第12話「村の小さな宝物」

 温泉施設の清掃は数日間にわたって続いた。村人たちは協力して床を磨き、壁を洗い、崩れかけていた箇所を修復した。作業の合間には発見物について様々な推測が飛び交い、村は活気に満ちていた。

 三日目の朝、ライルは昨日の疲れが残る体を引きずりながらも、フィリスとコルと共に再び東の丘へと向かった。朝霧の立ち込める中、三人は静かに歩いていた。

「今日で清掃も大詰めね」フィリスが言った。「村の人たちの熱意には驚くわ」

「みんな温泉を楽しみにしているからね」ライルは微笑んだ。「特に年配の方々は、体の痛みが和らぐのを期待しているみたい」

 コルは二人の間を元気に走り回り、時々立ち止まっては先を促すように鳴いた。朝の森は静けさに包まれ、木々の間から差し込む朝日が幻想的な光景を作り出していた。

 洞窟に着くと、既に数人の村人が作業を始めていた。マカラは壁の一部を補強し、ドリアンは金属製の装飾を磨いていた。メリアも早くから来ていて、薬効があるかもしれない温泉水のサンプルを採取していた。

「おはよう、みんな」ライルが挨拶すると、村人たちも元気よく返してくれた。

 ガルド村長が近づいてきて、「おはよう、ライル。今日は奥の部屋も調べてみようと思っているんだ」と言った。

「奥の部屋?」

「ああ、昨日マカラが見つけたんだ。中央の広間から続く小さな通路があってね。まだ中は見ていないが、何か面白いものがあるかもしれない」

 ライルの目が輝いた。「行ってみましょう」

 コルも興味深そうに耳をピンと立て、村長の言葉に反応していた。フィリスは少し考え込むような表情を見せたが、「私も行くわ」と言った。

 中央の広間に入ると、昨日までの作業で見違えるほど美しくなっていた。床は埃と泥が取り除かれ、石の模様が鮮やかに浮かび上がっている。壁の彫刻も丁寧に磨かれ、その神秘的な光景に思わず息を呑んだ。

 村長が指し示した通路は、広間の奥、台座の反対側にあった。入口は小さく、大人一人がやっと通れるほどの幅だった。

「ランタンを持って行った方がいいだろう」村長が言うと、ドリアンが明かりを準備した。

 ライル、フィリス、コル、村長、マカラ、ドリアン、そしてメリアの七人(と一匹)は、小さな通路に入っていった。通路は短く、数メートル進むと小さな部屋に出た。

「ここは何だろう?」マカラが驚いた声を上げた。

 部屋は広間ほど大きくはなかったが、壁に沿って棚が設置され、様々な物が置かれていた。多くは埃をかぶり、長い年月を経て劣化していたが、形はまだ残っていた。

「宝物庫かしら?」メリアが期待を込めて言った。

 フィリスは部屋を見回し、「ここは倉庫よ」と静かに言った。「昔、この施設を使っていた人たちの道具や生活用品が保管されていたのね」

 マカラがランタンを掲げ、棚に近づいた。「本当だ。これは昔の道具みたいだな」

 棚には木製の桶、陶器の壺、石製の皿、金属製の小さな道具など、様々なものがあった。ライルは興味深そうに手を伸ばし、一つの小さな箱を取り出した。

「これは何だろう?」彼が箱を開けると、中には小さな石の塊が数個入っていた。「石ころ?」

 フィリスが近づき、石を手に取った。「これは温熱石よ。火で温めて、体の痛みのある部分に当てるの。今でも使われているものだけど、これは古いタイプね」

「へえ、そうなんだ」ライルは感心した。

 村人たちは次々と棚から物を取り出し、それぞれの用途を推測していった。期待していたような宝物や神秘的な遺物ではなかったが、皆の好奇心は尽きなかった。

「これは水を汲むための柄杓だな」ドリアンが木製の道具を手に取った。「しっかり作られている。今でも使えそうだ」

 メリアは陶器の小瓶を見つけ、「これは薬を入れる容器かもしれないわ。こんな形のものは今はあまり見ないけど」と言った。

 コルも棚の下の方を嗅ぎ回り、何かを見つけると鳴いて皆の注意を引いた。ライルが屈んでみると、そこには革製の小さな袋があった。

「何か入ってる」彼が袋を開けると、中から小さな木製の人形が出てきた。「おもちゃかな?」

 村長はそれを手に取り、優しく微笑んだ。「子どものおもちゃだろうな。昔の人々も家族連れでここに来ていたのかもしれないな」

 その言葉に、皆は少し感慨深い気持ちになった。何百年も前の人々が、同じようにこの温泉を楽しみ、家族で過ごした時間を想像する。それは宝物よりも、どこか心に響くものがあった。

 フィリスが一番奥の棚から丁寧に包まれた布を取り出した。「これは……」彼女が布を広げると、そこには美しい模様が刺繍された大きなタペストリーが現れた。「温泉の絵が描かれているわ」

 皆が集まってそれを見た。タペストリーには、温泉を中心に人々が集い、楽しむ様子が描かれていた。中央には台座から湧き出る温泉、その周りには笑顔の人々、そして端には小さな神殿のような建物も描かれていた。

「素晴らしい」村長は感嘆の声を上げた。「これは施設が活気に満ちていた頃の様子を描いたものだろう」

 フィリスは静かに頷いた。「そう……この温泉はみんなのものだったのよ」

 棚の探索を続けていると、マカラが大きな木箱を見つけた。「これは重いな」彼が箱を引き出すと、中からは様々な道具が出てきた。石を削るための工具、木を加工するための道具、そして金属を扱うための小さな鎚など。

「これは職人の道具だ」ドリアンが言った。「施設の修理や維持に使われていたものだろう」

 マカラは目を輝かせた。「これらの道具、今でも使えるものが多いぞ。我々の仕事にも役立つかもしれない」

 ライルは棚の隅から、一風変わった形の金属製の道具を見つけた。小さな柄に複数の歯が付いている。「これは何だろう?」

 フィリスが微笑んだ。「それは櫛よ。髪を整えるもの」

「こんな形の櫛は見たことないな」ライルは不思議そうに言った。

「昔の様式なのよ」フィリスは説明した。「この地域特有のものかもしれないわ」

 メリアが小さな壺の中から乾燥したハーブのようなものを見つけた。「これは薬草かしら? 随分古いけど」

 彼女が匂いを嗅ぐと、「懐かしい香りがするわ。村の古い医学書に載っていた薬草に似ているわ」と言った。

 発見は次々と続いた。木製の椅子、石のランプ台、貝殻でできた装飾品、そして素朴な陶器の食器類。どれも宝物と呼べるようなものではなかったが、昔の人々の生活を垣間見る貴重な品々だった。

「思ったような宝は見つからなかったが」村長は言った。「これらの道具は村での生活に役立つかもしれない。みんなで分けて持ち帰ろう」

 メリアは薬草の入った壺をいくつか手に取った。「これらは研究してみるわ。古代の薬の知識が得られるかもしれないわね」

 マカラとドリアンは職人道具を分け、「これらで施設の修理もはかどるだろう」と満足げに言った。

 皆が見つけたものを集めていると、コルが再び鳴いて注目を集めた。彼は棚の下に頭を突っ込み、何かを引っ張り出そうとしていた。

「何を見つけたの、コル?」ライルが手伝うと、そこからは小さな木製の箱が出てきた。

 フィリスは箱を見るなり、急いで近づいてきた。「それは……」

 ライルが箱を開けると、中には小さな石板があった。石板には地図のような模様が刻まれ、中央には七つの円が描かれていた。

「これは何だろう?」ライルが不思議そうに尋ねた。

 フィリスは石板を手に取り、しばらく見つめていた。「これは……地図ね。この地域の地脈の流れを示しているわ」

「地脈?」村長が興味を示した。

「そう。地下を流れる力の道筋よ」フィリスは説明した。「この七つの円は、力が集まる場所を示しているのかもしれないわ」

「もしかして他の温泉がある場所?」メリアが期待を込めて尋ねた。

 フィリスは少し考え込んだ後、「かもしれないわね」と答えた。「あるいは別の何かかもしれない。地脈の力は様々な形で現れるから」

 村長は石板を見て、「これは大切にしておこう。将来、役立つかもしれない」と言った。

 発見された品々は、それぞれに担い手が決まった。メリアは薬草と陶器、マカラとドリアンは職人道具、村長はタペストリーと石板、そして他の村人たちも様々な生活用品を分け合った。

「あなたは何か欲しいものある?」フィリスがライルに尋ねた。

 ライルは少し考えてから、木製の人形と温熱石を手に取った。「これらをもらおうかな。人形は飾りとして、石は冬に使えそうだし」

 コルも小さな革の袋を気に入ったようで、くわえて離さなかった。「それはコルのものってことでいいかな」ライルが笑いながら言うと、コルは嬉しそうに尾を振った。

 フィリスは古い櫛を手に取り、「私はこれをもらうわ」と言った。彼女がそれを髪に通すと、不思議と似合っていた。「懐かしい感じがするわ」

 昼過ぎ、皆は見つけたものを持って施設を後にした。帰り道、村人たちは自分のものになった古い道具について嬉しそうに話し合っていた。

「これで鍋敷きができそうだね」若い女性が石板を見せながら言った。

「この木製の桶は、補修すれば水汲みに使えるぞ」年配の男性も満足げだった。

 村に戻ると、それぞれが家に持ち帰った品々を片付け始めた。ライルも人形を暖炉の棚に飾り、温熱石を台所の棚に置いた。

「どこか寂しい気がするわね」フィリスが言った。「宝物じゃなかったから?」

「ううん」ライルは首を横に振った。「宝物よりも、こういう日用品の方が面白いと思うんだ。昔の人々の生活がわかるし、今でも使えるものが多いから」

 フィリスは古い櫛を手に取り、「そうね。これは私にとって宝物よ」と言った。

 コルも革の袋を大切そうに抱え、ベッドの下に隠すように置いた。その姿があまりにも愛らしく、ライルとフィリスは思わず笑顔になった。

 その日の夕方、村長が家々を回り、明日から温泉の試験利用を始めることを告げた。村人たちは喜び、早速翌日の予定を話し合っていた。

 ライルの家にも村長が訪れ、「明日は女性たちから利用が始まる。君もライルも翌日に試してみてくれ」と言った。

「ありがとうございます」ライルは頷いた。「皆さんが見つけた道具、役に立っていますか?」

「ああ、とても」村長は笑顔で答えた。「マカラは早速あの工具を使って、家の修理をしているよ。メリアも古い薬草を研究し始めたし、子供たちはおもちゃで喜んでいる」

 村長が帰った後、ライルはポーチで夕涼みをしながら、今日の出来事を振り返っていた。期待していたような古代の遺物や宝物は見つからなかったが、それでも村の生活が少し豊かになった気がした。

 フィリスが彼の隣に座り、古い櫛で長い髪をとかしていた。「この櫛、すごく使いやすいわ」彼女が言った。「昔の人の知恵ね」

 コルもポーチに出てきて、二人の足元で丸くなった。彼の銀色の毛皮が夕日に照らされ、美しく輝いていた。

「村の人たちは喜んでたね」ライルは微笑んだ。「お宝じゃなくても、生活に役立つものが見つかって」

「人の価値観は面白いわね」フィリスが言った。「神様からすれば、人間の日用品なんて取るに足らないもののはずだけど、時が経つと宝物のように大切にされるのね」

「それは時間という魔法かもしれないね」ライルは空を見上げながら言った。「何気ない日常のものが、時を経て特別な意味を持つんだ」

 夕暮れの空が徐々に紫色に染まり、最初の星が見え始めた。明日からは温泉施設が利用できるようになり、村の生活がまた一つ豊かになる。そんな期待を胸に、三人は穏やかな夜を過ごした。