第7話「洞窟への道」
朝もやが立ち込める中、ライルは家の前で最後の準備を整えていた。肩掛けバッグには水筒、干し肉、果物などの食料と、松明、火打石、小さなナイフといった道具を詰め込んだ。探検に必要なものはこれくらいだろうか——そう考えながら、もう一度中身を確認する。
「準備はできた?」
振り返ると、フィリスが現れた。彼女はいつもの白い衣ではなく、動きやすい村人風の服装に身を包み、髪も高く結い上げていた。
「ほぼ大丈夫。メリアさんが持ってくる薬草キットがあれば完璧だよ」
コルも興奮した様子で、二人の周りを駆け回っていた。昨日から落ち着かない様子で、何度も東の方角を見ては小さく鳴いていた。
「コルは本当に楽しみにしているみたいだね」ライルが笑いながら言うと、フィリスも小さく微笑んだ。
「ええ、何か感じるものがあるのかもしれないわ。神獣は地脈の流れに敏感だから」
しばらくすると、約束通りメリアがやってきた。彼女も探検用の服装で、背中には薬草キットと応急処置道具を入れたリュックを背負っていた。
「おはよう、みんな。準備はいい?」メリアは明るく挨拶した。「洞窟探検なんて何年ぶりかしら。子供の頃以来かも」
「おはようございます、メリアさん」ライルは彼女の到着に笑顔で応えた。「準備はバッチリです」
「出発前に朝食を食べておきましょう」メリアは持ってきた籠を掲げた。「特製のパンと、昨夜仕込んでおいたスープを持ってきたわ。冷めてるけど、朝食にはちょうどいいわよ」
ライルは家の前にある丸太のテーブルに布を広げ、三人分の食器を並べた。メリアのスープは、干し肉と根菜がたっぷり入った具沢山のもので、冷たくても十分に美味しかった。
「これは美味しい」フィリスは目を輝かせて言った。「探検にはエネルギーが必要だものね」
ライルがパンを小さく切り分けていると、コルが彼の足元でじっと見つめていた。その目は「僕の分は?」と言わんばかりだ。
「はいはい、コルの分もあるよ」ライルは笑いながら、パンの一部とスープを小さな皿に盛り、地面に置いた。
コルはすぐさま食べ始めたが、その食べ方が何とも愛らしい。前足で皿を押さえながら、慎重にパンをかじり、時々スープをぺろぺろと舐める。食べている間も時折東の方角を見るのを忘れなかった。
「コル、そんなに急いで食べたら喉につまるわよ」フィリスが諭すように言うと、コルは一度立ち止まり、フィリスを見上げてから、もう少しゆっくりと食べ始めた。
メリアはその様子を見て微笑んだ。「本当に言葉が通じているのね。まるで人間の子どものようだわ」
「ええ、コルは特別なの」フィリスは誇らしげにコルの頭を撫でた。「神獣だもの」
食事の途中、コルが突然皿から離れ、東の丘の方向へと走り出した。数メートル行ったところで立ち止まり、振り返って三人を見る。まるで「早く来て」と言っているようだ。
「もう行きたいのね」フィリスは小さく笑った。
コルは応えるように短く鳴き、また少し先に進んでは振り返る。この繰り返しに、三人は笑いながら急いで朝食を片付け始めた。
「こんなに急かされるなんて珍しいわね」メリアは言った。「普段はもっとゆったりしているのに」
「あの丘に何かあるんだよ」ライルは言いながら、食器を水で簡単に洗い流した。「コルの様子を見ていると、本当に特別なものがありそうだ」
コルは再び彼らの元に戻ってきて、ライルの靴の紐をくわえて引っ張った。その仕草があまりにも必死で、思わず三人とも笑顔になる。
「分かったよ、行こう」ライルは膝をついてコルの頭を撫でた。「でも危険なことはダメだからね」
コルは嬉しそうに鳴き、尻尾を振った。その表情は、まるで「任せて」と言っているようだった。
荷物を背負い、家の戸締まりを確認した後、一行は村を出発した。朝霧の中、東へと続く小道を進む。村を過ぎ、耕作地を抜けると、徐々に木々が増えていく。やがて草の茂った森の入口に到達した。
「この先はあまり村人も来ないわね」メリアが周囲を見回しながら言った。「子供の頃は"怖いから行くな"と言われていたの」
しかし、コルは怖がる様子もなく、むしろ先頭に立って道を示すかのように小走りに進んでいく。時折立ち止まっては、三人が追いついてくるのを待ち、また前に進む。時に茂みに飛び込んでは、何かを見つけたように鳴き、三人を呼び寄せるのだが、近づいてみると単なる不思議な形の木の根や、カラフルな野生のキノコだったりする。コルにとっては全てが冒険の一部のようだった。
「コルが案内してくれているみたいだね」ライルは微笑んだ。
ある時、コルが急に立ち止まり、低い姿勢で地面の何かを見つめていた。三人が近づくと、小さなカエルが葉の上にいるのが見えた。コルは慎重にカエルに近づき、鼻先で軽く触れようとした瞬間、カエルは大きくジャンプ。驚いたコルは後ろに跳び上がり、尻餅をついた。
その驚いた表情があまりにもコミカルで、三人は声を上げて笑った。コルは少し恥ずかしそうに耳を倒し、すぐに立ち直ると、また先を急ぐように走り出した。
森の中を進むにつれ、朝霧は晴れ始め、木々の間から日差しが差し込んでくる。静かな森の中では、鳥の鳴き声と葉が風に揺れる音だけが聞こえていた。
およそ30分ほど歩いただろうか。コルが突然立ち止まり、低い唸り声を上げた。前方には昨日ライルたちが見つけた丘が見えていた。
「あの丘ね」フィリスが言った。「近づくと……なんだか不思議な感じがするわ」
ライルもなんとなく理解できた。この場所は、何か特別な雰囲気があった。普通の森とは少し違う、静寂と緊張が混ざったような感覚。
丘の麓に着くと、コルが再び先導するように走り出し、斜面に沿って進んでいく。三人もその後を追った。斜面は思ったより急で、足元の草や小枝に気をつけながら上っていく。
「ここから見ると、村が小さく見えるわね」メリアが振り返って言った。確かに、森の向こうに広がる村の全景が見渡せた。
丘を半分ほど上ったところで、コルが立ち止まり、地面を掘るような仕草をした。ライルはその場所に近づき、昨日見つけた石造りの入口を指さした。
「ここだよ。昨日僕たちが見つけた洞窟の入口」
三人が石の構造物の周りに集まると、メリアは驚いた様子で目を見開いた。
「これは……思っていたより立派な造りね」
確かに、単なる自然の洞窟ではなかった。石で丁寧に組まれた入口は、長い年月を経てもなお、その造形の美しさを保っていた。入口の上部には何かの文様が刻まれているようにも見えるが、土や苔に覆われてはっきりとは分からない。
フィリスが入口の石に手を触れると、微かに光が灯ったような気がした——しかし、それは太陽の反射かもしれない。
「人の手によって作られたものね、間違いなく」フィリスは静かに言った。「しかも、かなり昔に」
ライルはバッグから大きめのナイフを取り出し、入口を覆う蔓や草を切り始めた。メリアも手伝って、徐々に入口が姿を現していく。
作業を続けるうちに、入口の全容がはっきりと見えてきた。それは高さ約2メートル、幅1.5メートルほどの石組みの門のような構造で、中は暗く、何が待ち受けているかは分からなかった。
「思ったより立派な入口だね」ライルは感嘆の声を上げた。「これは自然にできたものじゃない。誰かが意図的に作ったんだ」
メリアは入口の周囲を調べ、古い痕跡を確認していた。「ずいぶん昔から人が出入りしていた形跡があるわ。でも、最近使われた形跡はないみたい」
フィリスは何か考え込むように入口を見つめていた。「なんだか……懐かしい感じがするわ」
「懐かしい?」ライルは不思議そうに尋ねた。
「うん……でも、はっきりとは思い出せないの」フィリスは頭を振った。「封印されていた間に失った記憶なのかもしれない」
コルは既に入口の中に少し入り、振り返って三人を見ていた。まるで「早く来て」と促しているかのようだ。
「ライトを準備しよう」ライルはバッグから火打石と松明を取り出した。
メリアもリュックから小さなランタンを出し、灯した。「これも持っていきましょう」
三人は顔を見合わせた。洞窟の中には何があるのか、まだ誰にも分からない。しかし、コルの様子を見ていると、何か重要なものがあるのではないかという予感がした。
「行ってみようか」ライルは決意を込めて言った。
「ええ」フィリスがうなずく。「私も気になるわ」
「私も準備はできてるわ」メリアも同意した。
一同は深呼吸をして、この古代の入口をくぐる準備を整えた。中にある謎を解き明かす冒険が、今始まろうとしていた。