「アルヴェン将軍が、また来られるそうよ」

 朝食の席で、義母のリアーナが言った。誕生日パーティーから一週間が経っていた。

「将軍がですか?」

 俺は驚いて顔を上げた。あの日以来、あのタロカの勝負のことを考えない日はなかった。でも、まさか本当に将軍が再訪してくるとは。

「そうだ」義父のグレンが頷いた。「どうやら、お前に会いたいとのことだ」

 テーブルの向かいに座っていたハーバートが、口元に笑みを浮かべた。

「ほら見ろ、言った通りだろう。将軍がソウイチロウに興味を持ったんだよ」

「でも、なぜ僕なんかに……」

「謙遜することはないわ」リアーナが優しく言った。「あなたのタロカの腕前は、パーティーの話題になったのよ。特に、相手の手を読む力が素晴らしいって」

 俺は照れくさくなって、パンをちぎりながら黙り込んだ。前世の麻雀の経験があるとはいえ、たった一度のゲームでそこまで評価されるとは思わなかった。

「将軍は午後に来られるそうだから、ちゃんと正装しておくのよ」

「はい、わかりました」

 朝食を終えた後、俺は自室に戻り、新しく作った緑色の正装を出した。前のよりも少し慣れて、着心地も良くなっている。

(アルヴェン将軍か……一体何の話をするんだろう)

 窓の外を眺めながら、俺は考え込んだ。

 ***

「ようこそ、将軍」

 エストガード家の応接間で、グレンはアルヴェン将軍を迎えた。灰色の髪に整えられた髭、堂々とした体格の男性だ。五十代半ばくらいだろうか。軍服の胸には数々の勲章が輝いている。

「グレン、久しぶりだな」

 二人は昔からの知り合いらしく、親しげに挨拶を交わした。

「こちらが私の次男、ソウイチロウだ」

 グレンに促され、俺は一歩前に出て丁寧にお辞儀をした。

「ソウイチロウ・エストガード、お目にかかれて光栄です」

「これは立派な青年だ」将軍は満足げに頷いた。「前回はパーティーの喧騒でゆっくり話せなかったが、今日はじっくりと話をしたい」

「どうぞ、こちらにお掛けください」

 リアーナが応接間の椅子を勧めた。紅茶とお菓子が用意され、家族と将軍が席に着く。俺も促されるまま、将軍の向かいの席に座った。

「それで、ソウイチロウ」将軍が俺に向き直った。「君のタロカの腕前について、もう少し知りたいと思っている」

「はい……」

 俺は緊張しながらも、素直に答えることにした。

「実は、あれが初めてだったんです」

「初めて?」将軍の眉が上がった。「あの読みが初めてのゲームでできるものだとは思えないが」

「まあ、似たような……」

 言いかけて、ハッとした。前世の麻雀の話はできない。

「似たような?」

「いえ、なんとなく感覚が掴めたというか……」

 将軍はしばらく俺を見つめていたが、やがて納得したように頷いた。

「才能というものは、時に理屈では説明できないものだ。私も若い頃、初めて馬に乗った時に『乗り方を本能的に理解した』と言われたことがある」

「そう、そうなんです」

 俺は安堵の息を吐いた。

「それで、将軍は何故僕に興味を?」

「率直に言おう」将軍はカップを置き、真剣な表情になった。「我々の国は今、非常に危険な状況にある。エストレナ帝国の脅威は日に日に増しており、優秀な戦術家を必要としている」

「戦術家……」

「そうだ。君のような読みの才能を持つ者は、戦場で大いに活躍できるだろう」

 俺は黙って聞いていた。前世では麻雀の才能すら活かせなかった。それが、この世界では国の命運を握る重要な能力になるかもしれないというのだ。

「とはいえ、一度のゲームだけでは判断できない。もう一度、タロカの対局をしてみないか? 今度は私と」

「えっ、将軍とですか?」

 思わず声が上ずった。北方軍の総司令官とゲームをするなんて。

「ご心配なく」将軍は笑った。「私もタロカは大好きなんでね。王都の大会で優勝したこともあるんだ」

 それはますます緊張する。素人の俺が相手をするなんて、分不相応だろう。

「あの、私なんかでよろしいのでしょうか……」

「遠慮することはない。君の才能を確かめたいんだ」

 グレンとリアーナも励ますように頷き、ハーバートは親指を立てて応援してくれた。

「……わかりました。やらせていただきます」

 将軍は満足げに頷くと、懐からタロカの牌が入った箱を取り出した。

「では、始めよう」

 ***

 テーブルの上に、美しい彫刻が施されたタロカ牌が並べられた。前回のものよりも高級感があり、牌の動きもスムーズだ。

「これは王室特製のタロカ牌だ。私の宝物の一つさ」

 将軍は牌を丁寧に混ぜながら説明した。

「では、配るぞ」

 10枚の牌が俺の前に整然と並べられた。将軍も同じく10枚を手にする。前回と違い、今回は二人での対局だ。

 俺は配られた牌を見た。

(数字の2、3、9……花の「月」「雨」「星」……特殊札の「魔術師」「戦士」……う~ん、バラバラだな)

 前回ほど良い手ではない。でも、数字の2と3が来ているので、これを伸ばせば「小進行」が狙える。花札も3枚あるので「天体の調和」が狙えるかもしれない。

「若い者が先だ」

 将軍の言葉に、俺は頷いて山札から1枚引いた。「数字の4」だ。これは良い。2、3、4と連番になった。

「数字の9を捨てます」

 連番と関係ない9を捨てる。将軍は少し考えてから、山札から1枚引き、「花の太陽」を捨てた。

(花札は集めていないのかな?)

 対局は静かに進んでいった。将軍の手の内を探りながら、自分の牌をどう組み合わせるか考える。

 数巡が過ぎ、俺の手札は整いつつあった。数字の2、3、4、5で「小進行」、花の「月」「星」「雨」で「天体の調和」、そして特殊札「魔術師」が残っている。

(あと一枚、数字の6か7を引ければ「大進行」になる)

 俺の番になり、山札から1枚引く。「数字の8」だ。残念。これでは「大進行」にならない。

「「数字の8」を捨てます」

 将軍の目が少し動いた。そして、彼は俺の捨てた8を取った。

「「数字の8」、いただく」

 代わりに「騎士」を捨てる。

(ほう、やはり数字札を集めているのか)

 次の俺の番で、山札から引いたのは「数字の1」。これも役には使えない。

「「数字の1」を捨てます」

 将軍は再びニヤリと笑い、俺の捨てた牌を取った。

「「数字の1」、いただく」

 そして「魔女」を捨てる。

(数字の1、8を取った……ということは、数字札で高い役を狙っているのか?)

 状況が読めてきた。将軍は恐らく数字の連番ではなく、1から9までのストレートを狙っている。それなら、数字の6、7あたりが必要なはずだ。

 俺の次の番で、「数字の6」を引いた。これで「大進行」だ!

(よし! でも……将軍も上がりに近い。ここで勝負をかけるか?)

 もう一巡見てみることにした。「魔術師」を捨てて様子を見る。

 将軍は山札から引き、「魔導師」を捨てた。特殊札同士の交換を狙っているかもしれない。

 俺の番。山札から「数字の7」を引いた。これで「大進行」が完成する!

「上がります」と宣言し、手札を表にする。

「「大進行」と「天体の調和」、合計で95点です」

 将軍の表情が変わった。最初は驚き、次に感心した顔、そして徐々に真剣な表情に。

「なるほど……素晴らしい読みだ」

 将軍も手札を公開した。数字の1、4、5、7、8、9と、特殊札の「王」「女王」「魔女」。あと「数字の2」「数字の3」「数字の6」のいずれかを引けば、「天空の列」(数字の1~9全ての集合)という最高の役ができる寸前だった。

「あと一歩のところだったな」

 将軍は汗をにじませながら、苦笑した。

「将軍の手を読んで、対抗する役を急いで完成させたのだな?」

「はい……」

 俺は正直に答えた。

「将軍が数字の1、8を取られたので、数字の連番を作っていると思いました。それなら、私も急いで手を完成させないといけないと」

「見事だ」将軍は本心から感心したようだった。「私がどんな手を作っているか、捨て牌から読み取り、それに合わせて戦略を立てた。まさに戦場での思考だ」

「ありがとうございます」

 照れながらも、内心では嬉しさが込み上げてきた。前世では麻雀の才能すら活かせなかった。それがこの世界では、最高司令官に認められるほどの才能になるなんて。

「この才は、戦場でこそ活きる」

 将軍は呟くように言った。

「もう一局どうだ?」

「はい、ぜひ」

 俺は微笑みながら答えた。中学時代から麻雀にハマり、高校時代は雀荘に入り浸った日々。そこで培った「読み」の感覚が、この世界では貴重な才能として花開こうとしている。

(タロカか……麻雀より単純だけど、読みの駆け引きは同じだな)

 そう思いながら、二局目の牌を整理した。

 ***

「三勝二敗か……見事だ」

 五局を終えた将軍は、深く頷いた。最初は手加減していたようだが、三局目からは本気になっていた。それでも俺は三勝を収めた。

「将軍も素晴らしい読みでした」

「いや、私は経験で補っているだけだ。お前の才能は本物だよ」

 将軍は立ち上がり、グレンとリアーナに向き直った。

「グレン、リアーナ。息子さんの才能は、ぜひ国のために活かしてほしい」

「どういう意味でしょうか?」グレンが尋ねた。

「私は彼を軍の補佐官見習いとして招きたい」

 一同、息をのむ。軍の補佐官見習い? 俺が?

「それは……大変光栄なことですが」グレンは困惑した様子だった。「彼はまだ若いですし……」

「才能に年齢は関係ない」将軍は断固とした口調で言った。「この才能を見過ごすわけにはいかない。戦術眼は生まれ持った才能だ。彼は戦場を知らずとも、流れを読み、決断する力を持っている」

 ハーバートが俺に向き直った。「どうだ、ソウイチロウ。やってみたいか?」

 全員の視線が俺に集まる。緊張するけど、心の中には確かな答えがあった。

「はい、やってみたいです」

 前世では無駄に青春を浪費したと思っていた麻雀の才能。それがこの世界では、国を守る力になるかもしれない。そんな機会を逃す理由はない。

「“戦"か……」

 小さく呟いて、頷いた。

「賭け甲斐がありそうだな」