第23話「王都からの使者来訪」

 グレイウルフとの戦いから三日が経った穏やかな午後、ライルは畑で作業していた。村は再び日常を取り戻し、人々はいつも通りの仕事に戻っていた。グレイウルフの群れは、仲間を失ったためか、あるいはコルの力に恐れをなしたのか、この地域から去ったようだった。

 ライルが野菜の手入れをしていると、畑のそばを銀色の影が駆け抜けた。コルだ。彼は村でも公然と姿を現すようになっていた。村人たちは彼を「銀の守り手」として敬い、特に子供たちは彼と遊ぶことを楽しみにしていた。

「コル、どうしたの?」

 コルは何かを知らせたいように鳴き、村の南門の方を見た。その金色の瞳には警戒心が浮かんでいる。

「誰か来たのか?」

 ライルは土を払い、コルの後に続いた。村の南門に近づくと、そこには何人かの村人が集まり、見知らぬ馬車を見つめていた。馬車は王都の紋章が描かれた高級なもので、その側には制服を着た兵士が二人立っていた。

「王都からの使者だ」ガルド村長が人々に説明していた。「なぜ我が村に……」

 馬車のドアが開き、一人の女性が降り立った。若くて美しいが、厳格な表情をした女性だ。彼女は王都の官僚の制服を着ており、手には書類の入った鞄を持っていた。

「私はレイナ・イース、王立神域調査局から参りました」彼女は高圧的な態度ではなく、しかし明確な威厳を持って言った。「この村で最近、特異な現象が報告されていると聞きました。村長はどちらでしょうか」

 ガルドが一歩前に出た。「私がガルド・ブラウン、この村の村長です」

「お話をしたいのですが、どこか適切な場所はありますか?」

「はい、村の集会所へどうぞ」

 レイナが村人たちの間を通り抜けようとしたとき、彼女の目がライルに止まった。

「あなたは……」彼女は少し驚いたように見えた。

 ライルも彼女を認識していた。レイナは王都の魔導士養成院でたびたび見かけた人物だ。直接の面識はなかったが、彼女の評判は聞いていた。有能で厳格、そして公正な官僚として知られていた。

 しかし、その時、レイナの後ろから別の人物が現れた。見覚えのある顔に、ライルの胸が締め付けられた。

「やあ、ライル。久しぶりだね」

 ジェイク・アルフォードだ。王都の魔導士養成院での同期生で、ライルのスキル未発現を最も嘲笑した人物の一人だった。

「ジェイク……」ライルは言葉を失った。

 ジェイクは相変わらず自信に満ちた笑みを浮かべていた。「こんな辺境の村で再会するなんて思わなかったよ。『無能』と呼ばれた君がね」

 その言葉に村人たちの間でざわめきが起こった。彼らにとって、ライルは畑の恵みをもたらし、グレイウルフと戦った英雄だった。「無能」という言葉は彼の印象と全く合致しなかった。

 レイナはジェイクを注意深く見た。「ジェイク、公務中は私的な会話は控えなさい」

「失礼しました、レイナ査察官」ジェイクは形式的に謝った。

 コルがライルの隣で唸り声を上げた。その目はジェイクを警戒するように見つめていた。

「これが噂の銀色の生き物ですか」レイナはコルに興味を示した。「興味深い……」

 集会所に向かう途中、村人たちはライルに疑問の目を向けていた。王都からの使者が、そしてライルの過去の知人が突然現れたことで、皆が混乱しているようだった。

 メリアがライルの側に寄り、小声で尋ねた。「大丈夫? あの人たちは何者なの?」

「王都からの使者だよ」ライルは簡潔に答えた。「特にジェイクとは……以前の知り合いだ」

 集会所では、ガルド村長とレイナ、そしてジェイクを含む数人の村の年長者が集まった。ライルも招かれた。彼は少し躊躇したが、コルを連れて入った。

 レイナは書類を広げ、説明を始めた。

「王立神域調査局は、王国内の神域と呼ばれる特殊な土地を調査・記録・管理する機関です。最近、こちらの村で『銀の守り手』と呼ばれる神獣の目撃情報、そして地脈の異常な活性化が報告されました」

 彼女は冷静に続けた。「これらは神域の形成初期段階に見られる典型的な兆候です。特に、グレイウルフとの戦いで見られた神獣の力の発現は、非常に重要な事例です」

 ガルドは真剣に聞いていた。「神域とは何ですか? 私たちの村がそうなるということでしょうか?」

「神域とは、地脈が特別に活性化し、神の力が宿る土地です」レイナは説明した。「古来より王国内には複数の神域が存在しましたが、最近はその数が減少しています。新たな神域の形成は、約50年ぶりのことです」

 レイナはライルの方を見た。「そして、神域の形成には必ず『契約者』と呼ばれる人物が関わります。地脈と特別な繋がりを持つ人物です」

 ライルは緊張した。彼女は《天恵の地》のスキルと、フィリスとの契約について何か知っているのだろうか。

 ジェイクが冷笑を浮かべた。「契約者なんて、大げさな話だ。正直、ライルのような無能が関わっているとは思えないがね」

 コルがジェイクに向かって唸り声を上げた。レイナは二人の緊張関係に気づいたようだが、公務に集中して続けた。

「私たちは三日間滞在し、村の状況を調査します。神域として認定された場合、村には特別な保護と権利が与えられます。税制上の優遇や、魔法素材の採取権、そして王国からの定期的な援助などです」

 その言葉に村人たちの間でざわめきが起こった。村にとって、それらは大きな恩恵となるだろう。

「しかし」レイナは声を強めた。「同時に、神域には責任も伴います。王国の管理下に置かれ、定期的な査察を受け入れなければなりません。また、何らかの神聖な存在——神獣や地脈の精霊、あるいは……神そのものが村に存在する場合、その情報を王国と共有する義務があります」

 ライルはフィリスのことを考え、緊張した。彼女の存在を王国に知られることは、良いことなのだろうか。

 会議が終わり、村人たちが散会すると、ライルは急いで家に戻った。フィリスに状況を説明しなければならない。

 家に戻ると、フィリスは窓から外を見ていた。彼女はすでに状況を把握しているようだった。

「王都からの使者ね」彼女は振り返って言った。「何を求めてきたの?」

 ライルは会議の内容を説明した。フィリスは黙って聞き、時折頷いていた。

「神域認定か……予想はしていたけど、こんなに早いとは思わなかったわ」彼女は思案げに言った。「私の力が戻りつつあるのを彼らが感知したのね」

「フィリス、どうすればいい? あなたの存在を彼らに知られたら……」

「大丈夫よ」フィリスは落ち着いた様子で答えた。「いずれは明らかになることだわ。でも今はまだ……」

 彼女は言葉を切り、窓の外を見た。村の中では、レイナとジェイクが村を視察している姿が見えた。

「彼らに何を見せるか、慎重に選ばなければならないわね」

 その夜、ライルは村長の家で再びレイナと会った。ジェイクは同席していなかった。

「ライル・アッシュフォード」レイナは直接的に言った。「王都の記録によると、あなたはスキル未発現で追放されたことになっています。しかし、村人たちの証言では、あなたは優れた農業スキルを持ち、グレイウルフとの戦いでも力を発揮したそうですね」

「はい」ライルは素直に認めた。「私のスキルは《天恵の地》といいます。畑や土地を豊かにする力です。王都では発現しなかったのですが、この村に来てから目覚めました」

 レイナは驚きの表情を見せた。「《天恵の地》……これは地脈スキルの一種ですね。王都では発現しなかったというのは、地脈の流れが弱い都市部では力を発揮できなかったということでしょう」

 彼女はメモを取りながら続けた。「あなたと銀色の生き物——コルでしたね——との関係はどのようなものですか?」

 ライルは少し考えてから答えた。「コルは私の友人です。彼が最初に私を畑へと導き、《天恵の地》のスキルが目覚めるきっかけとなりました」

「興味深い」レイナは真剣に言った。「典型的な契約者と神獣の関係ですね。ライルさん、あなたは非常に特別な立場にいるようです」

 彼女は少し間を置いて続けた。「そして、フィリスという親戚の方がいると聞きました。彼女にもお会いしたいのですが」

 ライルは内心緊張したが、冷静に答えた。「はい、明日にでもご紹介します」

 レイナとの会話を終え、ライルが村長の家を出ると、外でジェイクが待っていた。

「久しぶりだな、ライル」彼の声には嘲りが含まれていた。「まさか君がこんな辺境の村で英雄になっているとはな」

「何が望みだ、ジェイク?」ライルは疲れた声で尋ねた。

「別に」ジェイクは肩をすくめた。「ただ驚いているだけさ。『無能』と呼ばれた君が、実は何か特別なスキルを持っていたなんてね。でも……本当に《天恵の地》だけなのか? 他に何か隠しているんじゃないのか?」

 ライルは黙って彼を見つめた。コルが低い唸り声を上げ、ジェイクを警戒している。

「その獣、かなり珍しいようだな」ジェイクはコルを見た。「王都の学者たちは喜ぶだろうね。研究対象として連れ帰ることになるかもしれないよ」

 その言葉にライルは怒りを感じた。「コルは研究対象ではない。彼はこの村の守護者だ」

「まあ、それは調査局が決めることさ」ジェイクは冷たく笑った。「君みたいな者に決定権はないよ」

 ライルは言い返そうとしたが、その時、村の方から声が聞こえた。メリアだった。

「ライル! ちょっといいかしら?」

 メリアがライルの元へ駆け寄ってきた。彼女はジェイクに簡単に会釈すると、ライルの腕を引いた。

「ごめんなさい、ちょっと相談があって」彼女は言い訳をして、ライルをジェイクから引き離した。

 二人が十分に離れたところで、メリアは小声で言った。

「あの人、何を言ってたの? すごく嫌な雰囲気だったわ」

「昔の知り合いだよ」ライルは疲れた声で答えた。「王都での……良くない思い出がある」

「そう……」メリアは理解を示し、それ以上詮索しなかった。「でも、私たちはあなたの味方よ。村中があなたを信頼しているんだから」

 ライルはその言葉に温かさを感じた。「ありがとう、メリアさん」

 家に戻ると、フィリスとコルが暖炉の前で待っていた。ライルはレイナとジェイクとの会話を詳しく伝えた。

「ジェイクには注意したほうがいいわね」フィリスは真剣な表情で言った。「彼はあなたへの個人的な感情を持っているようだし、コルを研究対象にしようとしているわ」

 コルはその言葉に不安げな鳴き声を上げた。

「大丈夫だよ、コル」ライルは彼の頭を撫でた。「君を誰にも渡さない」

 フィリスは考え込むように窓の外を見ていた。

「レイナという人物は正直そうね」彼女は静かに言った。「彼女には真実の一部を見せてもいいかもしれない」

「真実の一部?」

「ええ」フィリスは頷いた。「私が地の力を持つ存在であることは伝えても良いと思うわ。でも、七柱の神の一柱だということまでは……まだ秘密にしておきましょう」

 ライルは理解を示した。「明日、レイナさんに会ってもらおう」

 その夜、三人は遅くまで話し合った。王都の使者が村に来たことで、彼らの平和な生活に新たな緊張が生まれた。しかし同時に、これが村にとって、そして彼ら自身にとって新たな発展の機会になるかもしれないという期待も感じていた。

 夜更けになり、ライルとフィリスが眠りについた後も、コルは窓辺で村を見守っていた。その金色の瞳には、これからの変化を静かに受け入れる覚悟が宿っていた。