第5話「洞窟の噂」

 夏の日差しが和らぎ始めた夕方、ライルは畑仕事を終えて村の広場へと向かっていた。今日は野菜の交換市があり、村人たちが思い思いの作物を持ち寄って交換する日だった。

 広場に着くと、既に多くの人が集まっており、ライルも自慢の野菜を並べた。特に「星の実」は珍しさもあり、すぐに人気を集めた。

「ライルさんの野菜は本当に素晴らしいですね」年配の女性が感嘆の声を上げた。「こんなに色鮮やかで、みずみずしいなんて」

「ありがとうございます」ライルは照れながら答えた。「《天恵の地》のおかげです」

 しばらく交換が続いた後、ライルは自分の野菜とほかの村人の果物や手工芸品を交換し終え、一息つくことにした。広場の木陰でひと休みしていると、子供たちの声が聞こえてきた。トムとマリィを含む数人の子供が、少し離れた場所で何やら熱心に話し合っている。

「絶対に本当だって! おじいちゃんが言ってたんだから!」トムが興奮した様子で言っていた。

「でも、怖いよ……」別の子供が不安そうに答えた。「魔物が出るって聞いたよ」

 ライルは好奇心から、彼らの会話に耳を傾けた。

「何を話しているの?」彼が子供たちに近づいて尋ねると、トムとマリィは嬉しそうな顔で振り返った。

「ライルさん! 聞いて聞いて!」トムは目を輝かせながら言った。「村の東にある洞窟のこと知ってる?」

「洞窟?」ライルは首を傾げた。「知らないなぁ」

「おじいちゃんが言ってたんだ」トムは身を乗り出して話し始めた。「村の東の森を抜けた丘の下に、不思議な洞窟があるんだって。昔は村人も知ってたけど、今はほとんど忘れられてるんだ」

 マリィも興奮した様子で付け加えた。「でも、その洞窟には魔物が住んでるって話もあるの! 夜になると赤い目をした影が現れて……」

 彼女は怖い顔をして「わぁ!」と叫び、他の子供たちが悲鳴を上げて笑った。

 ライルは微笑みながらも、少し興味を持った。「そんな洞窟があるんだね。行ったことはあるの?」

「ううん」トムは首を横に振った。「おじいちゃんは『危ないから近づくな』って言うんだ。でも、実は宝物が隠されてるんじゃないかって思うんだ!」

 子供たちの話を聞きながら、ライルはふと振り返った。いつの間にかコルが彼の後ろに立っていて、耳をピンと立てて子供たちの話を聞いていた。

「コル、どうしたの?」

 コルは返事をする代わりに、村の東の方向を見て、小さく鳴いた。その金色の瞳には何か特別な光が宿っているように見えた。

「コルも知ってるの? その洞窟のこと」

 コルは明確に頷いたわけではなかったが、再び東の方向を見て、少し落ち着かない様子を見せた。

 その時、メリアが野菜籠を持って近づいてきた。「あら、みんな何を話してるの?」

「メリアさん!」子供たちが一斉に声を上げた。「東の洞窟のことだよ!」

「あぁ、あの古い洞窟ね」メリアは懐かしむような表情になった。「私が子供の頃は、よく怖い話の題材になったわ」

「メリアさんも知ってるんですか?」ライルは驚いて尋ねた。

「ええ、でもほとんどの大人は気にしてないわ。昔からある洞窟だけど、入口が崩れて見つけにくくなったって聞いたわ」

 トムは不満そうな顔をした。「大人はつまんないなぁ。絶対に何かあるはずなのに」

 メリアは笑いながら「さあ、そろそろ家に帰りなさい。お母さんたちが待ってるわよ」と子供たちを促した。

 子供たちが散っていく中、ライルはコルの様子が気になった。彼はまだ東の方向を見つめ、時折耳を動かして何かに反応しているようだった。

「コル、本当に何か知ってるの?」

 コルはライルを見上げ、小さく鳴いた後、また東を見た。

 ライルが家に戻ると、フィリスは庭で植物の世話をしていた。彼女は土に触れると、その部分が少し明るく輝き、植物が元気を取り戻すようだった。ライルが近づくと、彼女は顔を上げた。

「おかえり。野菜の交換はうまくいった?」

「うん」ライルは頷き、交換してきた品々を見せた。「それより、フィリス、村の東にある洞窟のこと知ってる?」

 フィリスは手を止め、少し考え込むような表情になった。「洞窟……?」

「子供たちから聞いたんだ。村の東の森の向こう、丘の下にあるらしいんだけど」

 フィリスは立ち上がり、東の方向を見た。「私は目覚めてからずっとこの村にいるから、洞窟のことは知らないわ。でも……」

 彼女は少し目を閉じ、何かを感じ取ろうとするような仕草をした。「確かに、東の方向には何か……地脈の流れが変わっているような場所があるわ」

「本当?」ライルは驚いた。

「でも、はっきりとは分からないわ。私の力はまだ完全には戻っていないから」フィリスは少し残念そうに言った。

 コルが二人の間に割り込み、フィリスの方を見て鳴いた。彼女はコルを見つめ返し、何かを理解したように頷いた。

「コルも感じているのね。確かに何かありそうだわ」

 その夜、夕食を食べながら、ライルは洞窟について考えていた。子供たちの話では魔物の噂もあるが、村人たちは特に危険視していないようだった。しかし、コルとフィリスの反応を見ると、単なる子供の作り話でもなさそうだ。

「明日、ガルド村長に聞いてみようかな」ライルは言った。「村の歴史に詳しいから、何か知ってるかもしれない」

「いいわね」フィリスは頷いた。「私も気になるわ」

 コルも同意するように尾を振った。

 翌朝、ライルはガルド村長の家を訪ねた。村長は庭で朝の体操をしており、ライルを見つけると温かく招き入れた。

「おはよう、ライル。何か用かい?」

「はい、ちょっとお聞きしたいことがあって」ライルは丁寧に挨拶した。「村の東にある洞窟について、何かご存知ですか?」

 村長は少し驚いた表情を見せた後、笑みを浮かべた。「ああ、あの古い洞窟か。子供たちから聞いたのかい?」

「はい、トムとマリィから」

「そうか」村長は懐かしむように目を細めた。「確かに村の東、丘の下に洞窟があるんだ。昔は村人も知っていたが、今はほとんど忘れられている」

「本当に洞窟があるんですね」ライルは興奮を抑えられなかった。

「ああ」村長は頷いた。「私が子供の頃は、よくそこで遊んだものだ。洞窟の入口はそれほど大きくないが、中はかなり広い。壁には古い印や模様もあった気がする」

「魔物は?」

 村長は笑った。「いや、魔物なんていなかったよ。子供の想像だろう。ただ……」彼は少し声を落とした。「昔は何かあったらしい。祖父から聞いた話では、その洞窟は特別な場所だったとか」

「特別な場所?」

「詳しくは分からないんだ」村長は首を振った。「ただ、村が建設される前から、その場所には何かがあったと言われている。洞窟が自然のものなのか、誰かが作ったものなのかも定かではない」

 ライルはますます興味をそそられた。「今でもその洞窟に行けるんですか?」

「多分ね」村長は考え込むように言った。「ただ、長年放置されていたから、入口が崩れたり、草木に覆われたりしているかもしれない。探すのは容易ではないだろう」

 ライルはガルド村長にお礼を言って家に戻った。フィリスとコルに村長から聞いた話を伝えると、二人とも興味深そうな反応を見せた。

「やっぱり何かありそうね」フィリスは目を輝かせた。「探検してみる?」

「うん、行ってみたい」ライルも乗り気だった。「でも、準備が必要だね。まずは場所を特定しないと」

 コルは二人の会話を聞きながら、何度か立ち上がっては村の東の方向を見ていた。彼は何か感じているようだったが、具体的に何かを示すわけではなかった。

 昼過ぎ、三人は村の東側を散策することにした。森の入口までは行ったことがあったが、その先はあまり探索したことがなかった。コルが先頭に立ち、時折立ち止まっては周囲の匂いを嗅いだり、耳を動かしたりしていた。

 森の中をしばらく歩くと、ライルは木々の間から見える丘を発見した。「あれかな? 村長の言っていた丘は」

 フィリスも頷いた。「近づいてみましょう」

 丘の方に向かって歩いていると、コルが突然走り出した。ライルとフィリスも慌てて彼の後を追った。コルは丘の斜面に差し掛かったところで立ち止まり、地面の一点を熱心に嗅ぎ始めた。

「何かあったの?」ライルが近づいて尋ねると、コルは地面を掘るような仕草をした。

 ライルはその場所を調べてみた。一見すると普通の地面だったが、よく見ると、草の生え方が周囲と少し違っていた。地面を掘ってみると、すぐに固い石に当たった。さらに草を払うと、それは自然の岩ではなく、明らかに人工的な石の構造物だった。

「これは……」フィリスが驚いた声を上げた。「人が作ったものね」

 三人で周囲の草や土を取り除いていくと、石で囲われた小さな入口のようなものが現れた。しかし、その入口は土砂で半分ほど埋まっていた。

「洞窟の入口みたい」ライルは興奮した。「村長の言っていた洞窟はこれかもしれない」

 フィリスは入口をじっと見つめていた。「中から……なにか感じるわ。地脈のエネルギーが流れている感じ」

 コルも興奮した様子で、入口の周りを走り回っていた。彼は何かを発見したことに満足しているようだった。

「今日はもう遅いから、本格的な探検は明日にしようか」ライルが提案した。「道具も必要だし、メリアさんも誘ってみようよ」

「そうね」フィリスも同意した。「準備をしっかりして来ましょう」

 三人は洞窟の場所を覚えておき、村に戻ることにした。帰り道、ライルは子供たちの噂が本当だったことに驚きながらも、ワクワクした気持ちでいっぱいだった。

「何があるんだろうね、あの洞窟の中に」

「さあ……」フィリスは神秘的な笑みを浮かべた。「でも、私たちが見つけるべきものがあるのは確かよ」

 コルも同意するように嬉しそうに鳴いた。

 村に戻ると、ライルはさっそくメリアを訪ね、洞窟を見つけたことを報告した。彼女も驚き、探検に加わることに同意した。そして、必要な道具のリストを作り始めた。

 その晩、ライルはベッドに横になりながらも、明日の探検に胸を躍らせていた。村の歴史に関わる何かがあるかもしれない。あるいは、単なる自然の洞窟かもしれない。いずれにせよ、新しい発見への期待に、彼は眠れない夜を過ごした。

 夜空に輝く満天の星の下、村は静かな眠りについていたが、東の丘の洞窟では、何か古いものが長い眠りから目覚めようとしているかのようだった。