第11話「温泉の掃除」 村に戻った一行が温泉の発見を報告すると、予想通り大きな反響があった。ガルド村長は目を輝かせ、すぐに村人たちを集めて会議を開いた。広場に集まった村人たちは、ライルとメリアの話に熱心に耳を傾けていた。 「つまり、あの東の丘の下に温泉があったというのか?」ガルド村長は信じられないという表情で尋ねた。 「はい」ライルは頷いた。「かなり古い施設ですが、構造はしっかりしています。水も透明で、温度も心地よいです」 メリアも興奮した様子で付け加えた。「薬効があるかもしれないわ。匂いや成分から判断すると、体の疲れを癒す効果が期待できるわね」 村人たちの間で驚きの声と期待の声が入り混じった。年配の女性が手を上げて言った。「私の子供の頃、祖母が『村の近くに神の湯があった』という話をしていたのを思い出すわ。まさかそれが本当だったなんて」 「明日から施設の清掃を始めましょう」ガルド村長は決断を下した。「長年使われていなかったのだから、使用前にはしっかり整備する必要がある」 村人たちからは賛同の声が上がった。特に年配者たちは、温かい湯に浸かれる可能性に喜びの表情を浮かべていた。ドリアンの鍛冶屋は「必要な道具は提供しよう」と申し出、大工のマカラも「施設の補修なら任せてくれ」と力強く言った。 翌朝、ライルが目を覚ますと、コルが既に起きて窓の外を見ていた。外から聞こえる話し声に、ライルは急いで着替えて外に出た。 家の前には、すでに数人の村人が集まっていた。皆、シャベルやほうき、バケツなどの掃除道具を持っている。トムとマリィも小さなほうきを手に、ワクワクした表情を浮かべていた。 「おはよう、ライル」ドリアンが声をかけた。「みんな朝早くから集まってきたんだ。温泉が楽しみでね」 「こんなにたくさんの人が……」ライルは驚いた。予想以上の人数だった。 フィリスも家から出てきて、人々の熱意に微笑んだ。彼女は今日も村人に紛れるため、普段着に身を包み、髪の色も少し暗めに変えていた。 「朝食はどうする?」ライルがフィリスに尋ねた。 「メリアさんが用意してくれたわ」フィリスは広場の方を指さした。 村の広場では、メリアが大きな鍋で何かを温めていた。朝食用のスープだった。働き手たちが集まり、皆で暖かいスープとパンの朝食を取った。食事中も会話は温泉のことでもちきりだった。 「どんな効能があるんだろうね」若い女性が興味深そうに尋ねた。 「肌がすべすべになったりするかしら」別の女性が期待を込めて言った。 「私は腰痛が良くなればいいな」年配の男性がため息交じりに言った。 メリアは皆に「薬効については、成分を調べてからでないと何とも言えない」と答えつつも、「でも、温かい湯に浸かるだけでも、血行が良くなって体に良いわ」と付け加えた。 朝食を終えると、一行は東の丘へと向かった。前日ライルたちが通った道をたどり、洞窟の入口に到着した。入口はまだ草や蔦で覆われていたが、昨日より少し開けていた。 「まずは入口の清掃から始めましょう」ガルド村長が指示を出した。 村人たちは手分けして作業を始めた。男性たちが大きな道具を使って蔦や草を取り除き、女性たちは細かな部分の清掃を担当した。子供たちも小さな石を拾ったり、軽い作業を手伝ったりしていた。 ライルは入口の石組みから蔦を取り除く作業を担当していた。何百年も積み重なった植物の根は意外と強固で、丁寧に取り除かなければならなかった。 「これは大変な作業だね」隣で同じように作業していたドリアンがため息をついた。額には汗が浮かんでいる。 「でも、終わった後には温泉が待っているからね」ライルは笑顔で答えた。 コルも作業に加わっていた。彼は土を掘るのが得意で、入口周辺の土を掻き出す役目を担っていた。小さな体で一生懸命に土を掻き出す姿に、村人たちは時折笑みを浮かべた。 フィリスは若い女性たちと一緒に、石組みの細かな部分を小さなブラシで丁寧に磨いていた。彼女の動きは優雅で、まるで何か神聖な儀式を行っているかのようだった。 「フィリスさんは凄く器用ね」一緒に作業をしていた女性が感心した。 「ありがとう」フィリスは微笑んだ。「ただ、この石に触れると、何だか懐かしい気持ちになるの」 午前中の作業で、入口周辺はかなり整備された。蔦や草は取り除かれ、石組みの美しさが徐々に現れてきた。入口の上部に刻まれていた文様も、土や苔を取り除くことでより鮮明になった。 「これは美しい……」ガルド村長は文様に見入った。「いったい誰がこんなものを作ったんだろう」 メリアはフィリスに小声で尋ねた。「神々の時代のものなのよね?」 フィリスは小さく頷いた。「そう。でも、それは村人には内緒にしておいて」 昼食時には、全員が洞窟の入口付近に集まり、持ってきた弁当を広げた。朝よりも陽射しが強まり、丘の斜面は心地よい暖かさに包まれていた。ライルはフィリスとコルのために用意した特製のサンドイッチを取り出した。 「お腹すいた」フィリスは率直に言った。彼女は普段から食事を楽しみにしていたが、今日の作業で特にお腹が空いたようだった。 コルもライルの足元で期待の眼差しを向けていた。ライルは笑いながら、コル用のサンドイッチも取り出した。 「コルもすごく働いたもんね」ライルはコルの頭を撫でた。コルの毛皮には土埃が付き、いつもの輝くような銀色は少し曇っていたが、それでも彼は嬉しそうに食事を受け取った。 食事中、マリィが突然指さして叫んだ。「見て! コルのお顔!」 全員が振り返ると、コルの顔の周りが泥で覆われ、まるで茶色のマスクをしているかのように見えた。一生懸命にサンドイッチを食べようとするたびに、泥が余計に顔に広がっていく様子があまりにもコミカルで、全員が大笑いした。 恥ずかしそうにするコルを見て、フィリスはハンカチを取り出し、優しく顔を拭いてあげた。「もう、あなたったら」 昼食後、いよいよ洞窟内部の清掃に取りかかった。内部は松明やランタンで照らされ、昨日ライルたちが見た以上の美しさが明らかになった。石壁の模様や彫刻が光に照らされ、村人たちから歓声が上がった。 「壮大だね……」若い男性が感嘆の声を上げた。 「私たちの村の近くにこんな場所があったなんて」年配の女性は目を見開いて言った。 内部の清掃作業は想像以上に大変だった。長い年月をかけて堆積した土や埃を取り除き、壁や床を磨き上げる必要があった。特に中央の広間と台座周辺は重点的に清掃することになった。 村人たちは小グループに分かれて作業を進めた。若い男性たちは重い石や堆積物を運び出し、女性たちは細かな部分の清掃を担当した。ガルド村長は作業全体を指揮し、効率よく進むよう努めた。 コルはさらに活躍していた。彼は小さな体を活かして、人の手が届きにくい隙間に入り込み、そこにたまった埃や小石を掻き出していた。時には、あまりに狭い場所に入り込んで身動きが取れなくなり、ライルに助け出されることもあった。 ある時、コルが台座の下から這い出してきた時、彼の全身は泥だらけだった。銀色の美しい毛皮は茶色に変わり、まるで別の生き物のように見えた。その姿に、作業をしていた村人たちは思わず笑い声を上げた。 「コル、一体何をしていたの?」フィリスは呆れたような、でも愛情のこもった表情で尋ねた。 コルは少し恥ずかしそうに尾を振った。しかし、彼が台座の下から掻き出したのは、単なる泥ではなかった。そこには小さな金属製の装飾品のようなものが混じっていた。 「これは……」ライルは小さな金属片を拾い上げた。 それは植物の葉をかたどった銀色の小さな装飾品だった。長年の埃で覆われていたが、拭うとまだ輝きを保っていた。 「素敵ね」メリアが覗き込んだ。「装飾品かしら?」 フィリスはその小さな葉を手に取り、深い懐かしさを感じるような表情を浮かべた。「これは……神殿の装飾の一部よ。きっと床に敷き詰められていたのね」 村人たちは清掃を続けながら、さらにいくつかの小さな装飾品を発見した。それらは主に植物や水をモチーフにしたもので、床の一部として埋め込まれていたようだった。 中央の台座の清掃は特に注意深く行われた。昨日ライルたちが起動させた温泉の源泉は、今も湧き続けていた。透明で温かい水が台座から溢れ、床の溝を伝って流れていく様子は幻想的だった。 「この水、本当に気持ちよさそう」若い女性が溝の水に手を浸して言った。「もう入りたいわ」 「まだダメよ」メリアは制した。「施設全体の清掃と安全確認が終わってからにしましょう」 午後も作業は続いた。太陽が西に傾き始める頃には、洞窟内部の大部分が清掃され、かつての美しさを取り戻しつつあった。壁面の模様は埃が取り除かれてより鮮明になり、床の石も磨かれて輝きを増していた。 村一番の大工であるマカラは、施設の構造をつぶさに観察していた。「驚くべき技術だ」彼は感心した様子で言った。「これだけの空間を地下に作り、しかも何百年も崩れずに残っているなんて」 「でも、一部は修復が必要ね」彼の妻が言った。「特に入口付近と壁の一部が崩れかけているわ」 「明日、必要な材料を持ってきて修復しよう」マカラは頷いた。「数日かければ、かなり良い状態にできるはずだ」 夕方になり、一日目の作業は終了した。村人たちは疲れながらも充実感に満ちた表情で、道具をまとめ始めた。 「皆さん、今日は本当にお疲れ様でした」ガルド村長が声を上げた。「明日も続きをやりましょう。数日で使えるようになるでしょう」 帰り道、疲れた体を引きずりながらも、村人たちの会話は明るかった。温泉施設の完成を楽しみにする声や、どのように活用するかのアイデアが飛び交った。 ライル、フィリス、コルも最後の一団として丘を下りていた。コルは特に疲れた様子で、時々立ち止まってはあくびをしていた。 「コル、よく頑張ったね」ライルは微笑んで言った。「家に帰ったら、ちゃんと毛を洗ってあげるよ」 コルはまだ泥だらけの体で、ぐったりとしながらも尾を振った。彼の働きぶりは村人たちにも認められ、多くの人が「コルのおかげで」と言いながら彼の頭を撫でていった。 フィリスも疲れた様子だったが、満足そうな表情を浮かべていた。「懐かしい場所が、また人々に使われるようになるのね」 ...

折口詠人

第12話「村の小さな宝物」 温泉施設の清掃は数日間にわたって続いた。村人たちは協力して床を磨き、壁を洗い、崩れかけていた箇所を修復した。作業の合間には発見物について様々な推測が飛び交い、村は活気に満ちていた。 三日目の朝、ライルは昨日の疲れが残る体を引きずりながらも、フィリスとコルと共に再び東の丘へと向かった。朝霧の立ち込める中、三人は静かに歩いていた。 「今日で清掃も大詰めね」フィリスが言った。「村の人たちの熱意には驚くわ」 「みんな温泉を楽しみにしているからね」ライルは微笑んだ。「特に年配の方々は、体の痛みが和らぐのを期待しているみたい」 コルは二人の間を元気に走り回り、時々立ち止まっては先を促すように鳴いた。朝の森は静けさに包まれ、木々の間から差し込む朝日が幻想的な光景を作り出していた。 洞窟に着くと、既に数人の村人が作業を始めていた。マカラは壁の一部を補強し、ドリアンは金属製の装飾を磨いていた。メリアも早くから来ていて、薬効があるかもしれない温泉水のサンプルを採取していた。 「おはよう、みんな」ライルが挨拶すると、村人たちも元気よく返してくれた。 ガルド村長が近づいてきて、「おはよう、ライル。今日は奥の部屋も調べてみようと思っているんだ」と言った。 「奥の部屋?」 「ああ、昨日マカラが見つけたんだ。中央の広間から続く小さな通路があってね。まだ中は見ていないが、何か面白いものがあるかもしれない」 ライルの目が輝いた。「行ってみましょう」 コルも興味深そうに耳をピンと立て、村長の言葉に反応していた。フィリスは少し考え込むような表情を見せたが、「私も行くわ」と言った。 中央の広間に入ると、昨日までの作業で見違えるほど美しくなっていた。床は埃と泥が取り除かれ、石の模様が鮮やかに浮かび上がっている。壁の彫刻も丁寧に磨かれ、その神秘的な光景に思わず息を呑んだ。 村長が指し示した通路は、広間の奥、台座の反対側にあった。入口は小さく、大人一人がやっと通れるほどの幅だった。 「ランタンを持って行った方がいいだろう」村長が言うと、ドリアンが明かりを準備した。 ライル、フィリス、コル、村長、マカラ、ドリアン、そしてメリアの七人(と一匹)は、小さな通路に入っていった。通路は短く、数メートル進むと小さな部屋に出た。 「ここは何だろう?」マカラが驚いた声を上げた。 部屋は広間ほど大きくはなかったが、壁に沿って棚が設置され、様々な物が置かれていた。多くは埃をかぶり、長い年月を経て劣化していたが、形はまだ残っていた。 「宝物庫かしら?」メリアが期待を込めて言った。 フィリスは部屋を見回し、「ここは倉庫よ」と静かに言った。「昔、この施設を使っていた人たちの道具や生活用品が保管されていたのね」 マカラがランタンを掲げ、棚に近づいた。「本当だ。これは昔の道具みたいだな」 棚には木製の桶、陶器の壺、石製の皿、金属製の小さな道具など、様々なものがあった。ライルは興味深そうに手を伸ばし、一つの小さな箱を取り出した。 「これは何だろう?」彼が箱を開けると、中には小さな石の塊が数個入っていた。「石ころ?」 フィリスが近づき、石を手に取った。「これは温熱石よ。火で温めて、体の痛みのある部分に当てるの。今でも使われているものだけど、これは古いタイプね」 「へえ、そうなんだ」ライルは感心した。 村人たちは次々と棚から物を取り出し、それぞれの用途を推測していった。期待していたような宝物や神秘的な遺物ではなかったが、皆の好奇心は尽きなかった。 「これは水を汲むための柄杓だな」ドリアンが木製の道具を手に取った。「しっかり作られている。今でも使えそうだ」 メリアは陶器の小瓶を見つけ、「これは薬を入れる容器かもしれないわ。こんな形のものは今はあまり見ないけど」と言った。 コルも棚の下の方を嗅ぎ回り、何かを見つけると鳴いて皆の注意を引いた。ライルが屈んでみると、そこには革製の小さな袋があった。 「何か入ってる」彼が袋を開けると、中から小さな木製の人形が出てきた。「おもちゃかな?」 村長はそれを手に取り、優しく微笑んだ。「子どものおもちゃだろうな。昔の人々も家族連れでここに来ていたのかもしれないな」 その言葉に、皆は少し感慨深い気持ちになった。何百年も前の人々が、同じようにこの温泉を楽しみ、家族で過ごした時間を想像する。それは宝物よりも、どこか心に響くものがあった。 フィリスが一番奥の棚から丁寧に包まれた布を取り出した。「これは……」彼女が布を広げると、そこには美しい模様が刺繍された大きなタペストリーが現れた。「温泉の絵が描かれているわ」 皆が集まってそれを見た。タペストリーには、温泉を中心に人々が集い、楽しむ様子が描かれていた。中央には台座から湧き出る温泉、その周りには笑顔の人々、そして端には小さな神殿のような建物も描かれていた。 「素晴らしい」村長は感嘆の声を上げた。「これは施設が活気に満ちていた頃の様子を描いたものだろう」 フィリスは静かに頷いた。「そう……この温泉はみんなのものだったのよ」 棚の探索を続けていると、マカラが大きな木箱を見つけた。「これは重いな」彼が箱を引き出すと、中からは様々な道具が出てきた。石を削るための工具、木を加工するための道具、そして金属を扱うための小さな鎚など。 「これは職人の道具だ」ドリアンが言った。「施設の修理や維持に使われていたものだろう」 マカラは目を輝かせた。「これらの道具、今でも使えるものが多いぞ。我々の仕事にも役立つかもしれない」 ライルは棚の隅から、一風変わった形の金属製の道具を見つけた。小さな柄に複数の歯が付いている。「これは何だろう?」 フィリスが微笑んだ。「それは櫛よ。髪を整えるもの」 「こんな形の櫛は見たことないな」ライルは不思議そうに言った。 「昔の様式なのよ」フィリスは説明した。「この地域特有のものかもしれないわ」 メリアが小さな壺の中から乾燥したハーブのようなものを見つけた。「これは薬草かしら? 随分古いけど」 彼女が匂いを嗅ぐと、「懐かしい香りがするわ。村の古い医学書に載っていた薬草に似ているわ」と言った。 発見は次々と続いた。木製の椅子、石のランプ台、貝殻でできた装飾品、そして素朴な陶器の食器類。どれも宝物と呼べるようなものではなかったが、昔の人々の生活を垣間見る貴重な品々だった。 「思ったような宝は見つからなかったが」村長は言った。「これらの道具は村での生活に役立つかもしれない。みんなで分けて持ち帰ろう」 メリアは薬草の入った壺をいくつか手に取った。「これらは研究してみるわ。古代の薬の知識が得られるかもしれないわね」 マカラとドリアンは職人道具を分け、「これらで施設の修理もはかどるだろう」と満足げに言った。 皆が見つけたものを集めていると、コルが再び鳴いて注目を集めた。彼は棚の下に頭を突っ込み、何かを引っ張り出そうとしていた。 「何を見つけたの、コル?」ライルが手伝うと、そこからは小さな木製の箱が出てきた。 フィリスは箱を見るなり、急いで近づいてきた。「それは……」 ライルが箱を開けると、中には小さな石板があった。石板には地図のような模様が刻まれ、中央には七つの円が描かれていた。 「これは何だろう?」ライルが不思議そうに尋ねた。 フィリスは石板を手に取り、しばらく見つめていた。「これは……地図ね。この地域の地脈の流れを示しているわ」 「地脈?」村長が興味を示した。 「そう。地下を流れる力の道筋よ」フィリスは説明した。「この七つの円は、力が集まる場所を示しているのかもしれないわ」 「もしかして他の温泉がある場所?」メリアが期待を込めて尋ねた。 フィリスは少し考え込んだ後、「かもしれないわね」と答えた。「あるいは別の何かかもしれない。地脈の力は様々な形で現れるから」 村長は石板を見て、「これは大切にしておこう。将来、役立つかもしれない」と言った。 発見された品々は、それぞれに担い手が決まった。メリアは薬草と陶器、マカラとドリアンは職人道具、村長はタペストリーと石板、そして他の村人たちも様々な生活用品を分け合った。 「あなたは何か欲しいものある?」フィリスがライルに尋ねた。 ライルは少し考えてから、木製の人形と温熱石を手に取った。「これらをもらおうかな。人形は飾りとして、石は冬に使えそうだし」 コルも小さな革の袋を気に入ったようで、くわえて離さなかった。「それはコルのものってことでいいかな」ライルが笑いながら言うと、コルは嬉しそうに尾を振った。 フィリスは古い櫛を手に取り、「私はこれをもらうわ」と言った。彼女がそれを髪に通すと、不思議と似合っていた。「懐かしい感じがするわ」 昼過ぎ、皆は見つけたものを持って施設を後にした。帰り道、村人たちは自分のものになった古い道具について嬉しそうに話し合っていた。 「これで鍋敷きができそうだね」若い女性が石板を見せながら言った。 「この木製の桶は、補修すれば水汲みに使えるぞ」年配の男性も満足げだった。 ...

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第13話「温泉開き」 数日にわたる清掃作業がようやく終わり、温泉施設の開湯式が行われることになった。真夏の朝、日が昇り始めた頃から、村人たちが次々と東の丘の洞窟へと集まってきた。 ライルは前日まで《天恵の地》を使って温泉施設の最終調整を行っていた。床の石の隙間を埋め、浴槽の縁を滑らかにし、湯の流れをよりスムーズにする工夫をしたのだ。その成果もあり、今朝の温泉は完璧な状態で村人たちを迎える準備ができていた。 「ライル、本当にご苦労様」ガルド村長が声をかけてきた。「君のおかげで古い温泉が蘇ったよ」 「いえ、皆さんの協力があってこそです」ライルは謙遜しながら答えた。 洞窟の入り口は、以前よりもずっと広く開かれ、石段も修復されていた。入り口の上部には「東の湯」と書かれた木の看板が掛けられ、その脇には村人たちが作った紅白の飾りが風にそよいでいた。 フィリスとコルも早くから来ていた。フィリスは今日のために特別に髪を結い上げ、シンプルな白い服を着ていた。彼女は興奮した様子で、時折石造りの壁に手を触れては懐かしむような表情を浮かべていた。 「ついに開湯の日ね」フィリスはライルに近づいて言った。「長い眠りから目覚めた温泉が、また人々に恵みをもたらす日が来たわ」 コルは施設の周りを走り回り、時折立ち止まっては来る人々に尾を振って挨拶していた。彼の銀色の毛は朝日を受けて輝き、見る者の目を和ませた。 村人たちはそれぞれタオルや着替えを持参し、開湯を今か今かと待っていた。子供たちは特に興奮した様子で、トムとマリィは「温泉ってどんな感じなんだろう?」「熱くないかな?」と小声で話し合っていた。 時間になると、ガルド村長が入口に立ち、声高らかに宣言した。 「皆さん、本日より我が村の『東の湯』の利用を開始します! 長年眠っていたこの施設が、皆さんの疲れを癒す場所となることを願っています」 拍手と歓声が上がり、村人たちの顔には喜びが溢れていた。 「では、最初の入浴者として、この温泉を発見してくれたライル君、フィリスさん、そしてメリアさんにお願いしたいと思います」 そう言われて三人は前に進み出た。コルはライルの足元にぴったりとくっついていたが、水が苦手な彼は入口で待つことになっていた。 「コル、少し待っていてね」ライルが優しく言うと、コルは少し残念そうに、しかし従順に頷いた。 洞窟内部に入ると、数日前とは比べものにならないほど清潔で整然とした空間が広がっていた。壁に取り付けられた松明の灯りが温かく揺らめき、中央から湧き出る温泉の湯気が幻想的な雰囲気を作り出している。 メリアの指導のもと、浴場は男湯と女湯に簡易的な仕切りが設けられていた。木と布でできた仕切りは決して豪華ではなかったが、実用的で村の資源を無駄にしない工夫が感じられた。 「それでは、ごゆっくり」村長が言うと、ライルは男湯へ、フィリスとメリアは女湯へと向かった。 ライルが男湯に入ると、湯船からは柔らかな湯気が立ち上っていた。彼は慎重に足を湯に浸し、その温かさを確かめてから徐々に体全体を沈めていった。 「あぁ……」思わず声が漏れる。水温は熱すぎず温かすぎず、絶妙な具合だった。さらに、湯には微かな鉱物の香りがあり、体の芯まで温まる感覚があった。 一方、女湯ではフィリスが湯に足を浸した瞬間、大きな声を上げた。 「これは神の恵み!」 その声は仕切りを超えて男湯まで聞こえてきた。ライルは思わず微笑む。フィリスらしい大げさな反応だ。 しばらくして最初の入浴者が出てくると、次の村人たちが入れ替わりで温泉に入っていった。出てきた人々の表情は一様に満足げで、肌は湯の温もりで赤く染まり、目は穏やかな幸福感に満ちていた。 「ああ、腰の痛みが和らいだようだ」年配の男性が言った。 「肌がすべすべになるわね」若い女性が手の甲を撫でながら喜んでいた。 子供たちも楽しそうに湯に浸かり、時折はしゃぎ声を上げていた。トムとマリィは最初は恐る恐るだったが、すぐに湯の気持ちよさに笑顔を見せていた。 ライルは温泉から出ると、外でコルと合流した。コルは主人の帰りを心待ちにしていたようで、ライルの姿を見ると尾を激しく振って喜びを表した。 「コル、待たせてごめんね」ライルはコルの頭を撫でた。「温泉、とても気持ちいいよ」 コルは興味深そうにライルの手の匂いを嗅ぎ、温泉の香りに少し首を傾げた。その仕草があまりにも愛らしく、ライルは思わず笑みがこぼれた。 フィリスも女湯から出てきて、二人の元に加わった。彼女の頬は湯の熱で桜色に染まり、目は生き生きと輝いていた。 「ライル、あれは本当に素晴らしいわ!」フィリスは両手を広げて言った。「私が眠っていた間に、人間たちはこんな素敵なものを作り出していたのね」 「フィリスこそ、この温泉を甦らせてくれたんだ」ライルは微笑んだ。「君がいなければ、仕掛けを動かすことはできなかった」 フィリスは少し照れたように髪を掻き上げた。 時間が経つにつれ、全ての村人が入浴を終え、洞窟の前の開けた場所に集まり始めた。みんな湯上がりの爽快感に満ちた表情で、自然と会話が弾んでいた。メリアが用意した温かいハーブティーが配られ、湯上がりの体を優しく温めた。 「これからは毎日通いたいね」若い男性が言った。 「私の腰痛が本当に楽になったわ」年配の女性が嬉しそうに語る。「これは本物の薬湯ね」 ライル、フィリス、コルは少し離れた場所で、村人たちの様子を見守っていた。ライルの手には温かいハーブティーの入った木製のカップ、フィリスも同じものを手に持ち、時折香りを楽しむように鼻を近づけていた。コルはライルの足元で丸くなり、二人の会話に耳を傾けているようだった。 「みんな本当に喜んでいるね」ライルは言った。 「そうね。神の恵みが人々に届いて、私も嬉しいわ」フィリスは満足げに頷いた。 ガルド村長が二人に近づいてきた。「二人とも、本当にありがとう。この温泉のおかげで、村に新たな活力が生まれそうだ」 「どういたしまして」ライルは謙虚に答えた。「村の皆さんが喜んでくれるなら、それだけで嬉しいです」 「これからこの温泉をどう活用していくか、考えていかなければならないな」村長は遠くを見るような目をした。「例えば、利用する曜日や時間を決めたり、維持管理の当番を決めたり」 「それは良いですね」ライルは頷いた。「みんなで大切に使っていけば、長く恵みを受けられますから」 その頃、他の村人たちも少しずつ温泉の今後について語り合い始めていた。 「定期的に清掃当番を決めるべきだわ」メリアが提案していた。 「入浴料を少しだけ取って、維持費に充てるのはどうだろう」ドリアンが現実的な意見を出した。 「近隣の村の人たちにも知らせるべきかしら」若い女性が言った。 こうした会話が、湯上がりの爽快感と共に、洞窟の前の空間を温かく満たしていた。 ライルは村人たちの様子を見ながら、心の中で満足感を覚えた。彼が王都から追放され、この村にやってきてから、少しずつではあるが確実に村は変わってきている。今回の温泉発見も、彼の《天恵の地》のスキルが間接的に導いたものだ。 フィリスが静かにライルの肩に手を置いた。「あなたは本当に村に恵みをもたらす人ね」 「それはフィリスも同じだよ」ライルは微笑んだ。 コルが二人の間で満足げに寝そべり、時折尾を振って嬉しさを表現していた。彼の銀色の毛は太陽の光を受けて輝き、見る者の心を和ませる。 東の丘を吹き抜ける夏の風は、湯上がりの体に心地よく感じられた。遠くからは鳥のさえずりが聞こえ、村人たちの笑い声と会話が溶け合い、この日の思い出を一層鮮やかに彩っていた。村に新たな宝物が加わった日。それは確かに、ライルたちの小さな冒険の、予想外だが素晴らしい結果だった。

折口詠人

第14話「温泉で村おこし?」 温泉開きから三日が経った朝、ライルは窓から差し込む夏の陽光に目を覚ました。窓を開けると、鳥のさえずりと朝の爽やかな空気が部屋に流れ込んできた。昨日までの猛暑が少し和らいだようで、東の丘の上には白い雲がいくつか浮かんでいる。 「今日は少し過ごしやすいね」ライルはコルの頭を撫でながら言った。 銀色の毛並みが朝日に輝き、コルは気持ちよさそうに目を細めた。彼は「そうだね」と言いたげに小さく鳴き、ライルの手に顔をすり寄せた。 フィリスはまだ寝室で眠っていた。彼女は温泉開きの日以来、「神の体に相応しい休息」と称して朝寝坊が続いている。ライルはそっと彼女を起こさないように、朝食の準備を始めた。 シンプルなスクランブルエッグとサラダ、昨日焼いておいたパンを温め直す。《天恵の地》で育てたハーブを少し加えると、キッチンに香ばしい香りが広がった。 「いい匂い……」 寝ぼけ眼のフィリスがキッチンに現れた。翡翠色の髪が寝癖でふわふわと乱れ、いつもの威厳ある神様の雰囲気はどこにもない。 「おはよう、フィリス。今日は珍しく早起きだね」ライルは微笑みながら言った。 「神体の調子が整ったのよ」フィリスは大きくあくびをして、テーブルに座った。「それに……その匂いがね」 ライルは笑いながら朝食を三人分用意した。コルも食卓に駆け寄り、自分の分を待っている。 朝食を楽しんでいると、外から声が聞こえてきた。 「ライル、そこにいるかい?」 ガルド村長の声だった。ライルは急いで戸口に向かい、ドアを開けた。 「おはようございます、村長。何かあったんですか?」 村長は早朝にしては正装しており、何やら重要な用があるようだった。 「ああ、おはよう。実は今日、村の集会を開こうと思ってね。温泉のことで皆で話し合いたいんだ」 「温泉のことですか?」 「うん。せっかく素晴らしい温泉が見つかったんだから、もっと活用できないかと思ってね。村の名物にしてはどうかという案なんだ」 ライルは興味を示した。「それはいいアイデアかもしれませんね」 「みんなの意見を聞きたいんだ。昼頃、広場に集まってもらえるかな? あなたたちの意見も聞かせてほしい」 「もちろんです、行きます」 村長は満足げに頷くと、他の家々にも声をかけるため、足早に去っていった。 ライルが家に戻ると、フィリスは好奇心いっぱいの表情で待っていた。 「何の話だったの?」 「村長が温泉を村の名物にする案を考えているらしいよ。今日、みんなで集会をするって」 フィリスの目が輝いた。「素晴らしいわ! 私の神域の温泉は特別なんだから、広く知られるべきよね」 コルも何か感じ取ったのか、尾を振り始めた。 昼前になると、三人は村の広場へと向かった。既に多くの村人が集まっており、ガルド村長を中心に輪になって座っていた。子供たちは少し離れた場所で遊んでいるが、トムとマリィはコルを見つけるとすぐに駆け寄ってきた。 「コル! こっちで遊ぼう!」トムが元気よく声をかける。 コルはライルを見上げ、行っていいかと尋ねるような目をした。 「行っておいで」ライルが笑顔で答えると、コルは嬉しそうに子供たちの方へ小走りに向かった。 ライルとフィリスは村人たちの輪に加わった。メリアが手を振って二人を招き、隣に座るよう促した。 「みなさん、集まってくれてありがとう」ガルド村長が立ち上がり、話し始めた。「今日は、東の丘で見つかった温泉についての話し合いをしたいと思います」 村人たちはそれぞれ顔を見合わせ、期待や疑問が入り混じった表情を浮かべていた。 「この温泉は、われわれの村にとって大きな財産になる可能性があります。私は、この温泉を村の名物として、もっと広く知ってもらってはどうかと考えています」 村長の言葉に、様々な反応が見られた。特に若い村人たちは目を輝かせていたが、年配の村人の中には懐疑的な表情を浮かべる者もいた。 「具体的には、温泉施設を拡充し、近隣の村からも来訪者を呼び込むのです。それにより村に新たな活気と収入がもたらされるでしょう」 村長の提案を聞いて、最初に立ち上がったのは若い農夫のオリバーだった。 「賛成です! 僕たちの村は今まで目立った特徴がなかった。でも温泉があれば、多くの人が訪れるようになります!」 彼の熱意に、同じ年代の村人たちが賛同の声を上げた。しかし、次に立ち上がったのは年配の漁師ドランだった。 「待ってくれ。私は反対だ」彼は渋い表情で言った。「外から人が来れば、この静かな村の平和が乱れる。今までのような穏やかな暮らしができなくなるんじゃないか?」 この発言に、年配の村人たちからも同意の声が上がった。 「それに、温泉施設を拡充するにはお金がかかる。失敗したらどうするんだ?」女性の一人が心配そうに言った。 議論は白熱し始め、賛成派と反対派がそれぞれの意見を主張し合うようになった。若者たちは変化と発展を求め、年配者は安定と平穏を重視している様子だった。 ライルは両方の意見に理解できる部分があり、どちらの立場にも共感していた。フィリスは彼の表情を見て、小声で尋ねた。 「あなたはどう思うの?」 「うーん、両方の意見にもっともな点があるね」ライルは答えた。「発展は大切だけど、この村の良さは静かで平和なところだし……」 議論が少し過熱したところで、ガルド村長が手を上げて静かにするよう促した。 「みなさん、色々な意見があって当然です。では、ライル、君はどう思うかね? この温泉を見つけたのは君たちだし、君のスキルで村は大きく変わってきた。君の意見を聞かせてほしい」 突然の指名に、ライルは少し戸惑ったが、立ち上がって考えを述べることにした。 「僕は、両方の意見に価値があると思います」彼は穏やかな声で言った。「この村の良さは、静かで温かな人々の繋がりにあります。それを失うことなく、少しずつ変化していくのが理想ではないでしょうか」 村人たちは黙って聞いている。 「まずは小規模な試みから始めてみてはどうでしょう。例えば、週に一日だけ『温泉の日』として、近隣の村人を限定的に招待する。そして、その反応を見て、徐々に規模を広げていくか決める」 ライルの提案に、村人たちは考え込む様子を見せた。 「それなら、急激な変化もなく、リスクも抑えられますね」メリアが賛同の意を示した。 「確かに、一気に大きく変えるのではなく、少しずつ様子を見ることができる」ドランも、少し納得した表情になった。 フィリスが立ち上がり、「私の神域の恵みである温泉は、確かに特別です。しかし、この村の平和を乱すためのものではありません。ライルの案は理にかなっています」と言うと、彼女の言葉に村人たちは敬意を示した。 コルも子供たちから離れ、輪の中心に戻ってきた。彼はライルの足元に座り、穏やかな目で村人たちを見回した。その安心感を与える存在に、村人たちの表情が和らいだ。 ガルド村長は満足そうに頷いた。「では、ライルの提案を採用しましょう。まずは小規模な『温泉の日』を設け、近隣の村からの訪問者を限定的に受け入れる。そして反応を見ながら、次の段階を考えていきます」 村人たちからは、賛同の声が上がった。特に年配の村人たちも、この穏やかな変化なら受け入れられると感じたようだった。 「これで決まりました。細かい計画は改めて相談しましょう。今日はありがとう、みなさん」 集会が終わり、村人たちは思い思いの方向に散っていった。ライルはフィリスとコルと共に家路につきながら、胸に暖かいものを感じていた。村の未来について自分の意見が受け入れられ、みんなの間を取り持つことができたという満足感だった。 「あなた、良いこと言ったわね」フィリスは珍しく素直な表情で言った。 「そうかな? でも、本当に上手くいくかどうか……」 ...

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