第1話「神様と神獣との日々」 神域認定から一ヶ月が過ぎた初夏の朝、ライルは窓から差し込む柔らかな日差しで目を覚ました。隣のベッドでは銀色の毛並みが朝日に輝き、コルが丸くなって眠っている。彼の寝息は穏やかで、時折耳がピクリと動くのが可愛らしかった。 「おはよう」 キッチンからフィリスの声が聞こえた。ライルは少し驚いて身を起こした。彼女がこんなに早く起きているのは珍しい。 「おはよう、フィリス。どうしたの? 珍しく早起きだね」 フィリスは翡翠色の髪を軽く揺らしながら微笑んだ。彼女の手には、少し焦げ目のついたパンが乗った皿があった。 「村人たちに私の料理を振る舞おうと思って。神様としての威厳も大事だけど、みんなと交流を深めるのも大切でしょう?」 ライルは苦笑いを浮かべながら立ち上がった。フィリスの料理の腕前は、以前より上達したとはいえ、まだまだ発展途上だった。 「それはいいね。でも、ちょっと一緒に作らせてもらってもいい?」 「もちろん!」フィリスは明るく答えた。「私だって進歩してるのよ。見て、今朝はトーストを焦がさずに作れたわ」 彼女が得意げに掲げたパンは、確かに前回よりは焦げが少なかったが、それでも片面が真っ黒だった。ライルは優しく微笑むと、コルを起こさないように静かにキッチンへ向かった。 朝食の支度をする間、ライルは窓から村の様子を眺めた。神域認定以来、村は少しずつ変わりつつあった。家々の屋根は以前より鮮やかに輝き、農地はより豊かな緑を湛えている。何より、村人たちの表情が明るくなったように感じられた。 「正式な神域認定書が届いてから、みんな生き生きしてるよね」ライルが言うと、フィリスは自慢げに胸を張った。 「当然よ。私の神域なんだから」 その言葉とは裏腹に、彼女は熱心にライルの料理の仕方を真似しようとしていた。卵を割る手つきはぎこちなかったが、必死に覚えようとする姿勢は愛らしかった。 朝食を終えた後、三人は村へ向かった。コルは元気よく二人の前を走り回り、時々立ち止まっては振り返って催促するように鳴いた。 村の広場に着くと、既に多くの人々が日常の活動を始めていた。トムとマリィが他の子供たちと遊んでいる姿が見え、彼らはコルを見つけるとすぐに駆け寄ってきた。 「コル! 今日も遊ぼうよ!」トムが元気に叫んだ。 コルは嬉しそうに尾を振り、子供たちの周りを走り回り始めた。村の子供たちにとって、コルとの触れ合いは日々の楽しみになっていた。 「あら、おはようライル、フィリス」メリアが薬草バスケットを手に近づいてきた。「今日は何か予定があるの?」 「フィリスが村人たちに料理を振る舞いたいと言っているんだ」ライルは少し困ったように笑った。 「まあ、素敵じゃない」メリアは目を輝かせた。「でも……その前に、ちょっと手伝ってほしいことがあるの」 彼女は薬草バスケットを見せた。「薬草園の柵が壊れちゃって、修理したいんだけど、一人じゃ大変で」 「もちろん手伝うよ」ライルは快く答えた。 フィリスも「私も行くわ」と言い、しかし少し不満げな表情も見せた。「でも、料理の計画はどうするの?」 「まずは柵を直して、それから料理の準備をしよう」ライルが提案すると、フィリスは渋々同意した。 メリアの薬草園に向かう途中、ガルド村長と出会った。 「おはよう、ライル、フィリス、メリア」村長は温かく挨拶した。「コルは子供たちと遊んでいるようだね」 「はい。みんなに大人気です」ライルは微笑んだ。 「神域認定以来、村全体が活気づいているよ」村長は嬉しそうに言った。「特に作物の育ちが良くなった。ライルのスキルの影響かな?」 「《天恵の地》の効果は、神域認定でさらに強まったみたいなんです」ライルは謙虚に答えた。「フィリスとの契約のおかげで」 フィリスは誇らしげにあごを上げた。「当然よ。私の神域なんだから、すべてがより豊かになるわ」 村長は笑いながら頷き、「今夜の村の集まりにも来てくれるかい?」と尋ねた。 「喜んで」ライルは答え、フィリスもうなずいた。 薬草園に着くと、確かに柵の一部が壊れていた。どうやら昨夜の風で倒れたようだ。 「これは《天恵の地》で直せるかな?」メリアが尋ねた。 ライルは柵に触れ、地面に手を置いた。「やってみるよ」 彼が集中すると、手から緑色の光が漏れ出し、地面へと広がっていった。 ユニークスキル《天恵の地》が発動しました。 【施設】:耐久度回復速度+10%、修復効率+20% 地面から木の根のような緑の光が伸び、壊れた柵へと絡みついていく。光が消えると、柵は見事に修復されていた。新しい木材が生えてきたかのように、壊れた部分が埋められていた。 「すごい!」メリアは感嘆の声を上げた。「前よりも頑丈になってる!」 フィリスは満足げに頷いた。「私の力とライルのスキルが合わさるとこうなるの。神域の恵みよ」 ライルは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。「これくらい、いつでも言ってくれればできるよ」 メリアは感謝の言葉を述べ、続いて薬草園の手入れを手伝ってもらった。ライルの《天恵の地》の効果で、薬草はより生き生きと育ち始めた。 作業を終えると、メリアは新鮮な薬草をいくつか摘み取り、フィリスに渡した。「これを使って料理を作ると、とても良い風味になるわよ」 「本当?」フィリスは興味深そうに薬草の香りを嗅いだ。「これを使って特別な料理を作るわ!」 三人が村の広場に戻ると、コルはまだ子供たちと遊んでいた。彼の銀色の毛は日光を受けて輝き、子供たちは順番にその柔らかな毛並みに触れていた。中にはコルの背中に乗って遊ぶ子もいて、彼はそれを嫌がる様子もなく、むしろ楽しんでいるようだった。 「コルも村の生活に馴染んでるね」ライルが笑顔で言った。 「ええ」フィリスも微笑んだ。「彼は神獣として、人々に癒しを与えることを喜びとしているの」 広場では村人たちが日常の仕事に忙しく、ライルたちに気づくと温かい挨拶を交わした。以前なら、神様である彼女に対して畏敬の念から距離を置いていたかもしれないが、今では親しみを込めて接するようになっていた。 「フィリス様、今日はどんな料理を作るんですか?」若い女性が声をかけた。 「それはね……」フィリスは少し考え込むように言った。「特別な薬草スープよ。メリアに教えてもらったの」 メリアは驚いた顔をしたが、すぐに優しく笑った。「私も手伝うわ。村の集会所の台所を使いましょう」 集会所の台所は広く、村の行事の際に使われるスペースだった。ライル、フィリス、メリアの三人は料理の準備を始めた。フィリスは張り切っているものの、包丁の扱いはまだぎこちなく、野菜を切るたびにライルが冷や冷やした。 「フィリス、ゆっくりでいいからね」ライルは優しくアドバイスした。 「分かってるわよ」フィリスは集中して答えたが、その直後に指を滑らせて小さな悲鳴を上げた。幸い、怪我はなかったが、彼女の表情はさらに真剣になった。 メリアは水を沸かし、薬草と野菜を入れていく。「このスープは、疲労回復に効果があるのよ。特に夏の暑さで疲れた体に良いわ」 香りが立ち始めると、集会所に村人たちが集まってきた。「いい匂いね」「何を作ってるの?」と好奇心いっぱいの声が聞こえる。 フィリスは少し緊張しながらも、誇らしげに「私特製の薬草スープよ!」と宣言した。 やがてスープが完成し、村人たちに振る舞われることになった。フィリスは神々しい立ち振る舞いで、自ら村人たちに給仕を始めた。最初の一杯をガルド村長に渡す時、彼女の手がわずかに震えているのをライルは見逃さなかった。 村長はスープを一口飲み、目を見開いた。「これは……素晴らしい味だ!」 彼の言葉に、周りの村人たちも期待に胸を膨らませてスープを飲み始めた。「本当に美味しい!」「体が温まるわ」と歓声が上がった。 フィリスの顔が喜びで輝いた。「本当? 気に入ってくれた?」 しかし、喜びもつかの間、彼女が作ったスープの中に、誤ってメリアが用意した別の薬草が混入していたことが判明した。数人の村人たちの顔が赤くなり始め、体が熱くなる症状が出始めた。 「あれ? どうしたの?」フィリスは困惑した。 ...
追放されたけど辺境の村でのんびり最強生活 第02巻
第2巻相当の部分です。途中まで。
第2話「畑仕事の充実」 早朝の柔らかな光が村を包み込むころ、ライルは既に畑に立っていた。《天恵の地》のスキルにより、彼の畑は見違えるほど豊かな実りを見せていた。トマトの赤、なすの紫、とうもろこしの黄色が鮮やかに色づき始め、まるで色とりどりの宝石が大地に埋め込まれたかのようだった。 ライルが手をかざすと、指先から緑の光が広がり、畝の間を縫うように地中へと浸透していった。 《天恵の地》発動中:土壌活性化モード 【畑】:作物成長速度+35%、病害耐性+25%、収穫量+20% ログが表示されると同時に、野菜たちがわずかに身を震わせ、さらに生き生きとした表情を見せた。ライルは満足げに微笑むと、腰を下ろして丁寧に雑草を抜き始めた。 「おはよう、ライル。今日も早いのね」 振り返ると、メリアが薬草のかごを持って立っていた。彼女の隣には数人の村人がいて、興味深そうにライルの畑を眺めていた。 「みなさん、おはよう」ライルは立ち上がって挨拶した。「何かあったの?」 「実はね」メリアが笑顔で言った。「この人たちが、あなたの農業技術を教えてほしいって言ってるのよ」 彼らは村の若い農夫たちだった。神域認定以来、ライルの畑が特別な実りを見せていることに、皆が注目するようになっていた。 「もちろん、喜んで」ライルは少し照れくさそうに答えた。 村人たちの顔が明るくなった。「本当ですか? ありがとうございます!」 ライルは彼らを畑の中に招き入れ、自分がこれまで試してきた植え方や水やりの工夫、害虫対策などを説明し始めた。彼のアドバイスは《天恵の地》のスキルに頼るだけでなく、日々の細やかな観察から得た実践的な知恵に溢れていた。 「この野菜たちは、ただ育てるだけじゃなくて、声をかけることも大切なんです。生き物だから、愛情を感じるんですよ」 そう言って野菜に優しく触れるライルの姿に、村人たちは感心した様子で見入っていた。 指導が一段落すると、ライルは今日の収穫を村人たちに手伝ってもらうことにした。皆で力を合わせて熟れた野菜を丁寧に摘み取っていく。作業の間、彼らの質問に答えながら、ライルは農業の喜びを伝えていった。 「ライル!」 元気な声が聞こえ、振り返るとフィリスが走ってくるのが見えた。彼女の後ろをコルが楽しそうに駆け回っている。 「フィリス、おはよう」ライルが笑顔で答えると、村人たちも彼女に丁寧に挨拶した。 「もう、起きたら二人とも居なくて心配したのよ」フィリスは少し不満そうに言ったが、すぐに畑の実りに目を輝かせた。「わあ、これ全部今日の収穫? すごいわね!」 彼女は即座に赤く熟れたトマトを手に取り、その場で一口かじった。「んんん! 甘い! これはおいしいわ!」 フィリスの素直な反応に、村人たちは微笑んだ。神様とは思えない、食いしん坊な一面に親近感が湧いたようだった。 「ライルの野菜は格別ですよね」メリアが言うと、フィリスは誇らしげに胸を張った。 「当然よ! 私の神域で、私の契約者が育てたんだから!」 彼女は次々と様々な野菜を味見していき、その度に「これもおいしい!」「こっちは甘酸っぱくて最高!」と大げさなリアクションを見せた。すぐに彼女の両手には味見した野菜が山のように積まれていた。 「フィリス、そんなに食べたら、お腹を壊すよ」ライルが心配そうに言うと、彼女は少し恥ずかしそうに笑った。 「大丈夫よ、私は神様なんだから」 そう言いながらも、フィリスの頬には野菜の汁がついていて、神様らしからぬ愛らしい姿に村人たちは笑みを浮かべた。コルも野菜の香りに誘われたのか、興味深そうに鼻を鳴らしていた。 午前の作業が終わり、収穫した野菜を村の各家庭に分ける時間になった。ライルが村人たちと野菜を仕分けていると、突然、畑の外れから驚きの声が上がった。 「ライルさん! こっちに来てください!」 ライルが駆け寄ると、若い農夫のオリバーが畑の隅を指さしていた。そこには、まったく新しい種類の野菜が育っていた。紫と白の縞模様が美しい、奇妙な形の実だった。 「これは……何の野菜ですか?」オリバーが不思議そうに尋ねた。 ライルも初めて見る野菜に驚いた。「ぼくも知らないよ。勝手に生えてきたみたいだ」 フィリスが覗き込んだ。「あら、これは古代野菜の一種ね。『星の実』って呼ばれてたわ。すごく栄養価が高くて、昔は神殿で栽培されていたのよ」 「フィリス、知ってたの?」 「ええ、でも何百年も見ていなかったわ。《天恵の地》と神域の力が合わさって、眠っていた種が目覚めたのかもしれないわね」 ライルは慎重に一つの実を収穫した。切り分けてみると、中は星型の模様になっており、その美しさに皆が感嘆の声を上げた。フィリスはすかさず一片を口に入れた。 「美味しい! でも……少し不思議な味ね。甘くて、でもスパイシーで……言葉では表現できないわ」 ライルも一口食べてみると、確かに今までに味わったことのない風味だった。温かさが体の中心から広がり、疲れが取れていくような感覚すら覚えた。 《天恵の地》が反応しました。 未知の作物「星の実」が発見されました。 【効果】:活力回復+30%、精神安定+25% 新たな栽培技術を獲得:【希少種育成】 その日の夕方、ライルたちは収穫した野菜と新たに発見した「星の実」を使って、村の広場で料理会を開くことになった。ドリアンが鍛冶場から大きな鍋を持ち出し、メリアが薬草の調味料を用意し、村人たちがそれぞれの家から調理道具を持ち寄った。 ライルが野菜スープと星の実のソテーを作る様子を、村人たちは熱心に見学していた。フィリスも張り切って手伝おうとしたが、昨日の失敗もあり、今日は主に味見係を担当することになった。 「この調理法を覚えておくといいわ」フィリスは神妙な顔で言った。「星の実は特別な野菜だから、正しく調理することで効果が最大限に発揮されるの」 彼女が語る間、コルは子供たちと遊びながらも、時折料理の様子を気にするようにこちらを見ていた。 料理が完成し、村人全員で分け合って食べると、その美味しさに歓声が上がった。特に星の実を使った料理は、食べた人の顔に自然と笑みがこぼれるような不思議な効果があるようだった。 「体が軽くなる感じがするわ」「疲れが取れていくみたい」と村人たちは驚きの声を上げた。 ガルド村長は満足げな表情でライルに言った。「君のおかげで、村の農業が変わりつつあるよ。これからも指導をお願いしたい」 「喜んで」ライルは笑顔で答えた。「僕も村のみんなから学ぶことがたくさんあります」 星が輝き始めた夜空の下、村人たちとの食事会は和やかに続いた。フィリスは星の実についての古い伝説を語り、コルは満腹になって子供たちの膝の上で丸くなって眠っていた。 帰り道、三人は満天の星空を眺めながら歩いた。 「今日はいい一日だったね」ライルが言うと、フィリスは静かに頷いた。 「ええ。私の神域が少しずつ本来の姿を取り戻しているわ。星の実もその一つ……きっとこれからも、眠っていた恵みが目覚めていくはずよ」 コルは眠たそうに二人の間を歩き、時折あくびをしていた。その姿を見て、ライルとフィリスは笑顔を交わした。 シンプルながらも充実した一日が終わり、三人は星明かりに照らされながら、小さな家路についた。明日もまた、新たな発見と喜びが待っているかもしれない。その期待を胸に、彼らは静かな夜の村を歩いていった。
第3話「屋根の完全修復」 朝方から村に降り続けていた小雨は、昼過ぎには止み、雲の間から日差しが顔を覗かせ始めた。ライルは家の軒先に立ち、濡れた屋根を見上げていた。雨漏りは以前よりだいぶ減ったものの、いくつかの場所ではまだ雫が落ちてくる。特に二階の一部と、キッチンの天井からの滴りが気になっていた。 「まだ完全には直っていないね」彼は独り言のように呟いた。 「大丈夫よ、これくらいなら私が……」フィリスが自信満々に言いかけたが、ライルは慌てて止めた。 「いや、前回君が屋根を『修理』しようとした時のことを覚えてるよ。半分が吹き飛んで、一週間も直すのに苦労したじゃないか」 フィリスは頬を膨らませた。「それは力の加減を間違えただけよ。今度はもっと上手くできるわ」 コルが二人の会話を聞きながら、「やめておいた方がいい」と言いたげに小さく鳴いた。 ライルが返事に困っていると、村の大工マカラがやってきた。彼は腰に道具袋を下げ、肩に木材を担いでいた。 「おや、ライル、今日は良い天気になったな」マカラは陽気に挨拶した。「屋根の様子はどうだい?」 「マカラさん、ちょうど良かった」ライルは安堵の表情を見せた。「まだいくつか雨漏りがしているんです」 マカラは頷き、家の周りを歩いて屋根を調査した。「うむ、あと数か所修理が必要だな。今日は道具と材料を持ってきたから、一緒に直してしまおう」 「本当ですか? ありがとうございます!」 マカラが笑いながら答えようとした時、村の方から声が聞こえてきた。振り返ると、ドリアン、ガルド村長、そして何人かの村人たちが道具や材料を持ってやってきていた。 「おや、みなさん?」ライルは驚いた顔で尋ねた。 「屋根の修理を手伝いに来たよ」ドリアンが答えた。「今日でライルの家の雨漏りを完全に解決しよう」 ガルド村長も頷いた。「神域の契約者の家が雨漏りしているなんて、見過ごせないからね」 ライルは胸が熱くなるのを感じた。「みなさん……ありがとうございます」 フィリスもコルも嬉しそうな表情を浮かべた。特にコルは尾を激しく振り、村人たちの周りをぐるぐると走り回っていた。 準備が整うと、修理作業が始まった。マカラの指示の下、村人たちはそれぞれの役割を果たした。若い男性たちはライルと共に屋根に上り、傷んだ板を取り外し、新しい板を取り付けていく。年配の村人たちは地上で材料を準備し、女性たちは作業員に水や軽食を届けた。 フィリスも手伝おうと屋根に登ろうとしたが、村の女性たちに「神様は見守っていてください」と丁重に止められ、結局地上でコルと共に作業を見守ることになった。 「私だって力仕事くらいできるのに……」彼女は少し不満げに言ったが、コルが彼女の膝に頭を乗せると、その柔らかい毛並みを撫でながら落ち着いた様子になった。 作業は順調に進み、傷んだ屋根板が次々と新しいものに取り替えられていった。特に問題だったキッチン上部は、マカラの提案で構造を少し変更し、より頑丈な作りになった。 「これで雨漏りの心配はなくなるだろう」マカラは満足げに言った。 昼過ぎ、村の女性たちが用意した昼食が振る舞われた。村人たちは家の前に輪になって座り、おにぎりやスープを分け合った。その輪の中心には、ライル、フィリス、コルがいた。 「村に来てから、みなさんには本当にお世話になっています」ライルは感謝の言葉を述べた。「最初は荒れ果てた家だったのに、今では本当に住みやすくなりました」 「気にするな」ドリアンは豪快に笑った。「お前は村のために大きな貢献をしている。この程度の手伝いは当然だ」 村人たちも頷き、温かい言葉を掛けてくれた。フィリスは少し照れくさそうに、でも誇らしげに村人たちを見ていた。 昼食後、作業は再開された。午後になると、トムとマリィをはじめとする子供たちも手伝いに来た。彼らは小さな手で釘を運んだり、大人たちに水を届けたりと、自分たちなりに協力した。コルも子供たちに混ざって、尾を振りながら元気に走り回っていた。 作業中、マカラから昔の家づくりの話を聞いたり、ドリアンの若い頃の武勇伝に笑ったりしながら、時間はあっという間に過ぎていった。労働の合間の会話と笑い声が、作業をさらに楽しいものにしていた。 夕方近くになり、最後の屋根板が取り付けられると、マカラは満足げに手を叩いた。「よし、これで完成だ!」 村人たちから歓声が上がった。完成した屋根は、以前よりもはるかに頑丈で美しく、家全体の印象を明るくしていた。 「これで雨の日も安心して眠れるね」ライルは安堵の表情で言った。 村人たちが道具を片付け始めたとき、空が再び曇り始め、小雨がぱらつき始めた。 「おや、ちょうど良い雨になったな」ガルド村長は空を見上げて言った。「これで屋根の出来栄えがすぐに試せるぞ」 皆が屋根の下に集まり、雨音に耳を澄ませた。数分経っても、家の中に雨が落ちてくる音は一切しなかった。 「完璧だ!」マカラは自信満々に宣言した。 その瞬間、雨は本降りになった。激しい雨音が屋根全体を叩いたが、一滴も漏れることはなかった。 「本当に……漏れてない」ライルは感動した様子で言った。「これまで雨の日はいつも桶を何個も置いて過ごしていたから……」 フィリスも満足げな表情だった。「これで私の髪が雨に濡れる心配もなくなるわね」 コルは新しい屋根の下で安心したように伸びをし、くるりと丸くなった。 このまま皆が帰る流れになると思われたが、ドリアンが大きな声で「せっかくだから、屋根完成のお祝いをしよう!」と提案した。皆が賛同し、急遽、雨宿りを兼ねたささやかな宴が始まった。 ドリアンが持ってきた自家製のお酒が振る舞われ、女性たちは家にあった食材で即席の料理を作り始めた。子供たちはコルと遊び、家中に笑い声が響いた。 雨の音をバックに、温かな宴が続く中、ライルはふと、この家が本当に「自分の家」になったことを実感した。王都から追放された時には想像もできなかった、安心感と帰属意識。それは単に屋根が直ったという物理的な安心だけでなく、村の一員として受け入れられているという心の安らぎだった。 「何を考えてるの?」フィリスが隣に座り、小声で尋ねた。 「この家が……本当に僕たちの家になったなって」ライルは正直に答えた。 フィリスは珍しく優しい笑顔を見せた。「ええ、そうね。私たちの家……悪くない響きだわ」 宴は夜まで続き、雨も上がった頃、村人たちはそれぞれ帰路についた。最後まで残ったマカラは、明日また来て細かな補修をすると約束して去った。 静かになった家の中、ライル、フィリス、コルの三人は暖炉の前に座っていた。外は雨上がりの澄んだ空気で、星が瞬き始めていた。 「今夜は久しぶりに、雨の心配なく眠れるね」ライルは穏やかに言った。 フィリスは頷き、「人間って不思議ね。一つ屋根の下で暮らすだけで、こんなに安心感が生まれるなんて」と感想を述べた。 コルは既に眠りに落ち、暖炉の温かさで満足げに寝息を立てていた。 二人も疲れた体を休め、新しく頑丈になった屋根の下、安心して眠りについた。外では夜風が吹き、たまに木々が揺れる音がするだけの、静かで平和な夜だった。
第4話「お風呂問題」 七月に入り、村はいよいよ夏の暑さが本格化していた。朝から照りつける太陽の下、ライルは畑作業を終え、汗だくになって家に戻ってきた。玄関を開けると、リビングのソファで扇子を使って涼んでいるフィリスの姿が見えた。彼女も暑さに参っている様子で、髪を高く結い上げ、できるだけ薄着になっていた。 「ただいま」ライルは疲れた声で言った。 「おかえり」フィリスは顔を上げ、ライルの汗だくの姿を見て眉をひそめた。「まあ、ずいぶん汗をかいているわね」 「うん、今日は特に暑かったから」ライルは額の汗を拭いながら答えた。「早く体を洗いたいな」 コルも暑そうに床に横たわり、舌を出して荒い息をしていた。彼の銀色の毛も暑さで少し湿っているように見えた。 「コルも暑そうだね」ライルが言うと、フィリスは心配そうにコルを見た。 「そうね……この暑さは私も苦手だわ。神とはいえ、この体は人間と同じように暑さを感じるもの」 ライルは水を一杯飲み、少し落ち着いてから「村の共同浴場に行ってくるよ」と言った。 村には小さな共同浴場があり、村人たちは交代で使用していた。特に暑い夏の日には、多くの村人が体を清めに訪れる。 「私も行くわ」フィリスは立ち上がった。「この暑さでは神の威厳も保てないわ」 コルも二人の言葉を聞いて起き上がった。しかし、彼は「自分は行かない」と言いたげに、首を横に振った。 「コルは水が嫌いだもんね」ライルは笑って言った。「家で留守番していてくれる?」 コルは喜んで頷いた。 ライルとフィリスは着替えとタオルを持って共同浴場へ向かった。村の中央近くにある石造りの建物で、男湯と女湯に分かれている。しかし、建物の前に着くと、二人は驚いた。入口には長い列ができており、多くの村人が順番を待っていたのだ。 「こんなに混んでるの?」フィリスは驚いた顔で言った。 近くにいたメリアが二人に気づき、声をかけてきた。「あら、ライル、フィリス。お風呂に来たの?」 「うん、でも随分混んでるね」ライルは列を見ながら答えた。 「ええ、この暑さで皆一斉に来てるのよ」メリアは説明した。「特に今日は井戸水の温度が上がっているから、少し冷えるまで使えない浴槽もあって……」 フィリスは不満げな表情を浮かべた。「私が神様だって知っていながら、列に並ばせるの?」 メリアは困ったように笑った。「神様だからって順番を抜かしたら、皆に不公平でしょ?」 フィリスは口をとがらせたが、反論できなかった。二人は仕方なく列の最後に並んだ。 炎天下の中、列はなかなか進まなかった。ライルは汗を拭きながら、「やっぱり自分の家にお風呂があれば便利だよね」とつぶやいた。 「ええ、本当にそうね」フィリスは強く同意した。「神の体に相応しい入浴環境がないなんて……」 そんな会話をしている間も、列はゆっくりとしか進まなかった。ようやく建物の入口に近づいたとき、中から出てきたドリアンに出会った。 「おう、ライル、フィリス様」ドリアンは元気よく挨拶した。「お風呂に来たのか?」 「ええ、でもこんなに混んでるなんて思わなかったわ」フィリスは不満そうに答えた。 ドリアンは首を掻きながら「そうだな……最近は暑いから、毎日こんな感じだよ」と言った。 ライルはふと思いついて尋ねた。「ドリアンさん、もし家にお風呂を作るとしたら、難しいですか?」 ドリアンは少し考えてから答えた。「難しくはないが、材料と時間がかかるな。特に湯を沸かす釜や、水をためる桶の作成が手間だ」 「そうですか……」ライルは少し残念そうに言った。 「でも」ドリアンは明るく続けた。「お前の《天恵の地》のスキルがあれば、もっと簡単にできるかもしれないぞ。土や木を操作して自然な形の浴槽を作れないか?」 ライルの目が輝いた。「それはいい考えですね!」 フィリスも興味を示した。「それなら私の力も使えるわ。地の女神として、湯を湧かす熱源くらい用意できるもの」 ドリアンは笑った。「そうか、それなら明日にでも相談に乗るよ。今日はとりあえず、共同浴場で我慢するんだな」 二人が再び列に並ぶと、話題は自家風呂の可能性に移っていた。 「自分の家にお風呂があれば、毎日好きな時に入れるわね」フィリスは夢見るような表情で言った。「しかも他の人を気にせず、ゆっくりと……」 「僕も畑仕事の後にすぐ入れるのはいいな」ライルも想像を膨らませた。 ようやく二人の番になり、それぞれ男湯と女湯に入った。しかし、予想通り浴場は混雑しており、ゆっくり浸かることはできなかった。それでも、体を清めることができただけでも暑さが少し和らいだ気がした。 お風呂から出た後、二人は涼しくなった夕方の空気を感じながら家に戻った。 「やっぱり自分の家にお風呂があればいいよね」ライルが言うと、フィリスは強く頷いた。 「絶対に作るわ。神様が列に並ぶなんてあってはならないわ」 家に戻ると、コルが涼しい床に寝転がって彼らを待っていた。二人が戻ってきたのを見て、尾を振って出迎えた。 「ただいま、コル」ライルが挨拶すると、コルは嬉しそうに鳴いた。しかし、彼はライルとフィリスの匂いを嗅ぐと、少し顔をしかめた。石鹸の匂いが嫌いなようだ。 夕食後、三人はポーチに出て、夕涼みをすることにした。空は徐々に色を変え、赤から紫、そして深い藍色へと移り変わっていった。風もようやく涼しくなり、心地よく肌を撫でていく。 「明日、ドリアンさんに相談してみよう」ライルは星空を見上げながら言った。「自分たちの家に自分たちだけのお風呂があれば、本当に便利だね」 「コルは入らないでしょうけどね」フィリスは笑いながら、コルの頭を撫でた。コルは「そんなことはお断りだ」と言いたげに、小さく唸った。 その夜、ライルは寝る前にノートに簡単な風呂のデザインを描いてみた。地面を掘って自然石で囲った浴槽、木製の蓋、そして湯を沸かす仕組み……。イメージを膨らませるうちに、彼の目はますます輝いていった。 「何を描いているの?」フィリスがライルの肩越しに覗き込んだ。 「お風呂のアイデアだよ」ライルは嬉しそうに説明した。「《天恵の地》で地面を整え、自然石を配置して……」 フィリスも興味深そうに見入り、「ここにはこんな石を置いた方がいいわ」「湯を沸かす仕組みはこうしましょう」と次々に意見を出した。二人はすっかり計画に夢中になり、夜更けまで話し合った。 コルはそんな二人を見て、あくびをしながら丸くなって眠りについた。彼にとって、お風呂は興味のない話題だったが、二人が楽しそうにしているのを見るのは嫌いではないようだった。 窓の外では満月が明るく輝き、村の静かな夜を優しく照らしていた。暑さの中にも、ささやかな幸せと未来への希望が感じられる、そんな夏の夜だった。
第5話「洞窟の噂」 夏の日差しが和らぎ始めた夕方、ライルは畑仕事を終えて村の広場へと向かっていた。今日は野菜の交換市があり、村人たちが思い思いの作物を持ち寄って交換する日だった。 広場に着くと、既に多くの人が集まっており、ライルも自慢の野菜を並べた。特に「星の実」は珍しさもあり、すぐに人気を集めた。 「ライルさんの野菜は本当に素晴らしいですね」年配の女性が感嘆の声を上げた。「こんなに色鮮やかで、みずみずしいなんて」 「ありがとうございます」ライルは照れながら答えた。「《天恵の地》のおかげです」 しばらく交換が続いた後、ライルは自分の野菜とほかの村人の果物や手工芸品を交換し終え、一息つくことにした。広場の木陰でひと休みしていると、子供たちの声が聞こえてきた。トムとマリィを含む数人の子供が、少し離れた場所で何やら熱心に話し合っている。 「絶対に本当だって! おじいちゃんが言ってたんだから!」トムが興奮した様子で言っていた。 「でも、怖いよ……」別の子供が不安そうに答えた。「魔物が出るって聞いたよ」 ライルは好奇心から、彼らの会話に耳を傾けた。 「何を話しているの?」彼が子供たちに近づいて尋ねると、トムとマリィは嬉しそうな顔で振り返った。 「ライルさん! 聞いて聞いて!」トムは目を輝かせながら言った。「村の東にある洞窟のこと知ってる?」 「洞窟?」ライルは首を傾げた。「知らないなぁ」 「おじいちゃんが言ってたんだ」トムは身を乗り出して話し始めた。「村の東の森を抜けた丘の下に、不思議な洞窟があるんだって。昔は村人も知ってたけど、今はほとんど忘れられてるんだ」 マリィも興奮した様子で付け加えた。「でも、その洞窟には魔物が住んでるって話もあるの! 夜になると赤い目をした影が現れて……」 彼女は怖い顔をして「わぁ!」と叫び、他の子供たちが悲鳴を上げて笑った。 ライルは微笑みながらも、少し興味を持った。「そんな洞窟があるんだね。行ったことはあるの?」 「ううん」トムは首を横に振った。「おじいちゃんは『危ないから近づくな』って言うんだ。でも、実は宝物が隠されてるんじゃないかって思うんだ!」 子供たちの話を聞きながら、ライルはふと振り返った。いつの間にかコルが彼の後ろに立っていて、耳をピンと立てて子供たちの話を聞いていた。 「コル、どうしたの?」 コルは返事をする代わりに、村の東の方向を見て、小さく鳴いた。その金色の瞳には何か特別な光が宿っているように見えた。 「コルも知ってるの? その洞窟のこと」 コルは明確に頷いたわけではなかったが、再び東の方向を見て、少し落ち着かない様子を見せた。 その時、メリアが野菜籠を持って近づいてきた。「あら、みんな何を話してるの?」 「メリアさん!」子供たちが一斉に声を上げた。「東の洞窟のことだよ!」 「あぁ、あの古い洞窟ね」メリアは懐かしむような表情になった。「私が子供の頃は、よく怖い話の題材になったわ」 「メリアさんも知ってるんですか?」ライルは驚いて尋ねた。 「ええ、でもほとんどの大人は気にしてないわ。昔からある洞窟だけど、入口が崩れて見つけにくくなったって聞いたわ」 トムは不満そうな顔をした。「大人はつまんないなぁ。絶対に何かあるはずなのに」 メリアは笑いながら「さあ、そろそろ家に帰りなさい。お母さんたちが待ってるわよ」と子供たちを促した。 子供たちが散っていく中、ライルはコルの様子が気になった。彼はまだ東の方向を見つめ、時折耳を動かして何かに反応しているようだった。 「コル、本当に何か知ってるの?」 コルはライルを見上げ、小さく鳴いた後、また東を見た。 ライルが家に戻ると、フィリスは庭で植物の世話をしていた。彼女は土に触れると、その部分が少し明るく輝き、植物が元気を取り戻すようだった。ライルが近づくと、彼女は顔を上げた。 「おかえり。野菜の交換はうまくいった?」 「うん」ライルは頷き、交換してきた品々を見せた。「それより、フィリス、村の東にある洞窟のこと知ってる?」 フィリスは手を止め、少し考え込むような表情になった。「洞窟……?」 「子供たちから聞いたんだ。村の東の森の向こう、丘の下にあるらしいんだけど」 フィリスは立ち上がり、東の方向を見た。「私は目覚めてからずっとこの村にいるから、洞窟のことは知らないわ。でも……」 彼女は少し目を閉じ、何かを感じ取ろうとするような仕草をした。「確かに、東の方向には何か……地脈の流れが変わっているような場所があるわ」 「本当?」ライルは驚いた。 「でも、はっきりとは分からないわ。私の力はまだ完全には戻っていないから」フィリスは少し残念そうに言った。 コルが二人の間に割り込み、フィリスの方を見て鳴いた。彼女はコルを見つめ返し、何かを理解したように頷いた。 「コルも感じているのね。確かに何かありそうだわ」 その夜、夕食を食べながら、ライルは洞窟について考えていた。子供たちの話では魔物の噂もあるが、村人たちは特に危険視していないようだった。しかし、コルとフィリスの反応を見ると、単なる子供の作り話でもなさそうだ。 「明日、ガルド村長に聞いてみようかな」ライルは言った。「村の歴史に詳しいから、何か知ってるかもしれない」 「いいわね」フィリスは頷いた。「私も気になるわ」 コルも同意するように尾を振った。 翌朝、ライルはガルド村長の家を訪ねた。村長は庭で朝の体操をしており、ライルを見つけると温かく招き入れた。 「おはよう、ライル。何か用かい?」 「はい、ちょっとお聞きしたいことがあって」ライルは丁寧に挨拶した。「村の東にある洞窟について、何かご存知ですか?」 村長は少し驚いた表情を見せた後、笑みを浮かべた。「ああ、あの古い洞窟か。子供たちから聞いたのかい?」 「はい、トムとマリィから」 「そうか」村長は懐かしむように目を細めた。「確かに村の東、丘の下に洞窟があるんだ。昔は村人も知っていたが、今はほとんど忘れられている」 「本当に洞窟があるんですね」ライルは興奮を抑えられなかった。 「ああ」村長は頷いた。「私が子供の頃は、よくそこで遊んだものだ。洞窟の入口はそれほど大きくないが、中はかなり広い。壁には古い印や模様もあった気がする」 「魔物は?」 村長は笑った。「いや、魔物なんていなかったよ。子供の想像だろう。ただ……」彼は少し声を落とした。「昔は何かあったらしい。祖父から聞いた話では、その洞窟は特別な場所だったとか」 「特別な場所?」 「詳しくは分からないんだ」村長は首を振った。「ただ、村が建設される前から、その場所には何かがあったと言われている。洞窟が自然のものなのか、誰かが作ったものなのかも定かではない」 ライルはますます興味をそそられた。「今でもその洞窟に行けるんですか?」 「多分ね」村長は考え込むように言った。「ただ、長年放置されていたから、入口が崩れたり、草木に覆われたりしているかもしれない。探すのは容易ではないだろう」 ライルはガルド村長にお礼を言って家に戻った。フィリスとコルに村長から聞いた話を伝えると、二人とも興味深そうな反応を見せた。 「やっぱり何かありそうね」フィリスは目を輝かせた。「探検してみる?」 「うん、行ってみたい」ライルも乗り気だった。「でも、準備が必要だね。まずは場所を特定しないと」 コルは二人の会話を聞きながら、何度か立ち上がっては村の東の方向を見ていた。彼は何か感じているようだったが、具体的に何かを示すわけではなかった。 昼過ぎ、三人は村の東側を散策することにした。森の入口までは行ったことがあったが、その先はあまり探索したことがなかった。コルが先頭に立ち、時折立ち止まっては周囲の匂いを嗅いだり、耳を動かしたりしていた。 ...
第6話「探検の計画」 一夜明け、ライルは早朝から洞窟のことを考えていた。朝食の準備をしながら、洞窟に行くための計画を頭の中で練っている。 「何を考えているの?」フィリスがリビングから入ってきた。彼女は髪を軽く結び上げ、すっきりとした表情をしていた。「朝からずいぶん真剣な顔ね」 「洞窟のことを考えていたんだ」ライルはフライパンで卵を焼きながら答えた。「今日はメリアさんに相談して、明日にでも探検に行きたいと思って」 コルが伸びをしながらキッチンに入ってきて、ライルの足元で小さくあくびをした。朝日を浴びた彼の銀色の毛並みが美しく輝いている。 「おはよう、コル」ライルは微笑みながら言った。「君も洞窟が気になるよね?」 コルは元気よく尾を振り、肯定の意思を示した。 朝食は、ライルの畑で採れた新鮮な野菜と卵を使ったシンプルな料理だった。フィリスはライルの作る料理を毎回のように褒め、今朝も目を輝かせながら食べていた。 「本当に美味しいわ」彼女は満足そうに言った。「神の口に入るものとしてふさわしいわ」 「ありがとう」ライルは照れくさそうに笑った。「今日の野菜は特においしくできたみたいだね」 朝食後、三人は村の中心部へと向かった。メリアの薬草小屋を訪ねると、彼女は庭で薬草の手入れをしていた。 「おはよう、ライル、フィリス、コル」メリアは明るく挨拶した。「今日はどうしたの?」 「昨日見つけた洞窟のことなんですが」ライルは真剣な表情で言った。「明日、探検に行こうと思っているんです。メリアさんも一緒に来てもらえませんか?」 メリアは手を止め、興味深そうに顔を上げた。「洞窟の探検? それは面白そうね」 「はい、村長さんから聞いた話では、昔は特別な場所だったかもしれないとのことで……」 「そうね、私も子供の頃に噂は聞いたことがあるわ」メリアは思い出すように言った。「その洞窟の中には珍しい薬草があるという話もあったわ。もし本当なら、私の薬の研究にも役立つかもしれないわね」 フィリスが前に出て、「私も何か感じるの。地脈の流れが……特別なの」と真剣な表情で言った。 メリアは二人を見比べてから、にっこり笑った。「分かったわ。私も行くわ。洞窟の探検なら、薬草の知識が役に立つかもしれないし」 ライルとフィリスの顔が明るくなった。コルも嬉しそうに鳴いた。 「ありがとうございます!」ライルは嬉しそうに答えた。「それじゃあ、明日の朝、ここに集合しましょう」 次に三人はガルド村長の家を訪ねた。村長は庭で朝の体操をしていたが、三人を見ると手を止めた。 「おや、みんな揃って何かあったかい?」 ライルは洞窟の探検計画について話した。村長は真剣に聞き入り、時折頷いていた。 「そうか、洞窟の探検か……」村長は少し考え込んだ後、「気をつけて行ってくるといい。私の記憶では危険な場所ではなかったが、長年放置されているからな」と言った。 そして村長は家の中へ入り、古い羊皮紙を取り出してきた。「これは私の祖父が書いた村の地図だ。正確ではないかもしれないが、洞窟の位置も大まかに記されている。役立つかもしれないぞ」 ライルは感謝しながら地図を受け取った。確かに東の丘の辺りに小さな印が付けられていた。 「村長、洞窟について何か他に知っていることはありますか? 昔は何か特別な場所だったとか……」 村長は遠い目をして言った。「詳しくは分からんが、祖父から聞いた話では、その場所には昔、何かの施設があったらしい。何のための施設かは分からんが、村ができる前からあったものだとか」 「施設……?」フィリスが興味深そうに尋ねた。 「ああ、古い建物のようなものだったらしい。だが、詳しいことは私も知らん。長い間忘れられていたからな」 この情報に、三人の好奇心はさらに高まった。 村長の家を出た後、ライルはドリアンの鍛冶屋にも立ち寄り、探検に必要な道具について相談した。ドリアンは喜んで協力し、懐中ランプやロープ、簡易な掘削道具などを貸してくれることになった。 「洞窟の探検か……楽しそうだな」ドリアンは笑いながら言った。「何か面白いものが見つかったら、ぜひ教えてくれよ」 昼過ぎ、ライルたちは自分の家に戻り、探検の準備を始めた。まず必要な物のリストを作り、食料や水、応急処置キットなどを揃えていった。 フィリスは興奮した様子で、「もし本当に何か古代の遺跡があったら、それは神々の時代の名残かもしれないわ」と目を輝かせて言った。 「そうかもしれないね」ライルも期待を膨らませた。「でも、村長が言っていたのは『施設』だったよね。一体どんなものなんだろう」 コルは二人の会話を聞きながら、時折東の方向を見て耳を動かしていた。彼は何か感じているようだったが、相変わらず言葉では伝えられない。 午後、ライルは畑仕事をしながらも、頭の中は明日の探検でいっぱいだった。久しぶりに冒険のような気分を味わえることに、心が躍る。王都にいた頃は、魔導士の勉強ばかりで、こうした自由な探検をする機会はなかった。 畑仕事を終えると、ライルは家に戻って荷物の最終確認をした。フィリスはコルと一緒に、リビングで地図を広げて研究していた。 「ライル、この地図によると、洞窟の近くに小さな泉があるみたい」フィリスが指さした。 「ほんとだ」ライルは地図を覗き込んだ。「村長は何も言ってなかったけど、もしかしたらその泉と洞窟には何か関係があるのかもしれないね」 夕食の準備をしながら、二人は明日の計画について話し合った。洞窟までの道のり、持っていく食料、帰りの時間など、細かい点まで決めていった。 ライルが作った夕食は、自家製のハーブで味付けした野菜のシチューだった。窓の外では日が沈み始め、家の中に心地よい夕暮れの光が差し込んでいた。 「明日は早起きしないとね」ライルはシチューをすくいながら言った。 「ええ、わくわくして眠れそうにないわ」フィリスは嬉しそうに答えた。 シチューの香りが部屋中に広がり、三人はゆったりとした時間を過ごした。コルも特別にシチューのおこぼれをもらい、満足げに尾を振っていた。 食事の後、ライルはランプの灯りのもと、探検の荷物を最終確認した。懐中ランプ、ロープ、水筒、食料、応急処置キット、メモ帳と鉛筆……すべて揃っている。 就寝前、三人はポーチに出て夜空を見上げた。満天の星が輝き、明日の天気が良さそうなことを示していた。 「明日は良い天気になりそうだね」ライルは言った。 「ええ、探検日和よ」フィリスは星空を見上げながら答えた。 コルは二人の間に座り、夜風に吹かれて気持ち良さそうに目を細めていた。彼の毛並みが月明かりに照らされて銀色に輝いている。 「さあ、明日に備えて早く寝よう」ライルが言うと、三人は家の中に戻った。 ベッドに横になったライルは、明日の探検に思いを馳せながら、徐々に眠りに落ちていった。窓の外では、満天の星が東の丘の方向を優しく照らしていた。そこには、未だ謎に包まれた洞窟が、彼らの訪れを待っているかのようだった。
第7話「洞窟への道」 朝もやが立ち込める中、ライルは家の前で最後の準備を整えていた。肩掛けバッグには水筒、干し肉、果物などの食料と、松明、火打石、小さなナイフといった道具を詰め込んだ。探検に必要なものはこれくらいだろうか——そう考えながら、もう一度中身を確認する。 「準備はできた?」 振り返ると、フィリスが現れた。彼女はいつもの白い衣ではなく、動きやすい村人風の服装に身を包み、髪も高く結い上げていた。 「ほぼ大丈夫。メリアさんが持ってくる薬草キットがあれば完璧だよ」 コルも興奮した様子で、二人の周りを駆け回っていた。昨日から落ち着かない様子で、何度も東の方角を見ては小さく鳴いていた。 「コルは本当に楽しみにしているみたいだね」ライルが笑いながら言うと、フィリスも小さく微笑んだ。 「ええ、何か感じるものがあるのかもしれないわ。神獣は地脈の流れに敏感だから」 しばらくすると、約束通りメリアがやってきた。彼女も探検用の服装で、背中には薬草キットと応急処置道具を入れたリュックを背負っていた。 「おはよう、みんな。準備はいい?」メリアは明るく挨拶した。「洞窟探検なんて何年ぶりかしら。子供の頃以来かも」 「おはようございます、メリアさん」ライルは彼女の到着に笑顔で応えた。「準備はバッチリです」 「出発前に朝食を食べておきましょう」メリアは持ってきた籠を掲げた。「特製のパンと、昨夜仕込んでおいたスープを持ってきたわ。冷めてるけど、朝食にはちょうどいいわよ」 ライルは家の前にある丸太のテーブルに布を広げ、三人分の食器を並べた。メリアのスープは、干し肉と根菜がたっぷり入った具沢山のもので、冷たくても十分に美味しかった。 「これは美味しい」フィリスは目を輝かせて言った。「探検にはエネルギーが必要だものね」 ライルがパンを小さく切り分けていると、コルが彼の足元でじっと見つめていた。その目は「僕の分は?」と言わんばかりだ。 「はいはい、コルの分もあるよ」ライルは笑いながら、パンの一部とスープを小さな皿に盛り、地面に置いた。 コルはすぐさま食べ始めたが、その食べ方が何とも愛らしい。前足で皿を押さえながら、慎重にパンをかじり、時々スープをぺろぺろと舐める。食べている間も時折東の方角を見るのを忘れなかった。 「コル、そんなに急いで食べたら喉につまるわよ」フィリスが諭すように言うと、コルは一度立ち止まり、フィリスを見上げてから、もう少しゆっくりと食べ始めた。 メリアはその様子を見て微笑んだ。「本当に言葉が通じているのね。まるで人間の子どものようだわ」 「ええ、コルは特別なの」フィリスは誇らしげにコルの頭を撫でた。「神獣だもの」 食事の途中、コルが突然皿から離れ、東の丘の方向へと走り出した。数メートル行ったところで立ち止まり、振り返って三人を見る。まるで「早く来て」と言っているようだ。 「もう行きたいのね」フィリスは小さく笑った。 コルは応えるように短く鳴き、また少し先に進んでは振り返る。この繰り返しに、三人は笑いながら急いで朝食を片付け始めた。 「こんなに急かされるなんて珍しいわね」メリアは言った。「普段はもっとゆったりしているのに」 「あの丘に何かあるんだよ」ライルは言いながら、食器を水で簡単に洗い流した。「コルの様子を見ていると、本当に特別なものがありそうだ」 コルは再び彼らの元に戻ってきて、ライルの靴の紐をくわえて引っ張った。その仕草があまりにも必死で、思わず三人とも笑顔になる。 「分かったよ、行こう」ライルは膝をついてコルの頭を撫でた。「でも危険なことはダメだからね」 コルは嬉しそうに鳴き、尻尾を振った。その表情は、まるで「任せて」と言っているようだった。 荷物を背負い、家の戸締まりを確認した後、一行は村を出発した。朝霧の中、東へと続く小道を進む。村を過ぎ、耕作地を抜けると、徐々に木々が増えていく。やがて草の茂った森の入口に到達した。 「この先はあまり村人も来ないわね」メリアが周囲を見回しながら言った。「子供の頃は"怖いから行くな"と言われていたの」 しかし、コルは怖がる様子もなく、むしろ先頭に立って道を示すかのように小走りに進んでいく。時折立ち止まっては、三人が追いついてくるのを待ち、また前に進む。時に茂みに飛び込んでは、何かを見つけたように鳴き、三人を呼び寄せるのだが、近づいてみると単なる不思議な形の木の根や、カラフルな野生のキノコだったりする。コルにとっては全てが冒険の一部のようだった。 「コルが案内してくれているみたいだね」ライルは微笑んだ。 ある時、コルが急に立ち止まり、低い姿勢で地面の何かを見つめていた。三人が近づくと、小さなカエルが葉の上にいるのが見えた。コルは慎重にカエルに近づき、鼻先で軽く触れようとした瞬間、カエルは大きくジャンプ。驚いたコルは後ろに跳び上がり、尻餅をついた。 その驚いた表情があまりにもコミカルで、三人は声を上げて笑った。コルは少し恥ずかしそうに耳を倒し、すぐに立ち直ると、また先を急ぐように走り出した。 森の中を進むにつれ、朝霧は晴れ始め、木々の間から日差しが差し込んでくる。静かな森の中では、鳥の鳴き声と葉が風に揺れる音だけが聞こえていた。 およそ30分ほど歩いただろうか。コルが突然立ち止まり、低い唸り声を上げた。前方には昨日ライルたちが見つけた丘が見えていた。 「あの丘ね」フィリスが言った。「近づくと……なんだか不思議な感じがするわ」 ライルもなんとなく理解できた。この場所は、何か特別な雰囲気があった。普通の森とは少し違う、静寂と緊張が混ざったような感覚。 丘の麓に着くと、コルが再び先導するように走り出し、斜面に沿って進んでいく。三人もその後を追った。斜面は思ったより急で、足元の草や小枝に気をつけながら上っていく。 「ここから見ると、村が小さく見えるわね」メリアが振り返って言った。確かに、森の向こうに広がる村の全景が見渡せた。 丘を半分ほど上ったところで、コルが立ち止まり、地面を掘るような仕草をした。ライルはその場所に近づき、昨日見つけた石造りの入口を指さした。 「ここだよ。昨日僕たちが見つけた洞窟の入口」 三人が石の構造物の周りに集まると、メリアは驚いた様子で目を見開いた。 「これは……思っていたより立派な造りね」 確かに、単なる自然の洞窟ではなかった。石で丁寧に組まれた入口は、長い年月を経てもなお、その造形の美しさを保っていた。入口の上部には何かの文様が刻まれているようにも見えるが、土や苔に覆われてはっきりとは分からない。 フィリスが入口の石に手を触れると、微かに光が灯ったような気がした——しかし、それは太陽の反射かもしれない。 「人の手によって作られたものね、間違いなく」フィリスは静かに言った。「しかも、かなり昔に」 ライルはバッグから大きめのナイフを取り出し、入口を覆う蔓や草を切り始めた。メリアも手伝って、徐々に入口が姿を現していく。 作業を続けるうちに、入口の全容がはっきりと見えてきた。それは高さ約2メートル、幅1.5メートルほどの石組みの門のような構造で、中は暗く、何が待ち受けているかは分からなかった。 「思ったより立派な入口だね」ライルは感嘆の声を上げた。「これは自然にできたものじゃない。誰かが意図的に作ったんだ」 メリアは入口の周囲を調べ、古い痕跡を確認していた。「ずいぶん昔から人が出入りしていた形跡があるわ。でも、最近使われた形跡はないみたい」 フィリスは何か考え込むように入口を見つめていた。「なんだか……懐かしい感じがするわ」 「懐かしい?」ライルは不思議そうに尋ねた。 「うん……でも、はっきりとは思い出せないの」フィリスは頭を振った。「封印されていた間に失った記憶なのかもしれない」 コルは既に入口の中に少し入り、振り返って三人を見ていた。まるで「早く来て」と促しているかのようだ。 「ライトを準備しよう」ライルはバッグから火打石と松明を取り出した。 メリアもリュックから小さなランタンを出し、灯した。「これも持っていきましょう」 三人は顔を見合わせた。洞窟の中には何があるのか、まだ誰にも分からない。しかし、コルの様子を見ていると、何か重要なものがあるのではないかという予感がした。 「行ってみようか」ライルは決意を込めて言った。 「ええ」フィリスがうなずく。「私も気になるわ」 「私も準備はできてるわ」メリアも同意した。 一同は深呼吸をして、この古代の入口をくぐる準備を整えた。中にある謎を解き明かす冒険が、今始まろうとしていた。
第8話「地下への探索」 松明の揺らめく光が、洞窟の入口を不思議な陰影で照らし出していた。ライルが一歩踏み出すと、足元から小さな砂利がカサカサと音を立てる。その音が洞窟内に反響し、思ったより広い空間があることを示していた。 「みんな、気をつけて。足元が見えにくいから」 ライルは松明を高く掲げ、前方を照らす。メリアもランタンを持ち上げ、光の範囲を広げた。フィリスはライルの背後で、コルは先頭を歩きながら時折立ち止まって周囲を嗅いでいる。 入口から数歩進むと、洞窟の内部が徐々に開けていった。天井は予想以上に高く、3メートルほどはあるだろうか。壁面は自然の岩肌というよりも、人の手で削られたように滑らかな部分が多い。 「思ったより広いわね」メリアが声を上げた。彼女の言葉が洞窟内で微かに反響する。「自然の洞窟じゃないみたいね」 「ええ」フィリスも頷き、周囲を見回した。「これは明らかに人の手が加わっているわ。しかも、かなり昔に」 コルが少し先に進み、何かを見つけたように鳴いた。ライルたちが近づくと、壁に取り付けられた古い金属製の松明立てが見えた。長い年月を経て錆びついてはいるが、その造形は美しく、螺旋状に曲げられた金属が松明を固定するための輪を形作っていた。 「これは……」ライルは驚きを隠せなかった。松明立ての近くにある壁面には、かすかな煤の跡も残っている。「昔、誰かがここで松明を灯していたんだ」 ライルは自分の松明を近づけてみた。松明立ての大きさは、ちょうど彼の持っているものを差し込めるサイズだった。試しに松明を差し込んでみると、ぴったりと収まった。 「まるで、私たちの来訪を待っていたみたいね」フィリスが静かに言った。その言葉に、なぜか三人とも身震いがした。 洞窟は直線ではなく、ゆるやかに曲がりながら奥へと続いていた。壁沿いには等間隔で松明立てが取り付けられており、一行は進みながら手持ちの松明をそれらに灯していった。灯された松明の光は、古びた壁面を温かく照らし出し、不思議な安心感をもたらした。 「この松明立て、よく見ると模様が刻まれているわ」メリアが一つの松明立てを近くで観察した。「蔦や葉のようなデザインね」 ライルも近づいて見てみると、確かに金属の表面には植物のような装飾が施されていた。金属の錆と長い年月のせいで分かりにくくなっているが、かつては美しい模様だったに違いない。 コルは少し先で、地面の何かを嗅いでいた。三人が近づくと、床に残された古い足跡の跡が見えた。石の床が長年の使用で少し窪んでいる部分があり、多くの人々が行き来した形跡を示していた。 「ここは昔、人がよく通る場所だったのね」フィリスが言った。彼女は床の窪みに触れてみた。「でも、村長の記憶にあるよりもずっと前からあったみたい」 奥へ進むにつれ、空気が少し変わってきたことにライルは気がついた。入口付近の乾いた空気から、徐々に湿り気を帯びてきたのだ。同時に、ほんのりとした温かさも感じられるようになった。 「少し暖かくなってきたね」ライルが言うと、メリアも頷いた。 「湿気も増してきたわ。地下水でも近くにあるのかしら」 フィリスは目を閉じ、何かを感じ取るように静止した。「地脈が……強くなっているわ。この先に何かがあるはず」 彼女の言葉に、コルが鳴き声で同意するかのように反応した。 洞窟はさらに奥へと続いていた。壁面の石材も徐々に変化し、入口付近の粗い岩肌から、より加工された滑らかな石へと変わっていった。時折、壁に刻まれた古い紋様も見つかる。摩耗して判別しづらいが、何かの文字や記号のようにも見えた。 「これは……何の文字だろう?」ライルは壁に刻まれた紋様を松明で照らしながら尋ねた。 フィリスがその紋様に近づき、指先でなぞった。「分からないわ。でも、どこかで見たことがあるような……」 彼女の指が紋様に触れた瞬間、かすかに光ったように見えた。しかし、それはあまりにも一瞬のことで、松明の光の錯覚かもしれなかった。 メリアは壁の別の部分を調べていた。「ここにも同じような紋様があるわ。何かの説明か、警告なのかもしれないわね」 コルは先へ先へと急ぐように歩いていた。時折立ち止まっては振り返り、三人に早く来るよう促す。彼の金色の瞳が松明の光を反射して、暗闇で輝いていた。 「コルは本当に急いでるね」ライルは微笑んだ。「何か大事なものを知っているみたい」 洞窟内部はさらに湿度が高まり、壁からはわずかに水が滲み出ているところもあった。地面も徐々に湿ったものに変わり、足跡がくっきりと残るようになった。 気温も少しずつ上昇し、薄手の上着を着ていたメリアは袖をまくり上げた。「かなり暖かくなってきたわね。不思議なほどよ」 「うん」ライルも同意した。「外の気温とはまるで違う。地熱か何かがあるのかな」 フィリスは何も言わなかったが、その表情には知っているような、あるいは何かを思い出そうとしているような緊張感があった。 さらに10分ほど歩いた頃、洞窟の道は広い空間へと開けていった。松明の光では全体を照らすことはできないが、天井がさらに高くなり、壁面も左右に広がっていることが感じられた。 「声が響くわ」メリアが言った。確かに、彼女の声は広い空間内で反響し、複数の方向から戻ってきた。 ライルは松明を高く掲げ、前方を照らした。洞窟の通路は大きな空間へと通じており、その先には何らかの構造物の輪郭が見えた。 「あれは……」 一行は足を進め、広い空間の中心に向かって歩いていった。松明の光が前方を照らすにつれ、次第にその全容が明らかになっていく。 それは巨大な石造りの広間だった。天井は5メートル以上の高さがあり、丸い円形のドーム状になっている。床は滑らかな石で覆われ、中央には大きな円形の石造り台座があった。壁面には複雑な文様や紋章が彫り込まれており、かつての栄華を物語っていた。 「信じられない……」ライルはその広大な空間に圧倒され、声をひそめた。「こんな場所が、村のすぐ近くにあったなんて」 メリアも驚きに目を見開いていた。「これは単なる洞窟じゃない。誰かが意図的に作った施設ね」 フィリスは静かに中央の台座に近づいていった。彼女の表情には懐かしさと不思議さが混ざっていた。コルも彼女の後を追い、二人は中央の台座の前で立ち止まった。 台座は直径3メートルほどの円形で、中央には何らかの装置か機構があるように見えた。その周囲には同じような紋様が刻まれており、床から台座に向かって浅い溝のようなものが放射状に伸びていた。 ライルとメリアも近づき、四人は中央の台座を囲むように立った。松明の光が台座を照らし出すと、その石面がわずかに光を反射するように見えた。 「これは一体何なのかしら……」メリアは戸惑いの声を上げた。 ライルは台座を注意深く観察していた。「石の種類が違うね。ここだけ、青みがかった石が使われている」 フィリスはゆっくりと手を伸ばし、台座の表面に触れようとした。彼女の指先が石に触れる直前、コルが小さく鳴いた。まるで注意を促すかのようだった。 フィリスは一瞬躊躇したが、それでも優しく台座に手を置いた。その瞬間、彼女は何かを思い出したような表情になった。 「これは……」 ライルは彼女の変化に気づき、心配そうに尋ねた。「フィリス、何かわかったの?」 フィリスは目を閉じ、台座に両手を置いたまま静かに言った。「これは神の時代の遺物。でも、違和感がある……何か、記憶にないものが……」 彼女の言葉が途切れたとき、コルが突然、台座の別の箇所を前足で掻き始めた。その場所には小さな凹みがあり、何かが埋め込まれていたようだった。 「コル、何を見つけたの?」ライルが近づいて確認すると、台座の縁に沿って細かい模様が刻まれており、そのうちの一つ、コルが掻いていた部分には、何かのシンボルが彫られていた。 メリアがランタンを近づけると、それは葉の形に似た紋章のようだった。他にも似たようなシンボルが台座の縁を彩っていたが、その多くは時間の経過で摩耗していた。 四人は言葉少なに中央の台座を観察し続けた。この石造りの広間と台座の存在は、村の近くに眠っていた思いがけない発見だった。それが一体何のために作られたのか、誰が使っていたのか、そしてなぜ長い間忘れられていたのか——多くの謎が彼らの心に浮かんでいた。 そして何より、フィリスの反応が示唆していたのは、この場所が単なる古い建物ではなく、もっと深い意味を持つものかもしれないということだった。神の時代の遺物——それは彼女自身の過去とも関わりがあるのだろうか。 松明の火が静かに揺れる中、四人は引き続き広間を探索することにした。この古代の石造りの空間が秘める謎を解き明かすための、最初の一歩を踏み出したばかりだった。
第9話「古代遺跡の発見……?」 松明とランタンの光が、広大な石造りの広間を照らし出していた。ドーム状の天井からは長い年月を経た鍾乳石が垂れ下がり、その先端から水滴が落ちる音が時折空間に響く。中央の台座を取り囲むように立つ四人の姿が、壁に映る影となって揺らめいていた。 「本当に信じられない」ライルは改めて広間全体を見渡した。「これほど立派な空間が、ずっと村の近くに眠っていたなんて」 メリアは周囲を歩きながら、壁面に刻まれた模様を手で触れていた。「これだけの規模の施設を作るには、相当な技術と人手が必要だったはずよ。しかも、村の歴史書にも詳しい記録がないなんて」 ライルは台座から離れ、広間の壁面に沿って歩き始めた。壁には数多くの紋様や文字らしきものが刻まれていたが、多くは長い時間の中で風化し、はっきりとは読み取れなかった。それでも部分的に残った文様は、かつてこの場所がただの洞窟ではなく、重要な施設だったことを物語っていた。 「ここに何か書いてある」ライルは松明を近づけて、比較的保存状態の良い文字列を照らした。「でも、どんな言語かわからないな」 フィリスが近づき、その文字に目を凝らした。「これは……古神語の一種かもしれないわ」 「古神語?」ライルは驚いて振り返った。「読めるの?」 フィリスは首を横に振った。「完全には読めないわ。私の記憶も断片的だから……でも、いくつかの文字は見覚えがある」 彼女は指先で文字を優しくなぞった。文字は石の表面に深く刻まれており、触れると指先にその形が伝わってくる。 「この部分は……『泉』とか『水』に関連する言葉かもしれない」フィリスは続けた。「そして、ここには『神の』という言葉があるわ」 メリアが別の壁面を調べながら声を上げた。「こちらには図のようなものもあるわ。見て、これはこの広間の見取り図じゃないかしら?」 ライルとフィリスはメリアの元へ駆け寄った。確かに、壁には円形の図形が刻まれており、中央に小さな円、その周りに何本もの線が放射状に広がるデザインが見えた。まるで今彼らがいる広間と中央の台座を表しているようだった。 「これは設計図かな?」ライルは興味深そうに尋ねた。「この施設を作った人たちが残したものなのかな」 コルは独自に広間を探索していた。彼は鼻を床に近づけ、何かの匂いを追うように歩き回っていた。時折立ち止まって床を掻き、その後また進むという行動を繰り返している。 「コルも何か見つけようとしているみたいだね」ライルはコルの行動を見守りながら言った。 フィリスは静かに頷いた。「コルは神獣だから、普通の動物には感じられないものを感じ取れるのよ。特に地脈の流れには敏感だわ」 コルはやがて広間の端にある小さなアルコーブのような凹みに向かって走った。三人もそれに続いて近づくと、そこには壁とは異なる材質の板が埋め込まれていた。金属のようにも見えるが、錆びている様子はなく、むしろ光沢のある石のようだった。 「これは何だろう?」ライルはその板に松明を近づけた。 板の表面には、より複雑な文様と文字が刻まれていた。中央には七つの異なるシンボルが円形に配置されており、それぞれが何かを表しているようだった。 「七つのシンボル……」フィリスの声には何かを思い出そうとする緊張感があった。「七柱の神を表しているのかもしれないわ」 「七柱の神?」メリアは驚いて尋ねた。「古い神話に出てくる、この世界を創造したとされる神々のことね」 フィリスは静かに頷いた。「そう。地・火・水・風・光・闇……そして時の七つの属性を司る神々よ」 ライルはシンボルをよく見てみた。確かに、一つは炎のような形、別のは波のような曲線、さらに別のは樹木に似た形をしていた。 「この板、単なる装飾じゃなさそうだね」ライルはボードの縁を調べた。「何かの操作パネルとか、情報板なのかもしれない」 コルがその板の前で鳴き、前足で一つのシンボル——樹木のような形をしたもの——を指すように触れた。 「木のシンボル……地の神のシンボルね」フィリスはつぶやいた。彼女の目に、認識の光が宿るのをライルは見逃さなかった。 広間の探索を続けながら、三人はさらに多くの文様や装飾を発見していった。天井近くには星座のような配置の点が刻まれており、壁の一部には水の流れを表現したと思われる曲線の連続もあった。床には同心円状の溝が刻まれており、すべてが中央の台座につながっていた。 「この場所、祭壇のようにも見えるわね」メリアが言った。「古代の人々が何かの儀式を行った場所なのかしら」 「または、何か実用的な施設かもしれないね」ライルは床の溝をたどりながら考えを述べた。「これらの溝は、水を運ぶためのものかもしれない」 フィリスは黙って聞いていたが、その表情には徐々に何かを思い出しているような変化が見られた。彼女はゆっくりと中央の台座に戻り、その表面に再び手を置いた。 「フィリス?」ライルは彼女の様子を心配そうに見つめた。「何か思い出したの?」 「はっきりとは……でも、これが何なのか、感覚として理解できる気がするわ」フィリスは台座を見つめながら答えた。「この場所は、神々の時代に作られたものよ。人々が神々と交わるための場所……」 メリアは驚きの表情を隠せなかった。「神々と交わる? つまり、祈りの場所? 神殿のようなもの?」 「それだけじゃないわ」フィリスは続けた。「もっと……実用的な目的もあったはず」 コルが再び台座の周りを走り回り始め、特定の場所で立ち止まっては足で床を掻く仕草を繰り返していた。ライルがよく見ると、床には放射状の溝だけでなく、細かな文様も刻まれていることに気がついた。 「床にも何か書いてある」ライルは膝をついて、松明の光で床の文様を照らした。「円形の文字……まるで説明書きみたいだ」 フィリスが近づき、床に刻まれた文字を見つめた。彼女の表情が一瞬こわばり、そして何かを理解したように目を見開いた。 「なんてことかしら……」彼女はつぶやいた。「この施設は……」 「フィリス?」ライルは彼女の変化に気づき、心配そうに尋ねた。「何がわかったの?」 フィリスは答える代わりに、床の文字に優しく触れた。その瞬間、彼女の指先から微かな光が漏れ出したように見えた——しかし、それは松明の揺らぎによる錯覚かもしれなかった。 「これは……」フィリスは言いかけて、言葉を探すように目を閉じた。 メリアとライルは息を呑み、フィリスの言葉を待った。コルも静かに座り、金色の瞳でフィリスを見つめていた。松明の火が静かに揺れ、四人の影が壁に大きく映る中、広間は不思議な静寂に包まれていた。 この石造りの広間は、かつて栄えた古代文明の遺跡なのか。それとも神々が人々と交わるために作られた特別な場所なのか。フィリス自身の過去とも関わりのある謎が、この深い地下に眠っていた。 フィリスはゆっくりと目を開け、床に刻まれた文字を見つめながら言った。「これは……」
第10話「出てきたのは温泉」 フィリスが床に刻まれた文字を見つめながら言った。「これは……湧水の施設よ」 ライルとメリアは意外な言葉に驚きの表情を浮かべた。 「湧水の施設?」ライルは聞き返した。「神殿とか、古代遺跡じゃなくて?」 フィリスは台座に再び両手を置き、目を閉じて集中した。「この場所は、神の時代に作られたのは確かだけど……目的は神聖な湧水を人々に分け与えるためのものだったのよ」 コルが興奮したように台座の周りを走り回り、特定の場所で足を使って何かを掻き始めた。ライルが松明を近づけると、台座の縁に沿って、細かな凹凸のある操作パネルのようなものが見えた。 「これは何だろう?」ライルは興味深そうに近づいた。「何か起動装置のようにも見えるね」 フィリスはコルが指し示す場所に注目し、そこに両手を置いた。「これを動かせば……」 彼女が凹凸のある部分に手を滑らせると、突然、カチリという乾いた音が空間に響いた。それに続いて、石と石がこすれ合うような重々しい音が広間全体に広がる。 「何か動いてる!」メリアは驚いて後ずさった。 中央の台座から微かな振動が伝わり、放射状に広がる床の溝がわずかに光を放ち始めた。その光は薄い青色で、水の中に浮かぶ蛍のようだった。 次の瞬間、台座の中央部分がゆっくりと開き始めた。まるで巨大な石の花が開くように、中央部分が複数のセクションに分かれて広がっていく。その下からは、湯気とともに水の音が聞こえ始めた。 「これは……」ライルは驚きのあまり言葉を失った。 台座の中央部分が完全に開くと、そこには小さな泉が現れた。透明な水が地中から湧き上がり、台座の開いた部分を満たし始める。水は徐々に溢れ出し、放射状の溝を伝って床全体に広がっていった。 湧き上がる水は驚くほど透明で、松明の光を受けて美しく輝いていた。そしてほのかな湯気が立ち上り、心地よい湿り気が広間全体に広がった。 「温かい……」メリアは溝に流れた水に指先を浸し、驚いた表情を見せた。「これは温泉!」 フィリスは満足げな笑みを浮かべていた。「そう、温泉よ。古代の人々が神の恵みとして大切にしていた湧水ね」 ライルは指を水に入れてみた。確かに体温よりやや高い温度で、不思議と心地よかった。「温かいね。でも熱すぎない」 コルも好奇心から水に前足を浸してみたが、温かさに驚いて一度後ずさり、その後また慎重に近づいた。その戸惑う様子があまりにも愛らしく、三人は思わず微笑んだ。 水は溝を通って床全体に広がり、やがて広間の端にある排水口のような場所に集まっていった。水の流れに乗って、湯気が幻想的に立ち上り、松明の光を通して不思議な陰影を作り出している。 「少し匂いがするね」ライルは鼻を鳴らした。「硫黄のような……」 「温泉特有の匂いね」メリアは頷いた。「確かにこれは天然の温泉よ」 広間全体が湯気に包まれ始め、その湿った温かさは肌に心地よく感じられた。長い時間閉じられていた施設が、今再び活気を取り戻したかのようだった。 しかし、ライルの表情には少しの失望の色も混じっていた。「てっきり、もっと神秘的な遺跡か何かかと思ったんだけど……ただの温泉施設だったんだね」 フィリスは彼の肩に優しく手を置いた。「『ただの』温泉じゃないわ。これは神の時代から続く、特別な泉よ」 「そうよ」メリアも興奮した様子で言った。「温泉には薬効があるって知ってる? 村の患者たちの治療にも使えるかもしれないわ」 ライルも次第に気持ちを切り替え始めた。「確かに、これは村にとって大切な発見かもしれないね。それに……」彼は湧き上がる透明な水を見つめた。「とても美しい」 水は台座から絶え間なく湧き出し続け、その透明度は驚くほどだった。底に敷き詰められた石も、水を通して鮮明に見えるほどだ。水面に映る松明の光が揺らめき、天井に幻想的な光の模様を作り出していた。 コルはすっかり水に慣れ、今では小さな溝に沿って走り回り、時折前足で水をはねかける遊びを始めていた。その姿は、まるで子供のように無邪気で、広間に明るい笑いをもたらした。 「コルも喜んでるみたいね」フィリスは微笑んだ。彼女の翡翠色の髪が湯気で少しカールし始め、普段よりも柔らかな印象になっていた。 メリアは広間の隅を探索し始めた。「ここを見て! 石の棚みたいなものがあるわ」 ライルとフィリスが近づくと、壁際には確かに石で作られた棚のような構造物があった。時間の経過で一部が崩れていたものの、かつては何かを置くための場所だったと思われる。 「何が置いてあったんだろう?」ライルは不思議そうに尋ねた。 「おそらく水を汲むための容器や、入浴用の道具かもしれないわ」フィリスは答えた。「この施設は、温泉水を人々に分け与えるための場所だったと思うの」 メリアは石棚の上の埃を払い、手を滑らせた。「長い間使われていなかったのね。でも、構造自体はしっかりしていて驚くわ」 三人が棚を調べている間に、コルが再び鳴き声を上げた。振り返ると、コルは台座から少し離れた床の一部を掻いていた。 「また何か見つけたみたいだね」ライルはコルの元へ駆け寄った。 床には小さな浮き彫りが刻まれており、人々が列を成して水を汲んでいる様子が描かれていた。その絵の隣には、水に浸かる人々の姿もあった。 「これは……この施設の使い方を示しているのかもしれないわ」メリアは言った。「温泉を飲用と入浴の両方に使っていたのね」 フィリスは浮き彫りをじっと見つめていた。「そう。この泉の水には特別な力があると信じられていたのよ。病を癒し、活力を与える神の恵みとして」 ライルは再び湧き出る温泉を見つめた。最初の驚きが静まり、今では別の種類の興奮がわき上がっていた。「村にとって大きな価値があるね。みんなに知らせれば、きっと喜ぶと思う」 「特に冬は、温かい湯につかれるのは貴重よね」メリアは実用的な視点から述べた。 フィリスは台座の近くに戻り、湧き出る水に両手を浸した。「この水には地脈のエネルギーが含まれているわ。単なる温泉ではなく、大地の力が宿った特別な水よ」 彼女が水に手を入れると、一瞬水面が微かに光ったように見えた。その光は淡く、松明の揺らめきとも取れるものだったが、三人には確かに何かを感じさせるものがあった。 「神の時代の遺物として期待していたようなものではないかもしれないけど」ライルは言った。「でも、これはこれで素晴らしい発見だね」 メリアは頷いた。「実用的な価値も高いわ。村人の健康にも役立つし、もしかしたら近隣から人が訪れる理由にもなるかもしれないわね」 フィリスは水から手を引き上げ、水滴を見つめながら言った。「神殿や遺跡よりも、実は人々の日常に溶け込むものの方が、時に大きな力を持つものよ」 その言葉に、ライルは深く頷いた。確かに、壮大な遺跡や謎めいた古代文明の痕跡を期待していた部分はあった。しかし、この温泉は村の人々の生活を実際に豊かにする可能性を秘めている。それは、ある意味で彼の《天恵の地》の力と同じだった——壮大な魔法ではなく、日々の暮らしを少しずつ良くしていく力。 「じゃあ、この発見を村に持ち帰ろう」ライルは笑顔で提案した。「ガルド村長にも報告して、みんなで温泉をどう活用するか考えるといいね」 「ええ、きっと大喜びするわ」メリアは嬉しそうに言った。「特に年配の方々は、温かい湯につかれるのは体の痛みを和らげるのにも効果があるから」 フィリスも同意した。「この温泉の恵みを村全体で共有できるようにしましょう。神々の意図も、きっとそうだったはずよ」 コルは既に水遊びに夢中で、尾を振りながら溝の水の中を行ったり来たりしていた。その姿を見て、三人は和やかな笑顔を交わした。 広間に立ち込める湯気の中、松明の光は温かく揺らめき、四人の影を壁に映し出していた。かつての失望は既に消え去り、代わりに新たな可能性への期待が芽生え始めていた。「ただの温泉」ではなく、村の暮らしを豊かにする貴重な発見。それは、ライルが追い求めていた「のんびりとした豊かな生活」にも繋がるものだった。 古代の温泉施設は、何百年もの眠りから目覚め、再び人々に恵みをもたらす準備を整えていた。