「誕生日パーティーなんて、いいですよ……」
俺の言葉を、義母のリアーナは笑顔で制した。
「そういうわけにはいかないわ。貴族の子どもの15歳の誕生日は社交界デビューの日よ。近隣の貴族たちもみんな来るわ」
エストガード家の居間で、俺は義母に説得されていた。誕生日から3日後、正式な祝賀パーティーを開くという。前世では、誕生日なんて家族で食事する程度だったのに、こっちの世界の貴族社会は面倒くさい。
「でも僕なんかのために……」
「ソウイチロウ、あなたはこの家の一員よ。養子だからといって、遠慮する必要はないわ」
リアーナの優しい言葉に、どうにも反論できない。この家の人たちは俺に本当に優しい。
「……わかりました」
「よろしい。それなら、明日は仕立て屋にも来てもらうから、新しい正装も作りましょう」
義母はそう言って、部屋を出て行った。残された俺は、窓の外を眺めながら溜息をついた。
「やれやれ……」
麻雀やるよりはマシか。そう自分を励ましながら、これから始まる社交界デビューという名の戦場に、内心ビクビクしていた。
***
エストガード家の大広間には、近隣の領主や貴族たちが集まっていた。シャンデリアの明かりが華やかに照らし出す中、正装姿の人々が歓談している。俺もこの日のために作った、緑と金の刺繍が入った正装を身につけていた。少しきつくて息苦しいけど、まあ様になっているはずだ。
「ソウイチロウ、こっちよ」
ハーバートが俺を呼んだ。彼の隣には同年代の青年たちが数人立っていた。
「皆に紹介するよ。こちらがソウイチロウ・エストガード、俺の弟だ」
弟、と紹介されて少し照れる。そして、集まっていた青年たちと順に挨拶を交わした。ヴェルナー子爵家の長男レオン、バーンハルト伯爵家の次男フェリックス、そしてアーデン辺境伯の娘セリア。全員が俺と同じくらいの年齢だった。
「エストガード家の養子と聞いていたよ」
レオンが少し傲慢な調子で言った。その目には、軽い侮蔑の色が見える。ああ、こういうタイプね。前世の高校でもいたよ、生まれだけで人を判断するタイプ。
「そうですね。でも、兄上や父上、母上には恵まれてます」
柔らかく返しつつも、負けない目で見返す。レオンは軽く鼻を鳴らし、視線を逸らした。
「あら、早速喧嘩かしら?」
セリアが割って入ってきた。青いドレスに身を包んだ彼女は、俺と同じくらいの背丈で、銀色がかった金髪が特徴的だ。
「喧嘩じゃないさ、ちょっとした挨拶だ」
フェリックスが和やかに言った。彼は背が高く、赤みがかった茶色の髪をしている。三人の中では一番友好的な印象だ。
「そうだな、それより何か楽しいことをしようぜ」
ハーバートが場の空気を和らげようとした。さすが兄貴、気が利くな。
「賭け事はどう?」レオンが提案した。
「わっ、早速悪い話を始めるな」ハーバートは呆れたように言った。
「いいじゃないか。少額の賭けなら大した問題じゃない」レオンは意に介さないようだ。
「何をするの?」セリアが尋ねた。
「タロカはどうだ?」フェリックスが提案した。
「タロカ?」
俺は初めて聞く言葉に首を傾げた。
「ああ、ソウイチロウはタロカを知らないのか」ハーバートが気づいた様子で言う。
「エストガード領ではあまり流行ってないからな」フェリックスが説明してくれた。「王都発祥の賭け遊戯さ。カードというか、板札を使って遊ぶんだ」
「教えてあげる?」セリアが俺に微笑みかけた。
「え、はい……お願いします」
少し恥ずかしいけど、興味はある。賭け事といえば、前世では麻雀がメインだったからな。
***
大広間の隅に設けられた小さな卓を囲んで、俺たちは座った。フェリックスがポケットから四角い木箱を取り出し、中から彩色された細長い板札を取り出していく。
「これがタロカ牌だ」
一枚一枚を丁寧に並べていく。札には様々な絵柄が描かれている。数字札、花札、特殊札の3種類があるらしい。
「基本的なルールを説明するね」
セリアが始めた説明は、驚くほど麻雀に似ていた。手持ちの牌を組み合わせて役を作り、先に完成させた人が勝ち。途中で牌を交換したり、場に捨てたり、他のプレイヤーの捨て牌を奪ったりできる。
「なるほど……」
俺は説明を聞きながら、頭の中でルールを整理していった。麻雀と違う部分もあるけど、根本的な発想は近い。手牌の組み合わせ、捨て牌からの読み、場の流れを掴む感覚。
「では、実際に一局やってみようか」
フェリックスが牌を混ぜ始めた。
「掛け金は一人5銀貨でいいか?」レオンが提案した。5銀貨というと、この世界ではそこそこの額だ。労働者の一日分の賃金くらい。
「高すぎないか?」ハーバートが心配そうに言った。「ソウイチロウは初めてだし」
「いいですよ、兄さん」俺は自信を持って言った。「やってみます」
前世での麻雀経験が役に立つかもしれない。それに、何より久しぶりにゲームをする高揚感があった。
「じゃあ、配るぞ」
フェリックスが手早く牌を配り始めた。各プレーヤーに10枚ずつ配られ、残りは山札として中央に置かれる。
***
「お、いい手が来たな」
レオンが自分の牌を見て、小さく笑った。フェリックスとセリアも表情を変えず、牌を整理している。ハーバートはといえば、少し困ったような顔をしていた。
俺は配られた10枚の牌を見た。
(数字の3、4、5……花の「月」と「星」……特殊札の「騎士」か)
牌の種類と組み合わせを頭の中で整理する。麻雀のように、数字札を同種で並べたり、連番で並べたりする役があるらしい。花札は同種を集めると高得点になる。
「さあ、始めよう」
フェリックスの合図で、ゲームが始まった。最初のプレイヤーであるレオンが山札から1枚引き、手持ちの中から1枚を場に捨てた。
「「槍」を捨てる」
時計回りに順番が進み、セリア、フェリックス、ハーバート、そして俺の番。俺は山札から1枚引いた。
「数字の6か……」
手持ちを見ると、数字の3、4、5があった。これで3、4、5、6と連番が作れる。
(これは……連番役の「小進行」になるな)
捨てるのは「騎士」にしよう。まだ役割がわからないし、他の組み合わせを優先したい。
「「騎士」を捨てます」
レオンの目が少し動いた。そして次の自分の番で、俺の捨てた「騎士」に手を伸ばした。
「「騎士」、いただく」
(ほう、欲しかったのか)
その代わりに彼は「数字の8」を捨てた。
ゲームは進み、各プレイヤーは牌を引いては捨て、時に他のプレイヤーの捨て牌を奪った。俺は徐々にゲームの流れを掴んでいった。
(セリアは花札を集めてるな……フェリックスは手が読めない……レオンは特殊札を狙ってる……ハーバートは数字札の連番かな)
麻雀のように、相手の捨て牌や拾う牌から手の内を推測する。そして自分の牌をどう組み合わせるか、何を捨てるか、計算していく。
「フェリックスが「数字の7」を捨てたな……これは俺に必要な牌だ」
「「数字の7」、頂きます」
俺は宣言して、フェリックスの捨てた牌を取った。そして、役に必要ない「星」を捨てた。
(これで「大進行」の完成だ……あと一役あれば……)
***
数巡後、俺の手番が来た。山札から引いた牌は「花の日」。これで「花の日」「花の月」の二枚が揃った。
(よし、これで「天体の対」が完成だ)
手札を確認する。数字の3、4、5、6、7で「大進行」、「花の日」「花の月」で「天体の対」。そして最後に残っていた特殊札「王妃」。これで勝ちだ。
「上がります」
俺は宣言して、手札を全て表にした。
「「大進行」と「天体の対」、合計75点です」
場が静まり返った。レオンの表情が曇り、フェリックスとセリアは驚いた顔をしている。ハーバートは嬉しそうに笑った。
「すごいじゃないか、ソウイチロウ! 初めてなのに勝つなんて!」
「フッ、偶然だろう」レオンが不機嫌そうに言った。
「いいえ、偶然じゃないと思います」
セリアが真剣な眼差しで俺を見つめてきた。
「あなた、私の手を読んでいたでしょう? 私が「花の太陽」を集めていることを」
「ええ、まあ……セリアさんは「花の太陽」「花の雨」を持っていると思いました。でも「花の日」「花の月」は揃わないだろうと」
「見事な読みね」
彼女の目には、明らかに興味の色が浮かんでいた。
「すごいぞ、ソウイチロウ」フェリックスも感心した様子で言った。「まるで経験者のような読みだ」
「いや、そんなことは……」
謙遜しながらも、内心では久しぶりの興奮を味わっていた。
(……これ、なんか懐かしいな)
かつて麻雀で味わった興奮、読みの駆け引き、勝利の喜び。それらが蘇ってきた。
「もう一局やろうぜ」
レオンが言った。彼の目には明らかなリベンジ心が燃えていた。
「いいよ」
俺は微笑んで答えた。
(まだ"打ちたい"と思ってる自分がいる)
前世では最後の方、勝ちたいという気持ちすら失っていた俺。でも今、この新しい遊戯で、かつての情熱が戻ってきた気がした。
***
パーティーが終わりに近づく頃、俺たちは4局のタロカを終えていた。結果は3勝1敗。レオンに1度負けたものの、あとは全て勝利を収めた。
「ソウイチロウ、あなた、ただ者じゃないわね」
セリアが感心したように言った。周りにはいつの間にか他の貴族たちも集まり、俺たちのゲームを見守っていた。
「エストガード家の次男は、タロカの天才か?」
「あの年齢であの読みとは驚きだ」
「王都のギャンブラーたちも驚くだろうな」
囁きが広間中に広がっていた。
「ハハハ、弟が皆を驚かせたようだな!」
ハーバートが誇らしげに肩を叩いてきた。
「兄さん……」
照れくさくて顔が熱くなる。でも、嬉しかった。この世界で初めて、自分のちょっとした才能が認められた瞬間だったから。
「レオン、お前の負けだな」フェリックスが冗談めかして言った。
「次は負けないぞ」レオンも渋々ながら認める形で言った。
「また機会があれば、ぜひ」
俺も自分から声をかけた。麻雀をやっていた頃のような、友達と対局する楽しさを思い出していた。
「あの、ソウイチロウさん」
知らない声がした。振り返ると、中年の男性が立っていた。ゴールドの装飾が施された軍服を着ている。高位の軍人だろうか。
「はい?」
「私はアルヴェン・グランツ。北方軍の総司令官だ」
北方軍の総司令官? なぜそんな偉い人が俺に話しかけてくるんだ?
「今のゲーム、非常に興味深く拝見した」
アルヴェンは続けた。
「特にその『読み』の力だ。あなたは相手の手を読み、場の流れを掴み、先の展開を予測していた」
「あ、ありがとうございます……」
恐縮しながら返事をする。彼の目は真剣で、まるで俺の内側まで見透かすようだった。
「その才能は、戦場でこそ活きるのではないかと思う」
「戦場、ですか?」
「そうだ。私たちは今、エストレナ帝国との緊張状態にある。あなたのような洞察力と先読み能力は、戦術立案において非常に貴重だ」
俺は言葉を失った。まさか一つの遊戯がきっかけで、戦術家としての才能を見出されるなんて。
「もし興味があれば、近々また話をさせてほしい」
そう言ってアルヴェンは立ち去った。残された俺は、何が起きたのか理解するのに時間がかかった。
「すげえじゃないか、ソウイチロウ!」ハーバートが興奮した様子で言った。「アルヴェン将軍に目をかけられるなんて!」
「“戦"か……」
俺は小さく呟いた。
「賭け甲斐がありそうだな」
戦術家としての道。麻雀で失われかけていた「勝ちたい」という気持ちが、この世界では新たな形で目覚めようとしていた。