でガッツポーズ。

「じゃあ、本当の目的は何だと思う?」

「それは……」

 俺は地図をもう一度見直した。偵察部隊の動きが目立つ一方で、他の場所では何が起きているのか?

「ここだ」

 俺は地図の別の場所を指した。小さな峠道のある場所だ。

「ここは一見何もないように見えるけど、実はこの谷を通れば、我々の補給路に最短で出られる。敵は他の場所で目立つ動きをして、実はこっちに少数精鋭を送り込もうとしてるんじゃないかな」

 セリシアは黙って俺の分析を聞いていた。そして、ゆっくりと頷いた。

「面白い視点ね……今日の戦術会議で、その意見を言ってみたら?」

「え? 今日、戦術会議があるの?」

「ええ、午後からよ。将軍も参加する重要な会議」

 緊張感が湧き上がってくる。まだ軍に来て1週間の新人が、重要な会議で発言なんて……。

「大丈夫かな……」

「自信を持って。あなたの『読み』は独特だから」

 セリシアの言葉に少し勇気づけられた。彼女は厳しいけど、ちゃんと俺の才能を認めてくれている。そう思うと、少し嬉しかった。

 ***

 戦術会議の大きな会議室に、軍の高官たちが集まっていた。細かな軍服の違いで階級がわかるようになってきたけど、まだ全員の顔と名前は一致しない。ドーソン少佐やセリシア以外は、まだ距離感がある。

「では会議を始める」

 アルヴェン将軍の一声で、会議室が静まり返った。

「今日の議題は北部国境の防衛計画だ。エストレナ帝国軍の動きが活発化しており、我々の対応を決める必要がある」

 将軍は地図を指しながら説明を続けた。まさにセリシアと見ていた地図と同じ地域だ。

「現在、帝国軍は主にこの地域で活動している」

 将軍が指したのは、俺たちが先ほど分析した地域だった。どうやらこれは実際の作戦会議だったんだな。さっきはセリシアに試されていたんだ。

「この状況について、セリシア少尉、見解を述べよ」

「はっ!」

 セリシアが立ち上がり、敬礼した。

「私の分析では、帝国軍は明らかにこの山岳地帯での正面攻撃を準備しています。偵察部隊の動き、補給線の強化、さらには密偵から得た情報を総合すると、2週間以内に大規模な攻撃が予想されます」

 彼女の声は落ち着いていて、論理的だ。周囲の士官たちも頷いている。

「対策としては、この三つの峠にそれぞれ一個中隊を配置し、予備隊を後方に置くことを提案します。さらに、偵察隊を増強して……」

 セリシアは詳細な防衛計画を説明していった。理論的で隙のない計画に思える。軍事学校首席の実力は伊達じゃない。

「なるほど」将軍は頷いた。「論理的な分析だ」

「ありがとうございます」

 セリシアが席に戻ろうとしたとき、将軍が俺の方を見た。

「ソウイチロウ見習い補佐官、君はどう思う?」

 突然の指名に、会議室中の視線が俺に集まった。喉が乾く。でも、ここで引くわけにはいかない。

「はっ!」

 俺も立ち上がり、ぎこちない敬礼をした。

「私は……セリシア少尉の分析とは少し異なる見解を持っています」

 会議室がざわついた。セリシアが眉をひそめる。

「帝国軍の動きは、あまりにも露骨すぎると感じます。偵察部隊の行動パターンが規則的で、意図的に目立つように動いています」

 ドーソン少佐が不満げな表情で口を開いた。

「何を言っているんだ。情報部の報告では……」

「お待ちください」将軍が手を上げた。「続けなさい、ソウイチロウ」

 俺は深呼吸して、先ほどセリシアに話した分析を説明した。偵察部隊の不自然なパターン、わざと目立つ行動、そして……。

「本当の狙いは、私はこの峠道だと思います」

 俺は別の場所を指差した。

「ここは防備が薄く、通過すれば我々の補給路を断つことができます。帝国軍は大規模攻撃に見せかけて、実は補給路を狙っているのではないでしょうか」

 会議室がさらにざわついた。セリシアが立ち上がった。

「ソウイチロウ補佐官の分析には論理的裏付けが不足しています。偵察部隊の動きだけで判断するのは危険です。我々が持つ他の情報、特に密偵からの報告では……」

「しかし、密偵の情報も敵に操作されている可能性はありませんか?」

 思わず口走ってしまった。セリシアの表情が硬くなる。

「何を根拠に?」

「直感……じゃなくて、パターン分析です」

 言い直したものの、セリシアの目がさらに鋭くなった。

「『直感』で戦略は立てられません。確かな情報と論理的分析が必要です」

 ドーソン少佐が割り込んできた。

「将軍、この子供の妄想に時間を割くべきではありません。セリシア少尉の分析は情報部の報告とも一致しています」

 将軍は静かに二人の意見を聞いていた。そして、ゆっくりと立ち上がった。

「興味深い対立だな」

 会議室が静まり返る。

「二つの異なる視点、どちらも無視できない」

 将軍はしばらく考え込んだ後、決断を下した。

「両方の計画を準備せよ」

「両方、ですか?」ドーソン少佐が驚いた声を上げた。

「そうだ。セリシア少尉の分析に基づく正面防衛と、ソウイチロウ補佐官の予測に基づく補給路防衛、両方の準備をする」

「しかし、兵力が分散しますと……」

「完全に分散する必要はない。柔軟に対応できる体制を整えよ」

 将軍の決断に、誰も異議を唱えられない。

「セリシア少尉、ソウイチロウ補佐官、二人は詳細な作戦計画を練り、明日の朝までに提出せよ」

「はっ!」

 二人が同時に返事をした。セリシアの横顔を見ると、彼女は明らかに不満そうだった。

「以上だ。解散」

 将軍の一声で、会議は終了した。

 ***

 会議室から出ると、セリシアが俺を呼び止めた。

「ソウイチロウ、少し話があるわ」

 彼女の声は冷たかった。まずいな、怒らせてしまったか。

「別室で話しましょう」

 彼女に導かれて、小さな作戦室に入る。ドアが閉まると同時に、彼女が振り返った。

「何のつもりだったの?」

「え?」

「私の分析を公の場で否定して」

 彼女の目は怒りに燃えていた。

「そんなつもりじゃ……」

「あなたは軍に来たばかりで、戦術の基本も理解していない。なのに、確かな情報に基づいた分析より『直感』を優先するなんて……」

「直感じゃないよ」俺は反論した。「パターンを読んだんだ」

「パターン? 何のパターン?」

「相手の行動の流れだよ。麻雀……じゃなくて、タロカみたいなものさ。相手の捨て牌から手の内を読むように、敵の動きから本当の狙いを読み取ったんだ」

「戦場はゲームじゃないわ!」セリシアの声が高くなった。「実際の命がかかっているのよ!」

 その言葉に、少し反省する。確かに彼女の言う通りだ。これは前世の麻雀のように、負けても次があるゲームじゃない。

「わかってる。でも……」

「でも何?」

「でも、俺の読みは間違ってないと思う」

 セリシアはため息をついた。

「とにかく、明日までに作戦計画を立てないといけないわ。私の計画に従ってくれる?」

「え?」

「あなたの……『読み』は参考にするけど、基本的には私の計画で提出したいの」

 俺は少し迷った。確かに彼女は経験豊富だし、知識も俺より遥かに上だ。でも……。

「ごめん、俺は俺の読みを信じたい」

 セリシアの表情が冷たくなった。

「そう……わかったわ。では別々に提出しましょう」

「そんな……一緒に考えられないのかな?」

「あなたの『直感』と私の『論理』が一緒に働くとは思えないわ」

 言い残して、彼女は部屋を出て行こうとした。

「待って、セリシア!」

 彼女は立ち止まったが、振り返らなかった。

「もし……もし俺の読みが間違っていたら、全責任を取る。でも、もし当たっていたら、俺の読みも認めてくれないか?」

 セリシアはゆっくりと振り返った。

「……わかったわ」

「本当に?」

「ええ。でも、覚えておいて。戦場では間違いが命取りになるのよ」

 そう言い残して、彼女は部屋を出て行った。残された俺は、複雑な気持ちになった。

(すごい緊張感だったな……まるで最終局みたいだ)

 そんなことを考えながら、俺も部屋を出た。執務室に戻り、今夜は作戦計画づくりに集中しなければならない。

「……卓が整ったな」

 小さくつぶやきながら、俺は北部国境の地図を広げ始めた。麻雀で培った読みの感覚が、今、本当に試されようとしていた。