第21話「森の探索と罠設置」 翌朝、村は早くから活気づいていた。グレイウルフの脅威に備え、村人たちが協力して防衛策を講じ始めたのだ。男たちは村の周囲に溝を掘り、女性たちはメレンラビアというハーブを集めるために谷間へと向かっていた。 ライルも早朝から作業に参加していた。丈夫な鍬を手に、村の北側入口に溝を掘る作業を手伝う。土は少し固く、掘るのに苦労したが、《天恵の地》のスキルが彼の体を微かに強化しているためか、他の村人より作業が進んでいるようだった。 「ライル君、よく働いてくれるね」ガルド村長が水筒を持って近づいてきた。「ひと休みするかい?」 「ありがとうございます」 ライルは汗を拭いながら水を受け取った。冷たい水が乾いた喉を潤し、少し疲れが和らいだ。 「実はね、今日の午後に森の偵察に行こうと思っているんだ」ガルドは真剣な表情で言った。「グレイウルフの痕跡を探して、どれくらい近づいているか確認したい」 「森の偵察、ですか?」 「ああ」ガルドは頷いた。「私は若い頃、傭兵をしていてね。魔獣の追跡には少し経験がある。それで、君にも同行してほしいんだ」 ライルは少し驚いた。村長がかつて傭兵だったとは知らなかった。おそらく魔獣との戦いの経験もあるのだろう。 「もちろんです。お役に立てることがあれば」 「頼もしいね」ガルドは微笑んだ。「他に二、三人の村人も連れて行くつもりだ。午後二時に村の北門に集合してくれ」 ライルが家に戻ると、フィリスが窓辺で何かを見ていた。 「おかえり」彼女は振り返って言った。「コルが少し様子がおかしいの」 コルは庭で落ち着かない様子で行ったり来たりしていた。地面の匂いを嗅ぎ、時折立ち止まっては耳をピンと立てている。 「どうしたんだろう」ライルは庭に出て、コルの側に膝をついた。「コル、何か感じているの?」 コルはライルの方を見て、小さく鳴いた。その目には警戒の色が浮かんでいる。 「ライル」フィリスも庭に出てきた。「実は私も何か感じているの。地脈の流れが少し乱れているような……まだ遠いけど、確かに何かが近づいてきている」 「グレイウルフの群れか」ライルは眉をひそめた。「今日の午後、村長と森の偵察に行くことになったんだ」 「森に?」フィリスは心配そうに言った。「危険じゃないの?」 「大丈夫だよ。村長は元傭兵だし、他の村人も一緒だから」 フィリスはしばらく考え込んだ後、決心したように言った。 「コルを連れて行ってあげて」 「え?」 「コルはグレイウルフの気配を感じ取れるはず」フィリスは真剣な表情で言った。「それに神獣としての力も少しずつ戻ってきている。何かあったとき、あなたを守れるわ」 ライルはコルを見た。コルも同意するように頷いているようだった。 「わかった。でも、コルが人前に出るのは危険じゃないかな?」 「村人たちは『銀の守り手』として受け入れているじゃない」フィリスは微笑んだ。「それに、今は村の危機なのよ。きっと理解してくれるわ」 午後二時、村の北門には小さな偵察隊が集まっていた。ガルド村長、村の猟師ヨハン、それに若い農夫のニックだ。彼らはそれぞれ武器を持っている。ガルドは短剣と小さな盾、ヨハンは弓矢、ニックは頑丈な棒を手にしていた。 ライルが近づくと、皆が驚いた表情になった。彼の横には銀色の毛並みを持つコルがいたからだ。 「これは……銀の守り手!」ニックが驚きの声を上げた。 ガルド村長はただ静かに見つめ、やがて微笑んだ。 「やはり君と特別な絆があるんだね」 「はい」ライルは素直に認めた。「コルは森の危険を感じ取ることができます。偵察の手助けになるはずです」 「コル? そんな名前なのか」ヨハンは興味深そうに近づこうとしたが、コルは少し身を引いた。 「あまり近づかないでください」ライルは説明した。「人に慣れていないので」 ガルドは頷き、偵察隊の出発を宣言した。四人と一匹は村を出て、北の森へと向かった。コルは常に先頭を歩き、時折立ち止まっては辺りの匂いを嗅いでいる。 森に足を踏み入れると、明るかった陽光は木々の葉を通して柔らかくフィルターされ、緑の光に変わった。鳥のさえずりと木の葉が風に揺れる音だけが聞こえる静かな空間。しかし、その静けさの中にも、何か緊張感のようなものが漂っていた。 「足跡に注意して歩くんだ」ガルドは小声で指示した。「グレイウルフは通常のオオカミより大きい足跡を残す。そして、木の幹に引っかき傷がないか見てほしい」 一行は慎重に森の中を進んだ。ライルはコルの様子を注意深く観察していた。コルは時折耳をピクリと動かし、何かを感じ取っているようだった。 約一時間ほど歩いたところで、コルが突然立ち止まった。その金色の瞳はある方向を見つめ、低い唸り声を上げている。 「コル、何かあるの?」 ライルが尋ねると、コルは森の奥を指すように首を傾けた。 「あちらに何かあるようだ」ガルドは静かに言った。「皆、警戒して」 一行は慎重にコルが示した方向へ進んだ。やがて、小さな空き地に出ると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。地面には何かが引きずられた痕跡と、大きな足跡。そして、木々には深い引っかき傷がついていた。 「間違いない、グレイウルフだ」ヨハンは声を低くして言った。「それも複数匹」 ガルドは膝をついて足跡を調べた。 「新しい痕跡だ。おそらく昨夜のもの。彼らはこの方向に向かっている……村の方角だ」 ライルの胸に不安が広がった。コルは空き地を慎重に歩き回り、様々な場所の匂いを嗅いでいる。突然、コルはある低木の前で立ち止まり、ライルを呼ぶように鳴いた。 ライルが近づくと、そこには赤い毛が引っかかっていた。 「ガルドさん、これは……?」 ガルドが見に来て、赤い毛を手に取った。 「羊の毛だ」彼の表情は暗くなった。「どこかの羊を襲ったようだな」 「北の村の羊が襲われたという報告がありましたね」ライルは思い出した。 「そうだ。彼らは獲物を求めて移動しているんだ」ガルドは辺りを見回した。「ここに罠を仕掛けよう。彼らが通る可能性が高い場所だ」 ガルドの指示の下、一行は罠の設置を始めた。まず、木と木の間に引っかけ線を張る。グレイウルフがそれに引っかかると、上から重い木の枠が落ちてくる仕組みだ。彼らは三カ所にそのような罠を設置した。 次に、メレンラビアのハーブを使った特殊な仕掛けも用意した。ハーブを燃やすと強い香りを放ち、グレイウルフを混乱させる効果がある。この香りの罠を森の入り口付近に配置することで、村への接近を妨げる計画だ。 「素晴らしい協力だ、皆」ガルドは満足げに言った。「これでグレイウルフの村への接近を遅らせることができるだろう」 作業の合間、ライルはコルの様子を気にかけていた。コルは常に警戒を怠らず、時折不安げな鳴き声を上げる。 「コルは何か感じているようだな」ヨハンが言った。「この子、本当に特別な存在だ」 「ええ」ライルは静かに答えた。「彼は『銀の守り手』なんです」 午後も遅くなり、日が傾き始めたころ、偵察隊は村への帰路についた。設置した罠が効果を発揮することを祈りながら、彼らは森を後にした。 村に戻ると、人々が進捗を聞くために集まってきた。ガルドは冷静に状況を説明した。グレイウルフが村に向かっていること、罠を設置したこと、そして今夜からは見張りを強化する必要があることを。 そして、意外なことにガルドはコルについても触れた。 「そして、みなさん。今日我々に同行してくれたのは、伝説の『銀の守り手』です。ライル君との特別な絆があるようだ」 村人たちはコルを見て、驚きと畏敬の念に満ちた表情を浮かべた。子供たちは特に興奮し、「すごい!」「本当に銀色だ!」と声を上げた。 「今夜から、村の周囲に見張りを立てます」ガルドは続けた。「二人一組で交代制にしましょう。万が一、グレイウルフが近づいてきたら、警鐘を鳴らしてください」 会議が終わり、村人たちが散っていく中、ライルはコルと共に家へと急いだ。フィリスが心配そうに待っていた。 「どうだった?」彼女は玄関で尋ねた。「無事で良かった」 ...

折口詠人

第22話「グレイウルフとの遭遇」 夜が明け、村は静かだった。昨夜の見張りでは、グレイウルフの姿は確認されなかったものの、遠吠えは断続的に聞こえ続けていた。ライルは早朝、フィリスとコルと共に朝食を取りながら、今日の計画を話し合っていた。 「今日は午前中に森の罠を確認しに行くつもりだ」ライルはパンをちぎりながら言った。「もしかしたら、すでに効果があったかもしれない」 フィリスは心配そうな表情を浮かべた。「一人で行くの?」 「ガルド村長にも声をかけるつもりだよ。安心して」 コルは決意に満ちた様子で鳴き、ライルの横に立った。一緒に行く意思を示しているのは明らかだった。 「コルも連れて行くつもりだよ」ライルはその銀色の毛並みを優しく撫でた。「彼の感覚は僕らよりずっと鋭いからね」 朝食を終えると、ライルはガルド村長の家を訪ねた。しかし、村長はすでに別の用事で出かけていたという。 「急ぎの用事で隣村に行ったわ」村長の奥さんが教えてくれた。「夕方には戻るはずよ」 ライルは少し迷ったが、罠の確認は急務だと判断した。コルといれば道に迷うこともないだろう。 「コル、二人だけで行くことになったけど、大丈夫かな?」 コルは自信ありげに尾を振った。ライルは村の北門を守る見張りに今日の予定を告げ、森へと足を踏み入れた。 木々の間から差し込む朝の光は、森の中に美しい光のパターンを作り出していた。春の森は生命力に満ち、鳥のさえずりや小動物の気配が感じられる。しかし、その平和な雰囲気の中にも、何か違和感があった。普段よりも鳥の声が少なく、森全体が静かすぎるのだ。 「なんだか静かだね」ライルは小声で言った。 コルも警戒を強めたようで、耳をピンと立て、周囲を注意深く見回している。二人は昨日設置した罠のある場所へと向かった。 最初の罠に近づくと、コルが突然立ち止まり、低い唸り声を上げた。 「どうしたの、コル?」 コルはライルの前に立ちはだかるように位置を取り、森の奥を見つめている。その金色の瞳には明らかな警戒心が浮かんでいた。 ライルも慎重になり、手にしていた杖をしっかりと握り直した。静かに一歩一歩進むと、最初の罠が見えてきた。しかし、罠は作動していなかった。トリガーは無傷で、落下する木の枠もそのままだった。 「作動していないね」 二人は次の罠へと向かった。しかし、途中でコルが再び立ち止まり、今度は明らかに緊張した様子で唸り声を上げた。そして突然、コルはライルの袖を噛んで引っ張った。 「隠れろってこと?」 コルは頷くような動きをした。ライルはすぐに近くの太い木の陰に身を隠した。コルも静かに彼の隣に潜り込んだ。 しばらく静寂が続いた後、遠くから枝が折れる音が聞こえてきた。誰かが——いや、何かが近づいているのだ。 ライルの心臓が早鐘を打つ。コルは体を低くし、いつでも飛びかかれる態勢を取っている。 やがて、枝の向こうから姿が現れた。それは——グレイウルフだった。 通常のオオカミよりも一回り大きく、灰色の毛並みは所々青みがかっており、目は不気味な赤色に光っている。確かに魔力を帯びた獣の姿だった。 ライルは息を殺し、じっと動かずにいた。グレイウルフは辺りの匂いを嗅ぎながら、ゆっくりと歩いている。幸い、風向きは彼らに有利で、獣は二人の存在に気づいていないようだった。 グレイウルフは二つ目の罠の方へと進んでいった。ライルとコルは静かにその後を追った。 獣が罠に近づいたとき、突然コルが飛び出した。 「コル!」 ライルの叫び声が森に響いた。コルはグレイウルフの注意を引きつけるように、罠の手前で立ち止まり、挑発するような鳴き声を上げた。 グレイウルフは怒り狂ったように唸り、コルに向かって飛びかかった。しかし、コルはすばやく身をかわし、罠の上を飛び越えた。 その瞬間だった。グレイウルフが罠のトリガーを踏み、木の枠が落下した。しかし、獣の反射神経は想像以上に速く、枠がわずかに体を掠めただけで逃れた。 「うまくいかなかったか!」 グレイウルフは怒りに満ちた目でライルを見た。今度は人間の方に標的を定めたようだ。 獣が大きく息を吸い込んだとき、ライルは不思議な感覚に襲われた。グレイウルフの口から、青白い炎のような息が吐き出されようとしていた——魔力の息吹だ。 ライルは身を守るように杖を構えたが、その瞬間、銀色の影が彼の前に立ちはだかった。コルだ。 コルの体から突然、金色の光が放たれた。それは《天恵の地》のスキルとは違う、神獣固有の力に満ちていた。その光のバリアが、グレイウルフの魔力の息吹を受け止めた。 「コル……!」 ライルは驚きの声を上げた。これまで見たことのない、コルの真の力だった。 コルはライルを守った後、さらに驚くべき行動に出た。彼の体はより輝きを増し、サイズも少し大きくなったように見えた。そして、グレイウルフに向かって飛び掛かったのだ。 獣と神獣の一騎打ちが始まった。コルの動きは風のように素早く、グレイウルフの攻撃をかわしながら、鋭い牙で相手の脚を狙っていく。グレイウルフは力で勝るものの、コルのスピードについていけないようだった。 ライルもただ見ているわけにはいかなかった。彼は杖を持ち上げ、《天恵の地》の力を意識した。これまで畑や植物にしか使ったことのないスキルだが、今は応用が必要だった。 「大地よ、力を貸して!」 ライルの足元から緑色の光が広がり、地面を伝ってグレイウルフの周囲まで達した。突然、獣の足元から小さな蔦が伸び、その脚に絡みついた。グレイウルフは一瞬動きが鈍り、そのわずかな隙をコルが見逃さなかった。 コルは獣の首元めがけて跳躍し、その牙を食い込ませた。グレイウルフは苦しげな悲鳴を上げ、激しく体を振った。コルは放り出されそうになりながらも、必死に食らいついていた。 激しい闘いの中、ライルはやがて気づいた。グレイウルフの体から微妙な変化が起きていることに。魔力を帯びた青みがかった毛が、少しずつ通常のオオカミの色に戻りつつあった。 「コルの力が魔力を浄化している!」 ライルはその機会を逃さなかった。再び《天恵の地》の力を込めて地面に触れると、今度はさらに多くの植物が獣の体に絡みついた。グレイウルフの動きは完全に封じられ、やがて力尽きたように地面に倒れ込んだ。 コルもまた、体力を使い果たしたのか、獣の側で息を切らせていた。その金色の瞳は、しかし誇らしげに輝いていた。 ライルは慎重に近づき、倒れたグレイウルフを確認した。獣は完全に気を失っているようだが、不思議なことに体からは魔力が消え、普通のオオカミに戻りつつあった。 「コル、大丈夫?」 ライルはコルの傍に膝をつき、その体を優しく抱き上げた。コルは疲れた様子ながらも、ライルの手を舐め、無事を伝えようとした。 「すごいね、君は本当に神獣なんだね」 コルはその言葉に誇らしげな表情を見せた。 二人が休んでいると、森の中から声が聞こえてきた。 「ライル君! 無事か!」 ガルド村長と数人の村人が駆けつけてきた。朝のうちに村に戻ったガルドが、ライルの森への単独行を聞いて心配し、すぐに救援に来たのだ。 「村長! 皆さん!」 ガルドは倒れたグレイウルフを見て驚きの声を上げた。 「なんということだ……君一人でこの魔獣を?」 「いいえ、コルと一緒に」ライルは銀色の神獣を抱きかかえたまま答えた。「彼が私を守ってくれたんです」 村人たちはコルを畏敬の念を込めて見つめた。銀の守り手の伝説が真実だったと確信したのだろう。 「村に戻ろう」ガルドは言った。「このオオカミはもう魔力を失っているようだ。森に置いておこう。仲間を連れて遠くへ去るだろう」 村への帰り道、ライルはコルを大切に抱いていた。コルは疲れて眠りについていたが、その銀色の毛並みは太陽の下で美しく輝いていた。 村に戻ると、ライルとコルの戦いの話はあっという間に広まった。村人たちは彼らを英雄のように迎え、特にコルに対する敬意は一層深まった。 「銀の守り手が村を救った!」 ...

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第23話「王都からの使者来訪」 グレイウルフとの戦いから三日が経った穏やかな午後、ライルは畑で作業していた。村は再び日常を取り戻し、人々はいつも通りの仕事に戻っていた。グレイウルフの群れは、仲間を失ったためか、あるいはコルの力に恐れをなしたのか、この地域から去ったようだった。 ライルが野菜の手入れをしていると、畑のそばを銀色の影が駆け抜けた。コルだ。彼は村でも公然と姿を現すようになっていた。村人たちは彼を「銀の守り手」として敬い、特に子供たちは彼と遊ぶことを楽しみにしていた。 「コル、どうしたの?」 コルは何かを知らせたいように鳴き、村の南門の方を見た。その金色の瞳には警戒心が浮かんでいる。 「誰か来たのか?」 ライルは土を払い、コルの後に続いた。村の南門に近づくと、そこには何人かの村人が集まり、見知らぬ馬車を見つめていた。馬車は王都の紋章が描かれた高級なもので、その側には制服を着た兵士が二人立っていた。 「王都からの使者だ」ガルド村長が人々に説明していた。「なぜ我が村に……」 馬車のドアが開き、一人の女性が降り立った。若くて美しいが、厳格な表情をした女性だ。彼女は王都の官僚の制服を着ており、手には書類の入った鞄を持っていた。 「私はレイナ・イース、王立神域調査局から参りました」彼女は高圧的な態度ではなく、しかし明確な威厳を持って言った。「この村で最近、特異な現象が報告されていると聞きました。村長はどちらでしょうか」 ガルドが一歩前に出た。「私がガルド・ブラウン、この村の村長です」 「お話をしたいのですが、どこか適切な場所はありますか?」 「はい、村の集会所へどうぞ」 レイナが村人たちの間を通り抜けようとしたとき、彼女の目がライルに止まった。 「あなたは……」彼女は少し驚いたように見えた。 ライルも彼女を認識していた。レイナは王都の魔導士養成院でたびたび見かけた人物だ。直接の面識はなかったが、彼女の評判は聞いていた。有能で厳格、そして公正な官僚として知られていた。 しかし、その時、レイナの後ろから別の人物が現れた。見覚えのある顔に、ライルの胸が締め付けられた。 「やあ、ライル。久しぶりだね」 ジェイク・アルフォードだ。王都の魔導士養成院での同期生で、ライルのスキル未発現を最も嘲笑した人物の一人だった。 「ジェイク……」ライルは言葉を失った。 ジェイクは相変わらず自信に満ちた笑みを浮かべていた。「こんな辺境の村で再会するなんて思わなかったよ。『無能』と呼ばれた君がね」 その言葉に村人たちの間でざわめきが起こった。彼らにとって、ライルは畑の恵みをもたらし、グレイウルフと戦った英雄だった。「無能」という言葉は彼の印象と全く合致しなかった。 レイナはジェイクを注意深く見た。「ジェイク、公務中は私的な会話は控えなさい」 「失礼しました、レイナ査察官」ジェイクは形式的に謝った。 コルがライルの隣で唸り声を上げた。その目はジェイクを警戒するように見つめていた。 「これが噂の銀色の生き物ですか」レイナはコルに興味を示した。「興味深い……」 集会所に向かう途中、村人たちはライルに疑問の目を向けていた。王都からの使者が、そしてライルの過去の知人が突然現れたことで、皆が混乱しているようだった。 メリアがライルの側に寄り、小声で尋ねた。「大丈夫? あの人たちは何者なの?」 「王都からの使者だよ」ライルは簡潔に答えた。「特にジェイクとは……以前の知り合いだ」 集会所では、ガルド村長とレイナ、そしてジェイクを含む数人の村の年長者が集まった。ライルも招かれた。彼は少し躊躇したが、コルを連れて入った。 レイナは書類を広げ、説明を始めた。 「王立神域調査局は、王国内の神域と呼ばれる特殊な土地を調査・記録・管理する機関です。最近、こちらの村で『銀の守り手』と呼ばれる神獣の目撃情報、そして地脈の異常な活性化が報告されました」 彼女は冷静に続けた。「これらは神域の形成初期段階に見られる典型的な兆候です。特に、グレイウルフとの戦いで見られた神獣の力の発現は、非常に重要な事例です」 ガルドは真剣に聞いていた。「神域とは何ですか? 私たちの村がそうなるということでしょうか?」 「神域とは、地脈が特別に活性化し、神の力が宿る土地です」レイナは説明した。「古来より王国内には複数の神域が存在しましたが、最近はその数が減少しています。新たな神域の形成は、約50年ぶりのことです」 レイナはライルの方を見た。「そして、神域の形成には必ず『契約者』と呼ばれる人物が関わります。地脈と特別な繋がりを持つ人物です」 ライルは緊張した。彼女は《天恵の地》のスキルと、フィリスとの契約について何か知っているのだろうか。 ジェイクが冷笑を浮かべた。「契約者なんて、大げさな話だ。正直、ライルのような無能が関わっているとは思えないがね」 コルがジェイクに向かって唸り声を上げた。レイナは二人の緊張関係に気づいたようだが、公務に集中して続けた。 「私たちは三日間滞在し、村の状況を調査します。神域として認定された場合、村には特別な保護と権利が与えられます。税制上の優遇や、魔法素材の採取権、そして王国からの定期的な援助などです」 その言葉に村人たちの間でざわめきが起こった。村にとって、それらは大きな恩恵となるだろう。 「しかし」レイナは声を強めた。「同時に、神域には責任も伴います。王国の管理下に置かれ、定期的な査察を受け入れなければなりません。また、何らかの神聖な存在——神獣や地脈の精霊、あるいは……神そのものが村に存在する場合、その情報を王国と共有する義務があります」 ライルはフィリスのことを考え、緊張した。彼女の存在を王国に知られることは、良いことなのだろうか。 会議が終わり、村人たちが散会すると、ライルは急いで家に戻った。フィリスに状況を説明しなければならない。 家に戻ると、フィリスは窓から外を見ていた。彼女はすでに状況を把握しているようだった。 「王都からの使者ね」彼女は振り返って言った。「何を求めてきたの?」 ライルは会議の内容を説明した。フィリスは黙って聞き、時折頷いていた。 「神域認定か……予想はしていたけど、こんなに早いとは思わなかったわ」彼女は思案げに言った。「私の力が戻りつつあるのを彼らが感知したのね」 「フィリス、どうすればいい? あなたの存在を彼らに知られたら……」 「大丈夫よ」フィリスは落ち着いた様子で答えた。「いずれは明らかになることだわ。でも今はまだ……」 彼女は言葉を切り、窓の外を見た。村の中では、レイナとジェイクが村を視察している姿が見えた。 「彼らに何を見せるか、慎重に選ばなければならないわね」 その夜、ライルは村長の家で再びレイナと会った。ジェイクは同席していなかった。 「ライル・アッシュフォード」レイナは直接的に言った。「王都の記録によると、あなたはスキル未発現で追放されたことになっています。しかし、村人たちの証言では、あなたは優れた農業スキルを持ち、グレイウルフとの戦いでも力を発揮したそうですね」 「はい」ライルは素直に認めた。「私のスキルは《天恵の地》といいます。畑や土地を豊かにする力です。王都では発現しなかったのですが、この村に来てから目覚めました」 レイナは驚きの表情を見せた。「《天恵の地》……これは地脈スキルの一種ですね。王都では発現しなかったというのは、地脈の流れが弱い都市部では力を発揮できなかったということでしょう」 彼女はメモを取りながら続けた。「あなたと銀色の生き物——コルでしたね——との関係はどのようなものですか?」 ライルは少し考えてから答えた。「コルは私の友人です。彼が最初に私を畑へと導き、《天恵の地》のスキルが目覚めるきっかけとなりました」 「興味深い」レイナは真剣に言った。「典型的な契約者と神獣の関係ですね。ライルさん、あなたは非常に特別な立場にいるようです」 彼女は少し間を置いて続けた。「そして、フィリスという親戚の方がいると聞きました。彼女にもお会いしたいのですが」 ライルは内心緊張したが、冷静に答えた。「はい、明日にでもご紹介します」 レイナとの会話を終え、ライルが村長の家を出ると、外でジェイクが待っていた。 「久しぶりだな、ライル」彼の声には嘲りが含まれていた。「まさか君がこんな辺境の村で英雄になっているとはな」 「何が望みだ、ジェイク?」ライルは疲れた声で尋ねた。 「別に」ジェイクは肩をすくめた。「ただ驚いているだけさ。『無能』と呼ばれた君が、実は何か特別なスキルを持っていたなんてね。でも……本当に《天恵の地》だけなのか? 他に何か隠しているんじゃないのか?」 ライルは黙って彼を見つめた。コルが低い唸り声を上げ、ジェイクを警戒している。 ...

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第24話「神域の誕生」 朝日が村を金色に染め始めた早朝、ライルは畑の中央に立っていた。昨夜、フィリスと交わした重要な会話の後、彼は早くに目を覚まし、これからの出来事に心の準備をするために一人で畑に来たのだ。 地面に手を触れると、《天恵の地》のスキルが反応し、緑色の光が指先から広がった。この力は、ライルがこの村に来て以来、日に日に強くなっている。そして今日、その力は新たな段階へと進むかもしれない。 「準備はいいかい?」 振り返ると、フィリスが立っていた。彼女は普段の神としての装いではなく、村人に紛れるための質素な服を着ていた。しかし、その翡翠色の目は、神としての威厳を失っていなかった。 「うん」ライルは深呼吸してから答えた。「少し緊張するけど」 「当然よ」フィリスは近づいてきた。「今日は大きな変化の日になるわ。私たちの契約が完全なものになる日……そして、この村が神域として公に認められる日」 コルも二人の元に駆け寄ってきた。いつもより活発に走り回り、尾を振っている。彼も何か特別なことが起きることを感じている様子だった。 朝食を終えた後、三人は村の集会所へと向かった。今日、レイナ査察官による最終的な調査と、正式な神域認定のための儀式が行われる予定だった。 集会所には既に多くの村人が集まっていた。ガルド村長をはじめ、メリア、ドリアン、そして好奇心に満ちた子供たちも。皆が緊張と期待に包まれているようだった。 レイナもジェイクと共に到着していた。彼女は公式の式典用の制服に着替えており、一層厳かな雰囲気を漂わせていた。 「おはようございます、ライルさん」レイナは丁寧に挨拶した。「そして、こちらが噂のフィリスさんですね」 「はい」ライルは頷いた。「私の……特別な友人です」 フィリスはレイナに対して穏やかに頭を下げた。「お会いできて光栄です、レイナ査察官」 レイナはフィリスを興味深そうに観察した。「あなたから特別な力を感じます。単なる村人ではないのでは?」 フィリスは一瞬、ライルと視線を交わした後、静かに答えた。「ええ、私は地の力を司る存在です。この村の地脈と特別な繋がりを持っています」 レイナの目が大きく見開かれた。「やはり……。神域形成の鍵となる存在がいるとは」 ジェイクは不信感を露わにした。「そんな話を簡単に信じるのですか? 証拠は?」 「証拠が必要なら、見せましょう」フィリスは自信を持って言った。 彼女は集会所の中央へと歩み出た。そして、両手を地面に向けて広げると、彼女の体から緑色の光が放たれ始めた。その光は床を通じて地中へ、そして村全体へと広がっていった。 村人たちは息を呑み、畏敬の念を持ってその光景を見つめた。コルもフィリスの隣に立ち、その体からも金色の光が放たれ始めた。 「神の力……」レイナは小声で言った。「そして神獣の力……これは間違いなく神域の誕生の兆しです」 ジェイクでさえ、その光景には言葉を失ったようだった。 フィリスは光を収め、静かにライルの側に戻った。 「これで十分でしょうか?」彼女は穏やかに尋ねた。 レイナは深く頷いた。「十分です。私は正式に、この村を神域として認定する手続きを進めます」 彼女は持参した公式の書類を広げ、神域認定の準備を始めた。村人たちの間では興奮と驚きの声が広がった。特に子供たちは、フィリスの驚くべき力に目を輝かせていた。 ガルド村長がライルとフィリスに近づいた。「君たちのおかげで村が特別な場所として認められるんだね。本当にありがとう」 「いいえ、村長さん」ライルは誠実に答えた。「この村が私たちを受け入れてくれたことに感謝しています」 レイナは書類の準備を終えると、村人たちの前で宣言した。 「神域認定のためには、最後に一つ儀式が必要です。契約者と神の力を持つ存在との間の正式な契約の儀式です」 彼女はライルとフィリスを見た。「二人の間には既に絆があるようですが、王国の法の下で正式な契約を結ぶことで、神域としての権利と責任が生まれます」 ライルとフィリスは互いに視線を交わした。彼らは昨夜、この瞬間について話し合い、準備していた。 「では、始めましょう」レイナは言った。 儀式は集会所の中央で行われた。村人たちは円を描くように周りを囲み、見守った。中央には、ライル、フィリス、そしてコルが立っていた。 レイナは古い儀式の言葉を唱え始めた。「地脈の流れに従い、神の意志の下に、この土地が聖なる領域となることを宣言します」 彼女はライルとフィリスに向き合うように促した。 「ライル・アッシュフォード、あなたは《天恵の地》のスキルを持つ者として、この神域の契約者となる意思はありますか?」 「はい、あります」ライルは強い意志を込めて答えた。 「そして、地の力を司るフィリス、あなたは神としての力をこの土地に与え、契約者を守護する意思はありますか?」 「はい、あります」フィリスは威厳のある声で答えた。 レイナは二人の手を取り、結びつけた。「では、契約を結びなさい。あなたたちの絆が、この土地を神域として守ります」 その瞬間、ライルとフィリスの手から光が溢れ出した。《天恵の地》のスキルと、フィリスの神としての力が融合し、強い輝きを放ち始めた。その光は徐々に広がり、集会所全体、そして村全体を包み込んでいった。 コルも反応し、銀色の毛並みが黄金色に輝き始めた。彼は天井に向かって高らかに吠え、その声は神獣の力を纏って村中に響き渡った。 村人たちは畏敬の念に包まれ、中には涙を流す者もいた。神聖な瞬間に立ち会っていることを、皆が感じていた。 やがて光が収まると、変化が見て取れた。村全体が以前より鮮やかに、生命力に満ちて見える。樹木はより緑濃く、花はより鮮やかに、そして大地自体が力強い鼓動を持つかのようだった。 「契約が成立しました」レイナは厳かに宣言した。「これにより、ウィロウ村は正式に『フィリスの神域』として王国に認められます」 村人たちから歓声が上がった。長い間、忘れ去られていた小さな辺境の村が、今や王国で特別な地位を持つ神域となったのだ。 ガルド村長が前に出て、感謝の言葉を述べた。「ライル、フィリス、そしてコル。三人のおかげで、我が村は新たな時代を迎えることができました。心から感謝します」 村人たちも拍手で賛同を示した。 儀式の後、レイナはライルとフィリスを呼び、改めて神域としての権利と責任について説明した。 「神域として、この村は特別な保護と援助を受けることができます。同時に、神の力の適切な管理と、定期的な報告の義務があります」 彼女はフィリスに敬意を込めて言った。「あなたが七柱の神の一柱であることも感じ取れました。その詳細はまだ語らなくても構いません。ただ、いずれは王国の神域記録として残すことになるでしょう」 フィリスは微笑んで頷いた。「時が来れば、すべてをお話しします」 ジェイクはこの一連の出来事に敗北感を抱いたのか、不機嫌そうに集会所の隅に立っていた。しかし、公的には神域認定に異議を唱えることはできなかった。 昼過ぎ、村は神域認定を祝う宴を開いた。村の広場には長いテーブルが並べられ、家々から持ち寄られた料理が並んだ。子供たちはコルと遊び、大人たちは神域としての未来について話し合った。 レイナも宴に参加し、村人たちと談笑していた。彼女の厳格な態度は少し和らぎ、真摯に村の人々の話に耳を傾けていた。 「明日、私たちは王都に戻ります」彼女はライルに言った。「正式な神域認定書を持って、一か月以内に戻って来る予定です。それまでに村の準備を整えておいてください」 「わかりました」ライルは頷いた。「村長と相談して進めます」 夕方になり、宴もお開きになると、ライル、フィリス、コルは静かに家に戻った。三人は家の前の小さな丘に座り、夕日に染まる村を眺めた。 「神域になったね……」ライルは感慨深く言った。 「ええ」フィリスは穏やかに微笑んだ。「私の力も、契約のおかげでさらに戻ってきたわ。かつての神としての記憶も、少しずつ鮮明になってきている」 コルは二人の間に座り、満足げに尾を振っていた。彼も神獣として、より力強くなったように見えた。 「これからどうなるんだろう」ライルは空を見上げた。「神域になることで、村はどう変わるのかな」 「それは私たちが作り上げていくものよ」フィリスは真剣に言った。「神域は神の意思だけでなく、そこに住む人々の意思でも形作られるもの。だから、この村が素晴らしい場所になるかどうかは、私たちと村人たち次第なの」 夕日が山の向こうに沈みかけるとき、村全体が黄金色の光に包まれた。それは美しく、そして希望に満ちた光景だった。 「王都からの追放は、実は祝福だったのかもしれないね」ライルは静かに言った。 「運命というものね」フィリスは彼の肩に手を置いた。「あなたは《天恵の地》の契約者として生まれたのよ。いつか必ず、私とコルに出会う運命だったの」 コルも同意するように鳴いた。 ...

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第25話「エピローグ:のんびりとした日々の始まり」 神域認定から一週間が経った穏やかな朝、ライルは畑で野菜の手入れをしていた。《天恵の地》のスキルと彼の手作業が融合した結果、畑は見事なまでに豊かな実りを見せ始めていた。 契約の儀式以降、彼のスキルはさらに力を増していた。彼が土に触れると、指先から緑の光が広がり、土の中に浸透していく。すると、野菜たちが目に見えて生き生きとし始める——その様子は今でも彼を驚かせるものだった。 「もう慣れたかと思ったけど、まだ不思議な感じがするな」ライルは独り言を呟いた。 あの日、レイナ査察官とジェイクは村を後にした。レイナは約束通り、一か月以内に正式な神域認定書を持って戻ってくるという。ジェイクは最後まで不機嫌そうだったが、少なくとも露骨な嫌がらせはなくなっていた。 「ライル~!」 振り返ると、メリアが嬉しそうな顔で走ってくるのが見えた。彼女の両手には、何か紙のようなものが握られている。 「あのね、王都からの連絡が来たの!」メリアは息を切らせながら言った。「神域認定に伴う特別な種子と農法の資料が送られてくるんですって!」 「本当? もう効果が出始めているんだね」 「ええ! それだけじゃないの」彼女は興奮気味に続けた。「神域に住む私たちは、王都の大図書館の農業部門を無料で利用できるようになるんですって。新しい作物や栽培方法の情報が手に入るわ!」 ライルは嬉しそうに微笑んだ。追放された身から、今や王都の施設を利用する権利を得るとは——人生は本当に予想できないものだ。 「それと」メリアはさらに声を落として続けた。「村長が村の全体計画を考えているの。神域としての発展計画よ。今日の夕方、君の家で少人数で話し合いがあるわ」 「僕の家で?」 「ええ、フィリスとコルも交えたいからって。もちろん、私たちは彼女の正体を知ってるけど、村の全員が知っているわけじゃないもの」 メリアは立ち去る前に、ライルの畑を見渡して感嘆の声を上げた。「本当に素晴らしい畑ね。村中があなたの野菜を欲しがっているわ」 昼食時、ライルは収穫したての野菜を持って家に戻った。玄関を開けると、心地よい香りが漂ってきた。フィリスが料理をしているようだ。 「ただいま」ライルが声をかけると、フィリスが台所から顔を出した。 「おかえり」彼女は微笑んだ。「見て。ドリアンが持ってきた新しい調理器具で料理してるの」 フィリスの料理の腕は、最初の頃と比べると格段に上達していた。彼女は地の女神でありながら、人間の日常を楽しみ、学ぶことに喜びを見出しているようだった。 コルは暖炉の前でまどろんでいたが、ライルの帰宅に気づくと、尾を振りながら駆け寄ってきた。その銀色の毛並みは太陽の光を浴びて輝いている。 「今日は村長たちが夕方に来るらしいよ」ライルは二人に伝えた。「神域としての村の発展計画について話し合うんだって」 「そう」フィリスは少し考え込む表情を見せた。「村の発展ね……私の力がもっと戻れば、もっと手助けできるのだけど」 「焦ることはないよ」ライルは優しく言った。「ここまでだって十分すごいじゃないか。それに、ゆっくりと成長していくのが村の良さだと思うんだ」 昼食を終えた後、三人は家の前の小さな庭で寛いでいた。夏の日差しは暑すぎず、心地よい風が時折吹き抜ける。フィリスは村の子どもたちが作ってくれた花冠を嬉しそうに頭に載せていた。 「ねえ、ライル」フィリスが突然言った。「村の東側の丘の下に、何かあるのを感じるの」 「東側の丘? あそこは岩場が多くて、あまり人が行かない場所だよね」 「ええ。地脈の流れが変わっているのよ。何か空洞があるような……」 コルもフィリスの言葉に反応し、耳をピクリと動かした。彼もまた何かを感じているようだった。 「いつか探検してみる?」ライルは興味を示した。 「ええ、でも急ぐことはないわ」フィリスは微笑んだ。「これから長い時間があるもの」 午後、ライルは村の中を歩いて回った。神域認定以来、村の景観は微妙に変化していた。木々はより緑豊かに、花々はより鮮やかに咲き誇り、全体的に生命力が満ちているように感じられる。 村人たちも変わった。彼らの表情には新たな誇りと希望が宿っていた。王国から認められた特別な場所に住んでいるという自覚が、皆の歩みに自信を与えているようだった。 ライルが村の広場を通りかかると、トムとマリィが駆け寄ってきた。 「ライルさん! コルはどこ?」トムが尋ねた。 「家で休んでるよ」 「今度、一緒に森に行ってもいい?」マリィが少し恥ずかしそうに聞いた。「お父さんが言うには、神域の森には特別な花が咲くんだって」 「もちろん、いつか一緒に行こう」ライルは子どもたちの頭を優しく撫でた。 トムが急に思い出したように言った。「そうだ! 村長が言ってたよ。村の東の丘の下に洞窟があるかもしれないって! おじいちゃんが子どもの頃に見たことがあるんだって」 「洞窟?」ライルは驚いた。フィリスの感覚は正しかったようだ。 「うん! でも長い間、入口が見つからなくなっちゃったんだって」トムは目を輝かせて言った。「でもね、神域になったからって、地面が少し動いたみたいで、村長が調査隊を作るって言ってたよ!」 子どもたちが去った後、ライルはその話について考えていた。東の丘の下の洞窟——何があるのだろう? 古い遺跡? それとも単なる天然の洞窟? いずれにせよ、探検する価値はありそうだ。 夕方、約束通り、ガルド村長とメリア、そして鍛冶屋のドリアンがライルの家を訪れた。テーブルの周りに集まり、フィリスが入れた茶を飲みながら、話し合いが始まった。 「まず、神域認定についてもう一度お礼を言わせてくれ」ガルド村長は真摯に言った。「君たちのおかげで、村は新たな道を歩み始めている」 ライルとフィリスは謙虚に頷いた。コルはテーブルの下で村長の足元に寄り添っていた。 「さて、神域としての村の発展計画だが」ガルドは続けた。「二つの主要なプロジェクトを考えている。一つは東の丘の洞窟の調査。もう一つは、村の市場の設立だ」 「市場ですか?」ライルは興味を示した。 「ああ」ドリアンが説明を引き継いだ。「神域として認められた今、他の村からも人が訪れるようになるだろう。定期的な市場があれば、交易が活発になり、村も豊かになる。特に君の野菜は大きな目玉商品になるはずだ」 「それに」メリアが加えた。「バスランが次に来るとき、村の市場計画について相談したいと言っていたわ。彼の経験は貴重よ」 フィリスが興味深そうに尋ねた。「東の丘の洞窟については、何か伝説はあるのですか?」 「実はね」ガルドは声を落として言った。「村の古い言い伝えでは、その洞窟は『温かい水が湧き出る場所』だと言われている。いわゆる温泉ってやつかもしれない」 「温泉?」ライルは驚いた。「本当ですか?」 「確かではない」ガルドは肩をすくめた。「ただの噂かもしれないし、古い鉱山跡かもしれない。だが、調査する価値はあると思うんだ」 話し合いは夜遅くまで続いた。市場の配置、洞窟調査のための準備、そして神域としての村の新たな規則などについて。フィリスも神域の管理について貴重な意見を提供した。 ガルドたちが帰った後、ライル、フィリス、コルは暖炉の前に座り、静かに語り合った。 「温泉か……」ライルは火を見つめながら言った。「もし本当なら、素晴らしいね」 「ええ」フィリスも頷いた。「温泉は地脈の力が強い場所に湧き出ることが多いわ。神域になったことで、その力が目覚めたのかもしれないわね」 コルは二人の会話を聞きながら、満足げに尾を振っていた。 「不思議だね」ライルは静かに言った。「王都から追放されて、何もかも失ったと思った。でも今は、こんなにたくさんのものを得ている」 「運命は予測できないものよ」フィリスは優しく微笑んだ。「私だって、長い封印から解放されて、こんな日々が来るとは思わなかった」 彼女はライルの手を取り、静かに言った。「契約の儀式以来、私の力は徐々に戻りつつあるわ。でも同時に、人としての感情も強くなってきている。神としての私と、今ここにいる私——どちらも大切な自分の一部なのね」 ...

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