第14話「温泉で村おこし?」

 温泉開きから三日が経った朝、ライルは窓から差し込む夏の陽光に目を覚ました。窓を開けると、鳥のさえずりと朝の爽やかな空気が部屋に流れ込んできた。昨日までの猛暑が少し和らいだようで、東の丘の上には白い雲がいくつか浮かんでいる。

「今日は少し過ごしやすいね」ライルはコルの頭を撫でながら言った。

 銀色の毛並みが朝日に輝き、コルは気持ちよさそうに目を細めた。彼は「そうだね」と言いたげに小さく鳴き、ライルの手に顔をすり寄せた。

 フィリスはまだ寝室で眠っていた。彼女は温泉開きの日以来、「神の体に相応しい休息」と称して朝寝坊が続いている。ライルはそっと彼女を起こさないように、朝食の準備を始めた。

 シンプルなスクランブルエッグとサラダ、昨日焼いておいたパンを温め直す。《天恵の地》で育てたハーブを少し加えると、キッチンに香ばしい香りが広がった。

「いい匂い……」

 寝ぼけ眼のフィリスがキッチンに現れた。翡翠色の髪が寝癖でふわふわと乱れ、いつもの威厳ある神様の雰囲気はどこにもない。

「おはよう、フィリス。今日は珍しく早起きだね」ライルは微笑みながら言った。

「神体の調子が整ったのよ」フィリスは大きくあくびをして、テーブルに座った。「それに……その匂いがね」

 ライルは笑いながら朝食を三人分用意した。コルも食卓に駆け寄り、自分の分を待っている。

 朝食を楽しんでいると、外から声が聞こえてきた。

「ライル、そこにいるかい?」

 ガルド村長の声だった。ライルは急いで戸口に向かい、ドアを開けた。

「おはようございます、村長。何かあったんですか?」

 村長は早朝にしては正装しており、何やら重要な用があるようだった。

「ああ、おはよう。実は今日、村の集会を開こうと思ってね。温泉のことで皆で話し合いたいんだ」

「温泉のことですか?」

「うん。せっかく素晴らしい温泉が見つかったんだから、もっと活用できないかと思ってね。村の名物にしてはどうかという案なんだ」

 ライルは興味を示した。「それはいいアイデアかもしれませんね」

「みんなの意見を聞きたいんだ。昼頃、広場に集まってもらえるかな? あなたたちの意見も聞かせてほしい」

「もちろんです、行きます」

 村長は満足げに頷くと、他の家々にも声をかけるため、足早に去っていった。

 ライルが家に戻ると、フィリスは好奇心いっぱいの表情で待っていた。

「何の話だったの?」

「村長が温泉を村の名物にする案を考えているらしいよ。今日、みんなで集会をするって」

 フィリスの目が輝いた。「素晴らしいわ! 私の神域の温泉は特別なんだから、広く知られるべきよね」

 コルも何か感じ取ったのか、尾を振り始めた。

 昼前になると、三人は村の広場へと向かった。既に多くの村人が集まっており、ガルド村長を中心に輪になって座っていた。子供たちは少し離れた場所で遊んでいるが、トムとマリィはコルを見つけるとすぐに駆け寄ってきた。

「コル! こっちで遊ぼう!」トムが元気よく声をかける。

 コルはライルを見上げ、行っていいかと尋ねるような目をした。

「行っておいで」ライルが笑顔で答えると、コルは嬉しそうに子供たちの方へ小走りに向かった。

 ライルとフィリスは村人たちの輪に加わった。メリアが手を振って二人を招き、隣に座るよう促した。

「みなさん、集まってくれてありがとう」ガルド村長が立ち上がり、話し始めた。「今日は、東の丘で見つかった温泉についての話し合いをしたいと思います」

 村人たちはそれぞれ顔を見合わせ、期待や疑問が入り混じった表情を浮かべていた。

「この温泉は、われわれの村にとって大きな財産になる可能性があります。私は、この温泉を村の名物として、もっと広く知ってもらってはどうかと考えています」

 村長の言葉に、様々な反応が見られた。特に若い村人たちは目を輝かせていたが、年配の村人の中には懐疑的な表情を浮かべる者もいた。

「具体的には、温泉施設を拡充し、近隣の村からも来訪者を呼び込むのです。それにより村に新たな活気と収入がもたらされるでしょう」

 村長の提案を聞いて、最初に立ち上がったのは若い農夫のオリバーだった。

「賛成です! 僕たちの村は今まで目立った特徴がなかった。でも温泉があれば、多くの人が訪れるようになります!」

 彼の熱意に、同じ年代の村人たちが賛同の声を上げた。しかし、次に立ち上がったのは年配の漁師ドランだった。

「待ってくれ。私は反対だ」彼は渋い表情で言った。「外から人が来れば、この静かな村の平和が乱れる。今までのような穏やかな暮らしができなくなるんじゃないか?」

 この発言に、年配の村人たちからも同意の声が上がった。

「それに、温泉施設を拡充するにはお金がかかる。失敗したらどうするんだ?」女性の一人が心配そうに言った。

 議論は白熱し始め、賛成派と反対派がそれぞれの意見を主張し合うようになった。若者たちは変化と発展を求め、年配者は安定と平穏を重視している様子だった。

 ライルは両方の意見に理解できる部分があり、どちらの立場にも共感していた。フィリスは彼の表情を見て、小声で尋ねた。

「あなたはどう思うの?」

「うーん、両方の意見にもっともな点があるね」ライルは答えた。「発展は大切だけど、この村の良さは静かで平和なところだし……」

 議論が少し過熱したところで、ガルド村長が手を上げて静かにするよう促した。

「みなさん、色々な意見があって当然です。では、ライル、君はどう思うかね? この温泉を見つけたのは君たちだし、君のスキルで村は大きく変わってきた。君の意見を聞かせてほしい」

 突然の指名に、ライルは少し戸惑ったが、立ち上がって考えを述べることにした。

「僕は、両方の意見に価値があると思います」彼は穏やかな声で言った。「この村の良さは、静かで温かな人々の繋がりにあります。それを失うことなく、少しずつ変化していくのが理想ではないでしょうか」

 村人たちは黙って聞いている。

「まずは小規模な試みから始めてみてはどうでしょう。例えば、週に一日だけ『温泉の日』として、近隣の村人を限定的に招待する。そして、その反応を見て、徐々に規模を広げていくか決める」

 ライルの提案に、村人たちは考え込む様子を見せた。

「それなら、急激な変化もなく、リスクも抑えられますね」メリアが賛同の意を示した。

「確かに、一気に大きく変えるのではなく、少しずつ様子を見ることができる」ドランも、少し納得した表情になった。

 フィリスが立ち上がり、「私の神域の恵みである温泉は、確かに特別です。しかし、この村の平和を乱すためのものではありません。ライルの案は理にかなっています」と言うと、彼女の言葉に村人たちは敬意を示した。

 コルも子供たちから離れ、輪の中心に戻ってきた。彼はライルの足元に座り、穏やかな目で村人たちを見回した。その安心感を与える存在に、村人たちの表情が和らいだ。

 ガルド村長は満足そうに頷いた。「では、ライルの提案を採用しましょう。まずは小規模な『温泉の日』を設け、近隣の村からの訪問者を限定的に受け入れる。そして反応を見ながら、次の段階を考えていきます」

 村人たちからは、賛同の声が上がった。特に年配の村人たちも、この穏やかな変化なら受け入れられると感じたようだった。

「これで決まりました。細かい計画は改めて相談しましょう。今日はありがとう、みなさん」

 集会が終わり、村人たちは思い思いの方向に散っていった。ライルはフィリスとコルと共に家路につきながら、胸に暖かいものを感じていた。村の未来について自分の意見が受け入れられ、みんなの間を取り持つことができたという満足感だった。

「あなた、良いこと言ったわね」フィリスは珍しく素直な表情で言った。

「そうかな? でも、本当に上手くいくかどうか……」

「大丈夫よ」フィリスは自信満々に言った。「私の神域の温泉なんだから、きっとうまくいくわ」

 コルも同意するように尾を振った。

 家に戻る道すがら、夏の陽光が三人を優しく照らしていた。村の景色はいつもと変わらない穏やかさを保っていたが、その中にわずかな変化の予感があった。ライルはそれを心地よく感じながら、これからの村の姿に思いを馳せていた。